紀元前399年の春、アテナイの獄舎で一人の老人が毒杯を仰いで死んだ。ソクラテス(70歳の石工の息子)は、最後まで弟子たちと「魂」について語り合い、静かに息を引き取った。弟子たちがその最期を見届けるなか、28歳のプラトンだけはその場にいなかった。「プラトンは病気であったと思う」。対話篇『パイドン』は、ソクラテスの死の日を語るパイドンの口を通じて、ただこれだけを記す(59b)。病のためか、それとも別の理由があったのか。しかしこの師の不在中の死こそが、プラトンの生涯を決定づけた。「最も正しい人が、最も不正な裁きによって殺された」──立ち会えなかった者の罪悪感と衝撃が、プラトンを政治家志望の青年貴族から、西洋哲学史上最も影響力のある思想家へと変貌させた。
プラトンの問いは明快だ。ソクラテスは正義を説いて殺された。では「正義」そのものはどこにあるのか。アテナイの民衆法廷が「不正だ」と判決すれば、それが不正になるのか。それとも、人間の判断とは独立に、「正義そのもの」が存在するのか。もし存在するとすれば、それは目で見ることも手で触れることもできないが、しかし感覚で捉えられるどんなものよりも「確実に」存在する。プラトンはこう主張した。目に見える世界の「向こう側」にある、永遠不変の真実。プラトンはそれを「イデア」と呼んだ。
この主張は哲学に巨大な問いの構造を刻み込んだ。「本当に実在するものは何か」「知識と信念の違いは何か」「正しい社会とはどのようなものか」「美しいものと美そのものはどう違うか」。プラトンが立てたこれらの問いは、2400年後の現在もなお、哲学の根幹を形成している。20世紀の数学者・哲学者ホワイトヘッドは言った──「西洋哲学の伝統全体の最も安全な一般的特徴づけは、プラトンへの一連の脚注からなる、ということである」(『過程と実在』序文)。これは誇張ではない。プラトンを知らずに西洋思想を理解することは、設計図を読まずに建築を語るようなものである。
この記事の要点
- 「イデア論」── 感覚の向こうに真実がある:プラトンは、目に見える個々の美しいものの背後に「美そのもの(美のイデア)」が存在し、それこそが真の実在であると論じた。感覚で捉えられる世界は「影」にすぎず、理性によってのみ把握される不変の真実──イデアの世界──が、存在の根源である。この二世界論は、科学・宗教・倫理の根本問題を規定する枠組みとなった。
- 「洞窟の比喩」── 哲学とは目覚めである:『国家』第七巻の「洞窟の比喩」は、人間の認識状況を壁に映る影だけを見ている囚人に喩えた。鎖を解かれて洞窟の外に出た者だけが太陽(善のイデア)を見ることができる。哲学とは、影の世界から真実の世界への「向け変え(ペリアゴーゲー)」である。
- 「哲人王」── 知と権力の統合:プラトンは、「哲学者が王となるか、王が哲学するかしない限り、国家にとっても人類にとっても不幸は止まない」と主張した。知識なき権力は暴力であり、権力なき知識は無力である。この思想は今日なお、専門知と民主主義の緊張という形で問われ続けている。
生涯と時代背景
プラトンは紀元前427年頃、アテナイの名門貴族の家に生まれた。本名はアリストクレスとも伝えられ、「プラトン」は「幅広い」を意味する渾名であったという(ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』第三巻4節)。体格が大きかったため、あるいは額が広かったためとされるが、確証はない。父アリストンはアテナイの王コドロスの末裔を称し、母ペリクティオネの家系はソロンに遡ると伝えられる。いずれにせよ、プラトンはアテナイの最上層の出自であり、本来ならば政治家になるべき生まれだった。
プラトンの青年期は、アテナイの凋落とともにあった。ペロポネソス戦争(前431〜前404年)はアテナイの黄金時代を終わらせ、スパルタへの敗戦をもたらした。敗戦後、三十人僭主の恐怖政治(前404〜前403年)が行われ、プラトンの母方の親族であるクリティアスとカルミデスがその中心人物だった。プラトンは当初、この政権に参加する機会を期待したが、その暴虐に幻滅した。民主政が回復されると、今度はその民主政がソクラテスを死刑に処した。「最も賢い人を殺す民主政も、最も残酷な僭主政も、どちらも正義を実現できない」──プラトンはこの二重の絶望から、「正しい政治とは何か」という問いに生涯を捧げることを決意した(『第七書簡』324b-326b)。
ソクラテスの刑死後、プラトンはメガラ、エジプト、キュレネなどを遍歴したとされる(ただしエジプト渡航については後世の伝説の可能性がある)。紀元前388年頃、南イタリアに赴いてピュタゴラス学派の数学者アルキュタスと交流し、数学的思考の重要性を確信したとされる。同じ旅でシチリア島のシュラクサイ(シラクサ)を訪れ、僭主ディオニュシオス一世の宮廷に招かれた。しかし率直な発言が怒りを買い、奴隷として売られかけたとも伝えられる。この経験は屈辱であったが、同時にディオニュシオスの義弟で知的な青年ディオンとの友情が生まれ、後に二度のシュラクサイ再訪の原因となる。
