紀元前きげんぜん399ねんアテナイAthēnai牢獄ろうごく夕暮ゆうぐれのひかり独房どくぼうに、ソクラテスSōkratēs友人ゆうじんたちにかこまれてすわっている。この夕方ゆうがたかれどくさかずきあおがなければならない。なみだぐむ友人ゆうじんたちをまえに、70さい哲学てつがくしゃ平静へいせいに(いや、ほとんどよろこばしげに)最後さいご対話たいわはじめる。主題しゅだいは「たましい死後しご存続そんぞくするか」である。

パイドンPhaidōn』はプラトンPlatōn中期ちゅうき対話たいわへんのなかでも、もっとも劇的げきてき設定せってい作品さくひんだ。哲学てつがくてき論証ろんしょう感情かんじょううごきが交錯こうさくし、よっつの論証ろんしょうじゅん提示ていじされ、反論はんろんされ、再構さいこうちくされる。読者どくしゃ哲学てつがく議論ぎろんいながら、同時どうじ一人ひとり人間にんげんかう過程かてい見届みとどけることになる。

この作品さくひんむことは、ある意味いみで「体験たいけん」にちかい。冷静れいせい議論ぎろん展開てんかいされるその背後はいごで、時間じかん確実かくじつながれている。日没にちぼつとともにソクラテスSōkratēsいのちわる。論証ろんしょう合間あいまはさまれる友人ゆうじんたちのなみだソクラテスSōkratēsおだやかな微笑ほほえみ、どくさかずき準備じゅんびする看守かんしゅ気配けはい。これらの情感じょうかんてき細部さいぶが、哲学てつがくてき議論ぎろんたんなる知的ちてきパズルではなく、人間にんげん実存じつぞんざしたいへとえている。

なぜいまパイドンPhaidōn』をむのか。現代げんだい科学かがく意識いしきのう機能きのうとして説明せつめいしようとするが、「んだらどうなるのか」といういそのものは科学かがく射程しゃていえている。ソクラテスSōkratēs提示ていじした論証ろんしょうおおくは今日こんにちでは通用つうようしない。だが、のぞんで理性りせい手放てばなさず、論理ろんりちから恐怖きょうふおうとする態度たいど対話たいわのなかでソクラテスSōkratēsが「ミソロギアmisologia」(議論ぎろんぎらい)への警告けいこくんだもの)は、時代じだいえた哲学てつがく精神せいしんそのものだ。

ほん記事きじでは、『パイドンPhaidōn』の対話たいわ進行しんこう沿って、かく場面ばめん内容ないよう論証ろんしょう構造こうぞういていく。専門せんもん知識ちしきがなくてもえるように具体ぐたいれいまじえながら、同時どうじ原文げんぶん知的ちてき興奮こうふん論証ろんしょう破綻はたんし、再構さいこうちくされるスリル)をできるかぎりつたえたい。

この記事きじ要点ようてん

  • 哲学てつがく練習れんしゅうであるソクラテスSōkratēsは、しん哲学てつがくしゃ身体しんたいからたましいはな訓練くんれん生涯しょうがいおこなっており、はその完成かんせいであるとく。おそれる哲学てつがくしゃ矛盾むじゅんしている──この挑発ちょうはつてき命題めいだい対話たいわ出発しゅっぱつてんとなる。
  • よっつの論証ろんしょう反論はんろん弁証べんしょうほう反対はんたいからの生成せいせい想起そうきせつ類似るいじせい議論ぎろんイデアideaからの最終さいしゅう論証ろんしょう。このよっつはそれぞれことなる角度かくどからたましい不死ふしせまり、反論はんろんけて深化しんかしていく。論証ろんしょう成否せいひそのものよりも、対話たいわつうじて論理ろんりきたげるプロセスに哲学てつがくてき意義いぎがある。
  • プラトンPlatōnイデアideaろん原型げんけい:『パイドンPhaidōn』はイデアideaろんはじめて明確めいかく定式ていしきされる対話たいわへんひとつであり、「ひとしさ自体じたい」「うつくしさ自体じたい」といった形而上けいじじょうがくてき実在じつざい概念がいねんたましい不死ふしろん根拠こんきょとして展開てんかいされる。

書物しょもつ基本きほん情報じょうほう

  • 著者ちょしゃプラトンPlatōn紀元前きげんぜん428/427〜348/347ねん
  • 成立せいりつ年代ねんだい紀元前きげんぜん385ねんごろ中期ちゅうき対話たいわへん
  • ジャンルgenre哲学てつがく対話たいわへんわく物語ものがたり形式けいしき
  • 原題げんだい:Φαίδων(パイドーンPhaidōn)── かた由来ゆらい
  • 参照さんしょう形式けいしきステファヌスStephanusばんページ番号ばんごう(57a〜118a)
  • 主要しゅよう邦訳ほうやく岩田いわた靖夫やすおやくパイドンPhaidōn──たましい不死ふしについて』岩波いわなみ文庫ぶんこ(1998ねん、2025ねん改版かいはん)、納富のうとみ信留のぶるやくパイドンPhaidōn──たましいについて』光文社こうぶんしゃ古典こてん新訳しんやく文庫ぶんこ

