1922ねん4がつ6むいかパリParisフランスFrance哲学てつがくかい。そのよる特別とくべつ講演こうえん登壇とうだんしたのは、相対そうたいせい理論りろん世界せかいふるわせた物理ぶつり学者がくしゃアルベルト・アインシュタインAlbert Einsteinだった。講演こうえん聴衆ちょうしゅうなかから一人ひとりいた哲学てつがくしゃがった。アンリHenriベルクソンBergson当時とうじ62さい、すでにヨーロッパEuropa最大さいだい知的ちてき名声めいせいほこ思想しそうだった)。

ベルクソンBergsonおだやかに、しかし明確めいかくとなえた。物理ぶつりがく測定そくていする「時間じかん」は、わたしたちが実際じっさいきている「時間じかん」ではない。アインシュタインEinsteinみじかくこうおうじた。「哲学てつがくしゃ時間じかん存在そんざいしない」。会場かいじょうしずまりかえった。

この一夜いちやは、20世紀せいき歴史れきしにおける分水ぶんすいれいだった。以後いご時間じかんについての発言はつげんけん物理ぶつりがくうつり、ベルクソンBergson急速きゅうそくわすられていく。だがかれいはえなかった。むしろ21世紀せいきはいり、意識いしき科学かがく時間じかん知覚ちかく研究けんきゅうすすむにつれ、ベルクソンBergson洞察どうさつあらたなひかりびている。

時計とけいきざ時間じかんと、わたしたちがきている時間じかんのあいだには、めがたいみぞがある。このみぞ最初さいしょ哲学てつがく中心ちゅうしん問題もんだいえたのがベルクソンBergsonだった。科学かがく万能ばんのう時代じだいに「きられた経験けいけん」はけっして科学かがく解消かいしょうできないとうったえたこの哲学てつがくしゃは、いまなにかたりかけているのか。

この記事きじ要点ようてん

  • 持続じぞくデュレduréeベルクソンBergsonは、時計とけいはか均質きんしつ時間じかんと、意識いしきのなかできられる質的しつてき連続れんぞくてき時間じかん持続durée)を峻別しゅんべつした。この区別くべつは、科学かがくではとらえきれない人間にんげん経験けいけん固有こゆうそうがあることをしめし、現代げんだい意識いしき研究けんきゅう時間じかん知覚ちかく問題もんだい直結ちょっけつしている。
  • 直観ちょっかんアンテュイシオンintuition)と知性ちせいアンテレクトintellect知性ちせい世界せかい分割ぶんかつ固定こていして把握はあくするが、実在じつざい流動りゅうどうせいをそのままにはとらえられない。直観ちょっかんこそが持続じぞく直接ちょくせつれる方法ほうほうだとベルクソンBergsonろんじた。これははん知性ちせい主義しゅぎではなく、知性ちせい限界げんかい見定みさだめたうえで哲学てつがく独自どくじ方法ほうほう確立かくりつするこころみだった。
  • エラン・ヴィタルélan vitalせい躍動やくどう進化しんか機械きかいてき適応てきおう蓄積ちくせきでもなく、あらかじめめられた目的もくてきへの収斂しゅうれんでもない。予測よそく不可能ふかのう創造そうぞう本質ほんしつとする「せい躍動やくどう」が進化しんか駆動くどうするという大胆だいたん仮説かせつは、生物せいぶつがく還元かんげん主義しゅぎたいする哲学てつがくてき挑戦ちょうせんでありつづけている。

生涯しょうがい時代じだい背景はいけい

アンリHenriベルクソンBergsonは1859ねん10がつ18にちパリParisまれた。ちちミシェルMichelポーランドPolandけいユダヤJewishじん音楽おんがくははキャサリンKatherineイギリスEnglandけいユダヤJewishじんだった。幼少ようしょう一時いちじロンドンLondonごしたあと、9さいパリParisもどり、名門めいもんリセ・コンドルセLycée Condorcet入学にゅうがくする。

