「あるものはある。ないものはない。」。この一見自明に見える命題が、西洋哲学の歴史を根底から変えた。紀元前5世紀初頭、南イタリアの小さな植民都市エレアに生きた哲学者パルメニデスは、論理の力だけで存在の本質を解き明かそうとした。感覚が伝える世界(生成と消滅、運動と変化)を、彼は理性の法廷に引き出し、その実在性を根本から疑った。
万物は流転する。ヘラクレイトスがそう説いた時代に、パルメニデスは正反対の主張を打ち出した。真の存在は変化しない。生まれもしなければ滅びもしない。動くこともなく、分割されることもない。存在は一であり、完全であり、永遠である。この大胆な論証は、後のプラトン、アリストテレスをはじめ、西洋形而上学の全歴史を規定することになる。
しかしパルメニデスの著作は散文の論文ではない。叙事詩の韻律(ダクテュロス・ヘクサメトロス、六歩格)で書かれた教訓詩であり、女神が若者に真理を啓示するという劇的な枠組みを持つ。論理と詩、啓示と論証。この二重性がパルメニデスの哲学を独特なものにしている。
本記事では、現存する断片(DK 28B)を手がかりに、パルメニデスの存在論の核心(「ある」と「ない」の論理、存在の属性、真理と臆見の区別)を解き明かし、2500年後の私たちにとって彼の問いがなぜ依然として鋭いかを追う。
「無」について考えてみよ。「無」を思い浮かべた瞬間、あなたはすでに「何か」を思考の対象にしている。完全な無は思考できない。パルメニデスの論証の出発点はこの素朴な直観にある。もしこの直観が正しいなら、変化も生成も消滅も(「あるもの」が「ないもの」に転じるすべての過程が)論理的に不可能になる。常識は猛烈に抵抗するだろう。だがパルメニデスの論理は、その常識にこそ疑いの目を向けることを要求する。
この記事の要点
- 「あるものはある、ないものはない」:パルメニデスは存在(ト・エオン)と非存在の絶対的な区別を哲学の出発点に据えた。非存在は思考することも語ることもできない。この原理から、生成・消滅・変化・運動の不可能性が論理的に導かれる。西洋存在論はここから始まった。
- 存在の属性:不生・不滅・不動・一・連続:存在は生まれず、滅びず、分割されず、動かない。完全な球体のように均質であり、過去にも未来にもなく「今」にのみある。この厳密な演繹は、後の形而上学の方法を決定的に方向づけた。
- 真理の道と臆見の道:女神は二つの道を示す。一方は「あるものはある」に従う真理の道(アレーテイア)、他方は感覚に従う死すべき者たちの臆見の道(ドクサ)。理性と感覚の区別は、プラトンのイデア論を準備した。
生涯と時代背景
パルメニデスは紀元前515年頃、マグナ・グラエキア(大ギリシャ、南イタリア)の植民都市エレア(現在のヴェリア)に生まれた。エレアは紀元前540年頃にフォカイア人が建設した比較的新しい植民都市であり、ペルシアの脅威から逃れたイオニア人たちの避難先だった。プラトンの対話篇『パルメニデス』(127a-c)によれば、パルメニデスは65歳頃に弟子のゼノンとともにアテナイを訪れ、若きソクラテスと対話したとされる。この会見の歴史的事実性は議論があるが、プラトンがパルメニデスをどれほど重視していたかを物語っている。
ディオゲネス・ラエルティオス(『哲学者列伝』IX.21-23)によれば、パルメニデスは裕福な家柄の出身で、エレアの市民に法律を与えた立法者でもあった。プルタルコスもまたパルメニデスが優れた立法によって都市を整えたことを記している(『コロテス駁論』1126A)。哲学者であると同時に政治家であったという点は、古代ギリシャ哲学者に共通する特徴である。
1960年代、エレア(現ヴェリア)のポルタ・マリーナ遺跡の発掘で、紀元前1世紀頃の碑文が発見された。そこには「パルメニデス、ピュレスの子、ウーリアデス、自然学者(physikos)」と刻まれている。この碑文はパルメニデスが後世のエレア市民によって都市の知的英雄として顕彰されていたことを示す物的証拠である。「ウーリアデス」という称号はアポロン・ウーリオス(癒しのアポロン)の祭祀集団への所属を示唆しており、パルメニデスが医術や祭祀とも関わりを持っていた可能性がある。哲学者・立法者・祭祀者。パルメニデスの多面的な像は、ソクラテス以前の知識人の典型を体現している。
