西暦せいれき65年ねん、4月がつのある夕暮ゆうぐれ。ローマRōma郊外こうがいの別荘べっそうで、セネカSenecaは妻つまパウリナPaulinaと友人ゆうじんたちに囲かこまれて夕食ゆうしょくをとっていた。そこに皇帝こうていネロNeroの護衛ごえい隊長たいちょうが現あらわれ、自死じしを命めいじた。ピソPisoの陰謀いんぼうへの加担かたん。嫌疑けんぎの中身なかみはそれだった。実際じっさいに関与かんよしたかは今いまもわからない。しかしネロNeroにとって、かつての師しの存在そんざいそのものが邪魔じゃまだった。タキトゥスTacitusの記述きじゅつによれば、セネカSenecaは取とり乱みださなかった。泣なき崩くずれる友人ゆうじんたちに向むかい、こう語かたった。「哲学てつがくの教おしえはどこにいったのか。あれほど長ながい年月ねんげつをかけて備そなえてきたのは、まさにこの時ときのためではなかったか」(『年代記Annales』XV.62)。

妻つまパウリナPaulinaは夫おっととともに死しぬと言いい張はり、自みずからも手首てくびを切きった。セネカSenecaは止とめなかった。「立派りっぱに生いきる助言じょげんは与あたえたつもりだが、あなたは立派りっぱに死しぬ名誉めいよを選えらぶのか」と言いったと伝つたえられる(XV.63)。結局けっきょくパウリナPaulinaはネロNeroの命令めいれいで止血しけつされ生いき延のびたが、セネカSenecaは手首てくびを切きり、毒どくを飲のみ、最後さいごは蒸気じょうき風呂ぶろのなかで息いきを引ひき取とった。ソクラテスSōkratēsの死しを意識いしきした壮絶そうぜつな最期さいご。

だがセネカSenecaの生涯しょうがいは、この「哲学てつがく的てきな死し」ほど美うつくしくない。莫大ばくだいな富とみを持もちながら清貧せいひんを説とき、暴君ぼうくんの師しでありながら徳とくを語かたる。ネロNeroの母ははアグリッピナAgrippinaの殺害さつがいを正当せいとう化かする文書ぶんしょを起草きそうした疑うたがいもある。セネカSenecaを聖人せいじんと呼よぶことはできない。偽善ぎぜん者しゃと呼よぶこともできる。

しかしだからこそ、セネカSenecaは面白おもしろい。プラトンPlatōnのように安全あんぜんな距離きょりから理想りそう国家こっかを描えがいたのではない。アリストテレスAristotelēsのように学園がくえんの中なかで体系たいけいを構築こうちくしたのでもない。権力けんりょくの渦中かちゅうに(泥どろの中なかに)身みを置おいたまま、「善よく生いきるとはどういうことか」を書かき続つづけた。理論りろんが現実げんじつによって引ひき裂さかれる、その軋きしみの音おとが、彼かれのテキストtextには残のこっている。哲学てつがくは書斎しょさいで完成かんせいするものではない。汗あせと血ちと妥協だきょうのなかでこそ試ためされる。セネカSenecaはその実験じっけん台だいに自分じぶんを載のせた哲学てつがく者しゃだった。

「生せいは長ながい、もしそれを使つかう術すべを知しっていれば」。2000年ねん後ごの今いまもなお切実せつじつに響ひびく一文いちぶんだ。セネカSenecaはいかなる思想しそうを紡つむぎ、いかなる矛盾むじゅんを抱かかえ、そしてその矛盾むじゅんごと何なにを遺のこしたのか。

この記事きじの要点ようてん

  • 時間じかんの哲学てつがく──「人生じんせいは短みじかいのではなく、浪費ろうひしているのだ」:セネカSenecaは時間じかんこそ唯一ゆいいつ取とり戻もどせない資源しげんだと見みなした。他人たにんの期待きたいや惰性だせいに費ついやす生せいを厳きびしく批判ひはんし、「自分じぶんのために生いきよ」と命めいじた。スマートフォンsmartphoneに1日にち5時間じかんを奪うばわれる現代げんだい人じんに、その言葉ことばは刃物はもののように刺ささる。
  • 怒いかりの三段階さんだんかい分析ぶんせき──刺激しげきと反応はんのうのあいだに「間ま」がある:怒いかりは外的がいてき刺激しげき→判断はんだん(同意どうい)→暴走ぼうそうの三段階さんだんかいを経へる。第二だいに段階だんかいの「同意どうい」を保留ほりゅうすれば怒いかりは回避かいひできる。この洞察どうさつは、2000年ねん後ごに認知にんち行動こうどう療法りょうほう(CBTシービーティー)が科学かがく的てきに裏付うらづけることになる。
  • 「途上とじょうの者もの」(proficiensプロフィキエンス)の誠実せいじつさ──哲学てつがく者しゃは完璧かんぺきでなくてよい:「私わたしは賢者けんじゃではなく、賢者けんじゃを目指めざす途上とじょうの者ものにすぎない」。セネカSenecaのこの告白こくはくは、完璧かんぺきを求もとめるあまり一歩いっぽも踏ふみ出だせなくなる現代げんだいの私わたしたちに、不完全ふかんぜんなまま前まえに進すすむ許可きょかを与あたえる。

生涯しょうがいと時代じだい背景はいけい

ルキウス・アンナエウス・セネカLucius Annaeus Senecaは紀元前きげんぜん4年ねん頃ごろ、ヒスパニアHispaniaのコルドゥバCorduba(現げん・スペインSpainのコルドバCórdoba)に生うまれた。父ちちは同名どうめいの大セネカSeneca the Elderと呼よばれる修辞しゅうじ学がく者しゃで、ローマRōmaの騎士きし階級かいきゅうに属ぞくしていた。幼少ようしょう期きにローマRōmaへ移うつり、修辞しゅうじ学がくのほか、ストアStoa派はのアッタロスAttalosと新しんピュタゴラスPythagoras派はのソティオンSotionに哲学てつがくを学まなんだ。アッタロスAttalosは冷水れいすい浴よくと粗食そしょくを実践じっせんする厳格げんかくな禁欲きんよく主義しゅぎ者しゃで、若わかきセネカSenecaは感化かんかされ肉食にくしょくを断たち、柔やわらかい寝具しんぐを捨すてた(『道徳どうとく書簡しょかん集しゅう』108.14)。哲学てつがくは最初さいしょから、彼かれにとって体からだを使つかうものだった。

病やまいがこの哲学てつがく者しゃの根ねを作つくった。若わかい頃ころから持病じびょう(喘息ぜんそくあるいは結核けっかくと推定すいていされる)に苦くるしみ、呼吸こきゅうのたびに死しを意識いしきした。発作ほっさのさなか自殺じさつを考かんがえたが、年老としおいた父ちちのことを思おもい踏ふみ留とどまった(『道徳どうとく書簡しょかん集しゅう』78.1-2)。死しの近ちかさが、時間じかんへの敏感びんかんさを研とぎ澄すませた。「人生じんせいの短みじかさについて」を書かいた哲学てつがく者しゃは、自身じしんの息いきが止とまりかけた経験けいけんからあの言葉ことばを絞しぼり出だしている。

