紀元前きげんぜん585年ねん5月がつ28日にち、小しょうアジアの戦場せんじょうで昼ひるが突然とつぜん夜よるになった。リュディアΛυδία軍ぐんとメディアΜηδία軍ぐんは剣けんを収おさめ、恐怖きょうふのうちに空そらを見上みあげた。しかしミレトスΜίλητοςの賢者けんじゃタレスΘαλῆςは、この日食にっしょくをあらかじめ「予告よこくしていた」と伝つたえられている。神かみの怒いかりではなく自然しぜんの規則きそく性せい。彼かれが見出みいだそうとしたのは、まさにそれだった。

「この世界せかいは何なんでできているのか」。この問といに、神話しんわではなく自然しぜんの原理げんりで答こたえようとした最初さいしょの人物じんぶつがタレスΘαλῆςだ。彼かれの答こたえ「万物ばんぶつの根源こんげんは水みずである」は、2600年ねんを経へた今日きょうからすれば素朴そぼくに聞きこえるだろう。肝心なのは回答かいとうの正否せいひではない。「世界せかいを一ひとつの原理げんりで説明せつめいできるはずだ」という問といの構造こうぞうそのものが、哲学てつがくと科学かがくの共通きょうつうの出発しゅっぱつ点てんになった。物理ぶつり学者がくしゃが「万物ばんぶつの理論りろん」を追おい求もとめ、生物せいぶつ学者がくしゃがDNAの塩基えんき配列はいれつに生命せいめいの秘密ひみつを読よむ現代げんだい。その根ねは紀元前きげんぜん6世紀せいきの港湾こうわん都市としに遡さかのぼる。

この記事きじの要点ようてん

  • 神話しんわから理性りせいへ:タレスΘαλῆςは超ちょう自然しぜん的てきな説明せつめいを退しりぞけ、自然しぜん現象げんしょうを自然しぜんそのものから説明せつめいする思考しこう様式ようしき(ロゴスλόγος)を切きり開ひらいた。「哲学てつがくの誕生たんじょう」とは、この転換てんかんの別名べつめいだ。
  • アルケーἀρχήという「問とい」の発明はつめい:「万物ばんぶつは水みずである」は一いち世代せだいで乗のり越こえられた。それでも「万物ばんぶつに共通きょうつうする根源こんげん原理げんり(アルケーἀρχή)があるはずだ」という問といの立たて方かたが、2600年ねんの探究たんきゅうを駆かり立たてている。
  • 理論りろんと実践じっせんの統合とうごう:タレスΘαλῆςは天文てんもん観測かんそくで日食にっしょくを予言よげんしたと伝つたえられ、商才しょうさいでオリーブolive搾油さくゆ機きを独占どくせんした。「哲学てつがく者しゃは使つかえない」という偏見へんけんに、最初さいしょの哲学てつがく者しゃ自身じしんが反証はんしょうしている。

生涯しょうがいと時代じだい背景はいけい

タレスΘαλῆςは紀元前きげんぜん624年ねん頃ごろ、エーゲ海かい東岸とうがんのイオニアἸωνία地方ちほうにある港湾こうわん都市としミレトスΜίλητοςに生うまれた。ミレトスΜίλητοςは当時とうじ、地中海ちちゅうかい世界せかい有数ゆうすうの交易こうえき都市としだ。エジプトΑἴγυπτος・バビロニアΒαβυλωνία・フェニキアΦοινίκηの知識ちしきが船ふねで運はこばれ、商人しょうにんたちが測量そくりょう術じゅつや天文てんもん観測かんそくを日常にちじょうで使つかっていた。ギリシャ本土ほんどではポリスπόλιςがまだ形成けいせい途上とじょうにあったこの時代じだい、イオニアἸωνίαの商業しょうぎょう都市としでは実用じつよう的てきな天文学てんもんがく・測量そくりょう術じゅつ・航海こうかい術じゅつが発達はったつし、自然しぜん現象げんしょうを注意深ちゅういぶかく観察かんさつする知的ちてき土壌どじょうが整ととのっていた。

タレスΘαλῆςはエジプトΑἴγυπτοςに渡航とこうし、幾何きか学がくと測量そくりょう術じゅつを学まなんだと伝つたえられる。ピラミッドpyramidの影かげからその高たかさを算出さんしゅつしたエピソードは有名ゆうめいだ(プルタルコスΠλούταρχος『七賢人の饗宴Septem Sapientium Convivium』147a)。バビロニアΒαβυλωνία天文学てんもんがくの知識ちしきも吸収きゅうしゅうし、紀元前きげんぜん585年ねんの日食にっしょくを予告よこくしたとされる(ヘロドトスἩρόδοτος『歴史Ἱστορίαι』第だい1巻かん74節せつ)。