パルメニデスの師については諸説ある。ディオゲネス・ラエルティオスはクセノファネスに師事したと伝えるが(IX.21)、アリストテレスはパルメニデスをクセノファネスの「弟子」と呼ぶことには留保をつけている(『形而上学』I.5, 986b22)。別の伝承では、ピタゴラス派のアメイニアスという人物から影響を受けたともされる(ディオゲネス・ラエルティオスIX.21)。いずれにせよ、パルメニデスの思想は先行者たちを大きく超える独創性を持っている。
彼が生きた時代は、ペルシア戦争(紀元前499〜449年)の激動期にあたる。東のイオニアではミレトス学派が自然の根源を問い、ヘラクレイトスが万物の流転を説いていた。西のマグナ・グラエキアではピタゴラス派が数と調和の哲学を展開していた。パルメニデスは、これらの先行思想すべてに挑戦状を突きつけることになる。
ミニ年表
- 紀元前540年頃:フォカイア人がエレアを建設
- 紀元前515年頃:パルメニデス、エレアに生まれる
- 紀元前500年頃:ヘラクレイトスの活動期(エペソス)
- 紀元前499〜494年:イオニアの反乱、ミレトス陥落
- 紀元前490年:マラトンの戦い
- 紀元前480年頃:パルメニデス、教訓詩『自然について』(ペリ・ピュセオース)を著す(推定)
- 紀元前480年:サラミスの海戦
- 紀元前450年頃:パルメニデス、アテナイを訪問か(プラトン『パルメニデス』による)
- 紀元前450年頃:没(推定)
この哲学者は何を問うたのか
パルメニデス以前の哲学者たちは、「万物の根源(アルケー)は何か」を問うた。タレスは水、アナクシメネスは空気、ヘラクレイトスは火を候補に挙げた。しかしこれらはいずれも「何が変化するのか」という問いの枠内にあり、変化そのものの可能性を問題にすることはなかった。
パルメニデスの問いは次元が異なる。彼は「何があるか」ではなく、「『ある』とはそもそも何を意味するか」を問うた。存在と非存在の論理的関係を徹底的に追究することで、変化・生成・消滅・多様性(感覚世界の基本的な特徴すべて)が論理の審判にかけられた。
この問いの転換は決定的だった。自然の観察に依拠していた哲学が、純粋な論理的推論に基づく探究へと転換した。アリストテレスが後に「形而上学」と呼ぶことになる学問(存在そのものについての探究)の出発点は、ここにある。プラトンはパルメニデスを「畏るべき人」「尊敬すべき人」と呼び(『テアイテトス』183e-184a)、その哲学との格闘を生涯の課題とした。
核心理論
1. 「あるものはある、ないものはない」── 存在の論理
パルメニデスの哲学の根幹は、DK 28B2に示される二つの道にある。女神は若者に告げる。
"「探究のために思い浮かべうる道は二つだけ。一つは〈ある〉、そして〈あらぬことは不可能〉という道。これは確信の道である(真理に従うゆえに)。もう一つは〈あらぬ〉、そして〈あらぬことが必然〉という道。この道はまったく探究しえないことを私は告げる。」" 出典:DK 28B2(プロクロス『ティマイオス注解』I.345.18に引用、およびシンプリキオス『自然学注解』116.28に引用)
第一の道は「あるものはあり、あらぬことはできない」、つまり存在の道。第二の道は「あらぬものがあり、あらぬことが必然である」、つまり非存在の道。女神は第二の道を即座に退ける。なぜなら「あらぬもの」は認識することも言語で表現することもできないからだ。「思惟することと存在することは同じである」(DK 28B3)。思考しうるものは存在し、存在しないものは思考しえない。
