紀元前きげんぜん300年ねん頃ごろのアテナイAthēnai。アゴラAgorá(公共こうきょう広場ひろば)の北側きたがわに「彩色さいしき柱廊ちゅうろう」(ストア・ポイキレStoa Poikilē)と呼よばれる回廊かいろうがあった。「ストアStoa」は「柱廊ちゅうろう」、「ポイキレPoikilē」は「彩色さいしきの」を意味いみする。壁面へきめんにはマラトンMarathṓnの戦たたかいやアマゾンAmazōn族ぞくとの戦闘せんとうを描えがいた絵画かいがが飾かざられ、市民しみんの憩いこいの場ばでもあった。この柱廊ちゅうろうの下したで毎日まいにち講義こうぎを行おこなった一人ひとりの哲学てつがく者しゃがいた。キティオンKitionのゼノンZēnōn(のちに「ストアStoa派は」と呼よばれることになる哲学てつがくの創始そうし者しゃ)である。教室きょうしつを構かまえず公共こうきょうの場ばで語かたったこと自体じたいが、哲学てつがくは万人ばんにんのものであるというストア派はの精神せいしんを象徴しょうちょうしている。

ゼノンZēnōnはフェニキアPhoinikia系けいの商人しょうにんの家いえに生うまれた。フェニキアPhoinikia人じんは古代こだい地中海ちちゅうかい世界せかい最大さいだいの交易こうえき民族みんぞくであり、紫むらさき染料せんりょうの生産せいさんで知しられていた。その紫むらさき染料せんりょうを積つんだ船ふねが難破なんぱし、全ぜん財産ざいさんを失うしなったことが転機てんきとなった。漂着ひょうちゃくしたアテナイAthēnaiの書店しょてんで偶然ぐうぜん手てに取とったのがクセノフォンXenophōnの『ソクラテスSōkratēsの思おもい出で』(Memorabiliaメモラビリア)だった。ソクラテスSōkratēsの生いき方かた(富とみや名声めいせいに背せを向むけ、徳とくのみを追おい求もとめた哲人てつじんの姿すがた)に衝撃しょうげきを受うけたゼノンZēnōnは、商人しょうにんの道みちを捨すて哲学てつがくに身みを投とうじた。財産ざいさんをすべて失うしなったからこそ、「本当ほんとうに大切たいせつなものは何なにか」という問といに真ま正面しょうめんから向むき合あえたのかもしれない。後のちに彼かれはこう言いったとされる。「航海こうかいに失敗しっぱいして最もっとも幸運こううんな航海こうかいをした」。

ストアStoa哲学てつがくは、古代こだいの一学いちがく派はにとどまらない。ローマRōma帝国ていこくの奴隷どれいエピクテトスEpiktētosから皇帝こうていマルクス・アウレリウスMarcus Aureliusまで、身分みぶんを超こえて人々ひとびとの生いき方かたを支ささえた。奴隷どれいも皇帝こうていも同おなじ哲学てつがくに救すくいを見出みいだしたという事実じじつは、この思想しそうの普遍ふへん性せいをよく示しめしている。近代きんだいのカントKant倫理りんり学がくはストア的てき義務ぎむ論ろんの影響えいきょうを色濃いろこく受うけている。そして21世紀せいきの今日こんにち、認知にんち行動こうどう療法りょうほう(CBTシービーティー)がストアStoa哲学てつがくに理論りろん的てき起源きげんを持もつことが再ふたたび注目ちゅうもくされ、「現代げんだいのストイシズムStoicism」は世界せかい的てきなムーブメントmovementになりつつある。哲学てつがくが書斎しょさいの学問がくもんではなく「生いき方かたの技術ぎじゅつ」であるという確信かくしん。それこそがストア派はが2300年ねんにわたって人ひとを惹ひきつけてきた理由りゆうだろう。

運命うんめいは変かえられない。しかし運命うんめいへの態度たいどは変かえられる。この一見いっけん単純たんじゅんな洞察どうさつを体系たいけい的てきな哲学てつがくに鍛きたえ上あげた人物じんぶつとは、いかなる思想しそう家かだったのか。

この記事きじの要点ようてん

  • 「自然しぜんに従したがって生いきよ」(ホモログメノース・テー・フュセイ・ゼーンhomologoumenōs tē physei zēn):ゼノンZēnōnは、宇宙うちゅうを貫つらぬく理性りせい(ロゴスlogos)と調和ちょうわして生いきることこそ人間にんげんの幸福こうふくだと説といた。これは「本能ほんのうのままに生いきろ」という意味いみではなく、理性りせい的てき存在そんざいとしての人間にんげんの本性ほんせいを完全かんぜんに発揮はっきせよ、ということである。
  • 徳とくのみが善ぜん:健康けんこうや富とみは「好このましいもの」ではあっても善ぜんではない。真しんの善ぜんは徳とく(アレテーaretē)だけであり、徳とくさえあれば奴隷どれいの身みであっても幸福こうふくでありうる。この急進きゅうしん的てきな主張しゅちょうが、身分みぶんを超こえた倫理りんりの普遍ふへん性せいを切きり開ひらいた。
  • 情念じょうねんの克服こくふく(アパテイアapatheia):怒いかりや恐おそれなどの情念じょうねん(パトスpathos)は誤あやまった判断はんだんから生うまれる。判断はんだんを正ただせば情念じょうねんは消きえる。この考かんがえ方かたは、現代げんだいの認知にんち行動こうどう療法りょうほうに直結ちょっけつする洞察どうさつである。

生涯しょうがいと時代じだい背景はいけい

ゼノンZēnōnは紀元前きげんぜん334年ねん頃ごろ、キプロスKypros島とうのキティオンKition(現げん・ラルナカLarnaka)に生うまれた。キティオンKitionはフェニキアPhoinikia人じんの植民しょくみん都市としであり、ギリシャGreece文化ぶんかと東方とうほう文化ぶんかの交差こうさ点てんにあった。ゼノンZēnōnの父ちちムナセアスMnaseasは商人しょうにんであり、ゼノンZēnōnも当初とうしょは交易こうえきに従事じゅうじしていた。幼おさない頃ころから異ことなる言語げんごや習慣しゅうかんに触ふれて育そだったこの多文化たぶんか的てきな出自しゅつじは、のちに彼かれが都市とし国家こっかや民族みんぞくの壁かべを超こえた「世界せかい市民しみん」の理念りねんを打うち出だす素地そじになったと考かんがえられている。

