紀元前399年、アテナイの民衆法廷で一人の70歳の老人が死刑を宣告された。罪状は「国家の認める神々を認めず、新奇なダイモニオンを導入し、青年を堕落させた」こと。彼は逃亡の機会を与えられたが、それを拒んだ。友人クリトンが牢獄に忍び込み脱獄を勧めたとき、彼は答えた。「不正を行うことは、いかなる場合にも、いかなる仕方でも許されない。たとえ不正を受けた場合であっても、不正で返してはならない」(プラトン『クリトン』49a-e)。刑の執行の日、彼は弟子たちが泣き崩れる中、顔色ひとつ変えずに毒杯を仰ぎ、最後まで対話を続けて静かに死んだ。
ソクラテスは一行も書かなかった。著作はおろか断片すら残していない。それにもかかわらず、いや、おそらくそれゆえに、彼は西洋哲学史上最も影響力のある人物となった。プラトン、アリストテレス、ストア派、懐疑派、キルケゴール、ニーチェ、ウィトゲンシュタイン。つまり哲学の歴史はソクラテスとの対話として読むことができる。彼が問うたのは宇宙の根源ではなく、「よく生きるとはどういうことか」という、誰もが逃れられない問いだった。この問いは2400年を経た今も消えていない。「本当にそれで正しいのか」と立ち止まる力。私たちがそれを必要とするかぎり、ソクラテスは古くならない。
この記事の要点
- 「無知の知」── 知の出発点の転覆:ソクラテスは「自分が知らないことを知っている」という自覚こそが知恵の始まりだと主張した。これは単なる謙遜ではなく、吟味なき確信を最も危険な無知と見なす認識論的立場である。
- 問答法(エレンコス)── 対話による思考の鍛錬:ソクラテスは自ら何かを教えるのではなく、相手の信念を問いによって吟味し、矛盾を露呈させた。この方法は、結論を与えるのではなく「考える力そのもの」を鍛える教育の原型となった。
- 魂の配慮 ── 倫理の内面化:「大切なのは単に生きることではなく、よく生きることだ」。ソクラテスは富や名声ではなく、魂(プシュケー)の卓越性(アレテー)こそが人間にとって最も重要だと説いた。この主張は、外的成功を至上とする価値観への最初の体系的挑戦である。
生涯と時代背景
ソクラテスは紀元前470年頃、アテナイに生まれた。父ソフロニスコスは石工(あるいは彫刻家)、母パイナレテーは助産婦だった。母の職業は後に哲学的な比喩となる。ソクラテスは自らの仕事を「産婆術(マイエウティケー)」と呼び、他者の魂の中にある真理を「取り上げる」のだと語った(プラトン『テアイテトス』149a-151d)。
ソクラテスが生きた時代は、アテナイの黄金期とその崩壊の時代だった。ペリクレスのもとで民主政は頂点に達し、パルテノン神殿が建設され、悲劇詩人ソフォクレスやエウリピデス、歴史家トゥキュディデスが活動した。しかし前431年にペロポネソス戦争が勃発し、アテナイは27年に及ぶ消耗戦に引きずり込まれる。前430年にはペストが流行し、ペリクレス自身も病死。前404年にアテナイはスパルタに降伏し、「三十人僭主」の恐怖政治が一時的に支配した。
ソクラテスは重装歩兵として少なくとも三度の遠征に参加している(プラトン『弁明』28e)。ポティダイアの戦い(前432年頃)ではアルキビアデスの命を救い、デリオンの戦い(前424年)では敗走する味方の中で最後まで冷静に退却し、その勇敢さを将軍ラケスが証言したとプラトンは記している(『饗宴』220d-221c、『ラケス』181b)。この戦場での彼の姿は、「知」と「行い」が一致した哲学者としての彼の輪郭をすでに示している。アンフィポリスの戦い(前422年頃)にも従軍した。
ポティダイアの遠征中には、もうひとつの忘れがたいエピソードがある。ある朝、ソクラテスは何かを考え込んだまま一か所に立ち尽くした。昼になっても動かない。夕方になっても動かない。夜が来ても、まだ立っている。兵士たちは不思議がって寝床を外に持ち出し、彼がいつまで立っているか見守った。翌朝、太陽が昇ったとき、ソクラテスは太陽に祈りを捧げ、ようやくその場を去った(『饗宴』220c-d)。およそ24時間、微動だにせず思索に沈んでいたのである。この逸話は、彼の哲学が書斎の学問ではなく、全身全霊を賭けた精神の営みだったことを物語っている。