弁護べんご士し・政治せいじ家かとしての出世しゅっせは、皇帝こうていカリグラCaligulaの嫉妬しっとを買かい処刑しょけいされかけた。西暦せいれき41年ねん、皇帝こうていクラウディウスClaudiusの治世ちせいに入はいると、皇族こうぞくユリア・リウィッラJulia Livillaとの不義ふぎの嫌疑けんぎでコルシカCorsica島とうに流刑るけいとなった。8年ねん。岩いわだらけの島しまで、政治せいじから切きり離はなされ、家族かぞくと引ひき裂さかれた8年ねん間かん。だがこの流刑るけい期間きかんこそ、セネカSenecaが主要しゅような哲学てつがく著作ちょさくに着手ちゃくしゅした時期じきでもある。母ははヘルウィアHelviaへの『慰なぐさめ』はこの島しまで書かかれた。逆境ぎゃっきょうが哲学てつがくを鍛きたえた。安楽あんらく椅子いすの産物さんぶつではなく、苦難くなんのなかから絞しぼり出だされた思想しそうだった。

西暦せいれき49年ねん、クラウディウスClaudiusの新あたらしい妻つまアグリッピナAgrippinaの計はからいで召還しょうかんされ、若わかき皇太子こうたいしネロNeroの家庭かてい教師きょうしに任命にんめいされる。流刑るけい地ちから宮廷きゅうていへ。この落差らくさそのものがローマRōma帝政ていせいの異常いじょうさを物語ものがたる。54年ねん、ネロNeroが16歳さいで即位そくいすると、セネカSenecaは近衛このえ長官ちょうかんブッルスBurrusとともに事実じじつ上じょうの摂政せっしょうとして帝国ていこくを運営うんえいした。この最初さいしょの5年ねん間かんは「ネロNeroの善政ぜんせい期き」(quinquennium Neronisクインクエンニウム・ネロニス)と呼よばれ、後代こうだいの皇帝こうていトラヤヌスTraianusが讃たたえたほどだった(アウレリウス・ウィクトルAurelius Victor『皇帝こうてい伝でん』5.2)。減税げんぜい、元老げんろう院いんの権威けんい回復かいふく、属州ぞくしゅう統治とうちの改善かいぜん。セネカSenecaが権力けんりょくの内部ないぶから実現じつげんした善政ぜんせいは、確たしかに存在そんざいした。

だがネロNeroが成長せいちょうするにつれ暴虐ぼうぎゃくが激はげしくなる。母ははアグリッピナAgrippinaの殺害さつがい(59年ねん)にはセネカSenecaも関与かんよを疑うたがわれている。元老げんろう院いんへの弁明べんめい書しょを起草きそうしたのはセネカSenecaだとタキトゥスTacitusは記しるす(『年代記Annales』XIV.11)。同時どうじ期き、元老げんろう院いん議員ぎいんスイッリウスSuilliusが公然こうぜんとセネカSenecaを弾劾だんがいした。「いかなる哲学てつがくで、いかなる賢者けんじゃの教おしえで、皇帝こうていの寵愛ちょうあいを受うけた4年ねん間かんで3億おくセステルティウスsestertiusを蓄たくわえたのか」(タキトゥスTacitus『年代記Annales』XIII.42)。痛烈つうれつな問といだ。セネカSenecaはこれに直接ちょくせつ答こたえていない。62年ねんにブッルスBurrusが没ぼっすると影響えいきょう力りょくは急速きゅうそくに衰おとろえ、引退いんたいを願ねがい出でて全ぜん財産ざいさんを返上へんじょうしようとしたが、ネロNeroは受うけ取とらなかった(タキトゥスTacitusXIV.54)。そして65年ねん、あの夕暮ゆうぐれ。

セネカSenecaが生いきた時代じだいはローマRōma帝国ていこくの最盛さいせい期きへの途上とじょうであり、同時どうじに共和きょうわ政せいの自由じゆうが完全かんぜんに失うしなわれた時代じだいでもあった。皇帝こうていの一存いちぞんで人ひとが処刑しょけいされ、流刑るけいにされ、引ひき戻もどされる。そのような状況じょうきょうで「自分じぶんにはどうにもならないことに心こころを乱みだすな、自分じぶんに制御せいぎょできることに集中しゅうちゅうせよ」というストアStoaの教おしえは、生存せいぞんのための知恵ちえだった。

ミニmini年表ねんぴょう

  • 紀元前きげんぜん4年ねん頃ごろ:ヒスパニアHispaniaのコルドゥバCordubaに生うまれる
  • 西暦せいれき20年ねん代だい:ローマRōmaで修辞しゅうじ学がく・哲学てつがくを学まなぶ。ストアStoa派はのアッタロスAttalosに師事しじ
  • 西暦せいれき31年ねん頃ごろ:財務ざいむ官かんとして政治せいじ経歴けいれきを開始かいし
  • 西暦せいれき37年ねん:皇帝こうていカリグラCaligulaの嫉妬しっとにより処刑しょけいの危機きき
  • 西暦せいれき41年ねん:コルシカCorsica島とうに流刑るけい
  • 西暦せいれき49年ねん:召還しょうかん。ネロNeroの家庭かてい教師きょうしに就任しゅうにん
  • 西暦せいれき54年ねん:ネロNero即位そくい。事実じじつ上じょうの摂政せっしょうとして帝国ていこく運営うんえい
  • 西暦せいれき59年ねん:アグリッピナAgrippina殺害さつがい。弁明べんめい書しょ起草きそうの疑うたがい
  • 西暦せいれき62年ねん:ブッルスBurrus没後ぼつご、引退いんたいと全ぜん財産ざいさん返上へんじょうを申もうし出でる
  • 西暦せいれき65年ねん:ピソPisoの陰謀いんぼうに連座れんざし自死じしを命めいじられる

この哲学てつがく者しゃは何なにを問とうたのか

ゼノンZēnōnが創始そうししクリュシッポスChrysipposが体系たいけい化かしたストアStoa哲学てつがくは、論理ろんり学がく・自然しぜん学がく・倫理りんり学がくの三部さんぶ構成こうせいをもつ壮大そうだいな知的ちてき建築けんちくだった。クリュシッポスChrysipposは705巻かんの著作ちょさくを残のこし、論理ろんりの精緻せいちさでアリストテレスAristotelēsに匹敵ひってきすると言いわれた。セネカSenecaは違ちがう。論理ろんり学がくの技術ぎじゅつ的てきな議論ぎろんに興味きょうみを示しめさず、自然しぜん学がくも『自然しぜん研究けんきゅう』を除のぞけばほとんど扱あつかわない。彼かれの関心かんしんは圧倒あっとう的てきに倫理りんり(今いまここで、不完全ふかんぜんな人間にんげんはいかに善よく生いきるか)に向むいていた。

そもそもストアStoa派はとは何なにか。ごく乱暴らんぼうにまとめれば、「宇宙うちゅうには理性りせい的てきな秩序ちつじょ(ロゴスlogos)があり、人間にんげんもその秩序ちつじょの一部いちぶである。だから理性りせいに従したがって生いきることが善よい生せいであり、自分じぶんではどうにもならないこと(天災てんさい、病やまい、死し、他人たにんの行動こうどう)に心こころを乱みだされるな」という教おしえだ。制御せいぎょできるものに全力ぜんりょくを注そそぎ、制御せいぎょできないものは手放てばなす。この峻別しゅんべつがストアの根幹こんかんにある。ギリシャGreeceのストアStoa派ははこの原理げんりを膨大ぼうだいな論理ろんり学がくと自然しぜん学がくによって基礎きそづけようとした。セネカSenecaは基礎きそづけにあまり興味きょうみがなかった。彼かれが欲ほしかったのは、この原理げんりを今日きょうの午後ごごからどう使つかうか、だった。