紀元前387年頃、アテナイに帰還したプラトンは、市の北西郊外にあった英雄アカデモスの聖林に学園を開いた。これが「アカデメイア」である。これは西洋世界最初の高等教育機関とされ、以後約900年にわたって存続した(529年、東ローマ帝国ユスティニアヌス帝による閉鎖まで)。門には「幾何学を知らざる者、入るべからず」と記されていたという伝承がある。アカデメイアでは哲学のみならず、数学、天文学、植物学、政治学が教授された。プラトンは対話と討論を教育の中心に据え、単なる知識の伝達ではなく「魂の向け変え」を目指した。
プラトンは晩年、二度にわたってシュラクサイを再訪した(前367年、前361年)。ディオニュシオス一世の死後、息子ディオニュシオス二世が権力を継承し、友人ディオンの働きかけでプラトンは若い僭主を「哲人王」に教育する機会を得た。しかし結果は悲惨だった。宮廷の陰謀、ディオンの追放、プラトン自身の軟禁──理想と現実の乖離を痛感したプラトンは、最終的にアテナイに帰還する。「哲人王」の理想が実践においていかに困難であるかを、プラトン自身が身をもって経験した。この挫折は、晩年の著作『法律』に色濃く反映されている。前347年頃、プラトンはアテナイで死去した。享年80歳前後。結婚式の宴の最中に眠るように亡くなったとも伝えられる。
ミニ年表
- 前427年頃:アテナイの名門貴族の家に生まれる。ペロポネソス戦争の最中
- 前407年頃:ソクラテスの弟子となる(20歳頃)
- 前404年:ペロポネソス戦争終結。アテナイ敗北。三十人僭主の恐怖政治
- 前399年:ソクラテスの裁判と刑死。プラトン28歳
- 前399〜388年頃:メガラ、南イタリア、シチリアなどを遍歴
- 前388年頃:第一回シュラクサイ訪問。ピュタゴラス学派のアルキュタスと交流
- 前387年頃:アテナイに「アカデメイア」を創設
- 前380年代:『饗宴』『パイドン』『国家』など中期対話篇を執筆
- 前367年:第二回シュラクサイ訪問。ディオニュシオス二世の教育を試みるが失敗
- 前361年:第三回シュラクサイ訪問。再び失敗し帰国
- 前350年代:後期対話篇『ソフィスト』『ティマイオス』『法律』を執筆
- 前347年頃:アテナイにて死去。享年約80歳。アカデメイアは甥のスペウシッポスが継承
プラトンは何を問うたのか
プラトンの哲学的出発点は、師ソクラテスの「問い」を引き継ぐことだった。ソクラテスは「正義とは何か」「勇気とは何か」「美とは何か」と問い続けたが、みずから体系的な回答を書き残さなかった。プラトンはソクラテスの問いを引き受け、さらにこう問うた。ソクラテスが「〜とは何か(τί ἐστι)」と問うとき、その「何か」はいったいどこに存在するのか。
具体例で考えよう。アテナイの街を歩けば、美しいものには事欠かない。美しい壺、美しい馬、美しい青年。しかし壺はいつか割れ、馬は老い、青年も衰える。「美しいもの」はすべて変化し、やがて消滅する。では「美しさそのもの」は消滅するのか。プラトンの答えは「否」である。個々の美しいものが移ろい滅んでも、「美そのもの」は不変不滅である。なぜなら「美そのもの」は感覚で捉えられる世界には属さないからだ。それは理性によってのみ把握される──目に見えない、しかし最も確実に存在するもの。プラトンはこれを「イデア」と呼んだ。
この発想の背景にあるのは、ソクラテスの対話が繰り返し示した認識論的困難である。「正義とは何か」と問うたとき、人々はさまざまな「正義の例」を挙げる。しかしソクラテスが求めていたのは正義の個別例ではなく、すべての正義の例を「正義」たらしめている共通の本質(「正義そのもの」)であった。個々の正義の例は状況によって変わりうるが、「正義そのもの」は変わらないはずだ。でなければ、「これは正義か」という問い自体が無意味になってしまう。ここからプラトンは、個別的・感覚的な事物とは異なる「普遍的・理性的な実在」の存在を要請した。
プラトンの問いは、同時代のソフィストたちへの応答でもあった。プロタゴラスの「人間は万物の尺度である」という相対主義、ゴルギアスの「何も存在しない、存在してもわからない、わかっても伝えられない」という虚無主義。これらに対してプラトンは、「客観的な真理」の存在を全力で弁護した。ソフィストたちが弁論術(レートリケー)によって聴衆を「説得」し、意見を操作することを目指したのに対し、プラトンは対話によって真理を共同で「探究」する弁証法(ディアレクティケー)こそが哲学の方法だと主張した。この対立は、「真理は相対的か絶対的か」「説得か探究か」「権力か知識か」という現代にも通じる根本問題の起源である。
核心理論