ソクラテスの外見は、ギリシャ的美の基準からかけ離れていた。獅子鼻、突き出た目、太い唇。プラトンの『饗宴』でアルキビアデスは彼をシレノス(サテュロスの一種)の像に喩えている。しかしその醜い外見の中に、驚くべき美しさ(内的な徳)が隠されていると続ける(215a-b)。この「外見と内面の逆転」は、ソクラテス自身の哲学(見かけの知と本当の知の逆転)と重なっている。
彼は生涯をほぼ無報酬で過ごした。ソフィストたちが高額の授業料を取って弁論術を教えたのとは対照的に、ソクラテスは「自分は何も知らないのだから教えることもできない」と言い、報酬を受け取らなかった。結果として、彼の家庭は貧しく、妻クサンティッペの不満は古代以来語り草になっている(ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』II.36-37)。
前399年の死刑執行の日は、プラトンの『パイドン』に永遠に刻まれている。ソクラテスは朝から弟子たちと魂の不死について対話し、夕方になると入浴して身を清め、妻子と最後の別れを告げた。看守が毒杯(毒ニンジン / コネイオン)を運んでくると、彼は平然とそれを受け取った。弟子たちが泣き出すと、叱った。「何ということだ、そのためにこそ女たちを帰したのに。死は取り乱してではなく、静寂のうちに迎えるべきだ」(『パイドン』117d-e)。
彼は毒を一息に飲み干し、指示通りに歩き回った後、横になった。身体が冷えていく中、最後の言葉は「クリトン、アスクレピオスに鶏一羽の借りがある。忘れずに返してくれ」だった(118a)。アスクレピオスは医療の神であり、病からの回復時に供物を捧げる慣習があった。この謎めいた遺言は、死を「生という病からの癒やし」と見なしたのか、あるいは何か別の意味があるのか、2400年にわたって解釈が分かれ続けている。
ミニ年表
- 前470年頃:アテナイのアロペケー区に生まれる。父は石工ソフロニスコス、母は助産婦パイナレテー
- 前440年代:アルケラオス(アナクサゴラスの弟子)のもとで自然哲学を学んだとされる
- 前432年頃:ポティダイアの戦いに重装歩兵として従軍
- 前424年:デリオンの戦いに従軍。敗走の中での冷静な退却で名を上げる
- 前423年:アリストファネス『雲』で風刺される(ソクラテスを自然哲学者・ソフィストとして戯画化)
- 前422年頃:アンフィポリスの戦いに従軍
- 前406年:アルギヌサイの海戦後、将軍たちを一括審理する違法な動議に対し、当日の議長団(プリュタネイス)の一員として唯一抵抗する(プラトン『弁明』32b)
- 前404-403年:三十人僭主政権の命令(レオンの逮捕)を拒否
- 前399年:メレトス、アニュトス、リュコンにより告発される。民衆法廷で有罪・死刑判決。毒杯を仰いで没する(享年約70歳)
ソクラテスは何を問うたのか
ソクラテス以前の哲学者たち(タレス、アナクシマンドロス、ヘラクレイトスら)は自然(ピュシス)を問うた。「万物の根源は何か」「変化の法則は何か」。一方、ソクラテスと同時代のソフィストたちは、法廷や民会で勝つための弁論術を教え、「真理」よりも「説得力」を重視した。プロタゴラスの「万物の尺度は人間である」(プラトン『テアイテトス』152a)という相対主義は、その代表的立場だった。
ソクラテスの問いは、自然哲学ともソフィストとも異なる方向を向いていた。キケロの有名な表現を借りれば、ソクラテスは「哲学を天から地上に呼び降ろした」人物である(『トゥスクルム荘対談集』V.10-11)。彼が問うたのは宇宙の構造ではなく、人間の生き方だった。「勇気とは何か」「正義とは何か」「善とは何か」「徳は教えうるか」。これらは誰もが知っていると思い込みながら、問われると答えられない種類の問いである。