ゼノンZēnōnが生いきた時代じだいは、ギリシャGreece世界せかいの大おおきな転換てんかん期きだった。アレクサンドロスAlexandros大王だいおうの東方とうほう遠征えんせい(紀元前きげんぜん334〜323年ねん)はギリシャGreece文化ぶんかを東方とうほうに拡大かくだいさせたが、大王だいおうの死後しご、帝国ていこくは後継こうけい者しゃ戦争せんそう(ディアドコイDiadochoi戦争せんそう)によって分裂ぶんれつし、ポリスpolis(都市とし国家こっか)の自治じちは実質じっしつ的てきに失うしなわれた。市民しみんは巨大きょだいな王国おうこくの臣民しんみんとなり、政治せいじ的てき主体しゅたい性せいを失うしなった。現代げんだいにたとえるなら、国家こっかの枠組わくぐみが崩くずれ、個人こじんが巨大きょだいな力ちからの前まえに無力むりょくだと感かんじるような状況じょうきょうだった。この激動げきどうの時代じだいに、「個人こじんとしてどう善よく生いきるか」は切実せつじつな問といとなっていた。エピクロスEpikouros派は、懐疑かいぎ派は、そしてストアStoa派は(ヘレニズムHellenism期きの三大さんだい学派がくは)は、いずれもこの問といに応おうじて生うまれた。

ゼノンZēnōnは22歳さい頃ごろにアテナイAthēnaiに渡わたり、まず犬儒けんじゅ派は(キュニコスKynikos派は)のクラテスKratēsに師事しじした。犬儒けんじゅ派はは社会しゃかいの慣習かんしゅうを徹底てってい的てきに否定ひていし、自然しぜんに即そくした最小さいしょう限げんの生活せいかつを実践じっせんする一派いっぱだった。先駆せんく者しゃディオゲネスDiogenēsは樽たるのなかで暮くらし、公衆こうしゅうの面前めんぜんで食事しょくじをし、社会しゃかい的てき体面たいめんをいっさい気きにしなかった。「慣習かんしゅうに縛しばられない生いき方かた」はゼノンZēnōnの思想しそうの基層きそうになったが、彼かれはやがてその過激かげきさ(奇行きこうばかりが目立めだち、体系たいけい的てきな理論りろんが欠かけている点てん)に限界げんかいを感かんじた。直感ちょっかんだけでは不十分ふじゅうぶんだ、哲学てつがくには論理ろんり的てきな裏うらづけが必要ひつようだ。そう考かんがえたゼノンZēnōnは、メガラMegara派はのスティルポンStilpōnとディオドロスDiodōros・クロノスKronosから論理ろんり学がくと弁証べんしょう法ほうを学まなび、プラトンPlatōnのアカデメイアAkadēmeiaにも通かよった。こうした多た方面ほうめんの学まなびを総合そうごうして、紀元前きげんぜん300年ねん頃ごろに独自どくじの学派がくはを開ひらいた。講義こうぎの場所ばしょが彩色さいしき柱廊ちゅうろう(ストア・ポイキレStoa Poikilē)であったことから、学派がくはは「ストアStoa派は」と呼よばれるようになった。

ゼノンZēnōnは質素しっそな生活せいかつを送おくり、アテナイAthēnaiの市民しみんから深ふかい尊敬そんけいを集あつめた。ディオゲネス・ラエルティオスDiogenēs Laertiosは『哲学てつがく者しゃ列伝れつでん』で、アテナイAthēnai市しがゼノンZēnōnに金きんの冠かんむりとケラメイコスKerameikosの公共こうきょう墓地ぼちへの埋葬まいそうの栄誉えいよを贈おくる決議けつぎをしたと伝つたえている(VII.10-12)。決議けつぎ文ぶんには「徳とくと節制せっせいの生いき方かたを若者わかものに示しめした」とある。哲学てつがく者しゃに対たいする最高さいこうの公的こうてき栄誉えいよだった。紀元前きげんぜん263年ねん頃ごろ、ゼノンZēnōnは自みずから命いのちを絶たったとされる。ストア哲学てつがくでは、老衰ろうすいや重病じゅうびょうによって理性りせい的てきな生せいがもはや不可能ふかのうになったとき、理性りせい的てきに判断はんだんされた退出たいしゅつ(合理ごうり的てき自死じし)は許容きょようされうるものと考かんがえられていた。

ミニ年表ねんぴょう

  • 紀元前きげんぜん334年ねん頃ごろ:キプロスKypros島とうキティオンKitionに生うまれる
  • 紀元前きげんぜん323年ねん:アレクサンドロスAlexandros大王だいおう死去しきょ。後継こうけい者しゃ戦争せんそうが始はじまる
  • 紀元前きげんぜん312年ねん頃ごろ:船ふねの難破なんぱを経へてアテナイAthēnaiに渡わたる。犬儒けんじゅ派はのクラテスKratēsに師事しじ
  • 紀元前きげんぜん310〜301年ねん頃ごろ:メガラMegara派はのスティルポンStilpōn、アカデメイアAkadēmeiaのポレモンPolemōnにも学まなぶ
  • 紀元前きげんぜん300年ねん頃ごろ:彩色さいしき柱廊ちゅうろうで講義こうぎを開始かいし。ストア派はの創立そうりつ
  • 紀元前きげんぜん300〜280年ねん代だい:主著しゅちょ『国家こっか』(ポリテイアPoliteia)ほか多数たすうの著作ちょさくを執筆しっぴつ
  • 紀元前きげんぜん263年ねん頃ごろ:アテナイAthēnaiにて没ぼっする(享年きょうねん約71歳さい)。後継こうけい者しゃはクレアンテスKleanthēs

ゼノンZēnōnは何なにを問とうたのか

ポリスpolisの時代じだいが終おわり、市民しみんが政治せいじ共同きょうどう体たいの主人しゅじんではなくなったとき、哲学てつがくは新あらたな問といに直面ちょくめんした。プラトンPlatōnやアリストテレスAristotelēsは善よき生せいを善よきポリスpolisのなかに位置いちづけた。政治せいじ参加さんかこそが市民しみんの完成かんせいであり、共同きょうどう体たいの外そとで幸福こうふくは成なり立たたないと考かんがえた。しかしポリスpolisがもはや自足じそく的てきな単位たんいでなくなったヘレニズムHellenism世界せかいでは、個人こじんは自みずからの内うちに幸福こうふくの基盤きばんを見出みいださなければならなかった。

ゼノンZēnōnの根本こんぽん的てきな問といはこうだ。外的がいてき状況じょうきょうに左右さゆうされない幸福こうふくは可能かのうか。もし可能かのうなら、それはどのような生いき方かたにおいて実現じつげんされるのか。この問といは、突然とつぜん職しょくを失うしなったとき、病やまいに倒たおれたとき、大切たいせつな人ひとを亡なくしたとき(現代げんだいに生いきる私わたしたちにとっても)、まったく切実せつじつさを失うしなっていない。

