紀元前きげんぜん399年ねん、アテナイἈθῆναιの民衆みんしゅう法廷ほうていで一人ひとりの70歳さいの老人ろうじんが死刑しけいを宣告せんこくされた。罪状ざいじょうは「国家こっかの認みとめる神々かみがみを認みとめず、新奇しんきなダイモニオンδαιμόνιονを導入どうにゅうし、青年せいねんを堕落だらくさせた」こと。彼かれは逃亡とうぼうの機会きかいを与あたえられたが、それを拒こばんだ。友人ゆうじんクリトンΚρίτωνが牢獄ろうごくに忍しのび込こみ脱獄だつごくを勧すすめたとき、彼かれは答こたえた。「不正ふせいを行おこなうことは、いかなる場合ばあいにも、いかなる仕方しかたでも許ゆるされない。たとえ不正ふせいを受うけた場合ばあいであっても、不正ふせいで返かえしてはならない」(プラトンΠλάτων『クリトンΚρίτων』49a-e)。刑けいの執行しっこうの日ひ、彼かれは弟子でしたちが泣なき崩くずれる中なか、顔色かおいろひとつ変かえずに毒どく杯はいを仰あおぎ、最後さいごまで対話たいわを続つづけて静しずかに死しんだ。

ソクラテスΣωκράτηςは一行いちぎょうも書かかなかった。著作ちょさくはおろか断片だんぺんすら残のこしていない。それにもかかわらず、いや、おそらくそれゆえに、彼かれは西洋せいよう哲学てつがく史上しじょう最もっとも影響えいきょう力りょくのある人物じんぶつとなった。プラトンΠλάτων、アリストテレスἈριστοτέλης、ストアΣτοά派は、懐疑かいぎ派は、キルケゴールKierkegaard、ニーチェNietzsche、ウィトゲンシュタインWittgenstein。つまり哲学てつがくの歴史れきしはソクラテスΣωκράτηςとの対話たいわとして読よむことができる。彼かれが問とうたのは宇宙うちゅうの根源こんげんではなく、「よく生いきるとはどういうことか」という、誰だれもが逃のがれられない問といだった。この問といは2400年ねんを経へた今いまも消きえていない。「本当ほんとうにそれで正ただしいのか」と立たち止どまる力ちから。私わたしたちがそれを必要ひつようとするかぎり、ソクラテスΣωκράτηςは古ふるくならない。

この記事きじの要点ようてん

  • 「無知むちの知ち」── 知ちの出発しゅっぱつ点てんの転覆てんぷく:ソクラテスΣωκράτηςは「自分じぶんが知しらないことを知しっている」という自覚じかくこそが知恵ちえの始はじまりだと主張しゅちょうした。これは単たんなる謙遜けんそんではなく、吟味ぎんみなき確信かくしんを最もっとも危険きけんな無知むちと見みなす認識にんしき論ろん的てき立場たちばである。
  • 問答もんどう法ほう(エレンコスἔλεγχος)── 対話たいわによる思考しこうの鍛錬たんれん:ソクラテスΣωκράτηςは自みずから何なにかを教おしえるのではなく、相手あいての信念しんねんを問といによって吟味ぎんみし、矛盾むじゅんを露呈ろていさせた。この方法ほうほうは、結論けつろんを与あたえるのではなく「考かんがえる力ちからそのもの」を鍛きたえる教育きょういくの原型げんけいとなった。
  • 魂たましいの配慮はいりょ ── 倫理りんりの内面ないめん化か:「大切たいせつなのは単たんに生いきることではなく、よく生いきることだ」。ソクラテスΣωκράτηςは富とみや名声めいせいではなく、魂たましい(プシュケーψυχή)の卓越たくえつ性せい(アレテーἀρετή)こそが人間にんげんにとって最もっとも重要じゅうようだと説といた。この主張しゅちょうは、外的がいてき成功せいこうを至上しじょうとする価値かち観かんへの最初さいしょの体系たいけい的てき挑戦ちょうせんである。

生涯しょうがいと時代じだい背景はいけい

ソクラテスΣωκράτηςは紀元前きげんぜん470年ねん頃ごろ、アテナイἈθῆναιに生うまれた。父ちちソフロニスコスΣωφρονίσκοςは石工いしく(あるいは彫刻ちょうこく家か)、母ははパイナレテーΦαιναρέτηは助産婦じょさんぷだった。母ははの職業しょくぎょうは後ごに哲学てつがく的てきな比喩ひゆとなる。ソクラテスΣωκράτηςは自みずからの仕事しごとを「産婆術(さんばじゅつ)(マイエウティケーμαιευτική)」と呼よび、他者たしゃの魂たましいの中なかにある真理しんりを「取とり上あげる」のだと語かたった(プラトンΠλάτων『テアイテトスΘεαίτητος』149a-151d)。

ソクラテスΣωκράτηςが生いきた時代じだいは、アテナイἈθῆναιの黄金おうごん期きとその崩壊ほうかいの時代じだいだった。ペリクレスΠερικλῆςのもとで民主みんしゅ政せいは頂点ちょうてんに達たっし、パルテノンΠαρθενών神殿しんでんが建設けんせつされ、悲劇ひげき詩人しじんソフォクレスΣοφοκλῆςやエウリピデスΕὐριπίδης、歴史れきし家かトゥキュディデスΘουκυδίδηςが活動かつどうした。しかし前ぜん431年ねんにペロポネソスΠελοπόννησος戦争せんそうが勃発ぼっぱつし、アテナイἈθῆναιは27年ねんに及およぶ消耗しょうもう戦せんに引ひきずり込こまれる。前ぜん430年ねんにはペストが流行りゅうこうし、ペリクレスΠερικλῆς自身じしんも病死びょうし。前ぜん404年ねんにアテナイἈθῆναιはスパルタΣπάρτηに降伏こうふくし、「三さん十じゅう人にん僭主(せんしゅ)」の恐怖きょうふ政治せいじが一時いちじ的てきに支配しはいした。

ソクラテスΣωκράτηςは重じゅう装そう歩兵ほへいとして少すくなくとも三さん度どの遠征えんせいに参加さんかしている(プラトンΠλάτων『弁明Ἀπολογία』28e)。ポティダイアΠοτείδαιαの戦たたかい(前ぜん432年ねん頃ごろ)ではアルキビアデスἈλκιβιάδηςの命いのちを救すくい、デリオンΔήλιονの戦たたかい(前ぜん424年ねん)では敗走はいそうする味方みかたの中なかで最後さいごまで冷静れいせいに退却たいきゃくし、その勇敢ゆうかんさを将軍しょうぐんラケスΛάχηςが証言しょうげんしたとプラトンΠλάτωνは記しるしている(『饗宴Συμπόσιον』220d-221c、『ラケスΛάχης』181b)。この戦場せんじょうでの彼かれの姿すがたは、「知ち」と「行おこない」が一致いっちした哲学者てつがくしゃとしての彼かれの輪郭りんかくをすでに示しめしている。アンフィポリスἈμφίπολιςの戦たたかい(前ぜん422年ねん頃ごろ)にも従軍じゅうぐんした。

