「あるものはある。ないものはない。」。この一見いっけん自明じめいに見みえる命題めいだいが、西洋せいよう哲学てつがくの歴史れきしを根底こんていから変かえた。紀元前きげんぜん5世紀せいき初頭しょとう、南みなみイタリアItaliaの小ちいさな植民しょくみん都市としエレアEleaに生いきた哲学者てつがくしゃパルメニデスParmenidēsは、論理ろんりの力ちからだけで存在そんざいの本質ほんしつを解とき明あかそうとした。感覚かんかくが伝つたえる世界せかい(生成せいせいと消滅しょうめつ、運動うんどうと変化へんか)を、彼かれは理性りせいの法廷ほうていに引ひき出だし、その実在じつざい性せいを根本こんぽんから疑うたがった。

万物ばんぶつは流転るてんする。ヘラクレイトスHērakleitosがそう説といた時代じだいに、パルメニデスParmenidēsは正反対せいはんたいの主張しゅちょうを打うち出だした。真まことの存在そんざいは変化へんかしない。生うまれもしなければ滅ほろびもしない。動うごくこともなく、分割ぶんかつされることもない。存在そんざいは一いつであり、完全かんぜんであり、永遠えいえんである。この大胆だいたんな論証ろんしょうは、後のちのプラトンPlatōn、アリストテレスAristotelēsをはじめ、西洋せいよう形而上学けいじじょうがくの全ぜん歴史れきしを規定きていすることになる。

しかしパルメニデスParmenidēsの著作ちょさくは散文さんぶんの論文ろんぶんではない。叙事詩じょじしの韻律いんりつ(ダクテュロスdaktylos・ヘクサメトロスhexametros、六歩格ろくほかく)で書かかれた教訓きょうくん詩しであり、女神めがみが若者わかものに真理しんりを啓示けいじするという劇的げきてきな枠組わくぐみを持もつ。論理ろんりと詩し、啓示けいじと論証ろんしょう。この二重にじゅう性せいがパルメニデスParmenidēsの哲学てつがくを独特どくとくなものにしている。

本ほん記事きじでは、現存げんそんする断片だんぺん(DK 28B)を手てがかりに、パルメニデスParmenidēsの存在そんざい論ろんの核心かくしん(「ある」と「ない」の論理ろんり、存在そんざいの属性ぞくせい、真理しんりと臆見おっけんの区別くべつ)を解とき明あかし、2500年ねん後ごの私わたしたちにとって彼かれの問といがなぜ依然いぜんとして鋭するどいかを追おう。

「無む」について考かんがえてみよ。「無む」を思おもい浮うかべた瞬間しゅんかん、あなたはすでに「何なにか」を思考しこうの対象たいしょうにしている。完全かんぜんな無むは思考しこうできない。パルメニデスParmenidēsの論証ろんしょうの出発しゅっぱつ点てんはこの素朴そぼくな直観ちょっかんにある。もしこの直観ちょっかんが正ただしいなら、変化へんかも生成せいせいも消滅しょうめつも(「あるもの」が「ないもの」に転てんじるすべての過程かていが)論理ろんり的てきに不可能ふかのうになる。常識じょうしきは猛烈もうれつに抵抗ていこうするだろう。だがパルメニデスParmenidēsの論理ろんりは、その常識じょうしきにこそ疑うたがいの目めを向むけることを要求ようきゅうする。

この記事きじの要点ようてん

  • 「あるものはある、ないものはない」:パルメニデスParmenidēsは存在そんざい(ト・エオンto eon)と非存在ひそんざいの絶対ぜったい的てきな区別くべつを哲学てつがくの出発しゅっぱつ点てんに据すえた。非存在ひそんざいは思考しこうすることも語かたることもできない。この原理げんりから、生成せいせい・消滅しょうめつ・変化へんか・運動うんどうの不可能ふかのう性せいが論理ろんり的てきに導みちびかれる。西洋せいよう存在そんざい論ろんはここから始はじまった。
  • 存在そんざいの属性ぞくせい:不生ふしょう・不滅ふめつ・不動ふどう・一いつ・連続れんぞく:存在そんざいは生うまれず、滅ほろびず、分割ぶんかつされず、動うごかない。完全かんぜんな球体きゅうたいのように均質きんしつであり、過去かこにも未来みらいにもなく「今いま」にのみある。この厳密げんみつな演繹えんえきは、後のちの形而上学けいじじょうがくの方法ほうほうを決定けってい的てきに方向ほうこうづけた。
  • 真理しんりの道みちと臆見おっけんの道みち:女神めがみは二ふたつの道みちを示しめす。一方いっぽうは「あるものはある」に従したがう真理しんりの道みち(アレーテイアAlētheia)、他方たほうは感覚かんかくに従したがう死しすべき者ものたちの臆見おっけんの道みち(ドクサDoxa)。理性りせいと感覚かんかくの区別くべつは、プラトンPlatōnのイデアidea論ろんを準備じゅんびした。

生涯しょうがいと時代じだい背景はいけい

パルメニデスParmenidēsは紀元前きげんぜん515年ねん頃ごろ、マグナ・グラエキアMagna Graecia(大だいギリシャGreece、南みなみイタリアItalia)の植民しょくみん都市としエレアElea(現在げんざいのヴェリアVelia)に生うまれた。エレアEleaは紀元前きげんぜん540年ねん頃ごろにフォカイアPhōkaia人じんが建設けんせつした比較ひかく的てき新あたらしい植民しょくみん都市としであり、ペルシアPersiaの脅威きょういから逃にれたイオニアIōnia人じんたちの避難ひなん先さきだった。プラトンPlatōnの対話篇たいわへん『パルメニデスParmenidēs』(127a-c)によれば、パルメニデスParmenidēsは65歳さい頃ごろに弟子でしのゼノンZēnōnとともにアテナイAthēnaiを訪おとずれ、若わかきソクラテスSōkratēsと対話たいわしたとされる。この会見かいけんの歴史れきし的てき事実じじつ性せいは議論ぎろんがあるが、プラトンPlatōnがパルメニデスParmenidēsをどれほど重視じゅうししていたかを物語ものがたっている。

ディオゲネス・ラエルティオスDiogenēs Laertios(『哲学者てつがくしゃ列伝れつでん』IX.21-23)によれば、パルメニデスParmenidēsは裕福ゆうふくな家柄いえがらの出身しゅっしんで、エレアEleaの市民しみんに法律ほうりつを与あたえた立法者りっぽうしゃでもあった。プルタルコスPloutarchosもまたパルメニデスParmenidēsが優すぐれた立法りっぽうによって都市としを整ととのえたことを記しるしている(『コロテスKolōtēs駁論ばくろん』1126A)。哲学者てつがくしゃであると同時どうじに政治家せいじかであったという点てんは、古代こだいギリシャGreece哲学者てつがくしゃに共通きょうつうする特徴とくちょうである。

