紀元前きげんぜん3世紀せいきアテナイAthēnai城壁じょうへきそとディピュロンDipylonもんちかくにちいさな庭園ていえんつきのいえがあった。もんには「旅人たびびとよ、ここは場所ばしょだ。ここでは快楽かいらく最高さいこうぜんである」ときざまれていたという(セネカSeneca書簡しょかんしゅう』21.10)。この庭園ていえんケーポスKēpos)こそ、エピクロスEpikouros弟子でしたちとともらし、かたり、哲学てつがく実践じっせんしただった。プラトンPlatōnアカデメイアAkadēmeiaアリストテレスAristotelēsリュケイオンLykeion知的ちてきエリートeliteのための学園がくえんだったのにたいし、庭園ていえんには女性じょせい奴隷どれいむかれられた。古代こだい世界せかいでは異例いれいのことだった。

快楽かいらくこそぜんはじまりにしてわりである」。この言葉ことばだけをけば、エピクロスEpikouros享楽きょうらく主義しゅぎしゃえる。しかし実際じっさいエピクロスEpikourosみずパンぱんらし、「豪華ごうか宴会えんかい快楽かいらくむのではない。節度せつどある思慮しりょ快楽かいらくむ」といた(『メノイケウスMenoikeusへの手紙てがみ』131-132)。かれもとめた快楽かいらくとは、心身しんしん苦痛くつうがないおだやかな状態じょうたい、すなわちアタラクシアataraxiaこころ平安へいあん)とアポニアaponia身体しんたい苦痛くつう不在ふざい)であった。現代げんだいふうにいえば、刺激しげきてきかいもとめる「ハイテンションhigh tension」ではなく、不安ふあんのないいたこころのありかたこそ、最高さいこう幸福こうふくだというのだ。

エピクロスEpikourosデモクリトスDēmokritos原子げんしろんぎ、世界せかいのすべてを原子げんし空虚くうきょ説明せつめいした。かみ存在そんざいするが人間にんげんことには介入かいにゅうしない。たましい原子げんし集合しゅうごうにすぎず、とともにる。おそれる必要ひつようはない。「我々われわれにとってなにものでもない」。この徹底てっていした自然しぜん主義しゅぎは、超自然ちょうしぜんてきちからたよらず自然しぜん法則ほうそくだけで世界せかい説明せつめいするというてんで、近代きんだい科学かがく世界せかいかん先取さきどりするものだった。

恐怖きょうふのぞき、欲望よくぼう吟味ぎんみし、ともかたいながらおだやかにきる。哲学てつがくを「たましい医術いじゅつ」とんだこの思想しそうは、いかなる体系たいけいきずいたのか。

この記事きじ要点ようてん

  • 快楽かいらくヘードネーhēdonē)こそぜん基準きじゅんエピクロスEpikouros快楽かいらくぜんはじまりであり目的もくてきであるとした。ただしそれは放縦ほうじゅう享楽きょうらくではなく、苦痛くつう不在ふざいアタラクシアataraxiaアポニアaponia)という静的せいてき快楽かいらく最高さいこう状態じょうたいとする思想しそうだった。
  • 我々われわれにとってなにものでもない」たましい原子げんし集合しゅうごうであり、によってる。死後しご感覚かんかくはないから、おそれる根拠こんきょはない。この論証ろんしょう現代げんだい哲学てつがくにおいても中心ちゅうしんてき論点ろんてんでありつづけている。
  • テトラファルマコスtetrapharmakosよっつのくすり:「かみおそれるにりない。にかけるにりない。ぜんれやすい。えやすい」──人生じんせい恐怖きょうふのぞよっつの処方しょほうせんは、ストレスstress社会しゃかいきる現代げんだいじんにもひびく。

生涯しょうがい時代じだい背景はいけい

エピクロスEpikouros紀元前きげんぜん342ねんごろエーゲAegeanかいサモスSamosとうまれた。ちちネオクレスNeoklēsアテナイAthēnai市民しみんだったが、植民しょくみんしゃクレルーコスklērouchos)としてサモスSamos移住いじゅうしており、エピクロスEpikouros少年しょうねん時代じだいをこのしまごした。ははカイレストラテーChairestraté祈祷きとうだったともつたえられており、迷信めいしんちた民間みんかん信仰しんこうへの嫌悪けんおは、こうした家庭かてい環境かんきょうから芽生めばえた可能かのうせいがある。14さいごろ哲学てつがく関心かんしんはじめたとされ、デモクリトスDēmokritosナウシファネスNausiphanēsまなんだ(ディオゲネス・ラエルティオスDiogenēs Laertios哲学てつがくしゃ列伝れつでん』X.14)。ここで原子げんしろんれたことが、のち自然しぜん哲学てつがく基盤きばんとなった。ただしエピクロスEpikourosのちナウシファネスNausiphanēsきびしく批判ひはんしており、「独学どくがく」を自称じしょうした(X.13)。への反発はんぱつ独自どくじ体系たいけい構築こうちく後押あとおししためんもあるだろう。

エピクロスEpikourosきた時代じだいは、ゼノンZēnōnストアStoa)とおなじくヘレニズムHellenism激動げきどう時代じだいだった。アレクサンドロスAlexandros大王だいおう紀元前きげんぜん323ねん後継こうけいしゃ戦争せんそうディアドコイDiadochoi戦争せんそう)がつづき、ポリスpolis自治じちうしなわれていった。市民しみん政治せいじつうじて運命うんめいひらけた古典こてんわり、巨大きょだい王国おうこく臣民しんみんとして翻弄ほんろうされる時代じだいた。18さい兵役へいえきのためアテナイAthēnaiわたったエピクロスEpikourosは、直後ちょくごマケドニアMakedonia将軍しょうぐんペルディッカスPerdikkas命令めいれいサモスSamos植民しょくみんしゃ追放ついほうされ、家族かぞく離散りさんするという経験けいけんをした。政治せいじてき混乱こんらん個人こじん生活せいかつ根底こんていからるがす時代じだいにあって、「政治せいじたよらず個人こじん内面ないめん幸福こうふくきずく」というエピクロスEpikouros哲学てつがくは、切実せつじつ必要ひつようからまれたものだった。