1. イデア論 ── 真の実在は目に見えない
プラトン哲学の中核をなすのが「イデア論」である。イデアはギリシア語の「見る(ἰδεῖν)」に由来し、「形相」「本質的な姿」を意味する。プラトンによれば、感覚で捉えられる世界(現象界)の個々の事物は、それぞれに対応する「イデア」(本質的な原型)の不完全な模像にすぎない。
たとえば、この世に存在するすべての円は、「完全な円のイデア」の不完全な現れである。紙に描いた円には必ずわずかな歪みがあるが、数学者が思考する「円そのもの」(すべての点が中心から等距離にある図形)は完全であり不変である。この「思考によってのみ捉えられる完全なもの」こそ、プラトンの言うイデアである。
イデアの特性は以下の通りである。(1)不変──イデアは生成も消滅もしない。美のイデアは美しいものが滅んでも永遠に美である。(2)不可視──感覚ではなく理性(ヌース)によってのみ把握される。(3)単一──各イデアはそれぞれ一つである。美しいものは多数あるが、「美そのもの」は一つである。(4)自存──イデアは個々の事物から独立して存在する。すべての馬が消えても、「馬のイデア」は存在し続ける。(5)範型──個々の事物はイデアを「分有(メテクシス)」することによって、そのものとしての性質を持つ。ある花が美しいのは、その花が「美のイデア」を分有しているからである。
イデアの世界は階層的に構造化されている。最下層には個別的な事物のイデア(机のイデア、馬のイデアなど)があり、より上位には数学的対象のイデア(三角形、等しさなど)がある。さらに上位に道徳的イデア(正義、節制、勇気など)があり、その頂点に「善のイデア」が位置する。善のイデアは太陽に喩えられる(『国家』508b-509b)──太陽が可視的世界において光を与え、ものを見えるようにするように、善のイデアは知性的世界(イデアの世界)において真理を与え、イデアを認識可能にする。善のイデアはすべてのイデアの存在と認識の根源である。
しかもプラトンは、善のイデアが「存在を超えた(ἐπέκεινα τῆς οὐσίας)」ものであるとまで言い切っている(509b)。善は単なる一つのイデアではなく、イデア界そのものを成り立たせている究極の原理であり、イデアの階層のさらに「外側」にある。この主張は弟子たちにも難解であり、プラトン哲学の最も謎めいた核心の一つである。
ただし注意すべきことがある。プラトンの対話篇において「イデア論」は一つの固定的な教説として提示されてはいない。中期対話篇(『パイドン』『国家』『饗宴』)で展開されたイデア論は、後期対話篇(『パルメニデス』『ソフィスト』)でプラトン自身によって厳しい自己批判にさらされている。「イデアとは何か」を最終的に定式化することは、プラトン自身にとっても未完の課題であった。この自己批判の誠実さこそが、プラトンを単なる教条主義者ではなく、真の哲学者たらしめている。
2. 洞窟の比喩 ── 影から光へ
『国家』の第六巻末から第七巻にかけて、プラトンは三つの比喩を連続して提示する。善のイデアを太陽に喩える「太陽の比喩」(508b-509b)、認識の段階を線分の比率で表す「線分の比喩」(509d-511e)、そして最も有名な「洞窟の比喩」(514a-521b)である。この三つは一体のものとして読まれるべきであり、プラトンの存在論と認識論の全体像を描き出す。線分の比喩では、認識が四段階に分かれることが示される──影像の推測(エイカシア)、感覚的世界の信念(ピスティス)、数学的思考(ディアノイア)、そしてイデアの直観(ノエーシス)である。
洞窟の比喩は、この認識の四段階を鮮やかな物語へと翻訳したものであり、西洋哲学全体で最も有名な比喩である。
地下の洞窟に生まれたときから鎖につながれた囚人たちがいる。彼らは首を回すことすらできず、正面の壁しか見ることができない。背後では火が燃え、囚人たちと火のあいだを人形遣いが行き来して、さまざまな像を掲げている。壁には影が映る。囚人たちはこの影しか見たことがないから、影こそが「実在」だと信じている。
ある日、一人の囚人の鎖が解かれる。彼は振り返り、火の光に目が眩む。人形と影の関係を理解するのに時間がかかる。さらに洞窟の外に引き出されると、太陽の光にしばらくは何も見えない。しかし次第に目が慣れ、まず影を、次に水面に映るものを、そして物体そのものを見るようになり、ついには太陽そのものを直視するに至る。
この比喩は多層的な意味を持つ。洞窟の壁に映る影は感覚的世界(日常経験の世界)であり、洞窟の外の太陽に照らされた世界がイデアの世界であり、太陽は善のイデアである。鎖を解かれて洞窟の外に出るプロセスが哲学的教育(パイデイア)であり、それは単なる知識の獲得ではなく、「魂全体の向け変え(ペリアゴーゲー)」(『国家』518c-d)である。プラトンにとって、哲学とは新しい情報を頭に詰め込むことではなく、魂の向きを根本的に変えること──影の世界から真実の世界へと目を転じること──である。