もっとも、この日食にっしょく予告よこくがどこまで正確せいかくだったかには慎重しんちょうな留保りゅうほが必要ひつようだ。バビロニアΒαβυλωνία人じんはサロスSaros周期しゅうき(約やく18年ねん11日にち)によって月食げっしょくの予測よそくには成功せいこうしていたが、日食にっしょくは観測かんそく地点ちてんごとに見みえる範囲はんいが異ことなるため、サロスSaros周期しゅうきだけで特定とくていの土地とちでの日食にっしょくを言いい当あてることは極きわめて難むずかしい。おそらくタレスΘαλῆςは、おおまかな時期じきを予告よこくし、幸運こううんな一致いっちも重かさなって伝説でんせつ化かしたのだろう(Kirk & Raven, 1983, pp.76-79)。それでも、天体てんたい現象げんしょうを神意しんいではなく規則きそく性せいとして捉とらえようとした姿勢しせいそのものは、当時とうじとしては大胆だいたんだった。

彼かれはギリシャ「七しち賢人けんじん」のひとりに数かぞえられ、政治せいじにも積極せっきょく的てきに関かかわった。ヘロドトスἩρόδοτοςは、タレスΘαλῆςがペルシアの脅威きょういに対たいしてイオニアἸωνία諸しょ都市としが連合れんごう政府せいふを形成けいせいすべきだと提言ていげんしたことを記録きろくしている(『歴史Ἱστορίαι』第だい1巻かん170節せつ)。この提言ていげんは実現じつげんしなかったが、実際じっさい的てきな政治せいじ判断はんだん力りょくを示しめすエピソードだ。

「星ほしを見上みあげて歩あるいていたら井戸いどに落おちた」という有名ゆうめいな逸話いつわ(プラトンΠλάτων『テアイテトスΘεαίτητος』174a)は、哲学てつがく者しゃの世間せけん離ばなれを揶揄やゆする話はなしとして語かたり継つがれている。しかしアリストテレスἈριστοτέληςが伝つたえる別べつの逸話いつわは対照たいしょう的てきだ。タレスΘαλῆςは天文てんもん観測かんそくからオリーブoliveの豊作ほうさくを予測よそくし、シーズンseason前まえに搾油さくゆ機きをすべて安値やすねで借かり上あげ、収穫しゅうかく期きに高値たかねで貸かし出だして大おおきな利益りえきを得えた(『政治学Πολιτικά』1259a)。タレスΘαλῆςはこの逸話いつわによって、「哲学てつがく者しゃは望のぞめば金きんを稼かせげる。ただ、それが彼かれらの関心かんしん事ごとではないだけだ」と証明しょうめいした。

ミニ年表ねんぴょう

  • 前ぜん624年ねん頃ころ:イオニアἸωνία地方ちほうミレトスΜίλητοςに生うまれる(フェニキアΦοινίκη系けいとも伝つたえられる)
  • 前ぜん600年ねん頃ころ:エジプトΑἴγυπτοςに渡わたり幾何きか学がく・測量そくりょう術じゅつを学まなぶ
  • 前ぜん585年ねん:日食にっしょくを予告よこく。リュディアΛυδία=メディアΜηδία戦争せんそうの停戦ていせんに関連かんれん
  • 前ぜん580年ねん頃ころ:「七しち賢人けんじん」のひとりとして名声めいせいを確立かくりつ
  • 前ぜん547/546年ねん頃ころ:ミレトスΜίλητοςにて没ぼつ(クロイソスΚροῖσοςのリュディアΛυδία滅亡めつぼうと近ちかい時期じき)

タレスΘαλῆςは何なにを問とうたのか

タレスΘαλῆς以前いぜんの世界せかいでは、自然しぜんの成なり立たちはもっぱら神話しんわによって説明せつめいされていた。ヘシオドスἩσίοδοςの『神統記Θεογονία』によれば、最初さいしょにカオスΧάος(混沌こんとん)があり、そこからガイアΓαῖα(大地だいち)やエロスἔρως(愛あい)が生うまれ、神々かみがみの系譜けいふを通つうじて宇宙うちゅうが形成けいせいされる。天候てんこうの変動へんどうはゼウスΖεύςの怒いかり、地震じしんはポセイドンΠοσειδῶνの仕業しわざ、季節きせつの変化へんかはデメテルΔημήτηρの感情かんじょうとして語かたられた。