そのしょうアジアAsia各地かくち──コロフォンKolophōnミュティレネMytilenēランプサコスLampsakos──でおしはじめ、紀元前きげんぜん307ねんごろアテナイAthēnaiもどって庭園ていえんケーポスKēpos)をひらいた。この学園がくえん文字もじどおりにわつきのいえであり、弟子でし共同きょうどう生活せいかつおくりながら哲学てつがく実践じっせんするだった。主要しゅよう弟子でしには、盟友めいゆうメトロドロスMetrodōrosエピクロスEpikourosが「第二だいに自分じぶん」とんだ人物じんぶつ)、後継こうけいしゃヘルマルコスHermarchos知的ちてき女性じょせいレオンティオンLeontion解放かいほう奴隷どれいミュスMysがいた。女性じょせい奴隷どれい参加さんかみとめられたことは、当時とうじアテナイAthēnaiではきわめて異例いれいであり、中傷ちゅうしょうまとにもなった。しかしエピクロスEpikourosにとって哲学てつがく身分みぶん性別せいべつかかわらず万人ばんにん必要ひつようとする「たましい医術いじゅつ」だった。

エピクロスEpikouros生涯しょうがいつうじて質素しっそ生活せいかつおくり、弟子でしたちからのふか敬愛けいあいけた。晩年ばんねん腎臓じんぞう結石けっせきによるはげしい苦痛くつうくるしんだが、いたとされる手紙てがみなかで「身体しんたい苦痛くつうはあるが、それらすべてに対抗たいこうするのはともとのかたらいの記憶きおくがもたらすたましいよろこびだ」としるしている(ディオゲネス・ラエルティオスDiogenēs Laertios X.22)。みずからの哲学てつがく最期さいご瞬間しゅんかんまで実践じっせんしてみせた。はげしい苦痛くつうのさなかでも、友人ゆうじんとの精神せいしんてききずな身体しんたいしみにつことををもってしめしたのだ。紀元前きげんぜん270ねんごろ享年きょうねん72さいぼっした。

ミニmini年表ねんぴょう

  • 紀元前きげんぜん342ねんごろサモスSamosとうまれる
  • 紀元前きげんぜん328ねんごろデモクリトスDēmokritosナウシファネスNausiphanēsまな
  • 紀元前きげんぜん323ねんアレクサンドロスAlexandros大王だいおう死去しきょ後継こうけいしゃ戦争せんそうはじまる
  • 紀元前きげんぜん324/323ねん兵役へいえきのためアテナイAthēnaiへ。サモスSamos植民しょくみんしゃ追放ついほう
  • 紀元前きげんぜん311〜307ねんごろミュティレネMytilenēランプサコスLampsakos教授きょうじゅ活動かつどう
  • 紀元前きげんぜん307ねんごろアテナイAthēnai庭園ていえんケーポスKēpos)をひら
  • 紀元前きげんぜん270ねんごろアテナイAthēnaiにてぼっする(享年きょうねんやく72さい

エピクロスEpikourosなにうたのか

エピクロスEpikourosいは明快めいかいだ。人間にんげんなにおそれているのか。そしてその恐怖きょうふ正当せいとうなのか。かれによれば、人間にんげんくるしめる根源こんげんてき恐怖きょうふよっつある──かみへのおそれ、へのおそれ、ぜんられないという不安ふあん苦痛くつうへのおそれ。このよっつの恐怖きょうふがすべて不合理ふごうりであることを論証ろんしょうし、のぞくことが哲学てつがく役割やくわりだとエピクロスEpikourosかんがえた。

従来じゅうらい哲学てつがくが「ぜんとはなにか」を抽象ちゅうしょうてきうたのにたいし、エピクロスEpikouros身体しんたい感覚かんかくから出発しゅっぱつした。あかぼう動物どうぶつも、おしえられなくても快楽かいらくもと苦痛くつうける。これこそが善悪ぜんあく自然しぜん基準きじゅんだ──この経験けいけんてき出発しゅっぱつてんは、プラトンPlatōnが「ぜんイデアidea」という永遠えいえんへん原型げんけいぜん根拠こんきょもとめたのとも、アリストテレスAristotelēsが「人間にんげん固有こゆう機能きのう卓越たくえつした発揮はっき」に幸福こうふくたのとも、根本こんぽんてきことなる。哲学てつがく役割やくわり宇宙うちゅう究極きゅうきょく原理げんり発見はっけんすることではなく、具体ぐたいてきくるしみをのぞくことにある──エピクロスEpikourosはこの実践じっせんてき姿勢しせいつらぬいた。現代げんだい心理しんり療法りょうほうが「不安ふあん原因げんいん特定とくていし、認知にんち修正しゅうせいする」ことを目指めざすのと、おどろくほど構造こうぞうをもっている。

核心かくしん理論りろん

1. 哲学てつがく三分さんぶんほう── 規準きじゅんろん自然しぜんがく倫理りんりがく

エピクロスEpikourosストアStoaおなじく哲学てつがくみっつにけたが、論理ろんりがくわりに「規準きじゅんろん」(カノニケーkanonikē)をいた。規準きじゅんろんとは、ひとことでえば「なにしんじてよいか、その判定はんてい基準きじゅんなにか」を分野ぶんやだ。エピクロスEpikourosこたえは明快めいかいだった──真理しんり基準きじゅんみっつある。第一だいいち感覚かんかくアイステーシスaisthēsis)──みみき、れた経験けいけんうそをつかない。第二だいに先取せんしゅ観念かんねんプロレープシスprolēpsis)──かえしの経験けいけんから自然しぜん形成けいせいされる概念がいねんのことで、たとえば「うま」といたときあたまかぶぞうがこれにあたる。第三だいさん感情かんじょうパトスpathos)──かい感覚かんかくが、なにもとなにけるべきかをおしえてくれる。つまり、抽象ちゅうしょうてき論理ろんりではなく、身体しんたいをもった人間にんげん具体ぐたいてき経験けいけんこそが知識ちしき土台どだいだ──これがエピクロスEpikouros立場たちばだった。