ポティダイアΠοτείδαιαの遠征えんせい中ちゅうには、もうひとつの忘わすれがたいエピソードがある。ある朝あさ、ソクラテスΣωκράτηςは何なにかを考かんがえ込こんだまま一いっか所しょに立たち尽つくした。昼ひるになっても動うごかない。夕方ゆうがたになっても動うごかない。夜よるが来きても、まだ立たっている。兵士へいしたちは不思議ふしぎがって寝床ねどこを外そとに持もち出だし、彼かれがいつまで立たっているか見守みまもった。翌朝よくあさ、太陽たいようが昇のぼったとき、ソクラテスΣωκράτηςは太陽たいように祈いのりを捧ささげ、ようやくその場ばを去さった(『饗宴Συμπόσιον』220c-d)。およそ24時間じかん、微動びどうだにせず思索しさくに沈しずんでいたのである。この逸話いつわは、彼かれの哲学てつがくが書斎しょさいの学問がくもんではなく、全身全霊ぜんしんぜんれいを賭かけた精神せいしんの営いとなみだったことを物語ものがたっている。

ソクラテスΣωκράτηςの外見がいけんは、ギリシャ的てき美びの基準きじゅんからかけ離はなれていた。獅子鼻ししばな、突つき出でた目め、太ふとい唇くちびる。プラトンΠλάτωνの『饗宴Συμπόσιον』でアルキビアデスἈλκιβιάδηςは彼かれをシレノスΣειληνός(サテュロスΣάτυροςの一種いっしゅ)の像ぞうに喩たとえている。しかしその醜みにくい外見がいけんの中なかに、驚おどろくべき美うつくしさ(内的ないてきな徳とく)が隠かくされていると続つづける(215a-b)。この「外見がいけんと内面ないめんの逆転ぎゃくてん」は、ソクラテスΣωκράτης自身じしんの哲学てつがく(見みかけの知ちと本当ほんとうの知ちの逆転ぎゃくてん)と重かさなっている。

彼かれは生涯しょうがいをほぼ無む報酬ほうしゅうで過すごした。ソフィストσοφιστήςたちが高額こうがくの授業じゅぎょう料りょうを取とって弁論べんろん術じゅつを教おしえたのとは対照たいしょう的てきに、ソクラテスΣωκράτηςは「自分じぶんは何なにも知しらないのだから教おしえることもできない」と言いい、報酬ほうしゅうを受うけ取とらなかった。結果けっかとして、彼かれの家庭かていは貧まずしく、妻つまクサンティッペΞανθίππηの不満ふまんは古代こだい以来いらい語かたり草くさになっている(ディオゲネス・ラエルティオスDiogenes Laërtius『哲学者列伝Βίοι φιλοσόφων』II.36-37)。

前ぜん399年ねんの死刑しけい執行しっこうの日ひは、プラトンΠλάτωνの『パイドンΦαίδων』に永遠えいえんに刻きざまれている。ソクラテスΣωκράτηςは朝あさから弟子でしたちと魂たましいの不死ふしについて対話たいわし、夕方ゆうがたになると入浴にゅうよくして身みを清きよめ、妻子さいしと最後さいごの別わかれを告つげた。看守かんしゅが毒どく杯はい(毒どくニンジン / コネイオンκώνειον)を運はこんでくると、彼かれは平然へいぜんとそれを受うけ取とった。弟子でしたちが泣なき出だすと、叱しかった。「何なにということだ、そのためにこそ女おんなたちを帰かえしたのに。死しは取とり乱みだしてではなく、静寂せいじゃくのうちに迎むかえるべきだ」(『パイドンΦαίδων』117d-e)。

彼かれは毒どくを一息ひといきに飲のみ干ほし、指示しじ通どおりに歩あるき回まわった後のち、横よこになった。身体しんたいが冷ひえていく中なか、最後さいごの言葉ことばは「クリトンΚρίτων、アスクレピオスἈσκληπιόςに鶏にわとり一いち羽わの借かりがある。忘わすれずに返かえしてくれ」だった(118a)。アスクレピオスἈσκληπιόςは医療いりょうの神かみであり、病やまいからの回復かいふく時じに供物そなえものを捧ささげる慣習かんしゅうがあった。この謎なぞめいた遺言ゆいごんは、死しを「生なまという病やまいからの癒やし」と見みなしたのか、あるいは何なにか別べつの意味いみがあるのか、2400年ねんにわたって解釈かいしゃくが分わかれ続つづけている。

ミニ年表ねんぴょう

  • 前ぜん470年ねん頃ころ:アテナイἈθῆναιのアロペケーἈλωπεκή区くに生うまれる。父ちちは石工いしくソフロニスコスΣωφρονίσκος、母ははは助産婦じょさんぷパイナレテーΦαιναρέτη
  • 前ぜん440年代ねんだい:アルケラオスἈρχέλαος(アナクサゴラスἈναξαγόραςの弟子でし)のもとで自然しぜん哲学てつがくを学まなんだとされる
  • 前ぜん432年ねん頃ころ:ポティダイアΠοτείδαιαの戦たたかいに重じゅう装そう歩兵ほへいとして従軍じゅうぐん
  • 前ぜん424年ねん:デリオンΔήλιονの戦たたかいに従軍じゅうぐん。敗走はいそうの中なかでの冷静れいせいな退却たいきゃくで名なを上あげる
  • 前ぜん423年ねん:アリストファネスἈριστοφάνης『雲Νεφέλαι』で風刺ふうしされる(ソクラテスΣωκράτηςを自然しぜん哲学てつがく者しゃ・ソフィストσοφιστήςとして戯画ぎが化か)
  • 前ぜん422年ねん頃ころ:アンフィポリスἈμφίπολιςの戦たたかいに従軍じゅうぐん
  • 前ぜん406年ねん:アルギヌサイἈργινοῦσαιの海戦かいせん後ご、将軍しょうぐんたちを一括いっかつ審理しんりする違法いほうな動議どうぎに対たいし、当日とうじつの議長ぎちょう団だん(プリュタネイスπρυτάνεις)の一員いちいんとして唯一ゆいいつ抵抗ていこうする(プラトンΠλάτων『弁明Ἀπολογία』32b)
  • 前ぜん404-403年ねん:三さん十じゅう人にん僭主せんしゅ政権せいけんの命令めいれい(レオンΛέωνの逮捕たいほ)を拒否きょひ
  • 前ぜん399年ねん:メレトスΜέλητος、アニュトスἌνυτος、リュコンΛύκωνにより告発こくはつされる。民衆みんしゅう法廷ほうていで有罪ゆうざい・死刑しけい判決はんけつ。毒どく杯はいを仰あおいで没ぼっする(享年きょうねん約やく70歳さい)

ソクラテスΣωκράτηςは何なにを問とうたのか

ソクラテスΣωκράτης以前いぜんの哲学てつがく者しゃたち(タレスΘαλῆς、アナクシマンドロスἈναξίμανδρος、ヘラクレイトスἩράκλειτοςら)は自然しぜん(ピュシスφύσις)を問とうた。「万物ばんぶつの根源こんげんは何なにか」「変化へんかの法則ほうそくは何なにか」。一方いっぽう、ソクラテスΣωκράτηςと同どう時代じだいのソフィストσοφιστήςたちは、法廷ほうていや民みん会かいで勝かつための弁論べんろん術じゅつを教おしえ、「真理しんり」よりも「説得せっとく力りょく」を重視じゅうしした。プロタゴラスΠρωταγόραςの「万物ばんぶつの尺度しゃくどは人間にんげんである」(プラトンΠλάτων『テアイテトスΘεαίτητος』152a)という相対そうたい主義しゅぎは、その代表だいひょう的てき立場たちばだった。

