紀元前きげんぜん399年ねんの春はる、アテナイἈθῆναιの獄舎ごくしゃで一人ひとりの老人ろうじんが毒どく杯はいを仰あおいで死しんだ。ソクラテスΣωκράτης(70歳さいの石工いしくの息子むすこ)は、最後さいごまで弟子でしたちと「魂たましい」について語かたり合あい、静しずかに息いきを引ひき取とった。弟子でしたちがその最期さいごを見届みとどけるなか、28歳さいのプラトンΠλάτωνだけはその場ばにいなかった。「プラトンΠλάτωνは病気びょうきであったと思おもう」。対話たいわ篇へん『パイドンΦαίδων』は、ソクラテスΣωκράτηςの死しの日ひを語かたるパイドンΦαίδωνの口くちを通つうじて、ただこれだけを記しるす(59b)。病やまいのためか、それとも別べつの理由りゆうがあったのか。しかしこの師しの不ふ在中ざいちゅうの死しこそが、プラトンΠλάτωνの生涯しょうがいを決定けっていづけた。「最もっとも正ただしい人ひとが、最もっとも不正ふせいな裁さばきによって殺ころされた」──立たち会あえなかった者ものの罪悪ざいあく感かんと衝撃しょうげきが、プラトンΠλάτωνを政治せいじ家か志望しぼうの青年せいねん貴族きぞくから、西洋せいよう哲学てつがく史上しじょう最もっとも影響えいきょう力りょくのある思想家しそうかへと変貌へんぼうさせた。

プラトンΠλάτωνの問といは明快めいかいだ。ソクラテスΣωκράτηςは正義せいぎを説といて殺ころされた。では「正義せいぎ」そのものはどこにあるのか。アテナイἈθῆναιの民衆みんしゅう法廷ほうていが「不正ふせいだ」と判決はんけつすれば、それが不正ふせいになるのか。それとも、人間にんげんの判断はんだんとは独立どくりつに、「正義せいぎそのもの」が存在そんざいするのか。もし存在そんざいするとすれば、それは目めで見みることも手てで触ふれることもできないが、しかし感覚かんかくで捉とらえられるどんなものよりも「確実かくじつに」存在そんざいする。プラトンΠλάτωνはこう主張しゅちょうした。目めに見みえる世界せかいの「向むこう側がわ」にある、永遠えいえん不変ふへんの真実しんじつ。プラトンΠλάτωνはそれを「イデアἰδέα」と呼よんだ。

この主張しゅちょうは哲学てつがくに巨大きょだいな問といの構造こうぞうを刻きざみ込こんだ。「本当ほんとうに実在じつざいするものは何なにか」「知識ちしきと信念しんねんの違ちがいは何なにか」「正ただしい社会しゃかいとはどのようなものか」「美うつくしいものと美びそのものはどう違ちがうか」。プラトンΠλάτωνが立たてたこれらの問といは、2400年ねん後ごの現在げんざいもなお、哲学てつがくの根幹こんかんを形成けいせいしている。20世紀せいきの数学すうがく者しゃ・哲学てつがく者しゃホワイトヘッドWhiteheadは言いった──「西洋せいよう哲学てつがくの伝統でんとう全体ぜんたいの最もっとも安全あんぜんな一般いっぱん的てき特徴とくちょうづけは、プラトンΠλάτωνへの一連いちれんの脚注きゃくちゅうからなる、ということである」(『過程と実在Process and Reality』序文じょぶん)。これは誇張こちょうではない。プラトンΠλάτωνを知しらずに西洋せいよう思想しそうを理解りかいすることは、設計せっけい図ずを読よまずに建築けんちくを語かたるようなものである。

この記事きじの要点ようてん

  • 「イデアἰδέα論ろん」── 感覚かんかくの向むこうに真実しんじつがある:プラトンΠλάτωνは、目めに見みえる個々ここの美うつくしいものの背後はいごに「美びそのもの(美びのイデアἰδέα)」が存在そんざいし、それこそが真しんの実在じつざいであると論ろんじた。感覚かんかくで捉とらえられる世界せかいは「影かげ」にすぎず、理性りせいによってのみ把握はあくされる不変ふへんの真実しんじつ──イデアἰδέαの世界せかい──が、存在そんざいの根源こんげんである。この二に世界せかい論ろんは、科学かがく・宗教しゅうきょう・倫理りんりの根本こんぽん問題もんだいを規定きていする枠組わくぐみとなった。
  • 「洞窟どうくつの比喩ひゆ」── 哲学てつがくとは目覚めざめである:『国家Πολιτεία』第だい七なな巻かんの「洞窟どうくつの比喩ひゆ」は、人間にんげんの認識にんしき状況じょうきょうを壁かべに映うつる影かげだけを見みている囚人しゅうじんに喩たとえた。鎖くさりを解とかれて洞窟どうくつの外そとに出でた者ものだけが太陽たいよう(善ぜんのイデアἰδέα)を見みることができる。哲学てつがくとは、影かげの世界せかいから真実しんじつの世界せかいへの「向むけ変かえ(ペリアゴーゲーperiagōgē)」である。
  • 「哲人てつじん王おう」── 知ちと権力けんりょくの統合とうごう:プラトンΠλάτωνは、「哲学てつがく者しゃが王おうとなるか、王おうが哲学てつがくするかしない限かぎり、国家こっかにとっても人類じんるいにとっても不幸ふこうは止やまない」と主張しゅちょうした。知識ちしきなき権力けんりょくは暴力ぼうりょくであり、権力けんりょくなき知識ちしきは無力むりょくである。この思想しそうは今日きょうなお、専門せんもん知ちと民主みんしゅ主義しゅぎの緊張きんちょうという形かたちで問とわれ続つづけている。

生涯しょうがいと時代じだい背景はいけい

プラトンΠλάτωνは紀元前きげんぜん427年ねん頃ごろ、アテナイἈθῆναιの名門めいもん貴族きぞくの家いえに生うまれた。本名ほんみょうはアリストクレスAristoklēsとも伝つたえられ、「プラトンΠλάτων」は「幅広はばひろい」を意味いみする渾名あだなであったという(ディオゲネス・ラエルティオスDiogenes Laërtius『ギリシア哲学者列伝Βίοι φιλοσόφων』第だい三さん巻かん4節せつ)。体格たいかくが大おおきかったため、あるいは額がくが広ひろかったためとされるが、確証かくしょうはない。父ちちアリストンAristōnはアテナイἈθῆναιの王おうコドロスKodrosの末裔まつえいを称しょうし、母ははペリクティオネPeriktionēの家系かけいはソロンSolōnに遡さかのぼると伝つたえられる。いずれにせよ、プラトンΠλάτωνはアテナイἈθῆναιの最さい上層じょうそうの出自しゅつじであり、本来ほんらいならば政治せいじ家かになるべき生うまれだった。

プラトンΠλάτωνの青年せいねん期きは、アテナイἈθῆναιの凋落ちょうらくとともにあった。ペロポネソスΠελοπόννησος戦争せんそう(前ぜん431〜前ぜん404年ねん)はアテナイἈθῆναιの黄金おうごん時代じだいを終おわらせ、スパルタΣπάρτηへの敗戦はいせんをもたらした。敗戦はいせん後ご、三さん十じゅう人にん僭主せんしゅの恐怖きょうふ政治せいじ(前ぜん404〜前ぜん403年ねん)が行おこなわれ、プラトンΠλάτωνの母方ははかたの親族しんぞくであるクリティアスΚριτίαςとカルミデスCharmidēsがその中心ちゅうしん人物じんぶつだった。プラトンΠλάτωνは当初とうしょ、この政権せいけんに参加さんかする機会きかいを期待きたいしたが、その暴虐ぼうぎゃくに幻滅げんめつした。民主みんしゅ政せいが回復かいふくされると、今度こんどはその民主みんしゅ政せいがソクラテスΣωκράτηςを死刑しけいに処しょした。「最もっとも賢かしこい人ひとを殺ころす民主みんしゅ政せいも、最もっとも残酷ざんこくな僭主せんしゅ政せいも、どちらも正義せいぎを実現じつげんできない」──プラトンΠλάτωνはこの二に重じゅうの絶望ぜつぼうから、「正ただしい政治せいじとは何なにか」という問といに生涯しょうがいを捧ささげることを決意けついした(『第七書簡Ἑβδόμη Ἐπιστολή』324b-326b)。

ソクラテスΣωκράτηςの刑死けいし後ご、プラトンΠλάτωνはメガラΜεγαρικοί、エジプト、キュレネΚυρηναϊκοίなどを遍歴へんれきしたとされる(ただしエジプト渡航とこうについては後世こうせいの伝説でんせつの可能かのう性せいがある)。紀元前きげんぜん388年ねん頃ごろ、南みなみイタリアに赴おもむいてピュタゴラスΠυθαγόρας学派がくはの数学すうがく者しゃアルキュタスArchytasと交流こうりゅうし、数学すうがく的てき思考しこうの重要じゅうよう性せいを確信かくしんしたとされる。同おなじ旅たびでシチリアSicilia島とうのシュラクサイSyrakousai(シラクサSiracusa)を訪おとずれ、僭主せんしゅディオニュシオスDionysios一いち世せいの宮廷きゅうていに招まねかれた。しかし率直そっちょくな発言はつげんが怒いかりを買かい、奴隷どれいとして売うられかけたとも伝つたえられる。この経験けいけんは屈辱くつじょくであったが、同時どうじにディオニュシオスDionysiosの義弟ぎていで知的ちてきな青年せいねんディオンDiōnとの友情ゆうじょうが生うまれ、後ごに二に度どのシュラクサイSyrakousai再訪さいほうの原因げんいんとなる。