1960年代ねんだい、エレアElea(現げんヴェリアVelia)のポルタ・マリーナPorta Marina遺跡いせきの発掘はっくつで、紀元前きげんぜん1世紀せいき頃ごろの碑文ひぶんが発見はっけんされた。そこには「パルメニデスParmenidēs、ピュレスPyrēsの子こ、ウーリアデスOuliades、自然しぜん学者がくしゃ(physikos)」と刻きざまれている。この碑文ひぶんはパルメニデスParmenidēsが後世こうせいのエレアElea市民しみんによって都市としの知的ちてき英雄えいゆうとして顕彰けんしょうされていたことを示しめす物的ぶってき証拠しょうこである。「ウーリアデスOuliades」という称号しょうごうはアポロンApollōn・ウーリオスOulios(癒いやしのアポロンApollōn)の祭祀さいし集団しゅうだんへの所属しょぞくを示唆しさしており、パルメニデスParmenidēsが医術いじゅつや祭祀さいしとも関かかわりを持もっていた可能かのう性せいがある。哲学者てつがくしゃ・立法者りっぽうしゃ・祭祀者さいししゃ。パルメニデスParmenidēsの多面ためん的てきな像ぞうは、ソクラテスSōkratēs以前いぜんの知識ちしき人じんの典型てんけいを体現たいげんしている。

パルメニデスParmenidēsの師しについては諸説しょせつある。ディオゲネス・ラエルティオスDiogenēs LaertiosはクセノファネスXenophanēsに師事しじしたと伝つたえるが(IX.21)、アリストテレスAristotelēsはパルメニデスParmenidēsをクセノファネスXenophanēsの「弟子でし」と呼よぶことには留保りゅうほをつけている(『形而上学Metaphysica』I.5, 986b22)。別べつの伝承でんしょうでは、ピタゴラスPythagoras派はのアメイニアスAmeiniasという人物じんぶつから影響えいきょうを受うけたともされる(ディオゲネス・ラエルティオスDiogenēs LaertiosIX.21)。いずれにせよ、パルメニデスParmenidēsの思想しそうは先行者せんこうしゃたちを大おおきく超こえる独創どくそう性せいを持もっている。

彼かれが生いきた時代じだいは、ペルシアPersia戦争せんそう(紀元前きげんぜん499〜449年ねん)の激動げきどう期きにあたる。東ひがしのイオニアIōniaではミレトスMilētos学派がくはが自然しぜんの根源こんげんを問とい、ヘラクレイトスHērakleitosが万物ばんぶつの流転るてんを説といていた。西にしのマグナ・グラエキアMagna GraeciaではピタゴラスPythagoras派はが数かずと調和ちょうわの哲学てつがくを展開てんかいしていた。パルメニデスParmenidēsは、これらの先行せんこう思想しそうすべてに挑戦ちょうせん状じょうを突つきつけることになる。

ミニ年表ねんぴょう

  • 紀元前きげんぜん540年ねん頃ごろ:フォカイアPhōkaia人じんがエレアEleaを建設けんせつ
  • 紀元前きげんぜん515年ねん頃ごろ:パルメニデスParmenidēs、エレアEleaに生うまれる
  • 紀元前きげんぜん500年ねん頃ごろ:ヘラクレイトスHērakleitosの活動かつどう期き(エペソスEphesos)
  • 紀元前きげんぜん499〜494年ねん:イオニアIōniaの反乱はんらん、ミレトスMilētos陥落かんらく
  • 紀元前きげんぜん490年ねん:マラトンMarathōnの戦たたかい
  • 紀元前きげんぜん480年ねん頃ごろ:パルメニデスParmenidēs、教訓きょうくん詩し『自然しぜんについて』(ペリ・ピュセオースPeri Physeōs)を著あらわす(推定すいてい)
  • 紀元前きげんぜん480年ねん:サラミスSalamisの海戦かいせん
  • 紀元前きげんぜん450年ねん頃ごろ:パルメニデスParmenidēs、アテナイAthēnaiを訪問ほうもんか(プラトンPlatōn『パルメニデスParmenidēs』による)
  • 紀元前きげんぜん450年ねん頃ごろ:没ぼっ(推定すいてい)

この哲学者てつがくしゃは何なにを問とうたのか

パルメニデスParmenidēs以前いぜんの哲学者てつがくしゃたちは、「万物ばんぶつの根源こんげん(アルケーarchē)は何なにか」を問とうた。タレスThalēsは水みず、アナクシメネスAnaximenēsは空気くうき、ヘラクレイトスHērakleitosは火ひを候補こうほに挙あげた。しかしこれらはいずれも「何なにが変化へんかするのか」という問といの枠内わくないにあり、変化へんかそのものの可能かのう性せいを問題もんだいにすることはなかった。

パルメニデスParmenidēsの問といは次元じげんが異ことなる。彼かれは「何なにがあるか」ではなく、「『ある』とはそもそも何なにを意味いみするか」を問とうた。存在そんざいと非存在ひそんざいの論理ろんり的てき関係かんけいを徹底てってい的てきに追究ついきゅうすることで、変化へんか・生成せいせい・消滅しょうめつ・多様たよう性せい(感覚かんかく世界せかいの基本きほん的てきな特徴とくちょうすべて)が論理ろんりの審判しんぱんにかけられた。

この問といの転換てんかんは決定けってい的てきだった。自然しぜんの観察かんさつに依拠いきょしていた哲学てつがくが、純粋じゅんすいな論理ろんり的てき推論すいろんに基もとづく探究たんきゅうへと転換てんかんした。アリストテレスAristotelēsが後のちに「形而上学けいじじょうがく」と呼よぶことになる学問がくもん(存在そんざいそのものについての探究たんきゅう)の出発しゅっぱつ点てんは、ここにある。プラトンPlatōnはパルメニデスParmenidēsを「畏おそるべき人ひと」「尊敬そんけいすべき人ひと」と呼よび(『テアイテトスTheaitētos』183e-184a)、その哲学てつがくとの格闘かくとうを生涯しょうがいの課題かだいとした。

核心かくしん理論りろん

1. 「あるものはある、ないものはない」── 存在そんざいの論理ろんり

パルメニデスParmenidēsの哲学てつがくの根幹こんかんは、DK 28B2に示しめされる二ふたつの道みちにある。女神めがみは若者わかものに告つげる。

"「探究たんきゅうのために思おもい浮うかべうる道みちは二ふたつだけ。一ひとつは〈ある〉、そして〈あらぬことは不可能ふかのう〉という道みち。これは確信かくしんの道みちである(真理しんりに従したがうゆえに)。もう一ひとつは〈あらぬ〉、そして〈あらぬことが必然ひつぜん〉という道みち。この道みちはまったく探究たんきゅうしえないことを私わたしは告つげる。」" 出典しゅってん:DK 28B2(プロクロスProklos『ティマイオスTimaios注解ちゅうかい』I.345.18に引用いんよう、およびシンプリキオスSimplikios『自然学しぜんがく注解ちゅうかい』116.28に引用いんよう)