ソクラテスΣωκράτηςの問といは、自然しぜん哲学てつがくともソフィストσοφιστήςとも異ことなる方向ほうこうを向むいていた。キケロCiceroの有名ゆうめいな表現ひょうげんを借かりれば、ソクラテスΣωκράτηςは「哲学てつがくを天てんから地上ちじょうに呼よび降おろした」人物じんぶつである(『トゥスクルム荘対談集Tusculanae Disputationes』V.10-11)。彼かれが問とうたのは宇宙うちゅうの構造こうぞうではなく、人間にんげんの生いき方かただった。「勇気ゆうきとは何なにか」「正義せいぎとは何なにか」「善ぜんとは何なにか」「徳とくは教おしえうるか」。これらは誰だれもが知しっていると思おもい込こみながら、問とわれると答こたえられない種類しゅるいの問といである。

ソクラテスΣωκράτηςの革命かくめいは、この「知しっているつもり」を暴あばいたことにある。アテナイἈθῆναιの政治せいじ家かは正義せいぎについて語かたりながら正義せいぎが何なにかを定義ていぎできず、将軍しょうぐんは勇気ゆうきについて語かたりながら勇気ゆうきが何なにかを説明せつめいできず、詩人しじんは美びについて歌うたいながら美びが何なにかを知しらなかった。ソクラテスΣωκράτηςは彼かれらに問といかけ、その確信かくしんを揺ゆさぶり、「知しらないことを知しっていると思おもい込こんでいる」状態じょうたいこそが最もっとも危険きけんな無知むちであることを示しめした。

この姿勢しせいは当然とうぜんながら反感はんかんを買かった。問答もんどうの相手あいてはしばしば公衆こうしゅうの前まえで恥はじをかかされ、ソクラテスΣωκράτηςへの怨恨えんこんが蓄積ちくせきした。前ぜん399年ねんの裁判さいばんは、哲学てつがく的てき動機どうきよりも政治せいじ的てき怨恨えんこん(特とくに、ソクラテスΣωκράτηςの弟子でしの一人ひとりアルキビアデスἈλκιβιάδηςが民主みんしゅ政せいを裏切うらぎりスパルタΣπάρτηに寝返ねがえったこと、もう一人ひとりの弟子でしクリティアスΚριτίαςが三さん十じゅう人にん僭主せんしゅの首魁(しゅかい)となったことへの連座れんざ的てき反感はんかん)によるところが大おおきい。

核心かくしん理論りろん

1. 「無知むちの知ち」── 知恵ちえの逆説ぎゃくせつ

発端ほったんは一ひとつの神託しんたくだった。デルポイΔελφοίの神殿しんでんで、ソクラテスΣωκράτηςの友人ゆうじんカイレフォンΧαιρεφῶνが「ソクラテスΣωκράτηςより知恵ちえのある者ものはいるか」と問とうと、巫女みこは「いない」と答こたえた。ソクラテスΣωκράτης自身じしんは困惑こんわくした。自分じぶんは何なにも知しらないのに、なぜ最もっとも知恵ちえがあるのか。

彼かれは神託しんたくを検証けんしょうしようと決きめた。知恵ちえがあると評判ひょうばんの政治せいじ家か、詩人しじん、職人しょくにんを訪たずね歩あるき、問答もんどうを重かさねた。その結果けっかはこうだった。彼かれらは各自かくじの専門せんもん領域りょういきでは確たしかに知識ちしきを持もっている。しかし「善よい生いき方かた」「正義せいぎ」「美び」といった根本こんぽん的てきな事柄ことがらについては何なにも知しらないまま、知しっていると思おもい込こんでいた(プラトンΠλάτων『ソクラテスの弁明Ἀπολογία Σωκράτους』21a-23b)。

ソクラテスΣωκράτηςの結論けつろんはこうだ。自分じぶんが他たの人々ひとびとより知恵ちえがある唯一ゆいいつの点てんは、「知しらないことを知しらないと自覚じかくしている」ことだ。これは単たんなる知的ちてき謙遜けんそんではない。「知しっている」という確信かくしんは、それ以上いじょうの探究たんきゅうを止とめる。アテナイἈθῆναιの政治せいじ家かが「正義せいぎとは何なにか」を問とわないのは、すでに答こたえを知しっていると思おもい込こんでいるからだ。「無知むちの知ち」は、この知的ちてき停滞ていたいを打うち破やぶるための原理げんり的てき出発しゅっぱつ点てんである。

この洞察どうさつは、時代じだいを超こえて鋭するどさを失うしなわない。情報じょうほうがあふれ、「正解せいかい」が即座そくざに手てに入はいるかのような錯覚さっかくが広ひろがるほど、知しらないことを知しらない状態じょうたいが最もっとも危険きけんであるというソクラテスΣωκράτηςの警告けいこくは切実せつじつさを増ます。専門せんもん家かの権威けんい、多数たすう派はの意見いけん、メディアの論調ろんちょう。私わたしたちは日々ひび、十分じゅうぶんに吟味ぎんみしないまま「知しっている」と思おもい込こむ誘惑ゆうわくにさらされている。

ただし、ソクラテスの「無知」がどこまで本気か、どこまで修辞的手法(アイロニー / εἰρωνεία)なのかは古来議論がある。プラトンの対話篇では、ソクラテスは「自分は何も知らない」と言いながら、実際には巧みに議論を導き、相手を特定の結論に誘導しているように見える場面が多い。ソクラテス的アイロニーと呼ばれるこの問題は、グレゴリー・ヴラストスの古典的論文「Socratic Irony」(1987年)以来、研究者のあいだで活発に議論され続けている。自分が知っているという立場から相手を啓蒙するのではなく、自分も無知であるという地点に降り立つことで初めて、対話は相手の魂を自発的に動かす力を持つ。アイロニーにはそのような教育的(産婆術的)意図が含まれていたと考えることもできる。

2. 問答もんどう法ほう(エレンコスἔλεγχος)── 対話たいわによる真理しんりの探究たんきゅう

エレンコスἔλεγχος(「吟味(ぎんみ)」「反駁(はんばく)」の意い)は、ソクラテスΣωκράτηςの哲学てつがく的てき方法ほうほうの核心かくしんである。その動うごきはこうだ。まず対話たいわ相手あいてが「Xとは何なにか」(たとえば「正義せいぎとは何なにか」)について自信じしんを持もった定義ていぎを述のべる。ソクラテスΣωκράτηςはそれを否定ひていしない。むしろ「では、こうも言いえますね?」と追加ついかの前提ぜんていに同意どういを求もとめていく。相手あいては次々つぎつぎと「はい」と答こたえる。ところが気きづくと、それらの「はい」の積つみ重かさねが最初さいしょの定義ていぎと矛盾むじゅんしている。相手あいては自分じぶんの定義ていぎを撤回てっかいせざるを得えなくなり、新あらたな定義ていぎを試こころみる。しかしそれもまたエレンコスἔλεγχοςにかけられる(プラトンΠλάτων初期しょき対話たいわ篇へん全般ぜんぱん)。