紀元前きげんぜん387年ねん頃ごろ、アテナイἈθῆναιに帰還きかんしたプラトンΠλάτωνは、市しの北西ほくせい郊外こうがいにあった英雄えいゆうアカデモスAkadēmosの聖ひじり林りんに学園がくえんを開ひらいた。これが「アカデメイアAkadēmeia」である。これは西洋せいよう世界せかい最初さいしょの高等こうとう教育きょういく機関きかんとされ、以後いご約やく900年ねんにわたって存続そんぞくした(529年ねん、東ひがしローマ帝国ていこくユスティニアヌスJustinianus帝みかどによる閉鎖へいさまで)。門もんには「幾何きか学がくを知しらざる者もの、入はいるべからず」と記しるされていたという伝承でんしょうがある。アカデメイアAkadēmeiaでは哲学てつがくのみならず、数学すうがく、天文学てんもんがく、植物しょくぶつ学がく、政治せいじ学がくが教授きょうじゅされた。プラトンΠλάτωνは対話たいわと討論とうろんを教育きょういくの中心ちゅうしんに据すえ、単たんなる知識ちしきの伝達でんたつではなく「魂たましいの向むけ変かえ」を目指めざした。

プラトンΠλάτωνは晩年ばんねん、二に度どにわたってシュラクサイSyrakousaiを再訪さいほうした(前ぜん367年ねん、前ぜん361年ねん)。ディオニュシオスDionysios一いち世せいの死後しご、息子むすこディオニュシオスDionysios二に世せいが権力けんりょくを継承けいしょうし、友人ゆうじんディオンDiōnの働はたらきかけでプラトンΠλάτωνは若わかい僭主せんしゅを「哲人てつじん王おう」に教育きょういくする機会きかいを得えた。しかし結果けっかは悲惨ひさんだった。宮廷きゅうていの陰謀いんぼう、ディオンDiōnの追放ついほう、プラトンΠλάτων自身じしんの軟禁なんきん──理想りそうと現実げんじつの乖離かいりを痛感つうかんしたプラトンΠλάτωνは、最終さいしゅう的てきにアテナイἈθῆναιに帰還きかんする。「哲人てつじん王おう」の理想りそうが実践じっせんにおいていかに困難こんなんであるかを、プラトンΠλάτων自身じしんが身みをもって経験けいけんした。この挫折ざせつは、晩年ばんねんの著作ちょさく『法律Νόμοι』に色濃いろこく反映はんえいされている。前ぜん347年ねん頃ごろ、プラトンΠλάτωνはアテナイἈθῆναιで死去しきょした。享年きょうねん80歳さい前後ぜんご。結婚式けっこんしきの宴うたげの最中さいちゅうに眠ねむるように亡なくなったとも伝つたえられる。

ミニ年表ねんぴょう

  • 前ぜん427年ねん頃ころ:アテナイἈθῆναιの名門めいもん貴族きぞくの家いえに生うまれる。ペロポネソスΠελοπόννησος戦争せんそうの最中さいちゅう
  • 前ぜん407年ねん頃ころ:ソクラテスΣωκράτηςの弟子でしとなる(20歳さい頃ごろ)
  • 前ぜん404年ねん:ペロポネソスΠελοπόννησος戦争せんそう終結しゅうけつ。アテナイἈθῆναι敗北はいぼく。三さん十じゅう人にん僭主せんしゅの恐怖きょうふ政治せいじ
  • 前ぜん399年ねん:ソクラテスΣωκράτηςの裁判さいばんと刑死けいし。プラトンΠλάτων28歳さい
  • 前ぜん399〜388年ねん頃ころ:メガラΜεγαρικοί、南みなみイタリア、シチリアSiciliaなどを遍歴へんれき
  • 前ぜん388年ねん頃ころ:第だい一いち回かいシュラクサイSyrakousai訪問ほうもん。ピュタゴラスΠυθαγόρας学派がくはのアルキュタスArchytasと交流こうりゅう
  • 前ぜん387年ねん頃ころ:アテナイἈθῆναιに「アカデメイアAkadēmeia」を創設そうせつ
  • 前ぜん380年代ねんだい:『饗宴Συμπόσιον』『パイドンΦαίδων』『国家Πολιτεία』など中期ちゅうき対話たいわ篇へんを執筆しっぴつ
  • 前ぜん367年ねん:第だい二に回かいシュラクサイSyrakousai訪問ほうもん。ディオニュシオスDionysios二に世せいの教育きょういくを試こころみるが失敗しっぱい
  • 前ぜん361年ねん:第だい三さん回かいシュラクサイSyrakousai訪問ほうもん。再ふたたび失敗しっぱいし帰国きこく
  • 前ぜん350年代ねんだい:後期こうき対話たいわ篇へん『ソフィストΣοφιστής』『ティマイオスΤίμαιος』『法律Νόμοι』を執筆しっぴつ
  • 前ぜん347年ねん頃ころ:アテナイἈθῆναιにて死去しきょ。享年きょうねん約やく80歳さい。アカデメイアAkadēmeiaは甥おいのスペウシッポスSpeusipposが継承けいしょう

プラトンΠλάτωνは何なにを問とうたのか

プラトンΠλάτωνの哲学てつがく的てき出発しゅっぱつ点てんは、師しソクラテスΣωκράτηςの「問とい」を引ひき継つぐことだった。ソクラテスΣωκράτηςは「正義せいぎとは何なにか」「勇気ゆうきとは何なにか」「美びとは何なにか」と問とい続つづけたが、みずから体系たいけい的てきな回答かいとうを書かき残のこさなかった。プラトンΠλάτωνはソクラテスΣωκράτηςの問といを引ひき受うけ、さらにこう問とうた。ソクラテスΣωκράτηςが「〜とは何なにか(τί ἐστι)」と問とうとき、その「何なにか」はいったいどこに存在そんざいするのか。

具体ぐたい例れいで考かんがえよう。アテナイἈθῆναιの街まちを歩あるけば、美うつくしいものには事欠ことかかない。美うつくしい壺つぼ、美うつくしい馬うま、美うつくしい青年せいねん。しかし壺つぼはいつか割われ、馬うまは老おい、青年せいねんも衰おとろえる。「美うつくしいもの」はすべて変化へんかし、やがて消滅しょうめつする。では「美うつくしさそのもの」は消滅しょうめつするのか。プラトンΠλάτωνの答こたえは「否いな」である。個々ここの美うつくしいものが移うつろい滅ほろんでも、「美びそのもの」は不変ふへん不滅ふめつである。なぜなら「美びそのもの」は感覚かんかくで捉とらえられる世界せかいには属ぞくさないからだ。それは理性りせいによってのみ把握はあくされる──目めに見みえない、しかし最もっとも確実かくじつに存在そんざいするもの。プラトンΠλάτωνはこれを「イデアἰδέα」と呼よんだ。

この発想はっそうの背景はいけいにあるのは、ソクラテスΣωκράτηςの対話たいわが繰くり返かえし示しめした認識にんしき論ろん的てき困難こんなんである。「正義せいぎとは何なにか」と問とうたとき、人々ひとびとはさまざまな「正義せいぎの例れい」を挙あげる。しかしソクラテスΣωκράτηςが求もとめていたのは正義せいぎの個別こべつ例れいではなく、すべての正義せいぎの例れいを「正義せいぎ」たらしめている共通きょうつうの本質ほんしつ(「正義せいぎそのもの」)であった。個々ここの正義せいぎの例れいは状況じょうきょうによって変かわりうるが、「正義せいぎそのもの」は変かわらないはずだ。でなければ、「これは正義せいぎか」という問とい自体じたいが無意味むいみになってしまう。ここからプラトンΠλάτωνは、個別こべつ的てき・感覚かんかく的てきな事物じぶつとは異ことなる「普遍ふへん的てき・理性りせい的てきな実在じつざい」の存在そんざいを要請ようせいした。