しかし比喩にはさらに重要な続きがある。太陽を見た者が洞窟に戻ったとき、彼の目は暗闇に慣れていないため、影を見分けることができない。まだ鎖につながれている囚人たちは、彼を笑い者にし、「外に出ると目がおかしくなる」と嘲笑する。もし彼が囚人たちの鎖を解こうとすれば、彼らは彼を殺そうとするだろう──プラトンはここにソクラテスの運命を重ねている。真理を見た者は、影しか知らない者からは狂人と見なされる。ソクラテスを殺したアテナイの市民たちは、洞窟の囚人である。
3. 魂の三部分説 ── 理性・気概・欲望
プラトンは『国家』第四巻(435b-441c)で、魂(プシュケー)が三つの部分から成ると論じた。(1)理性的部分(ト・ロギスティコン)──真理を愛し、判断を下す部分。(2)気概的部分(ト・テュモエイデス)──怒りや名誉心を司る部分。理性の味方となって欲望を制御する。(3)欲望的部分(ト・エピテュメーティコン)──飢え、渇き、性欲など身体的欲求を司る部分。
プラトンはこれを戦車の比喩(『パイドロス』246a-254e)で説明している。理性は御者であり、二頭の馬──一頭は気概(従順な白い馬)、もう一頭は欲望(暴れ馬の黒い馬)──を制御する。正しい魂の状態とは、理性が御者として全体を統率し、気概が理性を助け、欲望が適切に制御されている状態であり、これが魂における「正義」である。
この魂の三部分は、プラトンの理想国家の三つの階層に対応する。理性的部分は統治者(哲人王)に、気概的部分は防衛者(戦士)に、欲望的部分は生産者(農民・職人・商人)に対応する。個人の魂における正義と国家における正義は、同一の構造を持つ──「大きな文字」(国家)で書かれたものを読めば、「小さな文字」(個人の魂)も読める(『国家』368c-369a)。この個人と国家のアナロジーは、プラトン政治哲学の基盤であると同時に、最も議論を呼ぶ点でもある。
4. 哲人王 ── 知と権力の統合
「哲学者たちが国々において王とならないかぎり──あるいは現に王や権力者と呼ばれている者たちが、真に、かつ十分に哲学するようにならないかぎり──政治的権力と哲学とが一体化しないかぎり──国家にとっても、人類にとっても、不幸はやまないだろう」(『国家』473c-d)。
この「哲人王」の思想は、プラトン政治哲学の核心であり、最も物議を醸す主張でもある。その論理は明快だ。国家を正しく統治するためには、「正義そのもの」「善そのもの」を知らなければならない。しかし善のイデアを認識できるのは、長年の哲学的訓練を積んだ者だけである。したがって、統治者は哲学者でなければならない。船を航行させるには航海術の専門知識が必要であるように、国家を運営するには善と正義の知識が必要である。民衆の多数決は、航海の方角を乗客の投票で決めるようなものだ──プラトンはアテナイの民主政をこう批判した。
プラトンの理想国家では、統治者の養成に途方もない時間がかかる。幼少期から体育と音楽(ムーシケー)による基礎教育を受け、20歳で最初の選抜が行われる。選ばれた者は10年間にわたって算術・幾何学・天文学・ハルモニア理論(音楽理論)を体系的に学ぶ。30歳で再度の選抜を経て、5年間のディアレクティケー(弁証法的問答)の訓練──あらゆる仮説を根底から問い直す最も厳しい知的訓練──を受け、その後15年間の政治・軍事の実務経験を積み、50歳にしてようやく善のイデアを直観する能力を持つとされる(『国家』535a-540c)。
そしてこの統治者たちは、私有財産を持たず、家族も持たず、国家のためにのみ生きる。プラトンにとって、権力と私欲の結合こそが政治腐敗の根源であり、それを断つために統治者から一切の私的利害を剥奪する必要があった。
5. アナムネーシス ── 知るとは思い出すことである
プラトンの認識論でもう一つ重要なのが「アナムネーシス(想起)」の理論である(『メノン』80d-86c、『パイドン』72e-77a)。魂は生まれる前にイデアの世界でイデアを直接見ていた。しかし身体に宿る際にその記憶を失った。「学ぶ」とは、実は新しい知識を外から獲得することではなく、魂がかつて知っていたイデアを「思い出す」ことである。
『メノン』では、ソクラテスが教育を受けていない奴隷の少年に幾何学の問題を解かせる場面が有名である。ソクラテスは何も「教え」ず、ただ問いを投げかけるだけで、少年は正しい解答に到達する。これは少年の魂がすでに知っていたことを「想起」したのだ──とプラトンは論じる。この理論は、先天的知識(ア・プリオリな認識)の問題を哲学に導入した最初の試みであり、後にデカルトの「生得観念」やカントの「ア・プリオリな認識形式」へと受け継がれていく。