具体ぐたい例れいを見みよう。『エウテュプロンΕὐθύφρων』で、神官しんかんエウテュプロンΕὐθύφρωνは「敬虔(けいけん)とは神々かみがみに愛あいされることだ」と定義ていぎする。ソクラテスΣωκράτηςはすかさず問とう。「敬虔けいけんなものは、敬虔けいけんであるがゆえに神々かみがみに愛あいされるのか、それとも神々かみがみに愛あいされるがゆえに敬虔けいけんなのか」(10a)。もし前者ぜんしゃなら、「神々かみがみに愛あいされる」は敬虔けいけんの定義ていぎではなく結果けっかにすぎない。もし後者こうしゃなら、敬虔けいけんの本質ほんしつは神々かみがみの恣意しい的てきな好このみに還元かんげんされ、「敬虔けいけんそのもの」の独立どくりつした基準きじゅんが消滅しょうめつする。いずれにせよ、エウテュプロンΕὐθύφρωνの定義ていぎは崩くずれる。この「エウテュプロンΕὐθύφρωνのジレンマ」は、宗教しゅうきょうと道徳どうとくの関係かんけいをめぐる問といの原型げんけいとして、現代げんだいの倫理りんり学がくでもなお議論ぎろんされている。「道徳どうとくは神かみの命令めいれいに基もとづくのか、それとも神かみとは独立どくりつに成立せいりつするのか」(神命説しんめいせつ vs 自然しぜん法ほう論ろん)。

ここで注目ちゅうもくすべきは、エレンコスἔλεγχοςがしばしば明確めいかくな答こたえに到達とうたつしないことだ。『ラケスΛάχης』では勇気ゆうきの、『エウテュプロンΕὐθύφρων』では敬虔けいけんの、『リュシスΛύσις』では友愛ゆうあいの定義ていぎが次々つぎつぎと退しりぞけられ、「結局けっきょく、〜とは何なになのか」がわからないまま対話たいわが終おわる。「アポリアἀπορία(行いき詰づまり)」と呼よばれるこの結末けつまつは、しかし失敗しっぱいではない。むしろ意図いと的てきな構造こうぞうであると一般いっぱんに理解りかいされている。答こたえを外部がいぶから「与あたえる」のではなく、自明じめいの理りとしていた知識ちしきを解体かいたいし、「本当ほんとうにそうか?」と自らみずから吟味ぎんみする行為こういそのものこそが、魂たましいを鍛きたえるからである。

現代げんだいの教育きょういくで「ソクラティック・メソッドSocratic method」と呼よばれるものは、この構造こうぞうに由来ゆらいする。教師きょうしが一方いっぽう的てきに知識ちしきを伝達でんたつするのではなく、問といかけによって学生がくせい自身じしんに考かんがえさせる。ハーバードHarvard・ロースクールLaw Schoolのケースメソッドcase methodは典型てんけい例れいであり、教授きょうじゅが学生がくせいにケースについて執拗しつように問といかけ、その推論すいろんの矛盾むじゅんを突つく。

ただし、エレンコスἔλεγχοςには根本こんぽん的てきな弱点じゃくてんもある。ソクラテスΣωκράτηςが検証けんしょうするのは相手あいての信念しんねんの整合せいごう性せいであって、信念しんねんの真偽しんぎそのものではない。辻褄つじつまが合あっているが丸まるごと誤あやまっている信念しんねん体系たいけいは論理ろんり的てきにありうるし、エレンコスἔλεγχοςだけではそれを見抜みぬけない。「ソクラテスΣωκράτηςの問題もんだい」と呼よばれるこの限界げんかいは、ヴラストスVlastosやベンソンBensonらの分析ぶんせき哲学てつがく的てきな研究けんきゅうで精緻せいちに論ろんじられてきた。

3. 「徳とくは知識ちしきである」── 倫理りんり的てき主知しゅち主義しゅぎ

ソクラテスΣωκράτηςの最もっとも大胆だいたんな倫理りんり的てき主張しゅちょうは、「誰だれも自みずから進すすんで悪あくをなさない(οὐδεὶς ἑκὼν κακός)」というテーゼTheseである(プラトンΠλάτων『プロタゴラスΠρωταγόρας』345d-e、『メノンΜένων』77b-78b)。人ひとが悪わるい行為こういをするのは、悪あくを欲ほっしているからではなく、何なにが善ぜんであるかを本当ほんとうには知しらないからだ。正ただしい知識ちしきがあれば、人ひとは必然ひつぜん的てきに正ただしく行為こういする。

この立場たちばは「倫理りんり的てき主知しゅち主義しゅぎ」と呼よばれる。その論理ろんりをたどってみよう。人間にんげんは誰だれしも自分じぶんにとっての善ぜんを求もとめる。ある行為こういが本当ほんとうに自分じぶんを害がいすると心こころの底そこからわかっていながら、なおその行為こういを自発じはつ的てきに選えらぶことは不合理ふごうりである。だとすれば、悪わるい行為こういはすべて善ぜんについての無知むちから生うまれることになる。

現代げんだいの私わたしたちにとって、これは直観ちょっかんに反はんする。健康けんこうに悪わるいと知しりながらタバコを吸すい、環境かんきょうに悪わるいと知しりながら大量たいりょう消費しょうひを続つづける例れいはいくらでもある。アリストテレスἈριστοτέληςは師しの立場たちばを批判ひはんし、「意志いしの弱よわさ(アクラシアἀκρασία、つまり善ぜんを知しりながら欲望よくぼうに負まけて悪あくを選えらぶ状態じょうたい)の存在そんざいを認みとめた(『ニコマコス倫理学Ἠθικὰ Νικομάχεια』第だい7巻かん)。

しかし、ソクラテスΣωκράτηςの主張しゅちょうをもう少すこし寛容かんように読よめば、一定いっていの洞察どうさつが見みえる。タバコの害がいを「知しっている」とは本当ほんとうは何なにを意味いみするか。統計とうけいデータを知的ちてきに承認しょうにんすることと、自分じぶんの身体しんたいに起おきる結果けっかを骨ほねの髄ずいから「知しる」こととは同おなじか。ソクラテスΣωκράτηςが言いう「知識ちしき」は、単たんなる命題めいだい的てき知識ちしき(「Pが真しんであると知しっている」)ではなく、行為こういを変容へんようさせる実践じっせん的てきな叡知えいち(東洋とうよう思想しそうでいう知行ちぎょう合一ごういつに近ちかい)であると解釈かいしゃくできる。「本当ほんとうに知しっていれば行為こういは変かわる」。荒唐こうとう無稽むけいに聞きこえるこの主張しゅちょうは、認知にんちの変容へんようが行動こうどうを変かえるという現代げんだいの認知にんち行動こうどう療法りょうほうの知見ちけんと、意外いがいなほど重かさなっている。

4. 魂たましいの配慮はいりょ(エピメレイアἐπιμέλεια・テースτῆς・プシュケースψυχῆς)

ソクラテスΣωκράτηςの根本こんぽん的てきな主張しゅちょうは、「人間にんげんにとって最もっとも大切たいせつなのは魂たましい(たましい、プシュケーψυχή)の善よい状態じょうたいを追求ついきゅうすることだ」というものである。『ソクラテスの弁明Ἀπολογία Σωκράτους』で彼かれはアテナイἈθῆναι市民しみんに向むかってこう語かたる。「最もっとも優すぐれた人ひとよ、あなたはアテナイἈθῆναιの市民しみんでありながら、金銭きんせんができるだけ多おおくなるようにと配慮はいりょし、名声めいせいや名誉めいよに配慮はいりょしながら、思慮しりょや真理しんりや魂たましいができるだけ善よくなることについては配慮はいりょも心配しんぱいもしないことを、恥はずかしく思おもわないのですか」(29d-30a)。

