西暦せいれき65ねん、4がつのある夕暮ゆうぐれ。ローマRōma郊外こうがい別荘べっそうで、セネカSenecaつまパウリナPaulina友人ゆうじんたちにかこまれて夕食ゆうしょくをとっていた。そこに皇帝こうていネロNero護衛ごえい隊長たいちょうあらわれ、自死じしめいじた。ピソPiso陰謀いんぼうへの加担かたん嫌疑けんぎ中身なかみはそれだった。実際じっさい関与かんよしたかはいまもわからない。しかしネロNeroにとって、かつての存在そんざいそのものが邪魔じゃまだった。タキトゥスTacitus記述きじゅつによれば、セネカSenecaみださなかった。くずれる友人ゆうじんたちにかい、こうかたった。「哲学てつがくおしえはどこにいったのか。あれほどなが年月ねんげつをかけてそなえてきたのは、まさにこのときのためではなかったか」(『年代記Annales』XV.62)。

つまパウリナPaulinaおっととともにぬとり、みずからも手首てくびった。セネカSenecaめなかった。「立派りっぱきる助言じょげんあたえたつもりだが、あなたは立派りっぱ名誉めいよえらぶのか」とったとつたえられる(XV.63)。結局けっきょくパウリナPaulinaネロNero命令めいれい止血しけつされびたが、セネカSeneca手首てくびり、どくみ、最後さいご蒸気じょうき風呂ぶろのなかでいきった。ソクラテスSōkratēs意識いしきした壮絶そうぜつ最期さいご

だがセネカSeneca生涯しょうがいは、この「哲学てつがくてき」ほどうつくしくない。莫大ばくだいとみちながら清貧せいひんき、暴君ぼうくんでありながらとくかたる。ネロNeroははアグリッピナAgrippina殺害さつがい正当せいとうする文書ぶんしょ起草きそうしたうたがいもある。セネカSeneca聖人せいじんぶことはできない。偽善ぎぜんしゃぶこともできる。

しかしだからこそ、セネカSeneca面白おもしろい。プラトンPlatōnのように安全あんぜん距離きょりから理想りそう国家こっかえがいたのではない。アリストテレスAristotelēsのように学園がくえんなか体系たいけい構築こうちくしたのでもない。権力けんりょく渦中かちゅうに(どろなかに)いたまま、「きるとはどういうことか」をつづけた。理論りろん現実げんじつによってかれる、そのきしみのおとが、かれテキストtextにはのこっている。哲学てつがく書斎しょさい完成かんせいするものではない。あせ妥協だきょうのなかでこそためされる。セネカSenecaはその実験じっけんだい自分じぶんせた哲学てつがくしゃだった。

せいながい、もしそれを使つかすべっていれば」。2000ねんいまもなお切実せつじつひび一文いちぶんだ。セネカSenecaはいかなる思想しそうつむぎ、いかなる矛盾むじゅんかかえ、そしてその矛盾むじゅんごとなにのこしたのか。

この記事きじ要点ようてん

  • 時間じかん哲学てつがく──「人生じんせいみじかいのではなく、浪費ろうひしているのだ」セネカSeneca時間じかんこそ唯一ゆいいつもどせない資源しげんだとなした。他人たにん期待きたい惰性だせいついやすせいきびしく批判ひはんし、「自分じぶんのためにきよ」とめいじた。スマートフォンsmartphoneに1にち5時間じかんうばわれる現代げんだいじんに、その言葉ことば刃物はもののようにさる。
  • いかりの三段階さんだんかい分析ぶんせき──刺激しげき反応はんのうのあいだに「」があるいかりは外的がいてき刺激しげき判断はんだん同意どうい)→暴走ぼうそう三段階さんだんかいる。第二だいに段階だんかいの「同意どうい」を保留ほりゅうすればいかりは回避かいひできる。この洞察どうさつは、2000ねん認知にんち行動こうどう療法りょうほうCBTシービーティー)が科学かがくてき裏付うらづけることになる。
  • 途上とじょうもの」(proficiensプロフィキエンス)の誠実せいじつさ──哲学てつがくしゃ完璧かんぺきでなくてよい:「わたし賢者けんじゃではなく、賢者けんじゃ目指めざ途上とじょうものにすぎない」。セネカSenecaのこの告白こくはくは、完璧かんぺきもとめるあまり一歩いっぽせなくなる現代げんだいわたしたちに、不完全ふかんぜんなまままえすす許可きょかあたえる。

生涯しょうがい時代じだい背景はいけい

ルキウス・アンナエウス・セネカLucius Annaeus Seneca紀元前きげんぜん4ねんごろヒスパニアHispaniaコルドゥバCordubaげんスペインSpainコルドバCórdoba)にまれた。ちち同名どうめい大セネカSeneca the Elderばれる修辞しゅうじがくしゃで、ローマRōma騎士きし階級かいきゅうぞくしていた。幼少ようしょうローマRōmaうつり、修辞しゅうじがくのほか、ストアStoaアッタロスAttalosしんピュタゴラスPythagorasソティオンSotion哲学てつがくまなんだ。アッタロスAttalos冷水れいすいよく粗食そしょく実践じっせんする厳格げんかく禁欲きんよく主義しゅぎしゃで、わかセネカSeneca感化かんかされ肉食にくしょくち、やわらかい寝具しんぐてた(『道徳どうとく書簡しょかんしゅう』108.14)。哲学てつがく最初さいしょから、かれにとってからだ使つかうものだった。

やまいがこの哲学てつがくしゃつくった。わかころから持病じびょう喘息ぜんそくあるいは結核けっかく推定すいていされる)にくるしみ、呼吸こきゅうのたびに意識いしきした。発作ほっさのさなか自殺じさつかんがえたが、年老としおいたちちのことをおもとどまった(『道徳どうとく書簡しょかんしゅう』78.1-2)。ちかさが、時間じかんへの敏感びんかんさをませた。「人生じんせいみじかさについて」をいた哲学てつがくしゃは、自身じしんいきまりかけた経験けいけんからあの言葉ことばしぼしている。

