川かわに足あしを踏ふみ入いれる。水みずは絶たえず流ながれ、同おなじ水みずは二度にどと戻もどらない。では、それは「同おなじ川かわ」なのか。紀元前きげんぜん6世紀せいき末まつ、小しょうアジアAsiaの都市としエペソスEphesosに生いきた哲学者てつがくしゃヘラクレイトスHērakleitosは、この問といに宇宙うちゅうの根本こんぽん原理げんりを見みた。

万物ばんぶつは流転るてんする。しかしその変化へんかは混沌こんとんではない。昼ひると夜よる、生せいと死し、戦争せんそうと平和へいわ。つまり対立たいりつするものは実じつはひとつであり、その背後はいごには万物ばんぶつを貫つらぬく「ロゴスlogos」(理法りほう)が働はたらいている。現代げんだい(気候きこう変動へんどう、地政ちせい学がく的てき対立たいりつ、技術ぎじゅつ革新かくしん)あらゆるものが加速度かそくど的てきに変化へんかする時代じだいにあって、「変化へんかの中なかにこそ秩序ちつじょがある」と語かたったこの哲学者てつがくしゃの声こえは、かつてないほど切実せつじつに響ひびく。

だがヘラクレイトスHērakleitosは平易へいいに語かたることを拒こばんだ。謎なぞめいた箴言しんげんで書かき、大衆たいしゅうを軽蔑けいべつし、古代こだいから「暗くらい人ひと」(ホ・スコテイノスho Skoteinos)と呼よばれた。その難解なんかいさは、しかし読よむ者ものに思考しこうを強しいるための意図いと的てきな仕掛しかけだった。ロゴスlogosは言葉ことばを聞きくだけでは分わからない。自みずから探究たんきゅうし、目覚めざめなければならない。

本ほん記事きじでは、約やく130の断片だんぺんを手てがかりに、ヘラクレイトスHērakleitosの思想しそうの核心かくしん(ロゴスlogos、対立たいりつの統一とういつ、火ひの宇宙うちゅう論ろん)を解とき明あかし、なぜ2500年ねん後ごの私わたしたちがなお彼かれを読よむべきかを追おう。

この記事きじの要点ようてん

  • ロゴスlogos(理法りほう):万物ばんぶつの変化へんかの背後はいごには、宇宙うちゅうを貫つらぬく共通きょうつうの理法りほうがある。ヘラクレイトスHērakleitosはこれを「ロゴスlogos」と呼よび、自然しぜん・思考しこう・言語げんごを統一とういつ的てきに把握はあくする原理げんりとした。この概念がいねんはストアStoa派はを経へて西洋せいよう哲学てつがくの中心ちゅうしん概念がいねんとなった。
  • 万物ばんぶつ流転るてんと対立たいりつの統一とういつ:世界せかいは絶たえず変化へんかし、対立たいりつするものは相互そうごに依存いぞんし転化てんかする。この動的どうてき均衡きんこうこそが秩序ちつじょであり、変化へんかと安定あんていを同時どうじに思考しこうする弁証法べんしょうほう的てき思考しこうの原型げんけいである。
  • 火ひの宇宙うちゅう論ろん:火ひは万物ばんぶつの根源こんげんであると同時どうじに、変化へんかそのものの象徴しょうちょうである。燃もえながら形かたちを変かえ続つづける火ひのように、宇宙うちゅうは永遠えいえんの生成せいせい変化へんかのプロセスそのものである。

生涯しょうがいと時代じだい背景はいけい

ヘラクレイトスHērakleitosについて確実かくじつに分わかっていることは驚おどろくほど少すくない。彼かれは紀元前きげんぜん535年ねん頃ごろ、小しょうアジアAsia(現在げんざいのトルコTurkey西部せいぶ)のイオニアIōnia地方ちほうにある有力ゆうりょく都市としエペソスEphesosに生うまれた。王族おうぞく(バシレウスbasileus)の家系かけいに属ぞくしていたが、政治せいじ的てき特権とっけんを弟おとうとに譲ゆずったと伝つたえられる(ディオゲネス・ラエルティオスDiogenēs Laertios『哲学者てつがくしゃ列伝れつでん』IX.6)。

エペソスEphesosはアルテミスArtemis神殿しんでんで知しられる富裕ふゆうな港湾こうわん都市としであり、東西とうざい交易こうえきの要衝ようしょうだった。しかしヘラクレイトスHērakleitosが生いきた時代じだいは、ペルシアPersia帝国ていこくの圧力あつりょくがイオニアIōnia諸しょ都市としに迫せまりつつある緊張きんちょうの時期じきだった。紀元前きげんぜん499年ねんのイオニアIōniaの反乱はんらん、紀元前きげんぜん494年ねんのミレトスMilētos陥落かんらく。こうした激動げきどうのなかで、彼かれは変化へんかと対立たいりつの本質ほんしつを見みつめた。

ヘラクレイトスHērakleitosは独学どくがくを誇ほこり、師しを持もたなかったと主張しゅちょうした。「私わたしは自分じぶん自身じしんを探究たんきゅうした」(DK 22B101)。同時どうじ代だいの知識ちしき人じん(ピタゴラスPythagoras、クセノファネスXenophanēs、ヘカタイオスHekataios)を痛烈つうれつに批判ひはんし、「博学はくがく(ポリュマティエーpolymathiē)は知性ちせい(ヌースnous)を教おしえない」(DK 22B40)と断だんじた。多おおくを知しることと真しんに理解りかいすることは別べつだ。この確信かくしんが、彼かれの哲学てつがくの出発しゅっぱつ点てんである。

彼かれは一冊いっさつの書物しょもつを著あらわし、アルテミスArtemis神殿しんでんに奉納ほうのうしたと伝つたえられる。後世こうせい『自然しぜんについて』(ペリ・ピュセオースPeri Physeōs)と呼よばれたこの著作ちょさくは早はやくに散逸さんいつし、現在げんざいはおよそ130の断片だんぺんが後世こうせいの著作ちょさく家かの引用いんようを通つうじて残のこっている。紀元前きげんぜん475年ねん頃ごろに没ぼっしたとされるが、正確せいかくな年代ねんだいは不明ふめいである。