ソクラテスの革命は、この「知っているつもり」を暴いたことにある。アテナイの政治家は正義について語りながら正義が何かを定義できず、将軍は勇気について語りながら勇気が何かを説明できず、詩人は美について歌いながら美が何かを知らなかった。ソクラテスは彼らに問いかけ、その確信を揺さぶり、「知らないことを知っていると思い込んでいる」状態こそが最も危険な無知であることを示した。
この姿勢は当然ながら反感を買った。問答の相手はしばしば公衆の前で恥をかかされ、ソクラテスへの怨恨が蓄積した。前399年の裁判は、哲学的動機よりも政治的怨恨(特に、ソクラテスの弟子の一人アルキビアデスが民主政を裏切りスパルタに寝返ったこと、もう一人の弟子クリティアスが三十人僭主の首魁となったことへの連座的反感)によるところが大きい。
核心理論
1. 「無知の知」── 知恵の逆説
発端は一つの神託だった。デルポイの神殿で、ソクラテスの友人カイレフォンが「ソクラテスより知恵のある者はいるか」と問うと、巫女は「いない」と答えた。ソクラテス自身は困惑した。自分は何も知らないのに、なぜ最も知恵があるのか。
彼は神託を検証しようと決めた。知恵があると評判の政治家、詩人、職人を訪ね歩き、問答を重ねた。その結果はこうだった。彼らは各自の専門領域では確かに知識を持っている。しかし「善い生き方」「正義」「美」といった根本的な事柄については何も知らないまま、知っていると思い込んでいた(プラトン『ソクラテスの弁明』21a-23b)。
ソクラテスの結論はこうだ。自分が他の人々より知恵がある唯一の点は、「知らないことを知らないと自覚している」ことだ。これは単なる知的謙遜ではない。「知っている」という確信は、それ以上の探究を止める。アテナイの政治家が「正義とは何か」を問わないのは、すでに答えを知っていると思い込んでいるからだ。「無知の知」は、この知的停滞を打ち破るための原理的出発点である。
この洞察は、時代を超えて鋭さを失わない。情報があふれ、「正解」が即座に手に入るかのような錯覚が広がるほど、知らないことを知らない状態が最も危険であるというソクラテスの警告は切実さを増す。専門家の権威、多数派の意見、メディアの論調。私たちは日々、十分に吟味しないまま「知っている」と思い込む誘惑にさらされている。
ただし、ソクラテスの「無知」がどこまで本気か、どこまで修辞的手法(アイロニー / εἰρωνεία)なのかは古来議論がある。プラトンの対話篇では、ソクラテスは「自分は何も知らない」と言いながら、実際には巧みに議論を導き、相手を特定の結論に誘導しているように見える場面が多い。ソクラテス的アイロニーと呼ばれるこの問題は、グレゴリー・ヴラストスの古典的論文「Socratic Irony」(1987年)以来、研究者のあいだで活発に議論され続けている。自分が知っているという立場から相手を啓蒙するのではなく、自分も無知であるという地点に降り立つことで初めて、対話は相手の魂を自発的に動かす力を持つ。アイロニーにはそのような教育的(産婆術的)意図が含まれていたと考えることもできる。
2. 問答法(エレンコス)── 対話による真理の探究
エレンコス(「吟味」「反駁」の意)は、ソクラテスの哲学的方法の核心である。その動きはこうだ。まず対話相手が「Xとは何か」(たとえば「正義とは何か」)について自信を持った定義を述べる。ソクラテスはそれを否定しない。むしろ「では、こうも言えますね?」と追加の前提に同意を求めていく。相手は次々と「はい」と答える。ところが気づくと、それらの「はい」の積み重ねが最初の定義と矛盾している。相手は自分の定義を撤回せざるを得なくなり、新たな定義を試みる。しかしそれもまたエレンコスにかけられる(プラトン初期対話篇全般)。