プラトンΠλάτωνの問といは、同どう時代じだいのソフィストσοφιστήςたちへの応答おうとうでもあった。プロタゴラスΠρωταγόραςの「人間にんげんは万物ばんぶつの尺度しゃくどである」という相対そうたい主義しゅぎ、ゴルギアスΓοργίαςの「何なにも存在そんざいしない、存在そんざいしてもわからない、わかっても伝つたえられない」という虚無きょむ主義しゅぎ。これらに対たいしてプラトンΠλάτωνは、「客観きゃっかん的てきな真理しんり」の存在そんざいを全力ぜんりょくで弁護べんごした。ソフィストσοφιστήςたちが弁論べんろん術じゅつ(レートリケーrhētorikē)によって聴衆ちょうしゅうを「説得せっとく」し、意見いけんを操作そうさすることを目指めざしたのに対たいし、プラトンΠλάτωνは対話たいわによって真理しんりを共同きょうどうで「探究たんきゅう」する弁証法べんしょうほう(ディアレクティケーdialektikē)こそが哲学てつがくの方法ほうほうだと主張しゅちょうした。この対立たいりつは、「真理しんりは相対そうたい的てきか絶対ぜったい的てきか」「説得せっとくか探究たんきゅうか」「権力けんりょくか知識ちしきか」という現代げんだいにも通つうじる根本こんぽん問題もんだいの起源きげんである。

核心かくしん理論りろん

1. イデアἰδέα論ろん ── 真しんの実在じつざいは目めに見みえない

プラトンΠλάτων哲学てつがくの中核ちゅうかくをなすのが「イデアἰδέα論ろん」である。イデアἰδέαはギリシア語ごの「見みる(ἰδεῖν)」に由来ゆらいし、「形相けいそう」「本質ほんしつ的てきな姿すがた」を意味いみする。プラトンΠλάτωνによれば、感覚かんかくで捉とらえられる世界せかい(現象げんしょう界かい)の個々ここの事物じぶつは、それぞれに対応たいおうする「イデアἰδέα」(本質ほんしつ的てきな原型げんけい)の不完全ふかんぜんな模も像ぞうにすぎない。

たとえば、この世よに存在そんざいするすべての円えんは、「完全かんぜんな円えんのイデアἰδέα」の不完全ふかんぜんな現あらわれである。紙かみに描えがいた円えんには必かならずわずかな歪ゆがみがあるが、数学すうがく者しゃが思考しこうする「円えんそのもの」(すべての点てんが中心ちゅうしんから等距離とうきょりにある図形ずけい)は完全かんぜんであり不変ふへんである。この「思考しこうによってのみ捉とらえられる完全かんぜんなもの」こそ、プラトンΠλάτωνの言いうイデアἰδέαである。

イデアἰδέαの特性とくせいは以下いかの通とおりである。(1)不変ふへん──イデアἰδέαは生成せいせいも消滅しょうめつもしない。美びのイデアἰδέαは美うつくしいものが滅ほろんでも永遠えいえんに美びである。(2)不可視ふかし──感覚かんかくではなく理性りせい(ヌースνοῦς)によってのみ把握はあくされる。(3)単一たんいつ──各かくイデアἰδέαはそれぞれ一ひとつである。美うつくしいものは多数たすうあるが、「美びそのもの」は一ひとつである。(4)自存じそん──イデアἰδέαは個々ここの事物じぶつから独立どくりつして存在そんざいする。すべての馬うまが消きえても、「馬うまのイデアἰδέα」は存在そんざいし続つづける。(5)範はん型がた──個々ここの事物じぶつはイデアἰδέαを「分有ぶんゆう(メテクシスmethexis)」することによって、そのものとしての性質せいしつを持もつ。ある花はなが美うつくしいのは、その花はなが「美びのイデアἰδέα」を分有ぶんゆうしているからである。

イデアἰδέαの世界せかいは階層かいそう的てきに構造こうぞう化かされている。最さい下層かそうには個別こべつ的てきな事物じぶつのイデアἰδέα(机つくえのイデアἰδέα、馬うまのイデアἰδέαなど)があり、より上位じょういには数学すうがく的てき対象たいしょうのイデアἰδέα(三角形さんかっけい、等ひとしさなど)がある。さらに上位じょういに道徳どうとく的てきイデアἰδέα(正義せいぎ、節制せっせい、勇気ゆうきなど)があり、その頂点ちょうてんに「善ぜんのイデアἰδέα」が位置いちする。善ぜんのイデアἰδέαは太陽たいように喩たとえられる(『国家Πολιτεία』508b-509b)──太陽たいようが可視かし的てき世界せかいにおいて光ひかりを与あたえ、ものを見みえるようにするように、善ぜんのイデアἰδέαは知性ちせい的てき世界せかい(イデアἰδέαの世界せかい)において真理しんりを与あたえ、イデアἰδέαを認識にんしき可能かのうにする。善ぜんのイデアἰδέαはすべてのイデアἰδέαの存在そんざいと認識にんしきの根源こんげんである。

しかもプラトンΠλάτωνは、善ぜんのイデアἰδέαが「存在そんざいを超こえた(ἐπέκεινα τῆς οὐσίας)」ものであるとまで言いい切きっている(509b)。善ぜんは単たんなる一ひとつのイデアἰδέαではなく、イデアἰδέα界かいそのものを成なり立たたせている究極きゅうきょくの原理げんりであり、イデアἰδέαの階層かいそうのさらに「外側そとがわ」にある。この主張しゅちょうは弟子でしたちにも難解なんかいであり、プラトンΠλάτων哲学てつがくの最もっとも謎なぞめいた核心かくしんの一ひとつである。

ただし注意ちゅういすべきことがある。プラトンΠλάτωνの対話たいわ篇へんにおいて「イデアἰδέα論ろん」は一ひとつの固定こてい的てきな教きょう説せつとして提示ていじされてはいない。中期ちゅうき対話たいわ篇へん(『パイドンΦαίδων』『国家Πολιτεία』『饗宴Συμπόσιον』)で展開てんかいされたイデアἰδέα論ろんは、後期こうき対話たいわ篇へん(『パルメニデスΠαρμενίδης』『ソフィストΣοφιστής』)でプラトンΠλάτων自身じしんによって厳きびしい自己じこ批判ひはんにさらされている。「イデアἰδέαとは何なにか」を最終さいしゅう的てきに定式ていしき化かすることは、プラトンΠλάτων自身じしんにとっても未完みかんの課題かだいであった。この自己じこ批判ひはんの誠実せいじつさこそが、プラトンΠλάτωνを単たんなる教条きょうじょう主義しゅぎ者しゃではなく、真しんの哲学てつがく者しゃたらしめている。

2. 洞窟どうくつの比喩ひゆ ── 影かげから光ひかりへ

『国家Πολιτεία』の第だい六ろく巻かん末まつから第だい七なな巻かんにかけて、プラトンΠλάτωνは三みっつの比喩ひゆを連続れんぞくして提示ていじする。善ぜんのイデアἰδέαを太陽たいように喩たとえる「太陽たいようの比喩ひゆ」(508b-509b)、認識にんしきの段階だんかいを線分せんぶんの比率ひりつで表あらわす「線分せんぶんの比喩ひゆ」(509d-511e)、そして最もっとも有名ゆうめいな「洞窟どうくつの比喩ひゆ」(514a-521b)である。この三みっつは一体いったいのものとして読よまれるべきであり、プラトンΠλάτωνの存在そんざい論ろんと認識にんしき論ろんの全体ぜんたい像ぞうを描えがき出だす。線分せんぶんの比喩ひゆでは、認識にんしきが四よん段階だんかいに分わかれることが示しめされる──影像えいぞうの推測すいそく(エイカシアeikasia)、感覚かんかく的てき世界せかいの信念しんねん(ピスティスpistis)、数学すうがく的てき思考しこう(ディアノイアdianoia)、そしてイデアἰδέαの直観ちょっかん(ノエーシスνόησις)である。

洞窟どうくつの比喩ひゆは、この認識にんしきの四よん段階だんかいを鮮あざやかな物語ものがたりへと翻訳ほんやくしたものであり、西洋せいよう哲学てつがく全体ぜんたいで最もっとも有名ゆうめいな比喩ひゆである。

地下ちかの洞窟どうくつに生うまれたときから鎖くさりにつながれた囚人しゅうじんたちがいる。彼かれらは首くびを回まわすことすらできず、正面しょうめんの壁かべしか見みることができない。背後はいごでは火ひが燃もえ、囚人しゅうじんたちと火ひのあいだを人形遣にんぎょうつかいが行いき来きして、さまざまな像ぞうを掲かかげている。壁かべには影かげが映うつる。囚人しゅうじんたちはこの影かげしか見みたことがないから、影かげこそが「実在じつざい」だと信しんじている。

ある日ひ、一人ひとりの囚人しゅうじんの鎖くさりが解とかれる。彼かれは振ふり返かえり、火ひの光ひかりに目めが眩くらむ。人形にんぎょうと影かげの関係かんけいを理解りかいするのに時間じかんがかかる。さらに洞窟どうくつの外そとに引ひき出だされると、太陽たいようの光ひかりにしばらくは何なにも見みえない。しかし次第しだいに目めが慣なれ、まず影かげを、次つぎに水面すいめんに映うつるものを、そして物体ぶったいそのものを見みるようになり、ついには太陽たいようそのものを直視ちょくしするに至いたる。