感覚かんかくはつねにしんであるという大胆だいたん主張しゅちょうには、独特どくとく認識にんしきろんともなう。物体ぶったい表面ひょうめんからはえず原子げんしうすまく(「エイドラeidōla」=ぞう)ががれち、空間くうかんんで感覚かんかく器官きかん到達とうたつする(『ヘロドトスHērodotosへの手紙てがみ』46-50)。このまくとどけば視覚しかくが、ほか器官きかんとどけばほか感覚かんかくしょうじる。感覚かんかくそのものは機械きかいてき接触せっしょく結果けっかであり、うそをつかない。とおくのとうまるえるのは感覚かんかくあやまりではなく、途中とちゅうまくかどけずられたためであり、あやまりは「まるいはずだ」という判断はんだんくわえたときにしょうじる。このかんがかた徹底てっていした経験けいけん主義しゅぎであり、のちのイギリスEngland経験けいけんろんロックLockeヒュームHume)を先取さきどりするめんがある。

ここでみっつの分野ぶんや関係かんけい整理せいりしておこう。エピクロスEpikourosにとって自然しぜんがくはそれ自体じたい目的もくてきではなく、恐怖きょうふのぞくための道具どうぐであり、最終さいしゅう目的もくてきはつねに倫理りんりがく──つまり「いかにきるか」──にある。天文てんもん現象げんしょう自然しぜんてき説明せつめいできれば、かみいかりへの恐怖きょうふえる。たましい原子げんしであるとかれば、死後しごばつへの恐怖きょうふえる。たとえていえば、医者いしゃ病気びょうき原因げんいんめるのは知識ちしきのためではなく治療ちりょうのためであるように、自然しぜんがくたましい治療ちりょうのためにある。規準きじゅんろんただしい判断はんだん方法ほうほうおしえ、自然しぜんがくがその方法ほうほう恐怖きょうふ原因げんいん解明かいめいし、倫理りんりがく恐怖きょうふのないかたしめす──みっつの分野ぶんやはこのように有機ゆうきてきむすびついている。

2. 原子げんしろん── 原子げんし空虚くうきょ、そして

エピクロスEpikourosデモクリトスDēmokritos原子げんしろん継承けいしょうし、世界せかいのすべては不可分ふかぶん微粒子びりゅうしアトモンatomon)と空虚くうきょケノンkenon)からると主張しゅちょうした(『ヘロドトスHērodotosへの手紙てがみ』38-44)。原子げんし永遠えいえん存在そんざいし、生成せいせい消滅しょうめつもしない。かたちおおきさ・おもさをつが、いろあじのような二次にじてき性質せいしつ原子げんし配列はいれつ運動うんどうからしょうじる。このかんがかたは、現代げんだい物理ぶつりがくが「いろ」を電磁波でんじは波長はちょう、「あじ」を分子ぶんし構造こうぞう説明せつめいするのとおどろくほどちかい。

さらにエピクロスEpikouros宇宙うちゅう無限むげんであり、原子げんしかず無限むげんであると主張しゅちょうした。したがって世界せかいコスモスkosmos)はひとつではなく無数むすう存在そんざいし、生成せいせい消滅しょうめつかえしている(『ヘロドトスHērodotosへの手紙てがみ』45)。我々われわれ世界せかい特別とくべつなものではなく、無限むげん宇宙うちゅう一角いっかくにすぎない──この発想はっそうは、現代げんだい宇宙うちゅうろんにおける宇宙うちゅう仮説かせつ構造こうぞうてき類似るいじしている。

しかしエピクロスEpikourosデモクリトスDēmokritos決定けっていてき修正しゅうせいくわえた。デモクリトスDēmokritos原子げんしろんではすべてが必然ひつぜんてき因果いんが連鎖れんさのなかにあり、自由じゆう余地よちがなかった。もし原子げんしうごきがすべて最初さいしょからまっているなら、人間にんげん思考しこう選択せんたくもすべて物理ぶつりてき必然ひつぜんにすぎない。おこないをえらんだりあくけたりすることに意味いみはなくなり、倫理りんりがくそのものがたなくなる。エピクロスEpikourosはこの難問なんもん解決かいけつするために「れ」(パレンクリシスparenklisisラテンLatinクリナメンclinamen)という概念がいねん導入どうにゅうした。原子げんし下方かほう落下らっかするさなか、不確定ふかくていとき場所ばしょでわずかにれる(ルクレティウスLucretius事物じぶつ本性ほんせいについて』II.216-293)。この微小びしょう偏差へんさ原子げんしどうしの衝突しょうとつ結合けつごうこし、世界せかい多様たようせいむ。そして重要じゅうようなことに、この原子げんしレベルlevelにおける必然ひつぜんからの「逸脱いつだつ」が、人間にんげん意志いし因果いんがくさり完全かんぜんしばられないための余地よちひらく──エピクロスEpikourosはそうかんがえた。興味きょうみぶかいのは、20世紀せいき量子りょうし力学りきがくあきらかにした素粒子そりゅうし不確定ふかくていせいと、構造こうぞうてき発想はっそうであることだ。もちろんエピクロスEpikouros現代げんだい物理ぶつりがくらなかったが、「決定けっていろん世界せかい自由じゆう隙間すきまひらく」という問題もんだい意識いしきは、時代じだいえて共有きょうゆうされている。