具体例を見よう。『エウテュプロン』で、神官エウテュプロンは「敬虔とは神々に愛されることだ」と定義する。ソクラテスはすかさず問う。「敬虔なものは、敬虔であるがゆえに神々に愛されるのか、それとも神々に愛されるがゆえに敬虔なのか」(10a)。もし前者なら、「神々に愛される」は敬虔の定義ではなく結果にすぎない。もし後者なら、敬虔の本質は神々の恣意的な好みに還元され、「敬虔そのもの」の独立した基準が消滅する。いずれにせよ、エウテュプロンの定義は崩れる。この「エウテュプロンのジレンマ」は、宗教と道徳の関係をめぐる問いの原型として、現代の倫理学でもなお議論されている。「道徳は神の命令に基づくのか、それとも神とは独立に成立するのか」(神命説 vs 自然法論)。
ここで注目すべきは、エレンコスがしばしば明確な答えに到達しないことだ。『ラケス』では勇気の、『エウテュプロン』では敬虔の、『リュシス』では友愛の定義が次々と退けられ、「結局、〜とは何なのか」がわからないまま対話が終わる。「アポリア(行き詰まり)」と呼ばれるこの結末は、しかし失敗ではない。むしろ意図的な構造であると一般に理解されている。答えを外部から「与える」のではなく、自明の理としていた知識を解体し、「本当にそうか?」と自ら吟味する行為そのものこそが、魂を鍛えるからである。
現代の教育で「ソクラティック・メソッド」と呼ばれるものは、この構造に由来する。教師が一方的に知識を伝達するのではなく、問いかけによって学生自身に考えさせる。ハーバード・ロースクールのケースメソッドは典型例であり、教授が学生にケースについて執拗に問いかけ、その推論の矛盾を突く。
ただし、エレンコスには根本的な弱点もある。ソクラテスが検証するのは相手の信念の整合性であって、信念の真偽そのものではない。辻褄が合っているが丸ごと誤っている信念体系は論理的にありうるし、エレンコスだけではそれを見抜けない。「ソクラテスの問題」と呼ばれるこの限界は、ヴラストスやベンソンらの分析哲学的な研究で精緻に論じられてきた。
3. 「徳は知識である」── 倫理的主知主義
ソクラテスの最も大胆な倫理的主張は、「誰も自ら進んで悪をなさない(οὐδεὶς ἑκὼν κακός)」というテーゼである(プラトン『プロタゴラス』345d-e、『メノン』77b-78b)。人が悪い行為をするのは、悪を欲しているからではなく、何が善であるかを本当には知らないからだ。正しい知識があれば、人は必然的に正しく行為する。
この立場は「倫理的主知主義」と呼ばれる。その論理をたどってみよう。人間は誰しも自分にとっての善を求める。ある行為が本当に自分を害すると心の底からわかっていながら、なおその行為を自発的に選ぶことは不合理である。だとすれば、悪い行為はすべて善についての無知から生まれることになる。
現代の私たちにとって、これは直観に反する。健康に悪いと知りながらタバコを吸い、環境に悪いと知りながら大量消費を続ける例はいくらでもある。アリストテレスは師の立場を批判し、「意志の弱さ(アクラシア、つまり善を知りながら欲望に負けて悪を選ぶ状態)の存在を認めた(『ニコマコス倫理学』第7巻)。
しかし、ソクラテスの主張をもう少し寛容に読めば、一定の洞察が見える。タバコの害を「知っている」とは本当は何を意味するか。統計データを知的に承認することと、自分の身体に起きる結果を骨の髄から「知る」こととは同じか。ソクラテスが言う「知識」は、単なる命題的知識(「Pが真であると知っている」)ではなく、行為を変容させる実践的な叡知(東洋思想でいう知行合一に近い)であると解釈できる。「本当に知っていれば行為は変わる」。荒唐無稽に聞こえるこの主張は、認知の変容が行動を変えるという現代の認知行動療法の知見と、意外なほど重なっている。
4. 魂の配慮(エピメレイア・テース・プシュケース)