この原理は単純に見えるが、そこから導かれる帰結は衝撃的である。変化とは「あるもの」が「ないもの」になること、あるいは「ないもの」が「あるもの」になることだ。しかし「ないもの」は存在しえない。したがって変化は不可能である。感覚は変化を報告するが、理性はそれを受け入れない。この緊張が、パルメニデス以降の哲学を駆動する原動力となった。
この論証の力を具体的に感じるために、一つの思考実験をしよう。「丸い四角形」を想像してみよ。不可能である。それは矛盾した概念だから、思考の対象にすらなりえない。パルメニデスにとって「非存在」とはまさにこの種の不可能性である。「ないもの」を考えるとは、「ない」ということを考える対象として措定することであり、それはすでに「ある」と言っていることになる。この自己矛盾が、パルメニデスの全論証の駆動力である。現代の論理学者が「存在量化子」をめぐって議論するとき、その根底にはパルメニデスが初めて明確にしたこの問題がある。
2. 存在の属性 ── 不生・不滅・不動・一・連続
DK 28B8はパルメニデスの詩で最も長く残存する断片であり、存在の属性を厳密に演繹する。女神は存在に以下の特徴を帰する。「不生にして不滅、全体として一、不動にして完全」(DK 28B8.3-4)。
不生:存在は生まれない。もし生まれたとすれば、何から生まれたのか。非存在からか。しかし非存在は「ない」のだから、そこから何かが生まれることはありえない。存在からか。しかしすでに「ある」ものから生まれるとは何を意味するのか。それはすでに存在している。「何がそれを駆り立てたのか。つまり無から出発して、早くあるいは遅く成長するように?」(DK 28B8.6-7)。生成の時点を仮定すること自体が論理的に不整合なのだ。
不滅:同じ論理により、存在は消滅しえない。消滅とは「あるもの」が「ないもの」になることだが、「ないもの」は不可能であるから、存在が滅びることもない。
不動・不変:運動するためには「あるもの」が現在いない場所、すなわち空虚(非存在)が必要である。しかし空虚は「ないもの」であり、存在しない。したがって運動は不可能である。「強大な必然の絆のなかに不動のまま留まっている」(DK 28B8.26)。
一・連続:存在が多であるためには、存在と存在を隔てる何か、つまり非存在がなければならない。しかし非存在はありえない。よって存在は分割されず、連続的で均質な一である。「存在は分割されない。なぜなら全体が等しいのだから」(DK 28B8.22)。
時間的完全性:存在は「かつてあった」のでもなく「やがてあるだろう」のでもなく、「今、全体として一にして連続してある」(DK 28B8.5-6)。過去と未来は変化を前提とするが、変化は不可能であるから、存在は永遠の現在にある。
これらすべての属性を保証するのが「必然」(アナンケー)の力である。「強大な必然の絆のなかに」存在は保持される(DK 28B8.30-31)。必然とは外部から課される強制ではなく、論理そのものの内的拘束力である。「あるものはある」という前提から、存在の各属性が必然的に帰結する。この演繹的構造こそが、パルメニデスを単なる宣言者ではなく、西洋哲学史上最初の厳密な論証者にしている。なお、「必然」「正義(ディケー)」「運命(モイラ)」が詩の中でほぼ同義的に用いられている点は注目に値する。論理的必然性が神話的な力の名で語られるという二重性は、パルメニデスの詩全体を貫く特徴である。
断片B8の末尾で女神は、存在を「巧みに丸められた球(スファイラ)の塊のように、中心からあらゆる方向に等しい」(DK 28B8.43-44)と形容する。これが物理的な球体を意味するのか、完全性の比喩なのかは議論が分かれるが、均質性と完結性を表す比喩として読むのが主流の解釈である。
3. 女神の啓示 ── 詩の形式と哲学の方法