アナムネーシスの理論は、プラトンの魂の不死論とも密接に結びついている。もし知識が「思い出し」であるならば、魂は身体に宿る以前に存在していたはずである。そして身体の死後もイデアの世界に帰還する。魂は不滅であり、肉体は一時的な住処にすぎない。この「魂の不死」の論証は『パイドン』の中心主題であり、ソクラテスが死刑を恐れない理由として提示される。
6. エロース ── 美への上昇の梯子
プラトンの哲学は純粋に知的な営みではない。そこには「エロース」──欲求、渇望、恋──が不可欠の推進力として組み込まれている。『饗宴(シュンポシオン)』は、酒宴の席で参加者が順にエロースを讃える演説を行うという文学的傑作であり、その頂点にソクラテスが語る「ディオティマの教え」がある(201d-212a)。
ディオティマはソクラテスに「愛の秘儀」の梯子を教える。まず一人の美しい肉体への恋から始まる。次に恋する者は、その美しさが他の美しい肉体にも共通していることに気づき、すべての肉体の美を愛するようになる。やがて肉体の美よりも魂の美のほうが価値あることを知り、美しい営みや美しい学問を愛するようになる。
そして最後に──突然に──「驚くべき本性をもつ美そのもの」が姿を現す。それは生じることも滅びることもなく、ある面では美しくある面では醜いということもなく、ある時には美しくある時には美しくないということもない、「永遠にそれ自体において、それ自体とともに、一つの形をなしている」美のイデアそのものである(211a-b)。
この「上昇の梯子」が示しているのは、哲学がいかにして始まるかということである。哲学の出発点は「驚き」だけではない。何かに惹きつけられ、渇望し、追い求める衝動──エロース──がなければ、人は安楽な洞窟から立ち上がらない。しかしその渇望は、個別的な対象への執着にとどまるかぎり不完全である。一人の人間への恋が、美そのものへの愛に昇華されるとき──つまり「何を愛するか」ではなく「愛するとは何か」を問うようになるとき──はじめてエロースは哲学になる。プラトンにとって、哲学者とは「知を愛する者(フィロソフォス)」であると同時に、「美を渇望する者」であった。
7. ディアレクティケー ── 対話による真理の探究
プラトンが哲学の方法として重視したのが「ディアレクティケー(弁証法、対話術)」である。これは単なる議論や討論ではなく、問答を通じてイデアへと上昇していく知的な営みである。感覚的世界の個別的な事例から出発し、仮説を立て、その仮説をさらに上位の仮説から検討し、最終的に「仮説ならざるもの」──善のイデア──に到達する(『国家』511b-c)。
プラトンがみずからの著作をすべて「対話篇」の形式で書いたことは、偶然ではない。哲学は独白ではなく対話の中で成立する──問う者と答える者の共同作業として初めて真理に到達しうる──というのがプラトンの信念であった。これはソクラテスの「助産術(マイエウティケー)」──真理は外から注入されるものではなく、対話を通じて相手の魂の内部から「産み出される」もの──の継承であり発展である。プラトンは30篇以上の対話篇を残したが、どの対話篇においてもプラトン自身は登場しない。プラトンは「著者」ではなく、対話の「演出家」として背後に退くのである。
8. 詩人追放論 ── 芸術はなぜ危険なのか
プラトン哲学の中で最も挑発的──そしておそらく最も誤解されやすい──主張が、『国家』第十巻(595a-608b)の「詩人追放論」である。プラトンは理想国家からホメロスをはじめとする模倣的詩人を追放すべきだと論じた。その根拠は二つある。
第一に、存在論的な批判。画家がベッドの絵を描くとき、画家が模倣しているのはベッドのイデア(真の実在)ではなく、大工が作った個々のベッド(すでにイデアの模像)である。つまり芸術作品は「模像の模像」──イデアから二重に隔たった影──にすぎない。
第二に、心理的な批判。悲劇は観客の感情(恐れ、悲しみ)を激しく揺さぶるが、これは魂の「欲望的部分」を刺激し、「理性的部分」による統制を弱める。優れた詩人であればあるほど、人々の魂に対して強い──しかし理性を迂回する──影響力を持つ。
この議論は、「芸術と真理」「表現の自由と社会的責任」「感情と理性」という現代にも通じる問題を鮮烈に提起している。プラトン自身が卓越した文学者であったことを考えると、この議論には一種の自己言及的な緊張がある。プラトンは詩の力を誰よりもよく知っていた──だからこそ、その力を恐れたのである。「もし快楽を旨とする詩と模倣が、国家において受け入れられるべき正当な理由を示すことができるならば、喜んで迎え入れよう」(607c)──プラトンは詩人たちに弁明の機会を残して、この議論を閉じている。