従来じゅうらいのギリシャGreece哲学てつがくが「善ぜんとは何なにか」を厳密げんみつに定義ていぎしようとしたのに対たいし、セネカSenecaは「善ぜんく生いきることを阻はばむものは何なにか、それをどう取とり除のぞくか」から出発しゅっぱつした。怒いかり、不安ふあん、悲嘆ひたん、時間じかんの浪費ろうひ、死しへの恐怖きょうふ。これらの具体ぐたい的てきな苦くるしみに対たいして、哲学てつがくは処方しょほう箋せんを出だせなければ意味いみがない。「船ふねが嵐あらしに遭あっているときに舵取かじとりの技術ぎじゅつを議論ぎろんしている場合ばあいではない」(『道徳どうとく書簡しょかん集しゅう』16.3)。哲学てつがくは学問がくもんではなく治療ちりょうだ。

ここにセネカSenecaの独自どくじ性せいがある。彼かれはストアStoaの教義きょうぎを教条きょうじょう的てきに繰くり返かえす学者がくしゃではなく、エピクロスEpikourosの格言かくげんすら良よいものは引用いんようした。「真理しんりは誰だれの所有しょゆう物ぶつでもない」(『道徳どうとく書簡しょかん集しゅう』12.11)。敵てきの陣営じんえいにも良よいものがあれば取とりに行いく。この開放かいほう的てきな姿勢しせいが、セネカSenecaの文章ぶんしょうに学派がくはを超こえた射程しゃていを与あたえた。

核心かくしん理論りろん

1. 時間じかんの哲学てつがく──「人生じんせいの短みじかさについて」

「我々われわれは短みじかい人生じんせいを受うけたのではない。我々われわれがそれを短みじかくしたのだ」(『人生じんせいの短みじかさについて』1.3)。冒頭ぼうとうから挑発ちょうはつ的てきな一撃いちげき。人ひとは金かねを守まもるのに熱心ねっしんだが、時間じかんを守まもることには驚おどろくほど無頓着むとんちゃくだ。人ひとの頼たのみで自分じぶんの時間じかんを差さし出だし、習慣しゅうかんや社交しゃこうに費ついやし、気きがつけば老おいている。「60歳さいになって初はじめて余暇よかを求もとめるのか。恥はずかしくないか」(3.5)。

セネカSenecaが標的ひょうてきにしたのは「忙いそがしい人々ひとびと」(occupatiオックパーティー)だ。当時とうじのローマRōma上流じょうりゅう市民しみんは毎朝まいあさ、有力者ゆうりょくしゃの邸宅ていたくを訪問ほうもんする「朝あさの挨拶あいさつ回まわり」(salutatioサルターティオー)に何時間なんじかんも費ついやした。終おわりなき宴会えんかい、他者たしゃの訴訟そしょうの世話せわ、見栄みえのための奔走ほんそう。これを読よんで、毎朝まいあさスマートフォンsmartphoneのフィードfeedを無意識むいしきに30分ぷんスクロールscrollし、通知つうちに反応はんのうし、他人たにんのタイムラインtimelineを消費しょうひする自分じぶんの朝あさを思おもい浮うかべない人ひとがいるだろうか。salutatioサルターティオーは形かたちを変かえただけだ。

批判ひはんの矛先ほこさきは「仕事しごとをすること」ではない。「意味いみなく忙殺ぼうさつされること」だ。セネカSenecaの処方しょほう箋せんは明快めいかい。「自分じぶんのために生いきよ。本当ほんとうの余暇よか(otiumオーティウム)とは何なにもしないことではなく、哲学てつがくと自己じこ省察せいさつに費ついやす時間じかんだ」。ただしここに留保りゅうほがいる。セネカSeneca自身じしんは帝国ていこくの運営うんえいに追おわれ、この助言じょげんを自みずから実行じっこうできていなかった。助言じょげんと実践じっせんの乖離かいり。この問題もんだいは後のちほど批判ひはん篇へんで再ふたたび取とり上あげる。

2. 怒いかりの分析ぶんせき──「怒いかりについて」

「怒いかりほど多おおくの都市としを滅ほろぼし、多おおくの民族みんぞくを奴隷どれいに落おとし、多おおくの国家こっかを瓦解がかいさせた疫病えきびょうはない」(『怒いかりについて』I.2.1)。カリグラCaligulaの気きまぐれな処刑しょけいを間近まぢかで見みてきたセネカSenecaにとって、怒いかりは抽象ちゅうしょう的てきな議題ぎだいではなく、命いのちに関かかわる問題もんだいだった。

セネカSenecaの怒いかり論ろんの核心かくしんは三段階さんだんかいモデルmodelにある。第一だいいち段階だんかい──外的がいてき刺激しげきが不随意ふずいいの身体しんたい反応はんのうを引ひき起おこす。顔かおが紅潮こうちょうする、拳こぶしが握にぎられる、声こえが震ふるえる。これは制御せいぎょできない生理せいり反応はんのうであり、怒いかりそのものではない。第二だいに段階だんかい──理性りせいが「自分じぶんは不当ふとうに扱あつかわれた、報復ほうふくは正当せいとうだ」という判断はんだんを下くだす。ここに「同意どうい」(アッセンススassensus)がある。怒いかりが怒いかりになる瞬間しゅんかんだ。第三だいさん段階だんかい──同意どういが理性りせいを圧倒あっとうし、制御せいぎょ不能ふのうの激情げきじょうへと暴走ぼうそうする(II.4.1)。

決定けってい的てきなのは第二だいに段階だんかいだ。刺激しげきと反応はんのうのあいだに「判断はんだん」がある。その判断はんだんを保留ほりゅうすれば、第三だいさん段階だんかいには進すすまない。現代げんだいの認知にんち行動こうどう療法りょうほう(CBTシービーティー)が「認知にんちの再構成さいこうせい」と呼よぶ技法ぎほうの原型げんけいがここにある。出来事できごとが感情かんじょうを生うむのではなく、出来事できごとについての判断はんだんが感情かんじょうを生うむ。セネカSenecaは臨床りんしょう心理しんり学がくの枠組わくぐみを、実験じっけん室しつの代かわりに宮廷きゅうていで発見はっけんした。CBTシービーティーとは、現代げんだいの心療しんりょう内科ないかやカウンセリングcounselingで広ひろく用もちいられる心理しんり療法りょうほうで、「つらい感情かんじょうを引ひき起おこしているのは出来事できごとそのものではなく、出来事できごとに対たいする自分じぶんの受うけ取とり方かた(認知にんち)だ」という前提ぜんていに立たち、その認知にんちの歪ゆがみを修正しゅうせいすることで症状しょうじょうを改善かいぜんする。たとえば、上司じょうしに素すっ気けなく返事へんじをされた。「嫌きらわれている」と解釈かいしゃくすれば怒いかりか不安ふあんが湧わく。「忙いそがしかっただけかもしれない」と解釈かいしゃくを差さし替かえれば、感情かんじょうは変かわる。セネカSenecaの「同意どういを保留ほりゅうせよ」とは、まさにこの差さし替かえの技術ぎじゅつを指さしている。