ソクラテスの根本的な主張は、「人間にとって最も大切なのは魂(たましい、プシュケー)の善い状態を追求することだ」というものである。『ソクラテスの弁明』で彼はアテナイ市民に向かってこう語る。「最も優れた人よ、あなたはアテナイの市民でありながら、金銭ができるだけ多くなるようにと配慮し、名声や名誉に配慮しながら、思慮や真理や魂ができるだけ善くなることについては配慮も心配もしないことを、恥ずかしく思わないのですか」(29d-30a)。
ここで「魂」とは、死後に存続する霊魂(キリスト教的な意味での soul)というよりも、人間の知性・性格・人格の全体(思考し、判断し、行為するその人自身の内的中核)を指している。富は善人も悪人も持ちうるが、魂の卓越性(アレテー)は当人の知的・道徳的努力によってのみ達成される。だからこそ「吟味されない生は生きるに値しない(ὁ ἀνεξέταστος βίος οὐ βιωτὸς ἀνθρώπῳ)」(『弁明』38a)。
現代的に言い換えれば、これは「年収や地位や名声ではなく、内的な人格の質こそが人間の価値を決める」という主張である。他者からの承認を際限なく求め続ける風潮に対して、ソクラテスの問いは根本的な批判原理となる。
5. ダイモニオン ── 内なる声
ソクラテスは幼少の頃から、ある「ダイモニオンの声(δαιμόνιον σημεῖον)」、つまり神的な徴が自分に語りかけると述べていた。それは常に「制止」の形をとり、何かをすべきでないときにのみ現れた。何かを積極的に命じることは決してなかった(『弁明』31c-d)。
このダイモニオンの解釈は古来分かれている。宗教的に読めばそれは文字通りの神的啓示であり、合理的に読めば道徳的直観あるいは良心の先駆的な概念化であり、心理学的に読めば高度に訓練された直観的判断のシステムである。現代心理学の用語を借りれば、ダイモニオンは高度に洗練された直観(言語化される前に結論に達する「速い思考」)として理解することも可能だろう。
しかし、哲学的に最も重要なのは、この内なる声が「何をすべきか」を決して教えてくれないという点てんだ。「〜をしてはならない」と制止されるだけであり、そこから先の「ではどう生きるべきか」という積極的な選択は、あくまで自分自身の理性による吟味に委ねられている。神は限界を画定するだけで、答えを代わりに出してはくれない。神への絶対的な服従と、徹底した自己責任に基づく理性的探究とが、ソクラテスの中では矛盾なく同居しているのである。
これがソクラテスの裁判で「国家の認める神々を認めず、新奇なダイモニオンを導入した」という告発の根拠の一つとなった。ポリスの公認の宗教的秩序に対する脅威と見なされたのである。
主要著作ガイド
ソクラテス自身は一切著作を残していない。彼の思想は弟子たちの証言を通じてのみ復元される。これが哲学史上「ソクラテス問題(ソクラティック・プロブレム)」と呼ばれる難題を生む。プラトンのソクラテス、クセノフォンのソクラテス、アリストファネスのソクラテス、アリストテレスが言及するソクラテスは、それぞれかなり異なる人物像を描いている。以下はソクラテスの思想に近づくための中核的文献である。
- プラトン『ソクラテスの弁明』(納富信留訳、光文社古典新訳文庫 / 三嶋輝夫・田中享英訳、講談社学術文庫) ── 裁判におけるソクラテスの弁論。彼の思想の全体像(無知の知、魂の配慮、吟味する生)が凝縮されている。哲学入門で定評のあるテクストであり、最初に読むべき一冊。
- プラトン『クリトン』(同上の訳書に所収) ── 牢獄でクリトンが脱獄を勧め、ソクラテスがそれを拒否する。「法の支配」と「不正を行わない」原則の関係が、簡潔な対話の中で鮮やかに描かれる。『弁明』に続けて読むとよい。
- プラトン『メノン』(渡辺邦夫訳、光文社古典新訳文庫) ── 「徳は教えうるか」をめぐる対話。「想起説」が導入され、知識・学習・探究の本性が問われる。エレンコスの典型例として最も読みやすい一篇。
- プラトン『饗宴』(中澤務訳、光文社古典新訳文庫) ── エロス(愛)をめぐる連続演説。アルキビアデスがソクラテスの人物像を生き生きと描く終盤が圧巻。