第一だいいちの道みちは「あるものはあり、あらぬことはできない」、つまり存在そんざいの道みち。第二だいにの道みちは「あらぬものがあり、あらぬことが必然ひつぜんである」、つまり非存在ひそんざいの道みち。女神めがみは第二だいにの道みちを即座そくざに退しりぞける。なぜなら「あらぬもの」は認識にんしきすることも言語げんごで表現ひょうげんすることもできないからだ。「思惟しいすることと存在そんざいすることは同おなじである」(DK 28B3)。思考しこうしうるものは存在そんざいし、存在そんざいしないものは思考しこうしえない。

この原理げんりは単純たんじゅんに見みえるが、そこから導みちびかれる帰結きけつは衝撃しょうげき的てきである。変化へんかとは「あるもの」が「ないもの」になること、あるいは「ないもの」が「あるもの」になることだ。しかし「ないもの」は存在そんざいしえない。したがって変化へんかは不可能ふかのうである。感覚かんかくは変化へんかを報告ほうこくするが、理性りせいはそれを受うけ入いれない。この緊張きんちょうが、パルメニデスParmenidēs以降いこうの哲学てつがくを駆動くどうする原動げんどう力りょくとなった。

この論証ろんしょうの力ちからを具体ぐたい的てきに感かんじるために、一ひとつの思考しこう実験じっけんをしよう。「丸まるい四角形しかくけい」を想像そうぞうしてみよ。不可能ふかのうである。それは矛盾むじゅんした概念がいねんだから、思考しこうの対象たいしょうにすらなりえない。パルメニデスParmenidēsにとって「非存在ひそんざい」とはまさにこの種しゅの不可能ふかのう性せいである。「ないもの」を考かんがえるとは、「ない」ということを考かんがえる対象たいしょうとして措定そていすることであり、それはすでに「ある」と言いっていることになる。この自己じこ矛盾むじゅんが、パルメニデスParmenidēsの全ぜん論証ろんしょうの駆動くどう力りょくである。現代げんだいの論理ろんり学者がくしゃが「存在そんざい量化りょうか子し」をめぐって議論ぎろんするとき、その根底こんていにはパルメニデスParmenidēsが初はじめて明確めいかくにしたこの問題もんだいがある。

2. 存在そんざいの属性ぞくせい ── 不生ふしょう・不滅ふめつ・不動ふどう・一いつ・連続れんぞく

DK 28B8はパルメニデスParmenidēsの詩しで最もっとも長ながく残存ざんそんする断片だんぺんであり、存在そんざいの属性ぞくせいを厳密げんみつに演繹えんえきする。女神めがみは存在そんざいに以下いかの特徴とくちょうを帰きする。「不生ふしょうにして不滅ふめつ、全体ぜんたいとして一いつ、不動ふどうにして完全かんぜん」(DK 28B8.3-4)。

不生ふしょう:存在そんざいは生うまれない。もし生うまれたとすれば、何なにから生うまれたのか。非存在ひそんざいからか。しかし非存在ひそんざいは「ない」のだから、そこから何なにかが生うまれることはありえない。存在そんざいからか。しかしすでに「ある」ものから生うまれるとは何なにを意味いみするのか。それはすでに存在そんざいしている。「何なにがそれを駆かり立たてたのか。つまり無むから出発しゅっぱつして、早はやくあるいは遅おそく成長せいちょうするように?」(DK 28B8.6-7)。生成せいせいの時点じてんを仮定かていすること自体じたいが論理ろんり的てきに不整合ふせいごうなのだ。

不滅ふめつ:同おなじ論理ろんりにより、存在そんざいは消滅しょうめつしえない。消滅しょうめつとは「あるもの」が「ないもの」になることだが、「ないもの」は不可能ふかのうであるから、存在そんざいが滅ほろびることもない。

不動ふどう・不変ふへん:運動うんどうするためには「あるもの」が現在げんざいいない場所ばしょ、すなわち空虚くうきょ(非存在ひそんざい)が必要ひつようである。しかし空虚くうきょは「ないもの」であり、存在そんざいしない。したがって運動うんどうは不可能ふかのうである。「強大きょうだいな必然ひつぜんの絆きずなのなかに不動ふどうのまま留とどまっている」(DK 28B8.26)。

一いつ・連続れんぞく:存在そんざいが多たであるためには、存在そんざいと存在そんざいを隔へだてる何なにか、つまり非存在ひそんざいがなければならない。しかし非存在ひそんざいはありえない。よって存在そんざいは分割ぶんかつされず、連続れんぞく的てきで均質きんしつな一いつである。「存在そんざいは分割ぶんかつされない。なぜなら全体ぜんたいが等ひとしいのだから」(DK 28B8.22)。

時間じかん的てき完全かんぜん性せい:存在そんざいは「かつてあった」のでもなく「やがてあるだろう」のでもなく、「今いま、全体ぜんたいとして一いつにして連続れんぞくしてある」(DK 28B8.5-6)。過去かこと未来みらいは変化へんかを前提ぜんていとするが、変化へんかは不可能ふかのうであるから、存在そんざいは永遠えいえんの現在げんざいにある。

これらすべての属性ぞくせいを保証ほしょうするのが「必然ひつぜん」(アナンケーAnankē)の力ちからである。「強大きょうだいな必然ひつぜんの絆きずなのなかに」存在そんざいは保持ほじされる(DK 28B8.30-31)。必然ひつぜんとは外部がいぶから課かされる強制きょうせいではなく、論理ろんりそのものの内的ないてき拘束こうそく力りょくである。「あるものはある」という前提ぜんていから、存在そんざいの各かく属性ぞくせいが必然ひつぜん的てきに帰結きけつする。この演繹えんえき的てき構造こうぞうこそが、パルメニデスParmenidēsを単たんなる宣言せんげん者しゃではなく、西洋せいよう哲学てつがく史上しじょう最初さいしょの厳密げんみつな論証ろんしょう者しゃにしている。なお、「必然ひつぜん」「正義せいぎ(ディケーDikē)」「運命うんめい(モイラMoira)」が詩しの中なかでほぼ同義どうぎ的てきに用もちいられている点てんは注目ちゅうもくに値あたいする。論理ろんり的てき必然ひつぜん性せいが神話しんわ的てきな力ちからの名なで語かたられるという二重にじゅう性せいは、パルメニデスParmenidēsの詩し全体ぜんたいを貫つらぬく特徴とくちょうである。

断片だんぺんB8の末尾まつびで女神めがみは、存在そんざいを「巧たくみに丸まるめられた球きゅう(スファイラsphaira)の塊かたまりのように、中心ちゅうしんからあらゆる方向ほうこうに等ひとしい」(DK 28B8.43-44)と形容けいようする。これが物理ぶつり的てきな球体きゅうたいを意味いみするのか、完全かんぜん性せいの比喩ひゆなのかは議論ぎろんが分わかれるが、均質きんしつ性せいと完結かんけつ性せいを表あらわす比喩ひゆとして読よむのが主流しゅりゅうの解釈かいしゃくである。