この問といへのゼノンZēnōnの答こたえは明快めいかいだった。幸福こうふくは徳とくのうちにある。徳とくとは宇宙うちゅうの理法りほう(ロゴスlogos)と一致いっちした生いき方かたであり、それは富とみにも権力けんりょくにも健康けんこうにも依存いぞんしない。言いい換かえれば、正ただしい判断はんだんを下くだし、正ただしく行動こうどうする力ちから、これだけは誰だれにも奪うばうことができない。これがストア倫理りんり学がくの核心かくしんである。嵐あらしで全財産ぜんざいさんを失うしない、そこから哲学てつがくの道みちを見出みいだしたゼノンZēnōn自身じしんの人生じんせいが、この命題めいだいの生いきた証あかしだった。

核心かくしん理論りろん

1. 哲学てつがくの三分さんぶん法ほう── 論理ろんり学がく・自然しぜん学がく・倫理りんり学がく

ゼノンZēnōnは哲学てつがくを三みっつの部門ぶもんに分わけた。論理ろんり学がく(ロギケーlogikē)、自然しぜん学がく(フュシケーphysikē)、倫理りんり学がく(エーティケーēthikē)。これはのちの哲学てつがく教育きょういくの標準ひょうじゅんとなった区分くぶんだ。論理ろんり学がくは「正ただしく考かんがえる方法ほうほう」、自然しぜん学がくは「世界せかいがどうできているかの理解りかい」、倫理りんり学がくは「どう生いきるべきかの指針ししん」である。

ストア派ははこの三みっつの関係かんけいを巧たくみな比喩ひゆで説明せつめいした。卵たまごの喩たとえでは、殻からが論理ろんり学がく(思考しこうを守まもり誤あやまりから防ふせぐ枠組わくぐみ)、白身しろみが自然しぜん学がく(世界せかいの成なり立たちという栄養えいよう素そ)、黄身きみが倫理りんり学がく(すべての目的もくてきであり核心かくしん)だ。また畑はたけの喩たとえでは、垣根かきねが論理ろんり学がく(外敵がいてきから思考しこうを守まもる)、土壌どじょうが自然しぜん学がく(知ちが育そだつ基盤きばん)、実みる果実かじつが倫理りんり学がく(最終さいしゅう的てきな収穫しゅうかく)だとされた(ディオゲネス・ラエルティオスDiogenēs Laertios VII.40)。いずれの喩たとえにも共通きょうつうするのは、倫理りんり学がくこそが哲学てつがくの究極きゅうきょく目的もくてきであるという確信かくしんだ。倫理りんり学がくを正ただしく営いとなむためには世界せかいの仕組しくみ(自然しぜん学がく)と正ただしい推論すいろんの方法ほうほう(論理ろんり学がく)が不可欠ふかけつだとストア派はは考かんがえた。哲学てつがくは知ちの遊戯ゆうぎではなく、善よく生いきるための統合とうごう的てきな営いとなみなのだ。

2. 自然しぜん学がく── ロゴスlogosが浸透しんとうする宇宙うちゅう

ストア派はの自然しぜん学がくは唯物ゆいぶつ論ろん的てきだ。存在そんざいするのは物体ぶったいのみであり、プラトンPlatōnのイデアideaのような「目めに見みえない別世界べつせかいに存在そんざいする完全かんぜんな形かたち」は認みとめない。しかし単たんなる唯物ゆいぶつ論ろんではない。宇宙うちゅうは神的しんてきな理性りせい(ロゴスlogos)によって貫つらぬかれており、すべてのものはこのロゴスlogosの一部いちぶである。いわば宇宙うちゅうそのものが巨大きょだいな知性ちせいであり、石いしも木きも動物どうぶつも人間にんげんもその一部いちぶとして組くみ込こまれている。ストアStoa派ははこのロゴスlogosを「創造そうぞう的てきな火ひ」(ピュル・テクニコンpyr technikon)や「プネウマpneuma(気息きそく)」とも呼よんだ。ヘラクレイトスHērakleitosの万物ばんぶつ流転るてんとロゴスlogosの概念がいねんを継承けいしょうしている。

この世界せかい観かんには重要じゅうような帰結きけつがいくつかある。第一だいいちに、宇宙うちゅうは合理ごうり的てきな秩序ちつじょであり、偶然ぐうぜんはない。すべてが因果いんがの連鎖れんさのなかにあり、運命うんめい(ヘイマルメネーheimarmenē)として定さだめられている。第二だいにに、人間にんげんの理性りせいは宇宙うちゅうのロゴスlogosの一部いちぶであるから、理性りせいに従したがって生いきることは自然しぜんに従したがって生いきることに等ひとしい。第三だいさんに、万物ばんぶつはロゴスlogosを通つうじて互たがいに結むすびついている。ストアStoa派ははこれを「共感きょうかん」(シュンパテイアsympatheia)と呼よんだ。宇宙うちゅうはバラバラな部品ぶひんの寄よせ集あつめではなく、一ひとつの有機ゆうき体たいのように連動れんどうする全体ぜんたいなのだ。

さらにストアStoa派はは、宇宙うちゅうが周期しゅうき的てきに大だい火か災さい(エクピュローシスekpyrōsis)によって燃もえ尽つき、再ふたたびロゴスlogosから同おなじ宇宙うちゅうが再生さいせいされるという永劫えいごう回帰かいきを説といた。すべてが寸分すんぶん違たがわず繰くり返かえされる。この壮大そうだいな宇宙うちゅう論ろんは、宇宙うちゅうの完全かんぜんな合理ごうり性せいへの信頼しんらいの表現ひょうげんである。宇宙うちゅうに無駄むだはなく、すべてに意味いみがある。だからこそ、起おこることを受うけ入いれることに理りがある、とストア派はは考かんがえた。

3. 倫理りんり学がく── 徳とくのみが善ぜん

ストア倫理りんり学がくの根幹こんかんは「徳とく(アレテーaretē)のみが善ぜんであり、悪徳あくとく(カキアkakia)のみが悪あくである」という命題めいだいだ。健康けんこう、富とみ、名誉めいよは「好このましいもの」(プロエーグメノンproēgmenon)ではあるが、それ自体じたいは善ぜんでも悪あくでもない「無差別むさべつなもの」(アディアフォロンadiaphoron)だ。

これはどういうことか。具体ぐたい的てきに考かんがえてみよう。嵐あらしに遭あって財産ざいさんを失うしなっても(まさにゼノンZēnōn自身じしんがそうだったように)、正ただしく判断はんだんし正ただしく行動こうどうする能力のうりょくは奪うばわれない。健康けんこうは病気びょうきや老齢ろうれいによって失うしなわれうるが、徳とくは自分じぶんの意志いしでしか手放てばなせない。反対はんたいに、不正ふせいな手段しゅだんで巨万きょまんの富とみを得えた人間にんげんは、外がい見上けんじょうは成功せいこう者しゃであっても、ストア派はにとっては不幸ふこうな人間にんげんだ。徳とくを欠かいているからだ。幸福こうふくとは徳とくにかなった生せいのなかにあるのであって、外的がいてきな財ざいのなかにはない。ただし「無差別むさべつ」といっても、ストア派はは健康けんこうや富とみをまったく無視むしせよとは言いっていない。それらは「選えらぶに値あたいするもの」ではあるが、それを得えるために徳とくを犠牲ぎせいにしてはならない、というのがストア派はの立場たちばだ。健康けんこうでありたいと願ねがうのは自然しぜんだ。だが健康けんこうを失うしなっても幸福こうふくでありうる。それがストア派はの革命かくめい的てきな主張しゅちょうだった。