- ヴラストス, G.『Socrates: Ironist and Moral Philosopher』, Cambridge UP, 1991 ── 20世紀後半の分析哲学的ソクラテス研究を決定づけた名著。エレンコスの構造分析、ソクラテス的アイロニーの解釈、プラトン初期対話篇と中期対話篇の区別が精密に論じられる。邦訳なし。
主要な批判と論争
1. アリストファネスの風刺(同時代):喜劇作家アリストファネスは『雲』(前423年上演)でソクラテスを戯画化した。劇中のソクラテスは雲の上の「思索所」に住み、雲を神として崇め、若者に「弱い議論で強い議論を打ち負かす」弁論術を教える。これは自然哲学者とソフィストの特徴をソクラテスに混ぜ合わせた風刺だが、プラトンは『弁明』の中で、この劇がソクラテスへの偏見を長年にわたって形成したと述べている(18c-d, 19c)。ソクラテスの実像と喜劇的戯画との乖離は、「ソクラテス問題」の重要な一面である。
2. アリストテレスの批判(後世):アリストテレスはソクラテスの「倫理的主知主義」(徳は知識であり、悪は常に無知に起因する)を正面から批判した。『ニコマコス倫理学』第7巻でアリストテレスは「意志の弱さ(アクラシア)」の存在を認め、善を知りながら欲望や感情に負けて悪を選ぶことがありうると論じた(1145b21-27)。ソクラテスの立場は「経験に明白に反する」(1145b27)とアリストテレスは断じている。これは西洋倫理学史上最も重要な論争の一つであり、2400年後の今日に至るまで決着していない。
3. ニーチェの批判(近代):ニーチェは『悲劇の誕生』でソクラテスをギリシャ文化の衰退の元凶と見なした。ニーチェによれば、前ソクラテス期のギリシャ文化はディオニュソス的な生の肯定(悲劇に表現される苦悩と歓喜の統一)を持っていた。ソクラテスはこれを理性的吟味の対象にすることで、生を概念に従属させ、ギリシャ文化から本来の生命力を奪った。「理論的人間」ソクラテスは「楽観的理性主義」の原型であり、ニーチェの目には文化的退廃の起点と映った。
4. 「ソクラテス問題」(近現代):ソクラテスの実像を知りうるかという根本的な方法論的問題がある。主要な証拠であるプラトンの対話篇は、文学作品であると同時に哲学的著作であり、どこまでが歴史的ソクラテスの忠実な記録で、どこからがプラトン自身の思想の投影なのかを判別するのは極めて困難である。現代の研究者の多くは、プラトンの「初期対話篇」(『弁明』『クリトン』『エウテュプロン』『ラケス』など)が歴史的ソクラテスに比較的近く、「中期対話篇」(『パイドン』『国家』など)に至るとプラトン自身の形而上学(イデア論)が支配的になるという区別を採用しているが、この区別自体にも異論がある。
影響と遺産
先行思想:ミレトス学派の自然哲学(タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネス)、ヘラクレイトスの「ロゴス」概念、ピタゴラス教団の魂の浄化思想、アナクサゴラスの「ヌース(知性)」概念。ソフィスト運動(プロタゴラス、ゴルギアス)は、ソクラテスの直接的な論敵であると同時に、「人間と社会」へ関心を転換させた点で共通の前提を持つ。
直接的後継者(ソクラテス学派):ソクラテスの死後に起きたことは興味深い。弟子たちは「先生の教えとは何だったか」という同じ問いから出発しながら、驚くほど異なる方向へ歩き出した。プラトンはイデア論と哲人王の構想へ進んだ。アンティステネスは一切の贅沢を退ける禁欲的なキュニコス派(犬儒派)を立ち上げ、アリスティッポスは正反対に快楽こそ善だとするキュレネ派を開き、エウクレイデスは論理学重視のメガラ派を創始した。禁欲と快楽という正反対の学派が一人の師から生まれたこと自体が、ソクラテスの思想が閉じた「体系」ではなく、開かれた「問い」だったことを雄弁に物語っている。