3. 女神めがみの啓示けいじ ── 詩しの形式けいしきと哲学てつがくの方法ほうほう

パルメニデスParmenidēsの著作ちょさくは散文さんぶんではなく、ホメロスHomērosやヘシオドスHēsiodosと同おなじ六歩格ろくほかく韻文いんぶんで書かかれている。DK 28B1(序歌じょか、プロイミオンprooimion)では、若者わかものが馬車ばしゃに乗のり、太陽たいようの娘むすめたち(ヘリアデスHeliades)に導みちびかれて夜よると昼ひるの門もんを越こえ、名なもなき女神めがみのもとに至いたる。この旅たびは単たんなる文学ぶんがく的てき装飾そうしょくではない。馬車ばしゃの車軸しゃじくは車輪しゃりんの穴あなのなかで「笛ふえのように鳴なり響ひびき」(B1.7)、正義せいぎの女神めがみディケーDikēが夜よると昼ひるを分わかつ巨大きょだいな門もんの鍵かぎを持もつ門番もんばんとして立たちはだかる(B1.14)。ヘリアデスHeliadesがディケーDikēを説とき伏ふせて門もんが開ひらかれる。この場面ばめんは、真理しんりへの到達とうたつが論理ろんり的てき探究たんきゅう(ヘリアデスHeliadesの導みちびき)と正義せいぎ・秩序ちつじょ(ディケーDikēの許可きょか)の両方りょうほうを必要ひつようとすることを象徴しょうちょう的てきに語かたっている。

女神めがみは若者わかものに告つげる。「おまえは万事ばんじを学まなばねばならない。つまり真理しんり(アレーテイアAlētheia)の揺ゆるぎなき心臓しんぞうも、死しすべき者ものたちの思おもいなし(臆見おっけん)も。そこには真まことの確信かくしんはないのだが」(DK 28B1.28-30)。

なぜ哲学てつがく的てき論証ろんしょうを詩しの形式けいしきで書かいたのか。一ひとつには当時とうじの教訓きょうくん詩しの伝統でんとう(クセノファネスXenophanēsやその他たの先行者せんこうしゃも韻文いんぶんで哲学てつがくした)に連つらなる面めんがある。しかしより重要じゅうようなのは、女神めがみによる啓示けいじという枠組わくぐみが、真理しんりの超人間ちょうにんげん的てきな権威けんいを示しめすことだ。パルメニデスParmenidēsが述のべる真理しんりは個人こじんの意見いけんではなく、論理ろんりそのものが強制きょうせいする必然ひつぜん的てき帰結きけつである。この権威けんいを神かみ的てき啓示けいじの形式けいしきが裏打うらうちしている。

4. 三みっつの道みち ── 真理しんり・臆見おっけん・第三だいさんの道みち

DK 28B2で示しめされた二ふたつの道みちに加くわえ、DK 28B6では第三だいさんの道みちが退しりぞけられる。それは「あるものとあらぬものが同おなじであり、かつ同おなじでない」とする道みち、つまり存在そんざいと非存在ひそんざいを混同こんどうする「死しすべき者ものたち」の慣習かんしゅう的てきな道みちである(DK 28B6.4-9)。

この第三だいさんの道みちが誰だれを指さすのかは論争ろんそうがある。一いち部ぶの研究者けんきゅうしゃはヘラクレイトスHērakleitosを念頭ねんとうに置おいた批判ひはんと見みる。つまり対立たいりつするものが「同おなじ」だとするヘラクレイトスHērakleitosの主張しゅちょうは、まさに存在そんざいと非存在ひそんざいの区別くべつを曖昧あいまいにするものだからだ。別べつの解釈かいしゃくでは、これは一般いっぱんの人間にんげんの常識じょうしき的てき世界せかい観かん(変化へんかと多様たよう性せいを無反省むはんせいに受うけ入いれる態度たいど)への批判ひはんである。

いずれにせよ、女神めがみは厳格げんかくな二者にしゃ択一たくいつを要求ようきゅうする。「おまえはこの道みちから探究たんきゅうを遠とおざけよ。経験けいけんの習慣しゅうかんがおまえを強制きょうせいして目的もくてきのない目めと響ひびきの充みちた耳みみと舌したとをこの道みちに振ふり向むけることのないように。そうではなく、理性りせい(ロゴスlogos)によって、私わたしの語かたる多おおくの論争ろんそうに満みちた吟味ぎんみ(エレンコスelenchos)を判定はんていせよ」(DK 28B7.3-6)。感覚かんかくではなく理性りせいによって判断はんだんせよ。この要請ようせいは西洋せいよう合理ごうり主義しゅぎの原型げんけいである。

5. 臆見おっけんの部ぶ ── なぜパルメニデスParmenidēsは現象げんしょう世界せかいを語かたったのか

詩しの後半こうはん、「臆見おっけんの部ぶ」(ドクサDoxa)は、真理しんりの部ぶとは対照たいしょう的てきに、感覚かんかく世界せかいの多様たよう性せいを説明せつめいする宇宙うちゅう論ろんを展開てんかいする。女神めがみは二ふたつの形相けいそう、「光ひかり」(火ひ)と「夜よる」(闇やみ)を原理げんりとする宇宙うちゅう論ろんを提示ていじする(DK 28B8.53-61、DK 28B9)。

しかしなぜ、真理しんりの部ぶで変化へんかを否定ひていしたパルメニデスParmenidēsが、臆見おっけんの部ぶで現象げんしょう世界せかいの説明せつめいを試こころみたのか。これは古来こらい最大さいだいの解釈かいしゃく問題もんだいのひとつである。有力ゆうりょくな解釈かいしゃくは以下いかの通とおりだ。(1)死しすべき者ものたちの最善さいぜんの宇宙うちゅう論ろんを提示ていじすることで、感覚かんかく世界せかいの説明せつめいとしても誰だれにも劣おとらぬものを示しめす(女神めがみ自身じしんがDK 28B8.60-61でそう述のべる)。(2)感覚かんかく世界せかいの説明せつめいが持もつ構造こうぞう的てき欠陥けっかんを明あきらかにするための反面はんめん教師きょうし。(3)実践じっせん的てきな生せいにおいて感覚かんかく世界せかいを完全かんぜんに無視むしすることはできないという現実げんじつ的てき認識にんしき。

臆見おっけんの部ぶに残のこされた断片だんぺんは少すくないが、そこに描えがかれる宇宙うちゅう論ろんは独自どくじの興味きょうみを持もつ。女神めがみは二ふたつの形相けいそう、光ひかり(火ひ)と夜よる(闇やみ)の混合こんごうによって万物ばんぶつを説明せつめいする。宇宙うちゅうの中心ちゅうしんにはダイモーンdaimōn(神霊しんれい)がおり、万物ばんぶつの生成せいせいと混合こんごうを司つかさどる(DK 28B12)。天空てんくうは同心どうしん円状えんじょうの環わ(ステファナイstephanai)から構成こうせいされ、最もっとも外側そとがわの環わは火ひ、最もっとも内側うちがわの環わは夜よるであるとされた(アエティオスAetiosの証言しょうげん)。さらに注目ちゅうもくすべきは胎児たいじの性別せいべつ決定けっていに関かんする断片だんぺん(DK 28B17)で、右側みぎがわは男性だんせい、左側ひだりがわは女性じょせいに対応たいおうするという理論りろんが提示ていじされている。これらの断片だんぺんは、パルメニデスParmenidēsが当時とうじの自然しぜん学的がくてき知識ちしきにも通つうじていたことを示しめしており、臆見おっけんの部ぶが単たんなる否定ひてい的てき付録ふろくではなかったことを裏うらづけている。