弁護べんご政治せいじとしての出世しゅっせは、皇帝こうていカリグラCaligula嫉妬しっと処刑しょけいされかけた。西暦せいれき41ねん皇帝こうていクラウディウスClaudius治世ちせいはいると、皇族こうぞくユリア・リウィッラJulia Livillaとの不義ふぎ嫌疑けんぎコルシカCorsicaとう流刑るけいとなった。8ねんいわだらけのしまで、政治せいじからはなされ、家族かぞくかれた8ねんかん。だがこの流刑るけい期間きかんこそ、セネカSeneca主要しゅよう哲学てつがく著作ちょさく着手ちゃくしゅした時期じきでもある。ははヘルウィアHelviaへの『なぐさめ』はこのしまかれた。逆境ぎゃっきょう哲学てつがくきたえた。安楽あんらく椅子いす産物さんぶつではなく、苦難くなんのなかからしぼされた思想しそうだった。

西暦せいれき49ねんクラウディウスClaudiusあたらしいつまアグリッピナAgrippinaはからいで召還しょうかんされ、わか皇太子こうたいしネロNero家庭かてい教師きょうし任命にんめいされる。流刑るけいから宮廷きゅうていへ。この落差らくさそのものがローマRōma帝政ていせい異常いじょうさを物語ものがたる。54ねんネロNeroが16さい即位そくいすると、セネカSeneca近衛このえ長官ちょうかんブッルスBurrusとともに事実じじつじょう摂政せっしょうとして帝国ていこく運営うんえいした。この最初さいしょの5ねんかんは「ネロNero善政ぜんせい」(quinquennium Neronisクインクエンニウム・ネロニス)とばれ、後代こうだい皇帝こうていトラヤヌスTraianusたたえたほどだった(アウレリウス・ウィクトルAurelius Victor皇帝こうていでん』5.2)。減税げんぜい元老げんろういん権威けんい回復かいふく属州ぞくしゅう統治とうち改善かいぜんセネカSeneca権力けんりょく内部ないぶから実現じつげんした善政ぜんせいは、たしかに存在そんざいした。

だがネロNero成長せいちょうするにつれ暴虐ぼうぎゃくはげしくなる。ははアグリッピナAgrippina殺害さつがい(59ねん)にはセネカSeneca関与かんようたがわれている。元老げんろういんへの弁明べんめいしょ起草きそうしたのはセネカSenecaだとタキトゥスTacitusしるす(『年代記Annales』XIV.11)。同時どうじ元老げんろういん議員ぎいんスイッリウスSuillius公然こうぜんセネカSeneca弾劾だんがいした。「いかなる哲学てつがくで、いかなる賢者けんじゃおしえで、皇帝こうてい寵愛ちょうあいけた4ねんかんで3おくセステルティウスsestertiusたくわえたのか」(タキトゥスTacitus年代記Annales』XIII.42)。痛烈つうれついだ。セネカSenecaはこれに直接ちょくせつこたえていない。62ねんブッルスBurrusぼっすると影響えいきょうりょく急速きゅうそくおとろえ、引退いんたいねがぜん財産ざいさん返上へんじょうしようとしたが、ネロNeroらなかった(タキトゥスTacitusXIV.54)。そして65ねん、あの夕暮ゆうぐれ。

セネカSenecaきた時代じだいローマRōma帝国ていこく最盛さいせいへの途上とじょうであり、同時どうじ共和きょうわせい自由じゆう完全かんぜんうしなわれた時代じだいでもあった。皇帝こうてい一存いちぞんひと処刑しょけいされ、流刑るけいにされ、もどされる。そのような状況じょうきょうで「自分じぶんにはどうにもならないことにこころみだすな、自分じぶん制御せいぎょできることに集中しゅうちゅうせよ」というストアStoaおしえは、生存せいぞんのための知恵ちえだった。

ミニmini年表ねんぴょう

  • 紀元前きげんぜん4ねんごろヒスパニアHispaniaコルドゥバCordubaまれる
  • 西暦せいれき20ねんだいローマRōma修辞しゅうじがく哲学てつがくまなぶ。ストアStoaアッタロスAttalos師事しじ
  • 西暦せいれき31ねんごろ財務ざいむかんとして政治せいじ経歴けいれき開始かいし
  • 西暦せいれき37ねん皇帝こうていカリグラCaligula嫉妬しっとにより処刑しょけい危機きき
  • 西暦せいれき41ねんコルシカCorsicaとう流刑るけい
  • 西暦せいれき49ねん召還しょうかんネロNero家庭かてい教師きょうし就任しゅうにん
  • 西暦せいれき54ねんネロNero即位そくい事実じじつじょう摂政せっしょうとして帝国ていこく運営うんえい
  • 西暦せいれき59ねんアグリッピナAgrippina殺害さつがい弁明べんめいしょ起草きそううたが
  • 西暦せいれき62ねんブッルスBurrus没後ぼつご引退いんたいぜん財産ざいさん返上へんじょうもう
  • 西暦せいれき65ねんピソPiso陰謀いんぼう連座れんざ自死じしめいじられる

この哲学てつがくしゃなにうたのか

ゼノンZēnōn創始そうしクリュシッポスChrysippos体系たいけいしたストアStoa哲学てつがくは、論理ろんりがく自然しぜんがく倫理りんりがく三部さんぶ構成こうせいをもつ壮大そうだい知的ちてき建築けんちくだった。クリュシッポスChrysipposは705かん著作ちょさくのこし、論理ろんり精緻せいちさでアリストテレスAristotelēs匹敵ひってきするとわれた。セネカSenecaちがう。論理ろんりがく技術ぎじゅつてき議論ぎろん興味きょうみしめさず、自然しぜんがくも『自然しぜん研究けんきゅう』をのぞけばほとんどあつかわない。かれ関心かんしん圧倒あっとうてき倫理りんりいまここで、不完全ふかんぜん人間にんげんはいかにきるか)にいていた。

そもそもストアStoaとはなにか。ごく乱暴らんぼうにまとめれば、「宇宙うちゅうには理性りせいてき秩序ちつじょロゴスlogos)があり、人間にんげんもその秩序ちつじょ一部いちぶである。だから理性りせいしたがってきることがせいであり、自分じぶんではどうにもならないこと(天災てんさいやまい他人たにん行動こうどう)にこころみだされるな」というおしえだ。制御せいぎょできるものに全力ぜんりょくそそぎ、制御せいぎょできないものは手放てばなす。この峻別しゅんべつがストアの根幹こんかんにある。ギリシャGreeceストアStoaはこの原理げんり膨大ぼうだい論理ろんりがく自然しぜんがくによって基礎きそづけようとした。セネカSeneca基礎きそづけにあまり興味きょうみがなかった。かれしかったのは、この原理げんり今日きょう午後ごごからどう使つかうか、だった。