対処たいしょ法ほうもまた具体ぐたい的てきだ。「怒いかりを感かんじたら、まず待まて」。鏡かがみで自分じぶんの顔かおを見みよ。怒いかりに歪ゆがんだ顔かおの醜みにくさが冷水れいすいになる(II.36)。毎晩まいばん、就寝しゅうしん前まえに一日いちにちの行おこないを振ふり返かえれ。「今日きょう、治なおした悪癖あくへきは何なにか。どの欲望よくぼうに抵抗ていこうしたか。どの点てんで良よくなったか」(III.36)。これは抽象ちゅうしょう論ろんではない。明日あすから使つかえる技術ぎじゅつだ。

3. 死しへの備そなえ──メメント・モリmemento moriの原型げんけい

「毎日まいにちが最後さいごの日ひであるかのように生いきよ」(『道徳どうとく書簡しょかん集しゅう』12.8)。喘息ぜんそくの発作ほっさで何度なんども死しの淵ふちを覗のぞいたセネカSenecaにとって、死しは観念かんねんではなく体験たいけんだった。彼かれは死しを忌避きひすべき恐怖きょうふの対象たいしょうではなく、日常にちじょう的てきに想起そうきすべき事実じじつと位置いちづけた。暗くらい執着しゅうちゃくではない。いま生いきている一瞬いっしゅんの価値かちを際立きわだたせるための装置そうちだ。

「不幸ふこうの予行よこう演習えんしゅう」(premeditatio malorumプラエメディターティオー・マローラム)という技法ぎほうがある。明日あした財産ざいさんを失うしなうかもしれない、健康けんこうを奪うばわれるかもしれない、愛あいする人ひとを失うしなうかもしれない。その可能かのう性せいを事前じぜんに心こころの中なかで生いきておく。「予期よきしていたことは打撃だげきが軽かるい」(『道徳どうとく書簡しょかん集しゅう』91.4)。これは悲観ひかん主義しゅぎではない。あらかじめ最悪さいあくを引ひき受うけておくことで、不意ふいの打撃だげきに対たいする心理しんり的てき耐性たいせいを作つくる技術ぎじゅつだ。

ストアStoa派はにおいて死しは「無関心むかんしんなもの」(アディアフォラadiaphora)、つまり善ぜんでも悪あくでもないものに分類ぶんるいされる。少すこし分わかりにくいので補足ほそくする。ストア派はは「本当ほんとうに善よいのは徳とく(知恵ちえ・勇気ゆうき・正義せいぎ・節制せっせい)だけで、本当ほんとうに悪わるいのは悪徳あくとくだけだ」と考かんがえる。健康けんこうも病気びょうきも、富とみも貧困ひんこんも、生せいも死しも、善ぜんでも悪あくでもない「中間ちゅうかんのもの」に過すぎない。だから死しを恐おそれる必要ひつようはない──理屈りくつの上うえでは。しかし頭あたまで理解りかいすることと腹はらの底そこから納得なっとくすることは別べつだ。だから練習れんしゅうがいる。エピクロスEpikourosが「死しは我々われわれにとって何なにものでもない」と論証ろんしょうしたのに対たいし、セネカSenecaは死しを積極せっきょく的てきに「練習れんしゅう」することを勧すすめた。「哲学てつがくすること、それは死しぬことを学まなぶことだ」(『道徳どうとく書簡しょかん集しゅう』26.10)。プラトンPlatōnの『パイドンPhaidōn』を踏ふまえたこの命題めいだいを、セネカSenecaは具体ぐたい的てきな日々ひびの実践じっせんに落おとし込こんだ。中世ちゅうせいの「メメント・モリmemento mori」(死しを忘わすれるな)の源流げんりゅうの一ひとつは、明あきらかにここにある。

4. 運命うんめいと摂理せつり──「摂理せつりについて」

「なぜ善ぜんき人ひとに悪わるいことが起おきるのか。」古今ここん東西とうざいの宗教しゅうきょうと哲学てつがくが格闘かくとうしてきたこの問といに、セネカSenecaの答こたえはこうだ。逆境ぎゃっきょうは徳とくの訓練くんれんである。運動うんどう選手せんしゅが強つよい相手あいてと闘たたかうことで鍛きたえられるように、善ぜんき人ひとは困難こんなんを通つうじて徳とくを磨みがく。医者いしゃが苦にがい薬くすりを処方しょほうするように、運命うんめいは苦難くなんを処方しょほうする。具体ぐたい的てきに考かんがえてみよう。会社かいしゃを突然とつぜん解雇かいこされたとする。収入しゅうにゅうが途絶とだえ、生活せいかつが揺ゆらぐ。セネカSenecaの論理ろんりに従したがえば、解雇かいこそのものは「善ぜんでも悪あくでもないもの」だ。問とわれているのは、その状況じょうきょうのなかで自分じぶんがどういう態度たいどをとるか(自暴自棄じぼうじきになるか、冷静れいせいに次つぎの一手いってを考かんがえるか)だけだ、と。

この議論ぎろんは危あぶない。理不尽りふじんな苦くるしみを「鍛錬たんれん」と呼よぶことは、被害ひがい者しゃに対たいする冷酷れいこくさを含ふくみうる。セネカSenecaが強調きょうちょうするのは「苦くるしみは良よいことだ」ではない。「苦くるしみに対たいする態度たいどは選えらべる」という一点いってんだ。同おなじ流刑るけいでも、絶望ぜつぼうする者ものもいれば哲学てつがくを深ふかめる者ものもいる。セネカSeneca自身じしんがコルシカCorsicaで後者こうしゃを選えらんだように。出来事できごとそのものは選えらべない。出来事できごとをどう受うけ止とめるかは自分じぶんの手てにある。ただし、この論理ろんりを他者たしゃに向むけた瞬間しゅんかん、それは暴力ぼうりょくになりうる。

5. 慰なぐさめの哲学てつがく──悲嘆ひたんに向むき合あう

セネカSenecaは3篇へんの「慰なぐさめ」(consolatioコンソラーティオー)を残のこしている。母ははヘルウィアHelviaへの慰なぐさめ(自身じしんの流刑るけいに際さいして)、マルキアMarciaへの慰なぐさめ(息子むすこを亡なくした友人ゆうじんへ)、そしてポリュビウスPolybiusへの慰なぐさめ。最後さいごのものには注意ちゅういがいる。ポリュビウスPolybiusは皇帝こうていクラウディウスClaudiusの解放かいほう奴隷どれい(つまりかつて奴隷どれいの身分みぶんにあったが自由じゆうを得えて皇帝こうていの側近そっきんにまで上のぼり詰つめた実力じつりょく者しゃ)で、当時とうじコルシカCorsicaに流刑るけい中ちゅうだったセネカSenecaはこの「慰なぐさめ」の中なかで、ポリュビウスPolybiusの兄弟きょうだいの死しを悼いたみつつ、皇帝こうていクラウディウスClaudiusをこれでもかと讃たたえ、暗あんに自身じしんの召還しょうかんを嘆願たんがんしている。要ようするに、哲学てつがく的てきな慰なぐさめの体裁ていさいをとった政治せいじ的てきな嘆願たんがん書しょだ。哲学てつがく的てき慰なぐさめと政治せいじ的てき嘆願たんがんが混まざり合あう。セネカSenecaの人間にんげんくさい弱よわさが滲にじむ作品さくひんだ。