忘わすれてならないのは、タレスΘαλῆςがまったくの無むから思考しこうを始はじめたわけではない点だ。近東きんとうの宇宙うちゅう創成そうせい論ろんにはすでに「原初げんしょの水みず」のモチーフmotifが存在そんざいする。バビロニアΒαβυλωνίαの創世そうせい叙事詩じょじし『エヌマ・エリシュEnūma Eliš』では原初げんしょの淡水たんすいアプスーと塩水えんすいティアマトTiamatから世界せかいが生うまれ、エジプトΑἴγυπτος神話しんわでも万物ばんぶつは原初げんしょの水みずヌンNunから立たち上あがる。タレスΘαλῆςの「水みず」がこれらの伝統でんとうに影響えいきょうを受うけたと見みる余地よちはある。しかし決定的けっていてきな違ちがいは、タレスΘαλῆςがこの直観ちょっかんを神々かみがみの物語ものがたりとしてではなく、自然しぜんの原理げんりとして提示ていじした点てんにある。

タレスΘαλῆςの革命かくめいは、答こたえの中身なかみではなく説明せつめい体系たいけいそのものの転換てんかんにあった。「この世界せかいの万物ばんぶつは、究極きゅうきょく的てきには何なにからできているのか?」この問といへの答こたえを、神かみの意志いしではなく自然しぜんの内部ないぶに求もとめたのだ。ミュトスμῦθος(神話しんわ的てき説明せつめい)からロゴスλόγος(理性りせい的てき説明せつめい)へ。単たんなる回答かいとうの差さし替かえではなく、問といの構造こうぞうそのものが変かわったのである。

後のちのアリストテレスἈριστοτέληςは、この転換てんかんを的確てきかくに位置いちづけている。『形而上学Τὰ μετὰ τὰ φυσικά』第だい1巻かんで、タレスΘαλῆςを「このような哲学てつがく(自然しぜんについての探究たんきゅう)の創始そうし者しゃ」と呼よび、万物ばんぶつの「質料しつりょう因いん」を初はじめて問とうた人物じんぶつだとしている(983b20-22)。もっとも、ここで使つかわれる「アルケーἀρχή」という用語ようごはアリストテレスἈριστοτέλης自身じしんが遡及そきゅう的てきに当あてはめた枠組わくぐみであり、タレスΘαλῆς本人ほんにんがこの語ごを用もちいたかは定さだかでない。それでも、「世界せかいは何なにから成なるか」を体系たいけい的てきに問とうた最初さいしょの思想家しそうかとしてのタレスの位置いちづけは、現代げんだいの哲学てつがく史し研究けんきゅうでもおおむね共有きょうゆうされている。

核心かくしん理論りろん

1. 「万物ばんぶつは水みずである」── 最初さいしょの一元論いちげんろん

タレスΘαλῆςの中心ちゅうしん命題めいだいは「万物ばんぶつの根源こんげんは水みず(ヒュドールὕδωρ)である」。これは後世こうせいにアリストテレスἈριστοτέληςが「アルケーἀρχή(始原しげん)」と名付なづける概念がいねん(万物ばんぶつがそこから生しょうじ、最終さいしゅう的てきにそこへ還かえる根源こんげん的てき原理げんり)の最初さいしょの事例じれいだ。

なぜ水みずなのか。タレスΘαλῆς自身じしんの説明せつめいは残のこっていないが、アリストテレスἈριστοτέληςが推測すいそくする理由りゆうは複数ふくすうある(『形而上学Τὰ μετὰ τὰ φυσικά』983b22-27)。すべての生物せいぶつの種子しゅしは湿しめった性質せいしつを持もつこと、栄養えいようが湿しめり気けから得えられること、大地だいちは水みずの上うえに浮ういているという宇宙うちゅう論ろん的てき直観ちょっかん。加くわえて、ミレトスΜίλητοςがメアンドロスΜαίανδρος川がわの河口かこうに位置いちし、海うみと河川かせんに囲かこまれた港湾こうわん都市としだったという地理ちり的てき文脈ぶんみゃくも手てがかりになる。

水みずという選択せんたくには、直観ちょっかん的てきな説得せっとく力りょくもあった。水みずは日常にちじょうで目めにする物質ぶっしつのなかで、液体えきたい・固体こたい・気体きたいのすべての姿すがたを見みせる唯一ゆいいつのものだ。流ながれ、蒸発じょうはつして見みえなくなり、凍こおれば石いしのように固かたくなる。一ひとつの物質ぶっしつがこれほど劇的げきてきに変貌へんぼうするという日常にちじょうの経験けいけんは、「一ひとつの原理げんりからすべてが生しょうじる」という大胆だいたんな仮説かせつにとって、何なによりも強力きょうりょくな裏付うらづけだったはずだ。

現代げんだい物理ぶつり学がくが「すべての物質ぶっしつは素粒子そりゅうしの組くみ合あわせで構成こうせいされる」と述のべるとき、その思考しこう構造こうぞうはタレスΘαλῆςと同型どうけいだ。多様たような現象げんしょうを少数しょうすうの基本きほん原理げんりで説明せつめいする還元かんげん主義しゅぎの方法ほうほう論ろん的てき態度たいどは、2600年ねん前まえのこの港湾こうわん都市としで産声うぶごえを上あげている。