従来じゅうらいギリシャGreece哲学てつがくが「ぜんとはなにか」を厳密げんみつ定義ていぎしようとしたのにたいし、セネカSenecaは「ぜんきることをはばむものはなにか、それをどうのぞくか」から出発しゅっぱつした。いかり、不安ふあん悲嘆ひたん時間じかん浪費ろうひへの恐怖きょうふ。これらの具体ぐたいてきくるしみにたいして、哲学てつがく処方しょほうせんせなければ意味いみがない。「ふねあらしっているときに舵取かじとりの技術ぎじゅつ議論ぎろんしている場合ばあいではない」(『道徳どうとく書簡しょかんしゅう』16.3)。哲学てつがく学問がくもんではなく治療ちりょうだ。

ここにセネカSeneca独自どくじせいがある。かれストアStoa教義きょうぎ教条きょうじょうてきかえ学者がくしゃではなく、エピクロスEpikouros格言かくげんすらいものは引用いんようした。「真理しんりだれ所有しょゆうぶつでもない」(『道徳どうとく書簡しょかんしゅう』12.11)。てき陣営じんえいにもいものがあればりにく。この開放かいほうてき姿勢しせいが、セネカSeneca文章ぶんしょう学派がくはえた射程しゃていあたえた。

核心かくしん理論りろん

1. 時間じかん哲学てつがく──「人生じんせいみじかさについて」

我々われわれみじか人生じんせいけたのではない。我々われわれがそれをみじかくしたのだ」(『人生じんせいみじかさについて』1.3)。冒頭ぼうとうから挑発ちょうはつてき一撃いちげきひとかねまもるのに熱心ねっしんだが、時間じかんまもることにはおどろくほど無頓着むとんちゃくだ。ひとたのみで自分じぶん時間じかんし、習慣しゅうかん社交しゃこうついやし、がつけばいている。「60さいになってはじめて余暇よかもとめるのか。ずかしくないか」(3.5)。

セネカSeneca標的ひょうてきにしたのは「いそがしい人々ひとびと」(occupatiオックパーティー)だ。当時とうじローマRōma上流じょうりゅう市民しみん毎朝まいあさ有力者ゆうりょくしゃ邸宅ていたく訪問ほうもんする「あさ挨拶あいさつまわり」(salutatioサルターティオー)に何時間なんじかんついやした。わりなき宴会えんかい他者たしゃ訴訟そしょう世話せわ見栄みえのための奔走ほんそう。これをんで、毎朝まいあさスマートフォンsmartphoneフィードfeed無意識むいしきに30ぷんスクロールscrollし、通知つうち反応はんのうし、他人たにんタイムラインtimeline消費しょうひする自分じぶんあさおもかべないひとがいるだろうか。salutatioサルターティオーかたちえただけだ。

批判ひはん矛先ほこさきは「仕事しごとをすること」ではない。「意味いみなく忙殺ぼうさつされること」だ。セネカSeneca処方しょほうせん明快めいかい。「自分じぶんのためにきよ。本当ほんとう余暇よかotiumオーティウム)とはなにもしないことではなく、哲学てつがく自己じこ省察せいさつついやす時間じかんだ」。ただしここに留保りゅうほがいる。セネカSeneca自身じしん帝国ていこく運営うんえいわれ、この助言じょげんみずか実行じっこうできていなかった。助言じょげん実践じっせん乖離かいり。この問題もんだいのちほど批判ひはんへんふたたげる。

2. いかりの分析ぶんせき──「いかりについて」

いかりほどおおくの都市としほろぼし、おおくの民族みんぞく奴隷どれいとし、おおくの国家こっか瓦解がかいさせた疫病えきびょうはない」(『いかりについて』I.2.1)。カリグラCaligulaまぐれな処刑しょけい間近まぢかてきたセネカSenecaにとって、いかりは抽象ちゅうしょうてき議題ぎだいではなく、いのちかかわる問題もんだいだった。

セネカSenecaいかろん核心かくしん三段階さんだんかいモデルmodelにある。第一だいいち段階だんかい──外的がいてき刺激しげき不随意ふずいい身体しんたい反応はんのうこす。かお紅潮こうちょうする、こぶしにぎられる、こえふるえる。これは制御せいぎょできない生理せいり反応はんのうであり、いかりそのものではない。第二だいに段階だんかい──理性りせいが「自分じぶん不当ふとうあつかわれた、報復ほうふく正当せいとうだ」という判断はんだんくだす。ここに「同意どうい」(アッセンススassensus)がある。いかりがいかりになる瞬間しゅんかんだ。第三だいさん段階だんかい──同意どうい理性りせい圧倒あっとうし、制御せいぎょ不能ふのう激情げきじょうへと暴走ぼうそうする(II.4.1)。

決定けっていてきなのは第二だいに段階だんかいだ。刺激しげき反応はんのうのあいだに「判断はんだん」がある。その判断はんだん保留ほりゅうすれば、第三だいさん段階だんかいにはすすまない。現代げんだい認知にんち行動こうどう療法りょうほうCBTシービーティー)が「認知にんち再構成さいこうせい」と技法ぎほう原型げんけいがここにある。出来事できごと感情かんじょうむのではなく、出来事できごとについての判断はんだん感情かんじょうむ。セネカSeneca臨床りんしょう心理しんりがく枠組わくぐみを、実験じっけんしつわりに宮廷きゅうてい発見はっけんした。CBTシービーティーとは、現代げんだい心療しんりょう内科ないかカウンセリングcounselingひろもちいられる心理しんり療法りょうほうで、「つらい感情かんじょうこしているのは出来事できごとそのものではなく、出来事できごとたいする自分じぶんかた認知にんち)だ」という前提ぜんていち、その認知にんちゆがみを修正しゅうせいすることで症状しょうじょう改善かいぜんする。たとえば、上司じょうしなく返事へんじをされた。「きらわれている」と解釈かいしゃくすればいかりか不安ふあんく。「いそがしかっただけかもしれない」と解釈かいしゃくえれば、感情かんじょうわる。セネカSenecaの「同意どうい保留ほりゅうせよ」とは、まさにこのえの技術ぎじゅつしている。