ここで「魂たましい」とは、死後しごに存続そんぞくする霊魂れいこん(キリスト教きょう的てきな意味いみでの soul)というよりも、人間にんげんの知性ちせい・性格せいかく・人格じんかくの全体ぜんたい(思考しこうし、判断はんだんし、行為こういするその人ひと自身じしんの内的ないてき中核ちゅうかく)を指さしている。富とみは善人ぜんにんも悪人あくにんも持もちうるが、魂たましいの卓越たくえつ性せい(アレテーἀρετή)は当人とうにんの知的ちてき・道徳どうとく的てき努力どりょくによってのみ達成たっせいされる。だからこそ「吟味ぎんみされない生なまは生いきるに値あたいしない(ὁ ἀνεξέταστος βίος οὐ βιωτὸς ἀνθρώπῳ)」(『弁明Ἀπολογία』38a)。

現代げんだい的てきに言いい換かえれば、これは「年収ねんしゅうや地位ちいや名声めいせいではなく、内的ないてきな人格じんかくの質しつこそが人間にんげんの価値かちを決きめる」という主張しゅちょうである。他者たしゃからの承認しょうにんを際限さいげんなく求もとめ続つづける風潮ふうちょうに対たいして、ソクラテスΣωκράτηςの問といは根本こんぽん的てきな批判ひはん原理げんりとなる。

5. ダイモニオンδαιμόνιον ── 内うちなる声こえ

ソクラテスΣωκράτηςは幼少ようしょうの頃ころから、ある「ダイモニオンδαιμόνιονの声こえ(δαιμόνιον σημεῖον)」、つまり神かみ的てきな徴(しるし)が自分じぶんに語かたりかけると述のべていた。それは常つねに「制止せいし」の形かたちをとり、何なにかをすべきでないときにのみ現あらわれた。何なにかを積極せっきょく的てきに命めいじることは決けっしてなかった(『弁明Ἀπολογία』31c-d)。

このダイモニオンδαιμόνιονの解釈かいしゃくは古来こらい分わかれている。宗教しゅうきょう的てきに読よめばそれは文字通もじどおりの神かみ的てき啓示けいじであり、合理ごうり的てきに読よめば道徳どうとく的てき直観ちょっかんあるいは良心りょうしんの先駆せんく的てきな概念がいねん化かであり、心理しんり学がく的てきに読よめば高度こうどに訓練くんれんされた直観ちょっかん的てき判断はんだんのシステムである。現代げんだい心理しんり学がくの用語ようごを借かりれば、ダイモニオンδαιμόνιονは高度こうどに洗練せんれんされた直観ちょっかん(言語げんご化かされる前まえに結論けつろんに達たっする「速はやい思考しこう」)として理解りかいすることも可能かのうだろう。

しかし、哲学てつがく的てきに最もっとも重要じゅうようなのは、この内うちなる声こえが「何なにをすべきか」を決けっして教おしえてくれないという点てんだ。「〜をしてはならない」と制止せいしされるだけであり、そこから先さきの「ではどう生いきるべきか」という積極せっきょく的てきな選択せんたくは、あくまで自分じぶん自身じしんの理性りせいによる吟味ぎんみに委ゆだねられている。神かみは限界げんかいを画定かくていするだけで、答こたえを代かわりに出だしてはくれない。神かみへの絶対ぜったい的てきな服従ふくじゅうと、徹底てっていした自己じこ責任せきにんに基づく理性りせい的てき探究たんきゅうとが、ソクラテスΣωκράτηςの中なかでは矛盾むじゅんなく同居どうきょしているのである。

これがソクラテスΣωκράτηςの裁判さいばんで「国家こっかの認みとめる神々かみがみを認みとめず、新奇しんきなダイモニオンδαιμόνιονを導入どうにゅうした」という告発こくはつの根拠こんきょの一ひとつとなった。ポリスπόλιςの公認こうにんの宗教しゅうきょう的てき秩序ちつじょに対たいする脅威きょういと見みなされたのである。

主要しゅよう著作ちょさくガイド

ソクラテスΣωκράτης自身じしんは一切いっさい著作ちょさくを残のこしていない。彼かれの思想しそうは弟子でしたちの証言しょうげんを通つうじてのみ復元ふくげんされる。これが哲学てつがく史上しじょう「ソクラテスΣωκράτης問題もんだい(ソクラティック・プロブレムSocratic Problem)」と呼よばれる難題なんだいを生うむ。プラトンΠλάτωνのソクラテスΣωκράτης、クセノフォンΞενοφῶνのソクラテスΣωκράτης、アリストファネスἈριστοφάνηςのソクラテスΣωκράτης、アリストテレスἈριστοτέληςが言及げんきゅうするソクラテスΣωκράτηςは、それぞれかなり異ことなる人物じんぶつ像ぞうを描えがいている。以下いかはソクラテスΣωκράτηςの思想しそうに近ちかづくための中核ちゅうかく的てき文献ぶんけんである。

  • プラトンΠλάτων『ソクラテスの弁明Ἀπολογία Σωκράτους』(納富のうとみ信留のぶる訳やく、光文社こうぶんしゃ古典こてん新訳しんやく文庫ぶんこ / 三嶋みしま輝夫てるお・田中たなか享とおる英訳えいやく、講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ) ── 裁判さいばんにおけるソクラテスΣωκράτηςの弁論べんろん。彼かれの思想しそうの全体ぜんたい像ぞう(無知むちの知ち、魂たましいの配慮はいりょ、吟味ぎんみする生なま)が凝縮ぎょうしゅくされている。哲学てつがく入門にゅうもんで定評ていひょうのあるテクストtextであり、最初さいしょに読よむべき一いっ冊さつ。
  • プラトンΠλάτων『クリトンΚρίτων』(同上どうじょうの訳書やくしょに所収しょしゅう) ── 牢獄ろうごくでクリトンΚρίτωνが脱獄だつごくを勧すすめ、ソクラテスΣωκράτηςがそれを拒否きょひする。「法ほうの支配しはい」と「不正ふせいを行おこなわない」原則げんそくの関係かんけいが、簡潔かんけつな対話たいわの中なかで鮮あざやかに描えがかれる。『弁明Ἀπολογία』に続つづけて読よむとよい。
  • プラトンΠλάτων『メノンΜένων』(渡辺わたなべ邦夫くにお訳やく、光文社こうぶんしゃ古典こてん新訳しんやく文庫ぶんこ) ── 「徳とくは教おしえうるか」をめぐる対話たいわ。「想起そうき説せつ」が導入どうにゅうされ、知識ちしき・学習がくしゅう・探究たんきゅうの本性ほんしょうが問とわれる。エレンコスἔλεγχοςの典型てんけい例れいとして最もっとも読よみやすい一いち篇へん。
  • プラトンΠλάτων『饗宴Συμπόσιον』(中澤なかざわ務つとむ訳やく、光文社こうぶんしゃ古典こてん新訳しんやく文庫ぶんこ) ── エロスἔρως(愛あい)をめぐる連続れんぞく演説えんぜつ。アルキビアデスἈλκιβιάδηςがソクラテスΣωκράτηςの人物じんぶつ像ぞうを生いき生いきと描えがく終盤しゅうばんが圧巻あっかん。
  • ヴラストスVlastos, G.『Socrates: Ironist and Moral Philosopher』, Cambridge UP, 1991 ── 20世紀せいき後半こうはんの分析ぶんせき哲学てつがく的てきソクラテスΣωκράτης研究けんきゅうを決定けっていづけた名著めいちょ。エレンコスἔλεγχοςの構造こうぞう分析ぶんせき、ソクラテスΣωκράτης的てきアイロニーεἰρωνείαの解釈かいしゃく、プラトンΠλάτων初期しょき対話たいわ篇へんと中期ちゅうき対話たいわ篇へんの区別くべつが精密せいみつに論ろんじられる。邦訳ほうやくなし。