臆見おっけんの部ぶの存在そんざいは、パルメニデスParmenidēsが単純たんじゅんな独断どくだん論者ろんしゃではなかったことを示しめしている。真理しんりと現象げんしょうの間あいだの緊張きんちょうをどう解消かいしょうするか。この課題かだいはプラトンPlatōnのイデアidea論ろん、アリストテレスAristotelēsの形相けいそう・質料しつりょう論ろん、さらにはカントKantの現象げんしょうと物自体ものじたいの区別くべつにまで連つらなる根本こんぽん問題もんだいとなった。

6. ヘラクレイトスHērakleitosとの対決たいけつ ── 変化へんか vs 不変ふへん

ヘラクレイトスHērakleitosは万物ばんぶつの流転るてんを説とき、変化へんかこそが実在じつざいの根本こんぽん相そうだと主張しゅちょうした。パルメニデスParmenidēsは真まっ向こうから対立たいりつする。変化へんかは論理ろんり的てきに不可能ふかのうであり、感覚かんかくが伝つたえる変化へんかは臆見おっけん(ドクサDoxa)にすぎない。

この対立たいりつは古代こだい哲学てつがくを二分にぶんした。変化へんかを認みとめるか、不変ふへんを認みとめるか。この二ふたつの極きょくのあいだで後のちの哲学者てつがくしゃたちはこの二ふたつの極きょくのあいだで格闘かくとうすることになる。エンペドクレスEmpedoklēsは四元素よんげんその結合けつごうと分離ぶんりで、アナクサゴラスAnaxagorasは無限むげんに多おおくの種子しゅし(スペルマタspermata)で、デモクリトスDēmokritosは原子げんしと空虚くうきょで、いずれもパルメニデスParmenidēsの論理ろんり的てき制約せいやくを回避かいひしつつ変化へんかを説明せつめいしようとした。プラトンPlatōnは不変ふへんのイデアidea界かいと流転るてんする感覚かんかく界かいを区別くべつすることで両者りょうしゃの統合とうごうを図はかった。アリストテレスAristotelēsは可能かのう態たい(デュナミスdynamis)と現実げんじつ態たい(エネルゲイアenergeia)の区別くべつによって、変化へんかが非存在ひそんざいからの生成せいせいではないことを示しめそうとした。

西洋せいよう形而上学けいじじょうがくの歴史れきしは、ある意味いみでパルメニデスParmenidēsが突つきつけた難問なんもんへの応答おうとうの歴史れきしである。

7. ゼノンZēnōnのパラドクスparadox ── 師しの擁護ようご

パルメニデスParmenidēsの弟子でしゼノンZēnōn(エレアEleaのゼノンZēnōn)は、師しの思想しそうを擁護ようごするために一連いちれんのパラドクスparadoxを考案こうあんした。多たと運動うんどうを認みとめると矛盾むじゅんが生しょうじることを示しめす。いわゆる帰謬法きびゅうほう(背理法はいりほう)である。

「アキレウスAchilleusと亀かめ」:足あしの速はやいアキレウスAchilleusは亀かめに追おいつけない。亀かめがいた地点ちてんに到達とうたつしたとき亀かめはさらに先さきへ進すすんでおり、この過程かていは無限むげんに繰くり返かえされる。「飛とぶ矢やは止とまっている」:矢やは各かく瞬間しゅんかんにおいて一定いっていの位置いちを占しめているが、一定いっていの位置いちを占しめるものは静止せいししている。したがって飛とぶ矢やは運動うんどうしていない(アリストテレスAristotelēs『自然学しぜんがく』VI.9, 239b30-33)。

さらに「二分法にぶんほう」(ディコトミアdichotomia)のパラドクスparadox:ある距離きょりを移動いどうするには、まずその半分はんぶんを移動いどうしなければならず、その半分はんぶんを移動いどうするにはさらにその半分はんぶんを、と無限むげんに続つづく。無限むげん個この区間くかんを有限ゆうげん時間じかんで通過つうかすることはできないから、運動うんどうは開始かいしすらできない。このパラドクスparadoxが厳密げんみつに解決かいけつされたのは19世紀せいきの数学すうがくにおいてである。コーシーCauchyやワイエルシュトラスWeierstraßによる極限きょくげん概念がいねんの精密せいみつ化かにより、無限むげん級数きゅうすう 1/2 + 1/4 + 1/8 + ... = 1 が厳密げんみつに証明しょうめいされた。無限むげん個この項こうの和わが有限ゆうげん値ちに収束しゅうそくしうるという数学すうがく的てき事実じじつは、ゼノンZēnōnの前提ぜんてい(無限むげん個この区間くかんを通過つうかするには無限むげんの時間じかんが必要ひつよう)を論駁ろんばくする。しかしこの数学すうがく的てき解決かいけつが哲学てつがく的てき問題もんだいを完全かんぜんに解消かいしょうしたかどうかは、なお議論ぎろんの余地よちがある。連続れんぞくと離散りさん、無限むげんと有限ゆうげんの関係かんけいは、現代げんだいの数理すうり哲学てつがくにおいても中心ちゅうしん的てきな問題もんだいであり続つづけている。

これらのパラドクスparadoxは単たんなる知的ちてき遊戯ゆうぎではない。連続れんぞくと離散りさん、無限むげん分割ぶんかつと運動うんどうの関係かんけいという根本こんぽん的てきな問題もんだいを提起ていきしており、極限きょくげんの概念がいねんが確立かくりつされる19世紀せいきの数学すうがくまで厳密げんみつな解決かいけつを待またねばならなかった。アリストテレスAristotelēsはゼノンZēnōnを「弁証法べんしょうほうの創始そうし者しゃ」と呼よんだ(ディオゲネス・ラエルティオスDiogenēs LaertiosIX.25によるアリストテレスAristotelēsの証言しょうげん)。