徳とくは四よっつの枢要すうよう徳とくとして整理せいりされた。知恵ちえ(フロネーシスphronēsis:何なにが善ぜんで何なにが悪あくかを見分みわける力ちから)、勇気ゆうき(アンドレイアandreia:困難こんなんに立たち向むかう力ちから)、節制せっせい(ソーフロシュネーsōphrosynē:欲望よくぼうを制御せいぎょする力ちから)、正義せいぎ(ディカイオシュネーdikaiosynē:他者たしゃに公正こうせいに接せっする力ちから)。しかもストア派ははこれらを分離ぶんり不可能ふかのうだと考かんがえた。一ひとつの徳とくを持もつ者ものはすべての徳とくを持もち、一ひとつを欠かく者ものはすべてを欠かく。これは「徳とくの統一とういつ」と呼よばれるテーゼTheseであり、後世こうせい多おおくの議論ぎろんを呼よんだ。たとえば、戦場せんじょうで勇敢ゆうかんに戦たたかうが不正ふせいな略奪りゃくだつを行おこなう兵士へいしは、ストア派はにとっては真しんに勇敢ゆうかんとは言いえない。正義せいぎを欠かいた勇気ゆうきは蛮勇ばんゆうにすぎないからだ。

4. オイケイオーシスoikeiōsis── 自己じこ親和しんわから他者たしゃへの拡大かくだい

ストア倫理りんり学がくのもう一ひとつの柱はしらが「オイケイオーシスoikeiōsis」(自己じこ親和しんわ・適合てきごう)だ。すべての生いき物ものは生うまれたときから自己じこ保存ほぞんの衝動しょうどうを持もち、自分じぶんに適てきしたものを求もとめ、害がいあるものを退しりぞける。赤あかん坊ぼうが母親ははおやの乳ちちを求もとめ、熱あついものから手てを引ひくのはこの本能ほんのうによる。動物どうぶつはこの衝動しょうどうにとどまるが、人間にんげんは成長せいちょうするにつれて理性りせいが発達はったつし、やがて「理性りせいに従したがって生いきること」自体じたいを最高さいこうの目的もくてきと認識にんしきするようになる。食たべたいから食たべるのではなく、「食たべることが理りにかなっているから食たべる」。人間にんげんの成熟せいじゅくとは、衝動しょうどうから理性りせいへの移行いこうだとストア派はは考かんがえた。

さらにオイケイオーシスoikeiōsisは自己じこから他者たしゃへと拡大かくだいする。人ひとはまず親おやや子こに親したしみを感かんじ、次つぎに友人ゆうじんや同胞どうほうへ、そして最終さいしゅう的てきにはすべての理性りせい的てき存在そんざい者しゃへと関心かんしんの輪わが広ひろがっていく。後のちのストア派は哲学てつがく者しゃヒエロクレスHieroclēsはこれを「同心どうしん円えん」のモデルmodelで説明せつめいした。中心ちゅうしんに自己じこがあり、家族かぞく、地域ちいき、国家こっか、人類じんるい全体ぜんたいへと円えんが広ひろがる。私わたしたちは遠とおい国くにの人ひとの苦くるしみよりも、家族かぞくの苦くるしみに強つよく反応はんのうするのが普通ふつうだ。しかし賢者けんじゃはこの円えんを可能かのうな限かぎり縮ちぢめ、遠とおい他者たしゃをも身近みぢかな者もののように配慮はいりょする。この理論りろんが、ストア的てき世界せかい市民しみん主義しゅぎの倫理りんり的てき基盤きばんである。

5. 情念じょうねん(パトスpathos)の理論りろん── 感情かんじょうは判断はんだんである

ストア派はにとって、怒いかり、恐おそれ、悲かなしみ、快楽かいらくへの耽溺たんできといった情念じょうねん(パトスpathos)は、外そとから襲おそってくる不可ふか抗力こうりょくではない。それらは誤あやまった判断はんだん(たとえば「富とみを失うしなうことは恐おそろしい悪あくだ」という判断はんだん)から生うまれる。渋滞じゅうたいに怒いかりを感かんじるのは、「遅おくれることは大おおきな悪あくだ」と無意識むいしきに判断はんだんしているからだ。もし「遅おくれは不便ふべんだが、善ぜんでも悪あくでもない」と判断はんだんし直なおせば、怒いかりは生しょうじない。ストア派はは情念じょうねんを四よっつに分類ぶんるいした。未来みらいの善ぜんに対たいする過度かどな欲望よくぼう(エピテュミアepithymia)、未来みらいの悪あくに対たいする恐怖きょうふ(フォボスphobos)、現在げんざいの善ぜんに対たいする過度かどな快楽かいらく(ヘードネーhēdonē)、現在げんざいの悪あくに対たいする苦悩くのう(リュペーlypē)である。いずれも「善ぜんや悪あくでないものを善ぜんや悪あくと誤認ごにんする」判断はんだんに基もとづいている。

この理論りろんは画期かっき的てきだった。もし感情かんじょうが判断はんだんに由来ゆらいするなら、判断はんだんを変かえれば感情かんじょうも変かわる。ストア派はが目指めざす「アパテイアapatheia」(情念じょうねんからの自由じゆう)とは、感情かんじょうを殺ころして冷つめたい人間にんげんになることではない。誤あやまった判断はんだんに基もとづく情念じょうねんを理性りせいによって矯正きょうせいすることだ。感情かんじょうがなくなるのではなく、健全けんぜんな感情かんじょう(エウパテイアeupatheia)が残のこる。喜よろこび(カラchara)、慎つつしみ(エウラベイアeulabeia)、合理ごうり的てきな意志いし(ブーレーシスboulēsis)。これらは情念じょうねんではなく、正ただしい判断はんだんに基もとづく健全けんぜんな心こころの動うごきである。ストア派はの理想りそうは「何なにも感かんじない人ひと」ではなく、「正ただしく感かんじる人ひと」なのだ。

この洞察どうさつは2000年ねん後ごのアルバート・エリスAlbert Ellis(論理ろんり情動じょうどう行動こうどう療法りょうほうの創始そうし者しゃ)やアーロン・ベックAaron Beck(認知にんち療法りょうほうの創始そうし者しゃ)に直接ちょくせつ的てきな影響えいきょうを与あたえた。エリスEllisは自みずからストア派はの影響えいきょうを公言こうげんしており、エピクテトスEpiktētosの「人ひとを苦くるしめるのは事柄ことがらではなく、事柄ことがらについての判断はんだんだ」という命題めいだいを療法りょうほうの基礎きそに据すえた。