目次もくじマップ

  • わく物語ものがたり導入どうにゅう(57a〜59c)パイドンPhaidōnエケクラテスEchekratēs最期さいごかたはじめる
  • 牢獄ろうごく場面ばめん(59c〜61c)最後さいごあさつまクサンティッペXanthippē退場たいじょう対話たいわ開始かいし
  • 哲学てつがく練習れんしゅう(61c〜69e)歓迎かんげいする哲学てつがくしゃ態度たいど
  • 第一だいいち論証ろんしょう反対はんたいからの生成せいせい(69e〜72e)せい循環じゅんかん
  • 第二だいに論証ろんしょう想起そうきせつ(72e〜77a)まなびとはおもすこと
  • 第三だいさん論証ろんしょう類似るいじせい議論ぎろん(77a〜80d)たましいイデアideaている
  • シミアスSimmiasケベスKebēs反論はんろん(84c〜88b)竪琴たてごと調しらべと織物おりもの比喩ひゆ
  • ミソロギアmisologiaへの警告けいこく知的ちてき自伝じでん(88b〜102a)自然しぜんがくからイデアideaろん
  • 第四だいよん論証ろんしょうイデアideaからの最終さいしゅう論証ろんしょう(102a〜107b)たましい生命せいめいイデアideaびる
  • 死後しご神話しんわ最期さいご場面ばめん(107c〜118a)大地だいち神話しんわどくさかずき臨終りんじゅう

原著げんちょ目次もくじ沿った逐次ちくじ解説かいせつ

1. わく物語ものがたり導入どうにゅう(57a〜59c)

対話たいわ二重にじゅうわく構造こうぞうつ。エリスĒlisピュタゴラスPythagoras哲学てつがくしゃエケクラテスEchekratēsが、ソクラテスSōkratēs処刑しょけいにそのにいたパイドンPhaidōnくわしいはなしきたいとたのむ。パイドンPhaidōn当日とうじつ居合いあわせた人物じんぶつたちのげ(注目ちゅうもくすべきことにプラトンPlatōnは「病気びょうきだったとおもう」(59b)とみずからの不在ふざい明記めいきしている)。回想かいそうはじめる。

ここで注目ちゅうもくすべきは、「わく物語ものがたり」(フレーム・ナラティヴframe narrative)という文学ぶんがくてき装置そうちである。対話たいわ報告ほうこくしゃパイドンPhaidōnべつ人物じんぶつエケクラテスEchekratēsかたるという構造こうぞうは、読者どくしゃ臨場りんじょうかんあたえつつ、「これは当事とうじしゃによる回想かいそうである」という距離きょりかんをも同時どうじつくす。小説しょうせつでいえば、コンラッドConradの『やみおく』でマーロウMarlow船上せんじょうかた構造こうぞうちかい。存在そんざいが、かたりの信頼しんらいせい緊張きんちょうかん同時どうじたかめるのである。

プラトンPlatōnみずからの不在ふざいしるすのは誠実せいじつさなのか、文学ぶんがくてき技法ぎほうなのか。自分じぶんはそのにいなかった、とくことで、報告ほうこく正確せいかくさに一定いってい留保りゅうほをつけつつ、同時どうじ間接かんせつてき叙述じょじゅつだからこそ自由じゆう哲学てつがくてき内容ないよう構成こうせいできる余地よちまれる。

わく物語ものがたり設定せっていわると、舞台ぶたい牢獄ろうごく内部ないぶうつる。

2. 牢獄ろうごく場面ばめん快楽かいらく苦痛くつうつい(59c〜61c)

友人ゆうじんたちが牢獄ろうごくはいると、ソクラテスSōkratēs足枷あしかせはずされたばかりで、あしをさすりながら快楽かいらく苦痛くつう不思議ふしぎ関係かんけいについてかたる。しみがったあとにこころよさがる。ふたつは一緒いっしょにはないが、一方いっぽうえばもう一方いっぽうがついてくる。つまクサンティッペXanthippē赤子あかごきながらさけび、退たいじょうさせられる。ソクラテスSōkratēsはまた、獄中ごくちゅうイソップAisōpos寓話ぐうわ韻文いんぶんにし、アポロンApollōnへの讃歌さんかいていたことがかたられる。

この場面ばめんにはふたつの重要じゅうよう伏線ふくせんまれている。ひとつは快楽かいらく苦痛くつう不可分ふかぶんせい(60b-c)だ。しみがればこころよさがるという観察かんさつは、のちに展開てんかいされる「反対はんたいのものから反対はんたいのものがまれる」という第一だいいち論証ろんしょう核心かくしん先取さきどりしている。もうひとつは「ムーシケーmousikē」(μουσική、芸術げいじゅつ学芸がくげい総称そうしょう)の主題しゅだいである。ソクラテスSōkratēs獄中ごくちゅうイソップAisōpos寓話ぐうわ韻文いんぶんにし詩作しさくはげんでいた逸話いつわは、かれにとって哲学てつがくこそが「最大さいだいムーシケーmousikē」であるという信念しんねんあらわれである(61a)。まえにしてなお芸術げいじゅつかうこの姿すがたは、哲学てつがくしゃ平静へいせい無関心むかんしんではなく、ふか充足じゅうそくからるものだという描写びょうしゃになっている。

快楽かいらく苦痛くつうついはなしは、一見いっけん雑談ざつだんのようだが、のちに展開てんかいされる「反対はんたいからの生成せいせい」の議論ぎろん伏線ふくせんとなっている。プラトンPlatōn構成こうせいりょくがうかがえる箇所かしょだ。

ここまでの序幕じょまくととのい、ケベスKebēsいをきっかけに、本格ほんかくてき哲学てつがくてき議論ぎろんはじまる。

3. 哲学てつがく練習れんしゅう(61c〜69e)

ケベスKebēsう。自殺じさつゆるされないなら、なぜソクラテスSōkratēsよろこぶのか。ソクラテスSōkratēsこたえは二段階にだんかいだ。第一だいいちに、人間にんげん神々かみがみ所有しょゆうぶつであり、勝手かってみずからのいのちつことはゆるされない(62b-c)。第二だいにに、哲学てつがくしゃ生涯しょうがいつうじてたましい身体しんたいから分離ぶんりするいとなみをおこなっている。しん感覚かんかくによってはられず、身体しんたいたましい認識にんしきさまたげる。だからたましい身体しんたい完全かんぜん分離ぶんり)は、哲学てつがくしゃもとつづけてきたものの成就じょうじゅなのだ(64a-67d)。