しかし「なぜ水みずであって火ひや空気くうきではないのか」という問といに、タレスΘαλῆςは十分じゅうぶんに答こたえられていない。後継こうけい者しゃのアナクシマンドロスἈναξίμανδρος(伝統でんとう的てきにタレスΘαλῆςの弟子でしとされる)は、水みずが火ひと対立たいりつするように特定とくていの元素げんそは互たがいに対立たいりつするのだから、根源こんげんは特定とくていの性質せいしつに限定げんていされない「無む限定げんていなもの(ト・アペイロンτὸ ἄπειρον)」でなければならないと論ろんじた。タレスΘαλῆςの回答かいとうは一いち世代せだいで乗のり越こえられたが、「万物ばんぶつに共通きょうつうの原理げんりがあるはずだ」という彼かれの問といそのものは、そのまま後継こうけい者しゃに引ひき継つがれた。

2. ミュトスμῦθοςからロゴスλόγοςへ── 説明せつめいの構造こうぞう転換てんかん

タレスΘαλῆςの本当ほんとうの功績こうせきは「水みず」という答こたえよりも、問とい方かたの革命かくめいにある。古代こだいギリシャの神話しんわは自然しぜん現象げんしょうを人格じんかく化かされた神々かみがみの行為こういとして語かたった。雷かみなりはゼウスΖεύςの武器ぶき、季節きせつの変化へんかはデメテルΔημήτηρの感情かんじょうに帰きされる。この枠組わくぐみでは「なぜそうなるか」ではなく「誰だれがそうしたか」が問とわれる。タレスΘαλῆςは、「誰だれが」を「何なにが」に変かえた最初さいしょの人物じんぶつだった。

この転換てんかんの意味いみは?科学かがく哲学てつがく者しゃカール・ポパーPopperに倣ならえば、こう言いえる。神話しんわ的てき説明せつめいは原理げんり的てきに反証はんしょう不可能ふかのうだ。「ゼウスΖεύςが雷かみなりを落おとす」という説明せつめいは、雷かみなりが鳴なるたびに追認ついにんされるが、鳴ならないときにも否定ひていされない。対照たいしょう的に、タレスΘαλῆςの「水みず」仮説かせつは批判ひはんに開ひらかれている。現げんにアナクシマンドロスἈναξίμανδροςは一いち世代せだいのうちにそれを論駁ろんばくした。哲学てつがくと科学かがくが「進歩しんぽ」できるのは、仮説かせつが反駁はんばくに対たいして開ひらかれているからにほかならない。

この区別くべつは、2600年ねん後ごの現在げんざいにも切実せつじつだ。SNS上じょうで拡散かくさんする「陰謀いんぼう論ろん」の多おおくは、すべてを特定とくていの意図いとや黒幕くろまくに帰きするミュトスμῦθος的てき構造こうぞうを持もっている。「それは本当ほんとうに証拠しょうこで裏付うらづけられるのか」と問とい直なおす姿勢しせい。それこそがタレスΘαλῆς的てき思考しこうだ。

タレスΘαλῆς自身じしんは「万物ばんぶつは神々かみがみに満みちている(πάντα πλήρη θεῶνパンタ・プレーレー・テオーン)」とも述のべている(アリストテレスἈριστοτέλης『魂についてΠερὶ Ψυχῆς』411a7)。完全かんぜんな「脱だつ神話しんわ化か」は一夜いちやにして成なったわけではない。哲学てつがくの誕生たんじょうは劇的げきてきな断絶だんぜつというより、神話しんわの内部ないぶから理性りせいがゆっくり芽めを出だす過程かていだった。

3. 物活論ぶっかつろん── 「生いきている」物質ぶっしつ

タレスΘαλῆςは磁石じしゃく(マグネシアの石いし)が鉄てつを引ひきつけ、琥珀こはく(エレクトロンēlektron)が摩擦まさつによって藁わらを吸すい寄よせる現象げんしょうを観察かんさつし、「魂たましい(プシュケーψυχή)は物質ぶっしつの中なかに混まじっている」と推論すいろんした(アリストテレスἈριστοτέλης『魂についてΠερὶ Ψυχῆς』405a19-21)。この考かんがえ方かたを近代きんだいの哲学てつがく史し用語ようごでは物活論ぶっかつろん(ヒュロゾイスムhylozoism)と呼よぶ。