6. 運命うんめいと自由じゆう── 決定けってい論ろんのなかの自律じりつ

ストア派はは宇宙うちゅうの因果いんが的てき決定けってい論ろんを認みとめた。すべての出来事できごとは先行せんこうする原因げんいんの必然ひつぜん的てきな結果けっかである。では人間にんげんの自由じゆうはどこにあるのか。すべてが決きまっているなら、努力どりょくにも選択せんたくにも意味いみがないのではないか。

ゼノンZēnōnの後継こうけい者しゃクリュシッポスChrysipposはこれを巧たくみに説明せつめいした。円柱えんちゅうを坂さかの上うえから押おせば転ころがる。押おすこと(外的がいてき原因げんいん)がなければ転ころがらないが、転ころがり方かたは円柱えんちゅうの形かたち(内的ないてき本性ほんせい)によって決きまる。立方体りっぽうたいなら転ころがらない。同おなじように、外的がいてき状況じょうきょうは私わたしたちに選択せんたくを迫せまるが、それにどう応おうじるかは私わたしたちの内的ないてき性質せいしつ(理性りせいと徳とく)にかかっている。突然とつぜんの解雇かいこに直面ちょくめんしたとき、ある人ひとは絶望ぜつぼうし、ある人ひとは新あらたな道みちを見出みいだす。同おなじ出来事できごとに対たいする反応はんのうの違ちがいこそが自由じゆうの在処ありかだ。クリュシッポスChrysipposはこれを原因げんいんの区別くべつとして定式ていしき化かした。「先行せんこう原因げんいん」(外そとからの刺激しげき)と「主要しゅよう原因げんいん」(行為こうい者しゃの本性ほんせい)の区別くべつだ。道徳どうとく的てき責任せきにんは主要しゅよう原因げんいんにかかる。

後のちのエピクテトスEpiktētosは、この思想しそうをさらに鮮あざやかに定式ていしき化かした。「我々われわれの権内けんないにあるもの(エフ・ヘーミンeph' hēmin)と権外けんがいにあるものを区別くべつせよ」(『提要ていよう』〔エンケイリディオンEncheiridion〕1.1)。自分じぶんの判断はんだん・意志いし・欲求よっきゅうは権内けんないにある。身体しんたいの健康けんこう、他人たにんの行動こうどう、天候てんこうは権外けんがいにある。権外けんがいのものに執着しゅうちゃくしなければ、心こころの自由じゆうは保たもたれる。ストア派ははまた、運命うんめいに対たいする態度たいどを犬いぬと荷車にぐるまの比喩ひゆで語かたった。荷車にぐるまに繋つながれた犬いぬは、喜よろこんで走はしれば楽らくに進すすみ、抵抗ていこうすれば引ひきずられる。どちらにせよ進すすむ方向ほうこうは変かわらない。ならば喜よろこんで従したがうほうが賢明けんめいだ。避さけられないことに抗あらがうのではなく、避さけられないことへの態度たいどを選えらぶ。これがストア的てき自由じゆうの本質ほんしつである。

7. 賢者けんじゃ(ソフォスsophos)の理想りそう

ストア派はは完全かんぜんな徳とくを体現たいげんした人物じんぶつを「賢者けんじゃ」(ソフォスsophos)と呼よんだ。賢者けんじゃはすべての状況じょうきょうで正ただしく判断はんだんし、情念じょうねんに惑まどわされず、運命うんめいと調和ちょうわして生いきる。火ひのなかにあっても幸福こうふくであり、拷問ごうもんのなかにあっても動どうじない。

しかしストア派はは、このような賢者けんじゃがきわめて稀まれであることを認みとめていた。歴史れきし上じょう賢者けんじゃと呼よべるのはソクラテスSōkratēsやヘラクレスHēraklēsくらいだ、という議論ぎろんさえあった。では賢者けんじゃの理想りそうは非現実ひげんじつ的てきではないか。ストア派ははそうは考かんがえなかった。賢者けんじゃは到達とうたつ目標もくひょうであって、日常にちじょうの記述きじゅつではない。大多数だいたすうの人間にんげんは「進歩しんぽ途上とじょうの者もの」(プロコプトーンprokoptōn)であり、日々ひびの修練しゅうれんを通つうじて徳とくに近ちかづいていく。ちょうど北極ほっきょく星せいのように。北極ほっきょく星せいに到達とうたつすることはできないが、正ただしい方向ほうこうに進すすむための指針ししんにはなる。この「完璧かんぺきな理想りそうと不完全ふかんぜんな現実げんじつのあいだの緊張きんちょう」をどう受うけ止とめるかが、ストア的てき実践じっせんの要かなめである。

8. 論理ろんり学がく── 命題めいだい論理ろんり学がくの先駆せんく

ストア派はの論理ろんり学がくは、アリストテレスAristotelēsの三段さんだん論法ろんぽう(項こうの論理ろんり学がく)とは異ことなり、命題めいだいの接続せつぞく関係かんけいを扱あつかう命題めいだい論理ろんり学がくだった。簡単かんたんに言いえば、アリストテレスAristotelēsの論理ろんり学がくが「すべてのAはBである」のような主語しゅごと述語じゅつごの関係かんけいを分析ぶんせきするのに対たいし、ストア派はは「もしpならばq」「pまたはq」「pかつq」といった文ぶんと文ぶんの結合けつごう関係かんけいに注目ちゅうもくした。現代げんだいのプログラミングprogrammingにおける「if-then」構文こうぶんにも通つうじる発想はっそうだ。

クリュシッポスChrysipposが体系たいけい化かした「五いつつの論証ろんしょう不要ふようの推論すいろん形式けいしき」(アナポデイクトイanapodeiktoi)は、現代げんだい論理ろんり学がくでいう「前件ぜんけん肯定こうてい」「後件こうけん否定ひてい」などの推論すいろん規則きそくに対応たいおうする。たとえば「もし昼ひるなら明あかるい。昼ひるである。ゆえに明あかるい」。これは第一だいいちの不可ふか論証ろんしょうにあたる。この業績ぎょうせきは中世ちゅうせい以降長ながく忘わすれられ、アリストテレスAristotelēsの三段さんだん論法ろんぽうが論理ろんり学がくの唯一ゆいいつの体系たいけいだと思おもわれていた。19世紀せいきにフレーゲFregeらが記号きごう論理ろんり学がくを構築こうちくしてようやく、ストア派はの命題めいだい論理ろんり学がくが先駆せんく的てき業績ぎょうせきとして再評価さいひょうかされた。