ここで提示ていじされる中心ちゅうしん概念がいねんみっつある。第一だいいち哲学てつがく=「練習れんしゅう」(μελέτη θανάτου, メレテー・タナトゥーmeletē thanatou)という命題めいだい第二だいに定義ていぎ(「たましい身体しんたい分離ぶんり」、χωρισμός, コーリスモスchōrismos)である。そして第三だいさんに、哲学てつがくとはたましいの「浄化じょうか」(κάθαρσις, カタルシスkatharsis)だという主張しゅちょう。つまり、哲学てつがくをするとは日々ひびすこしずつ身体しんたい束縛そくばくからたましいはないとなみであり、はその完成かんせい(いわば卒業そつぎょうのようなもの)だということになる。現代げんだい感覚かんかくからすれば極端きょくたんこえるが、ソクラテスSōkratēsがここでべているのは、感覚かんかくたよらず思考しこうだけで真理しんりかおうとする態度たいどのことであり、それは今日こんにち学問がくもんてき探究たんきゅうにもつうじるものがある。

この議論ぎろんには、身体しんたいへの極端きょくたん不信ふしんふくまれている。感覚かんかくあざむき、欲望よくぼう思考しこうくもらせ、戦争せんそうさえも身体しんたい欲求よっきゅう由来ゆらいする(66c-d)。これは強烈きょうれつ主張しゅちょうだ。現代げんだい読者どくしゃにはれがたいかもしれない。わたしたちは身体しんたいとおして世界せかいり、身体しんたいとおして他者たしゃかかわる。ニーチェNietzscheが「身体しんたいこそがおおいなる理性りせいである」と宣言せんげんしたとき、批判ひはん矛先ほこさきはまさにこのしゅ身体しんたい蔑視べっしけられていた。ただし注意ちゅういすべきは、ここでの主張しゅちょう対話たいわのなかのいち段階だんかいであり、プラトンPlatōn最終さいしゅうてき立場たちば同一どういつすべきではないということだ。後期こうきの『ティマイオスTimaios』では、プラトンPlatōn宇宙うちゅう身体しんたいせい積極せっきょくてき意味いみあたえている。『パイドンPhaidōn』の身体しんたい蔑視べっしは、あくまでまえにした極限きょくげん状況じょうきょうでの議論ぎろんであり、戦略せんりゃくてき必要ひつようがある。

こうした前提ぜんていのもとで、ケベスKebēs具体ぐたいてき論証ろんしょうもとめる。最初さいしょ提示ていじされるのが「反対はんたいからの生成せいせい」の議論ぎろんだ。

4. 第一だいいち論証ろんしょう反対はんたいからの生成せいせい(69e〜72e)

ケベスKebēsもとめる。哲学てつがくしゃおそれないための根拠こんきょしめしてほしい、と。ソクラテスSōkratēsふる教説きょうせつきつつ、自然しぜん一般いっぱん法則ほうそくからろんじる。あらゆるものは、反対はんたいのものからまれる。おおきいものはちいさいものから、はやいものはおそいものからまれる。同様どうように、せいきているものはんだものからまれ、んだものはきているものからまれる(70c-72a)。

この論証ろんしょう整理せいりすると、つぎのような段階だんかいむ。(1)反対はんたいのものは反対はんたいのものからまれる。(2)「きている」と「んでいる」は反対はんたいである。(3)ゆえにんだものからきたものがまれ、きたものからんだものがまれる。(4)もしこの循環じゅんかんたなければ、すべてのものは最終さいしゅうてき状態じょうたいにとどまり、せい消滅しょうめつしてしまう。季節きせつはるなつあきふゆめぐるように、せいもまた循環じゅんかんするはずだ。これが論証ろんしょう骨子こっしである。

この論証ろんしょう自然しぜん哲学てつがくてき前提ぜんてい依存いぞんしている。「反対はんたいのものから反対はんたいのものがまれる」は古代こだいギリシャGreece自然しぜんがく共通きょうつう前提ぜんていだが、普遍ふへんてき法則ほうそくとしての根拠こんきょよわい。また、性質せいしつ変化へんかおおきい→ちいさい)と存在そんざい変化へんかせい)を同列どうれつあつかえるかという問題もんだいがある。

第一だいいち論証ろんしょう循環じゅんかん自然しぜんがく依拠いきょしていた。つぎ論証ろんしょうでは認識にんしきろんへと視点してんうつり、イデアideaろん萌芽ほうがあらわれる。

5. 第二だいに論証ろんしょう想起そうきせつ(72e〜77a)

ケベスKebēs想起そうきせつ(アナムネーシス、ἀνάμνησις)をす。まなぶとは、たましい以前いぜんっていたことをおもすことである。ソクラテスSōkratēsはこれを展開てんかいする。ふたつのひとしいぼうたとき、わたしたちは「ひとしさ自体じたい」(αὐτὸ τὸ ἴσον)をっている。しかし感覚かんかく世界せかいひとしさは不完全ふかんぜんだ。角度かくどわればひとしくえなくなる。わたしたちが不完全ふかんぜんさを認識にんしきできるのは、完全かんぜんな「ひとしさ自体じたい」をっているからだ。この知識ちしきまれるまえ獲得かくとくされたはずであり、たましい身体しんたいはいまえから存在そんざいしていたことになる(74a-76e)。

ここではじめて明確めいかく登場とうじょうするのが「想起そうき」(ἀνάμνησις, アナムネーシスanamnēsis)の概念がいねんであり、そしてそれをささえる「ひとしさ自体じたい」(αὐτὸ τὸ ἴσον)というイデアideaろん具体ぐたいれいである。この議論ぎろんがなぜ重要じゅうようかといえば、わたしたちが「完全かんぜんひとしさ」を一度いちど感覚かんかく経験けいけんしたことがないにもかかわらず、それがなにであるかをっているという事実じじつ着目ちゃくもくしているからだ。たとえば、どんなに精密せいみつつくられたふたつのぼう原子げんしレベルlevelではことなる。それでもわたしたちは「ひとしい」と判断はんだんできる。ソクラテスSōkratēsはそこに、感覚かんかくえた源泉げんせん(すなわちまれるまえたましいっていた記憶きおく)を見出みいだす。