主要しゅような批判ひはんと論争ろんそう

1. アリストファネスἈριστοφάνηςの風刺ふうし(同どう時代じだい):喜劇きげき作家さっかアリストファネスἈριστοφάνηςは『雲Νεφέλαι』(前ぜん423年ねん上演じょうえん)でソクラテスΣωκράτηςを戯画ぎが化かした。劇げき中ちゅうのソクラテスΣωκράτηςは雲くもの上うえの「思索しさく所しょ」に住すみ、雲くもを神かみとして崇あがめ、若者わかものに「弱よわい議論ぎろんで強つよい議論ぎろんを打うち負まかす」弁論べんろん術じゅつを教おしえる。これは自然しぜん哲学てつがく者しゃとソフィストσοφιστήςの特徴とくちょうをソクラテスΣωκράτηςに混まぜ合あわせた風刺ふうしだが、プラトンΠλάτωνは『弁明Ἀπολογία』の中なかで、この劇げきがソクラテスΣωκράτηςへの偏見へんけんを長年ながねんにわたって形成けいせいしたと述のべている(18c-d, 19c)。ソクラテスΣωκράτηςの実像じつぞうと喜劇きげき的てき戯画ぎがとの乖離かいりは、「ソクラテスΣωκράτης問題もんだい」の重要じゅうような一いち面めんである。

2. アリストテレスἈριστοτέληςの批判ひはん(後世こうせい):アリストテレスἈριστοτέληςはソクラテスΣωκράτηςの「倫理りんり的てき主知しゅち主義しゅぎ」(徳とくは知識ちしきであり、悪あくは常つねに無知むちに起因きいんする)を正面しょうめんから批判ひはんした。『ニコマコス倫理学Ἠθικὰ Νικομάχεια』第だい7巻かんでアリストテレスἈριστοτέληςは「意志いしの弱よわさ(アクラシアἀκρασία)」の存在そんざいを認みとめ、善ぜんを知しりながら欲望よくぼうや感情かんじょうに負まけて悪あくを選えらぶことがありうると論ろんじた(1145b21-27)。ソクラテスΣωκράτηςの立場たちばは「経験けいけんに明白めいはくに反はんする」(1145b27)とアリストテレスἈριστοτέληςは断だんじている。これは西洋せいよう倫理りんり学がく史上しじょう最もっとも重要じゅうような論争ろんそうの一ひとつであり、2400年ねん後ごの今日きょうに至いたるまで決着けっちゃくしていない。

3. ニーチェNietzscheの批判ひはん(近代きんだい):ニーチェNietzscheは『悲劇の誕生Die Geburt der Tragödie』でソクラテスΣωκράτηςをギリシャ文化ぶんかの衰退すいたいの元凶げんきょうと見みなした。ニーチェNietzscheによれば、前ぜんソクラテスΣωκράτης期きのギリシャ文化ぶんかはディオニュソスΔιόνυσος的てきな生なまの肯定こうてい(悲劇ひげきに表現ひょうげんされる苦悩くのうと歓喜かんきの統一とういつ)を持もっていた。ソクラテスΣωκράτηςはこれを理性りせい的てき吟味ぎんみの対象たいしょうにすることで、生なまを概念がいねんに従属じゅうぞくさせ、ギリシャ文化ぶんかから本来ほんらいの生命せいめい力りょくを奪うばった。「理論りろん的てき人間にんげん」ソクラテスΣωκράτηςは「楽観らっかん的てき理性りせい主義しゅぎ」の原型げんけいであり、ニーチェNietzscheの目めには文化ぶんか的てき退廃たいはいの起点きてんと映うつった。

4. 「ソクラテスΣωκράτης問題もんだい」(近きん現代げんだい):ソクラテスΣωκράτηςの実像じつぞうを知しりうるかという根本こんぽん的てきな方法ほうほう論ろん的てき問題もんだいがある。主要しゅような証拠しょうこであるプラトンΠλάτωνの対話たいわ篇へんは、文学ぶんがく作品さくひんであると同時どうじに哲学てつがく的てき著作ちょさくであり、どこまでが歴史れきし的てきソクラテスΣωκράτηςの忠実ちゅうじつな記録きろくで、どこからがプラトンΠλάτων自身じしんの思想しそうの投影とうえいなのかを判別はんべつするのは極きわめて困難こんなんである。現代げんだいの研究けんきゅう者しゃの多おおくは、プラトンΠλάτωνの「初期しょき対話たいわ篇へん」(『弁明Ἀπολογία』『クリトンΚρίτων』『エウテュプロンΕὐθύφρων』『ラケスΛάχης』など)が歴史れきし的てきソクラテスΣωκράτηςに比較的ひかくてき近ちかく、「中期ちゅうき対話たいわ篇へん」(『パイドンΦαίδων』『国家Πολιτεία』など)に至いたるとプラトンΠλάτων自身じしんの形而上学けいじじょうがく(イデアἰδέα論ろん)が支配しはい的てきになるという区別くべつを採用さいようしているが、この区別くべつ自体じたいにも異論いろんがある。

影響えいきょうと遺産いさん

先行せんこう思想しそう:ミレトスΜίλητος学派がくはの自然しぜん哲学てつがく(タレスΘαλῆς、アナクシマンドロスἈναξίμανδρος、アナクシメネスἈναξιμένης)、ヘラクレイトスἩράκλειτοςの「ロゴスλόγος」概念がいねん、ピタゴラスΠυθαγόρας教団きょうだんの魂たましいの浄化じょうか思想しそう、アナクサゴラスἈναξαγόραςの「ヌースνοῦς(知性ちせい)」概念がいねん。ソフィストσοφιστής運動うんどう(プロタゴラスΠρωταγόρας、ゴルギアスΓοργίας)は、ソクラテスΣωκράτηςの直接的ちょくせつてきな論敵ろんてきであると同時どうじに、「人間にんげんと社会しゃかい」へ関心かんしんを転換てんかんさせた点てんで共通きょうつうの前提ぜんていを持もつ。

直接的ちょくせつてき後継こうけい者しゃ(ソクラテスΣωκράτης学派がくは):ソクラテスΣωκράτηςの死後しごに起おきたことは興味きょうみ深ぶかい。弟子でしたちは「先生せんせいの教おしえとは何なにだったか」という同おなじ問といから出発しゅっぱつしながら、驚おどろくほど異ことなる方向ほうこうへ歩あるき出だした。プラトンΠλάτωνはイデアἰδέα論ろんと哲人てつじん王おうの構想こうそうへ進すすんだ。アンティステネスἈντισθένηςは一切いっさいの贅沢ぜいたくを退しりぞける禁欲きんよく的てきなキュニコスΚυνικοί派は(犬儒けんじゅ派は)を立たち上あげ、アリスティッポスἈρίστιπποςは正反対せいはんたいに快楽かいらくこそ善ぜんだとするキュレネΚυρηναϊκοί派はを開ひらき、エウクレイデスΕὐκλείδηςは論理ろんり学がく重視じゅうしのメガラΜεγαρικοί派はを創始そうしした。禁欲きんよくと快楽かいらくという正反対せいはんたいの学派がくはが一人ひとりの師しから生うまれたこと自体じたいが、ソクラテスΣωκράτηςの思想しそうが閉とじた「体系たいけい」ではなく、開ひらかれた「問とい」だったことを雄弁ゆうべんに物語ものがたっている。