この比喩ひゆは多層たそう的てきな意味いみを持もつ。洞窟どうくつの壁かべに映うつる影かげは感覚かんかく的てき世界せかい(日常にちじょう経験けいけんの世界せかい)であり、洞窟どうくつの外そとの太陽たいように照てらされた世界せかいがイデアἰδέαの世界せかいであり、太陽たいようは善ぜんのイデアἰδέαである。鎖くさりを解とかれて洞窟どうくつの外そとに出でるプロセスが哲学てつがく的てき教育きょういく(パイデイアpaideia)であり、それは単たんなる知識ちしきの獲得かくとくではなく、「魂たましい全体ぜんたいの向むけ変かえ(ペリアゴーゲーperiagōgē)」(『国家Πολιτεία』518c-d)である。プラトンΠλάτωνにとって、哲学てつがくとは新あたらしい情報じょうほうを頭あたまに詰つめ込こむことではなく、魂たましいの向むきを根本こんぽん的てきに変かえること──影かげの世界せかいから真実しんじつの世界せかいへと目めを転てんじること──である。

しかし比喩ひゆにはさらに重要じゅうような続つづきがある。太陽たいようを見みた者ものが洞窟どうくつに戻もどったとき、彼かれの目めは暗闇くらやみに慣なれていないため、影かげを見分みわけることができない。まだ鎖くさりにつながれている囚人しゅうじんたちは、彼かれを笑わらい者しゃにし、「外そとに出でると目めがおかしくなる」と嘲笑ちょうしょうする。もし彼かれが囚人しゅうじんたちの鎖くさりを解ほどこうとすれば、彼かれらは彼かれを殺ころそうとするだろう──プラトンΠλάτωνはここにソクラテスΣωκράτηςの運命うんめいを重かさねている。真理しんりを見みた者ものは、影かげしか知しらない者ものからは狂人きょうじんと見みなされる。ソクラテスΣωκράτηςを殺ころしたアテナイἈθῆναιの市民しみんたちは、洞窟どうくつの囚人しゅうじんである。

3. 魂たましいの三さん部分ぶぶん説せつ ── 理性りせい・気概きがい・欲望よくぼう

プラトンΠλάτωνは『国家Πολιτεία』第だい四よん巻かん(435b-441c)で、魂たましい(プシュケーψυχή)が三みっつの部分ぶぶんから成なると論ろんじた。(1)理性りせい的てき部分ぶぶん(ト・ロギスティコンto logistikon)──真理しんりを愛あいし、判断はんだんを下くだす部分ぶぶん。(2)気概きがい的てき部分ぶぶん(ト・テュモエイデスto thumoeides)──怒いかりや名誉めいよ心しんを司つかさどる部分ぶぶん。理性りせいの味方みかたとなって欲望よくぼうを制御せいぎょする。(3)欲望よくぼう的てき部分ぶぶん(ト・エピテュメーティコンto epithumētikon)──飢うえ、渇かわき、性欲せいよくなど身体しんたい的てき欲求よっきゅうを司つかさどる部分ぶぶん。

プラトンΠλάτωνはこれを戦車せんしゃの比喩ひゆ(『パイドロスΦαίδρος』246a-254e)で説明せつめいしている。理性りせいは御者ぎょしゃであり、二に頭とうの馬うま──一いち頭とうは気概きがい(従順じゅうじゅんな白しろい馬うま)、もう一いち頭とうは欲望よくぼう(暴あばれ馬ばの黒くろい馬うま)──を制御せいぎょする。正ただしい魂たましいの状態じょうたいとは、理性りせいが御者ぎょしゃとして全体ぜんたいを統率とうそつし、気概きがいが理性りせいを助たすけ、欲望よくぼうが適切てきせつに制御せいぎょされている状態じょうたいであり、これが魂たましいにおける「正義せいぎ」である。

この魂たましいの三さん部分ぶぶんは、プラトンΠλάτωνの理想りそう国家こっかの三みっつの階層かいそうに対応たいおうする。理性りせい的てき部分ぶぶんは統治とうち者しゃ(哲人てつじん王おう)に、気概きがい的てき部分ぶぶんは防衛ぼうえい者しゃ(戦士せんし)に、欲望よくぼう的てき部分ぶぶんは生産せいさん者しゃ(農民のうみん・職人しょくにん・商人しょうにん)に対応たいおうする。個人こじんの魂たましいにおける正義せいぎと国家こっかにおける正義せいぎは、同一どういつの構造こうぞうを持もつ──「大おおきな文字もじ」(国家こっか)で書かかれたものを読よめば、「小ちいさな文字もじ」(個人こじんの魂たましい)も読よめる(『国家Πολιτεία』368c-369a)。この個人こじんと国家こっかのアナロジーは、プラトンΠλάτων政治せいじ哲学てつがくの基盤きばんであると同時どうじに、最もっとも議論ぎろんを呼よぶ点てんでもある。

4. 哲人てつじん王おう ── 知ちと権力けんりょくの統合とうごう

「哲学てつがく者しゃたちが国々くにぐににおいて王おうとならないかぎり──あるいは現げんに王おうや権力けんりょく者しゃと呼よばれている者ものたちが、真しんに、かつ十分じゅうぶんに哲学てつがくするようにならないかぎり──政治せいじ的てき権力けんりょくと哲学てつがくとが一体化いったいかしないかぎり──国家こっかにとっても、人類じんるいにとっても、不幸ふこうはやまないだろう」(『国家Πολιτεία』473c-d)。

この「哲人てつじん王おう」の思想しそうは、プラトンΠλάτων政治せいじ哲学てつがくの核心かくしんであり、最もっとも物議ぶつぎを醸かもす主張しゅちょうでもある。その論理ろんりは明快めいかいだ。国家こっかを正ただしく統治とうちするためには、「正義せいぎそのもの」「善ぜんそのもの」を知しらなければならない。しかし善ぜんのイデアἰδέαを認識にんしきできるのは、長年ながねんの哲学てつがく的てき訓練くんれんを積つんだ者ものだけである。したがって、統治とうち者しゃは哲学てつがく者しゃでなければならない。船ふねを航行こうこうさせるには航海こうかい術じゅつの専門せんもん知識ちしきが必要ひつようであるように、国家こっかを運営うんえいするには善ぜんと正義せいぎの知識ちしきが必要ひつようである。民衆みんしゅうの多数決たすうけつは、航海こうかいの方角ほうがくを乗客じょうきゃくの投票とうひょうで決きめるようなものだ──プラトンΠλάτωνはアテナイἈθῆναιの民主みんしゅ政せいをこう批判ひはんした。

プラトンΠλάτωνの理想りそう国家こっかでは、統治とうち者しゃの養成ようせいに途方とほうもない時間じかんがかかる。幼少ようしょう期きから体育たいいくと音楽おんがく(ムーシケーmousikē)による基礎きそ教育きょういくを受うけ、20歳さいで最初さいしょの選抜せんばつが行おこなわれる。選えらばれた者ものは10年間ねんかんにわたって算術さんじゅつ・幾何きか学がく・天文学てんもんがく・ハルモニアharmonia理論りろん(音楽おんがく理論りろん)を体系たいけい的てきに学まなぶ。30歳さいで再度さいどの選抜せんばつを経へて、5年間ねんかんのディアレクティケーdialektikē(弁証法べんしょうほう的てき問答もんどう)の訓練くんれん──あらゆる仮説かせつを根底こんていから問とい直なおす最もっとも厳きびしい知的ちてき訓練くんれん──を受うけ、その後ご15年間ねんかんの政治せいじ・軍事ぐんじの実務じつむ経験けいけんを積つみ、50歳さいにしてようやく善ぜんのイデアἰδέαを直観ちょっかんする能力のうりょくを持もつとされる(『国家Πολιτεία』535a-540c)。

そしてこの統治とうち者しゃたちは、私有しゆう財産ざいさんを持もたず、家族かぞくも持もたず、国家こっかのためにのみ生いきる。プラトンΠλάτωνにとって、権力けんりょくと私欲しよくの結合けつごうこそが政治せいじ腐敗ふはいの根源こんげんであり、それを断たつために統治とうち者しゃから一切いっさいの私的してき利害りがいを剥奪はくだつする必要ひつようがあった。

5. アナムネーシスanamnēsis ── 知しるとは思おもい出だすことである

プラトンΠλάτωνの認識にんしき論ろんでもう一ひとつ重要じゅうようなのが「アナムネーシスanamnēsis(想起そうき)」の理論りろんである(『メノンΜένων』80d-86c、『パイドンΦαίδων』72e-77a)。魂たましいは生うまれる前まえにイデアἰδέαの世界せかいでイデアἰδέαを直接ちょくせつ見みていた。しかし身体しんたいに宿やどる際さいにその記憶きおくを失うしなった。「学まなぶ」とは、実じつは新あたらしい知識ちしきを外そとから獲得かくとくすることではなく、魂たましいがかつて知しっていたイデアἰδέαを「思おもい出だす」ことである。