さらにストア派はは認識にんしき論ろんにおいて、確実かくじつな知識ちしきの基準きじゅんとして「把握はあく的てき表象ひょうしょう」(カタレープティケー・ファンタシアkatalēptikē phantasia)を提唱ていしょうした。外界がいかいからの印象いんしょうのうち、対象たいしょうの実在じつざいを正確せいかくに写うつし取とるものがあり、理性りせいはそれに「同意どうい」(シュンカタテシスsynkatathesis)を与あたえることで知識ちしきを成立せいりつさせる。これは倫理りんりと密接みっせつに関かかわっている。現実げんじつを正ただしく認識にんしきできなければ、正ただしい判断はんだんも不可能ふかのうだからだ。懐疑かいぎ派ははこの「同意どうい」の妥当だとう性せいを激はげしく攻撃こうげきしたが、ストア派はにとって認識にんしきの確実かくじつ性せいは倫理りんり的てき行為こういの前提ぜんていであり、譲ゆずれない一線いっせんだった。

9. 世界せかい市民しみん主義しゅぎ(コスモポリタニズムcosmopolitanism)

ゼノンZēnōnの主著しゅちょ『国家こっか』(ポリテイアPoliteia)は散逸さんいつして断片だんぺんしか残のこっていないが、そこでは人種じんしゅや都市とし国家こっかの壁かべを超こえ、すべての理性りせい的てき存在そんざい者しゃが一ひとつの共同きょうどう体たいに属ぞくするという構想こうそうが示しめされていた。貨幣かへいも神殿しんでんも裁判所さいばんしょもなく、徳とくのみが市民しみん権けんの基準きじゅんとなる社会しゃかい(犬儒けんじゅ派はの急進きゅうしん性せいを引ひき継つぐ)この構想こうそうは、後世こうせいのストア派はからも物議ぶつぎを醸かもした。

ロゴスlogosを共有きょうゆうする限かぎり、奴隷どれいも王おうもギリシャGreece人じんも蛮族ばんぞく(バルバロイbarbaroi)も平等びょうどうだ。この理念りねんは、古代こだい世界せかいのなかできわめて急進きゅうしん的てきなものだった。ギリシャGreece人じんが異い民族みんぞくを「蛮族ばんぞく」と呼よんで見下みくだしていた時代じだいに、理性りせいを持もつ者ものはすべて平等びょうどうだと宣言せんげんしたのだ。ローマRōma帝国ていこくが多た民族みんぞくを統合とうごうする普遍ふへん的てき法ほう(ユス・ゲンティウムius gentium)を必要ひつようとしたとき、ストア的てき世界せかい市民しみん主義しゅぎは法ほう思想しそうの基盤きばんを提供ていきょうした。近代きんだいの自然しぜん法ほう思想しそうや人権じんけん概念がいねんの遠とおい源流げんりゅうがここにある。

主要しゅよう著作ちょさくガイド

  • ゼノンZēnōnの著作ちょさくはすべて散逸さんいつしており、完全かんぜんな形かたちでは現存げんぞんしない。以下いかは断片だんぺんの収集しゅうしゅう・証言しょうげん資料しりょう、およびストアStoa派はの重要じゅうようテクストtext。
  • 『初期しょきストア派は断片だんぺん集しゅう』(Stoicorum Veterum Fragmentaストイコルム・ウェテルム・フラグメンタ [SVF]、フォン・アルニムvon Arnim編へん、1903-1924年ねん) ── 初期しょきストア派はの断片だんぺんと証言しょうげんを網羅もうら的てきに集あつめた標準ひょうじゅん的てき資料しりょう集しゅう。第だい1巻かんがゼノンZēnōnに充あてられている。
  • ディオゲネス・ラエルティオスDiogenēs Laertios『哲学てつがく者しゃ列伝れつでん』第だい7巻かん(邦訳ほうやく:加来かく彰俊あきとし訳やく、岩波いわなみ文庫ぶんこ) ── ゼノンZēnōnの生涯しょうがいとストア派はの学説がくせつをもっとも詳くわしく伝つたえる古代こだいの文献ぶんけん。
  • エピクテトスEpiktētos『提要ていよう(エンケイリディオンEncheiridion)』(邦訳ほうやく:鹿野かの治助じすけ訳やく、岩波いわなみ文庫ぶんこ) ── ストア倫理りんり学がくの実践じっせん的てきエッセンスessence。短みじかく読よみやすい入門にゅうもんに最適さいてき。
  • マルクス・アウレリウスMarcus Aurelius『自省じせい録ろく』(邦訳ほうやく:神谷かみや美恵子みえこ訳やく、岩波いわなみ文庫ぶんこ) ── ローマRōma皇帝こうていが戦場せんじょうのテントtentで書かき綴つづったストア的てき瞑想めいそう録ろく。ストア哲学てつがくの生いきた実践じっせんの記録きろく。
  • セネカSeneca『人生じんせいの短みじかさについて』(邦訳ほうやく:大西おおにし英文ひでふみ訳やく、岩波いわなみ文庫ぶんこ) ── 時間じかんの使つかい方かたと生いき方かたを問とう名著めいちょ。ストア的てき時間じかん論ろんの入門にゅうもんに適てきする。

主要しゅような批判ひはんと論争ろんそう

1. エピクロスEpikouros派は── 快楽かいらくこそ善ぜんではないか:ストア派はと同時代どうじだいのエピクロスEpikouros派はは、善ぜんとは快楽かいらく(ヘードネーhēdonē、とりわけ苦痛くつうの不在ふざい(アタラクシアataraxia))であると主張しゅちょうした。徳とくのみが善ぜんだというストア派はの立場たちばは人間にんげんの自然しぜんな欲求よっきゅうを無視むししている、とエピクロスEpikouros派はは批判ひはんした。しかしストア派はは快楽かいらくを全面ぜんめん否定ひていしているわけではない。快楽かいらくは自然しぜんな活動かつどうに伴ともなう副産物ふくさんぶつにすぎず、目的もくてきにしてはならない、というのがストア派はの立場たちばだった。「幸福こうふくの源みなもとは快楽かいらくか徳とくか」──この論争ろんそうは古代こだい哲学てつがくの中心ちゅうしん的てき対立たいりつの一ひとつであり、今日こんにちまで続つづいている。

2. 懐疑かいぎ派は── 確実かくじつな認識にんしきは可能かのうか:アカデメイアAkadēmeiaの懐疑かいぎ派は(アルケシラオスArkesilaos、カルネアデスKarneadēs)は、ストア派はの認識にんしき論ろん(把握はあく的てき表象ひょうしょうによって確実かくじつな知識ちしきが得えられる)を徹底てってい的てきに攻撃こうげきした。夢ゆめや錯覚さっかくは実在じつざいする対象たいしょうからの表象ひょうしょうと区別くべつできない。確実かくじつな知識ちしきがなければ、徳とくに基もとづく行為こういの基盤きばんが崩くずれるのではないか。この認識にんしき論ろんの論争ろんそうは、ストア派はに学説がくせつの精緻せいち化かを迫せまり、結果けっか的てきにストア認識にんしき論ろんの発展はってんを促うながした。