遠とおい後継こうけい者しゃ:ストアΣτοά派ははソクラテスΣωκράτηςの「徳とくは知識ちしきである」を発展はってんさせ、エピクテトスἘπίκτητοςとマルクス・アウレリウスMarcus Aureliusの倫理りんり学がくの基盤きばんとした。懐疑かいぎ派ははソクラテスΣωκράτηςの「無知むちの知ち」を徹底てっていし、判断はんだん停止ていし(エポケーἐποχή)の哲学てつがくを展開てんかいした。近世きんせい以降いこう、キルケゴールKierkegaardはソクラテスΣωκράτης的てきアイロニーεἰρωνείαを実存じつぞん主義しゅぎの起点きてんとして再さい解釈かいしゃくし、ニーチェNietzscheは(批判ひはんしつつも)ソクラテスΣωκράτηςを西洋せいよう文明ぶんめいの転換てんかん点てんに位置いちづけた。20世紀せいきの後期こうきウィトゲンシュタインWittgensteinの「哲学てつがく的てき治療ちりょう」(哲学てつがくの仕事しごととは概念的がいねんてき混乱こんらんを解ときほぐすことだという見方みかた)は、エレンコスἔλεγχοςの現代げんだい的てき変奏へんそうと見みることもできる。

哲学てつがく外がいへの波及はきゅう:ソクラテスΣωκράτηςの裁判さいばんと死しは、「良心りょうしんの自由じゆう」と「法ほうの支配しはい」の緊張きんちょう関係かんけいを考かんがえるための原型げんけい的てき事例じれいであり続つづけている。法学ほうがくでは市民しみん的てき不ふ服従ふくじゅうの理論りろんに、政治せいじ学がくでは民主みんしゅ政せいの限界げんかいの議論ぎろんに、教育きょういく学がくではソクラティック・メソッドSocratic methodとして、そして心理しんり療法りょうほうではクライアントclientの思おもい込こみを問といによって解体かいたいする認知にんち行動こうどう療法りょうほうに、それぞれ影響えいきょうが及およんでいる。

現代げんだいへの接続せつぞく

ソクラテスΣωκράτηςが遺のこしたものの核心かくしんは、ある特定とくていの教義きょうぎではない。「問とい続つづける」という態度たいどそのものである。そしてこの態度たいどは、2400年ねん前まえよりも今日きょうのほうがはるかに切実せつじつさを増ましている。

なぜか。情報じょうほうがあふれ、「答こたえ」が瞬時しゅんじに手てに入はいる現代げんだいにおいて、私わたしたちは大量たいりょうの情報じょうほうを「知識ちしき」と混同こんどうし、専門せんもん家かの見解けんかいをそのまま受うけ入いれ、多数たすう派はの意見いけんを「正ただしさ」と同一どういつ視ししがちだからだ。立たち止どまって考かんがえる余裕よゆうが奪うばわれるほど、ソクラテスΣωκράτηςが求もとめた「吟味ぎんみする生なま」は単たんなる教養きょうようではなく、実践じっせん的てきな知恵ちえとしての重おもみを増ます。

具体ぐたい的てきな場面ばめんを想像そうぞうしてみよう。政治せいじ的てきな議論ぎろんで「〜であることは明あきらかだ」と断言だんげんされるとき、「その根拠こんきょは何なにか? 前提ぜんていに隠かくれた価値かち判断はんだんはないか? 誰だれの利益りえきがそこに反映はんえいされているか?」と問とい返かえす力ちからが必要ひつようになる。医療いりょうの現場げんばで示しめされた診断しんだんを「そういうものだ」と受うけ入いれるのと、「他たの可能かのう性せいはないか」と吟味ぎんみするのとでは、判断はんだんの質しつが根本こんぽん的てきに異ことなる。ソクラテスΣωκράτηςのエレンコスἔλεγχοςは、「答こたえ」を鵜呑うのみにしない思考しこうの技法ぎほうとして、今いまなお有効ゆうこうである。

教育きょういくの現場げんばでも同様どうようの転換てんかんが起おきている。知識ちしきの伝達でんたつだけでは十分じゅうぶんでない時代じだいに、教師きょうしの本質ほんしつ的てきな役割やくわりは「問といの技法ぎほう」を伝つたえることへと移行いこうしつつある。「その答こたえはなぜ正ただしいのか? 前提ぜんていを変かえたらどうなるか? 反例はんれいを一ひとつ挙あげてみよ」。これはそのままエレンコスἔλεγχοςの構造こうぞうであり、ソクラテスΣωκράτηςが2400年ねん前まえに実践じっせんしていたことにほかならない。

実践じっせんのために、ソクラテスΣωκράτης的てきな最小さいしょうチェックを三みっつだけ挙あげておこう。第一だいいちに「その主張しゅちょうの定義ていぎは何なにか」。第二だいにに「その主張しゅちょうが正ただしいなら、どのような反例はんれいが出でてきうるか」。第三だいさんに「その主張しゅちょうを採用さいようしたとき、自分じぶんの行為こういは実際じっさいにどう変かわるのか」。この三問さんもんだけでも、思考しこうは「雰囲気ふんいきの同調どうちょう」から「吟味ぎんみされた判断はんだん」へと大おおきく移うつる。ソクラテスΣωκράτηςの哲学てつがくは、難解なんかいな理論りろんというより、日常にちじょうで繰くり返かえし使つかえる思考しこうの筋力きんりょくトレーニングとして継承けいしょうできるのである。

ただし、ソクラテスΣωκράτηςを無条件むじょうけんに理想りそう化かするわけにはいかない。彼かれは対話たいわを通つうじて真理しんりに至いたりれると楽観らっかん的てきに信しんじていたが、現実げんじつの対話たいわは権力けんりょく関係かんけいや感情かんじょうに左右さゆうされる。エレンコスἔλεγχοςが機能きのうするための「対等たいとうな対話たいわの場ば」は、黙だまっていては成立せいりつしない。実際じっさい、ソクラテスΣωκράτης自身じしんがアテナイἈθῆναιの有力ゆうりょく者しゃを公衆こうしゅうの前まえで論破ろんぱした行為こういは、知的ちてきな暴力ぼうりょくと紙一重かみひとえだった。そのことは、裁判さいばんの結末けつまつが残酷ざんこくなまでに証明しょうめいしている。「問といの力ちから」は、相手あいてとの信頼しんらいと対等たいとう性せいの中なかでのみ実みのりをもたらす。

読者どくしゃへの問とい

  • あなたが「知しっている」と確信かくしんしていることのうち、実際じっさいには根拠こんきょを示しめせないものは何なにか? ソクラテスΣωκράτηςがあなたに問といかけたら、最初さいしょに崩くずれるのはどの信念しんねんか?
  • あなたが日々ひび受うけ取とる「常識じょうしき」や「定説ていせつ」のうち、自分じぶん自身じしんで吟味ぎんみしたことがあるものはどれだけあるか? 「みんなが言いっているから正ただしい」と「自分じぶんで考かんがえた上うえで正ただしい」の境界きょうかい線せんは、あなたの生活せいかつのどこにあるか?
  • ソクラテスΣωκράτηςは「悪あくを為なす者ものは無知むちなだけだ」と言いった。あなたはこの主張しゅちょうに同意どういするか? 同意どういしないとすれば、「知しっているのに悪あくを為なす」とはどういう状態じょうたいか?