悲嘆ひたんを否定ひていするのではなく、悲嘆ひたんにも適切てきせつな限度げんどがあるとセネカSenecaは説とく。嘆なげきを長引ながびかせることは失うしなった者ものへの愛あいではなく自己じこ憐憫れんびんになりうる。冷つめたいか。しかしセネカSenecaは感情かんじょうを消けし去されとは言いっていない。感情かんじょうに支配しはいされるのではなく、理性りせいで整ととのえることはできる。泣なくのはいい。ただ、泣なき続つづけることを選えらぶ必要ひつようはない。

6. 道徳どうとく書簡しょかん集しゅう──哲学てつがく的てき書簡しょかんの傑作けっさく

友人ゆうじんルキリウスLuciliusに宛あてた124通つうの手紙てがみからなる『道徳どうとく書簡しょかん集しゅう』(Epistulae Moralesエピストゥラエ・モラーレース)はセネカSenecaの最大さいだいの遺産いさんだ。一通いっつうごとに一ひとつの主題しゅだい(友情ゆうじょう、旅たび、群衆ぐんしゅうの影響えいきょう、読書どくしょの仕方しかた、老おいの受うけ入いれ)を扱あつかい、日常にちじょうの具体ぐたい的てきな場面ばめんから哲学てつがく的てき考察こうさつを引ひき出だす。書簡しょかん1は時間じかんの節約せつやくについて。書簡しょかん7は闘技とうぎ場じょうの群衆ぐんしゅう心理しんりについて。「群衆ぐんしゅうのなかに入はいった私わたしは、入はいったときより悪わるい人間にんげんになって戻もどってくる」。

書簡しょかん形式けいしきの魅力みりょくは、対話たいわの親密しんみつさにある。教壇きょうだんから講義こうぎするのではなく、友人ゆうじんと肩かたを並ならべて歩あるきながら語かたるように書かく。「私わたしは病人びょうにんであり、同おなじ病室びょうしつから治療ちりょう法ほうについて語かたり合あっているのだ」(27.1)。完成かんせいされた賢者けんじゃが無知むちな者ものに教おしえるのではなく、同おなじ病やまいを持もつ者ものが隣となりで語かたりかける。この謙虚けんきょさが読者どくしゃを突つき放はなさない。モンテーニュMontaigneの『エセーEssais』に決定けってい的てきな影響えいきょうを与あたえたのもこの書簡しょかん集しゅうだった。近代きんだいのエッセイessayという文学ぶんがく形式けいしきそのものが、セネカSenecaの書簡しょかん体たいから生うまれたと言いってよい。

7. 奴隷どれいと人間にんげんの尊厳そんげん──書簡しょかん47

「奴隷どれいだって? いや、人間にんげんだ」(Servi sunt. Immo homines.セルウィー・スント。イッモー・ホミネース。)──書簡しょかん47の冒頭ぼうとうは短みじかく、鋭するどい。奴隷どれい制せいを当然とうぜんの制度せいどとして受うけ入いれていたローマRōma社会しゃかいのただなかで、セネカSenecaは奴隷どれいと主人しゅじんのあいだに本質ほんしつ的てきな差さはないと主張しゅちょうした。奴隷どれいたちと食事しょくじをともにせよ。彼かれらを「謙虚けんきょな友人ゆうじん」(humiles amiciフーミレース・アミーキー)として遇ぐうせよ。運命うんめいの車輪しゃりんは回まわる。今日きょうの主人しゅじんが明日あすの奴隷どれいにならないと誰だれが言いえるか。

セネカSenecaは奴隷どれい制せいの廃止はいしを主張しゅちょうしたわけではない。制度せいどそのものへの批判ひはんにまでは踏ふみ込こんでいない。その限界げんかいは認みとめるべきだ。しかし奴隷どれいも同おなじ人間にんげんであるという主張しゅちょうは、当時とうじのローマRōmaでは異端いたんに近ちかい。「自由人じゆうじんも奴隷どれいも、身体しんたいは運命うんめいの支配しはい下かにある。しかし精神せいしんは自分じぶんのものだ」(47.17)。この一文いちぶんに、ストアStoaの普遍ふへん主義しゅぎが凝縮ぎょうしゅくされている。ストアの普遍ふへん主義しゅぎとは、人間にんげんは国籍こくせきも身分みぶんも性別せいべつも関係かんけいなく、理性りせいを持もつ存在そんざいとして等ひとしいという思想しそうだ。奴隷どれいの身体しんたいは鎖くさりにつながれていても、その精神せいしんは主人しゅじんと同おなじ宇宙うちゅう理性りせい(ロゴスlogos)に参与さんよしている──ストアStoa派ははそう考かんがえた。古代こだいギリシャGreeceのアリストテレスAristotelēsが「自然しぜんによって奴隷どれいである者ものがいる」と論ろんじた(『政治せいじ学がく』I.5)のと比くらべれば、セネカSenecaの主張しゅちょうが古代こだいにあっていかに異質いしつだったかがわかる。

8. 徳とくと善ぜん──「途上とじょうの者もの」の哲学てつがく

正統せいとうなストアStoa派はとして、セネカSenecaは善ぜんは徳とくのみにあると主張しゅちょうする。健康けんこう、富とみ、地位ちいは「好このましいもの」(プロエーグメナproēgmena)ではあっても善ぜんではない。真しんの善ぜんは知恵ちえ・勇気ゆうき・正義せいぎ・節制せっせい(四よっつの枢要すうよう徳とく)のなかにある。枢要すうよう徳とくとは「蝶番ちょうつがい」のように人ひとの生せいを支ささえる根本こんぽん的てきな徳とくのこと。たとえば昇進しょうしんを逃のがしても正ただしい判断はんだんができる(知恵ちえと勇気ゆうき)、不当ふとうな要求ようきゅうに「否いな」と言いえる(正義せいぎ)、欲望よくぼうに振ふり回まわされない(節制せっせい)。ストア派はの過激かげきな主張しゅちょうは、この四よっつが揃そろっていれば、たとえ牢獄ろうごくのなかでも人ひとは幸福こうふくでありうる、というものだ。逆ぎゃくに、宮殿きゅうでんに住すんでいてもこの四よっつを欠かいていれば惨みじめだ。

だがセネカSenecaの独自どくじ性せいは、この厳格げんかくな基準きじゅんを掲かかげつつ、自分じぶんがそこに到達とうたつしていないことを認みとめた点てんにある。完全かんぜんな賢者けんじゃ(ソフォスsophos)は理想りそうであり、実在じつざいしないかもしれない。大事だいじなのは賢者けんじゃであることではなく、「進歩しんぽする者もの」(proficiensプロフィキエンス)であり続つづけることだ。「私わたしは他人たにんに処方しょほう箋せんを書かく。だが私わたし自身じしんもまた病人びょうにんであり、同おなじ病院びょういんで治療ちりょうを受うけている」(27.1)。この正直しょうじきさ(自分じぶんの不完全ふかんぜんさを隠かくさないこと)が、セネカSenecaのテキストtextに人間にんげんの体温たいおんを与あたえている。完璧かんぺきでなければ発言はつげんする資格しかくがないなら、誰だれが口くちを開ひらけるだろうか。