パルメニデスの著作は散文ではなく、ホメロスやヘシオドスと同じ六歩格韻文で書かれている。DK 28B1(序歌、プロイミオン)では、若者が馬車に乗り、太陽の娘たち(ヘリアデス)に導かれて夜と昼の門を越え、名もなき女神のもとに至る。この旅は単なる文学的装飾ではない。馬車の車軸は車輪の穴のなかで「笛のように鳴り響き」(B1.7)、正義の女神ディケーが夜と昼を分かつ巨大な門の鍵を持つ門番として立ちはだかる(B1.14)。ヘリアデスがディケーを説き伏せて門が開かれる。この場面は、真理への到達が論理的探究(ヘリアデスの導き)と正義・秩序(ディケーの許可)の両方を必要とすることを象徴的に語っている。
女神は若者に告げる。「おまえは万事を学ばねばならない。つまり真理(アレーテイア)の揺るぎなき心臓も、死すべき者たちの思いなし(臆見)も。そこには真の確信はないのだが」(DK 28B1.28-30)。
なぜ哲学的論証を詩の形式で書いたのか。一つには当時の教訓詩の伝統(クセノファネスやその他の先行者も韻文で哲学した)に連なる面がある。しかしより重要なのは、女神による啓示という枠組みが、真理の超人間的な権威を示すことだ。パルメニデスが述べる真理は個人の意見ではなく、論理そのものが強制する必然的帰結である。この権威を神的啓示の形式が裏打ちしている。
4. 三つの道 ── 真理・臆見・第三の道
DK 28B2で示された二つの道に加え、DK 28B6では第三の道が退けられる。それは「あるものとあらぬものが同じであり、かつ同じでない」とする道、つまり存在と非存在を混同する「死すべき者たち」の慣習的な道である(DK 28B6.4-9)。
この第三の道が誰を指すのかは論争がある。一部の研究者はヘラクレイトスを念頭に置いた批判と見る。つまり対立するものが「同じ」だとするヘラクレイトスの主張は、まさに存在と非存在の区別を曖昧にするものだからだ。別の解釈では、これは一般の人間の常識的世界観(変化と多様性を無反省に受け入れる態度)への批判である。
いずれにせよ、女神は厳格な二者択一を要求する。「おまえはこの道から探究を遠ざけよ。経験の習慣がおまえを強制して目的のない目と響きの充ちた耳と舌とをこの道に振り向けることのないように。そうではなく、理性(ロゴス)によって、私の語る多くの論争に満ちた吟味(エレンコス)を判定せよ」(DK 28B7.3-6)。感覚ではなく理性によって判断せよ。この要請は西洋合理主義の原型である。
5. 臆見の部 ── なぜパルメニデスは現象世界を語ったのか
詩の後半、「臆見の部」(ドクサ)は、真理の部とは対照的に、感覚世界の多様性を説明する宇宙論を展開する。女神は二つの形相、「光」(火)と「夜」(闇)を原理とする宇宙論を提示する(DK 28B8.53-61、DK 28B9)。
しかしなぜ、真理の部で変化を否定したパルメニデスが、臆見の部で現象世界の説明を試みたのか。これは古来最大の解釈問題のひとつである。有力な解釈は以下の通りだ。(1)死すべき者たちの最善の宇宙論を提示することで、感覚世界の説明としても誰にも劣らぬものを示す(女神自身がDK 28B8.60-61でそう述べる)。(2)感覚世界の説明が持つ構造的欠陥を明らかにするための反面教師。(3)実践的な生において感覚世界を完全に無視することはできないという現実的認識。
臆見の部に残された断片は少ないが、そこに描かれる宇宙論は独自の興味を持つ。女神は二つの形相、光(火)と夜(闇)の混合によって万物を説明する。宇宙の中心にはダイモーン(神霊)がおり、万物の生成と混合を司る(DK 28B12)。天空は同心円状の環(ステファナイ)から構成され、最も外側の環は火、最も内側の環は夜であるとされた(アエティオスの証言)。さらに注目すべきは胎児の性別決定に関する断片(DK 28B17)で、右側は男性、左側は女性に対応するという理論が提示されている。これらの断片は、パルメニデスが当時の自然学的知識にも通じていたことを示しており、臆見の部が単なる否定的付録ではなかったことを裏づけている。