彼かれの性格せいかくは孤高ここうそのものだった。貴族きぞくの血筋ちすじにふさわしい矜持きょうじを持もち、同胞どうほうの市民しみんを軽蔑けいべつしてやまなかった。エペソスEphesosの人々ひとびとが優すぐれた市民しみんヘルモドロスHermodōrosを追放ついほうしたとき、ヘラクレイトスHērakleitosは「エペソスEphesosの成人せいじんは一人ひとり残のこらず首くびを吊つって死しに、この都市としを未成年みせいねん者しゃに委ゆだねるがよい」と吐はき捨すてた(DK 22B121)。アルテミスArtemis神殿しんでんの境内けいだいで子供こどもたちとサイコロ遊あそびに興きょうじ、「なぜ驚おどろく? おまえたちと政治せいじをするよりましだ」と言いい放はなった逸話いつわもある(ディオゲネス・ラエルティオスDiogenēs LaertiosIX.3)。

晩年ばんねんの伝承でんしょうはさらに印象いんしょう的てきだ。ヘラクレイトスHērakleitosは水腫すいしゅ(むくみedema)を患わずらい、医師いしに治療ちりょうを求もとめたが、彼かれの謎なぞめいた言いい回まわし(「洪水こうずいを旱魃かんばつに変かえられるか」)を理解りかいする医師いしはいなかった。自みずから牛糞ぎゅうふんのなかに身みを埋うめて「湿しめり」を追おい出だそうとし、そのまま没ぼっしたとも伝つたえられる(ディオゲネス・ラエルティオスDiogenēs LaertiosIX.3-4)。この逸話いつわが史実しじつかどうかは不確ふたしかだが、「乾かわいた魂たましい」を善ぜんとする彼かれの思想しそうと奇妙きみょうに呼応こおうしており、ヘラクレイトスHērakleitosという人物じんぶつの伝説でんせつ化かを物語ものがたっている。

ミニ年表ねんぴょう

  • 紀元前きげんぜん546年ねん:ペルシアPersiaのキュロスKyros2世せいがイオニアIōnia諸しょ都市としを征服せいふく
  • 紀元前きげんぜん535年ねん頃ごろ:エペソスEphesosに生うまれる(王族おうぞくの家系かけい)
  • 紀元前きげんぜん500年ねん頃ごろ:著作ちょさく『自然しぜんについて』をアルテミスArtemis神殿しんでんに奉納ほうのうしたとされる
  • 紀元前きげんぜん499〜494年ねん:イオニアIōniaの反乱はんらん。ミレトスMilētos陥落かんらく
  • 紀元前きげんぜん490年ねん:マラトンMarathōnの戦たたかい
  • 紀元前きげんぜん475年ねん頃ごろ:エペソスEphesosにて没ぼっする

この哲学者てつがくしゃは何なにを問とうたのか

ミレトスMilētos学派がくはは「万物ばんぶつの根源こんげん(アルケーarchē)は何なにか」を問とい、タレスThalēsは水みずを、アナクシメネスAnaximenēsは空気くうきを答こたえとした。ピタゴラスPythagorasは数かずを持もち出だした。これらはいずれも変化へんかの背後はいごにある不変ふへんの基体きたいを求もとめる発想はっそうだった。

ヘラクレイトスHērakleitosの問といは根本こんぽんから異ことなる。彼かれは変化へんかの「背後はいご」ではなく、変化へんかそのもののうちに秩序ちつじょを見出みいだした。問といは「世界せかいは何なにからできているか」ではなく、「世界せかいはなぜ変化へんかしながら秩序ちつじょを保たもつのか」だった。

この視点してんの転換てんかんは決定けってい的てきに重要じゅうようである。静的せいてきな基体きたいではなく動的どうてきなプロセスを実在じつざいの核心かくしんに据すえたこと。ここにヘラクレイトスHērakleitosの独創どくそう性せいがある。後のちにヘーゲルHegelは自みずからの弁証法べんしょうほうの先駆せんくをヘラクレイトスHērakleitosに見出みいだし、「ヘラクレイトスHērakleitosの命題めいだいで、私わたしの『論理学ろんりがく』に取とり入いれなかったものは一ひとつもない」と述のべた(『哲学てつがく史し講義こうぎ』)。

核心かくしん理論りろん

1. ロゴスlogos──万物ばんぶつを貫つらぬく理法りほう

ヘラクレイトスHērakleitosの著作ちょさくは次つぎの言葉ことばで始はじまったとされる。「このロゴスlogosは常つねに存在そんざいしているのに、人間にんげんたちは理解りかいしない。聞きく前まえも、初はじめて聞きいた後あとも」(DK 22B1)。ロゴスlogos(λόγοςロゴス)は古代こだいギリシャGreece語ごで「言葉ことば」「理ことわり」「比率ひりつ」「説明せつめい」など多義たぎ的てきな語ごだが、ヘラクレイトスHērakleitosはこれに独自どくじの深ふかい意味いみを込こめた。

ヘラクレイトスHērakleitosはさらにこう述のべる。

"「私わたしにではなくロゴスlogosに耳みみを傾かたむけて、万物ばんぶつが一いちであることを認みとめるのが知恵ちえである。」" 出典しゅってん:DK 22B50(ヒッポリュトスHippolytos『全異端ぜんいたん反駁はんばく』IX.9.1に引用いんよう)

この断片だんぺんはヘラクレイトスHērakleitosの哲学てつがくの核心かくしんを凝縮ぎょうしゅくしている。重要じゅうようなのは「私わたしにではなくロゴスlogosに」という一節いっせつだ。ロゴスlogosは個人こじんの意見いけんを超こえた客観きゃっかん的てき真理しんりであり、ヘラクレイトスHērakleitos自身じしんもまたその媒介ばいかい者しゃにすぎない。哲学てつがくは個人こじんの権威けんいではなく理ことわりの力ちからによって語かたられるべきだ。これは哲学てつがく的てき態度たいどの重要じゅうような宣言せんげんである。