主要しゅよう著作ちょさくガイドguide

  • 『道徳どうとく書簡しょかん集しゅう』(Epistulae Moralesエピストゥラエ・モラーレース)── 友人ゆうじんルキリウスLuciliusに宛あてた124通つうの哲学てつがく的てき書簡しょかん。日常にちじょうの場面ばめんから哲学てつがくを引ひき出だす代表だいひょう作さく。初はじめに読よむならこれ。邦訳ほうやく:茂手木もてぎ元蔵げんぞう訳やく『セネカ 道徳どうとく書簡しょかん集しゅう』東海とうかい大学だいがく出版しゅっぱん会かい。
  • 『人生じんせいの短みじかさについて』(De Brevitate Vitaeデ・ブレウィターテ・ウィータエ)── 時間じかんの浪費ろうひへの痛烈つうれつな批判ひはん。短みじかいが濃密のうみつ。邦訳ほうやく:大西おおにし英文ひでふみ訳やく、岩波いわなみ文庫ぶんこ『生せいの短みじかさについて 他二篇にへん』。
  • 『怒いかりについて』(De Iraデ・イーラー)── 怒いかりの本性ほんせいと対処たいしょ法ほうを論ろんじた3巻かんの大作たいさく。感情かんじょう論ろんの傑作けっさく。邦訳ほうやく:兼利かねとし琢也たくや訳やく、岩波いわなみ文庫ぶんこ。
  • 『摂理せつりについて』(De Providentiaデ・プロウィデンティアー)── なぜ善人ぜんにんに苦難くなんが降ふりかかるのかを論ろんじる。逆境ぎゃっきょうを徳とくの訓練くんれんと見みなすストア的てき発想はっそうの精髄せいずい。
  • 『心こころの平静へいせいについて』(De Tranquillitate Animiデ・トランクイッリターテ・アニミー)── 心こころの動揺どうようを鎮しずめ安定あんていを得えるための実践じっせん的てき指針ししん。
  • 『恩恵おんけいについて』(De Beneficiisデ・ベネフィキイース)── 贈与ぞうよと感謝かんしゃの倫理りんりを7巻かんにわたって論ろんじた力作りきさく。人間にんげん関係かんけいの基盤きばんとしての互恵ごけい性せい。
  • 『自然しぜん研究けんきゅう』(Naturales Quaestionesナートゥラーレース・クアエスティオーネース)── 気象きしょう・地震じしん・彗星すいせいなどの自然しぜん現象げんしょうを論ろんじた7巻かん。セネカSenecaの自然しぜん哲学てつがく面めんを知しる唯一ゆいいつの著作ちょさく。
  • 悲劇ひげき作品さくひん──『メデアMedea』『ファエドラPhaedra』『テュエステスThyestes』など。情念じょうねんに破壊はかいされる人間にんげんの姿すがたを描えがき、哲学てつがく対話たいわ篇へんの裏面りめんをなす。エリザベスElizabeth朝ちょう演劇えんげき──シェイクスピアShakespeareを含ふくむ──に決定けってい的てきな影響えいきょうを与あたえた。

主要しゅような批判ひはんと論争ろんそう

1. 偽善ぎぜん──最もっとも古ふるく最もっとも痛烈つうれつな批判ひはん:元老げんろう院いん議員ぎいんスイッリウスSuilliusの弾劾だんがいは容赦ようしゃなかった。「いかなる哲学てつがくで3億おくセステルティウスを貯ためたのか」。カッシウス・ディオCassius Dioもこの金額きんがくを記録きろくしている(LXI.10)。セネカSeneca自身じしんは『幸福こうふくな生せいについて』21-22で反論はんろんしている。「富とみを持もつことは悪あくではない。富とみに支配しはいされることが悪あくなのだ」。ストアStoaの理論りろん上じょうは筋すじが通とおる。富とみは「善ぜんでも悪あくでもないもの」だから。しかし理論りろんの整合せいごう性せいと道徳どうとく的てき説得せっとく力りょくは別べつのものだ。年収ねんしゅう300万まん円えんの人間にんげんが億万おくまん長者ちょうじゃの「おお金かねは大事だいじじゃない」を聞きいたときの、あの胃いのあたりの不快ふかいさ。それと同おなじ反応はんのうを、古代こだいローマRōma人じんも感かんじていた。

2. ネロNeroとの共犯きょうはん関係かんけい:ネロNeroの母ははアグリッピナAgrippina殺害さつがい(59年ねん)に際さいし、セネカSenecaは元老げんろう院いんへの弁明べんめい書しょを起草きそうしたとされる。母はは殺ごろしの正当せいとう化かに筆ふでを貸かす哲学てつがく者しゃ。これを擁護ようごすることは難むずかしい。「権力けんりょくの内部ないぶにいなければ善政ぜんせいは実現じつげんできなかった」という弁護べんごもあるが、そのために引ひき受うけた汚よごれの代償だいしょうは計はかり知しれない。清廉せいれんであるために権力けんりょくから退しりぞけば、もっと悪あくい者ものが代かわりに座すわる。権力けんりょくのなかで善ぜんを目指めざせば手てが汚よごれる。この二律にりつ背反はいはんに安易あんいな答こたえはない。

3. 哲学てつがくはアリバイalibiだったのか:もう一歩いっぽ踏ふみ込こんだ問といがある。セネカSenecaは哲学てつがくを使つかって自みずからの特権とっけん的てき地位ちいを正当せいとう化かしていたのではないか。「富とみは善ぜんでも悪あくでもない」という理論りろんは、富とみを手放てばなさないための知的ちてきな言いい訳わけではなかったか。この疑惑ぎわくを完全かんぜんに払拭ふっしょくすることは誰だれにもできない。ただ、晩年ばんねんのセネカSenecaが全ぜん財産ざいさんをネロNeroに返上へんじょうしようとした事実じじつは、少すくなくとも彼かれが自分じぶんの矛盾むじゅんに苦くるしんでいたことを示しめす。

4. 悲劇ひげきと哲学てつがくの緊張きんちょう:セネカSenecaの悲劇ひげきは理性りせいを超こえる情念じょうねんの暴力ぼうりょくを描えがく。『メデアMedea』の主人公しゅじんこうは「正ただしくないことはわかっている。しかし怒いかりが理性りせいに勝かつ」と叫さけぶ。理性りせいで情念じょうねんを制御せいぎょできるというストアStoaの前提ぜんていを、セネカSeneca自身じしんが舞台ぶたいの上うえで粉砕ふんさいしている。哲学てつがく者しゃセネカと劇作げきさく家かセネカは矛盾むじゅんしているのか、それとも人間にんげんの複雑ふくざつさを異ことなる角度かくどから照てらしているのか。おそらく後者こうしゃだ。しかし確たしかなことは言いえない。

5. ストアStoa正統せいとう派はからの逸脱いつだつ:エピクロスEpikourosの格言かくげんを頻繁ひんぱんに引用いんようし、学派がくはの垣根かきねを越こえた折衷せっちゅう的てきな態度たいど。厳格げんかくなストアStoa派はから見みれば、理論りろん的てき一貫いっかん性せいの欠如けつじょに映うつる。ただしセネカSenecaは自覚じかく的てきにそうしていた。「私わたしはストア派はの兵士へいしだが、他たの陣営じんえいにも良よいものがあれば取とりに行いく」。純粋じゅんすいさを犠牲ぎせいにした実用じつよう性せい。それが強つよみでもあり弱よわみでもある。