対処たいしょほうもまた具体ぐたいてきだ。「いかりをかんじたら、まずて」。かがみ自分じぶんかおよ。いかりにゆがんだかおみにくさが冷水れいすいになる(II.36)。毎晩まいばん就寝しゅうしんまえ一日いちにちおこないをかえれ。「今日きょうなおした悪癖あくへきなにか。どの欲望よくぼう抵抗ていこうしたか。どのてんくなったか」(III.36)。これは抽象ちゅうしょうろんではない。明日あすから使つかえる技術ぎじゅつだ。

3. へのそなえ──メメント・モリmemento mori原型げんけい

毎日まいにち最後さいごであるかのようにきよ」(『道徳どうとく書簡しょかんしゅう』12.8)。喘息ぜんそく発作ほっさ何度なんどふちのぞいたセネカSenecaにとって、観念かんねんではなく体験たいけんだった。かれ忌避きひすべき恐怖きょうふ対象たいしょうではなく、日常にちじょうてき想起そうきすべき事実じじつ位置いちづけた。くら執着しゅうちゃくではない。いまきている一瞬いっしゅん価値かち際立きわだたせるための装置そうちだ。

不幸ふこう予行よこう演習えんしゅう」(premeditatio malorumプラエメディターティオー・マローラム)という技法ぎほうがある。明日あした財産ざいさんうしなうかもしれない、健康けんこううばわれるかもしれない、あいするひとうしなうかもしれない。その可能かのうせい事前じぜんこころなかきておく。「予期よきしていたことは打撃だげきかるい」(『道徳どうとく書簡しょかんしゅう』91.4)。これは悲観ひかん主義しゅぎではない。あらかじめ最悪さいあくけておくことで、不意ふい打撃だげきたいする心理しんりてき耐性たいせいつく技術ぎじゅつだ。

ストアStoaにおいては「無関心むかんしんなもの」(アディアフォラadiaphora)、つまりぜんでもあくでもないものに分類ぶんるいされる。すこかりにくいので補足ほそくする。ストアは「本当ほんとういのはとく知恵ちえ勇気ゆうき正義せいぎ節制せっせい)だけで、本当ほんとうわるいのは悪徳あくとくだけだ」とかんがえる。健康けんこう病気びょうきも、とみ貧困ひんこんも、せいも、ぜんでもあくでもない「中間ちゅうかんのもの」にぎない。だからおそれる必要ひつようはない──理屈りくつうえでは。しかしあたま理解りかいすることとはらそこから納得なっとくすることはべつだ。だから練習れんしゅうがいる。エピクロスEpikourosが「我々われわれにとってなにものでもない」と論証ろんしょうしたのにたいし、セネカSeneca積極せっきょくてきに「練習れんしゅう」することをすすめた。「哲学てつがくすること、それはぬことをまなぶことだ」(『道徳どうとく書簡しょかんしゅう』26.10)。プラトンPlatōnの『パイドンPhaidōn』をまえたこの命題めいだいを、セネカSeneca具体ぐたいてき日々ひび実践じっせんとしんだ。中世ちゅうせいの「メメント・モリmemento mori」(わすれるな)の源流げんりゅうひとつは、あきらかにここにある。

4. 運命うんめい摂理せつり──「摂理せつりについて」

「なぜぜんひとわるいことがきるのか。」古今ここん東西とうざい宗教しゅうきょう哲学てつがく格闘かくとうしてきたこのいに、セネカSenecaこたえはこうだ。逆境ぎゃっきょうとく訓練くんれんである。運動うんどう選手せんしゅつよ相手あいてたたかうことできたえられるように、ぜんひと困難こんなんつうじてとくみがく。医者いしゃにがくすり処方しょほうするように、運命うんめい苦難くなん処方しょほうする。具体ぐたいてきかんがえてみよう。会社かいしゃ突然とつぜん解雇かいこされたとする。収入しゅうにゅう途絶とだえ、生活せいかつらぐ。セネカSeneca論理ろんりしたがえば、解雇かいこそのものは「ぜんでもあくでもないもの」だ。われているのは、その状況じょうきょうのなかで自分じぶんがどういう態度たいどをとるか(自暴自棄じぼうじきになるか、冷静れいせいつぎ一手いってかんがえるか)だけだ、と。

この議論ぎろんあぶない。理不尽りふじんくるしみを「鍛錬たんれん」とぶことは、被害ひがいしゃたいする冷酷れいこくさをふくみうる。セネカSeneca強調きょうちょうするのは「くるしみはいことだ」ではない。「くるしみにたいする態度たいどえらべる」という一点いってんだ。おな流刑るけいでも、絶望ぜつぼうするものもいれば哲学てつがくふかめるものもいる。セネカSeneca自身じしんコルシカCorsica後者こうしゃえらんだように。出来事できごとそのものはえらべない。出来事できごとをどうめるかは自分じぶんにある。ただし、この論理ろんり他者たしゃけた瞬間しゅんかん、それは暴力ぼうりょくになりうる。

5. なぐさめの哲学てつがく──悲嘆ひたん

セネカSenecaは3へんの「なぐさめ」(consolatioコンソラーティオー)をのこしている。ははヘルウィアHelviaへのなぐさめ(自身じしん流刑るけいさいして)、マルキアMarciaへのなぐさめ(息子むすこくした友人ゆうじんへ)、そしてポリュビウスPolybiusへのなぐさめ。最後さいごのものには注意ちゅういがいる。ポリュビウスPolybius皇帝こうていクラウディウスClaudius解放かいほう奴隷どれい(つまりかつて奴隷どれい身分みぶんにあったが自由じゆう皇帝こうてい側近そっきんにまでのぼめた実力じつりょくしゃ)で、当時とうじコルシカCorsica流刑るけいちゅうだったセネカSenecaはこの「なぐさめ」のなかで、ポリュビウスPolybius兄弟きょうだいいたみつつ、皇帝こうていクラウディウスClaudiusをこれでもかとたたえ、あん自身じしん召還しょうかん嘆願たんがんしている。ようするに、哲学てつがくてきなぐさめの体裁ていさいをとった政治せいじてき嘆願たんがんしょだ。哲学てつがくてきなぐさめと政治せいじてき嘆願たんがんざりう。セネカSeneca人間にんげんくさいよわさがにじ作品さくひんだ。

