「甘いも苦いも慣習により、熱いも冷たいも慣習により、色も慣習による。真にあるのは原子と空虚のみ。」。この一文は、紀元前5世紀のギリシャ哲学者デモクリトスのものである。私たちが日常感じる色や味、温度は主観の産物にすぎず、世界の真の姿は目に見えない極小の粒子とその隙間だけで成り立つ。この大胆な主張は、2400年以上前に唱えられたものでありながら、近代科学の物質観を驚くほど先取りしている。
デモクリトスは古代において「笑う哲学者」(ゲラシノス)と呼ばれた(セネカ『心の平静について』XV.2)。人間の愚かさを嘆いて泣いたヘラクレイトスとは対照的に、デモクリトスは世の営みを笑い飛ばした。「泣く哲学者」と「笑う哲学者」の対はルネサンス期の絵画にまで繰り返し描かれた有名な図像である。だがその笑いの奥には、世界を最小の構成要素にまで分解し、そこから万物(宇宙も魂も知覚も)を再構成しようとする壮大な知的企図があった。事実、トラシュロスの目録に記された彼の著作は70以上にのぼり、物理学・数学・倫理学・天文学・音楽・医学・農業・絵画技法にまで及ぶ。古代世界において最も百科全書的な知性のひとりであった。
デモクリトスの原子論は、パルメニデスが突きつけた哲学史上最大の難問(「あるものはあり、ないものはない。ゆえに変化は不可能である」)への応答であった。原子はそれぞれ不生・不滅・不変であり、パルメニデス的な「存在」の条件を満たす。しかし原子と原子のあいだには空虚(パルメニデスが否定した「ないもの」)が実在する。空虚があるからこそ原子は運動でき、結合と分離によって万物の生成と消滅が説明される。この巧妙な解決は、古代唯物論の頂点であると同時に、近代科学の萌芽でもあった。
本記事では、現存する断片と後世の証言(DK 68)を手がかりに、デモクリトスの原子論の論理(原子と空虚の存在論、知覚と認識の理論、倫理思想)を解き明かし、この哲学者の問いが現代にどう響くかを追う。
この記事の要点
- 原子と空虚:デモクリトスは万物を不可分の極小粒子(アトモン=原子)と空虚(ケノン)から説明した。原子は形状・大きさ・配列のみが異なり、その結合と分離で万物の生成・消滅が起こる。パルメニデスが否定した空虚を大胆に導入し、変化と多様性を合理的に説明した点が画期的である。
- 感覚の主観性と認識の二重構造:色・味・温度などの感覚的性質は慣習(ノモス)にすぎず、真に実在するのは原子と空虚だけである。感覚は「暗い認識」、理性は「真正な認識」と呼ばれ、近代の第一性質・第二性質の区別を先取りする。
- エウテュミア(魂の平静):デモクリトスは自然哲学にとどまらず、倫理学においても独自の立場を築いた。快楽の過剰ではなく節度ある喜び、つまり魂の平静(エウテュミア)を善き生の目標とした。この思想は後のエピクロスの快楽主義(アタラクシア)に直接つながる。
生涯と時代背景
デモクリトスは紀元前460年頃、トラキアの植民都市アブデラに生まれた。アブデラはギリシャ本土では田舎町と見なされがちだったが、ソフィストのプロタゴラスも同じアブデラの出身であり、知的に活発な都市であったことがうかがえる。ディオゲネス・ラエルティオス(『哲学者列伝』IX.34-49)によれば、デモクリトスは裕福な家に生まれ、父の遺産を使い果たして各地を遊学したという。
伝承によれば、デモクリトスはエジプト、ペルシア、さらにはインドにまで旅したとされる(ディオゲネス・ラエルティオスIX.35)。旅行の範囲についてはかなりの誇張があると見られるが、彼が広範な知識を持ち多くの知的伝統に触れていたことは確かである。彼自身、「私は同時代の人間のうちで最も多くの土地を巡り、最も遠くを探究した」(DK 68B299)と語っている。
デモクリトスの師はレウキッポスである。原子論を最初に創始したのはレウキッポスであり、デモクリトスはそれを体系的に発展させた。アリストテレスは両者をほぼ一体として扱っているが(『生成消滅論』I.8, 325a-b)、デモクリトスは認識論・倫理学・宇宙論にまで原子論を拡張した点で、師を大きく超える。レウキッポスについてはほとんど何も知られておらず、エピクロスは彼の実在すら疑ったとされるが(ディオゲネス・ラエルティオスX.13)、現在の研究では歴史的実在は広く認められている。