ロゴスlogosとは、万物ばんぶつの変化へんかを支配しはいする法則ほうそく・原理げんりであると同時どうじに、それを語かたる言葉ことばでもある。宇宙うちゅうの構造こうぞうと言語げんごの構造こうぞうが重かさなる。この二重にじゅう性せいが極きわめて重要じゅうようだ。ロゴスlogosは客観きゃっかん的てきな自然しぜん法則ほうそくであると同時どうじに、人間にんげんが理性りせいによって把握はあくしうる知ちの対象たいしょうでもある。

「一いちが万物ばんぶつであり、万物ばんぶつが一いちであるということ、これを知しることが知恵ちえである」(DK 22B50の趣旨しゅし)。多様たような現象げんしょうの背後はいごにある統一とういつ原理げんりをロゴスlogosと呼よぶとき、ヘラクレイトスHērakleitosは先行せんこうする自然しぜん哲学者てつがくしゃたちの質料しつりょう論ろん的てきな問といを超こえて、存在そんざいと認識にんしきの双方そうほうにまたがる原理げんりを提示ていじしたのである。

ただし大多数だいたすうの人間にんげんはロゴスlogosを理解りかいしていない。「目めと耳みみは蛮族ばんぞくの魂たましいを持もつ者ものには悪わるい証人しょうにんである」(DK 22B107)。感覚かんかくは手てがかりにはなるが、理性りせいなしには真実しんじつには到達とうたつできない。ヘラクレイトスHērakleitosの箴言しんげん的てき文体ぶんたいは、読よむ者ものを受動じゅどう的てきな聴取ちょうしゅから能動のうどう的てきな思考しこうへと誘いざなう装置そうちだった。

2. 万物ばんぶつ流転るてん──パンタ・レイpanta rhei

「同おなじ川かわに入はいる者ものには、常つねに異ことなる水みずが流ながれている」(DK 22B12)。この「川かわの比喩ひゆ」はヘラクレイトスHērakleitosの思想しそうを象徴しょうちょうする最もっとも有名ゆうめいなイメージである。なお「パンタ・レイpanta rhei」(πάντα ῥεῖパンタ・レイ、万物ばんぶつは流ながれる)という定式ていしき化かはプラトンPlatōn『クラテュロスKratylos』(402a)に由来ゆらいし、ヘラクレイトスHērakleitos本人ほんにんの言葉ことばではないとされる。

しかし重要じゅうようなのは、これが単純たんじゅんな「すべては変かわる」という主張しゅちょうではないことだ。川かわは水みずが変かわりながらも川かわであり続つづける。ヘラクレイトスHērakleitosが見出みいだしたのは、変化へんかのなかの持続じぞく、流転るてんのなかの同一どういつ性せい、つまり動的どうてき平衡へいこうとしての存在そんざいである。生物せいぶつ学がくでいう「恒常こうじょう性せい」(ホメオスタシスhomeostasis)の発想はっそうは、ここにすでに胚胎はいたいしている。

人間にんげんの身体しんたいもまた川かわのようなものだ。細胞さいぼうは絶たえず入いれ替かわり、数年前すうねんまえの自分じぶんと物質ぶっしつ的てきにはほぼ別べつの存在そんざいでありながら、「私わたし」は私わたしであり続つづける。ヘラクレイトスHērakleitosの洞察どうさつは、変化へんかを否定ひていするのではなく、変化へんかのうちに秩序ちつじょを見みる知恵ちえにある。

3. 対立たいりつの統一とういつ──見みえない調和ちょうわ

「見みえない調和ちょうわは見みえる調和ちょうわよりも強つよい」(DK 22B54)。ヘラクレイトスHērakleitosの思想しそうで最もっとも独創どくそう的てきな要素ようそは、対立たいりつするものの統一とういつの理論りろんである。

「病やまいが健康けんこうを快こころよくし、飢うえが満腹まんぷくを、疲労ひろうが休息きゅうそくを快こころよくする」(DK 22B111)。対立たいりつ物ぶつは相互そうごに定義ていぎし合あい、一方いっぽうがなければ他方たほうも存在そんざいしえない。暑あつさを知しらなければ寒さむさは分わからない。死しがなければ生せいの意味いみは成立せいりつしない。

さらに対立たいりつ物ぶつは相互そうごに転化てんかする。「冷つめたいものは暖あたたまり、暖あたたかいものは冷ひえ、湿しめったものは乾かわき、乾かわいたものは潤うるおう」(DK 22B126)。昼ひるは夜よるに変かわり、夜よるは昼ひるに変かわる。生せいは死しに変かわり、死しは新あたらしい生せいを生うむ。この動的どうてきな転化てんかのプロセスこそが、宇宙うちゅうの秩序ちつじょ(ロゴスlogos)にほかならない。

ヘラクレイトスHērakleitosはこれを弓ゆみと竪琴たてごとの比喩ひゆで説明せつめいする。「反はんする力ちからの結合けつごう(弓ゆみと竪琴たてごとのように)」(DK 22B51)。弓ゆみは弦げんと木きが反対はんたい方向ほうこうに引ひき合あうことで機能きのうする。竪琴たてごとは弦げんの張力ちょうりょくと枠わくの抵抗ていこうとの緊張きんちょうから音楽おんがくが生うまれる。対立たいりつがなければ調和ちょうわもない。これがヘラクレイトスHērakleitosの中心ちゅうしん命題めいだいである。

この思想しそうはさらに三みっつの重要じゅうような断片だんぺんで深化しんかされる。

まず「上のぼりの道みちと下くだりの道みちは一ひとつにして同おなじ」(DK 22B60)。山道やまみちは登のぼる者ものには「上のぼり」、降くだる者ものには「下くだり」であるが、道みちそのものは同おなじである。対立たいりつは視点してんの違ちがいであり、実在じつざいとしては一ひとつ。この洞察どうさつは、物質ぶっしつの変化へんかだけでなく認識にんしきの構造こうぞうをも問とうている。