主要しゅよう著作ちょさくガイド

  • パルメニデスParmenidēs『自然しぜんについて』(ペリ・ピュセオースPeri Physeōs)── 唯一ゆいいつの著作ちょさく。六歩格ろくほかく韻文いんぶんによる教訓きょうくん詩し。序歌じょか(プロイミオンprooimion)・真理しんりの部ぶ(アレーテイアAlētheia)・臆見おっけんの部ぶ(ドクサDoxa)の三部さんぶ構成こうせい。DK 28B断片だんぺんとして伝存でんそん。
  • ディールスDiels=クランツKranz『ソクラテスSōkratēs以前いぜんの哲学者てつがくしゃ断片だんぺん集しゅう』(DK)── パルメニデスParmenidēsは28番ばん。断片だんぺん研究けんきゅうの基本きほん文献ぶんけん。
  • ギャロップGallop, Davidデイヴィッド. Parmenides of Elea: Fragmentsパルメニデス・オブ・エレア:フラグメンツ(1984)── ギリシャGreece語ご原文げんぶん・英訳えいやく・注釈ちゅうしゃくつきの標準ひょうじゅん的てき入門にゅうもん書しょ。
  • コクソンCoxon, A.H. The Fragments of Parmenidesザ・フラグメンツ・オブ・パルメニデス(1986, rev. ed. 2009)── 断片だんぺんの詳細しょうさいな校訂こうていと注釈ちゅうしゃく。研究者けんきゅうしゃ向むけの決定けってい版ばん。
  • 内山うちやま勝利かつとし編へん『ソクラテスSōkratēs以前いぜん哲学者てつがくしゃ断片だんぺん集しゅう』第だいII巻かん(岩波いわなみ書店しょてん、1997年ねん)── DK断片だんぺんの邦訳ほうやく。
  • プラトンPlatōn『パルメニデスParmenidēs』── パルメニデスParmenidēsと若わかきソクラテスSōkratēsの対話たいわ。一いつと多たの問題もんだいをめぐる高度こうどな弁証法べんしょうほう的てき訓練くんれん。
  • プラトンPlatōn『ソフィストSophistēs』── パルメニデスParmenidēsの「非存在ひそんざいは語かたれない」という原則げんそくを乗のり越こえようとする試こころみ(「父ちち殺ごろし」の比喩ひゆ)。

主要しゅような批判ひはんと論争ろんそう

1. プラトンPlatōnの「父ちち殺ごろし」:プラトンPlatōnは『ソフィストSophistēs』(241d)で、パルメニデスParmenidēsの非存在ひそんざい否定ひていを乗のり越こえる必要ひつようを論ろんじた。虚偽きょぎや誤謬ごびゅうが存在そんざいするためには、「あらぬもの」がある意味いみで「ある」と言いえなければならない。プラトンPlatōnはこれを「父ちちなるパルメニデスParmenidēsに対たいする父ちち殺ごろし」と呼よび、「あらぬ」を「異ことなる」(ヘテロンheteron)と再定義さいていぎすることで解決かいけつを図はかった。非存在ひそんざいは絶対的ぜったいてきな「無む」ではなく、或あるものとは「異ことなるもの」である。この転換てんかんは西洋せいよう存在そんざい論ろんの決定けってい的てき転機てんきとなった。

2. アリストテレスAristotelēsの批判ひはん:アリストテレスAristotelēsは『自然学しぜんがく』第だいI巻かんでパルメニデスParmenidēsの論理ろんりを詳細しょうさいに検討けんとうした。彼かれの批判ひはんの核心かくしんは、「ある」には多義たぎ性せいがあるということだ。パルメニデスParmenidēsは「ある」を一義いちぎ的てきに扱あつかったが、実際じっさいには「ある」は実体じったい・性質せいしつ・量りょう・場所ばしょなど多おおくの範疇はんちゅうで語かたられる(『形而上学Metaphysica』I.5, 986b22-987a2)。変化へんかは無むからの生成せいせいではなく、可能かのう態たいから現実げんじつ態たいへの移行いこうである。この解答かいとうはパルメニデスParmenidēsの論理ろんりを正面しょうめんから受うけ止とめたうえでの乗のり越こえであった。

3. 原子論者げんしろんしゃの応答おうとう:レウキッポスLeukipposとデモクリトスDēmokritosは、パルメニデスParmenidēsが否定ひていした空虚くうきょ(ケノンkenon)を積極せっきょく的てきに導入どうにゅうした。原子げんしはそれぞれパルメニデスParmenidēs的てきな「存在そんざい」(不生ふしょう・不滅ふめつ・不変ふへん)であるが、空虚くうきょの中なかを運動うんどうし結合けつごう・分離ぶんりすることで変化へんかが生しょうじる。これはパルメニデスParmenidēsの原理げんりを部分ぶぶん的てきに受容じゅようしつつ、「非存在ひそんざい」(空虚くうきょ)にも一種いっしゅの実在じつざい性せいを認みとめる巧妙こうみょうな回答かいとうであった。

4. 現代げんだいの解釈かいしゃく論争ろんそう:現代げんだいの研究けんきゅうでは、パルメニデスParmenidēsの「ある」(エスティンestin)の解釈かいしゃくをめぐって激はげしい論争ろんそうが続つづいている。存在そんざい論ろん的てき読解どっかい(「存在そんざいする」)、述語じゅつご的てき読解どっかい(「……である」)、真理しんり的てき読解どっかい(「真しんである」)の三みっつの立場たちばがあり、それぞれパルメニデスParmenidēsの論証ろんしょうの意味いみを大おおきく変かえる。オーウェンOwen(1960)、ムーアラトスMourelatos(1970)、カードCurd(1998)らの研究けんきゅうがこの議論ぎろんを牽引けんいんしている。

5. ゴルギアスGorgiasの『非存在ひそんざいについて』:ソフィストSophistēsのゴルギアスGorgiasは『非存在ひそんざいについて、あるいは自然しぜんについて』(ペリ・トゥ・メー・オントスPeri tou mē ontos)で、パルメニデスParmenidēsの論法ろんぽうをパロディparody的てきに転用てんようした。ゴルギアスGorgiasは三みっつの命題めいだいを「論証ろんしょう」する。(1)何なにも存在そんざいしない、(2)たとえ存在そんざいしても認識にんしきできない、(3)たとえ認識にんしきできても他者たしゃに伝達でんたつできない。これはパルメニデスParmenidēsの「あるものはある」を裏返うらがえし、同おなじ論理ろんり的てき構造こうぞうで正反対せいはんたいの結論けつろんを導みちびくレトリカルrhetoricalな試こころみであった。ゴルギアスGorgiasの意図いとが純粋じゅんすいな哲学てつがく的てき反論はんろんか修辞しゅうじ術じゅつの誇示こじかは議論ぎろんがあるが、パルメニデスParmenidēsの論証ろんしょうが持もつ形式けいしき的てきな力ちから(前提ぜんていを変かえれば結論けつろんも逆転ぎゃくてんする)を逆説ぎゃくせつ的てきに証明しょうめいした点てんで重要じゅうようである。

影響えいきょうと遺産いさん

エレアElea学派がくは:パルメニデスParmenidēsはエレアElea学派がくはの創始そうし者しゃとされる。弟子でしのゼノンZēnōnは運動うんどうと多たのパラドクスparadoxで師しの思想しそうを防衛ぼうえいし、メリッソスMelissos(サモスSamosのメリッソスMelissos)は存在そんざいを無限むげんと主張しゅちょうして議論ぎろんをさらに展開てんかいした。