影響えいきょうと遺産いさん

先行せんこう思想しそう:セネカSenecaはキティオンKitionのゼノンZēnōnとクリュシッポスChrysipposが体系たいけい化かしたストアStoa哲学てつがくを継承けいしょうした。ポセイドニオスPoseidōniosの折衷せっちゅう主義しゅぎ、師しアッタロスAttalosの実践じっせん的てき禁欲きんよく、ソティオンSotionを通つうじたピュタゴラスPythagoras的てき要素ようそも混まざっている。プラトンPlatōnの対話たいわ篇へんからの影響えいきょうも随所ずいしょに見みえる。

後期こうきストアの三さん巨頭きょとう:セネカSeneca、エピクテトスEpiktētos、マルクス・アウレリウスMarcus Aurelius。書簡しょかん体たい、講義こうぎ録ろく、日記にっき体たい──形式けいしきは異ことなるが、「日常にちじょうのなかでストア哲学てつがくを実践じっせんする」姿勢しせいは共通きょうつうする。宮廷きゅうてい政治せいじ家か、元もと奴隷どれい、皇帝こうてい──三者さんしゃの社会しゃかい的てき立場たちばの違ちがいそのものが、ストア哲学てつがくの普遍ふへん性せいを証明しょうめいしている。

キリストChrist教きょうとの関係かんけい:初期しょきキリストChrist教きょう教父きょうふたちはセネカSenecaを高たかく評価ひょうかした。テルトゥリアヌスTertullianusはセネカSenecaを「しばしば我々われわれの側がわにいる」と述のべ(『魂たましいについて』20.1)、4世紀せいきにはセネカSenecaと使徒しとパウロPaulusの偽にせ書簡しょかん集しゅうが作つくられるほどだった。良心りょうしんの吟味ぎんみ、内面ないめんの修養しゅうよう、運命うんめいへの従順じゅうじゅん──ストアStoa倫理りんりとキリストChrist教きょう倫理りんりは驚おどろくほど重かさなる。毎晩まいばん自分じぶんの行おこないを振ふり返かえれ(ストアの夜よるの省察せいさつ→キリストChrist教きょうの良心りょうしんの糾明きゅうめい)、苦難くなんを神かみの試練しれんと受うけ止とめよ(ストアの摂理せつり論ろん→キリストChrist教きょうの摂理せつり信仰しんこう)、欲望よくぼうを抑おさえ徳とくを磨みがけ──両者りょうしゃの道徳どうとく的てき要求ようきゅうは瓜二うりふたつだった。この親和しんわ性せいが、中世ちゅうせいを通つうじてセネカSenecaの読者どくしゃを確保かくほし続つづけた。

ルネサンスRenaissanceと近代きんだい:モンテーニュMontaigneは『エセーEssais』でセネカSenecaを最もっとも頻繁ひんぱんに引用いんようする古代こだい作家さっかの一人ひとりとした。デカルトDescartesの『情念じょうねん論ろん』もセネカSenecaを意識いしきしている。セネカSenecaの悲劇ひげきはエリザベスElizabeth朝ちょうイングランドEnglandで熱狂ねっきょう的てきに受容じゅようされ、復讐ふくしゅう悲劇ひげきのジャンルgenreを生うんだ。シェイクスピアShakespeareの『タイタス・アンドロニカスTitus Andronicus』『ハムレットHamlet』の亡霊ぼうれいの場面ばめんに、セネカSeneca悲劇ひげきの影かげが落おちている。

現代げんだいのストア・リバイバルrevival:21世紀せいきに入はいり、「現代げんだいストイシズムStoicism」の潮流ちょうりゅうのなかでセネカSenecaは再ふたたび広ひろく読よまれるようになった。ライアン・ホリデイRyan Holidayの『ストアStoaの哲学てつがく』、マッシモ・ピグリウッチMassimo Pigliucciの『ストアStoa派はになるには』など、セネカSenecaの言葉ことばを現代げんだいの実践じっせんに読よみ替かえる書籍しょせきが世界せかい的てきに読よまれている。

現代げんだいへの接続せつぞく

第一だいいちに、認知にんち行動こうどう療法りょうほう(CBTシービーティー)。CBTシービーティーの創始そうし者しゃアーロン・ベックAaron BeckはストアStoa哲学てつがくの影響えいきょうを認みとめている。仕組しくみはこうだ──出来事できごとが感情かんじょうを生うむのではなく、出来事できごとについての解釈かいしゃく(認知にんち)が感情かんじょうを生うむ。その認知にんちを修正しゅうせいすれば感情かんじょうが変かわる。セネカSenecaの怒いかりの三段階さんだんかいモデルmodel──刺激しげき→判断はんだん(同意どうい)→感情かんじょう──はまさにこの構造こうぞうそのものだ。心療しんりょう内科ないかで使つかわれている技法ぎほうの設計せっけい図ずを、2000年ねん前まえの哲学てつがく者しゃが書かいていた。

第二だいにに、注意ちゅうい経済けいざいと時間じかんの略奪りゃくだつ。セネカSenecaが批判ひはんしたoccupatiオックパーティー──忙殺ぼうさつされる人々ひとびと──を、現代げんだいの言葉ことばに翻訳ほんやくすればこうなる。通知つうちに追おわれ、ドゥームスクローリングdoom scrollingで30分ぷんを失うしない、メールe-mailと会議かいぎで1日にちが埋うまり、寝ねる前まえにSNSエスエヌエスのフィードfeedをもう1周しゅうする。セネカSenecaが求もとめたのは「効率こうりつよく多おおくの仕事しごとをこなす」ことではない。「あなたは自分じぶんの時間じかんを生いきているのか」──この問といだ。アルゴリズムalgorithmに最適さいてき化かされた注意ちゅういの奪うばい合あいのなかで、この問といは2000年ねん前まえより切実せつじつかもしれない。

第三だいさんに、組織そしきのなかの良心りょうしん。自分じぶんの会社かいしゃが不正ふせいを行おこなっている。辞やめれば手ては清きよいが、改善かいぜんの可能かのう性せいは消きえる。残のこって内部ないぶから変かえようとすれば、共犯きょうはん関係かんけいに巻まき込こまれる。これは内部ないぶ告発こくはつ者しゃがつねに直面ちょくめんするジレンマdilemmaであり、セネカSenecaがネロNeroのもとで経験けいけんしたことと構造こうぞうは同おなじだ。彼かれの苦闘くとうは、「不完全ふかんぜんな組織そしきのなかで道徳どうとく的てきであることの限界げんかい」を身みをもって示しめした記録きろくでもある。

第四だいよんに、レジリエンスresilienceと不幸ふこうの予行よこう演習えんしゅう。premeditatio malorumプラエメディターティオー・マローラム──明日あした職しょくを失うしなうかもしれない、病やまいに倒たおれるかもしれない、大切たいせつな人ひとがいなくなるかもしれない。その可能かのう性せいを毎朝まいあさ静しずかに受うけ止とめる。悲観ひかんではない。予期よきしていた打撃だげきは不意ふいの打撃だげきより軽かるい──それだけのことだ。予測よそく不能ふのうな災害さいがい、突然とつぜんの解雇かいこ、パンデミックpandemic。備そなえることができるのは物資ぶっしだけではなく、心こころの姿勢しせいもそうだ。