3. たましい唯物ゆいぶつろん── 我々われわれにとってなにものでもない

たましいプシュケーpsychē)もまた原子げんし集合しゅうごうである。きわめて精妙せいみょうなめらかな原子げんし身体しんたい全体ぜんたいわたり、感覚かんかく思考しこう可能かのうにしている。ここで重要じゅうようなのは、たましい身体しんたいとはべつ超自然ちょうしぜんてき実体じったいではなく、あくまで物質ぶっしつ原子げんし)でできているというてんだ。とは身体しんたい解体かいたいであり、それとともにたましい原子げんし四方しほうる。ったあとには感覚かんかくもなく、したがって苦痛くつうもない。これはうらかえせば、古代こだい民間みんかん信仰しんこうかたっていた冥界めいかいでのばつ──永遠えいえん食物しょくもつとどかないタンタロスTantalosえや、山頂さんちょういわころがしてはちる苦役くえきかえシシュフォスSisyphosけい──はすべて根拠こんきょのないつくばなしだということを意味いみする。死後しご世界せかいばつける「自分じぶん」はもう存在そんざいしないのだから。

ここからエピクロスEpikouros有名ゆうめい論証ろんしょうみちびかれる。「我々われわれにとってなにものでもない。なぜなら、我々われわれ存在そんざいするときておらず、たときには我々われわれはもはや存在そんざいしないからだ」(『メノイケウスMenoikeusへの手紙てがみ』125)。きているかぎ経験けいけんできず、んだあと経験けいけんする主体しゅたいがいない──だからおそれる理由りゆうはない。

この議論ぎろんは「対称性たいしょうせい論証ろんしょう」ともばれる。ルクレティウスLucretius明確めいかく展開てんかいしたこの議論ぎろんは、つぎのような思考しこう実験じっけんうながす──あなたがまれるまえ無限むげん時間じかん、あなたは存在そんざいしなかった。紀元前きげんぜん500ねんにあなたは存在そんざいしなかったが、そのことをおそろしいとかんじるひとはいないだろう。死後しご存在そんざいもそれとまったくおなじことだ(『事物じぶつ本性ほんせいについて』III.830-842)。過去かこ存在そんざい未来みらい存在そんざい構造こうぞうてき対称たいしょう──つまりかがみわせの関係かんけい──であるから、一方いっぽうだけをおそれるのは理屈りくつわない、と。

4. かみ── 存在そんざいするが介入かいにゅうしない

エピクロスEpikouros無神むしんろんしゃではない。神々かみがみ存在そんざいするが、世界せかい世界せかいあいだメタコスミアmetakosmia)にみ、完全かんぜん至福しふくのうちにらしている。完全かんぜん幸福こうふく存在そんざいいかりも恩寵おんちょうたない──したがってかみ人間にんげん事柄ことがら介入かいにゅうしない(『主要しゅよう教説きょうせつ』〔キュリアイ・ドクサイKyriai Doxai〕I)。論理ろんりはこうだ──もしかみ本当ほんとう完全かんぜん幸福こうふくなら、いかりをかんじることはない。いかりとは不満ふまんあらわれであり、完全かんぜんりた存在そんざいには不満ふまんがないからだ。ということは、かみなりかみいかりではなく自然しぜん現象げんしょうであり、地震じしん疫病えきびょう天罰てんばつではない。なぜこれが安心あんしん材料ざいりょうになるのか。古代こだい人々ひとびとは、かみまぐれないかりにおびえながららしていた。あらしれば「自分じぶんなにわるいことをしたのでは」と不安ふあんられる。しかし自然しぜん現象げんしょうかみ意志いし無関係むかんけいであれば、その不安ふあんえる。かみ理想りそうてき幸福こうふく手本てほんとしてあがめるべき対象たいしょうではあるが、おそれる対象たいしょうではけっしてない──これがエピクロスEpikouros立場たちばだった。現代げんだいふうにいえば、「天災てんさいだれかのばつではない」という認識にんしき──これは自然しぜん科学かがく前提ぜんていでもある。

5. 快楽かいらくろん── 静的せいてき快楽かいらく動的どうてき快楽かいらく

エピクロスEpikouros快楽かいらくふたつにけた。ひとつは「動的どうてき快楽かいらく」(キネーティケー・ヘードネーkinētikē hēdonē)──べる行為こういそのもの、美味おいしいものをあじわう瞬間しゅんかんよろこびなど、積極せっきょくてきかい感覚かんかく。もうひとつは「静的せいてき快楽かいらく」(カタステーマティケー・ヘードネーkatastēmatikē hēdonē)──苦痛くつうのぞかれた安定あんていした状態じょうたいエピクロスEpikouros最高さいこうとするのは後者こうしゃだ。

この区別くべつ日常にちじょうれいかんがえてみよう。のどかわいているときみず瞬間しゅんかん心地ここちよさ──これが動的どうてき快楽かいらくだ。かわきが完全かんぜんいやされ、もはやなにしくないおだやかな状態じょうたい──これが静的せいてき快楽かいらくだ。空腹くうふくたされたあとにどれほど豪華ごうか食事しょくじかさねても、快楽かいらく総量そうりょうえない──苦痛くつう除去じょきょこそが快楽かいらく頂点ちょうてんだからだ(『主要しゅよう教説きょうせつ』III)。このかんがかたからは、際限さいげんなく欲望よくぼうもとめることへのするど批判ひはんみちびかれる。

さらにエピクロスEpikouros欲望よくぼうさんしゅ分類ぶんるいした。(1)自然しぜんてきかつ必要ひつよう欲望よくぼうものみずまい、衣服いふく)──これらは容易よういたせる。(2)自然しぜんてきだが不必要ふひつよう欲望よくぼう美食びしょく性的せいてき快楽かいらく特定とくてい相手あいてなど)──過度かどわなければがいはない。(3)空虚くうきょ欲望よくぼう名声めいせい権力けんりょく不死ふし)──これらは自然しぜん根拠こんきょたず、けっして満足まんぞくいたらないからてるべきだ(『メノイケウスMenoikeusへの手紙てがみ』127-128)。SNSエスエヌエスの「いいね」すう一喜一憂いっきいちゆうするのは、エピクロスEpikourosからすれば典型てんけいてきな「空虚くうきょ欲望よくぼう」の追求ついきゅうにほかならない。