臆見の部の存在は、パルメニデスが単純な独断論者ではなかったことを示している。真理と現象の間の緊張をどう解消するか。この課題はプラトンのイデア論、アリストテレスの形相・質料論、さらにはカントの現象と物自体の区別にまで連なる根本問題となった。
6. ヘラクレイトスとの対決 ── 変化 vs 不変
ヘラクレイトスは万物の流転を説き、変化こそが実在の根本相だと主張した。パルメニデスは真っ向から対立する。変化は論理的に不可能であり、感覚が伝える変化は臆見(ドクサ)にすぎない。
この対立は古代哲学を二分した。変化を認めるか、不変を認めるか。この二つの極のあいだで後の哲学者たちはこの二つの極のあいだで格闘することになる。エンペドクレスは四元素の結合と分離で、アナクサゴラスは無限に多くの種子(スペルマタ)で、デモクリトスは原子と空虚で、いずれもパルメニデスの論理的制約を回避しつつ変化を説明しようとした。プラトンは不変のイデア界と流転する感覚界を区別することで両者の統合を図った。アリストテレスは可能態(デュナミス)と現実態(エネルゲイア)の区別によって、変化が非存在からの生成ではないことを示そうとした。
西洋形而上学の歴史は、ある意味でパルメニデスが突きつけた難問への応答の歴史である。
7. ゼノンのパラドクス ── 師の擁護
パルメニデスの弟子ゼノン(エレアのゼノン)は、師の思想を擁護するために一連のパラドクスを考案した。多と運動を認めると矛盾が生じることを示す。いわゆる帰謬法(背理法)である。
「アキレウスと亀」:足の速いアキレウスは亀に追いつけない。亀がいた地点に到達したとき亀はさらに先へ進んでおり、この過程は無限に繰り返される。「飛ぶ矢は止まっている」:矢は各瞬間において一定の位置を占めているが、一定の位置を占めるものは静止している。したがって飛ぶ矢は運動していない(アリストテレス『自然学』VI.9, 239b30-33)。
さらに「二分法」(ディコトミア)のパラドクス:ある距離を移動するには、まずその半分を移動しなければならず、その半分を移動するにはさらにその半分を、と無限に続く。無限個の区間を有限時間で通過することはできないから、運動は開始すらできない。このパラドクスが厳密に解決されたのは19世紀の数学においてである。コーシーやワイエルシュトラスによる極限概念の精密化により、無限級数 1/2 + 1/4 + 1/8 + ... = 1 が厳密に証明された。無限個の項の和が有限値に収束しうるという数学的事実は、ゼノンの前提(無限個の区間を通過するには無限の時間が必要)を論駁する。しかしこの数学的解決が哲学的問題を完全に解消したかどうかは、なお議論の余地がある。連続と離散、無限と有限の関係は、現代の数理哲学においても中心的な問題であり続けている。
これらのパラドクスは単なる知的遊戯ではない。連続と離散、無限分割と運動の関係という根本的な問題を提起しており、極限の概念が確立される19世紀の数学まで厳密な解決を待たねばならなかった。アリストテレスはゼノンを「弁証法の創始者」と呼んだ(ディオゲネス・ラエルティオスIX.25によるアリストテレスの証言)。
主要著作ガイド
- パルメニデス『自然について』(ペリ・ピュセオース)── 唯一の著作。六歩格韻文による教訓詩。序歌(プロイミオン)・真理の部(アレーテイア)・臆見の部(ドクサ)の三部構成。DK 28B断片として伝存。
- ディールス=クランツ『ソクラテス以前の哲学者断片集』(DK)── パルメニデスは28番。断片研究の基本文献。
- ギャロップ, David. Parmenides of Elea: Fragments(1984)── ギリシャ語原文・英訳・注釈つきの標準的入門書。
- コクソン, A.H. The Fragments of Parmenides(1986, rev. ed. 2009)── 断片の詳細な校訂と注釈。研究者向けの決定版。