デモクリトスの著作は古代において膨大であった。トラシュロスによる著作目録は四部作(テトラロギア)に編成された70以上の著作を列挙しており(ディオゲネス・ラエルティオスIX.46-49)、物理学・数学・倫理学・文学・技術論まで多岐にわたる。キケロはデモクリトスの文体を「明晰にして美しい」と称え(『神々の本性について』I.120)、ディオゲネス・ラエルティオスも彼の散文がプラトンに匹敵する評価を受けていたことを記している(IX.49)。しかし著作は完全な形では一つも残っていない。現在伝わるのは後世の著作家たちが引用した断片と証言のみである(DK 68)。
デモクリトスが活動した時代は、ペリクレス時代のアテナイの全盛期からペロポネソス戦争(紀元前431〜404年)の激動期にあたる。同時代にはソクラテスがいたが、プラトンの対話篇にはデモクリトスへの直接の言及がない。ディオゲネス・ラエルティオスは、プラトンがデモクリトスの著作をすべて焼き払おうとしたが、ピタゴラス派の友人たちに止められたという逸話を伝えている(IX.40)。この逸話の信憑性はともかく、唯物論とイデア論という根本的な対立が両者のあいだにあったことは確かである。
デモクリトスは長寿であったと伝えられ、紀元前360年頃に90歳以上で没したとされる(諸説あり、100歳以上とする伝承もある)。
ミニ年表
- 紀元前500年頃:レウキッポスの生年(推定)。原子論を創始
- 紀元前490年頃:エンペドクレス・アナクサゴラスの活動期
- 紀元前460年頃:デモクリトス、アブデラに生まれる
- 紀元前450〜430年頃:レウキッポスに師事。原子論を継承・発展
- 紀元前440〜420年頃:エジプト・ペルシアなどへの遊学(伝承)
- 紀元前431年:ペロポネソス戦争の開始
- 紀元前420〜400年頃:主要著作の執筆(推定)。『大世界秩序』『小世界秩序』など
- 紀元前399年:ソクラテスの死
- 紀元前360年頃:デモクリトス、没(推定。90歳以上)
この哲学者は何を問うたのか
パルメニデスの論証は、変化も運動も多様性も論理的に不可能であると宣言した。存在は一であり、不動であり、不変である。しかし私たちの眼前には、絶えず変化し動く世界が広がっている。パルメニデス以降の哲学者たちは、この理論と現実の乖離をどう解消するかという難問に取り組んだ。
エンペドクレスは四元素(土・水・火・空気)の結合と分離で変化を説明し、アナクサゴラスは無限に多くの種子(スペルマタ)とヌース(知性)を導入した。デモクリトスの解答はもっとも徹底的であった。彼は問うた。存在の最小単位は何か、それらはいかにして多様な世界を生み出すのか、そして私たちは感覚を通じてそれをどこまで正確に知りうるのか。
デモクリトスの独創性は、パルメニデスの論理を正面から受け入れつつ、「非存在」にあたる空虚にも一種の実在性を認めた点にある。「あるものは何もないもの(ケノン=空虚)よりもいっそう存在するわけではない」(アリストテレス『形而上学』I.4, 985b4-10の報告)。この一言は、存在と非存在の二元論を打ち破る革命的な転換であった。
核心理論
1. 原子(アトモン)── 分割されえないもの
原子論の根幹は次の命題にある。物体を分割し続ければ、いつか分割しえない最小の単位に到達する。それが原子(アトモン、ギリシャ語で「切れないもの」の意)である。原子は不生・不滅・不変であり、内部に空虚を含まない充実体(ナストン=「充ちたもの」)である。
なぜ分割が無限に続かないと考えたのか。アリストテレスの報告(『生成消滅論』I.2, 316a-317a)によれば、もし物体がどこまでも分割可能なら、最終的には「大きさをもたない点」に行き着く。しかし大きさのない点をいくら集めても大きさのある物体は構成できない。したがって物体には分割の下限(原子)がなければならない。これは物理的分割の限界であると同時に、論理的必然でもある。