6. とく快楽かいらく── はなせない関係かんけい

エピクロスEpikourosとく否定ひていしたわけではない。むしろとくこそが快楽かいらくいた唯一ゆいいつ手段しゅだんだとかんがえた。「思慮しりょフロネーシスphronēsis)なくしてこころよきることはできない。また、こころよきることなくして思慮しりょあるかたもできない」(『メノイケウスMenoikeusへの手紙てがみ』132)。ストアStoaが「とくそのものがぜんであり、とくがあれば快楽かいらくがなくても幸福こうふくだ」としたのにたいし、エピクロスEpikourosは「とく快楽かいらくのための道具どうぐであり、快楽かいらくあってのぜんだ」とした。出発しゅっぱつてんはまさに正反対せいはんたいだ。しかし面白おもしろいことに、実際じっさい生活せいかつ指針ししんとしては両者りょうしゃおどろくほど結論けつろんいたる。なぜなら、放蕩ほうとう生活せいかつあと後悔こうかい健康けんこう悪化あっかという苦痛くつうをもたらすから、快楽かいらく最大さいだい冷静れいせい計算けいさんすれば、結局けっきょく節制せっせい正義せいぎ勇気ゆうき思慮しりょといったとくのあるかたもっとこころよかただということになるからだ。「とくのためにとくを」というのと「快楽かいらくのためにとくを」というのでは理由りゆうちがうが、すすめるかたかさなる──倫理りんりがく興味きょうみぶか現象げんしょうだ。

7. テトラファルマコスtetrapharmakos── たましいよっつのくすり

エピクロスEpikouros哲学てつがく実践じっせんてき核心かくしんは「テトラファルマコスtetrapharmakos」(よっつのくすり)に凝縮ぎょうしゅくされる。「テトラtetra」はよん、「ファルマコンpharmakon」はくすり──文字もじどおり「四種よんしゅ処方しょほうやく」だ。この名称めいしょう後代こうだいエピクロスEpikourosフィロデモスPhilodēmos著作ちょさくなど)に由来ゆらいするが、その内容ないようは『主要しゅよう教説きょうせつ』の冒頭ぼうとうよっつの命題めいだい対応たいおうする。(1)かみおそれるにりない(KD主要教説 I)──かみ完全かんぜん幸福こうふくであり、人間にんげんばっする理由りゆうがないから。(2)にかけるにりない(KD主要教説 II)──経験けいけんする主体しゅたいがいないから。(3)ぜんれやすい(KD主要教説 III)──必要ひつよう快楽かいらく質素しっそなもので十分じゅうぶんられるから。(4)えやすい(KD主要教説 IV)──はげしい苦痛くつうみじかわり、ながつづ苦痛くつうはげしくないから。このよっつの命題めいだい本当ほんとうちるまで理解りかいすれば、人生じんせい根本こんぽんてき不安ふあんはすべて解消かいしょうされる──哲学てつがくはまさに「たましい医術いじゅつ」である。

8. 友愛ゆうあいフィリアphilia)── 幸福こうふくせい不可欠ふかけつ条件じょうけん

「すべてのぜんのなかで、知恵ちえ提供ていきょうするもののうちもっとおおきいのは友愛ゆうあい獲得かくとくである」(『主要しゅよう教説きょうせつ』XXVII)。なぜ快楽かいらく主義しゅぎしゃ友情ゆうじょうをここまで重視じゅうしするのか。それは、人間にんげん一人ひとりでは不安ふあんからのがれにくいものだからだ。信頼しんらいできるともがいれば、困難こんなんなときにたすけをられるという安心あんしんかんそのものが、こころ平安へいあん──すなわち最高さいこう快楽かいらく──をもたらす。エピクロスEpikourosによれば、友情ゆうじょうはじたがいの利益りえきのためにはじまるが、ふかまるにつれてそれ自体じたいあいすべきものになる(『バチカンVatican格言かくげんしゅう』23)。庭園ていえんでの共同きょうどう生活せいかつは、まさにこの理念りねん日々ひび実践じっせんするだった。ストアStoaぜん人類じんるい包括ほうかつする世界せかい市民しみん主義しゅぎかかげたのにたいし、エピクロスEpikourosしたしい友人ゆうじんたちとのちいさな共同きょうどうたいのなかに幸福こうふく見出みいだした。現代げんだい幸福こうふく研究けんきゅうが「親密しんみつ人間にんげん関係かんけいこそ幸福こうふく最大さいだい予測よそく因子いんしである」としめしていること(ハーバードHarvard大学だいがく長期ちょうき追跡ついせき研究けんきゅうなど)をかんがえると、エピクロスEpikouros洞察どうさつ経験けいけんてきにも裏付うらづけられているといえよう。

9. 「かくれてきよ」と正義せいぎろん

かくれてきよ」(ラテ・ビオーサスlathe biōsas)──エピクロスEpikourosのこの標語ひょうごは、政治せいじ参加さんか市民しみん義務ぎむかんがえた古代こだいギリシャGreece常識じょうしき正面しょうめんからはんした。人目ひとめにつかずしずかにらせ、という意味いみだ。なぜか。政治せいじ権力けんりょくよく名誉めいよよく──つまりさきべた「空虚くうきょ欲望よくぼう」──を刺激しげきし、てきつくり、嫉妬しっとい、こころ平安へいあん根底こんていからそこなうからだ。

ただしエピクロスEpikouros社会しゃかい秩序ちつじょ否定ひていしたわけではない。正義せいぎとは「たがいにがいあたえず、がいけないという合意ごうい」であり(『主要しゅよう教説きょうせつ』XXXI-XXXIII)、安全あんぜんのための社会しゃかい契約けいやくだとした。つまり正義せいぎとはてんからあたえられた永遠えいえん法則ほうそくではなく、「おたがいにきずつけわないほうがとくだから、そうしよう」という人間にんげんどうしの実際じっさいてきめだ。したがって状況じょうきょう環境かんきょうわれば、正義せいぎ内容ないようわりうる。このかんがかたは、17世紀せいきホッブズHobbesロックLocke展開てんかいした近代きんだい社会しゃかい契約けいやくろん──「人々ひとびと合意ごういによって国家こっかほうつくる」という発想はっそう──の先駆せんくともいえる。