3. 決定けってい論ろんと道徳どうとく的てき責任せきにん:すべてが運命うんめいによって定さだめられているなら、道徳どうとく的てきな称賛しょうさんも非難ひなんも無意味むいみではないか。「犯罪はんざい者しゃも運命うんめいに従したがっただけだ」と言いえてしまうのではないか。この批判ひはんは古代こだいから繰くり返かえし提起ていきされた。クリュシッポスChrysipposは前述ぜんじゅつの「先行せんこう原因げんいんと主要しゅよう原因げんいんの区別くべつ」によって応答おうとうしたが、決定けってい論ろんと自由じゆう意志いしの両立りょうりつは、今日こんにちに至いたるまで哲学てつがくの難問なんもんであり続つづけている。

4. 「無差別むさべつなもの」への批判ひはん:健康けんこうも生命せいめいも「善ぜん」ではなく「好このましいもの」にすぎないというストア派はの主張しゅちょうは、常識じょうしきに反はんするように聞きこえる。重病じゅうびょうの人ひとに「健康けんこうは善ぜんではない」と言いえるだろうか。ペリパトスPeripatos派は(アリストテレスAristotelēs学派がくは)は、徳とくに加くわえて外的がいてきな善ぜん(健康けんこう、友人ゆうじん、一定いっていの財産ざいさん)も幸福こうふくに必要ひつようだと論ろんじ、ストア派はの厳格げんかくさを批判ひはんした。実際じっさい、後期こうきストア派は(パナイティオスPanaitios、ポセイドニオスPoseidōnios)はこの点てんを柔軟じゅうなん化かし、ペリパトスPeripatos派はの立場たちばに歩あゆみ寄よった。

影響えいきょうと遺産いさん

先行せんこう思想しそう:ソクラテスSōkratēsの「徳とくは知ちなり」という命題めいだいがストア倫理りんり学がくの出発しゅっぱつ点てんにある。犬儒けんじゅ派はの禁欲きんよく主義しゅぎと慣習かんしゅう批判ひはん、ヘラクレイトスHērakleitosのロゴスlogos概念がいねんと火ひの宇宙うちゅう論ろん、メガラMegara派はの論理ろんり学がくがストア派はの基盤きばんを形成けいせいした。プラトンPlatōnの理想りそう国家こっか論ろんも、ゼノンZēnōnの『国家こっか』に対話たいわ的てきな影響えいきょうを与あたえている。

学派がくはの展開てんかい:ゼノンZēnōnの後あと、クレアンテスKleanthēs(第だい2代だい学頭がくとう)がストア神学しんがくを深ふかめ、クリュシッポスChrysippos(第だい3代だい学頭がくとう)が論理ろんり学がくと倫理りんり学がくを精緻せいち化かした。「クリュシッポスChrysipposなくばストアStoaなし」と言いわれたほどだ。ゼノンZēnōnが骨格こっかくを作つくり、クリュシッポスChrysipposがそれに筋肉きんにくと神経しんけいを与あたえた、と言いえるだろう。

ローマRōma・ストア:セネカSeneca、エピクテトスEpiktētos、マルクス・アウレリウスMarcus Aureliusがストア哲学てつがくを実践じっせん的てき・文学ぶんがく的てきに展開てんかいし、今日こんにちまで最もっとも広ひろく読よまれるストア文献ぶんけんとなっている。奴隷どれい(エピクテトスEpiktētos)も皇帝こうてい(マルクス・アウレリウスMarcus Aurelius)も同おなじ哲学てつがくに拠よって生いきた。このこと自体じたいが、ストア的てき普遍ふへん主義しゅぎの証あかしである。

キリストChrist教きょうとの関係かんけい:初期しょきキリストChrist教きょうはストア派はの自然しぜん法ほう思想しそう、ロゴスlogos概念がいねん、禁欲きんよく的てき倫理りんりを大おおきく吸収きゅうしゅうした。『ヨハネIōannēsによる福音ふくいん書しょ』冒頭ぼうとうの「初はじめにロゴスlogosありき」は、ストア的てきロゴスlogos概念がいねんとの接点せってんが研究けんきゅう者しゃによって指摘してきされている。使徒しとパウロPaulosの書簡しょかんにもストア的てき表現ひょうげんが散見さんけんされる。

近代きんだい倫理りんり学がく:カントKantの義務ぎむ論ろん(道徳どうとく法則ほうそくへの無条件むじょうけんの従属じゅうぞく、幸福こうふくと道徳どうとくの峻別しゅんべつ)にはストア派はの強つよい影響えいきょうが認みとめられる。「結果けっかがどうであれ義務ぎむを果はたせ」というカントの主張しゅちょうは、「結果けっかは権外けんがいにあるが行為こういの正ただしさは権内けんないにある」というストア的てき発想はっそうの延長えんちょう線せん上じょうにある。スピノザSpinozaの「情動じょうどうの統御とうぎょ」もストア的てき主題しゅだいであり、デカルトDescartesの『情念じょうねん論ろん』もストア派はを意識いしきして書かかれた。

現代げんだいへの接続せつぞく

第一だいいちに、認知にんち行動こうどう療法りょうほう(CBTシービーティー)。「出来事できごとが人ひとを苦くるしめるのではなく、出来事できごとについての判断はんだんが人ひとを苦くるしめる」──エピクテトスEpiktētosのこの命題めいだいは、CBTシービーティーの基本きほん原理げんりそのものだ。たとえば「上司じょうしに叱しかられた」という出来事できごとが苦くるしいのではなく、「上司じょうしに叱しかられた=自分じぶんは無能むのうだ」という判断はんだんが苦くるしみを生うむ。この判断はんだんを「上司じょうしは改善かいぜん点てんを指摘してきしただけだ」と修正しゅうせいすれば、苦くるしみは軽減けいげんする。不安ふあんや怒いかりを引ひき起おこす認知にんちの歪ゆがみを修正しゅうせいするというCBTシービーティーの方法ほうほうは、ストア派はの情念じょうねん論ろんの現代げんだい版ばんと言いってよい。

第二だいにに、「現代げんだいストイシズムStoicism」運動うんどう。毎年まいとし10月がつに開催かいさいされる「ストイック・ウィークStoic Week」は世界せかい的てきなイベントeventとなっている。不確実ふかくじつな時代じだいに「自分じぶんでコントロールcontrolできるものに集中しゅうちゅうする」というストア的てき原則げんそくは、パンデミックpandemicや経済けいざい不安ふあんの時代じだいにとりわけ共鳴きょうめいを呼よんでいる。ライアン・ホリデイRyan Holidayの著作ちょさく群はストア哲学てつがくを一般いっぱん読者どくしゃに届とどけ、世界せかい的てきなベストセラーbestsellerとなった。