原子は無限に多く存在し、無限の空虚のなかを永遠に運動する。原子どうしが衝突し、形状が噛み合えば結合し、合わなければ弾き飛ばされる。私たちが「生成」と呼ぶものは原子の結合であり、「消滅」とは原子の分離にほかならない。原子自体は何も変化しない。変化するのはその集合と配列だけである。
2. 空虚(ケノン)── 非存在の復権
パルメニデスは空虚=非存在を論理的に不可能として退けた。しかしレウキッポスとデモクリトスは、空虚なしには運動が説明できないことを根拠に、空虚にも存在を認めた。アリストテレスはこれを次のように報告する。「充実体(ト・プレーレス)と空虚(ト・ケノン)をそれぞれ存在と非存在と呼び、存在は非存在よりもいっそうは存在しないと言う」(『形而上学』I.4, 985b4-10)。
これは大胆な存在論的転換である。「ないもの」が「ある」。つまり空虚は何も含まないが、「ある」のだ。原子が運動するための場として空虚は不可欠であり、原子と同等の存在論的地位を持つ。近代物理学における真空の概念(何もない空間ではなく場としての真空)は、この古代の直観の遠い反響である。
3. 原子の差異 ── 形状・配列・向き
アリストテレスは原子の差異を三つの観点から整理している(『形而上学』I.4, 985b13-19)。(1)形状(リュスモス):AとNのように形が異なる。(2)配列(ディアティゲー):ANとNAのように順序が異なる。(3)向き(トロペー):Nを回転させるとZになるように向きが異なる。
この比喩は注目に値する。アルファベットの文字は少数だが、その組み合わせで無限の文章が生まれるように、限られた種類の原子の形状・配列・向きの組み合わせが万物の多様性を生む。原子には色も味も温度もない。これらの性質は原子の集合体が私たちの感覚器官に作用するとき、初めて生じる主観的な経験にすぎない。
原子の大きさについても注意が必要である。原子は通常目に見えないほど微小だが、デモクリトスは原子の大きさに上限を設けなかったという証言もある(ディオゲネス・ラエルティオスIX.44、アエティオスI.12.6)。また、原子に重さ(バロス)があるかどうかは学者のあいだで論争がある。アリストテレスは原子に重さを帰しているが(『生成消滅論』I.8, 326a9-10)、別の解釈では原子の重さは集合体のレベルで初めて生じるとも読める。いずれにせよ、原子に帰せられる性質は純粋に幾何学的・力学的なものに限られており、この禁欲的な存在論が近代科学の数学的自然観を先取りしている。
4. 感覚と認識 ── 「暗い認識」と「真正な認識」
デモクリトスは認識を二種に分けた。「認識には二つの形がある。一つは真正な(グネーシエー)認識、もう一つは暗い(スコティエー)認識」(DK 68B11)。暗い認識とは視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚(五感)による認識であり、真正な認識とは理性による認識である。
感覚の仕組みについて、デモクリトスは独自の理論を展開した。物体の表面からは絶えず薄い膜(エイドラ)が流出し、これが感覚器官に到達することで知覚が成立する(テオプラストス『感覚について』49-83の報告)。視覚はこの像が空気を介して目に入ることで生じ、味覚は原子の形状が舌に作用することで生じる。丸い原子は甘く、角ばった原子は苦い。
しかしここに認識論的な難問が浮上する。もし感覚が慣習にすぎないなら、原子と空虚の存在を知る手段も結局は感覚に依存しているのではないか。デモクリトス自身がこの困難を自覚していたことは、有名な断片が示している。感覚が理性に向かって言う。「哀れなる理性よ、おまえは私たちから証拠を受け取りながら、私たちを打ち倒そうとするのか。おまえの勝利はおまえ自身の転落であるぞ」(DK 68B125)。感覚なしに理性は働けない。この自覚は、近代経験論の問題意識を先取りするものである。
5. 宇宙論 ── 無限の世界と機械論的必然