次つぎに、「同おなじもの(生いきているものと死しんだもの、覚さめているものと眠ねむっているもの、若わかいものと老おいたもの)。なぜなら前者ぜんしゃが変かわれば後者こうしゃであり、後者こうしゃが変かわれば前者ぜんしゃだから」(DK 22B88)。ここでヘラクレイトスHērakleitosは、対立たいりつ物ぶつが単たんに並存へいそんするのではなく、一方いっぽうから他方たほうへの転化てんかのプロセスとして連続れんぞくしていることを示しめす。生せいは死しへの途上とじょうであり、死しは新あたらたな生せいへの転機てんきである。

そして最もっとも大胆だいたんな断片だんぺん。「神かみは昼ひるにして夜よる、冬ふゆにして夏なつ、戦争せんそうにして平和へいわ、飽満ほうまんにして飢餓きが」(DK 22B67)。対立たいりつの統一とういつは単たんなる物理ぶつり法則ほうそくではない。それは神的しんてきなものの本質ほんしつそのものである。ヘラクレイトスHērakleitosの「神かみ」はホメロスHomērosの神々かみがみのように人間にんげんに似にた存在そんざいではなく、対立たいりつするすべてのものを包摂ほうせつする全体ぜんたい性せいであり、ロゴスlogosの別名べつめいにほかならない。「一いちなるもの──唯一ゆいいつの知恵ちえ──はゼウスZeusの名なで呼よばれることを望のぞみ、また望のぞまない」(DK 22B32)。神かみという名なで呼よんでよいが、既存きそんの神かみ概念がいねんには収おさまらない──この両義りょうぎ性せいがヘラクレイトスHērakleitosらしい。

4. 戦たたかい──万物ばんぶつの父ちち

「戦たたかい(ポレモスpolemos)は万物ばんぶつの父ちちであり、万物ばんぶつの王おうである」(DK 22B53)。現代げんだいの感覚かんかくでは不穏ふおんに聞きこえるこの言葉ことばは、しかし軍事ぐんじ的てき戦争せんそうの礼賛らいさんではない。ここでの「戦たたかい」は対立たいりつ・闘争とうそう・緊張きんちょう(万物ばんぶつを生成せいせいさせる原動げんどう力りょく)のことだ。

もし対立たいりつが消滅しょうめつすれば、世界せかいそのものが消滅しょうめつする。ヘラクレイトスHērakleitosはホメロスHomērosの詩句しく(「争あらそいが神々かみがみと人間にんげんの間あいだから消きえますように」)を批判ひはんした。なぜなら争あらそいがなくなれば調和ちょうわもなくなるからだ(アリストテレスAristotelēs『ニコマコスNikomachos倫理学りんりがく』VIII.2, 1155b4参照)。平和へいわは緊張きんちょうの不在ふざいではなく、対立たいりつする力ちからが均衡きんこうしている状態じょうたいなのだ。

5. 火ひ──世界せかいの根源こんげんと変化へんかの象徴しょうちょう

「この世界せかいは、神々かみがみのいずれが作つくったのでもなく人間にんげんのいずれが作つくったのでもない。常つねにあったし、あるし、あるであろう──永遠えいえんに生いきる火ひであり、一定いっていの度合どあいで燃もえ、一定いっていの度合どあいで消きえる」(DK 22B30)。これはヘラクレイトスHērakleitosの宇宙うちゅう論ろんを端的たんてきに示しめす最重要さいじゅうよう断片だんぺんのひとつである。

火ひ(ピュルpyr)はミレトスMilētos学派がくはの水みずや空気くうきと同列どうれつの「元素げんそ」とも読よめるが、より正確せいかくには変化へんかのプロセスそのものの比喩ひゆである。火ひは燃料ねんりょうを消費しょうひしながら自みずからを維持いじする。つまり変化へんかすることによってのみ同一どういつ性せいを保たもつ。これはまさに「川かわの比喩ひゆ」と同おなじ構造こうぞうであり、ロゴスlogosの具体ぐたい化かである。

ヘラクレイトスHērakleitosは火ひの変転へんてんを描えがく。「火ひの転変てんぺん。まず海うみ。海うみの半分はんぶんは大地だいち、半分はんぶんは灼熱しゃくねつの風かぜ」(DK 22B31)。火ひ→水みず→土つち→水みず→火ひという循環じゅんかんは、万物ばんぶつが火ひから生うまれ火ひに帰かえるという宇宙うちゅうの大おおきなリズムを表あらわしている。ここにも「一定いっていの度合どあい」(つまりロゴスlogosによる秩序ちつじょ)が貫つらぬいている。

なお、ヘラクレイトスHērakleitosが宇宙うちゅうの周期しゅうき的てきな大だい火災かさい(エクピュローシスekpyrōsis)を説といたかどうかは論争ろんそう中ちゅうである。ストアStoa派ははそう解釈かいしゃくしたが、DK 22B30の「常つねにあった」という表現ひょうげんは宇宙うちゅうの永遠えいえん性せいを含意がんいしており、現代げんだいの多おおくの研究者けんきゅうしゃはヘラクレイトスHērakleitos本人ほんにんは世界せかいの消滅しょうめつと再生さいせいを説といていなかったと考かんがえている。

6. 魂たましいと倫理りんり──乾かわいた魂たましい

「乾かわいた魂たましいは最もっとも賢かしこく最もっとも優すぐれている」(DK 22B118)。魂たましい(プシュケーpsychē)は火ひと親縁しんえん関係かんけいにある。魂たましいが「乾かわいている」とき(すなわち火ひに近ちかいとき)、知性ちせいは鋭するどくなる。逆ぎゃくに魂たましいが「湿しめる」と(酩酊めいていや快楽かいらくに溺おぼれると)知性ちせいは曇くもる。「酔よっぱらいは少年しょうねんに導みちびかれる、足あしもとがおぼつかず、魂たましいが湿しめっているから」(DK 22B117)。