タレスΘαλῆςにとって、宇宙うちゅうは不ふ活性かっせいな物質ぶっしつの集合しゅうごうではなく、自みずから動うごき変化へんかする生いきた全体ぜんたいだった。水みずが蒸発じょうはつし凝固ぎょうこし流動りゅうどうするのは、水みずそのものに変化へんかの力ちからが内在ないざいしているからである。運動うんどうの原因げんいんを外部がいぶの超ちょう自然しぜん的てき力りょくではなく物質ぶっしつの内部ないぶに求もとめるこの発想はっそうも、ロゴスλόγος的てき思考しこうの延長線えんちょうせんを辿たどっている。

現代げんだいの目めには、擬人ぎじん化かにすぎないように映うつる。近代きんだい科学かがくはデカルトDescartes以降いこう、自然しぜんを精密せいみつな機械きかいと見みなすことで飛躍ひやく的てきに発展はってんしたからだ。21世紀せいきになって、状況じょうきょうは揺ゆらぎだした。ジェームズ・ラヴロックLovelockのガイアΓαῖα仮説かせつは地球ちきゅう全体ぜんたいをひとつの自己じこ調節ちょうせつシステムと捉とらえ、複雑ふくざつ系けい科学かがくにおける「創発そうはつ(エマージェンスemergence)」、つまり単純たんじゅんな要素ようその集合しゅうごうから予想よそう外がいの秩序ちつじょが立たち上あがる現象げんしょうは、物質ぶっしつと生命せいめいの境界きょうかいを改あらためて問とい直なおさせる。タレスΘαλῆςの物活論ぶっかつろんは厳密げんみつな物理ぶつり学がくとしては成なり立たたないが、「世界せかいは死しんだ物質ぶっしつの寄よせ集あつめではない」という直観ちょっかんを、完全かんぜんに過去かこのものとして片付かたづけることは難むずかしい。

4. 幾何きか学がくと天文学てんもんがく── 理論りろん知ちを実証じっしょうする

タレスΘαλῆςはエジプトの測量そくりょう術じゅつをギリシャに持もち帰かえり、演繹えんえき的てきな幾何きか学がくとして再さい構成こうせいした最初さいしょの人物じんぶつとされる。「タレスΘαλῆςの定理ていり」(半円はんえんに内接ないせつする角かくは直角ちょっかくである)はその代表だいひょう例れいだ。もっとも、タレスΘαλῆςに帰きされる数学すうがく的てき業績ぎょうせきの多おおくは後世こうせいの伝承でんしょう(プロクロスΠρόκλος『エウクレイデスΕὐκλείδης注解ちゅうかい』など紀元きげん後ご5世紀せいきの文献ぶんけん)によるものであり、どこまでがタレスΘαλῆς本人ほんにんの成果せいかかは確定かくていできない。

肝心かんじんなのは、知ちの性格せいかくの転換てんかんだ。エジプトの幾何きか学がくはナイル川がわ氾濫はんらん後ごに土地とちを再さい測量そくりょうするための実用じつよう技術ぎじゅつだった。タレスΘαλῆςはこれを「なぜそうなるか」を問とう理論りろん的てき学問がくもんに変かえたとされる。ピラミッドpyramidの高たかさを影かげの長ながさから算出さんしゅつした方法ほうほうは相似そうじ比ひの原理げんりに基もとづき、抽象ちゅうしょう的てきな数学すうがく的てき関係かんけいを具体ぐたい的てき問題もんだいに適用てきようした初期しょきの実例じつれいだ。

データサイエンスdata scienceにおける「モデル化か」、つまり現実げんじつの複雑ふくざつな現象げんしょうを数学すうがく的てき構造こうぞうで捉とらえ直なおすことは、タレスΘαλῆςが測量そくりょう術じゅつを幾何きか学がくに抽象ちゅうしょう化かした知的ちてき操作そうさと根ねを同おなじくする。

主要しゅよう著作ちょさくガイド

タレスΘαλῆς自身じしんの著作ちょさくは現存げんそんしない。ディオゲネス・ラエルティオスDiogenes Laërtiusは『航海こうかいの星ほし(ナウティケー・アストロロギアNautikē Astrologia)』という著作ちょさくの存在そんざいを伝つたえるが、これも散逸さんいつしている。タレスΘαλῆςの思想しそうは後世こうせいの証言しょうげんを通つうじてのみ復元ふくげんされる。以下いかは理解りかいを深ふかめる文献ぶんけんだ。