『メノンΜένων』では、ソクラテスΣωκράτηςが教育きょういくを受うけていない奴隷どれいの少年しょうねんに幾何きか学がくの問題もんだいを解とかせる場面ばめんが有名ゆうめいである。ソクラテスΣωκράτηςは何なにも「教おしえ」ず、ただ問といを投なげかけるだけで、少年しょうねんは正ただしい解答かいとうに到達とうたつする。これは少年しょうねんの魂たましいがすでに知しっていたことを「想起そうき」したのだ──とプラトンΠλάτωνは論ろんじる。この理論りろんは、先天的せんてんてき知識ちしき(ア・プリオリな認識にんしき)の問題もんだいを哲学てつがくに導入どうにゅうした最初さいしょの試こころみであり、後ごにデカルトDescartesの「生得しょうとく観念かんねん」やカントKantの「ア・プリオリな認識にんしき形式けいしき」へと受うけ継つがれていく。

アナムネーシスanamnēsisの理論りろんは、プラトンΠλάτωνの魂たましいの不死ふし論ろんとも密接みっせつに結むすびついている。もし知識ちしきが「思おもい出だし」であるならば、魂たましいは身体しんたいに宿やどる以前いぜんに存在そんざいしていたはずである。そして身体しんたいの死後しごもイデアἰδέαの世界せかいに帰還きかんする。魂たましいは不滅ふめつであり、肉体にくたいは一時いちじ的てきな住処すみかにすぎない。この「魂たましいの不死ふし」の論証ろんしょうは『パイドンΦαίδων』の中心ちゅうしん主題しゅだいであり、ソクラテスΣωκράτηςが死刑しけいを恐おそれない理由りゆうとして提示ていじされる。

6. エロースerōs ── 美びへの上昇じょうしょうの梯子はしご

プラトンΠλάτωνの哲学てつがくは純粋じゅんすいに知的ちてきな営いとなみではない。そこには「エロースerōs」──欲求よっきゅう、渇望かつぼう、恋こい──が不可欠ふかけつの推進すいしん力りょくとして組くみ込こまれている。『饗宴きょうえん(シュンポシオンSymposion)』は、酒宴しゅえんの席せきで参加さんか者しゃが順じゅんにエロースerōsを讃たたえる演説えんぜつを行おこなうという文学ぶんがく的てき傑作けっさくであり、その頂点ちょうてんにソクラテスΣωκράτηςが語かたる「ディオティマDiotimaの教おしえ」がある(201d-212a)。

ディオティマDiotimaはソクラテスΣωκράτηςに「愛あいの秘ひ儀ぎ」の梯子はしごを教おしえる。まず一人ひとりの美うつくしい肉体にくたいへの恋こいから始はじまる。次つぎに恋こいする者ものは、その美うつくしさが他たの美うつくしい肉体にくたいにも共通きょうつうしていることに気きづき、すべての肉体にくたいの美びを愛あいするようになる。やがて肉体にくたいの美びよりも魂たましいの美びのほうが価値かちあることを知しり、美うつくしい営いとなみや美うつくしい学問がくもんを愛あいするようになる。

そして最後さいごに──突然とつぜんに──「驚おどろくべき本性ほんしょうをもつ美びそのもの」が姿すがたを現あらわす。それは生しょうじることも滅ほろびることもなく、ある面めんでは美うつくしくある面めんでは醜みにくいということもなく、ある時ときには美うつくしくある時ときには美うつくしくないということもない、「永遠えいえんにそれ自体じたいにおいて、それ自体じたいとともに、一ひとつの形かたちをなしている」美びのイデアἰδέαそのものである(211a-b)。

この「上昇じょうしょうの梯子はしご」が示しめしているのは、哲学てつがくがいかにして始はじまるかということである。哲学てつがくの出発しゅっぱつ点てんは「驚おどろき」だけではない。何なにかに惹ひきつけられ、渇望かつぼうし、追おい求もとめる衝動しょうどう──エロースerōs──がなければ、人ひとは安楽あんらくな洞窟どうくつから立たち上あがらない。しかしその渇望かつぼうは、個別こべつ的てきな対象たいしょうへの執着しゅうちゃくにとどまるかぎり不完全ふかんぜんである。一人ひとりの人間にんげんへの恋こいが、美びそのものへの愛あいに昇華しょうかされるとき──つまり「何なにを愛あいするか」ではなく「愛あいするとは何なにか」を問とうようになるとき──はじめてエロースerōsは哲学てつがくになる。プラトンΠλάτωνにとって、哲学てつがく者しゃとは「知ちを愛あいする者もの(フィロソフォスphilosophos)」であると同時どうじに、「美びを渇望かつぼうする者もの」であった。

7. ディアレクティケーdialektikē ── 対話たいわによる真理しんりの探究たんきゅう

プラトンΠλάτωνが哲学てつがくの方法ほうほうとして重視じゅうししたのが「ディアレクティケーdialektikē(弁証法べんしょうほう、対話たいわ術じゅつ)」である。これは単たんなる議論ぎろんや討論とうろんではなく、問答もんどうを通つうじてイデアἰδέαへと上昇じょうしょうしていく知的ちてきな営いとなみである。感覚かんかく的てき世界せかいの個別こべつ的てきな事例じれいから出発しゅっぱつし、仮説かせつを立たて、その仮説かせつをさらに上位じょういの仮説かせつから検討けんとうし、最終さいしゅう的てきに「仮説かせつならざるもの」──善ぜんのイデアἰδέα──に到達とうたつする(『国家Πολιτεία』511b-c)。

プラトンΠλάτωνがみずからの著作ちょさくをすべて「対話たいわ篇へん」の形式けいしきで書かいたことは、偶然ぐうぜんではない。哲学てつがくは独白どくはくではなく対話たいわの中なかで成立せいりつする──問とう者ものと答こたえる者ものの共同きょうどう作業さぎょうとして初はじめて真理しんりに到達とうたつしうる──というのがプラトンΠλάτωνの信念しんねんであった。これはソクラテスΣωκράτηςの「助産じょさん術じゅつ(マイエウティケーμαιευτική)」──真理しんりは外そとから注入ちゅうにゅうされるものではなく、対話たいわを通つうじて相手あいての魂たましいの内部ないぶから「産うみ出だされる」もの──の継承けいしょうであり発展はってんである。プラトンΠλάτωνは30篇へん以上いじょうの対話たいわ篇へんを残のこしたが、どの対話たいわ篇へんにおいてもプラトンΠλάτων自身じしんは登場とうじょうしない。プラトンΠλάτωνは「著者ちょしゃ」ではなく、対話たいわの「演出えんしゅつ家か」として背後はいごに退しりぞくのである。

8. 詩人しじん追放ついほう論ろん ── 芸術げいじゅつはなぜ危険きけんなのか

プラトンΠλάτων哲学てつがくの中なかで最もっとも挑発ちょうはつ的てき──そしておそらく最もっとも誤解ごかいされやすい──主張しゅちょうが、『国家Πολιτεία』第だい十じゅう巻かん(595a-608b)の「詩人しじん追放ついほう論ろん」である。プラトンΠλάτωνは理想りそう国家こっかからホメロスὍμηροςをはじめとする模倣もほう的てき詩人しじんを追放ついほうすべきだと論ろんじた。その根拠こんきょは二ふたつある。

第だい一いちに、存在そんざい論ろん的てきな批判ひはん。画家がかがベッドの絵えを描えがくとき、画家がかが模倣もほうしているのはベッドのイデアἰδέα(真しんの実在じつざい)ではなく、大工だいくが作つくった個々ここのベッド(すでにイデアἰδέαの模も像ぞう)である。つまり芸術げいじゅつ作品さくひんは「模も像ぞうの模も像ぞう」──イデアἰδέαから二に重じゅうに隔へだたった影かげ──にすぎない。

第だい二にに、心理しんり的てきな批判ひはん。悲劇ひげきは観客かんきゃくの感情かんじょう(恐おそれ、悲かなしみ)を激はげしく揺ゆさぶるが、これは魂たましいの「欲望よくぼう的てき部分ぶぶん」を刺激しげきし、「理性りせい的てき部分ぶぶん」による統制とうせいを弱よわめる。優すぐれた詩人しじんであればあるほど、人々ひとびとの魂たましいに対たいして強つよい──しかし理性りせいを迂回うかいする──影響えいきょう力りょくを持もつ。

この議論ぎろんは、「芸術げいじゅつと真理しんり」「表現ひょうげんの自由じゆうと社会しゃかい的てき責任せきにん」「感情かんじょうと理性りせい」という現代げんだいにも通つうじる問題もんだいを鮮烈せんれつに提起ていきしている。プラトンΠλάτων自身じしんが卓越たくえつした文学ぶんがく者しゃであったことを考かんがえると、この議論ぎろんには一種いっしゅの自己じこ言及げんきゅう的てきな緊張きんちょうがある。プラトンΠλάτωνは詩しの力ちからを誰だれよりもよく知しっていた──だからこそ、その力ちからを恐おそれたのである。「もし快楽かいらくを旨むねとする詩しと模倣もほうが、国家こっかにおいて受うけ入いれられるべき正当せいとうな理由りゆうを示しめすことができるならば、喜よろこんで迎むかえ入いれよう」(607c)──プラトンΠλάτωνは詩人しじんたちに弁明べんめいの機会きかいを残のこして、この議論ぎろんを閉とじている。