魂たましいの深ふかさはロゴスlogosの深ふかさと結むすびついている。「魂たましいの限界げんかいを歩あるいて見出みいだすことはできないだろう。すべての道みちを行ゆき尽つくしても。それほど深ふかいロゴスlogosを持もっているのだ」(DK 22B45)。魂たましいは宇宙うちゅうのロゴスlogosと通つうじており、自己じこ探究たんきゅうは宇宙うちゅう探究たんきゅうと表裏一体ひょうりいったいである。

さらに注目ちゅうもくすべきは、魂たましいと水みずの循環じゅんかんを描えがく断片だんぺんである。「魂たましいにとっては水みずになることが死しであり、水みずにとっては土つちになることが死しである。しかし土つちから水みずが生うまれ、水みずから魂たましいが生うまれる」(DK 22B36)。ここで魂たましいは火ひ→水みず→土つちという宇宙うちゅう論ろん的てき変転へんてん(B31)のなかに位置いちづけられる。魂たましいが火ひに近ちかいほど覚醒かくせいし、水みずへ向むかうほど死しに近ちかづく。倫理りんりと宇宙うちゅう論ろんがここで一体いったいとなる。善よく生いきることとは、魂たましいを乾かわかし火ひに近ちかづけること──すなわちロゴスlogosに目覚めざめることにほかならない。

7. 目覚めざめと眠ねむり──共通きょうつう世界せかいと私的してき世界せかい

ヘラクレイトスHērakleitosは人間にんげんを「目覚めざめている者もの」と「眠ねむっている者もの」に分わけた。「目覚めざめている者ものたちにとって世界せかいは一ひとつであり共通きょうつうであるが、眠ねむっている者ものは各自かくじ私的してきな世界せかいに向むかう」(DK 22B89)。

「目覚めざめ」とはロゴスlogosを認識にんしきすること、つまり万物ばんぶつに共通きょうつうする理法りほうを理解りかいすることである。ロゴスlogosは共通きょうつう(クシュノンxynon)であるのに、大多数だいたすうの人間にんげんはあたかも私的してきな思慮しりょを持もっているかのように生いきている(DK 22B2)。個人こじんの思おもい込こみや偏見へんけんに閉とじこもることは「眠ねむり」であり、ロゴスlogosに従したがい共通きょうつうの理性りせいに目覚めざめることが「知恵ちえ」である。

ここに政治せいじ哲学てつがくの萌芽ほうががある。「法のり(ノモスnomos)のために戦たたかうべきだ、城壁じょうへきのために戦たたかうように」(DK 22B44)。共同体きょうどうたいの法ほうは宇宙うちゅうのロゴスlogosから養やしなわれる(DK 22B114)。市民しみんが共通きょうつうのロゴスlogosに従したがうとき、法ほうは正当せいとうなものとなる。

8. 自然しぜんは隠かくれることを好このむ

ヘラクレイトスHērakleitosの認識にんしき論ろんを貫つらぬくのは、真理しんりは表面ひょうめんには現あらわれないという確信かくしんである。

"「自然しぜん(ピュシスphysis)は隠かくれることを好このむ。」" 出典しゅってん:DK 22B123(テミスティオスThemistios『弁論べんろん』5.69bに引用いんよう)

この短みじかい断片だんぺんは、ヘラクレイトスHērakleitosの哲学てつがく全体ぜんたいの方法ほうほう論ろん的てき宣言せんげんでもある。真まことの姿すがた(ピュシスphysis)は、感覚かんかくに直接ちょくせつ与あたえられるものの背後はいごに隠かくされている。だからこそ、見みかけに騙だまされず深ふかく考かんがえなければならない。彼かれの文体ぶんたいが難解なんかいであるのも、読者どくしゃに安易あんいな理解りかいを許ゆるさず、自みずから思考しこうさせるための意図いと的てきな戦略せんりゃくだったのかもしれない。

これと対ついをなすのがデルフォイDelphoiの神託しんたくについての断片だんぺんである。「デルフォイDelphoiの神かみは語かたりもせず隠かくしもせず、示しめすのだ」(DK 22B93)。ロゴスlogosは明示めいじ的てきに語かたられるものでも、完全かんぜんに秘匿ひとくされるものでもなく、徴しるし(セーメイオンsēmeion)として示しめされる。解釈かいしゃくを要ようする徴しるしを読よみ解とくこと。これがヘラクレイトスHērakleitosの考かんがえる「知恵ちえ」であり、彼かれ自身じしんの著作ちょさくもまた神託しんたくのように書かかれている。「暗くらい人ひと」というあだ名なは、彼かれが意図いと的てきに選えらんだコミュニケーションの様式ようしきの証あかしでもある。

主要しゅよう著作ちょさくガイド

  • ヘラクレイトスHērakleitos本人ほんにんの著作ちょさくは散逸さんいつしており、断片だんぺんのみが残のこる。以下いかは断片だんぺんを読よむための主要しゅよう文献ぶんけん。
  • ディールスDiels=クランツKranz『ソクラテスSōkratēs以前いぜんの哲学者てつがくしゃ断片だんぺん集しゅう』(DK)── ヘラクレイトスHērakleitosは22番ばん。断片だんぺん研究けんきゅうの基本きほん文献ぶんけん。
  • マルコヴィッチMarcovich, M. Heraclitus: Greek Text with a Short Commentaryヘラクレイタス:グリーク・テクスト・ウィズ・ア・ショート・コメンタリー(1967, 2nd ed. 2001)── 断片だんぺんの批判ひはん校訂こうていと詳細しょうさいな注釈ちゅうしゃく。
  • カーンKahn, Charlesチャールズ H. The Art and Thought of Heraclitusジ・アート・アンド・ソート・オブ・ヘラクレイタス(1979)── 断片だんぺんを意味いみ的てき連関れんかんに基もとづいて再配列さいはいれつし、ヘラクレイトスHērakleitosの思想しそうを体系たいけい的てきに再構成さいこうせい。入門にゅうもんにも研究けんきゅうにも最適さいてき。
  • 内山うちやま勝利かつとし編へん『ソクラテスSōkratēs以前いぜん哲学者てつがくしゃ断片だんぺん集しゅう』第だいII巻かん(岩波いわなみ書店しょてん、1997年ねん)── DK断片だんぺんの邦訳ほうやく。
  • プラトンPlatōn『クラテュロスKratylos』── ヘラクレイトスHērakleitosの「万物ばんぶつ流転るてん」説せつについてのプラトンPlatōnの解釈かいしゃく。
  • アリストテレスAristotelēs『形而上学Metaphysica』I巻かん── ヘラクレイトスHērakleitosの火ひと変化へんかの学説がくせつについての古代こだいの証言しょうげん。