想起そうきせつたましいの「せんざい」を論証ろんしょうするが、死後しご存続そんぞく直接ちょくせつには証明しょうめいしない。シミアスSimmiasもこのてん指摘してきしており(77b-c)、第一だいいち論証ろんしょうわせてはじめて「生前せいぜんにも死後しごにもたましい存在そんざいする」と結論けつろんできるとされる。また、「ひとしさ自体じたい」の存在そんざいみとめるかどうかが、この論証ろんしょう成否せいひける。

たましい先在せんざいしめしたうえで、ソクラテスSōkratēsつぎたましい性質せいしつ可視かしてきなものと不可視ふかしてきなものの区別くべつ)からの類比るいひ論証ろんしょうすすむ。

6. 第三だいさん論証ろんしょう類似るいじせい議論ぎろん(77a〜80d)

ソクラテスSōkratēs存在そんざいするものをふたつにける。えるもの(可視かしてきなもの)とえないもの(不可視ふかしてきなもの)。身体しんたい可視かしてきで、変化へんかし、消滅しょうめつする。イデアidea不可視ふかしてきで、不変ふへんで、永遠えいえんだ。たましいはどちらにているか。たましいえず、思考しこうによって不変ふへん真理しんりとらえる。したがってたましい不可視ふかしてき不変ふへん神的しんてきなものに類似るいじし、消滅しょうめつしにくいと推論すいろんされる(78b-80c)。

これは厳密げんみつには類比るいひアナロジーanalogy)であり、論証ろんしょうとしてのちからかぎられている。「ている」ことは「おなじである」ことを意味いみしない。かげひとに「て」いるが、ひとればかげえる。たましいがイデアに「ている」としても、それだけでは不死ふし証明しょうめいにはならないのだ。ソクラテスSōkratēs自身じしんもこの論証ろんしょうだけで十分じゅうぶんだとはかんがえておらず、直後ちょくごシミアスSimmiasケベスKebēsから強力きょうりょく反論はんろんけることになる。

ここで対話たいわおおきな転換てんかんてんむかえる。みっつの論証ろんしょういたシミアスSimmiasケベスKebēsが、それぞれあざやかな比喩ひゆもちいて反撃はんげきるのだ。

7. シミアスSimmiasケベスKebēs反論はんろん(84c〜88b)

ここまでみっつの論証ろんしょうかさねられてきた。聴衆ちょうしゅう次第しだい説得せっとくされつつあるようにえる。ところがここで、対話たいわ劇的げきてき転換てんかんむかえる。二人ふたりわか哲学てつがくしゃが、それぞれあざやかな比喩ひゆ武器ぶき反撃はんげきるのだ。

まずシミアスSimmiasくちひらく。たましいは「竪琴たてごと調しらべ」(ἁρμονία, ハルモニアharmonia)のようなものではないか、と。竪琴たてごとげんでできた物体ぶったいだが、その調しらべはえず、うつくしく、神的しんてきにさえおもえる。しかし竪琴たてごとこわれれば調しらべはえる。同様どうように、身体しんたいこわれればたましい消滅しょうめつするのではないか(85e-86d)。この比喩ひゆおどろくほど現代げんだいてきだ。のうという物質ぶっしつから意識いしきという物質ぶっしつてきなものがまれる。しかしのう機能きのう停止ていしすれば意識いしきえる。というのは、まさに現代げんだい神経しんけい科学かがく標準ひょうじゅんてき見方みかただからである。

ケベスKebēs反論はんろんたましい身体しんたいより長命ちょうめいかもしれない。しかし「織物師おりものし外套がいとう」のたとえのように、織物師おりものし何枚なんまいもの外套がいとうつくつぶすが、最後さいごつくった外套がいとうのこしてぬ。同様どうように、たましい何度なんどかの身体しんたい使つかたしたあと、最終さいしゅうてきには消耗しょうもうしてほろびるのではないか(87a-88b)。

シミアスSimmias反論はんろん現代げんだい心身しんしん問題もんだいにおける随伴ずいはん現象げんしょうせつエピフェノメナリズムepiphenomenalism)につうじる。意識いしきのう機能きのう副産物ふくさんぶつであるなら、のう停止ていしすれば意識いしきえる。ケベスKebēs反論はんろんたましい永遠えいえんせいではなく耐久たいきゅうせい問題もんだいにしているてんで、より根本こんぽんてきだ。

このふたつの反論はんろんによって聴衆ちょうしゅう確信かくしんらぐ。ソクラテスSōkratēsはまず議論ぎろんへの態度たいどそのものをなおし、そのうえでふたた論証ろんしょうかう。

8. ミソロギアmisologiaへの警告けいこく知的ちてき自伝じでん(88b〜102a)

ふたつの反論はんろん聴衆ちょうしゅう動揺どうようする。パイドンPhaidōnは、これまでの議論ぎろんがすべてくつがえされたような不安ふあんかんじたとかたる。ここでソクラテスSōkratēs重要じゅうよう警告けいこくはっする。「ミソロギアmisologia」(議論ぎろんぎらい)におちいってはならない、と。議論ぎろん裏切うらぎられたからといって論理ろんりそのものをにくむのは、人間にんげん裏切うらぎられたからといって人間にんげんそのものをにくむ「ミサントロピアmisanthrōpia」(人間にんげんぎらい)とおなあやまちだ(89c-91c)。