主要しゅよう著作ちょさくガイドguide

  • エピクロスEpikourosは300かんもの著作ちょさくいたとされる(ディオゲネス・ラエルティオスDiogenēs Laertios X.26)が、ほとんどが散逸さんいつした。現存げんぞんする主要しゅようテキストtext以下いかのとおり。
  • ヘロドトスHērodotosへの手紙てがみ』── 自然しぜんがく原子げんしろん宇宙うちゅうろん認識にんしきろん)の要約ようやくエピクロスEpikouros物理ぶつりがく入門にゅうもん最適さいてき
  • ピュトクレスPythoklēsへの手紙てがみ』── 気象きしょう現象げんしょう自然しぜんてき説明せつめいかみなり地震じしんかみ仕業しわざではないことをしめす。
  • メノイケウスMenoikeusへの手紙てがみ』── 倫理りんりがく要約ようやく快楽かいらくろん克服こくふく欲望よくぼう分類ぶんるい凝縮ぎょうしゅくした名文めいぶんはじめにエピクロスEpikourosむなら、この一通いっつう最良さいりょうだ。
  • 主要しゅよう教説きょうせつ』(キュリアイ・ドクサイKyriai Doxai)── 40の命題めいだいにまとめられた教義きょうぎ要約ようやく倫理りんり認識にんしき政治せいじ哲学てつがく網羅もうらする。
  • バチカンVatican格言かくげんしゅう』(Gnomologium Vaticanumグノモロギウム・ウァティカヌム)── 1888ねんバチカンVatican図書としょかん発見はっけんされた格言かくげんしゅう。『主要しゅよう教説きょうせつ』と一部いちぶ重複じゅうふくするが、独自どくじ箴言しんげんふくむ。
  • ルクレティウスLucretius事物じぶつ本性ほんせいについて』(De Rerum Naturaデ・レルム・ナトゥラ)── エピクロスEpikouros哲学てつがく壮大そうだい叙事じょじとして展開てんかいしたローマRōma時代じだい傑作けっさくエピクロスEpikourosうしなわれた原子げんしろん復元ふくげんするうえでもっと重要じゅうよう文献ぶんけん邦訳ほうやく樋口ひぐち勝彦かつひこやく岩波いわなみ文庫ぶんこ
  • ヘルクラネウムHerculaneumパピルスpapyrus── 79ねんヴェスヴィオVesuvio火山かざん噴火ふんかもれた別荘べっそう(「パピルスpapyrus別荘べっそう」)から大量たいりょうエピクロスEpikourosテキストtext出土しゅつどした。フィロデモスPhilodēmos著作ちょさくエピクロスEpikourosの『自然しぜんについて』の断片だんぺんふくまれ、現在げんざい解読かいどくすすんでいる。

主要しゅよう批判ひはん論争ろんそう

1. ストアStoa── 快楽かいらくぜんではないストアStoaは「快楽かいらく自然しぜん活動かつどう副産物ふくさんぶつにすぎず、ぜんとくのみにある」と主張しゅちょうした。快楽かいらくぜん基準きじゅんにすれば人間にんげん動物どうぶつわらなくなる、というのがストアStoa批判ひはんだった。しかしエピクロスEpikourosの「快楽かいらく」は苦痛くつう除去じょきょであり、放縦ほうじゅうとは正反対せいはんたいのものだった。この誤解ごかい──「エピクロスEpikourosてき」を享楽きょうらくてき同一どういつすること──は古代こだいから現代げんだいまでかえされてきた。英語えいごの "epicureanエピキュリアン" が「美食びしょく」を意味いみするのは、まさにこの誤解ごかい産物さんぶつだ。

2. キリストChristきょうからの批判ひはん中世ちゅうせいキリストChristきょうエピクロスEpikouros最大さいだい異端いたんなした。たましい不滅ふめつ否定ひていし、かみ摂理せつり否定ひていするエピクロスEpikouros哲学てつがくは、キリストChristきょう教義きょうぎ根本こんぽんてき対立たいりつした。ダンテDanteは『神曲Divina Commedia地獄じごくへんエピクロスEpikouros信奉しんぽうしゃ地獄じごくだい6けんはいしている(地獄じごくへんX)。しかし皮肉ひにくなことに、教会きょうかい弾圧だんあつがかえってエピクロスEpikouros歴史れきしきざ結果けっかになった。

3. 対称性たいしょうせい論証ろんしょうへの反論はんろん:「なにものでもない」という論証ろんしょうたいして、現代げんだい哲学てつがくしゃトマス・ネーゲルThomas Nagelは「剥奪はくだつせつ」(deprivation accountデプリヴェイション・アカウント)を提示ていじした(Nagelネーゲル, "Deathデス", 1970)。剥奪はくだつせつ論旨ろんしはこうだ──たしかにんだひと苦痛くつうかんじない。しかしあくいのは苦痛くつうあたえるからではなく、きていれば享受きょうじゅできたはずのぜん──ともとのかたらい、あたらしい経験けいけん成長せいちょうよろこび──をうばうからだ、と。は「かんじられるがい」ではなく「うしなわれた可能かのうせい」というてんあくなのだ。さらに、まれるまえ死後しご存在そんざい本当ほんとう対称たいしょうなのかといういもある。たとえば、自分じぶん誕生たんじょうをもっとはやくすることは概念がいねんてき不可能ふかのうだ(べつ時代じだいまれたひとべつひとになる)が、おくらせることは原理げんりてき可能かのうだ。この対称性たいしょうせいわるさを説明せつめいするという反論はんろんもある(Parfitパーフィット, 1984)。この論争ろんそう現在げんざい活発かっぱつつづいている。