プラトンPlatōn:プラトンPlatōnの哲学てつがくはパルメニデスParmenidēsなしには考かんがえられない。不変ふへんのイデアidea界かいはパルメニデスParmenidēs的てき「存在そんざい」の哲学てつがく的てき展開てんかいであり、感覚かんかく世界せかいは臆見おっけんの領域りょういきに対応たいおうする。『パルメニデスParmenidēs』『ソフィストSophistēs』『テアイテトスTheaitētos』など、晩年ばんねんの主要しゅような対話篇たいわへんはいずれもパルメニデスParmenidēsとの対話たいわである。

アリストテレスAristotelēs:アリストテレスAristotelēsの形而上学けいじじょうがく(存在そんざいの多義たぎ性せい、可能かのう態たいと現実げんじつ態たいの区別くべつ、範疇はんちゅう論ろん)はパルメニデスParmenidēsの問といへの応答おうとうとして構築こうちくされた。

中世ちゅうせい・近代きんだい:パルメニデスParmenidēsの影響えいきょうは新しんプラトンPlatōn主義しゅぎを通つうじて中世ちゅうせい神学しんがくにも浸透しんとうした。神かみを最高さいこうの「存在そんざい」として捉とらえる存在そんざい神学しんがく(オントテオロギーOntotheologie)の系譜けいふは、パルメニデスParmenidēsに遡さかのぼることができる。

ハイデガーHeidegger:ハイデガーHeideggerはパルメニデスParmenidēsを西洋せいよう形而上学けいじじょうがくの「始原しげん」(アンファングAnfang)として読よみ返かえした。1942-43年ねんの講義こうぎ『パルメニデスParmenidēs』(GA 54)では、アレーテイアAlētheia(真理しんり)を「非隠蔽性ひいんぺいせい」として解釈かいしゃくし、存在そんざいの開示かいじと隠蔽いんぺいの二重にじゅう運動うんどうを読よみ取とった。ハイデガーHeideggerにとってパルメニデスParmenidēsは、西洋せいようが忘却ぼうきゃくした「存在そんざいの問とい」を最初さいしょに、そして最もっとも根源こんげん的てきに、思考しこうした哲学者てつがくしゃであった。

近代きんだい合理ごうり主義しゅぎ:パルメニデスParmenidēsの「思考しこうしうるものは存在そんざいする」という原理げんりは、近代きんだいの合理ごうり主義しゅぎにも反響はんきょうしている。デカルトDescartesの「われ思おもう、ゆえにわれあり」は思考しこうと存在そんざいの不可分ふかぶんを個人こじんの意識いしきにおいて再発見さいはっけんしたものであり、スピノザSpinozaの『エティカEthica』における唯一ゆいいつの実体じったい(神かみ即すなわち自然しぜん)は、パルメニデスParmenidēs的てきな一者いっしゃの近代きんだい的てき変奏へんそうと読よむことができる。ライプニッツLeibnizの「なぜ何なにもないのではなく何なにかがあるのか」という問といもまた、パルメニデスParmenidēsが切きり開ひらいた存在そんざいと無むの問題もんだい圏けんに属ぞくする。純粋じゅんすいな理性りせいのみによって実在じつざいの構造こうぞうを解明かいめいしようとする合理ごうり主義しゅぎの伝統でんとうは、パルメニデスParmenidēsに源流げんりゅうを持もつ。

現代げんだいへの接続せつぞく

第一だいいちに、論理ろんりと実在じつざいの関係かんけい。パルメニデスParmenidēsは論理ろんり的てきに不可能ふかのうなことは現実げんじつにも不可能ふかのうだと考かんがえた。現代げんだいの分析ぶんせき哲学てつがくにおける様相ようそう論理学ろんりがく(「可能かのう」「必然ひつぜん」「不可能ふかのう」の論理ろんり)は、パルメニデスParmenidēsが初はじめて明示めいじ的てきに用もちいた概念がいねん装置そうちの精緻せいち化かである。論理ろんりは世界せかいの構造こうぞうを反映はんえいしているのか、それとも人間にんげんの思考しこうの限界げんかいを示しめしているにすぎないのか。この問といは今いまなお開ひらかれたままである。

第二だいにに、存在そんざいと無むの問題もんだい。現代げんだい物理学ぶつりがくの宇宙うちゅう論ろんは「なぜ何なにもないのではなく何なにかがあるのか」という問といに直面ちょくめんする。量子りょうし力学りきがくにおける真空しんくうは完全かんぜんな「無む」ではなく量子りょうし揺ゆらぎに満みちている。パルメニデスParmenidēsが指摘してきした「無むから何なにも生うまれない」(ex nihilo nihil fitエクス・ニヒロー・ニヒル・フィト)という原則げんそくは、現代げんだい物理学ぶつりがくにおいても形かたちを変かえて問とわれ続つづけている。

第三だいさんに、感覚かんかくと理性りせいの対立たいりつ。現代げんだいの認知にんち科学かがくは、人間にんげんの知覚ちかくが多おおくの錯覚さっかくやバイアスbiasを含ふくむことを明あきらかにしている。パルメニデスParmenidēsの「感覚かんかくを信しんじるな、理性りせいで判断はんだんせよ」という要請ようせいは、科学かがく的てき方法ほうほうの基本きほん姿勢しせいと通底つうていする。特殊とくしゅ相対そうたい性せい理論りろん(直観ちょっかんに反はんする時空じくうの構造こうぞうが論理ろんりと実験じっけんによって確認かくにんされる)は、まさにパルメニデスParmenidēs的てきな精神せいしんの現代げんだい版ばんともいえる。

第四だいよんに、形式けいしき体系たいけいの力ちからと限界げんかい。パルメニデスParmenidēsは論理ろんりの力ちからを極限きょくげんまで信頼しんらいした。しかし20世紀せいきのゲーデルGödelは、十分じゅうぶんに強力きょうりょくな形式けいしき体系たいけいには証明しょうめいも反証はんしょうもできない命題めいだいが存在そんざいすることを示しめした(不完全ふかんぜん性せい定理ていり、1931年ねん)。論理ろんりだけでは真理しんりのすべてに到達とうたつできない。この帰結きけつはパルメニデスParmenidēsの楽観らっかんを根底こんていから揺ゆさぶる。現代げんだいのAIもまた、形式けいしき的てき推論すいろんの卓越たくえつした遂行すいこう者しゃでありながら、「意味いみ」や「存在そんざい」を本当ほんとうに理解りかいしているかどうかは問とわれ続つづけている。パルメニデスParmenidēsが切きり開ひらいた「思考しこうと存在そんざいは同おなじか」という問といは、AIの哲学てつがくにおいてかつてないほどの切実せつじつさを帯おびている。