原子は無限の空虚のなかを永遠に運動している。この運動には始まりがなく、外部からの原因も必要としない。原子は衝突と反発を繰り返し、やがて渦(ディネー)を形成する。渦のなかでは「似たものが似たもののところへ集まる」原理が働き──ちょうど篩で穀物を振るうと同じ大きさの粒が集まるように(DK 68B164の比喩)──重い原子は中心に、軽い原子は周辺に移動し、大地・海・天体が生じる(ディオゲネス・ラエルティオスIX.31-33の報告)。レウキッポスは言った──「いかなるものも無意味に生じはしない。すべてはロゴスに基づき必然によって生じる」(DK 67B2)。デモクリトスはこの徹底した機械論的決定論を継承した。
さらに注目すべきは、デモクリトスが無限に多くの世界(コスモイ)の存在を主張した点である(ヒッポリュトス『全異端反駁』I.13の報告)。原子と空虚が無限であるならば、原子の結合パターンも無限であり、私たちの世界と同じような世界、あるいは全く異なる世界が無限に存在しうる。この発想は、現代宇宙論における多宇宙(マルチバース)仮説を想起させる。
ただしデモクリトスの宇宙論には目的論がない。アナクサゴラスがヌース(知性)を宇宙の秩序の原因としたのに対し、デモクリトスは純粋に機械論的な説明で一貫した。目的や設計を持たない原子の運動が、結果的に秩序ある世界を生み出す──この見方は、近代科学の方法論に通底する。
6. 文明起源論 ── 神なき人類史
デモクリトスは原子論の枠組みで人類文明の発展をも説明した。ディオドロス・シクルス(『歴史叢書』I.8)に保存された報告によれば──この箇所はデモクリトスに依拠していると広く考えられている──、初期の人間は獣のように散在して暮らし、果実を採集していた。野獣の脅威が人間を協力に向かわせ、言語・火・技術が必要(クレイア)から段階的に発明された。神や英雄が文明を授けたのではなく、人間自身の経験と試行錯誤が文化を生んだ──この自然主義的文明論は古代においてきわめて先進的であった。
言語についても注目すべき見解が伝えられている。デモクリトスは言葉と事物のあいだに自然的な結びつき(ピュセイ)はなく、取り決め(テセイ)によるものだと考えた(プロクロス『クラテュロス注解』XVI)。その根拠として同音異義語・異音同義語・名前の変更・名前のない事物の四つを挙げたとされる。言語の規約性を論じたこの議論は、現代の言語哲学における恣意性(アービトラリネス)の議論の先駆である。
7. 魂の原子論 ── 物質としての心
デモクリトスは魂(プシュケー)もまた原子から成ると考えた。魂の原子は球形で滑らかであり、火の原子に類似する(アリストテレス『魂について』I.2, 403b31-404a16)。最も微細で運動性の高い原子が身体全体に分散し、身体に運動と生命を与える。呼吸は外部の球形原子を取り入れ、内部の魂原子が散逸するのを防ぐ役割を果たす。呼吸が止まれば魂原子は飛散し、死が訪れる。
この考え方の帰結は明確である──魂は不死ではなく、死後の生もない。プラトンが魂の不死を論証しようとしたのとは対極の立場であり、後のエピクロスがこの立場を継承して「死は我々にとって何ものでもない」と説くことになる。
8. 倫理思想 ── エウテュミア(魂の平静)
デモクリトスは自然哲学だけでなく、倫理学においても多くの断片を残している。彼の倫理思想の中心にあるのはエウテュミア(魂の良い状態、心の平静)の概念である。「人間にとっての最善は、できるだけ心穏やかに生きることであり、できるだけ苦しみ少なく生きることである」(DK 68B189の趣旨)。
エウテュミアは快楽の極大化ではない。デモクリトスは過度の欲望を戒め、節度(メトリオテース)を重んじた。「節度ある生活に喜びを見出す者に、不足も過剰もおのずと消える」(DK 68B191の趣旨)。肉体の快楽よりも魂の快楽を上位に置き、知への探究そのものに最高の喜びを見出した。「一つの原因の発見は、ペルシアの王位を得るより好ましい」(DK 68B118)──この一句に、デモクリトスの知的情熱が凝縮されている。