4. 「かくれてきよ」への批判ひはん政治せいじから撤退てったいする姿勢しせいは、社会しゃかいてき責任せきにん放棄ほうきだとして古代こだいから批判ひはんされてきた。プルタルコスPloutarchosは『「かくれてきよ」はただしいか』で正面しょうめんから反論はんろんしている。個人こじん平安へいあん優先ゆうせんして社会しゃかい不正ふせい放置ほうちするのは倫理りんりてきゆるされるのか──このいは現代げんだいにもつうじる。

5. 「れ」への疑問ぎもん原子げんし偶然ぐうぜんてきれがなぜ人間にんげんの「自由じゆう意志いし」を説明せつめいするのかという批判ひはんは、古代こだいからかえされてきた(キケロCicero運命うんめいについて』)。批判ひはん核心かくしんはこうだ──自由じゆう意志いしとは「自分じぶんえらぶ」ことだが、原子げんし勝手かってにランダムにれるのは「偶然ぐうぜん」にすぎず、「選択せんたく」ではない。すべてがまっている世界せかい決定けっていろん)をのがれても、すべてが偶然ぐうぜん世界せかいおちいるだけでは自由じゆうにはならないのではないか。この問題もんだい──「決定けっていろん」と「偶然ぐうぜんせい」のあいだに自由じゆう居場所いばしょはあるのか──は現代げんだい自由じゆう意志いし論争ろんそうにおいても未解決みかいけつのままだ。

影響えいきょう遺産いさん

先行せんこう思想しそうデモクリトスDēmokritos原子げんしろん自然しぜんがく基盤きばんとなった。キュレネKyrēnēアリスティッポスAristippos)の快楽かいらく主義しゅぎ影響えいきょうあたえたが、エピクロスEpikouros動的どうてき快楽かいらくよりも静的せいてき快楽かいらく重視じゅうしするてんおおきくことなる。アリスティッポスAristipposが「いままえかい最大さいだいせよ」といたのにたいし、エピクロスEpikourosは「くるしみのない安定あんていした状態じょうたいいたれ」と主張しゅちょうした。

ローマRōma世界せかいルクレティウスLucretius紀元前きげんぜん1世紀せいき)は『事物じぶつ本性ほんせいについて』でエピクロスEpikouros哲学てつがく壮大そうだい叙事じょじ仕立したげた。ホラティウスHoratiusは「エピクロスEpikourosにわぶた」とみずかしょうし(『書簡しょかん』I.4.16)、ローマRōma上流じょうりゅう階級かいきゅうのあいだでもエピクロスEpikourosひろ受容じゅようされた。

ルネサンスRenaissance再発見さいはっけん:1417ねん人文じんぶん主義しゅぎしゃポッジョ・ブラッチョリーニPoggio BraccioliniルクレティウスLucretiusの『事物じぶつ本性ほんせいについて』の写本しゃほん修道院しゅうどういん発見はっけんしたことは、ルネサンスRenaissanceにおける自然しぜん主義しゅぎ復興ふっこう決定けっていてき影響えいきょうあたえた。スティーヴンStephenグリーンブラットGreenblattの『一四一七年、その一冊がすべてを変えたThe Swerve』はこの再発見さいはっけん意義いぎあざやかにえがいている。

近代きんだい科学かがく:17世紀せいきガッサンディGassendiエピクロスEpikouros原子げんしろん復興ふっこうし、近代きんだい科学かがく微粒子びりゅうしせつみちひらいた。ニュートンNewton力学りきがくも、エピクロスEpikourosルクレティウスLucretius世界せかいぞう前提ぜんていとしているめんがある。

功利こうり主義しゅぎベンサムBenthamの「最大さいだい多数たすう最大さいだい幸福こうふく」は、快楽かいらくぜん基準きじゅんとするてんエピクロスEpikourosてき伝統でんとうつらなる。ただしベンサムBentham社会しゃかい全体ぜんたい快楽かいらく最大さいだいしようとしたのにたいし、エピクロスEpikouros関心かんしん個人こじんこころ平安へいあんにあった。J.S.ミルMill快楽かいらくしつみとめたてんは、エピクロスEpikouros静的せいてき快楽かいらく重視じゅうしちかい。

マルクスMarxわかマルクスMarx博士はかせ論文ろんぶん(1841ねん)でデモクリトスDēmokritosエピクロスEpikouros自然しぜん哲学てつがく差異さいろんじ、エピクロスEpikourosの「れ」に人間にんげん自由じゆう原理げんり見出みいだした。唯物ゆいぶつろんでありながら自由じゆう擁護ようごするエピクロスEpikouros姿勢しせいは、マルクスMarx思想しそう形成けいせい重要じゅうよう影響えいきょうあたえた。

現代げんだいへの接続せつぞく

第一だいいちに、哲学てつがくエピクロスEpikourosの「なにものでもない」という論証ろんしょうは、現代げんだい分析ぶんせき哲学てつがくでも中心ちゅうしんてき論点ろんてんでありつづけている。ネーゲルNagelの「剥奪はくだつせつ」、シェリー・ケーガンShelly KaganイェールYale大学だいがく講義こうぎDEATHデス』など、をめぐる哲学てつがくてき議論ぎろんおおくがエピクロスEpikouros出発しゅっぱつてんとしている。

第二だいにに、消費しょうひ社会しゃかいへの批判ひはん欲望よくぼうを「自然しぜんてき必要ひつよう」「自然しぜんてきだが不必要ふひつよう」「空虚くうきょ」にけるエピクロスEpikouros枠組わくぐみは、際限さいげんのない消費しょうひあお現代げんだい社会しゃかいへのするど批判ひはん道具どうぐとなりうる。「必要ひつようなものはすくなく、れやすい」というエピクロスEpikouros洞察どうさつは、ミニマリズムminimalism思想しそうつうじる。