- 内山勝利編『ソクラテス以前哲学者断片集』第II巻(岩波書店、1997年)── DK断片の邦訳。
- プラトン『パルメニデス』── パルメニデスと若きソクラテスの対話。一と多の問題をめぐる高度な弁証法的訓練。
- プラトン『ソフィスト』── パルメニデスの「非存在は語れない」という原則を乗り越えようとする試み(「父殺し」の比喩)。
主要な批判と論争
1. プラトンの「父殺し」:プラトンは『ソフィスト』(241d)で、パルメニデスの非存在否定を乗り越える必要を論じた。虚偽や誤謬が存在するためには、「あらぬもの」がある意味で「ある」と言えなければならない。プラトンはこれを「父なるパルメニデスに対する父殺し」と呼び、「あらぬ」を「異なる」(ヘテロン)と再定義することで解決を図った。非存在は絶対的な「無」ではなく、或るものとは「異なるもの」である。この転換は西洋存在論の決定的転機となった。
2. アリストテレスの批判:アリストテレスは『自然学』第I巻でパルメニデスの論理を詳細に検討した。彼の批判の核心は、「ある」には多義性があるということだ。パルメニデスは「ある」を一義的に扱ったが、実際には「ある」は実体・性質・量・場所など多くの範疇で語られる(『形而上学』I.5, 986b22-987a2)。変化は無からの生成ではなく、可能態から現実態への移行である。この解答はパルメニデスの論理を正面から受け止めたうえでの乗り越えであった。
3. 原子論者の応答:レウキッポスとデモクリトスは、パルメニデスが否定した空虚(ケノン)を積極的に導入した。原子はそれぞれパルメニデス的な「存在」(不生・不滅・不変)であるが、空虚の中を運動し結合・分離することで変化が生じる。これはパルメニデスの原理を部分的に受容しつつ、「非存在」(空虚)にも一種の実在性を認める巧妙な回答であった。
4. 現代の解釈論争:現代の研究では、パルメニデスの「ある」(エスティン)の解釈をめぐって激しい論争が続いている。存在論的読解(「存在する」)、述語的読解(「……である」)、真理的読解(「真である」)の三つの立場があり、それぞれパルメニデスの論証の意味を大きく変える。オーウェン(1960)、ムーアラトス(1970)、カード(1998)らの研究がこの議論を牽引している。
5. ゴルギアスの『非存在について』:ソフィストのゴルギアスは『非存在について、あるいは自然について』(ペリ・トゥ・メー・オントス)で、パルメニデスの論法をパロディ的に転用した。ゴルギアスは三つの命題を「論証」する。(1)何も存在しない、(2)たとえ存在しても認識できない、(3)たとえ認識できても他者に伝達できない。これはパルメニデスの「あるものはある」を裏返し、同じ論理的構造で正反対の結論を導くレトリカルな試みであった。ゴルギアスの意図が純粋な哲学的反論か修辞術の誇示かは議論があるが、パルメニデスの論証が持つ形式的な力(前提を変えれば結論も逆転する)を逆説的に証明した点で重要である。
影響と遺産
エレア学派:パルメニデスはエレア学派の創始者とされる。弟子のゼノンは運動と多のパラドクスで師の思想を防衛し、メリッソス(サモスのメリッソス)は存在を無限と主張して議論をさらに展開した。
プラトン:プラトンの哲学はパルメニデスなしには考えられない。不変のイデア界はパルメニデス的「存在」の哲学的展開であり、感覚世界は臆見の領域に対応する。『パルメニデス』『ソフィスト』『テアイテトス』など、晩年の主要な対話篇はいずれもパルメニデスとの対話である。
アリストテレス:アリストテレスの形而上学(存在の多義性、可能態と現実態の区別、範疇論)はパルメニデスの問いへの応答として構築された。
中世・近代:パルメニデスの影響は新プラトン主義を通じて中世神学にも浸透した。神を最高の「存在」として捉える存在神学(オントテオロギー)の系譜は、パルメニデスに遡ることができる。