この倫理思想は原子論と密接に関連している。魂もまた原子から成る以上、魂の状態は原子の運動状態に左右される。過度の興奮や欲望は魂原子の激しい運動であり、平静は穏やかな運動である。倫理は物理の延長にある──このような統一的な世界観は、古代唯物論の大きな特徴である。
社会倫理の面でもデモクリトスは豊かな断片を残している。「貧困のなかの民主政は、いわゆる権力者のもとでの繁栄よりも好ましい。それは自由が奴隷状態よりも好ましいのと同じ程度に」(DK 68B251)。また、「法は人の生を利するためにある。法が人を害するのは、おのれの悪しさゆえに法の利益を享受する資格のない者に対してだけである」(DK 68B248の趣旨)。外的強制よりも内的な恥の感覚を重視し、「他者の前で恥じるのではなく、自分自身の前で恥じよ」(DK 68B264)と説いた。このような内面的な道徳観は、ソクラテスの倫理思想と並行的であり、両者の思想的類似は注目に値する。
主要著作ガイド
- デモクリトス(断片・DK 68)── 完全な著作は現存しない。約300の断片と証言が後世の著作家(アリストテレス、テオプラストス、シンプリキオス、ストバイオスら)の引用として伝存。
- 『大世界秩序(メガス・ディアコスモス)』── 宇宙の生成と構造を論じた主著のひとつ。レウキッポスに帰す説もある。
- 『小世界秩序(ミクロス・ディアコスモス)』── 人間世界と文明の発展を論じた著作。
- 『心の快活さについて(ペリ・エウテュミエース)』── 倫理思想の中心的著作。セネカ『心の平静について』が同じタイトルで書かれていることから、後世への影響がうかがえる。
- ディールス=クランツ『ソクラテス以前の哲学者断片集』(DK)── デモクリトスは68番。断片研究の基本文献。
- 内山勝利編『ソクラテス以前哲学者断片集』第III巻(岩波書店、1997年)── DK断片の邦訳。
- Taylor, C.C.W. The Atomists: Leucippus and Democritus(Toronto UP, 1999)── 断片・証言の英訳と注釈を備えた標準的研究書。
主要な批判と論争
1. アリストテレスの批判:アリストテレスは原子論を多面的に批判した。(1)空虚は運動の条件ではなく、むしろ不可能にする──空虚には抵抗がないため、運動の速度は無限大になるはずだ(『自然学』IV.8, 215a-216a)。(2)原子に重さがあるなら、空虚のなかでの原子の最初の運動はどう説明されるのか。(3)原子の形状の違いだけでは、感覚的性質の多様性を十分に説明できない。
2. プラトンの暗黙の対決:プラトンはデモクリトスを名指しで批判していないが、『ティマイオス』における宇宙論──デミウルゴス(製作者)による目的論的宇宙論──は、デモクリトスの機械論的宇宙論への対案と読める。世界に秩序があるのは偶然ではなく知性による──この主張は唯物論への根本的な異議である。
3. 認識論的自己矛盾の問題:感覚を慣習にすぎないと退けつつ、原子の存在は感覚からの推論に依存する──この循環は古代から指摘されてきた。先述のDK 68B125は、デモクリトス自身がこの問題に真剣に取り組んでいたことを示している。
4. エピクロスによる修正:後継者エピクロスはデモクリトスの原子論を継承しつつも重要な修正を加えた。デモクリトスの厳格な決定論に対し、エピクロスは原子の「逸れ」(パレンクリシス、ラテン語でクリナメン)を導入し、自由意志の余地を確保した。すべてが必然であるなら道徳的責任は成り立たない──この批判は、決定論と自由意志をめぐる哲学史の根本問題を先取りしている。
5. 現代の解釈論争:デモクリトスの原子は近代科学の原子とどの程度重なるのか。両者には重要な相違がある──近代の原子は分割可能であり(陽子・中性子・電子)、さらに素粒子レベルでは粒子と波動の二重性を持つ。しかし「世界は離散的な基本単位から構成される」という根本の発想、「感覚的性質は物理的構造に還元される」という方法論的姿勢は、驚くほど現代に通じている。
影響と遺産