ここに西洋せいよう思想しそう史上しじょう最もっとも有名ゆうめいな逆説ぎゃくせつの一ひとつがある。プラトンΠλάτωνは『パイドロスΦαίδρος』(274b-278b)において、エジプト王おうタモスとテウトの神話しんわを語かたりながら、「書かかれた言葉ことば」を激はげしく批判ひはんしている。書かかれた言葉ことばは「想起そうきの薬くすり」ではなく「忘却ぼうきゃくの薬くすり」であり、読者どくしゃに知恵ちえそのものではなく知恵ちえの見みかけだけを与あたえてしまう。書物しょもつは問といかけても答こたえず、誤解ごかいされても自分じぶんを弁護べんごできない。真しんの知識ちしきは「書かかれた言葉ことば」ではなく、対話たいわを通つうじて魂たましいに直接ちょくせつ書かき込こまれるべきだ──と。それにもかかわらず、プラトンΠλάτων自身じしんは古代こだい世界せかいで最もっとも多作たさくな哲学てつがく的てき著述ちょじゅつ家かであった。

この矛盾むじゅんは意図いと的てきなものだろう。プラトンΠλάτωνの対話たいわ篇へんは「書かかれた独白どくはく」ではなく「書かかれた対話たいわ」──読者どくしゃをみずから考かんがえさせ、対話たいわに引ひき込こむための仕掛しかけとして書かかれている。書物しょもつでありながら書物しょもつの限界げんかいを超こえようとするこの試こころみが、「対話たいわ篇へん」という形式けいしきの核心かくしんである。

主要しゅよう著作ちょさくガイド

プラトンΠλάτωνの著作ちょさくは30篇へん以上いじょうの対話たいわ篇へんと13通つうの書簡しょかん(一部いちぶは偽作ぎさくの可能かのう性せいあり)からなる。以下いかに主要しゅような著作ちょさくを読よむ順序じゅんじょとともに示しめす。

  • 『ソクラテスの弁明Ἀπολογία Σωκράτους』(岩波いわなみ文庫ぶんこほか) ── 死刑しけい裁判さいばんでのソクラテスΣωκράτηςの弁論べんろん。プラトンΠλάτωνの全ぜん著作ちょさくで最もっとも読よみやすく、ソクラテスΣωκράτηςの人物じんぶつ像ぞうと哲学てつがく的てき態度たいどを知しるための出発しゅっぱつ点てん。最初さいしょに読よむべき一いっ冊さつ。
  • 『クリトンΚρίτων』(岩波いわなみ文庫ぶんこほか) ── 獄中ごくちゅうのソクラテスΣωκράτηςが脱獄だつごくを勧すすめる友人ゆうじんクリトンΚρίτωνに「なぜ不正ふせいをしてはならないか」を説とく。法ほうと正義せいぎについての短みじかい対話たいわ篇へん。『弁明Ἀπολογία』の直後ちょくごに読よむとよい。
  • 『メノンΜένων』(岩波いわなみ文庫ぶんこほか) ── 「徳とくは教おしえられるか」という問といから出発しゅっぱつし、「アナムネーシスanamnēsis(想起そうき)」の理論りろんが導入どうにゅうされる。奴隷どれいの少年しょうねんとの幾何きか学がくの対話たいわが有名ゆうめい。イデアἰδέα論ろんへの導入どうにゅうとして最適さいてき。
  • 『饗宴きょうえん(シュンポシオンSymposion)』(岩波いわなみ文庫ぶんこほか) ── エロースerōs(愛あい)についての讃さん辞じを各かく参加さんか者しゃが述のべる。ソクラテスΣωκράτηςの語かたる「美びのイデアἰδέαへの上昇じょうしょう」(ディオティマDiotimaの教おしえ)が核心かくしん。プラトンΠλάτωνの文学ぶんがく的てき最高さいこう傑作けっさく。
  • 『パイドンΦαίδων』(岩波いわなみ文庫ぶんこほか) ── ソクラテスΣωκράτηςの最期さいごの日ひの対話たいわ。魂たましいの不死ふし、イデアἰδέα論ろん、アナムネーシスanamnēsisが体系たいけい的てきに論ろんじられる。哲学てつがくとは「死しの練習れんしゅう」であるという衝撃しょうげき的てきな命題めいだい。
  • 『国家こっか(ポリテイアPoliteia)』(岩波いわなみ文庫ぶんこほか、全ぜん2巻かん) ── プラトンΠλάτωνの主著しゅちょ。正義せいぎ論ろん、イデアἰδέα論ろん、洞窟どうくつの比喩ひゆ、哲人てつじん王おう、魂たましいの三さん部分ぶぶん説せつ、国家こっか論ろん、詩人しじん追放ついほう論ろん、魂たましいの不死ふし論ろん──プラトンΠλάτων哲学てつがくのほぼすべてがこの一いち作さくに集約しゅうやくされる。全ぜん10巻かんからなる大著たいちょ。通読つうどくには時間じかんがかかるが、プラトンΠλάτωνを理解りかいするためには必読ひつどく。
  • 『パルメニデスΠαρμενίδης』(岩波いわなみ文庫ぶんこほか) ── 若わかきソクラテスΣωκράτηςが老ろうパルメニデスΠαρμενίδηςからイデアἰδέα論ろんの難点なんてんを指摘してきされる。プラトンΠλάτων自身じしんによるイデアἰδέα論ろんの自己じこ批判ひはん。極きわめて難解なんかいだが、プラトンΠλάτων哲学てつがくの到達とうたつ点てんと限界げんかいを知しるために重要じゅうよう。
  • 『ティマイオスΤίμαιος』(岩波いわなみ文庫ぶんこほか) ── 宇宙うちゅう創造そうぞうの物語ものがたり。デーミウルゴスdēmiourgos(製作せいさく者しゃ神しん)がイデアἰδέαを範はん型がたとして宇宙うちゅうを造つくる。プラトンΠλάτωνの自然しぜん哲学てつがく・宇宙うちゅう論ろんを展開てんかいする後期こうき対話たいわ篇へん。中世ちゅうせいヨーロッパに最もっとも影響えいきょうを与あたえたプラトンΠλάτωνの著作ちょさく。

主要しゅような批判ひはんと論争ろんそう

1. アリストテレスἈριστοτέληςの批判ひはん(同どう時代じだい):プラトンΠλάτωνの最もっとも偉大いだいな弟子でしが最もっとも鋭するどい批判ひはん者しゃとなった。アリストテレスἈριστοτέληςは『形而上学Τὰ μετὰ τὰ φυσικά』において、イデアἰδέα論ろんに対たいする体系たいけい的てきな批判ひはんを展開てんかいした。特とくに有名ゆうめいなのが「第三者だいさんしゃの人間にんげん」の論証ろんしょう(990b-991a)である。もし個々ここの人間にんげんが「人間にんげんのイデアἰδέα」に似にていることによって人間にんげんであるならば、個々ここの人間にんげんと人間にんげんのイデアἰδέαの類似るいじを説明せつめいするために「第だい三さんの人間にんげん」が必要ひつようとなり、これが無限むげんに続つづく(無限むげん後退こうたい)。また、イデアἰδέαが個物こぶつから分離ぶんりして存在そんざいするならば、イデアἰδέαは個物こぶつの変化へんかを説明せつめいできない──動うごかないものが動うごくものの原因げんいんであるとはどういうことか。アリストテレスἈριστοτέληςはイデアἰδέαを個物こぶつから分離ぶんりさせず、個物こぶつの「内部ないぶ」に形相けいそう(エイドスeidos)として内在ないざいさせる立場たちばを採とった。

2. カール・ポパーPopperの政治せいじ的てき批判ひはん(現代げんだい):『開かれた社会とその敵The Open Society and Its Enemies』(1945年ねん)でポパーPopperは、プラトンΠλάτωνの『国家Πολιτεία』を全体ぜんたい主義しゅぎ的てき政治せいじ思想しそうの原型げんけいとして激はげしく批判ひはんした。哲人てつじん王おうによる統治とうちは民主みんしゅ主義しゅぎの否定ひていであり、個人こじんの自由じゆうを国家こっかの「正義せいぎ」に従属じゅうぞくさせる危険きけんな思想しそうだとポパーPopperは論ろんじた。「だれが統治とうちすべきか」という問といそのものが誤あやまりであり、重要じゅうようなのは「いかにして悪わるい統治とうち者しゃを流血りゅうけつなしに排除はいじょできるか」だとポパーPopperは主張しゅちょうした。この批判ひはんはプラトンΠλάτωνの政治せいじ哲学てつがくに対たいする最もっとも影響えいきょう力りょくのある現代げんだい的てき批判ひはんであり、現在げんざいも論争ろんそうが続つづいている。

3. ニーチェNietzscheの批判ひはん(近代きんだい):ニーチェNietzscheはプラトンΠλάτωνを「この世界せかい(感覚かんかく的てき世界せかい)」を劣位れついとし、「別べつの世界せかい(イデアἰδέαの世界せかい)」を真しんの実在じつざいとする「二に世界せかい説せつ」の創始そうし者しゃとして批判ひはんした。ニーチェNietzscheによれば、プラトンΠλάτωνの形而上学けいじじょうがくはキリスト教きょうの「天国てんごく」概念がいねんの先駆さきがけであり、「この世よの生なま」を否定ひていする「デカダンスdécadence」──生せいの衰退すいたい──の表現ひょうげんである。「キリスト教きょうは大衆たいしゅうのためのプラトンΠλάτων主義しゅぎである」(『善悪の彼岸Jenseits von Gut und Böse』序文じょぶん)。この批判ひはんは、ハイデガーHeideggerの西洋せいよう形而上学けいじじょうがく批判ひはんにも受うけ継つがれている。