ここに西洋思想史上最も有名な逆説の一つがある。プラトンは『パイドロス』(274b-278b)において、エジプト王タモスとテウトの神話を語りながら、「書かれた言葉」を激しく批判している。書かれた言葉は「想起の薬」ではなく「忘却の薬」であり、読者に知恵そのものではなく知恵の見かけだけを与えてしまう。書物は問いかけても答えず、誤解されても自分を弁護できない。真の知識は「書かれた言葉」ではなく、対話を通じて魂に直接書き込まれるべきだ──と。それにもかかわらず、プラトン自身は古代世界で最も多作な哲学的著述家であった。
この矛盾は意図的なものだろう。プラトンの対話篇は「書かれた独白」ではなく「書かれた対話」──読者をみずから考えさせ、対話に引き込むための仕掛けとして書かれている。書物でありながら書物の限界を超えようとするこの試みが、「対話篇」という形式の核心である。
主要著作ガイド
プラトンの著作は30篇以上の対話篇と13通の書簡(一部は偽作の可能性あり)からなる。以下に主要な著作を読む順序とともに示す。
- 『ソクラテスの弁明』(岩波文庫ほか) ── 死刑裁判でのソクラテスの弁論。プラトンの全著作で最も読みやすく、ソクラテスの人物像と哲学的態度を知るための出発点。最初に読むべき一冊。
- 『クリトン』(岩波文庫ほか) ── 獄中のソクラテスが脱獄を勧める友人クリトンに「なぜ不正をしてはならないか」を説く。法と正義についての短い対話篇。『弁明』の直後に読むとよい。
- 『メノン』(岩波文庫ほか) ── 「徳は教えられるか」という問いから出発し、「アナムネーシス(想起)」の理論が導入される。奴隷の少年との幾何学の対話が有名。イデア論への導入として最適。
- 『饗宴(シュンポシオン)』(岩波文庫ほか) ── エロース(愛)についての讃辞を各参加者が述べる。ソクラテスの語る「美のイデアへの上昇」(ディオティマの教え)が核心。プラトンの文学的最高傑作。
- 『パイドン』(岩波文庫ほか) ── ソクラテスの最期の日の対話。魂の不死、イデア論、アナムネーシスが体系的に論じられる。哲学とは「死の練習」であるという衝撃的な命題。
- 『国家(ポリテイア)』(岩波文庫ほか、全2巻) ── プラトンの主著。正義論、イデア論、洞窟の比喩、哲人王、魂の三部分説、国家論、詩人追放論、魂の不死論──プラトン哲学のほぼすべてがこの一作に集約される。全10巻からなる大著。通読には時間がかかるが、プラトンを理解するためには必読。
- 『パルメニデス』(岩波文庫ほか) ── 若きソクラテスが老パルメニデスからイデア論の難点を指摘される。プラトン自身によるイデア論の自己批判。極めて難解だが、プラトン哲学の到達点と限界を知るために重要。
- 『ティマイオス』(岩波文庫ほか) ── 宇宙創造の物語。デーミウルゴス(製作者神)がイデアを範型として宇宙を造る。プラトンの自然哲学・宇宙論を展開する後期対話篇。中世ヨーロッパに最も影響を与えたプラトンの著作。
主要な批判と論争
1. アリストテレスの批判(同時代):プラトンの最も偉大な弟子が最も鋭い批判者となった。アリストテレスは『形而上学』において、イデア論に対する体系的な批判を展開した。特に有名なのが「第三者の人間」の論証(990b-991a)である。もし個々の人間が「人間のイデア」に似ていることによって人間であるならば、個々の人間と人間のイデアの類似を説明するために「第三の人間」が必要となり、これが無限に続く(無限後退)。また、イデアが個物から分離して存在するならば、イデアは個物の変化を説明できない──動かないものが動くものの原因であるとはどういうことか。アリストテレスはイデアを個物から分離させず、個物の「内部」に形相(エイドス)として内在させる立場を採った。
2. カール・ポパーの政治的批判(現代):『開かれた社会とその敵』(1945年)でポパーは、プラトンの『国家』を全体主義的政治思想の原型として激しく批判した。哲人王による統治は民主主義の否定であり、個人の自由を国家の「正義」に従属させる危険な思想だとポパーは論じた。「だれが統治すべきか」という問いそのものが誤りであり、重要なのは「いかにして悪い統治者を流血なしに排除できるか」だとポパーは主張した。この批判はプラトンの政治哲学に対する最も影響力のある現代的批判であり、現在も論争が続いている。
3. ニーチェの批判(近代):ニーチェはプラトンを「この世界(感覚的世界)」を劣位とし、「別の世界(イデアの世界)」を真の実在とする「二世界説」の創始者として批判した。ニーチェによれば、プラトンの形而上学はキリスト教の「天国」概念の先駆けであり、「この世の生」を否定する「デカダンス」──生の衰退──の表現である。「キリスト教は大衆のためのプラトン主義である」(『善悪の彼岸』序文)。この批判は、ハイデガーの西洋形而上学批判にも受け継がれている。