名言めいげん(出典しゅってんつき)

"吟味ぎんみされない生なまは、人間にんげんにとって生いきるに値あたいしない(ὁ δὲ ἀνεξέταστος βίος οὐ βιωτὸς ἀνθρώπῳ)。" ── プラトンΠλάτων『ソクラテスの弁明Ἀπολογία Σωκράτους』38a。裁判さいばんでの弁論べんろん中ちゅうの言葉ことば。ソクラテスΣωκράτης哲学てつがくの全体ぜんたいを一文いちぶんに凝縮ぎょうしゅくした、西洋せいよう思想しそう史上しじょう最もっとも有名ゆうめいな哲学てつがく的てき宣言せんげんの一ひとつ。
"私わたしが知しっているのは、自分じぶんが何なにも知しらないということだけだ。" ── プラトンΠλάτων『ソクラテスの弁明Ἀπολογία Σωκράτους』21d付近ふきんの趣旨しゅしを後世こうせいが定式ていしき化かしたもの。原文げんぶんにこの正確せいかくな文言もんごんはないが、21a-23bの議論ぎろん全体ぜんたいがこの命題めいだいを導みちびく。キケロCicero『アカデミカAcademica』I.16もこの定式ていしきを伝つたえている。
"不正ふせいを行おこなうことは、不正ふせいを受うけることよりも悪わるい(τὸ ἀδικεῖν τοῦ ἀδικεῖσθαι κάκιον)。" ── プラトンΠλάτων『ゴルギアスΓοργίας』469b-c、474b。ソフィストσοφιστήςのポロスΠῶλοςとの対話たいわの中なかで繰くり返かえし主張しゅちょうされる。通常つうじょうの直観ちょっかんに反はんするこのテーゼTheseは、「魂たましいの善よさが最もっとも重要じゅうようである」という前提ぜんていから導みちびかれる。
"クリトンΚρίτων、アスクレピオスἈσκληπιόςに鶏にわとり一いち羽わを借かりている。忘わすれずに返かえしてくれ(ὦ Κρίτων, τῷ Ἀσκληπιῷ ὀφείλομεν ἀλεκτρυόνα· ἀλλὰ ἀπόδοτε καὶ μὴ ἀμελήσητε)。" ── プラトンΠλάτων『パイドンΦαίδων』118a。ソクラテスΣωκράτηςの最後さいごの言葉ことば。アスクレピオスἈσκληπιόςは医療いりょうの神かみであり、病やまいからの回復かいふく時じに供物そなえものを捧ささげる慣習かんしゅうがあった。この遺言ゆいごんの意味いみ(死しを「生なまという病やまい」からの治癒ちゆと見みたのか、文字通もじどおりの借金しゃっきんの返済へんさいを頼たのんだのか、あるいは友人ゆうじんカイレフォンΧαιρεφῶνの病気びょうき回復かいふくへの感謝かんしゃか)は古来こらい議論ぎろんが絶たえず、ニーチェNietzscheは『悦ばしき知識Die fröhliche Wissenschaft』340節せつでこの一節いっせつを「恐おそろしい最後さいごの言葉ことば」と呼よんだ。

参考さんこう文献ぶんけん

  • (証言しょうげんの中核ちゅうかく):プラトンΠλάτων『ソクラテスの弁明Ἀπολογία Σωκράτους』『クリトンΚρίτων』『エウテュプロンΕὐθύφρων』『プロタゴラスΠρωταγόρας』『ゴルギアスΓοργίας』『メノンΜένων』『饗宴Συμπόσιον』『パイドンΦαίδων』(各種かくしゅ邦訳ほうやくあり。光文社こうぶんしゃ古典こてん新訳しんやく文庫ぶんこの納富のうとみ信留のぶる訳やく、岩波いわなみ文庫ぶんこの田中たなか美知太郎みちたろう他た訳やくを推奨すいしょう)
  • (別べつの視角しかく):クセノフォンΞενοφῶν『ソクラテスΣωκράτηςの思おもい出で(メモラビリアMemorabilia)』(佐々木ささき理り訳やく、岩波いわなみ文庫ぶんこ)── プラトンΠλάτωνとは異ことなる、より実際じっさい的てき・常識じょうしき的てきなソクラテスΣωκράτης像ぞう。プラトンΠλάτωνとの比較ひかくで「ソクラテスΣωκράτης問題もんだい」を考かんがえる上うえで必読ひつどく。
  • (風刺ふうし):アリストファネスἈριστοφάνης『雲Νεφέλαι』(高津たかつ春繁はるしげ訳やく、岩波いわなみ文庫ぶんこ)── 同どう時代じだいアテナイἈθῆναι市民しみんがソクラテスΣωκράτηςをどう見みていたかの貴重きちょうな証言しょうげん。
  • (哲学てつがく史し的てき位置いちづけ):アリストテレスἈριστοτέλης『形而上学Τὰ μετὰ τὰ φυσικά』第だい1巻かん・第だい13巻かん、『ニコマコス倫理学Ἠθικὰ Νικομάχεια』第だい7巻かん ── アリストテレスἈριστοτέληςによるソクラテスΣωκράτηςの哲学てつがく的てき評価ひょうかと批判ひはん。
  • (分析ぶんせき的てき研究けんきゅうの古典こてん):Vlastos, G.『Socrates: Ironist and Moral Philosopher』, Cambridge UP, 1991 ── 20世紀せいき後半こうはんの分析ぶんせき哲学てつがく的てきソクラテスΣωκράτης研究けんきゅうを決定けっていづけた金字塔きんじとう。エレンコスἔλεγχοςの構造こうぞう分析ぶんせき、ソクラテスΣωκράτης的てきアイロニーεἰρωνείαの解釈かいしゃくが精密せいみつに論ろんじられる。
  • (分析ぶんせき的てき研究けんきゅう):Brickhouse, T.C. & Smith, N.D.『Plato's Socrates』, Oxford UP, 1994 ── ヴラストスVlastosとは異ことなるアプローチapproachでソクラテスΣωκράτηςの哲学てつがくを再さい構成こうせいする重要じゅうような対抗たいこう的てき研究けんきゅう。ソクラテスΣωκράτηςの宗教しゅうきょう的てき側面そくめんにも注意ちゅういを払はらう。
  • (概説がいせつ・邦語ほうご):納富のうとみ信留のぶる『ソクラテスΣωκράτης』(岩波いわなみ新書しんしょ、2017年ねん)── 日本語にほんごで読よめる定評ていひょうのあるソクラテスΣωκράτης入門にゅうもん。最新さいしんの研究けんきゅう動向どうこうを踏ふまえた信頼しんらい性せいの高たかい概説がいせつ書しょ。
  • (裁判さいばんと政治せいじ):I.F. Stone『The Trial of Socrates』, Little, Brown, 1988 ── ジャーナリストjournalistの視点してんからソクラテスΣωκράτης裁判さいばんの政治せいじ的てき背景はいけいを読よみ解とく。ソクラテスΣωκράτηςの反はん民主みんしゅ的てき傾向けいこうを厳きびしく問とい、「英雄えいゆう的てき殉教者じゅんきょうしゃ」像ぞうに異議いぎを唱となえる。
  • (ニーチェNietzscheとソクラテスΣωκράτης):ニーチェNietzsche『悲劇の誕生Die Geburt der Tragödie』(塩屋しおや竹男たけお訳やく、ちくま学芸がくげい文庫ぶんこ)── 第だい12-15節せつがソクラテスΣωκράτης批判ひはんの核心かくしん。「理論りろん的てき人間にんげん」としてのソクラテスΣωκράτηςがギリシャ悲劇ひげきの精神せいしんをいかに破壊はかいしたかを論ろんじる。