ハイデガー:ハイデガーはパルメニデスを西洋形而上学の「始原」(アンファング)として読み返した。1942-43年の講義『パルメニデス』(GA 54)では、アレーテイア(真理)を「非隠蔽性」として解釈し、存在の開示と隠蔽の二重運動を読み取った。ハイデガーにとってパルメニデスは、西洋が忘却した「存在の問い」を最初に、そして最も根源的に、思考した哲学者であった。
近代合理主義:パルメニデスの「思考しうるものは存在する」という原理は、近代の合理主義にも反響している。デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」は思考と存在の不可分を個人の意識において再発見したものであり、スピノザの『エティカ』における唯一の実体(神即ち自然)は、パルメニデス的な一者の近代的変奏と読むことができる。ライプニッツの「なぜ何もないのではなく何かがあるのか」という問いもまた、パルメニデスが切り開いた存在と無の問題圏に属する。純粋な理性のみによって実在の構造を解明しようとする合理主義の伝統は、パルメニデスに源流を持つ。
現代への接続
第一に、論理と実在の関係。パルメニデスは論理的に不可能なことは現実にも不可能だと考えた。現代の分析哲学における様相論理学(「可能」「必然」「不可能」の論理)は、パルメニデスが初めて明示的に用いた概念装置の精緻化である。論理は世界の構造を反映しているのか、それとも人間の思考の限界を示しているにすぎないのか。この問いは今なお開かれたままである。
第二に、存在と無の問題。現代物理学の宇宙論は「なぜ何もないのではなく何かがあるのか」という問いに直面する。量子力学における真空は完全な「無」ではなく量子揺らぎに満ちている。パルメニデスが指摘した「無から何も生まれない」(ex nihilo nihil fit)という原則は、現代物理学においても形を変えて問われ続けている。
第三に、感覚と理性の対立。現代の認知科学は、人間の知覚が多くの錯覚やバイアスを含むことを明らかにしている。パルメニデスの「感覚を信じるな、理性で判断せよ」という要請は、科学的方法の基本姿勢と通底する。特殊相対性理論(直観に反する時空の構造が論理と実験によって確認される)は、まさにパルメニデス的な精神の現代版ともいえる。
第四に、形式体系の力と限界。パルメニデスは論理の力を極限まで信頼した。しかし20世紀のゲーデルは、十分に強力な形式体系には証明も反証もできない命題が存在することを示した(不完全性定理、1931年)。論理だけでは真理のすべてに到達できない。この帰結はパルメニデスの楽観を根底から揺さぶる。現代のAIもまた、形式的推論の卓越した遂行者でありながら、「意味」や「存在」を本当に理解しているかどうかは問われ続けている。パルメニデスが切り開いた「思考と存在は同じか」という問いは、AIの哲学においてかつてないほどの切実さを帯びている。
読者への問い
- 変化は本当に実在するのか。それとも変化の感覚は人間の認知が生み出す見かけにすぎないのか。物理学の「ブロック宇宙」説(過去・現在・未来が等しく実在する)をパルメニデスはどう評価するだろうか。
- 「無」について語ることは可能か。「無は存在しない」と言う瞬間、私たちは何かを思考の対象にしているのではないか。この言語のパラドクスをどう考えるか。
- 科学が常識に反する結論を導くとき(時間の遅れ、波動と粒子の二重性)、私たちは感覚と理性のどちらを信じるべきか。パルメニデスの態度は現代の科学的実在論にどこまで通じるか。
名言(出典つき)
"「あるということ、そしてあらぬことが不可能であるということ──これが確信の道である(真理に従うゆえに)。」" 出典:DK 28B2.3-4(プロクロス『ティマイオス注解』I.345.18に引用)/原文:"ἡ μὲν ὅπως ἔστιν τε καὶ ὡς οὐκ ἔστι μὴ εἶναι, Πειθοῦς ἐστι κέλευθος (Ἀληθείῃ γὰρ ὀπηδεῖ)"