悲嘆ひたん否定ひていするのではなく、悲嘆ひたんにも適切てきせつ限度げんどがあるとセネカSenecaく。なげきを長引ながびかせることはうしなったものへのあいではなく自己じこ憐憫れんびんになりうる。つめたいか。しかしセネカSeneca感情かんじょうれとはっていない。感情かんじょう支配しはいされるのではなく、理性りせいととのえることはできる。くのはいい。ただ、つづけることをえら必要ひつようはない。

6. 道徳どうとく書簡しょかんしゅう──哲学てつがくてき書簡しょかん傑作けっさく

友人ゆうじんルキリウスLuciliusてた124つう手紙てがみからなる『道徳どうとく書簡しょかんしゅう』(Epistulae Moralesエピストゥラエ・モラーレース)はセネカSeneca最大さいだい遺産いさんだ。一通いっつうごとにひとつの主題しゅだい友情ゆうじょうたび群衆ぐんしゅう影響えいきょう読書どくしょ仕方しかたいのれ)をあつかい、日常にちじょう具体ぐたいてき場面ばめんから哲学てつがくてき考察こうさつす。書簡しょかん1は時間じかん節約せつやくについて。書簡しょかん7は闘技とうぎじょう群衆ぐんしゅう心理しんりについて。「群衆ぐんしゅうのなかにはいったわたしは、はいったときよりわる人間にんげんになってもどってくる」。

書簡しょかん形式けいしき魅力みりょくは、対話たいわ親密しんみつさにある。教壇きょうだんから講義こうぎするのではなく、友人ゆうじんかたならべてあるきながらかたるようにく。「わたし病人びょうにんであり、おな病室びょうしつから治療ちりょうほうについてかたっているのだ」(27.1)。完成かんせいされた賢者けんじゃ無知むちものおしえるのではなく、おなやまいものとなりかたりかける。この謙虚けんきょさが読者どくしゃはなさない。モンテーニュMontaigneの『エセーEssais』に決定けっていてき影響えいきょうあたえたのもこの書簡しょかんしゅうだった。近代きんだいエッセイessayという文学ぶんがく形式けいしきそのものが、セネカSeneca書簡しょかんたいからまれたとってよい。

7. 奴隷どれい人間にんげん尊厳そんげん──書簡しょかん47

奴隷どれいだって? いや、人間にんげんだ」(Servi sunt. Immo homines.セルウィー・スント。イッモー・ホミネース。)──書簡しょかん47の冒頭ぼうとうみじかく、するどい。奴隷どれいせい当然とうぜん制度せいどとしてれていたローマRōma社会しゃかいのただなかで、セネカSeneca奴隷どれい主人しゅじんのあいだに本質ほんしつてきはないと主張しゅちょうした。奴隷どれいたちと食事しょくじをともにせよ。かれらを「謙虚けんきょ友人ゆうじん」(humiles amiciフーミレース・アミーキー)としてぐうせよ。運命うんめい車輪しゃりんまわる。今日きょう主人しゅじん明日あす奴隷どれいにならないとだれえるか。

セネカSeneca奴隷どれいせい廃止はいし主張しゅちょうしたわけではない。制度せいどそのものへの批判ひはんにまではんでいない。その限界げんかいみとめるべきだ。しかし奴隷どれいおな人間にんげんであるという主張しゅちょうは、当時とうじローマRōmaでは異端いたんちかい。「自由人じゆうじん奴隷どれいも、身体しんたい運命うんめい支配しはいにある。しかし精神せいしん自分じぶんのものだ」(47.17)。この一文いちぶんに、ストアStoa普遍ふへん主義しゅぎ凝縮ぎょうしゅくされている。ストアの普遍ふへん主義しゅぎとは、人間にんげん国籍こくせき身分みぶん性別せいべつ関係かんけいなく、理性りせい存在そんざいとしてひとしいという思想しそうだ。奴隷どれい身体しんたいくさりにつながれていても、その精神せいしん主人しゅじんおな宇宙うちゅう理性りせいロゴスlogos)に参与さんよしている──ストアStoaはそうかんがえた。古代こだいギリシャGreeceアリストテレスAristotelēsが「自然しぜんによって奴隷どれいであるものがいる」とろんじた(『政治せいじがく』I.5)のとくらべれば、セネカSeneca主張しゅちょう古代こだいにあっていかに異質いしつだったかがわかる。

8. とくぜん──「途上とじょうもの」の哲学てつがく

正統せいとうストアStoaとして、セネカSenecaぜんとくのみにあると主張しゅちょうする。健康けんこうとみ地位ちいは「このましいもの」(プロエーグメナproēgmena)ではあってもぜんではない。しんぜん知恵ちえ勇気ゆうき正義せいぎ節制せっせいよっつの枢要すうようとく)のなかにある。枢要すうようとくとは「蝶番ちょうつがい」のようにひとせいささえる根本こんぽんてきとくのこと。たとえば昇進しょうしんのがしてもただしい判断はんだんができる(知恵ちえ勇気ゆうき)、不当ふとう要求ようきゅうに「いな」とえる(正義せいぎ)、欲望よくぼうまわされない(節制せっせい)。ストア過激かげき主張しゅちょうは、このよっつがそろっていれば、たとえ牢獄ろうごくのなかでもひと幸福こうふくでありうる、というものだ。ぎゃくに、宮殿きゅうでんんでいてもこのよっつをいていればみじめだ。

だがセネカSeneca独自どくじせいは、この厳格げんかく基準きじゅんかかげつつ、自分じぶんがそこに到達とうたつしていないことをみとめたてんにある。完全かんぜん賢者けんじゃソフォスsophos)は理想りそうであり、実在じつざいしないかもしれない。大事だいじなのは賢者けんじゃであることではなく、「進歩しんぽするもの」(proficiensプロフィキエンス)でありつづけることだ。「わたし他人たにん処方しょほうせんく。だがわたし自身じしんもまた病人びょうにんであり、おな病院びょういん治療ちりょうけている」(27.1)。この正直しょうじきさ(自分じぶん不完全ふかんぜんさをかくさないこと)が、セネカSenecaテキストtext人間にんげん体温たいおんあたえている。完璧かんぺきでなければ発言はつげんする資格しかくがないなら、だれくちひらけるだろうか。