遠い後継者:ストア派はソクラテスの「徳は知識である」を発展させ、エピクテトスとマルクス・アウレリウスの倫理学の基盤とした。懐疑派はソクラテスの「無知の知」を徹底し、判断停止(エポケー)の哲学を展開した。近世以降、キルケゴールはソクラテス的アイロニーを実存主義の起点として再解釈し、ニーチェは(批判しつつも)ソクラテスを西洋文明の転換点に位置づけた。20世紀の後期ウィトゲンシュタインの「哲学的治療」(哲学の仕事とは概念的混乱を解きほぐすことだという見方)は、エレンコスの現代的変奏と見ることもできる。
哲学外への波及:ソクラテスの裁判と死は、「良心の自由」と「法の支配」の緊張関係を考えるための原型的事例であり続けている。法学では市民的不服従の理論に、政治学では民主政の限界の議論に、教育学ではソクラティック・メソッドとして、そして心理療法ではクライアントの思い込みを問いによって解体する認知行動療法に、それぞれ影響が及んでいる。
現代への接続
ソクラテスが遺したものの核心は、ある特定の教義ではない。「問い続ける」という態度そのものである。そしてこの態度は、2400年前よりも今日のほうがはるかに切実さを増している。
なぜか。情報があふれ、「答え」が瞬時に手に入る現代において、私たちは大量の情報を「知識」と混同し、専門家の見解をそのまま受け入れ、多数派の意見を「正しさ」と同一視しがちだからだ。立ち止まって考える余裕が奪われるほど、ソクラテスが求めた「吟味する生」は単なる教養ではなく、実践的な知恵としての重みを増す。
具体的な場面を想像してみよう。政治的な議論で「〜であることは明らかだ」と断言されるとき、「その根拠は何か? 前提に隠れた価値判断はないか? 誰の利益がそこに反映されているか?」と問い返す力が必要になる。医療の現場で示された診断を「そういうものだ」と受け入れるのと、「他の可能性はないか」と吟味するのとでは、判断の質が根本的に異なる。ソクラテスのエレンコスは、「答え」を鵜呑みにしない思考の技法として、今なお有効である。
教育の現場でも同様の転換が起きている。知識の伝達だけでは十分でない時代に、教師の本質的な役割は「問いの技法」を伝えることへと移行しつつある。「その答えはなぜ正しいのか? 前提を変えたらどうなるか? 反例を一つ挙げてみよ」。これはそのままエレンコスの構造であり、ソクラテスが2400年前に実践していたことにほかならない。
実践のために、ソクラテス的な最小チェックを三つだけ挙げておこう。第一に「その主張の定義は何か」。第二に「その主張が正しいなら、どのような反例が出てきうるか」。第三に「その主張を採用したとき、自分の行為は実際にどう変わるのか」。この三問だけでも、思考は「雰囲気の同調」から「吟味された判断」へと大きく移る。ソクラテスの哲学は、難解な理論というより、日常で繰り返し使える思考の筋力トレーニングとして継承できるのである。
ただし、ソクラテスを無条件に理想化するわけにはいかない。彼は対話を通じて真理に至れると楽観的に信じていたが、現実の対話は権力関係や感情に左右される。エレンコスが機能するための「対等な対話の場」は、黙っていては成立しない。実際、ソクラテス自身がアテナイの有力者を公衆の前で論破した行為は、知的な暴力と紙一重だった。そのことは、裁判の結末が残酷なまでに証明している。「問いの力」は、相手との信頼と対等性の中でのみ実りをもたらす。
読者への問い
- あなたが「知っている」と確信していることのうち、実際には根拠を示せないものは何か? ソクラテスがあなたに問いかけたら、最初に崩れるのはどの信念か?
- あなたが日々受け取る「常識」や「定説」のうち、自分自身で吟味したことがあるものはどれだけあるか? 「みんなが言っているから正しい」と「自分で考えた上で正しい」の境界線は、あなたの生活のどこにあるか?
- ソクラテスは「悪を為す者は無知なだけだ」と言った。あなたはこの主張に同意するか? 同意しないとすれば、「知っているのに悪を為す」とはどういう状態か?