つづいてソクラテスSōkratēsシミアスSimmiasの「調しらせつ」に反駁はんばくする。たましいたんなる調和ちょうわであるなら、たましいわるたましい区別くべつができない(93a-94b)。また、たましい身体しんたい欲求よっきゅうさからうことができるが、調和ちょうわ楽器がっきさからうことはない(94b-e)。さらに、想起そうきせつ調しらせつ両立りょうりつしない──想起そうきせつではたましい身体しんたいよりまえ存在そんざいするが、調和ちょうわ楽器がっきあとにしかじない(92a-c)。

ケベスKebēsへの応答おうとうにあたって、ソクラテスSōkratēsみずからの知的ちてき遍歴へんれきかたる。わかころアナクサゴラスAnaxagoras自然しぜんがく期待きたいしたが、ヌースnous知性ちせい)が世界せかい原因げんいんだといながら、実際じっさいには空気くうきみずのような物質ぶっしつてき原因げんいん説明せつめいするだけだった。失望しつぼうしたソクラテスSōkratēsは「第二だいに航海こうかい」(δεύτερος πλοῦς, 99d)として、直接ちょくせつ事物じぶつるのではなく、言論げんろんロゴスlogos)をつうじて真理しんりさが方法ほうほうてんじた。これがイデアideaろんへとつながる(96a-100a)。

このせつ登場とうじょうするふたつの概念がいねんは、対話たいわへん全体ぜんたいのなかでも格別かくべつおもみをつ。ひとつは「ミソロギアmisologia」(μισολογία、議論ぎろんぎらい)──議論ぎろん裏切うらぎられた経験けいけんから論理ろんりそのものへの信頼しんらいうしなうことである。もうひとつは「第二だいに航海こうかい」(δεύτερος πλοῦς)──事物じぶつ直接ちょくせつるのではなく、言論げんろんロゴスlogos)をとおして真理しんりせまるという方法ほうほうろんてき転換てんかんである。このふたつはついになっている。ミソロギアmisologiaは「議論ぎろんをやめること」への警告けいこくであり、「第二だいに航海こうかい」は「議論ぎろんのやりかたえること」の提案ていあんだ。失敗しっぱいしたからといって探究たんきゅう放棄ほうきするのではなく、より方法ほうほう再出さいしゅつぱつせよ──これは哲学てつがく精神せいしんそのものだろう。

ミソロギアmisologia警告けいこくは、個々ここ論証ろんしょう成否せいひえて、この対話たいわへんのもっとも重要じゅうよう哲学てつがくてき遺産いさんのひとつだろう。かんがえてみれば、この警告けいこく自己じこ言及げんきゅうてきでもある──もしパイドンPhaidōnよっつの論証ろんしょうがすべて失敗しっぱいしているとしても、だからといって哲学てつがくてき探究たんきゅうをやめてよいわけではない。論証ろんしょう破綻はたんしたら、よりよい論証ろんしょうさがせばよいのだ。「第二だいに航海こうかい」は、まさにそうしたプラトンPlatōn哲学てつがく方法ほうほうろんてき宣言せんげんである。直接ちょくせつ事物じぶつることでくよりも、言論げんろん反射はんしゃとおして真理しんりせまる──日食にっしょく水面すいめんうつして観察かんさつするように(99d-e)。この比喩ひゆは、西洋せいよう哲学てつがくにおける方法ほうほうろんてき転換てんかんてんとしてしばしば引用いんようされる。

反論はんろん退しりぞけ、イデアideaろん基盤きばん確立かくりつしたソクラテスSōkratēsは、いよいよもっと精緻せいち第四だいよん論証ろんしょうへとむ。

9. 第四だいよん論証ろんしょうイデアideaからの最終さいしゅう論証ろんしょう(102a〜107b)

もっと精緻せいち論証ろんしょう展開てんかいされる。まず、イデアideaみずからの反対はんたいれない。「おおきさ自体じたい」はけっしてちいさくならない。ゆきは「つめたさ」を本質ほんしつてきびており、ねつちかづけば退しりぞくか消滅しょうめつする。同様どうように、たましいは「生命せいめい」を本質ほんしつてきびている。生命せいめい反対はんたいである。ゆえにたましいれることができない──たましいは「不死ふし」(ἀθάνατον, アタナトンathanaton)である(105c-106d)。

この論証ろんしょう段階だんかいてきってみよう。(1)イデアideaみずからの反対はんたいれない。(2)あるイデアidea本質ほんしつてきびるものは、そのイデアの反対はんたいをもれない。(3)たましい生命せいめいイデアidea本質ほんしつてきびる。(4)生命せいめい反対はんたいである。(5)ゆえにたましいれない。(6)れないもの(不死ふしなもの)は不滅ふめつである。(7)ゆえにたましい不滅ふめつである。見事みごと三段さんだん論法ろんぽう連鎖れんさだが、たしてこの推論すいろんあながないだろうか。

最大さいだい弱点じゃくてんはステップ(6)にある。「不死ふし」がすなわち「不滅ふめつ」を意味いみするかどうかは自明じめいではない。ゆきねつれないが、けて消滅しょうめつする。同様どうように、たましいれずに「退しりぞく」だけかもしれない──しかし退しりぞいたさき消滅しょうめつするのかもしれない。ケベスKebēsもこのてんみとめつつ、不死ふしなものが不滅ふめつでなければなに不滅ふめつではないだろうと譲歩じょうほしている(106d)。

よっつの論証ろんしょうそろった。しかしソクラテスSōkratēs議論ぎろんじるのではなく、神話しんわちからりて、論証ろんしょうではかたりきれないものをえがす。

10. 死後しご神話しんわ最期さいご場面ばめん(107c〜118a)