主要しゅような批判ひはんと論争ろんそう

1. パルメニデスParmenidēsの反論はんろん:ヘラクレイトスHērakleitosの直後ちょくごに登場とうじょうしたパルメニデスParmenidēsは、変化へんかは論理ろんり的てきに不可能ふかのうだと主張しゅちょうした。「あるものはあり、ないものはない」。変化へんかとは「あるもの」が「ないもの」になることであり、理性りせいはそれを受うけ入いれられない。この対決たいけつ(「変化へんか」か「不変ふへん」か)は古代こだい哲学てつがくを二分にぶんする根本こんぽん問題もんだいとなった。

2. プラトンPlatōnの受容じゅようと批判ひはん:プラトンPlatōnは感覚かんかく世界せかいについてはヘラクレイトスHērakleitosの流転るてん説せつを受うけ入いれた。しかし、流転るてんする世界せかいの彼方かなたに不変ふへんのイデアideaを置おくことで、ヘラクレイトスHērakleitosとパルメニデスParmenidēsの統合とうごうを図はかった。『テアイテトスTheaitētos』(179e-183c)では、ヘラクレイトスHērakleitosの弟子でしを名乗なのる者ものたちの極端きょくたんな流転るてん説せつ(知識ちしきの不可能ふかのう性せい)が批判ひはんされている。

3. アリストテレスAristotelēsの批判ひはん:アリストテレスAristotelēsはヘラクレイトスHērakleitosが矛盾律むじゅんりつ(「同おなじものが同時どうじにあり、かつないことはできない」)を侵犯しんぱんしていると批判ひはんした(『形而上学Metaphysica』IV.3, 1005b23-25)。対立たいりつするものが「同おなじ」だとする主張しゅちょうは論理ろんりの基本きほん原則げんそくを破やぶるのではないか。ただし、ヘラクレイトスHērakleitosが単純たんじゅんに矛盾律むじゅんりつを否定ひていしたのか、それとも「同おなじ」の意味いみを拡張かくちょうしたのかは、現代げんだいの研究けんきゅうでも議論ぎろんが続つづいている。

4. 断片だんぺんの解釈かいしゃく問題もんだい:現代げんだいの研究けんきゅうでは、断片だんぺんの配列はいれつ、真偽しんぎ、文脈ぶんみゃく復元ふくげんをめぐって見解けんかいが分わかれる。カークKirk(1954)は火ひを比喩ひゆ的てきに読よみ、グスリーGuthrie(1962)は文字もじ通どおりの元素げんそと解釈かいしゃくする。ストアStoa派は経由けいゆの伝承でんしょうがヘラクレイトスHērakleitosの本来ほんらいの思想しそうをどこまで正確せいかくに伝つたえているかも重要じゅうような争点そうてんである。

5. クラテュロスKratylosと極端きょくたんな流転るてん説せつ:ヘラクレイトスHērakleitosの弟子でしと伝つたえられるクラテュロスKratylosは、師しの流転るてん説せつを極端きょくたんに推おし進すすめた。「同おなじ川かわに一度いちども入はいることはできない」。ヘラクレイトスHērakleitosが「二度にど」と言いったところを「一度いちども」と強化きょうかしたのである(アリストテレスAristotelēs『形而上学Metaphysica』IV.5, 1010a12-15)。万物ばんぶつがまったく同一どういつ性せいを持もたないなら言語げんごも意味いみを失うしなうとして、クラテュロスKratylosは最終さいしゅう的てきに指ゆびを動うごかすだけになったという。この極端きょくたんな帰結きけつは、ヘラクレイトスHērakleitos自身じしんの真意しんい(変化へんかのなかに秩序ちつじょ(ロゴスlogos)を見出みいだすこと)を逆ぎゃくに照てらし出だす。流転るてんだけを強調きょうちょうし、ロゴスlogosによる統一とういつを無視むしすれば、ヘラクレイトスHērakleitosの哲学てつがくは解体かいたいしてしまう。

影響えいきょうと遺産いさん

ストアStoa派は:ヘラクレイトスHērakleitosの最大さいだいの後継者こうけいしゃはストアStoa派はである。ゼノンZēnōn、クレアンテスKleanthēs、クリュシッポスChrysipposはロゴスlogosを宇宙うちゅうの理性りせい的てき原理げんりとして体系たいけい化かし、火ひによる宇宙うちゅうの周期しゅうき的てき消滅しょうめつと再生さいせい(エクピュローシスekpyrōsis)を教義きょうぎに組くみ込こんだ。ストアStoa派はのロゴスlogos概念がいねんはキリストChristos教きょう神学しんがくにも流入りゅうにゅうし、『ヨハネIōannēs福音書ふくいんしょ』冒頭ぼうとうの「初はじめに言ことば(ロゴスlogos)があった」へと繋つながる。