名言(出典つき)
"吟味されない生は、人間にとって生きるに値しない(ὁ δὲ ἀνεξέταστος βίος οὐ βιωτὸς ἀνθρώπῳ)。" ── プラトン『ソクラテスの弁明』38a。裁判での弁論中の言葉。ソクラテス哲学の全体を一文に凝縮した、西洋思想史上最も有名な哲学的宣言の一つ。
"私が知っているのは、自分が何も知らないということだけだ。" ── プラトン『ソクラテスの弁明』21d付近の趣旨を後世が定式化したもの。原文にこの正確な文言はないが、21a-23bの議論全体がこの命題を導く。キケロ『アカデミカ』I.16もこの定式を伝えている。
"不正を行うことは、不正を受けることよりも悪い(τὸ ἀδικεῖν τοῦ ἀδικεῖσθαι κάκιον)。" ── プラトン『ゴルギアス』469b-c、474b。ソフィストのポロスとの対話の中で繰り返し主張される。通常の直観に反するこのテーゼは、「魂の善さが最も重要である」という前提から導かれる。
"クリトン、アスクレピオスに鶏一羽を借りている。忘れずに返してくれ(ὦ Κρίτων, τῷ Ἀσκληπιῷ ὀφείλομεν ἀλεκτρυόνα· ἀλλὰ ἀπόδοτε καὶ μὴ ἀμελήσητε)。" ── プラトン『パイドン』118a。ソクラテスの最後の言葉。アスクレピオスは医療の神であり、病からの回復時に供物を捧げる慣習があった。この遺言の意味(死を「生という病」からの治癒と見たのか、文字通りの借金の返済を頼んだのか、あるいは友人カイレフォンの病気回復への感謝か)は古来議論が絶えず、ニーチェは『悦ばしき知識』340節でこの一節を「恐ろしい最後の言葉」と呼んだ。
参考文献
- (証言の中核):プラトン『ソクラテスの弁明』『クリトン』『エウテュプロン』『プロタゴラス』『ゴルギアス』『メノン』『饗宴』『パイドン』(各種邦訳あり。光文社古典新訳文庫の納富信留訳、岩波文庫の田中美知太郎他訳を推奨)
- (別の視角):クセノフォン『ソクラテスの思い出(メモラビリア)』(佐々木理訳、岩波文庫)── プラトンとは異なる、より実際的・常識的なソクラテス像。プラトンとの比較で「ソクラテス問題」を考える上で必読。
- (風刺):アリストファネス『雲』(高津春繁訳、岩波文庫)── 同時代アテナイ市民がソクラテスをどう見ていたかの貴重な証言。
- (哲学史的位置づけ):アリストテレス『形而上学』第1巻・第13巻、『ニコマコス倫理学』第7巻 ── アリストテレスによるソクラテスの哲学的評価と批判。
- (分析的研究の古典):Vlastos, G.『Socrates: Ironist and Moral Philosopher』, Cambridge UP, 1991 ── 20世紀後半の分析哲学的ソクラテス研究を決定づけた金字塔。エレンコスの構造分析、ソクラテス的アイロニーの解釈が精密に論じられる。
- (分析的研究):Brickhouse, T.C. & Smith, N.D.『Plato's Socrates』, Oxford UP, 1994 ── ヴラストスとは異なるアプローチでソクラテスの哲学を再構成する重要な対抗的研究。ソクラテスの宗教的側面にも注意を払う。
- (概説・邦語):納富信留『ソクラテス』(岩波新書、2017年)── 日本語で読める定評のあるソクラテス入門。最新の研究動向を踏まえた信頼性の高い概説書。
- (裁判と政治):I.F. Stone『The Trial of Socrates』, Little, Brown, 1988 ── ジャーナリストの視点からソクラテス裁判の政治的背景を読み解く。ソクラテスの反民主的傾向を厳しく問い、「英雄的殉教者」像に異議を唱える。
- (ニーチェとソクラテス):ニーチェ『悲劇の誕生』(塩屋竹男訳、ちくま学芸文庫)── 第12-15節がソクラテス批判の核心。「理論的人間」としてのソクラテスがギリシャ悲劇の精神をいかに破壊したかを論じる。