第三だいさんに、レジリエンスresilienceとリーダーシップleadership。軍事ぐんじ教育きょういく、経営けいえい学がく、スポーツsports心理しんり学がくの分野ぶんやで、ストア的てき回復かいふく力りょくの概念がいねんが応用おうようされている。元もとアメリカAmerica海軍かいぐん中将ちゅうじょうジェイムズ・ストックデールJames Stockdaleは、ベトナムVietnam戦争せんそうでの7年ねん半はんの捕虜ほりょ生活せいかつを、エピクテトスEpiktētosの哲学てつがくによって耐たえ抜ぬいたと語かたっている。「権内けんないにあるもの」と「権外けんがいにあるもの」の区別くべつは、極限きょくげん状況じょうきょうでも人間にんげんの尊厳そんげんを守まもる原理げんりたりえた。

第四だいよんに、環境かんきょう倫理りんりと宇宙うちゅう的てき連帯れんたい。ストア派はの「共感きょうかん」(シュンパテイアsympatheia)──万物ばんぶつがロゴスlogosを通つうじて連動れんどうする有機ゆうき体たいとしての宇宙うちゅう──という発想はっそうは、現代げんだいの環境かんきょう倫理りんりにおける「地球ちきゅう全体ぜんたいをひとつのシステムsystemとして捉とらえる」視点してんと親和しんわ性せいがある。人間にんげんは自然しぜんの支配しはい者しゃではなく自然しぜんの一部いちぶである──ストア派はのこの洞察どうさつは、気候きこう変動へんどうの時代じだいにあらためて意味いみを持もつだろう。

読者どくしゃへの問とい

  • あなたの日常にちじょうの不安ふあんや怒いかりのうち、実際じっさいには「判断はんだんを変かえれば消きえるもの」はどれくらいあるだろうか。ストア派はの情念じょうねん論ろんは、心こころの苦くるしみへの実践じっせん的てきな処方しょほう箋せんになりうるか。
  • 「徳とくのみが善ぜん」というストア派はの主張しゅちょうは厳きびしすぎるだろうか。健康けんこうや愛あいする人ひとの存在そんざいを「善ぜんではなく好このましいもの」とする分類ぶんるいは、私わたしたちの実感じっかんと矛盾むじゅんしないだろうか。
  • すべてが運命うんめいに定さだめられているのに自由じゆうがある、というストア派はの両立りょうりつ論ろんは説得せっとく的てきか。それとも、自己じこ欺瞞ぎまんにすぎないのか。

名言めいげん(出典しゅってんつき)

"人ひとが苦くるしむのは、事柄ことがらによってではなく、事柄ことがらについての判断はんだんによってである。" 出典しゅってん:エピクテトスEpiktētos『提要ていよう(エンケイリディオンEncheiridion)』5章しょう/原文げんぶん:"Tarassei tous anthrōpous ou ta pragmata alla ta peri tōn pragmatōn dogmata."タラッセイ・トゥース・アントローポス・ウー・タ・プラグマタ・アッラ・タ・ペリ・トーン・プラグマトーン・ドグマタ
"航海こうかいに失敗しっぱいして、最もっとも幸運こううんな航海こうかいをした。" 出典しゅってん:ゼノンZēnōnの言葉ことばとして、ディオゲネス・ラエルティオスDiogenēs Laertios『哲学てつがく者しゃ列伝れつでん』VII.4-5に伝つたえられる。
"自然しぜんに一致いっちして生いきよ。" 出典しゅってん:ゼノンZēnōnの倫理りんり学がくの根本こんぽん命題めいだいとして、ディオゲネス・ラエルティオスDiogenēs Laertios『哲学てつがく者しゃ列伝れつでん』VII.87に記録きろく/原文げんぶん:"Homologoumenōs tē physei zēn."ホモロゴウメノース・テー・フュセイ・ゼーン
"人間にんげんには耳みみが二ふたつあるのに口くちは一ひとつしかないのは、話はなす倍ばいだけ聴きくためだ。" 出典しゅってん:ゼノンZēnōnの言葉ことばとして、ディオゲネス・ラエルティオスDiogenēs Laertios『哲学てつがく者しゃ列伝れつでん』VII.23に伝つたえられる。

参考さんこう文献ぶんけん

  • (断片だんぺん集しゅう):von Arnim, Hansフォン・アルニム、ハンス. Stoicorum Veterum Fragmentaストイコルム・ウェテルム・フラグメンタ (SVF). 4 vols. Leipzigライプツィヒ: Teubnerトイブナー, 1903-1924.
  • (断片だんぺん集しゅう・英訳えいやく):Long, A.A.ロング & Sedley, D.N.セドリー The Hellenistic Philosophersザ・ヘレニスティック・フィロソファーズ. 2 vols. Cambridgeケンブリッジ: Cambridge University Pressケンブリッジ大学出版局, 1987.
  • (古代こだい証言しょうげん):Diogenes Laertiusディオゲネス・ラエルティオス. Lives of the Eminent Philosophersライブズ・オブ・ジ・エミネント・フィロソファーズ, Book VII. / 邦訳ほうやく:ディオゲネス・ラエルティオスDiogenēs Laertios『哲学てつがく者しゃ列伝れつでん』加来かく彰俊あきとし訳やく、岩波いわなみ文庫ぶんこ。
  • (概説がいせつ):Sellars, Johnセラーズ、ジョン. Stoicismストイシズム. Londonロンドン: Routledgeラウトレッジ, 2006.
  • (概説がいせつ):Inwood, Bradインウッド、ブラッド (ed.). The Cambridge Companion to the Stoicsザ・ケンブリッジ・コンパニオン・トゥ・ザ・ストイクス. Cambridgeケンブリッジ: Cambridge University Pressケンブリッジ大学出版局, 2003.
  • (概説がいせつ・邦語ほうご):山口やまぐち義久よしひさ『ストア派はの哲学てつがく──初期しょきストア派はを中心ちゅうしんに』晃洋こうよう書房しょぼう、2014年ねん。
  • (現代げんだい応用おうよう):Robertson, Donaldロバートソン、ドナルド. How to Think Like a Roman Emperorハウ・トゥ・シンク・ライク・ア・ローマン・エンペラー. New Yorkニューヨーク: St. Martin's Pressセント・マーティンズ・プレス, 2019.
  • ウェブweb:Stanford Encyclopedia of Philosophyスタンフォード哲学百科事典, "Stoicismストイシズム" (Marion Durand, Simon Shogry & Dirk Baltzly, first published 2023). https://plato.stanford.edu/entries/stoicism/ (2026-02-22 閲覧えつらん)