ヘーゲルHegelの弁証法べんしょうほう:ヘーゲルHegelはヘラクレイトスHērakleitosを弁証法べんしょうほうの始祖しそとして高たかく評価ひょうかした。対立たいりつするものの統一とういつ、否定ひていを通つうじた高次こうじの総合そうごう)。この運動うんどうをヘーゲルHegelはヘラクレイトスHērakleitosの断片だんぺんに読よみ取とり、自みずからの哲学てつがく体系たいけいの源泉げんせんとした。マルクスMarxもまたヘーゲルHegelを通つうじてヘラクレイトスHērakleitosの弁証法べんしょうほう的てき思考しこうを継承けいしょうしている。

ニーチェNietzsche:ニーチェNietzscheは初期しょきの著作ちょさく『ギリシャGreece悲劇ひげき時代じだいの哲学てつがく』でヘラクレイトスHērakleitosを「最もっとも高貴こうきな隣人りんじん」と呼よんだ。生成せいせいと破壊はかいを肯定こうていする態度たいど、大衆たいしゅうの意見いけんへの軽蔑けいべつ、闘争とうそうの称揚しょうよう。ニーチェNietzscheは自みずからの哲学てつがくの先駆せんくをヘラクレイトスHērakleitosに見出みいだした。

ハイデガーHeidegger:ハイデガーHeideggerは一連いちれんの講義こうぎ(『ヘラクレイトスHērakleitos』1943-44年ねん、GA 55)でヘラクレイトスHērakleitosの断片だんぺんに徹底てってい的てきな読解どっかいを施ほどこした。特とくにB123「自然しぜんは隠かくれることを好このむ」を、存在そんざいそのものの自己じこ隠蔽いんぺいと自己じこ開示かいじの運動うんどう(アレーテイアalētheia=非隠蔽性ひいんぺいせいとしての真理しんり)として読よみ解といた。ハイデガーHeideggerにとってヘラクレイトスHērakleitosは、西洋せいよう形而上学けいじじょうがくが忘却ぼうきゃくした「存在そんざいの問とい」を最初さいしょに思考しこうした哲学者てつがくしゃであった。

東洋とうよう思想しそうとの並行へいこう:ヘラクレイトスHērakleitosの思想しそうには、東洋とうよう哲学てつがく(特とくに老子ろうしの『道徳経どうとくきょう』)との驚おどろくべき並行へいこう性せいがある。「道タオ」と「ロゴスlogos」はともに万物ばんぶつを貫つらぬく法則ほうそくであり、言葉ことばで十全じゅうぜんには捉とらえられない原理げんりである。老子ろうしの「禍わざわいは福ふくの寄よるところ、福ふくは禍わざわいの伏ふすところ」(第だい58章しょう)はヘラクレイトスHērakleitosの対立たいりつの統一とういつと響ひびき合あう。直接ちょくせつの影響えいきょう関係かんけいは証明しょうめいされていないが、人類じんるいの哲学てつがく的てき思考しこうが異ことなる文化圏ぶんかけんで独立どくりつに類似るいじの洞察どうさつに達たっしうることを示しめす興味きょうみ深ぶかい事例じれいである。

現代げんだい科学かがく:散逸さんいつ構造こうぞう論ろん(プリゴジンPrigogine)、複雑ふくざつ系けいの科学かがく、プロセスprocess哲学てつがく(ホワイトヘッドWhitehead)など、変化へんかのなかの秩序ちつじょを探究たんきゅうする現代げんだいの知ちの営いとなみは、いずれもヘラクレイトスHērakleitos的てきな直観ちょっかんを共有きょうゆうしている。

現代げんだいへの接続せつぞく

第一だいいちに、変化へんかと同一どういつ性せいの問題もんだい。企業きぎょうは人員じんいんも製品せいひんも変かわりながら「同おなじ企業きぎょう」であり続つづける。国家こっかは領土りょうども国民こくみんも制度せいども変化へんかしながら「同おなじ国家こっか」と見みなされる。AIエーアイは学習がくしゅうによってパラメータを更新こうしんし続つづける。それは「同おなじAIエーアイ」なのか。ヘラクレイトスHērakleitosの「川かわ」の問といは、現代げんだいの同一どういつ性せいの哲学てつがく(パーソナル・アイデンティティpersonal identity論ろん)に直結ちょっけつする。

第二だいにに、対立たいりつの生産せいさん性せい。民主みんしゅ主義しゅぎは異ことなる意見いけんの対立たいりつを前提ぜんていとする。科学かがくは仮説かせつと反証はんしょうの緊張きんちょうから進歩しんぽする。市場しじょう経済けいざいは競争きょうそう(対立たいりつ)から革新かくしんを生うむ。「戦たたかいは万物ばんぶつの父ちち」という洞察どうさつは、対立たいりつを排除はいじょするのではなく生産せいさん的てきに組織そしきする知恵ちえを要請ようせいしている。

第三だいさんに、動的どうてき平衡へいこうとしての生命せいめい。生物せいぶつ学がく者しゃ福岡伸一ふくおかしんいちは「動的どうてき平衡へいこう」という概念がいねんで生命せいめいを説明せつめいする。生命せいめいとは物質ぶっしつの流ながれが一定いっていのパターンを維持いじすることだ。これはまさにヘラクレイトスHērakleitosの「川かわ」であり、「一定いっていの度合どあいで燃もえ、一定いっていの度合どあいで消きえる火ひ」の現代げんだい科学かがく版ばんである。

読者どくしゃへの問とい

  • あなたは10年ねん前まえの自分じぶんと「同おなじ人間にんげん」だと言いえるか。何なにが変かわり、何なにが変かわっていないのか。同一どういつ性せいの根拠こんきょは何なにか。
  • 対立たいりつや葛藤かっとうのない社会しゃかいは理想りそうだろうか、それとも停滞ていたいだろうか。ヘラクレイトスHērakleitosの「見みえない調和ちょうわ」は現代げんだい社会しゃかいにどのように実現じつげんしうるか。
  • ヘラクレイトスHērakleitosは「大多数だいたすうの人間にんげんは眠ねむっている」と言いった。SNSエスエヌエスの情報じょうほう洪水こうずいのなかで、「目覚めざめ」とは具体ぐたい的てきに何なにを意味いみするか。