第三だいさんに、世俗せぞくてき倫理りんり可能かのうせいかみ介入かいにゅう前提ぜんていとしない倫理りんり体系たいけい構築こうちくしたエピクロスEpikourosこころみは、宗教しゅうきょう依拠いきょしない道徳どうとく根拠こんきょもとめる現代げんだい世俗せぞく主義しゅぎにとって重要じゅうよう先例せんれいである。

第四だいよんに、ウェルビーイングwell-being研究けんきゅう現代げんだいポジティブpositive心理しんりがく重視じゅうしする「持続じぞくてき幸福こうふくかん」は、刺激しげきてきかいよりもおだやかな満足まんぞくかん重視じゅうしするてんで、エピクロスEpikouros静的せいてき快楽かいらくろんおどろくほど親和しんわせいたかい。「快楽かいらくヘドニック・トレッドミルhedonic treadmill」(快楽かいらくぐるま)という現象げんしょうもこれに関連かんれんする。昇給しょうきゅうしてもあたらしいいえっても、ひとはすぐにその状態じょうたいれ、つぎ欲望よくぼうまれ、幸福こうふくかんもと水準すいじゅんもどる──まるでぐるまうえはしつづけるように。これは動的どうてき快楽かいらく限界げんかいしめてんで、刺激しげき追求ついきゅうよりもおだやかな満足まんぞく重視じゅうししたエピクロスEpikouros分析ぶんせき裏付うらづけている。

読者どくしゃへの

  • 我々われわれにとってなにものでもない」というエピクロスEpikouros論証ろんしょうは、あなたのへの恐怖きょうふやわらげるだろうか。それとも、なにかがけている議論ぎろんだろうか。
  • 現代げんだい消費しょうひ社会しゃかいにおいて、あなたの欲望よくぼうのうちどれが「自然しぜんてき必要ひつよう」で、どれが「空虚くうきょ」だろうか。エピクロスEpikouros分類ぶんるい有効ゆうこうか。
  • かくれてきよ」という助言じょげんは、社会しゃかいてき責任せきにん放棄ほうきか、それとも自分じぶん精神せいしんてき健康けんこうまもるための賢明けんめい選択せんたくか。

名言めいげん出典しゅってんつき)

"我々われわれにとってなにものでもない。なぜなら我々われわれ存在そんざいするときておらず、たときには我々われわれはもはや存在そんざいしない。" 出典しゅってんエピクロスEpikourosメノイケウスMenoikeusへの手紙てがみ』125/原文げんぶん"Ho thanatos ouden pros hēmas."ホ・タナトス・ウーデン・プロス・ヘーマス
"豪華ごうか食卓しょくたくない宴会えんかいこころよせいむのではない。節度せつどある思慮しりょこそがこころよせいむ。" 出典しゅってんエピクロスEpikourosメノイケウスMenoikeusへの手紙てがみ』131-132/原文げんぶん"Ou gar potoi kai kōmoi syneiromenoi ... alla nēphōn logismos."ウー・ガル・ポトイ・カイ・コーモイ・シュネイロメノイ…アッラ・ネーフォーン・ロギスモス
"哲学てつがくのための時期じきがまだていないものも、もうぎたものもいない。たましい健康けんこうのためには、わかくてもいても哲学てつがくすべきだ。" 出典しゅってんエピクロスEpikourosメノイケウスMenoikeusへの手紙てがみ』122
"友愛ゆうあい世界せかいじゅうおどまわり、幸福こうふくせいへの目覚めざめを我々われわれすべてにげている。" 出典しゅってん:『バチカンVatican格言かくげんしゅう』52

参考さんこう文献ぶんけん

  • 原典げんてんディオゲネス・ラエルティオスDiogenēs Laertios哲学てつがくしゃ列伝れつでんだい10かん邦訳ほうやく加来かく彰俊あきとしやく岩波いわなみ文庫ぶんこ)──エピクロスEpikourosみっつの手紙てがみと『主要しゅよう教説きょうせつ』を収録しゅうろく
  • 原典げんてん英訳えいやくInwood, Bradインウッド、ブラッド & Gerson, L.P.ガーソン The Epicurus Readerジ・エピキュラス・リーダー. Indianapolisインディアナポリス: Hackettハケット, 1994.
  • 概説がいせつLong, A.A.ロング Hellenistic Philosophyヘレニスティック・フィロソフィー. 2nd ed. Londonロンドン: Duckworthダックワース, 1986.──ストアStoaエピクロスEpikouros懐疑かいぎ横断おうだんてきろんじた標準ひょうじゅんてき概説がいせつ
  • 概説がいせつ邦語ほうご山口やまぐち義久よしひさ初期しょきストアStoa哲学てつがく──初期しょきストアStoa中心ちゅうしんに』晃洋こうよう書房しょぼう、2014ねん。──ストアStoaとの対比たいひエピクロスEpikourosにも言及げんきゅう
  • 研究けんきゅうWarren, Jamesウォーレン、ジェイムズ. Facing Death: Epicurus and His Criticsフェイシング・デス:エピキュラス・アンド・ヒズ・クリティクス. Oxfordオックスフォード: Oxford University Pressオックスフォード大学出版局, 2004.──論証ろんしょうをめぐる古代こだい現代げんだい論争ろんそう網羅もうら
  • 一般いっぱんけ)Greenblatt, Stephenグリーンブラット、スティーヴン. The Swerve: How the World Became Modernザ・スワーヴ. New Yorkニューヨーク: Nortonノートン, 2011.(邦訳ほうやく:『一四一七年いちよんいちななねん、その一冊いっさつがすべてをえた』柏書房かしわしょぼう)──ルクレティウスLucretius再発見さいはっけん物語ものがたり
  • ウェブwebStanford Encyclopedia of Philosophyスタンフォード哲学百科事典, "Epicurusエピキュラス" (David Konstanデイヴィッド・コンスタン, first published 2005, substantive revision 2018). https://plato.stanford.edu/entries/epicurus/