エピクロス派:デモクリトスの最大の後継者はエピクロス(紀元前342〜270年)である。エピクロスは原子論を全面的に継承し、倫理学においてもエウテュミアをアタラクシア(心の動揺のなさ)として発展させた。ローマの詩人ルクレティウスは『事物の本性について(デ・レルム・ナトゥラ)』で原子論を壮大な教訓詩に仕立てた。
近代科学革命:17世紀の科学革命において、デモクリトスの原子論は再び注目された。ガッサンディはエピクロスの原子論を復興させ、ボイルは微粒子哲学として化学に応用した。ニュートンは『光学(オプティクス)』の質疑31で、神が最初に創造したのは「堅くて質量のある不可貫通的な可動の粒子」であったと書いている。
近代哲学:デモクリトスの第一性質・第二性質の区別は、ロックの認識論に直接反映している。ロックは形状・大きさ・運動を物体の第一性質(客観的)とし、色・味・音を第二性質(主観的)とした。この区別の原型はデモクリトスの「慣習により」と「真に」の区別にある。
マルクス:カール・マルクスの博士論文(1841年)は『デモクリトスとエピクロスの自然哲学の差異』というテーマであった。マルクスはデモクリトスの決定論とエピクロスの自由の導入を対比し、唯物論と人間の自由の問題を論じた。この初期の研究は、後の唯物史観の萌芽とも読むことができる。
現代科学:ドルトンの原子説(1803年)、ラザフォードの原子核模型(1911年)を経て、原子の存在は実験的に確認された。もちろん現代の原子はデモクリトスの原子とは異なるが、「世界は基本単位の組み合わせからできている」という基本的な枠組みは驚くほど変わっていない。
現代への接続
第一に、還元主義の可能性と限界。デモクリトスは万物を原子の配列と運動に還元した。現代科学もまた生命現象をDNAの塩基配列に、意識を神経細胞の発火パターンに還元しようとする。しかし「意識はなぜ物理的過程に伴うのか」(意識のハードプロブレム)は未解決のままである。デモクリトスが切り開いた還元主義の道は、いまだその終着点に達していない。
第二に、決定論と自由意志。デモクリトスの世界では一切が必然であり、偶然はない。現代の神経科学が示唆する脳の決定論的側面──意識的な決定に先立って脳がすでに活動を始めているというリベットの実験(1983年)──は、デモクリトスが提起した問題を新たな形で再燃させている。私たちの行為は原子(あるいは素粒子)の運動によって決定されているのか、それとも自由な選択の余地があるのか。
第三に、感覚と実在のギャップ。デモクリトスの「慣習により甘い」は、現代の認知科学が明らかにした知覚の構成性と共鳴する。色は電磁波の特定の波長に対する脳の反応であり、音は空気の振動に対する脳の解釈である。世界の「本当の姿」と私たちが経験する世界のあいだには本質的な隔たりがある──この認識はデモクリトスにまで遡る。
第四に、組み合わせの科学。原子の形状・配列・向きの組み合わせが万物を生むというデモクリトスの発想は、現代の分子生物学と驚くべき構造的類似を示す。DNAの二重螺旋は、わずか4種の塩基(A・T・G・C)の配列によって生命のすべての多様性を符号化している。少数の基本単位の組み合わせから無限の多様性が生じるという原理は、アルファベットの比喩を用いたデモクリトスの直観そのものである。
読者への問い
- 世界を最小の構成要素に還元する説明で、本当に「すべて」が説明できるのか。色や感情の「質」は、物理的構造だけで汲み尽くせるものか。
- もし宇宙のすべてが物理法則に従う粒子の運動にすぎないなら、「善い生き方」を追求することにどんな意味があるのか。デモクリトスのエウテュミアは、唯物論の枠内で十分に根拠づけられるか。
- 現代物理学において素粒子の振る舞いは確率的であるとされる(量子力学)。デモクリトスの徹底した決定論は、この事実によってどう修正されるべきか。
名言(出典つき)
"「慣習により甘く、慣習により苦く、慣習により熱く、慣習により冷たく、慣習により色あり。真にあるのは原子と空虚のみ。」" 出典:DK 68B125(セクストス・エンペイリコス『学者たちへの論駁』VII.135に引用)/原文:"νόμῳ γλυκύ, νόμῳ πικρόν, νόμῳ θερμόν, νόμῳ ψυχρόν, νόμῳ χροιή· ἐτεῇ δὲ ἄτομα καὶ κενόν"