  • ディオゲネス・ラエルティオスDiogenes Laërtius『ギリシア哲学者列伝Βίοι φιλοσόφων』第だい1巻かん(加来かく彰俊あきとし訳やく、岩波いわなみ文庫ぶんこ) ── タレスΘαλῆςの生涯しょうがい・逸話いつわ・格言かくげんを最もっともまとまった形かたちで伝つたえる。人物じんぶつ像ぞうを掴つかむ入口いりぐち。
  • アリストテレスἈριστοτέλης『形而上学Τὰ μετὰ τὰ φυσικά』第だい1巻かん(出隆いでたかし訳やく、岩波いわなみ文庫ぶんこ) ── タレスΘαλῆςのアルケーἀρχή論ろんが哲学てつがく史上しじょうどう位置いちづけられるかを、アリストテレスἈριστοτέλης自身じしんが分析ぶんせきする。983b節せつが核心かくしん。アリストテレスἈριστοτέληςの解釈かいしゃくバイアスにも注意ちゅういして読よむとよい。
  • ヘロドトスἩρόδοτος『歴史Ἱστορίαι(ヒストリアイ)』第だい1巻かん(松平まつだいら千秋ちあき訳やく、岩波いわなみ文庫ぶんこ) ── 日食にっしょく予告よこく(74節せつ)やイオニアἸωνία連合れんごう提言ていげん(170節せつ)など、タレスΘαλῆςの実像じつぞうを描えがく同どう時代じだいに最もっとも近ちかい歴史れきし記録きろく。
  • G.S. カークKirk, J.E. レイヴンRaven, M. スコフィールドSchofield『ソクラテス以前の哲学者たちThe Presocratic Philosophers』(内山うちやま勝利かつとし他た訳やく、京都大きょうとだい学がく学術がくじゅつ出版しゅっぱん会かい / 原著げんちょ: The Presocratic Philosophersザ・プレソクラティック・フィロソファーズ, 2nd ed., Cambridge UP, 1983) ── 断片だんぺんと証言しょうげんの原典げんてん批判ひはんを行おこない、タレスΘαλῆςの思想しそうを厳密げんみつに再さい構成こうせいする。初期しょきギリシャ哲学てつがく研究けんきゅうの標準ひょうじゅん参考さんこう書しょ。

主要しゅような批判ひはんと論争ろんそう

1. アナクシマンドロスἈναξίμανδροςの批判ひはん(同どう時代じだい):タレスΘαλῆςの弟子でしとされるアナクシマンドロスἈναξίμανδροςは、「水みず」という特定とくていの元素げんそをアルケーἀρχήに据すえることの限界げんかいをいち早はやく指摘してきした。水みずは火ひ・空気くうき・土どと対立たいりつするものの一ひとつにすぎず、万物ばんぶつの根源こんげんは特定とくていの性質せいしつに限定げんていされない「無む限定げんていなもの(ト・アペイロンτὸ ἄπειρον)」でなければならない、と論ろんじた。回答かいとうを否定ひていしつつ問といをより精緻せいちに継承けいしょうする。哲学てつがく史上しじょう最初さいしょの「建設けんせつ的てき批判ひはん」の典型てんけいだ。

2. アリストテレスἈριστοτέληςの評価ひょうかと留保りゅうほ(後世こうせい):アリストテレスἈριστοτέληςはタレスΘαλῆςを「質料しつりょう因いん」の探究たんきゅう者しゃとして高たかく評価ひょうかしつつ、形相けいそう因いん・作用さよう因いん・目的もくてき因いんが欠かけている点てんを指摘してきする。「何なにからできているか」だけでは「なぜそうなるか」の説明せつめいとして不十分ふじゅうぶんであり、これは四よん原因げんいん説せつに基もとづく体系たいけい的てき批判ひはんだ。同時どうじに、アリストテレスἈριστοτέληςはタレスΘαλῆςを自己じこの哲学てつがく体系たいけいの「先駆せんく者しゃ」として再さい解釈かいしゃくしている。そのバイアスを抜ぬきにタレスΘαλῆςの思想しそうは読よめない。

3. 「タレスΘαλῆςは本当ほんとうに哲学てつがく者しゃか」論争ろんそう(近きん現代げんだい):20世紀せいきの研究けんきゅう者しゃの一部いちぶ(例たとえばM.L.ウェストWest)は、タレスΘαλῆςの思想しそうがどこまでオリジナルでどこまで近東きんとうの借用しゃくようかを問題もんだいにした。前述ぜんじゅつの「エヌマ・エリシュ」や「ヌン」との類似るいじは確たしかに存在そんざいする。しかし多おおくの哲学てつがく史家しか(カーク、ファーリーFurley、グレアムGrahamら)は、素材そざいの起源きげんよりも「合理ごうり的てき説明せつめいを追求ついきゅうする態度たいど」の新あたらしさにタレスΘαλῆςの独創どくそう性せいを認みとめている。「何なにを言いったか」以上いじょうに「どう言いったか」、神話しんわ的てきナラティブnarrativeではなく自然しぜん的てき原理げんりとして提示ていじしたことが哲学てつがくの始はじまりだ。