論証ろんしょうわると、ソクラテスSōkratēs死後しごたましい運命うんめいについて壮大そうだい神話しんわ(μῦθος)をかたる。大地だいち巨大きょだい球体きゅうたいで、わたしたちはくぼみのなかにんでいる。しん大地だいち表面ひょうめんにはくらべものにならないほどうつくしい世界せかいひろがっている。ただしくきたたましいはそこへき、哲学てつがくによって十分じゅうぶん浄化じょうかされたたましいはさらにうえ場所ばしょいたる(108c-114c)。

ソクラテスSōkratēsはこうことわる──「知性ちせいあるものわたしかたったとおりだと固執こしゅうはしないだろう。しかし、たましい不死ふしであるかぎり、このようなものか、これにたものであることをえてしんじることは、よいけである」(114d)。この言葉ことば注目ちゅうもくあたいする。ソクラテスSōkratēs神話しんわ真実しんじつとしてかたっているのではない。確実かくじつではないが、しんじるにる「け」としてかたっている。ここには、論証ろんしょう限界げんかいりつつなお希望きぼう手放てばなさない、という哲学てつがくしゃ姿勢しせい凝縮ぎょうしゅくされている。

対話たいわはいよいよ最後さいご場面ばめんへとかう。ソクラテスSōkratēsおく部屋へや沐浴もくよくし、三人さんにん息子むすこ二人ふたり親族しんぞく女性じょせい最後さいご言葉ことばつたえたのち、友人ゆうじんたちのもとにもどる。はすでにかたむいている。看守かんしゅがやってきてなみだながらにわかれをげる──「あなたはわたしがこれまでなかもっと高潔こうけつで、もっとおだやかで、もっと善良ぜんりょうひとだ」(116c)。ソクラテスSōkratēsおだやかにうなずき、どくさかずきヘムロックkōneion)をる。

友人ゆうじんたちはもうえきれない。アポロドロスApollodōrosはそれまでもつづけていたが、ソクラテスSōkratēsさかずきすのを大声おおごえ号泣ごうきゅうし、そのにいた全員ぜんいんせきったようにくずれた──クリトンKritōnのぞいて。ソクラテスSōkratēsはこうしかる。「いったいなにをしているのだ、不思議ふしぎひとたちよ。女性じょせいたちをさきかえしたのは、こういうことにならないためだったのに」(117d-e)。友人ゆうじんたちはじてなみだめる。

ソクラテスSōkratēs指示しじされたとおりにあるまわり、あしおもくなると仰向あおむけによこになる。看守かんしゅ足先あしさきをつまみ、感覚かんかくがあるかとたずねる。ない、とソクラテスSōkratēsこたえる。どくあしから徐々じょじょうえへとひろがっていく。やがて腹部ふくぶたっしたころソクラテスSōkratēsかおにかけていたぬのり、最後さいご言葉ことばくちにする。「クリトンKritōnアスクレピオスAsklēpiosにわとり一羽いちわりていた。わすれずにかえしておいてくれ」(118a)。

この最後さいご言葉ことばほど、古来こらいおおくの解釈かいしゃくんだ一文いちぶんはない。アスクレピオスAsklēpios医術いじゅつかみであり、やまいえたときににわとりささげるのが古代こだいギリシャGreece慣習かんしゅうだった。ニーチェNietzscheはここにふか皮肉ひにくった──「ソクラテスSōkratēsせいやまいなしていた」(『よろこばしき知識ちしき』340せつ)。きていることがやまいであり、がその治癒ちゆだ、と。もしそうなら、対話たいわへん全体ぜんたいにわたって展開てんかいされたへの平静へいせいは、せいへのふか嫌悪けんお裏返うらがえしということになる。しかしおおくの研究けんきゅうしゃべつ解釈かいしゃくる。たん文字通もじどおりの借金しゃっきん返済へんさいをクリトンにたくしただけかもしれないし、あるいは「哲学てつがくという治療ちりょう」が今日きょう完成かんせいしたことへの感謝かんしゃかもしれない。いずれにせよ、このなぞめいた一言ひとこと対話たいわへん最後さいごであるということ──哲学てつがくてき議論ぎろんでもなく崇高すうこう遺言ゆいごんでもなく、日常にちじょうてき用事ようじのようなひとこと──が、読者どくしゃを2400ねんにわたってきつけてきた。

パイドンPhaidōn最後さいごにこうかたる。「これが我々われわれとも最期さいごであった。我々われわれかぎり、当時とうじ人々ひとびとのなかでもっとく、もっとかしこく、もっとただしいひとであった」(118a)。この一文いちぶん対話たいわへんしずかにまくじる。

核心かくしん概念がいねん論証ろんしょう骨格こっかく

パイドンPhaidōn』のよっつの論証ろんしょうは、それぞれことなる前提ぜんていっている。

  • 第一だいいち論証ろんしょう反対はんたいからの生成せいせい)── 自然しぜんがくてき前提ぜんてい変化へんか循環じゅんかんする
  • 第二だいに論証ろんしょう想起そうきせつ)── 認識にんしきろんてき前提ぜんてい先天せんてんてき知識ちしき存在そんざいする
  • 第三だいさん論証ろんしょう類似るいじせい)── 存在そんざいろんてき類比るいひ不可視ふかしのものは不滅ふめつちか
  • 第四だいよん論証ろんしょうイデアideaからの論証ろんしょう)── 形而上けいじじょうがくてき前提ぜんていイデアidea反対はんたいれない

いずれの論証ろんしょう現代げんだい基準きじゅんでは決定けっていてきではない。しかし重要じゅうようなのは、反論はんろんけるたびによりふか理論りろんてき基盤きばん──最終さいしゅうてきにはイデアideaろん──が必要ひつようとされるという対話たいわ構造こうぞうだ。プラトンPlatōn論証ろんしょう不十分ふじゅうぶんさをかくさず、むしろそれを対話たいわ原動力げんどうりょくとして活用かつようしている。哲学てつがく結論けつろん到達とうたつすることではなく、いをふかめるプロセスそのものにある──『パイドンPhaidōn』は、その実例じつれいとしてむことができるだろう。