第五だいごに、見みえない人ひと々へのまなざしまなざし。書簡しょかん47の問とい──奴隷どれいを人間にんげんとして見みているか──を現代げんだいに置おき換かえてみる。深夜しんやのコンビニconvenience store店員てんいん、雨あめの中なかを走はしる配達はいたつ員いん、画面がめんの向むこうでコンテンツcontentsの有害ゆうがい性せいを判定はんていするモデレーターmoderator。私わたしたちは彼かれらの名前なまえを知しっているか。彼かれらの顔かおを見みているか。サービスserviceを享受きょうじゅしながら、提供ていきょう者しゃを透明とうめい人間にんげんのように扱あつかっていないか。セネカSenecaは奴隷どれい制せいの廃止はいしにまでは踏ふみ込こめなかった。私わたしたちは踏ふみ込こめるのか。

読者どくしゃへの問とい

  • 先週せんしゅうの起床きしょう時間じかんから就寝しゅうしん時間じかんまで、1時間じかん単位たんいで何なにをしていたか思おもい出だしてほしい。そのうち本当ほんとうに「自分じぶんのため」に使つかった時間じかんは何時間なんじかんあったか。セネカSenecaが言いう「忙殺ぼうさつされている人ひと」に、あなたは当あてはまるか。
  • 完璧かんぺきな人間にんげんしか正ただしいことを言いえないなら、世界せかいは沈黙ちんもくする。セネカSenecaのように矛盾むじゅんを抱かかえたまま語かたることと、矛盾むじゅんを理由りゆうに黙だまることと、どちらが誠実せいじつだろうか。
  • 最後さいごにSNSエスエヌエスで誰だれかに怒いかりを感かんじたとき──投稿とうこうボタンbuttonを押おす前まえに、あなたはどんな「判断はんだん」を下くだしていたか。セネカSenecaの言いう「同意どういの保留ほりゅう」は、あなたの指先ゆびさきで実行じっこうできるか。

名言めいげん(出典しゅってんつき)

"人生じんせいは十分じゅうぶんに長ながい。もしそれを使つかう術すべを知しっていれば。" 出典しゅってん:セネカSeneca『人生じんせいの短みじかさについて(生せいの短みじかさについて)』2.1/原文げんぶん:"Non exiguum temporis habemus, sed multum perdidimus. Satis longa vita et in maximarum rerum consummationem large data est, si tota bene collocaretur."

人生じんせいが短みじかいのは宇宙うちゅうのせいではなく自分じぶんのせいだ、とセネカSenecaは問題もんだいの所在しょざいを引ひき受うけることから始はじめる。

"哲学てつがくの教おしえはどこにいったのか。あれほど長ながい年月ねんげつをかけて備そなえてきたのは、まさにこの時ときのためではなかったか。" 出典しゅってん:タキトゥスTacitus『年代記Annales』XV.62(セネカSenecaの最期さいごの言葉ことばとして伝つたえられる)/原文げんぶん:"Ubi praecepta sapientiae, ubi tot per annos meditata ratio adversum imminentia?"

哲学てつがくは最終さいしゅう試験しけんを持もつ。それは死しの瞬間しゅんかんだ。セネカSenecaはこの試験しけんに、少すくなくともタキトゥスTacitusの記述きじゅつを信しんじるなら、合格ごうかくした。

"怒いかりがどのような結果けっかをもたらしたかを知しりたければ、その顔かおを見みるがよい。" 出典しゅってん:セネカSeneca『怒いかりについて』I.1.3-4/原文げんぶん:"Aspice quemcumque; videbis irati vultum..."

怒いかりの醜みにくさは鏡かがみに映うつる。自分じぶんの歪ゆがんだ顔かおを見みること──これがセネカSenecaの怒いかりへの最初さいしょの処方しょほう箋せんだった。

"奴隷どれいだって? いや、人間にんげんだ。奴隷どれいだって? いや、同おなじ屋根やねの下したに住すむ者ものだ。奴隷どれいだって? いや、謙虚けんきょな友ともだ。" 出典しゅってん:セネカSeneca『道徳どうとく書簡しょかん集しゅう』47.1/原文げんぶん:"Servi sunt. Immo homines. Servi sunt. Immo contubernales. Servi sunt. Immo humiles amici."

奴隷どれい所有しょゆうが空気くうきのように当然とうぜんだった社会しゃかいで、この言葉ことばは異質いしつだった。制度せいどの廃止はいしにまでは至いたらなかったにせよ、「同おなじ人間にんげん」という認識にんしきはそこから始はじまる。

参考さんこう文献ぶんけん

  • (原典げんてん・邦訳ほうやく):セネカSeneca『生せいの短みじかさについて 他二篇にへん』大西おおにし英文ひでふみ訳やく、岩波いわなみ文庫ぶんこ。──『人生じんせいの短みじかさについて』『心こころの平静へいせいについて』『幸福こうふくな生せいについて』を収録しゅうろく。セネカSeneca入門にゅうもんに最適さいてき。
  • (原典げんてん・邦訳ほうやく):セネカSeneca『怒いかりについて 他一篇いっぺん』兼利かねとし琢也たくや訳やく、岩波いわなみ文庫ぶんこ。
  • (原典げんてん・邦訳ほうやく):セネカSeneca『道徳どうとく書簡しょかん集しゅう』茂手木もてぎ元蔵げんぞう訳やく、東海とうかい大学だいがく出版しゅっぱん会かい。
  • (原典げんてん・英訳えいやく):Senecaセネカ. Letters on Ethicsレターズ・オン・エシックス. Trans. Margaret Graverマーガレット・グレイヴァー & A.A. LongA.A. ロング. Chicagoシカゴ: University of Chicago Pressシカゴ大学出版局, 2015.
  • (伝記でんき):Wilson, Emilyウィルソン、エミリー. The Greatest Empire: A Life of Senecaザ・グレイテスト・エンパイア. Oxfordオックスフォード: Oxford University Pressオックスフォード大学出版局, 2014.──セネカSenecaの矛盾むじゅんを正面しょうめんから論ろんじた力作りきさく。
  • (概説がいせつ):Long, A.A.ロング Hellenistic Philosophyヘレニスティック・フィロソフィー. 2nd ed. Londonロンドン: Duckworthダックワース, 1986.──ストアStoa派はの全体ぜんたい像ぞうを把握はあくするための標準ひょうじゅん的てき概説がいせつ。
  • (概説がいせつ・邦語ほうご):タキトゥスTacitus『年代記Annales』国原くにはら吉之助きちのすけ訳やく、岩波いわなみ文庫ぶんこ。──セネカSenecaの生涯しょうがいを知しる第一だいいち級きゅうの史料しりょう。
  • (現代げんだいストア):Nussbaum, Marthaヌスバウム、マーサ. The Therapy of Desireザ・セラピー・オブ・デザイア. Princetonプリンストン: Princeton University Pressプリンストン大学出版局, 1994.──ヘレニズムHellenism期き哲学てつがくの「治療ちりょう」としての側面そくめんを論ろんじた名著めいちょ。セネカSenecaの怒いかり論ろんの分析ぶんせきが秀逸しゅういつ。
  • ウェブweb:Stanford Encyclopedia of Philosophyスタンフォード哲学百科事典, "Senecaセネカ" (first published初版 2007, substantive revision 2023). https://plato.stanford.edu/entries/seneca/