影響えいきょうと遺産いさん

先行せんこう思想しそう:バビロニアΒαβυλωνία天文学てんもんがく(サロスSaros周期しゅうきによる天文てんもん予測よそく)、エジプトΑἴγυπτος測量そくりょう術じゅつ(実用じつよう的てき幾何きか学がく)、近東きんとうの水みずの宇宙うちゅう論ろん(バビロニアΒαβυλωνίαの『エヌマ・エリシュEnūma Eliš』における原初げんしょの水みずアプスーとティアマトTiamat、エジプトΑἴγυπτοςのヌン)、ヘシオドスἩσίοδος『神統記Θεογονία』(宇宙うちゅう生成せいせい論ろんの神話しんわ的てき先行せんこう形態けいたい)。

直接的ちょくせつてき後継こうけい者しゃ(ミレトスΜίλητος学派がくは):タレスΘαλῆςの問とい「万物ばんぶつの根源こんげんは何なにか」は、ミレトスΜίλητος学派がくは全体ぜんたいを貫つらぬく共有きょうゆう財産ざいさんとなった。アナクシマンドロスἈναξίμανδροςは「無む限定げんていなもの(ト・アペイロンτὸ ἄπειρον)」、アナクシメネスἈναξιμένηςは「空気くうき(アエールἀήρ)」をアルケーἀρχήとした。三さん者しゃは異ことなる回答かいとうを出だしつつ、同一どういつの問といの構造こうぞうを共有きょうゆうしている。「回答かいとうは異ことなるが問といは共有きょうゆうされる」。このパターンが哲学てつがく的てき伝統でんとうの核かくだ。

遠とおい後継こうけい者しゃ:エンペドクレスἘμπεδοκλῆςの四よん元素げんそ説せつ、デモクリトスΔημόκριτοςの原子げんし論ろんを経へて、タレスΘαλῆςのアルケーἀρχή探求たんきゅうは近代きんだい化学かがくの元素げんそ概念がいねんと周期しゅうき表ひょうへ結実けつじつする。メンデレーエフの周期しゅうき表ひょうは、「万物ばんぶつは何なにからできているか」という問といへの(タレスΘαλῆςから2400年ねん後ごの)到達とうたつ点てんのひとつだ。現代げんだいの素粒子そりゅうし物理ぶつり学がくが追求ついきゅうする標準ひょうじゅん模型もけいも、この系譜けいふを継ついでいる。

哲学てつがく外がいへの波及はきゅう:「複雑ふくざつなものを一ひとつの原理げんりで説明せつめいしたい」という知的ちてき欲望よくぼうはタレスΘαλῆςに始はじまり、科学かがくのみならず経済けいざい学がく(すべてを効用こうように還元かんげんする限界げんかい効用こうよう理論りろん)、データサイエンスdata science(すべてを数値すうちに変換へんかんし相関そうかんで捉とらえる)にまで及およんでいる。

現代げんだいへの接続せつぞく

タレスΘαλῆςが残のこした最大さいだいの遺産いさんは「水みず」ではない。「世界せかいを一ひとつの原理げんりで説明せつめいできるはずだ」という信念しんねんだ。物理ぶつり学者がくしゃが「万物ばんぶつの理論りろん(Theory of Everythingセオリー・オブ・エブリシング)」を追求ついきゅうするとき、それはタレスΘαλῆςのアルケーἀρχή探究たんきゅうの最先端さいせんたん形態けいたいにほかならない。科学かがく者しゃが基本きほん的てきな力ちからの統一とういつ的てき記述きじゅつを求もとめるのも、根底こんていには「多様たような現象げんしょうに共通きょうつうする構造こうぞうがあるはずだ」という同おなじ確信かくしんがある。

還元かんげん主義しゅぎは強力きょうりょくだが、「すべてを一ひとつの原理げんりに還元かんげんできる」という信念しんねんは、還元かんげんしきれないもの(意識いしき、意味いみ、美び、個人こじんの生せいの一回性いっかいせい)を見落みおとす。「すべてはデータである」と言いい切きる現代げんだいの還元かんげん主義しゅぎが、いったい何なにを取とりこぼしているのか。その問といを立たてる権利けんりも、タレスΘαλῆςが開ひらいた。

読者どくしゃへの問とい

  • もしあなたが「世界せかいの究極きゅうきょく原理げんりは一ひとつだ」と主張しゅちょうするなら、それは何なにか。エネルギー、情報じょうほう、意識いしき、それとも別べつの何なにか? そしてその答こたえに、タレスΘαλῆςと同おなじ弱点じゃくてんはないだろうか?
  • 現代げんだいにおける「ミュトスμῦθοςからロゴスλόγοςへ」の転換てんかんはどこにあるか? あなたが無む批判ひはんに受うけ入いれている「現代げんだいの神話しんわ」とは何なにか?
  • タレスΘαλῆςは「哲学てつがく者しゃは役やくに立たたない」という批判ひはんにオリーブolive搾油さくゆ機きの独占どくせんで応おうじた。今日きょうの人文じんぶん学がくが同様どうようの批判ひはんを受うけるとき、あなたならどう答こたえるか?