名言めいげん(出典しゅってんつき)

"「同おなじ川かわに入はいる者ものには、常つねに異ことなる水みずが流ながれている。」" 出典しゅってん:DK 22B12(アリウス・ディデュモスArius Didymos経由けいゆ、エウセビオスEusebios『福音ふくいんの準備じゅんび』に引用いんよう)/原文げんぶん:"ποταμοῖσι τοῖσιν αὐτοῖσιν ἐμβαίνουσιν ἕτερα καὶ ἕτερα ὕδατα ἐπιρρεῖ"
"「この世界せかいは、常つねにあったし、あるし、あるであろう──永遠えいえんに生いきる火ひであり、一定いっていの度合どあいで燃もえ、一定いっていの度合どあいで消きえる。」" 出典しゅってん:DK 22B30(クレメンスKlēmens『ストロマテイスStrōmateis』V.104.1に引用いんよう)/原文げんぶん:"κόσμον τόνδε, τὸν αὐτὸν ἁπάντων, οὔτε τις θεῶν οὔτε ἀνθρώπων ἐποίησεν, ἀλλ' ἦν ἀεὶ καὶ ἔστιν καὶ ἔσται πῦρ ἀείζωον, ἁπτόμενον μέτρα καὶ ἀποσβεννύμενον μέτρα"
"「戦たたかいは万物ばんぶつの父ちちであり、万物ばんぶつの王おうである。」" 出典しゅってん:DK 22B53(ヒッポリュトスHippolytos『全異端ぜんいたん反駁はんばく』IX.9.4に引用いんよう)/原文げんぶん:"πόλεμος πάντων μὲν πατήρ ἐστι, πάντων δὲ βασιλεύς"
"「私わたしは自分じぶん自身じしんを探究たんきゅうした。」" 出典しゅってん:DK 22B101(プルタルコスPloutarchos『コロテスKolōtēs駁論ばくろん』1118cに引用いんよう)/原文げんぶん:"ἐδιζησάμην ἐμεωυτόν"
"「私わたしにではなくロゴスlogosに耳みみを傾かたむけて、万物ばんぶつが一いちであることを認みとめるのが知恵ちえである。」" 出典しゅってん:DK 22B50(ヒッポリュトスHippolytos『全異端ぜんいたん反駁はんばく』IX.9.1に引用いんよう)/原文げんぶん:"οὐκ ἐμοῦ, ἀλλὰ τοῦ λόγου ἀκούσαντας ὁμολογεῖν σοφόν ἐστιν ἓν πάντα εἶναι"
"「自然しぜんは隠かくれることを好このむ。」" 出典しゅってん:DK 22B123(テミスティオスThemistios『弁論べんろん』5.69bに引用いんよう)/原文げんぶん:"φύσις κρύπτεσθαι φιλεῖ"

参考さんこう文献ぶんけん

  • (原典げんてん資料しりょう):Dielsディールス, H. & Kranzクランツ, W. Die Fragmente der Vorsokratikerディー・フラグメンテ・デア・フォアゾクラティカー, 6th ed.第6版, 1951.(DK 22B断片だんぺん)── 先せんソクラテスSōkratēs期き断片だんぺん集しゅうの標準ひょうじゅん版ばん
  • (原典げんてん資料しりょう):Aristotelēsアリストテレス, Metaphysicaメタフィュシカ I, IV; Nicomachean Ethicsニコマコス・エティクス VIII.2; De Animaデ・アニマ I.2.── ヘラクレイトスHērakleitosへの古代こだいの主要しゅよう証言しょうげん
  • (研究けんきゅう書しょ):Kahnカーン, Charlesチャールズ H. The Art and Thought of Heraclitusジ・アート・アンド・ソート・オブ・ヘラクレイタス. Cambridgeケンブリッジ UPユニバーシティ・プレス, 1979.── 断片だんぺんの意味いみ的てき再構成さいこうせい
  • (研究けんきゅう書しょ):Kirkカーク, G.S. Heraclitus: The Cosmic Fragmentsヘラクレイタス:ザ・コズミック・フラグメンツ. Cambridgeケンブリッジ UPユニバーシティ・プレス, 1954.── 宇宙うちゅう論ろん断片だんぺんの古典こてん的てき校訂こうてい・注釈ちゅうしゃく
  • (研究けんきゅう書しょ):Marcovichマルコヴィッチ, M. Heraclitus: Greek Text with a Short Commentaryヘラクレイタス:グリーク・テクスト・ウィズ・ア・ショート・コメンタリー. 2nd ed., Sankt Augustinザンクト・アウグスティン: Academiaアカデミア, 2001.── 批判ひはん校訂こうていの標準ひょうじゅん
  • (邦語ほうご文献ぶんけん):内山うちやま勝利かつとし編へん『ソクラテスSōkratēs以前いぜん哲学者てつがくしゃ断片だんぺん集しゅう』第だいII巻かん、岩波いわなみ書店しょてん、1997年ねん。── DK断片だんぺん集しゅうの邦訳ほうやく
  • (研究けんきゅう書しょ):Grahamグレアム, Daniel W.ダニエル・W. The Texts of Early Greek Philosophyザ・テクスツ・オブ・アーリー・グリーク・フィロソフィー. Cambridgeケンブリッジ UPユニバーシティ・プレス, 2010.── DKを補完ほかんする新あたらしい断片だんぺん集しゅう
  • (研究けんきゅう書しょ):Heideggerハイデガー, Martinマルティン. Heraklitヘラクリート (GA 55). Klostermannクロスターマン, 1979.── ヘラクレイトスHērakleitosの断片だんぺんをめぐる講義こうぎ録ろく
  • (概説がいせつ):Stanford Encyclopedia of Philosophyスタンフォード・エンサイクロペディア・オブ・フィロソフィー, "Heraclitusヘラクレイタス" (Daniel W. Grahamダニエル・W・グレアム). https://plato.stanford.edu/entries/heraclitus/