主要しゅよう解釈かいしゃく論争ろんそう

1. 論証ろんしょう成功せいこうしているか古代こだいから現代げんだいまで、よっつの論証ろんしょうのいずれかが決定けっていてきたましい不死ふし証明しょうめいしているとする研究けんきゅうしゃすくない。デイヴィッド・ギャロップDavid Gallop(1975)はかく論証ろんしょう弱点じゃくてん丹念たんねん分析ぶんせきし、プラトンPlatōn自身じしん弱点じゃくてん自覚じかくしていた可能かのうせいろんじている。

2. プラトンPlatōn本気ほんきしんじていたかソクラテスSōkratēs神話しんわまえに「知性ちせいあるものはこのとおりだと固執こしゅうはしない」(114d)と留保りゅうほをつけている。一部いちぶ研究けんきゅうしゃは、プラトンPlatōnたましい不死ふし確信かくしんとして主張しゅちょうしているのではなく、哲学てつがくてき探究たんきゅう実演じつえんおこなっているのだと解釈かいしゃくする。

3. 身体しんたい蔑視べっし問題もんだい哲学てつがくを「身体しんたいからの解放かいほう」と定義ていぎする議論ぎろんは、ニーチェNietzscheやフェミニスト哲学てつがくからつよ批判ひはんけてきた。ただしプラトンPlatōn後期こうき対話たいわへん(『ティマイオスTimaios』など)では身体しんたいへの評価ひょうかがより積極せっきょくてきになっており、『パイドンPhaidōn』の立場たちばプラトンPlatōn最終さいしゅう見解けんかい即断そくだんすべきではない。

4. ピュタゴラスPythagorasとの関係かんけい対話たいわ相手あいてシミアスSimmiasケベスKebēsテーバイThēbaiピュタゴラスPythagoras哲学てつがくしゃピロラオスPhilolaos弟子でしである。輪廻りんね転生てんせいたましい浄化じょうかといった主題しゅだいピュタゴラスPythagoras影響えいきょう色濃いろこ反映はんえいしており、どこまでが歴史れきしてきソクラテスSōkratēsで、どこからがプラトンPlatōn独自どくじ思想しそうかは議論ぎろんつづいている。

この書物しょもつ影響えいきょう

古代こだいアリストテレスAristotelēsは『パイドンPhaidōn』のイデアideaろん正面しょうめんから批判ひはんした(『形而上学Metaphysica』Aかん)。とりわけ「分離ぶんりされたイデアが個物こぶつ原因げんいんであるとはえない」という批判ひはんは、第四だいよん論証ろんしょう前提ぜんてい直撃ちょくげきする。しんプラトンPlatōn主義しゅぎプロティノスPlotinosたましい不死ふし浄化じょうか主題しゅだい継承けいしょう発展はってんさせ、『エネアデスEnneades』IV.7「たましい不死ふしについて」では『パイドンPhaidōn』の論証ろんしょう再構さいこうせいしている。古代こだい末期まっきにはオリュンピオドロスOlympiodōrosによる詳細しょうさい注釈ちゅうしゃくかれ、ビザンツByzantion世界せかいつうじて後世こうせいつたえられた。

キリストChristきょう神学しんがく初期しょきキリストChristきょう教父きょうふたちは『パイドンPhaidōn』のたましい不死ふしろん聖書せいしょ復活ふっかつ信仰しんこうむすびつけた。アウグスティヌスAugustinusプラトンPlatōnてきたましいろんキリストChristきょうてき枠組わくぐみにんだ。ただし聖書せいしょの「身体しんたい復活ふっかつ」とプラトンPlatōnてきな「身体しんたいからの解放かいほう」には根本こんぽんてき緊張きんちょう関係かんけいがある。中世ちゅうせいトマス・アクィナスThomas Aquinasは『神学しんがく大全たいぜん』においてたましい不死ふしろんじるさいプラトンPlatōnてき論証ろんしょう参照さんしょうしつつ、アリストテレスAristotelēs質料しつりょう形相けいそうろんによって修正しゅうせいくわえた。

近代きんだい以降いこうデカルトDescartes心身しんしん二元にげんろんは『パイドンPhaidōn』のたましい身体しんたい分離ぶんりろん近代きんだいばんともめる。カントKantたましい不死ふし理論りろん理性りせいでは証明しょうめいできないとしつつ、実践じっせん理性りせいの「要請ようせい」として保持ほじした──『純粋じゅんすい理性りせい批判ひはん』の「誤謬ごびゅう推理すいり」のしょうでは、まさにパイドンPhaidōnがたたましい不死ふしろんしょう批判ひはんされている。現代げんだいこころ哲学てつがくでは、シミアスSimmiasの「調しらせつ」とその反駁はんばくが、機能きのう主義しゅぎ心的しんてき因果いんがをめぐる議論ぎろん先駆せんくとして注目ちゅうもくされている。

現代げんだいへの接続せつぞく

第一だいいちに、意識いしきの「ハード・プロブレム」のう科学かがく神経しんけい活動かつどう意識いしき経験けいけん相関そうかんあきらかにしつつあるが、なぜ物理ぶつりてき過程かていから主観しゅかんてき経験けいけんじるのかという問題もんだい解決かいけつされていない。シミアスSimmiasの「調しらせつ」をめぐる議論ぎろんは、意識いしきのう機能きのう還元かんげんできるかという現代げんだいいに直結ちょっけつしている。

第二だいにに、哲学てつがく終末しゅうまつ医療いりょうホスピスhospice現場げんばで、おそれずにれるとはどういうことかといういは切実せつじつだ。ソクラテスSōkratēs態度たいど現代げんだいにそのままむことはできないが、のぞんで理性りせい手放てばなさないという姿勢しせい参照さんしょうてんでありつづけている。