主要しゅよう著作ちょさくガイドguide

  • 道徳どうとく書簡しょかんしゅう』(Epistulae Moralesエピストゥラエ・モラーレース)── 友人ゆうじんルキリウスLuciliusてた124つう哲学てつがくてき書簡しょかん日常にちじょう場面ばめんから哲学てつがく代表だいひょうさくはじめにむならこれ。邦訳ほうやく茂手木もてぎ元蔵げんぞうやく『セネカ 道徳どうとく書簡しょかんしゅう東海とうかい大学だいがく出版しゅっぱんかい
  • 人生じんせいみじかさについて』(De Brevitate Vitaeデ・ブレウィターテ・ウィータエ)── 時間じかん浪費ろうひへの痛烈つうれつ批判ひはんみじかいが濃密のうみつ邦訳ほうやく大西おおにし英文ひでふみやく岩波いわなみ文庫ぶんこせいみじかさについて 他二篇にへん』。
  • いかりについて』(De Iraデ・イーラー)── いかりの本性ほんせい対処たいしょほうろんじた3かん大作たいさく感情かんじょうろん傑作けっさく邦訳ほうやく兼利かねとし琢也たくややく岩波いわなみ文庫ぶんこ
  • 摂理せつりについて』(De Providentiaデ・プロウィデンティアー)── なぜ善人ぜんにん苦難くなんりかかるのかをろんじる。逆境ぎゃっきょうとく訓練くんれんなすストアてき発想はっそう精髄せいずい
  • こころ平静へいせいについて』(De Tranquillitate Animiデ・トランクイッリターテ・アニミー)── こころ動揺どうようしず安定あんているための実践じっせんてき指針ししん
  • 恩恵おんけいについて』(De Beneficiisデ・ベネフィキイース)── 贈与ぞうよ感謝かんしゃ倫理りんりを7かんにわたってろんじた力作りきさく人間にんげん関係かんけい基盤きばんとしての互恵ごけいせい
  • 自然しぜん研究けんきゅう』(Naturales Quaestionesナートゥラーレース・クアエスティオーネース)── 気象きしょう地震じしん彗星すいせいなどの自然しぜん現象げんしょうろんじた7かんセネカSeneca自然しぜん哲学てつがくめん唯一ゆいいつ著作ちょさく
  • 悲劇ひげき作品さくひん──『メデアMedea』『ファエドラPhaedra』『テュエステスThyestes』など。情念じょうねん破壊はかいされる人間にんげん姿すがたえがき、哲学てつがく対話たいわへん裏面りめんをなす。エリザベスElizabethちょう演劇えんげき──シェイクスピアShakespeareふくむ──に決定けっていてき影響えいきょうあたえた。

主要しゅよう批判ひはん論争ろんそう

1. 偽善ぎぜん──もっとふるもっと痛烈つうれつ批判ひはん元老げんろういん議員ぎいんスイッリウスSuillius弾劾だんがい容赦ようしゃなかった。「いかなる哲学てつがくで3おくセステルティウスをめたのか」。カッシウス・ディオCassius Dioもこの金額きんがく記録きろくしている(LXI.10)。セネカSeneca自身じしんは『幸福こうふくせいについて』21-22で反論はんろんしている。「とみつことはあくではない。とみ支配しはいされることがあくなのだ」。ストアStoa理論りろんじょうすじとおる。とみは「ぜんでもあくでもないもの」だから。しかし理論りろん整合せいごうせい道徳どうとくてき説得せっとくりょくべつのものだ。年収ねんしゅう300まんえん人間にんげん億万おくまん長者ちょうじゃの「かね大事だいじじゃない」をいたときの、あののあたりの不快ふかいさ。それとおな反応はんのうを、古代こだいローマRōmaじんかんじていた。

2. ネロNeroとの共犯きょうはん関係かんけいネロNeroははアグリッピナAgrippina殺害さつがい(59ねん)にさいし、セネカSeneca元老げんろういんへの弁明べんめいしょ起草きそうしたとされる。ははごろしの正当せいとうふで哲学てつがくしゃ。これを擁護ようごすることはむずかしい。「権力けんりょく内部ないぶにいなければ善政ぜんせい実現じつげんできなかった」という弁護べんごもあるが、そのためにけたよごれの代償だいしょうはかれない。清廉せいれんであるために権力けんりょくから退しりぞけば、もっとあくものわりにすわる。権力けんりょくのなかでぜん目指めざせばよごれる。この二律にりつ背反はいはん安易あんいこたえはない。

3. 哲学てつがくアリバイalibiだったのか:もう一歩いっぽんだいがある。セネカSeneca哲学てつがく使つかってみずからの特権とっけんてき地位ちい正当せいとうしていたのではないか。「とみぜんでもあくでもない」という理論りろんは、とみ手放てばなさないための知的ちてきわけではなかったか。この疑惑ぎわく完全かんぜん払拭ふっしょくすることはだれにもできない。ただ、晩年ばんねんセネカSenecaぜん財産ざいさんネロNero返上へんじょうしようとした事実じじつは、すくなくともかれ自分じぶん矛盾むじゅんくるしんでいたことをしめす。

4. 悲劇ひげき哲学てつがく緊張きんちょうセネカSeneca悲劇ひげき理性りせいえる情念じょうねん暴力ぼうりょくえがく。『メデアMedea』の主人公しゅじんこうは「ただしくないことはわかっている。しかしいかりが理性りせいつ」とさけぶ。理性りせい情念じょうねん制御せいぎょできるというストアStoa前提ぜんていを、セネカSeneca自身じしん舞台ぶたいうえ粉砕ふんさいしている。哲学てつがくしゃセネカと劇作げきさくセネカは矛盾むじゅんしているのか、それとも人間にんげん複雑ふくざつさをことなる角度かくどかららしているのか。おそらく後者こうしゃだ。しかしたしかなことはえない。

5. ストアStoa正統せいとうからの逸脱いつだつエピクロスEpikouros格言かくげん頻繁ひんぱん引用いんようし、学派がくは垣根かきねえた折衷せっちゅうてき態度たいど厳格げんかくストアStoaかられば、理論りろんてき一貫いっかんせい欠如けつじょうつる。ただしセネカSeneca自覚じかくてきにそうしていた。「わたしはストア兵士へいしだが、陣営じんえいにもいものがあればりにく」。純粋じゅんすいさを犠牲ぎせいにした実用じつようせい。それがつよみでもありよわみでもある。