4. 分析哲学からの批判(現代):20世紀の分析哲学、特にギルバート・ライルやルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの流れを汲む哲学者たちは、プラトンのイデア論を「言語の誤用」から生じた疑似問題として批判した。「美しいもの」から「美そのもの」が独立に存在すると推論するのは、抽象名詞を具体的な存在者と混同する誤謬であるという指摘である。ただし、数学的対象(数、集合、幾何学的図形)の存在論的地位をめぐっては、現代でも「数学的プラトニズム」が有力な立場として存続しており、イデア論の完全な否定は容易ではない。
影響と遺産
先行思想:パルメニデスの存在論(「あるものはあり、ないものはない」──不変の存在と感覚の欺瞞の区別がイデア論の源泉)、ヘラクレイトスの万物流転(感覚的世界の不断の変化がイデアの不変性の対概念)、ピュタゴラス学派の数学的存在論(数が万物の原理であるという思想がイデアの数学的性格に影響)、ソクラテスの「〜とは何か」の問い(普遍的定義の探究がイデア論を動機づけた)。
直接的後継者:アリストテレスはプラトンのアカデメイアで20年間学び、イデア論を批判的に継承して独自の形而上学を構築した。スペウシッポスとクセノクラテスはアカデメイアの後継学頭となり、イデア論を数論的に発展させた。新アカデメイア学派のアルケシラオスとカルネアデスは懐疑主義の立場を採り、プラトンの「探究」の精神を引き継いだ。
新プラトン主義:3世紀のプロティノスは『エンネアデス』でプラトン哲学を「一者」からの流出論として体系化し、新プラトン主義を創始した。プロティノスの思想は、キリスト教(アウグスティヌス)、イスラーム哲学(アル=ファーラービー、イブン・スィーナー)、ユダヤ哲学に深い影響を与え、プラトンの影響を古代世界全体に拡散させた。
中世・ルネサンス:中世ヨーロッパでは『ティマイオス』のラテン語訳(カルキディウス訳)がプラトンの主要な読まれ方であり、キリスト教神学(特にアウグスティヌスの「神の照明説」)との融合が進んだ。15世紀のフィレンツェで、マルシリオ・フィチーノがプラトン全集のラテン語訳を完成させ(1484年)、コジモ・デ・メディチの庇護のもとに「プラトン・アカデミー」が設立された。ルネサンス期のプラトン再発見は、近代科学の数学的方法の精神的背景となった。
近現代:カントの「現象と物自体」の区別はプラトンの二世界論との構造的類似が指摘される。フレーゲ、ラッセル以降の数理論理学の伝統では、「数学的プラトニズム」──数学的対象はプラトンのイデアのように心とは独立に存在する──が有力な立場として継続している。クルト・ゲーデルはみずからを明確にプラトニストと称した。ホワイトヘッドの過程哲学もまたプラトンの『ティマイオス』から深い影響を受けている。
現代への接続
プラトンの問いは、2400年後の現代においていっそう切実さを増している。
第一に、知識と信念の区別。プラトンは「知っている」ことと「そう思い込んでいる」ことを厳密に区別した。情報が氾濫する現代において、「知識(エピステーメー)」と「思い込み(ドクサ)」の境界はますます曖昧になっている。検索で瞬時に得られる断片的情報は本当に「知っている」と言えるのか──この問いは、プラトンが設定した認識論の枠組みそのものである。
第二に、真理と民主主義の緊張。SNSの時代、「すべての意見は等しく価値がある」という感覚が広がる一方で、フェイクニュースや陰謀論が社会を分断している。プラトンは「多数の意見(ドクサ)」と「知識(エピステーメー)」を峻別し、知識に基づく統治を主張した。現代の民主主義は、プラトンの問い──「多数の無知は少数の知識に優越しうるのか」──に対して、いまだ十分な回答を持っていない。専門知と民主主義のあいだの緊張は、パンデミックにおける科学と政治の関係、気候変動政策における専門家と世論の乖離として、日常的に経験されている。
第三に、数学的プラトニズムと実在論。数学は人間の心の発明なのか、それとも人間の心とは独立に存在する「数学的実在」の発見なのか。2+2=4は人間がいなくても真であるのか。この問いをめぐる「数学的プラトニズム」は、現代の数学の哲学においていまだ有力な立場であり、プラトンのイデア論が最も直接的に生き続けている領域である。
同時にプラトンの限界も直視すべきだ。「哲人王」の理想は、「正しい答えを知っている者が統治すべきだ」という前提に立つが、「誰がその『正しさ』を保証するのか」という問いに対しては、循環論法に陥る危険がある。また、女性と奴隷に対する立場(プラトンは女性の能力を一定程度認めた点で当時としては先進的だったが、奴隷制そのものを根本的には問うていない)は、普遍的正義を掲げる思想の盲点として認識される必要がある。
読者への問い
- あなたが「美しい」と感じるとき、あなたはその個々の美しいものだけを認識しているのか、それとも「美そのもの」をも──ぼんやりとであれ──捉えているのか? もし後者だとすれば、その「美そのもの」はどこにあるのか?