名言めいげん(出典しゅってんつき)

"万物ばんぶつの根源こんげんは水みずである。" ── アリストテレスἈριστοτέλης『形而上学Τὰ μετὰ τὰ φυσικά』第だい1巻かん 983b20-22 による伝承でんしょう。タレスΘαλῆς自身じしんの言葉ことばは残のこっていないが、アリストテレスἈριστοτέληςがこの命題めいだいの最初さいしょの提唱ていしょう者しゃとしてタレスΘαλῆςを名指なざしている。/原文げんぶん:引用文いんようぶん内ないの括弧かっこ内ない原語げんご表記ひょうきを参照さんしょう
"万物ばんぶつは神々かみがみに満みちている(πάντα πλήρη θεῶνパンタ・プレーレー・テオーン)。" ── アリストテレスἈριστοτέλης『魂たましいについて(デ・アニマ)』411a7 による伝承でんしょう。物活論ぶっかつろんの核心かくしんを一文いちぶんで表あらわす。/原文げんぶん:引用文いんようぶん内ないの括弧かっこ内ない原語げんご表記ひょうきを参照さんしょう
"汝なんじ自身じしんを知しれ(γνῶθι σεαυτόνグノーティ・セアウトン)。" ── ディオゲネス・ラエルティオスDiogenes Laërtius『ギリシア哲学者列伝Βίοι φιλοσόφων』第だい1巻かん40節せつ。この格言かくげんはデルポイΔελφοίの神殿しんでんに刻きざまれた碑文ひぶんとしても知しられ、タレスΘαλῆς以外いがいの賢人けんじんや神託しんたくへの帰属きぞくも伝つたわる。タレスΘαλῆς個人こじんの発案はつあんとは断定だんていできないが、七しち賢人けんじんの筆頭ひっとうとして彼かれと結むすびつけられてきた。/原文げんぶん:引用文いんようぶん内ないの括弧かっこ内ない原語げんご表記ひょうきを参照さんしょう

参考さんこう文献ぶんけん

  • (証言しょうげんと断片だんぺん):H. Dielsディールス & W. Kranzクランツ 編へん『ソクラテスΣωκράτης以前いぜんの哲学てつがく者しゃたちの断片だんぺん(Die Fragmente der Vorsokratikerディー・フラグメンテ・デア・フォアゾクラティカー)』第だい1巻かん、タレスΘαλῆςの章しょう(DK 11)
  • (証言しょうげん):アリストテレスἈριστοτέλης『形而上学Τὰ μετὰ τὰ φυσικά』第だい1巻かん(出隆いでたかし訳やく、岩波いわなみ文庫ぶんこ); アリストテレスἈριστοτέλης『魂についてΠερὶ Ψυχῆς』(中畑なかはた正志まさし訳やく、京都大きょうとだい学がく学術がくじゅつ出版しゅっぱん会かい)
  • (歴史れきし):ヘロドトスἩρόδοτος『歴史Ἱστορίαι』第だい1巻かん(松平まつだいら千秋ちあき訳やく、岩波いわなみ文庫ぶんこ)── 日食にっしょく予告よこく(74節せつ)、イオニアἸωνία連合れんごう提言ていげん(170節せつ)
  • (伝記でんき):ディオゲネス・ラエルティオスDiogenes Laërtius『ギリシア哲学者列伝Βίοι φιλοσόφων』第だい1巻かん(加来かく彰俊あきとし訳やく、岩波いわなみ文庫ぶんこ)
  • (標準ひょうじゅん研究けんきゅう):G.S. Kirk, J.E. Raven, M. Schofield『The Presocratic Philosophersソクラテス以前の哲学者たち』2nd ed., Cambridge UP, 1983(邦訳ほうやく: 内山うちやま勝利かつとし他た訳やく『ソクラテス以前の哲学者たちThe Presocratic Philosophers』京都大きょうとだい学がく学術がくじゅつ出版しゅっぱん会かい)
  • (概説がいせつ):廣川ひろかわ洋一よういち『ソクラテス以前の哲学者The Presocratic Philosophers』(講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ、1997年ねん)── 日本語にほんごで読よめる定評ていひょうのある入門にゅうもん概説がいせつ
  • (近東きんとうとの比較ひかく):M.L. Westウェスト『Early Greek Philosophy and the Orient初期ギリシャ哲学と東方』, Oxford UP, 1971 ── 近東きんとう宇宙うちゅう論ろんとの影響えいきょう関係かんけいを論ろんじた古典こてん的てき研究けんきゅう