影響えいきょう遺産いさん

先行せんこう思想しそうセネカSenecaキティオンKitionゼノンZēnōnクリュシッポスChrysippos体系たいけいしたストアStoa哲学てつがく継承けいしょうした。ポセイドニオスPoseidōnios折衷せっちゅう主義しゅぎアッタロスAttalos実践じっせんてき禁欲きんよくソティオンSotionつうじたピュタゴラスPythagorasてき要素ようそざっている。プラトンPlatōn対話たいわへんからの影響えいきょう随所ずいしょえる。

後期こうきストアのさん巨頭きょとうセネカSenecaエピクテトスEpiktētosマルクス・アウレリウスMarcus Aurelius書簡しょかんたい講義こうぎろく日記にっきたい──形式けいしきことなるが、「日常にちじょうのなかでストア哲学てつがく実践じっせんする」姿勢しせい共通きょうつうする。宮廷きゅうてい政治せいじもと奴隷どれい皇帝こうてい──三者さんしゃ社会しゃかいてき立場たちばちがいそのものが、ストア哲学てつがく普遍ふへんせい証明しょうめいしている。

キリストChristきょうとの関係かんけい初期しょきキリストChristきょう教父きょうふたちはセネカSenecaたか評価ひょうかした。テルトゥリアヌスTertullianusセネカSenecaを「しばしば我々われわれがわにいる」とべ(『たましいについて』20.1)、4世紀せいきにはセネカSeneca使徒しとパウロPaulusにせ書簡しょかんしゅうつくられるほどだった。良心りょうしん吟味ぎんみ内面ないめん修養しゅうよう運命うんめいへの従順じゅうじゅん──ストアStoa倫理りんりキリストChristきょう倫理りんりおどろくほどかさなる。毎晩まいばん自分じぶんおこないをかえれ(ストアのよる省察せいさつキリストChristきょう良心りょうしん糾明きゅうめい)、苦難くなんかみ試練しれんめよ(ストアの摂理せつりろんキリストChristきょう摂理せつり信仰しんこう)、欲望よくぼうおさとくみがけ──両者りょうしゃ道徳どうとくてき要求ようきゅう瓜二うりふたつだった。この親和しんわせいが、中世ちゅうせいつうじてセネカSeneca読者どくしゃ確保かくほつづけた。

ルネサンスRenaissance近代きんだいモンテーニュMontaigneは『エセーEssais』でセネカSenecaもっと頻繁ひんぱん引用いんようする古代こだい作家さっか一人ひとりとした。デカルトDescartesの『情念じょうねんろん』もセネカSeneca意識いしきしている。セネカSeneca悲劇ひげきエリザベスElizabethちょうイングランドEngland熱狂ねっきょうてき受容じゅようされ、復讐ふくしゅう悲劇ひげきジャンルgenreんだ。シェイクスピアShakespeareの『タイタス・アンドロニカスTitus Andronicus』『ハムレットHamlet』の亡霊ぼうれい場面ばめんに、セネカSeneca悲劇ひげきかげちている。

現代げんだいのストア・リバイバルrevival:21世紀せいきはいり、「現代げんだいストイシズムStoicism」の潮流ちょうりゅうのなかでセネカSenecaふたたひろまれるようになった。ライアン・ホリデイRyan Holidayの『ストアStoa哲学てつがく』、マッシモ・ピグリウッチMassimo Pigliucciの『ストアStoaになるには』など、セネカSeneca言葉ことば現代げんだい実践じっせんえる書籍しょせき世界せかいてきまれている。

現代げんだいへの接続せつぞく

第一だいいちに、認知にんち行動こうどう療法りょうほうCBTシービーティーCBTシービーティー創始そうししゃアーロン・ベックAaron BeckストアStoa哲学てつがく影響えいきょうみとめている。仕組しくみはこうだ──出来事できごと感情かんじょうむのではなく、出来事できごとについての解釈かいしゃく認知にんち)が感情かんじょうむ。その認知にんち修正しゅうせいすれば感情かんじょうわる。セネカSenecaいかりの三段階さんだんかいモデルmodel──刺激しげき判断はんだん同意どうい)→感情かんじょう──はまさにこの構造こうぞうそのものだ。心療しんりょう内科ないか使つかわれている技法ぎほう設計せっけいを、2000ねんまえ哲学てつがくしゃいていた。

第二だいにに、注意ちゅうい経済けいざい時間じかん略奪りゃくだつセネカSeneca批判ひはんしたoccupatiオックパーティー──忙殺ぼうさつされる人々ひとびと──を、現代げんだい言葉ことば翻訳ほんやくすればこうなる。通知つうちわれ、ドゥームスクローリングdoom scrollingで30ぷんうしない、メールe-mail会議かいぎで1にちまり、まえSNSエスエヌエスフィードfeedをもう1しゅうする。セネカSenecaもとめたのは「効率こうりつよくおおくの仕事しごとをこなす」ことではない。「あなたは自分じぶん時間じかんきているのか」──このいだ。アルゴリズムalgorithm最適さいてきされた注意ちゅういうばいのなかで、このいは2000ねんまえより切実せつじつかもしれない。

第三だいさんに、組織そしきのなかの良心りょうしん自分じぶん会社かいしゃ不正ふせいおこなっている。めればきよいが、改善かいぜん可能かのうせいえる。のこって内部ないぶからえようとすれば、共犯きょうはん関係かんけいまれる。これは内部ないぶ告発こくはつしゃがつねに直面ちょくめんするジレンマdilemmaであり、セネカSenecaネロNeroのもとで経験けいけんしたことと構造こうぞうおなじだ。かれ苦闘くとうは、「不完全ふかんぜん組織そしきのなかで道徳どうとくてきであることの限界げんかい」ををもってしめした記録きろくでもある。

第四だいよんに、レジリエンスresilience不幸ふこう予行よこう演習えんしゅうpremeditatio malorumプラエメディターティオー・マローラム──明日あしたしょくうしなうかもしれない、やまいたおれるかもしれない、大切たいせつひとがいなくなるかもしれない。その可能かのうせい毎朝まいあさしずかにめる。悲観ひかんではない。予期よきしていた打撃だげき不意ふい打撃だげきよりかるい──それだけのことだ。予測よそく不能ふのう災害さいがい突然とつぜん解雇かいこパンデミックpandemicそなえることができるのは物資ぶっしだけではなく、こころ姿勢しせいもそうだ。