- 洞窟の比喩において、あなたは囚人なのか、解放された者なのか、それとも洞窟に戻ってきた者なのか? あなたが「これが現実だ」と信じているものは、実は壁に映る影ではないのか? その可能性をどうやって確認できるか?
- 現代社会において「知識」と「情報」はどう違うのか? プラトンの「知識と信念の区別」は、情報過多の時代にこそ有効な視座ではないか?
名言(出典つき)
"哲学者たちが国々において王とならないかぎり──あるいは現に王や権力者と呼ばれている者たちが、真に、かつ十分に哲学するようにならないかぎり──国家にとっても、人類にとっても、不幸はやまないだろう。" ── プラトン『国家』第五巻473c-d。「哲人王」の思想を凝縮した一節。プラトン政治哲学で最も有名な宣言であり、知と権力の統合を求める西洋政治思想の原点。/原文:引用文内の括弧内原語表記を参照
"吟味されない生は、人間にとって生きるに値しない。" ── プラトン『ソクラテスの弁明』38a。裁判でのソクラテスの弁論。自分の無知を自覚し、問い続ける生こそが「よく生きる」ことであるという、ソクラテス=プラトン哲学の精髄。/原文:引用文内の括弧内原語表記を参照
"驚き(タウマゼイン)──これこそが哲学者の情念であり、哲学はここ以外のどこからも始まらない。" ── プラトン『テアイテトス』155d。アリストテレスも『形而上学』982bで引用した、哲学の動機としての「驚き」を定式化した古典的命題。/原文:引用文内の括弧内原語表記を参照
"美しいものは難しい。" ── プラトン『国家』第六巻497d、および『ヒッピアス(大)』304e。直訳は「美しいことは困難なことだ(χαλεπὰ τὰ καλά)」。ギリシアの諺をプラトンが対話篇の中で繰り返し採用したもので、「善きもの・美しきもの」の実現が容易ではないという含意を持つ。/原文:引用文内の括弧内原語表記を参照
参考文献
- (主著・邦訳):プラトン『国家』(藤沢令夫訳、岩波文庫、上下2巻) ── プラトンの主著。正義、イデア、洞窟の比喩、哲人王、魂論など主要テーマを網羅する。岩波文庫版は訳注が充実している。
- (初期):プラトン『ソクラテスの弁明・クリトン』(久保勉訳、岩波文庫) ── ソクラテスの裁判と獄中の対話。最も読みやすいプラトン入門。
- (中期):プラトン『饗宴』(久保勉訳、岩波文庫) ── エロースについての対話。プラトンの文学的最高傑作であり、「美のイデアへの上昇」が語られる。
- (中期):プラトン『パイドン──魂の不死について』(岩田靖夫訳、岩波文庫) ── ソクラテスの最期の日。魂の不死の論証とイデア論が展開される。
- (後期):プラトン『ティマイオス・クリティアス』(種山恭子訳、岩波文庫) ── プラトンの宇宙論。中世への影響が大きい。
- (全集):『プラトン全集』全15巻(岩波書店、1974-1978年) ── 日本語で読める最も包括的なプラトン全集。各巻に詳細な解説がつく。
- (入門・邦語):納富信留『プラトン──哲学者とは何か』(NHK出版、2021年) ── 日本のプラトン研究の第一人者による入門書。対話篇の読み方を丁寧に案内する。最初に読むべき入門書。
- (入門・邦語):藤沢令夫『プラトンの哲学』(岩波新書、1998年) ── イデア論を中心にプラトン哲学の全体像を描く古典的入門書。簡潔にして的確。
- (英語圏の標準的研究):G. M. A. Grube, Plato's Thought, Hackett, 1980(初版1935年) ── 英語圏におけるプラトン哲学の標準的概説書。テーマ別に整理されており、参照しやすい。
- (批判的研究):Karl Popper, The Open Society and Its Enemies, Vol. 1: The Spell of Plato, Routledge, 1945 ── プラトン政治哲学への最も有名な批判。プラトンを「全体主義の起源」として読む。