4. 分析ぶんせき哲学てつがくからの批判ひはん(現代げんだい):20世紀せいきの分析ぶんせき哲学てつがく、特とくにギルバート・ライルGilbert Ryleやルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインWittgensteinの流ながれを汲くむ哲学てつがく者しゃたちは、プラトンΠλάτωνのイデアἰδέα論ろんを「言語げんごの誤用ごよう」から生しょうじた疑似ぎじ問題もんだいとして批判ひはんした。「美うつくしいもの」から「美びそのもの」が独立どくりつに存在そんざいすると推論すいろんするのは、抽象ちゅうしょう名詞めいしを具体ぐたい的てきな存在そんざい者しゃと混同こんどうする誤謬ごびゅうであるという指摘してきである。ただし、数学すうがく的てき対象たいしょう(数かず、集合しゅうごう、幾何きか学がく的てき図形ずけい)の存在そんざい論ろん的てき地位ちいをめぐっては、現代げんだいでも「数学すうがく的てきプラトニズムPlatonism」が有力ゆうりょくな立場たちばとして存続そんぞくしており、イデアἰδέα論ろんの完全かんぜんな否定ひていは容易よういではない。

影響えいきょうと遺産いさん

先行せんこう思想しそう:パルメニデスΠαρμενίδηςの存在そんざい論ろん(「あるものはあり、ないものはない」──不変ふへんの存在そんざいと感覚かんかくの欺瞞ぎまんの区別くべつがイデアἰδέα論ろんの源泉げんせん)、ヘラクレイトスἩράκλειτοςの万物ばんぶつ流転るてん(感覚かんかく的てき世界せかいの不断ふだんの変化へんかがイデアἰδέαの不変ふへん性せいの対たい概念がいねん)、ピュタゴラスΠυθαγόρας学派がくはの数学すうがく的てき存在そんざい論ろん(数かずが万物ばんぶつの原理げんりであるという思想しそうがイデアἰδέαの数学すうがく的てき性格せいかくに影響えいきょう)、ソクラテスΣωκράτηςの「〜とは何なにか」の問とい(普遍ふへん的てき定義ていぎの探究たんきゅうがイデアἰδέα論ろんを動機どうきづけた)。

直接的ちょくせつてき後継こうけい者しゃ:アリストテレスἈριστοτέληςはプラトンΠλάτωνのアカデメイアAkadēmeiaで20年間ねんかん学まなび、イデアἰδέα論ろんを批判ひはん的てきに継承けいしょうして独自どくじの形而上学けいじじょうがくを構築こうちくした。スペウシッポスSpeusipposとクセノクラテスXenokratēsはアカデメイアAkadēmeiaの後継こうけい学頭がくとうとなり、イデアἰδέα論ろんを数かず論ろん的てきに発展はってんさせた。新しんアカデメイアAkadēmeia学派がくはのアルケシラオスArkesilaosとカルネアデスKarneadēsは懐疑かいぎ主義しゅぎの立場たちばを採とり、プラトンΠλάτωνの「探究たんきゅう」の精神せいしんを引ひき継ついだ。

新しんプラトンΠλάτων主義しゅぎ:3世紀せいきのプロティノスΠλωτῖνοςは『エンネアデスEnneades』でプラトンΠλάτων哲学てつがくを「一いち者しゃ」からの流出りゅうしゅつ論ろんとして体系たいけい化かし、新しんプラトンΠλάτων主義しゅぎを創始そうしした。プロティノスΠλωτῖνοςの思想しそうは、キリスト教きょう(アウグスティヌスAugustinus)、イスラーム哲学てつがく(アル=ファーラービーal-Fārābī、イブン・スィーナーIbn Sīnā)、ユダヤ哲学てつがくに深ふかい影響えいきょうを与あたえ、プラトンΠλάτωνの影響えいきょうを古代こだい世界せかい全体ぜんたいに拡散かくさんさせた。

中世ちゅうせい・ルネサンス:中世ちゅうせいヨーロッパでは『ティマイオスΤίμαιος』のラテン語ご訳やく(カルキディウスCalcidius訳やく)がプラトンΠλάτωνの主要しゅような読よまれ方ほうであり、キリスト教きょう神学しんがく(特とくにアウグスティヌスAugustinusの「神かみの照明しょうめい説せつ」)との融合ゆうごうが進すすんだ。15世紀せいきのフィレンツェで、マルシリオ・フィチーノMarsilio FicinoがプラトンΠλάτων全集ぜんしゅうのラテン語ご訳やくを完成かんせいさせ(1484年ねん)、コジモ・デ・メディチCosimo de' Mediciの庇護ひごのもとに「プラトンΠλάτων・アカデミー」が設立せつりつされた。ルネサンス期きのプラトンΠλάτων再さい発見はっけんは、近代きんだい科学かがくの数学すうがく的てき方法ほうほうの精神せいしん的てき背景はいけいとなった。

近きん現代げんだい:カントKantの「現象げんしょうと物もの自体じたい」の区別くべつはプラトンΠλάτωνの二に世界せかい論ろんとの構造こうぞう的てき類似るいじが指摘してきされる。フレーゲFrege、ラッセルRussell以降いこうの数理すうり論理ろんり学がくの伝統でんとうでは、「数学すうがく的てきプラトニズムPlatonism」──数学すうがく的てき対象たいしょうはプラトンΠλάτωνのイデアἰδέαのように心こころとは独立どくりつに存在そんざいする──が有力ゆうりょくな立場たちばとして継続けいぞくしている。クルト・ゲーデルGödelはみずからを明確めいかくにプラトニストPlatonistと称しょうした。ホワイトヘッドWhiteheadの過程かてい哲学てつがくもまたプラトンΠλάτωνの『ティマイオスΤίμαιος』から深ふかい影響えいきょうを受うけている。

現代げんだいへの接続せつぞく

プラトンΠλάτωνの問といは、2400年ねん後ごの現代げんだいにおいていっそう切実せつじつさを増ましている。

第だい一いちに、知識ちしきと信念しんねんの区別くべつ。プラトンΠλάτωνは「知しっている」ことと「そう思おもい込こんでいる」ことを厳密げんみつに区別くべつした。情報じょうほうが氾濫はんらんする現代げんだいにおいて、「知識ちしき(エピステーメーepistēmē)」と「思おもい込こみ(ドクサdoxa)」の境界きょうかいはますます曖昧あいまいになっている。検索けんさくで瞬時しゅんじに得えられる断片だんぺん的てき情報じょうほうは本当ほんとうに「知しっている」と言いえるのか──この問といは、プラトンΠλάτωνが設定せっていした認識にんしき論ろんの枠組わくぐみそのものである。

第だい二にに、真理しんりと民主みんしゅ主義しゅぎの緊張きんちょう。SNSの時代じだい、「すべての意見いけんは等ひとしく価値かちがある」という感覚かんかくが広ひろがる一方いっぽうで、フェイクニュースや陰謀いんぼう論ろんが社会しゃかいを分断ぶんだんしている。プラトンΠλάτωνは「多数たすうの意見いけん(ドクサdoxa)」と「知識ちしき(エピステーメーepistēmē)」を峻別しゅんべつし、知識ちしきに基もとづく統治とうちを主張しゅちょうした。現代げんだいの民主みんしゅ主義しゅぎは、プラトンΠλάτωνの問とい──「多数たすうの無知むちは少数しょうすうの知識ちしきに優越ゆうえつしうるのか」──に対たいして、いまだ十分じゅうぶんな回答かいとうを持もっていない。専門せんもん知ちと民主みんしゅ主義しゅぎのあいだの緊張きんちょうは、パンデミックにおける科学かがくと政治せいじの関係かんけい、気候きこう変動へんどう政策せいさくにおける専門せんもん家かと世論せろんの乖離かいりとして、日常にちじょう的てきに経験けいけんされている。

第だい三さんに、数学すうがく的てきプラトニズムPlatonismと実在じつざい論ろん。数学すうがくは人間にんげんの心こころの発明はつめいなのか、それとも人間にんげんの心こころとは独立どくりつに存在そんざいする「数学すうがく的てき実在じつざい」の発見はっけんなのか。2+2=4は人間にんげんがいなくても真しんであるのか。この問といをめぐる「数学すうがく的てきプラトニズムPlatonism」は、現代げんだいの数学すうがくの哲学てつがくにおいていまだ有力ゆうりょくな立場たちばであり、プラトンΠλάτωνのイデアἰδέα論ろんが最もっとも直接的ちょくせつてきに生いき続つづけている領域りょういきである。