第五だいごに、えないひと々へのまなざしまなざし書簡しょかん47のい──奴隷どれい人間にんげんとしてているか──を現代げんだいえてみる。深夜しんやコンビニconvenience store店員てんいんあめなかはし配達はいたついん画面がめんこうでコンテンツcontents有害ゆうがいせい判定はんていするモデレーターmoderatorわたしたちはかれらの名前なまえっているか。かれらのかおているか。サービスservice享受きょうじゅしながら、提供ていきょうしゃ透明とうめい人間にんげんのようにあつかっていないか。セネカSeneca奴隷どれいせい廃止はいしにまではめなかった。わたしたちはめるのか。

読者どくしゃへの

  • 先週せんしゅう起床きしょう時間じかんから就寝しゅうしん時間じかんまで、1時間じかん単位たんいなにをしていたかおもしてほしい。そのうち本当ほんとうに「自分じぶんのため」に使つかった時間じかん何時間なんじかんあったか。セネカSenecaう「忙殺ぼうさつされているひと」に、あなたはてはまるか。
  • 完璧かんぺき人間にんげんしかただしいことをえないなら、世界せかい沈黙ちんもくする。セネカSenecaのように矛盾むじゅんかかえたままかたることと、矛盾むじゅん理由りゆうだまることと、どちらが誠実せいじつだろうか。
  • 最後さいごSNSエスエヌエスだれかにいかりをかんじたとき──投稿とうこうボタンbuttonまえに、あなたはどんな「判断はんだん」をくだしていたか。セネカSenecaう「同意どうい保留ほりゅう」は、あなたの指先ゆびさき実行じっこうできるか。

名言めいげん出典しゅってんつき)

"人生じんせい十分じゅうぶんながい。もしそれを使つかすべっていれば。" 出典しゅってんセネカSeneca人生じんせいみじかさについて(せいみじかさについて)』2.1/原文げんぶん:"Non exiguum temporis habemus, sed multum perdidimus. Satis longa vita et in maximarum rerum consummationem large data est, si tota bene collocaretur."

人生じんせいみじかいのは宇宙うちゅうのせいではなく自分じぶんのせいだ、とセネカSeneca問題もんだい所在しょざいけることからはじめる。

"哲学てつがくおしえはどこにいったのか。あれほどなが年月ねんげつをかけてそなえてきたのは、まさにこのときのためではなかったか。" 出典しゅってんタキトゥスTacitus年代記Annales』XV.62(セネカSeneca最期さいご言葉ことばとしてつたえられる)/原文げんぶん:"Ubi praecepta sapientiae, ubi tot per annos meditata ratio adversum imminentia?"

哲学てつがく最終さいしゅう試験しけんつ。それは瞬間しゅんかんだ。セネカSenecaはこの試験しけんに、すくなくともタキトゥスTacitus記述きじゅつしんじるなら、合格ごうかくした。

"いかりがどのような結果けっかをもたらしたかをりたければ、そのかおるがよい。" 出典しゅってんセネカSenecaいかりについて』I.1.3-4/原文げんぶん:"Aspice quemcumque; videbis irati vultum..."

いかりのみにくさはかがみうつる。自分じぶんゆがんだかおること──これがセネカSenecaいかりへの最初さいしょ処方しょほうせんだった。

"奴隷どれいだって? いや、人間にんげんだ。奴隷どれいだって? いや、おな屋根やねしたものだ。奴隷どれいだって? いや、謙虚けんきょともだ。" 出典しゅってんセネカSeneca道徳どうとく書簡しょかんしゅう』47.1/原文げんぶん:"Servi sunt. Immo homines. Servi sunt. Immo contubernales. Servi sunt. Immo humiles amici."

奴隷どれい所有しょゆう空気くうきのように当然とうぜんだった社会しゃかいで、この言葉ことば異質いしつだった。制度せいど廃止はいしにまではいたらなかったにせよ、「おな人間にんげん」という認識にんしきはそこからはじまる。

参考さんこう文献ぶんけん

  • 原典げんてん邦訳ほうやくセネカSenecaせいみじかさについて 他二篇にへん大西おおにし英文ひでふみやく岩波いわなみ文庫ぶんこ。──『人生じんせいみじかさについて』『こころ平静へいせいについて』『幸福こうふくせいについて』を収録しゅうろくセネカSeneca入門にゅうもん最適さいてき
  • 原典げんてん邦訳ほうやくセネカSenecaいかりについて 他一篇いっぺん兼利かねとし琢也たくややく岩波いわなみ文庫ぶんこ
  • 原典げんてん邦訳ほうやくセネカSeneca道徳どうとく書簡しょかんしゅう茂手木もてぎ元蔵げんぞうやく東海とうかい大学だいがく出版しゅっぱんかい
  • 原典げんてん英訳えいやくSenecaセネカ. Letters on Ethicsレターズ・オン・エシックス. Trans. Margaret Graverマーガレット・グレイヴァー & A.A. LongA.A. ロング. Chicagoシカゴ: University of Chicago Pressシカゴ大学出版局, 2015.
  • 伝記でんきWilson, Emilyウィルソン、エミリー. The Greatest Empire: A Life of Senecaザ・グレイテスト・エンパイア. Oxfordオックスフォード: Oxford University Pressオックスフォード大学出版局, 2014.──セネカSeneca矛盾むじゅん正面しょうめんからろんじた力作りきさく
  • 概説がいせつLong, A.A.ロング Hellenistic Philosophyヘレニスティック・フィロソフィー. 2nd ed. Londonロンドン: Duckworthダックワース, 1986.──ストアStoa全体ぜんたいぞう把握はあくするための標準ひょうじゅんてき概説がいせつ
  • 概説がいせつ邦語ほうごタキトゥスTacitus年代記Annales国原くにはら吉之助きちのすけやく岩波いわなみ文庫ぶんこ。──セネカSeneca生涯しょうがい第一だいいちきゅう史料しりょう
  • 現代げんだいストア)Nussbaum, Marthaヌスバウム、マーサ. The Therapy of Desireザ・セラピー・オブ・デザイア. Princetonプリンストン: Princeton University Pressプリンストン大学出版局, 1994.──ヘレニズムHellenism哲学てつがくの「治療ちりょう」としての側面そくめんろんじた名著めいちょセネカSenecaいかろん分析ぶんせき秀逸しゅういつ
  • ウェブwebStanford Encyclopedia of Philosophyスタンフォード哲学百科事典, "Senecaセネカ" (first published初版 2007, substantive revision 2023). https://plato.stanford.edu/entries/seneca/