"「思惟することと存在することは同じである。」" 出典:DK 28B3(クレメンス『ストロマテイス』VI.23、およびプロティノスV.1.8に引用)/原文:"τὸ γὰρ αὐτὸ νοεῖν ἐστίν τε καὶ εἶναι"
"「あるものは不生にして不滅である。なぜなら全体として一であり、不動にして完全であるからだ。」" 出典:DK 28B8.3-4(シンプリキオス『自然学注解』145.1に引用)/原文:"ἀγένητον ἐὸν καὶ ἀνώλεθρόν ἐστιν, ἐστι γὰρ οὐλομελές τε καὶ ἀτρεμὲς ἠδ' ἀτέλεστον"
"「あらぬものを認識することはできない──それは成就しえない──、また語ることもできない。」" 出典:DK 28B2.7-8(プロクロス『ティマイオス注解』I.345.18に引用)/原文:"οὔτε γὰρ ἂν γνοίης τό γε μὴ ἐὸν (οὐ γὰρ ἀνυστόν) οὔτε φράσαις"
"「理性によって、私の語る多くの論争に満ちた吟味を判定せよ。」" 出典:DK 28B7.5-6(プラトン『ソフィスト』237a、セクストス・エンペイリコス『学者たちへの論駁』VII.111に引用)/原文:"ἀλλὰ σὺ τῆσδ' ἀφ' ὁδοῦ διζήσιος εἶργε νόημα ... κρῖναι δὲ λόγῳ πολύδηριν ἔλεγχον"
参考文献
- (原典資料):Diels, H. & Kranz, W. Die Fragmente der Vorsokratiker, 6th ed., 1951.(DK 28B断片)── 先ソクラテス期断片集の標準版
- (原典資料):Coxon, A.H. The Fragments of Parmenides. Rev. ed., Las Vegas: Parmenides Publishing, 2009.── 断片の決定的校訂・注釈
- (研究書):Gallop, David. Parmenides of Elea: Fragments. Toronto UP, 1984.── ギリシャ語原文・英訳・注釈つきの標準的入門
- (研究書):Kirk, G.S., Raven, J.E. & Schofield, M. The Presocratic Philosophers. 2nd ed., Cambridge UP, 1983.── 先ソクラテス期全体の標準概説
- (研究書):Mourelatos, Alexander P.D. The Route of Parmenides. Rev. ed., Las Vegas: Parmenides Publishing, 2008.── パルメニデスの詩の構造と論理の分析
- (研究書):Curd, Patricia. The Legacy of Parmenides. Las Vegas: Parmenides Publishing, 2004.── 「述語一元論」解釈の主著
- (邦語文献):内山勝利編『ソクラテス以前哲学者断片集』第II巻、岩波書店、1997年。── DK断片集の邦訳
- (研究書):Heidegger, Martin. Parmenides (GA 54). Klostermann, 1982.── パルメニデスをめぐる講義録
- (研究書):Palmer, John. Parmenides and Presocratic Philosophy. Oxford UP, 2009.── パルメニデスの断片をプレソクラティクス哲学全体のなかに位置づける包括的研究
- (概説):Stanford Encyclopedia of Philosophy, "Parmenides" (John Palmer). https://plato.stanford.edu/entries/parmenides/