第三だいさんに、議論ぎろんぎらい」への抵抗ていこう。SNS時代じだい分断ぶんだんのなかで、議論ぎろんつかれて対話たいわそのものを放棄ほうきする傾向けいこうひろがっている。「なにっても無駄むだだ」「はないは時間じかん無駄むだだ」──こうした感覚かんかくは、まさにソクラテスSōkratēs警告けいこくした「ミソロギアmisologia」そのものである。わる議論ぎろん出会であったからといって、議論ぎろんそのものをきらってはならない。問題もんだい議論ぎろんにあるのではなく、議論ぎろん仕方しかたにある──これは現代げんだい社会しゃかいにとってもっとも切実せつじつ教訓きょうくんかもしれない。

第四だいよんに、AI時代じだいの「たましい」とはなに大規模だいきぼ言語げんごモデルmodel人間にんげんのように「かんがえ」「かたる」今日こんにち意識いしき知性ちせいとはなにかといういがあらたな緊急きんきゅうせいびている。もしAIが「知的ちてきう」のにたましい必要ひつようとしないなら、わたしたちはなにをもって人間にんげん特別とくべつさを主張しゅちょうするのか。シミアスSimmiasの「調しらせつ」──意識いしき物質ぶっしつ構成こうせいからまれる付随ふずい現象げんしょうにすぎない──は、AI時代じだいにこそもっともするどひびいかもしれない。

読者どくしゃへの

  • パイドンPhaidōn』のよっつの論証ろんしょうはいずれも決定けっていてきではない──にもかかわらず、ソクラテスSōkratēs平静へいせいむかえた。論証ろんしょう不完全ふかんぜんであってもしんじることは「よいけ」でありうるか。
  • 意識いしきのう機能きのうにすぎないなら、のう停止ていししたあとに「わたし」は存在そんざいしない。シミアスSimmiasの「竪琴たてごと調しらべ」の比喩ひゆただしいか。もしただしいなら、恐怖きょうふにどうえばよいか。
  • あなたが「もう議論ぎろんしても無駄むだだ」とかんじたことはあるか。ソクラテスSōkratēsミソロギアmisologiaへの警告けいこくは、そのときたすけになるだろうか。
  • もし今夜こんやぬとしたら、あなたはなにについてかたりたいか。ソクラテスSōkratēsのように哲学てつがくえらぶか。それともべつのことをえらぶか。

重要じゅうよう引用いんよう出典しゅってんつき)

"「ただしく哲学てつがくするものたちは、ぬことを練習れんしゅうしているのだ」。" 出典しゅってん:プラトン『パイドンPhaidōn──たましい不死ふしについて』67e/原文げんぶん:"οἱ ὀρθῶς φιλοσοφοῦντες ἀποθνῄσκειν μελετῶσι"
"「人間にんげんぎらいになるひとがいるように、議論ぎろんぎらいになるまい」。" 出典しゅってん:プラトン『パイドンPhaidōn──たましい不死ふしについて』89d/原文げんぶん:"μὴ μισολόγοι γενώμεθα [...] ὥσπερ οἱ μισάνθρωποι γιγνόμενοι"
"「クリトンKritōnアスクレピオスAsklēpiosにわとり一羽いちわりていた。わすれずにかえしておいてくれ」。" 出典しゅってん:プラトン『パイドンPhaidōn──たましい不死ふしについて』118a/原文げんぶん:"ὦ Κρίτων, τῷ Ἀσκληπιῷ ὀφείλομεν ἀλεκτρυόνα· ἀλλὰ ἀπόδοτε καὶ μὴ ἀμελήσητε."
"「これが我々われわれとも最期さいごであった。我々われわれかぎり、当時とうじ人々ひとびとのなかでもっとく、もっとかしこく、もっとただしいひとであった」。" 出典しゅってん:プラトン『パイドンPhaidōn──たましい不死ふしについて』118a/原文げんぶん:"ἥδε ἡ τελευτὴ [...] τοῦ ἑταίρου ἡμῖν ἐγένετο, ἀνδρός, ὡς ἡμεῖς φαῖμεν ἄν, τῶν τότε ὧν ἐπειράθημεν ἀρίστου καὶ ἄλλως φρονιμωτάτου καὶ δικαιοτάτου."

参考さんこう文献ぶんけん

  • 原典げんてん:Plato, Phaedo, in Platonis Opera, ed. J. Burnet, Oxford Classical Texts, vol. I, 1900.(ステファヌスStephanusばん57a-118a)
  • 邦訳ほうやく岩田いわた靖夫やすおやくパイドンPhaidōn──たましい不死ふしについて』岩波いわなみ文庫ぶんこ、1998ねん(2025ねん改版かいはん)。
  • 邦訳ほうやく納富のうとみ信留のぶるやくパイドンPhaidōn──たましいについて』光文社こうぶんしゃ古典こてん新訳しんやく文庫ぶんこ
  • 英訳えいやく注釈ちゅうしゃく:Gallop, David. Plato: Phaedo. Oxford: Clarendon Press, 1975.── かく論証ろんしょう分析ぶんせき充実じゅうじつした定番ていばん注釈ちゅうしゃく
  • 研究けんきゅうしょ:Bostock, David. Plato's Phaedo. Oxford: Clarendon Press, 1986.── 論証ろんしょう論理ろんりてき構造こうぞう焦点しょうてんてた分析ぶんせき
  • 邦語ほうご研究けんきゅう内山うちやま勝利かつとし神崎かんざきしげる中畑なかはた正志まさしへんプラトンPlatōnまなひとのために』世界せかい思想しそうしゃ、2014ねん。── 『パイドンPhaidōn』をふくかく対話たいわへん概説がいせつ研究けんきゅう案内あんない
  • ウェブweb:Internet Encyclopedia of Philosophy, "Plato: Phaedo" (Tim Connolly). https://iep.utm.edu/phaedo/