同時どうじにプラトンΠλάτωνの限界げんかいも直視ちょくしすべきだ。「哲人てつじん王おう」の理想りそうは、「正ただしい答こたえを知しっている者ものが統治とうちすべきだ」という前提ぜんていに立たつが、「誰だれがその『正ただしさ』を保証ほしょうするのか」という問といに対たいしては、循環じゅんかん論法ろんぽうに陥おちいる危険きけんがある。また、女性じょせいと奴隷どれいに対たいする立場たちば(プラトンΠλάτωνは女性じょせいの能力のうりょくを一定いってい程度ていど認みとめた点てんで当時とうじとしては先進せんしん的てきだったが、奴隷どれい制せいそのものを根本こんぽん的てきには問とうていない)は、普遍ふへん的てき正義せいぎを掲かかげる思想しそうの盲点もうてんとして認識にんしきされる必要ひつようがある。

読者どくしゃへの問とい

  • あなたが「美うつくしい」と感かんじるとき、あなたはその個々ここの美うつくしいものだけを認識にんしきしているのか、それとも「美びそのもの」をも──ぼんやりとであれ──捉とらえているのか? もし後者こうしゃだとすれば、その「美びそのもの」はどこにあるのか?
  • 洞窟どうくつの比喩ひゆにおいて、あなたは囚人しゅうじんなのか、解放かいほうされた者ものなのか、それとも洞窟どうくつに戻もどってきた者ものなのか? あなたが「これが現実げんじつだ」と信しんじているものは、実じつは壁かべに映うつる影かげではないのか? その可能かのう性せいをどうやって確認かくにんできるか?
  • 現代げんだい社会しゃかいにおいて「知識ちしき」と「情報じょうほう」はどう違ちがうのか? プラトンΠλάτωνの「知識ちしきと信念しんねんの区別くべつ」は、情報じょうほう過多かたの時代じだいにこそ有効ゆうこうな視座しざではないか?

名言めいげん(出典しゅってんつき)

"哲学てつがく者しゃたちが国々くにぐににおいて王おうとならないかぎり──あるいは現げんに王おうや権力けんりょく者しゃと呼よばれている者ものたちが、真しんに、かつ十分じゅうぶんに哲学てつがくするようにならないかぎり──国家こっかにとっても、人類じんるいにとっても、不幸ふこうはやまないだろう。" ── プラトンΠλάτων『国家Πολιτεία』第だい五ご巻かん473c-d。「哲人てつじん王おう」の思想しそうを凝縮ぎょうしゅくした一節いっせつ。プラトンΠλάτων政治せいじ哲学てつがくで最もっとも有名ゆうめいな宣言せんげんであり、知ちと権力けんりょくの統合とうごうを求もとめる西洋せいよう政治せいじ思想しそうの原点げんてん。/原文げんぶん:引用文いんようぶん内ないの括弧かっこ内ない原語げんご表記ひょうきを参照さんしょう
"吟味ぎんみされない生なまは、人間にんげんにとって生いきるに値あたいしない。" ── プラトンΠλάτων『ソクラテスの弁明Ἀπολογία Σωκράτους』38a。裁判さいばんでのソクラテスΣωκράτηςの弁論べんろん。自分じぶんの無知むちを自覚じかくし、問とい続つづける生なまこそが「よく生いきる」ことであるという、ソクラテスΣωκράτης=プラトンΠλάτων哲学てつがくの精髄せいずい。/原文げんぶん:引用文いんようぶん内ないの括弧かっこ内ない原語げんご表記ひょうきを参照さんしょう
"驚おどろき(タウマゼインthaumazein)──これこそが哲学てつがく者しゃの情念じょうねんであり、哲学てつがくはここ以外いがいのどこからも始はじまらない。" ── プラトンΠλάτων『テアイテトスΘεαίτητος』155d。アリストテレスἈριστοτέληςも『形而上学Τὰ μετὰ τὰ φυσικά』982bで引用いんようした、哲学てつがくの動機どうきとしての「驚おどろき」を定式ていしき化かした古典こてん的てき命題めいだい。/原文げんぶん:引用文いんようぶん内ないの括弧かっこ内ない原語げんご表記ひょうきを参照さんしょう
"美うつくしいものは難むずかしい。" ── プラトンΠλάτων『国家Πολιτεία』第だい六ろく巻かん497d、および『ヒッピアス(大だい)』304e。直訳ちょくやくは「美うつくしいことは困難こんなんなことだ(χαλεπὰ τὰ καλά)」。ギリシアの諺ことわざをプラトンΠλάτωνが対話たいわ篇へんの中なかで繰くり返かえし採用さいようしたもので、「善よきもの・美うつくしきもの」の実現じつげんが容易よういではないという含意がんいを持もつ。/原文げんぶん:引用文いんようぶん内ないの括弧かっこ内ない原語げんご表記ひょうきを参照さんしょう

参考さんこう文献ぶんけん

  • (主著しゅちょ・邦訳ほうやく):プラトンΠλάτων『国家Πολιτεία』(藤沢ふじさわ令夫のりお訳やく、岩波いわなみ文庫ぶんこ、上下じょうげ2巻かん) ── プラトンΠλάτωνの主著しゅちょ。正義せいぎ、イデアἰδέα、洞窟どうくつの比喩ひゆ、哲人てつじん王おう、魂たましい論ろんなど主要しゅようテーマを網羅もうらする。岩波いわなみ文庫ぶんこ版ばんは訳注やくちゅうが充実じゅうじつしている。
  • (初期しょき):プラトンΠλάτων『ソクラテスΣωκράτηςの弁明べんめい・クリトンΚρίτων』(久保くぼ勉つとむ訳やく、岩波いわなみ文庫ぶんこ) ── ソクラテスΣωκράτηςの裁判さいばんと獄中ごくちゅうの対話たいわ。最もっとも読よみやすいプラトンΠλάτων入門にゅうもん。
  • (中期ちゅうき):プラトンΠλάτων『饗宴Συμπόσιον』(久保くぼ勉つとむ訳やく、岩波いわなみ文庫ぶんこ) ── エロースerōsについての対話たいわ。プラトンΠλάτωνの文学ぶんがく的てき最高さいこう傑作けっさくであり、「美びのイデアἰδέαへの上昇じょうしょう」が語かたられる。
  • (中期ちゅうき):プラトンΠλάτων『パイドンΦαίδων──魂たましいの不死ふしについて』(岩田いわた靖夫やすお訳やく、岩波いわなみ文庫ぶんこ) ── ソクラテスΣωκράτηςの最期さいごの日ひ。魂たましいの不死ふしの論証ろんしょうとイデアἰδέα論ろんが展開てんかいされる。
  • (後期こうき):プラトンΠλάτων『ティマイオス・クリティアスΚριτίας』(種山たねやま恭子きょうこ訳やく、岩波いわなみ文庫ぶんこ) ── プラトンΠλάτωνの宇宙うちゅう論ろん。中世ちゅうせいへの影響えいきょうが大おおきい。
  • (全集ぜんしゅう):『プラトンΠλάτων全集ぜんしゅう』全ぜん15巻かん(岩波書店いわなみしょてん、1974-1978年ねん) ── 日本語にほんごで読よめる最もっとも包括ほうかつ的てきなプラトンΠλάτων全集ぜんしゅう。各巻かくかんに詳細しょうさいな解説かいせつがつく。
  • (入門にゅうもん・邦語ほうご):納富のうとみ信留のぶる『プラトンΠλάτων──哲学てつがく者しゃとは何なにか』(NHK出版しゅっぱん、2021年ねん) ── 日本にっぽんのプラトンΠλάτων研究けんきゅうの第一人者だいいちにんしゃによる入門にゅうもん書しょ。対話たいわ篇へんの読よみ方かたを丁寧ていねいに案内あんないする。最初さいしょに読よむべき入門にゅうもん書しょ。
  • (入門にゅうもん・邦語ほうご):藤沢ふじさわ令夫のりお『プラトンの哲学Plato's Philosophy』(岩波いわなみ新書しんしょ、1998年ねん) ── イデアἰδέα論ろんを中心ちゅうしんにプラトンΠλάτων哲学てつがくの全体ぜんたい像ぞうを描えがく古典こてん的てき入門にゅうもん書しょ。簡潔かんけつにして的確てきかく。
  • (英語えいご圏けんの標準ひょうじゅん的てき研究けんきゅう):G. M. A. Grube, Plato's Thoughtプラトズ・ソート, Hackett, 1980(初版しょはん1935年ねん) ── 英語えいご圏けんにおけるプラトンΠλάτων哲学てつがくの標準ひょうじゅん的てき概説がいせつ書しょ。テーマ別べつに整理せいりされており、参照さんしょうしやすい。
  • (批判ひはん的てき研究けんきゅう):Karl Popper, The Open Society and Its Enemiesジ・オープン・ソサエティ・アンド・イッツ・エネミーズ, Vol. 1: The Spell of Platoザ・スペル・オブ・プラトー, Routledge, 1945 ── プラトンΠλάτων政治せいじ哲学てつがくへの最もっとも有名ゆうめいな批判ひはん。プラトンΠλάτωνを「全体ぜんたい主義しゅぎの起源きげん」として読よむ。