"「哀れなる理性よ、おまえは私たちから証拠を受け取りながら私たちを打ち倒そうとするのか。おまえの勝利はおまえ自身の転落であるぞ。」" 出典:DK 68B125(ガレノス『経験医学について』1259, 8に引用)/原文:"δειλαίη φρήν, παρ' ἡμέων λαβοῦσα τὰς πίστεις ἡμέας καταβάλλεις; πτῶμά τοι τὸ κατάβλημα"
"「一つの原因の説明を発見することは、ペルシアの王位を得るより好ましい。」" 出典:DK 68B118(エウセビオス『福音の準備』XIV.27.4に引用)/原文:"αἰτιολογίην μίαν ἐξευρεῖν κρέσσον ἐστί μοι τὴν Περσέων βασιληίην"
"「幸福は家畜や金のなかに宿るのではない。魂こそが幸福と不幸の住処である。」" 出典:DK 68B171(ストバイオス『精華集』II.7.3iに引用)/原文:"εὐδαιμονίη οὐκ ἐν βοσκήμασιν οἰκεῖ οὐδὲ ἐν χρυσῷ· ψυχὴ οἰκητήριον δαίμονος"
"「貧困のなかの民主政は、いわゆる権力者のもとでの繁栄よりも好ましい。それは自由が奴隷状態よりも好ましいのと同じ程度に。」" 出典:DK 68B251(ストバイオス『精華集』IV.1.42に引用)/原文:"πενίη δημοκρατίῃ τοσοῦτον δημοκρατίης τῆς παρὰ τοῖς δυναστέουσιν εὐδαιμονίης αἱρετωτέρη, ὁκόσον ἐλευθερίη δουλείης"
参考文献
- (原典資料):Diels, H. & Kranz, W. Die Fragmente der Vorsokratiker, 6th ed., 1951.(DK 67: レウキッポス, DK 68: デモクリトス)── 先ソクラテス期断片集の標準版
- (研究書):Taylor, C.C.W. The Atomists: Leucippus and Democritus. Toronto UP, 1999.── 断片・証言の英訳・注釈を備えた標準的研究
- (研究書):Kirk, G.S., Raven, J.E. & Schofield, M. The Presocratic Philosophers. 2nd ed., Cambridge UP, 1983.── 原子論者の章を含む先ソクラテス期全体の標準概説
- (研究書):Hasper, Pieter Sjoerd. "Leucippus and Democritus." in The Oxford Handbook of Presocratic Philosophy, eds. Patricia Curd & Daniel W. Graham. Oxford UP, 2008.── 原子論の包括的解説
- (邦語文献):内山勝利編『ソクラテス以前哲学者断片集』第III巻、岩波書店、1997年。── DK断片集の邦訳
- (研究書):Berryman, Sylvia. "Democritus." Stanford Encyclopedia of Philosophy. https://plato.stanford.edu/entries/democritus/
- (研究書):Marx, Karl. Differenz der demokritischen und epikureischen Naturphilosophie, 1841.── マルクスの博士論文。原子論と自由の問題を論じる
- (概説):アリストテレス『形而上学』I.4; 『生成消滅論』I.2, I.8; 『魂について』I.2──デモクリトスの原子論に関する最重要の古代証言