読者どくしゃへの問とい

  • 変化へんかは本当ほんとうに実在じつざいするのか。それとも変化へんかの感覚かんかくは人間にんげんの認知にんちが生うみ出だす見みかけにすぎないのか。物理学ぶつりがくの「ブロックblock宇宙うちゅう」説せつ(過去かこ・現在げんざい・未来みらいが等ひとしく実在じつざいする)をパルメニデスParmenidēsはどう評価ひょうかするだろうか。
  • 「無む」について語かたることは可能かのうか。「無むは存在そんざいしない」と言いう瞬間しゅんかん、私わたしたちは何なにかを思考しこうの対象たいしょうにしているのではないか。この言語げんごのパラドクスparadoxをどう考かんがえるか。
  • 科学かがくが常識じょうしきに反はんする結論けつろんを導みちびくとき(時間じかんの遅おくれ、波動はどうと粒子りゅうしの二重にじゅう性せい)、私わたしたちは感覚かんかくと理性りせいのどちらを信しんじるべきか。パルメニデスParmenidēsの態度たいどは現代げんだいの科学かがく的てき実在じつざい論ろんにどこまで通つうじるか。

名言めいげん(出典しゅってんつき)

"「あるということ、そしてあらぬことが不可能ふかのうであるということ──これが確信かくしんの道みちである(真理しんりに従したがうゆえに)。」" 出典しゅってん:DK 28B2.3-4(プロクロスProklos『ティマイオスTimaios注解ちゅうかい』I.345.18に引用いんよう)/原文げんぶん:"ἡ μὲν ὅπως ἔστιν τε καὶ ὡς οὐκ ἔστι μὴ εἶναι, Πειθοῦς ἐστι κέλευθος (Ἀληθείῃ γὰρ ὀπηδεῖ)"
"「思惟しいすることと存在そんざいすることは同おなじである。」" 出典しゅってん:DK 28B3(クレメンスKlēmens『ストロマテイスStrōmateis』VI.23、およびプロティノスPlōtinosV.1.8に引用いんよう)/原文げんぶん:"τὸ γὰρ αὐτὸ νοεῖν ἐστίν τε καὶ εἶναι"
"「あるものは不生ふしょうにして不滅ふめつである。なぜなら全体ぜんたいとして一いつであり、不動ふどうにして完全かんぜんであるからだ。」" 出典しゅってん:DK 28B8.3-4(シンプリキオスSimplikios『自然学しぜんがく注解ちゅうかい』145.1に引用いんよう)/原文げんぶん:"ἀγένητον ἐὸν καὶ ἀνώλεθρόν ἐστιν, ἐστι γὰρ οὐλομελές τε καὶ ἀτρεμὲς ἠδ' ἀτέλεστον"
"「あらぬものを認識にんしきすることはできない──それは成就じょうじゅしえない──、また語かたることもできない。」" 出典しゅってん:DK 28B2.7-8(プロクロスProklos『ティマイオスTimaios注解ちゅうかい』I.345.18に引用いんよう)/原文げんぶん:"οὔτε γὰρ ἂν γνοίης τό γε μὴ ἐὸν (οὐ γὰρ ἀνυστόν) οὔτε φράσαις"
"「理性りせいによって、私わたしの語かたる多おおくの論争ろんそうに満みちた吟味ぎんみを判定はんていせよ。」" 出典しゅってん:DK 28B7.5-6(プラトンPlatōn『ソフィストSophistēs』237a、セクストス・エンペイリコスSextos Empeirikos『学者がくしゃたちへの論駁ろんばく』VII.111に引用いんよう)/原文げんぶん:"ἀλλὰ σὺ τῆσδ' ἀφ' ὁδοῦ διζήσιος εἶργε νόημα ... κρῖναι δὲ λόγῳ πολύδηριν ἔλεγχον"

参考さんこう文献ぶんけん

  • (原典げんてん資料しりょう):Dielsディールス, H. & Kranzクランツ, W. Die Fragmente der Vorsokratikerディー・フラグメンテ・デア・フォアゾクラティカー, 6th ed.第6版, 1951.(DK 28B断片だんぺん)── 先せんソクラテスSōkratēs期き断片だんぺん集しゅうの標準ひょうじゅん版ばん
  • (原典げんてん資料しりょう):Coxonコクソン, A.H. The Fragments of Parmenidesザ・フラグメンツ・オブ・パルメニデス. Rev. ed., Las Vegasラスベガス: Parmenides Publishingパルメニデス・パブリッシング, 2009.── 断片だんぺんの決定けってい的てき校訂こうてい・注釈ちゅうしゃく
  • (研究けんきゅう書しょ):Gallopギャロップ, Davidデイヴィッド. Parmenides of Elea: Fragmentsパルメニデス・オブ・エレア:フラグメンツ. Torontoトロント UPユニバーシティ・プレス, 1984.── ギリシャGreece語ご原文げんぶん・英訳えいやく・注釈ちゅうしゃくつきの標準ひょうじゅん的てき入門にゅうもん
  • (研究けんきゅう書しょ):Kirkカーク, G.S., Ravenレイヴン, J.E. & Schofieldスコフィールド, M. The Presocratic Philosophersザ・プレソクラティック・フィロソファーズ. 2nd ed., Cambridgeケンブリッジ UPユニバーシティ・プレス, 1983.── 先せんソクラテスSōkratēs期き全体ぜんたいの標準ひょうじゅん概説がいせつ
  • (研究けんきゅう書しょ):Mourelatosムーアラトス, Alexander P.D.アレクサンダー・P.D. The Route of Parmenidesザ・ルート・オブ・パルメニデス. Rev. ed., Las Vegasラスベガス: Parmenides Publishingパルメニデス・パブリッシング, 2008.── パルメニデスParmenidēsの詩しの構造こうぞうと論理ろんりの分析ぶんせき
  • (研究けんきゅう書しょ):Curdカード, Patriciaパトリシア. The Legacy of Parmenidesザ・レガシー・オブ・パルメニデス. Las Vegasラスベガス: Parmenides Publishingパルメニデス・パブリッシング, 2004.── 「述語じゅつご一元論いちげんろん」解釈かいしゃくの主著しゅちょ
  • (邦語ほうご文献ぶんけん):内山うちやま勝利かつとし編へん『ソクラテスSōkratēs以前いぜん哲学者てつがくしゃ断片だんぺん集しゅう』第だいII巻かん、岩波いわなみ書店しょてん、1997年ねん。── DK断片だんぺん集しゅうの邦訳ほうやく
  • (研究けんきゅう書しょ):Heideggerハイデガー, Martinマルティン. Parmenidesパルメニデス (GA 54). Klostermannクロスターマン, 1982.── パルメニデスParmenidēsをめぐる講義こうぎ録ろく
  • (研究けんきゅう書しょ):Palmerパーマー, Johnジョン. Parmenides and Presocratic Philosophyパルメニデス・アンド・プレソクラティック・フィロソフィー. Oxfordオックスフォード UPユニバーシティ・プレス, 2009.── パルメニデスParmenidēsの断片だんぺんをプレソクラティクスPresocratic哲学てつがく全体ぜんたいのなかに位置いちづける包括ほうかつ的てき研究けんきゅう
  • (概説がいせつ):Stanford Encyclopedia of Philosophyスタンフォード・エンサイクロペディア・オブ・フィロソフィー, "Parmenidesパルメニデス" (John Palmerジョン・パーマー). https://plato.stanford.edu/entries/parmenides/