少年しょうねんベルクソンBergson数学すうがく傑出けっしゅつした才能さいのうしめし、全国ぜんこく数学すうがくコンクールconcours入賞にゅうしょうするほどだった。周囲しゅうい理系りけいみちすすめたが、かれ哲学てつがくえらんだ。数学すうがく教師きょうしは「数学すうがく裏切うらぎった」となげいたという。しかしこの選択せんたく偶然ぐうぜんではない。数学すうがく内部ないぶから数学すうがくてき思考しこう限界げんかいかんったことが、のちの「知性ちせい限界げんかい」という主題しゅだい直結ちょっけつしていく。

1878ねんエコール・ノルマル・シュペリウールÉcole Normale Supérieure入学にゅうがくする。同期どうきには社会しゃかい学者がくしゃエミール・デュルケームÉmile Durkheim政治せいじジャン・ジョレスJean Jaurèsがいた。当時とうじフランスFrance哲学てつがくかいスペンサーSpencer進化しんかろんてき実証じっしょう主義しゅぎカントKant主義しゅぎふたつの潮流ちょうりゅう支配しはいされていた。ベルクソンBergsonわかころスペンサーSpencer傾倒けいとうしていたが、やがてその時間じかん概念がいねんあささにづく。スペンサーSpencerは「進化しんか」をかたりながら、時間じかん本当ほんとう意味いみ真剣しんけんめていない。この発見はっけんベルクソンBergson哲学てつがく出発しゅっぱつてんとなる。

1881ねん哲学てつがく教授きょうじゅ資格しかくアグレガシオンagrégation)を取得しゅとく地方ちほうリセlycée高等こうとう中学ちゅうがくこう)で教壇きょうだんった。アンジェAngers、ついでクレルモン=フェランClermont-Ferrandおしえながら、最初さいしょ主著しゅちょ意識いしき直接ちょくせつあたえられたものについての試論しろん』(1889ねん)を博士はかせ論文ろんぶんとして完成かんせいさせる。この著作ちょさくかれは「持続じぞく」の概念がいねんはじめて体系たいけいてき提示ていじし、心理しんりがくにおける決定けっていろん自由じゆう意志いし問題もんだい根底こんていからえた。

1900ねんコレージュ・ド・フランスCollège de France教授きょうじゅ就任しゅうにんする。かれ講義こうぎパリParis知的ちてき事件じけんとなった。教室きょうしつ学生がくせいだけでなく、社交しゃこうかい貴婦きふじん芸術げいじゅつ外国がいこくからの知識ちしきじんあふかえり、交通こうつう渋滞じゅうたいこすほどだった。ウィリアム・ジェイムズWilliam JamesはわざわざパリParisまできに感嘆かんたんし、T.S.エリオットEliot聴講ちょうこうせい一人ひとりだった。

1907ねんの『創造そうぞうてき進化しんか』でベルクソンBergson名声めいせい頂点ちょうてんたっする。第一次だいいちじ世界せかい大戦たいせんちゅうにはフランスFrance政府せいふ密使みっしとしてアメリカAmerica訪問ほうもんし(1917ねん)、ウィルソンWilson大統だいとうりょう参戦さんせん決意けつい一定いってい影響えいきょうあたえたとされる。戦後せんご国際こくさい連盟れんめい知的ちてき協力きょうりょく国際こくさい委員いいんかいユネスコUNESCO前身ぜんしん)の初代しょだい委員いいんちょうつとめた。1927ねんノーベルNobel文学ぶんがくしょう受賞じゅしょうする。哲学てつがくしゃとしての受賞じゅしょうきわめて異例いれいであり、かれ散文さんぶんうつくしさが評価ひょうかされてのことだった。

しかし晩年ばんねん苦難くなん連続れんぞくだった。おも関節かんせつリウマチRheumaくるしみ、ほとんどうごけない状態じょうたいとなる。1940ねんナチスNaziドイツDeutschland占領せんりょうされたフランスFranceヴィシーVichy政権せいけんはんユダヤJewishほう施行しこうした。ベルクソンBergsonはその名声めいせいゆえに適用てきよう免除めんじょもうることもできたが、拒否きょひした。晩年ばんねんカトリックCatholicふか共感きょうかんいだいていたかれだが、迫害はくがいされるユダヤじんがわにとどまることをえらんだ。遺言ゆいごんにはこうある。「わたしはんユダヤJewish主義しゅぎ大波おおなみ世界せかいせるのをにして、迫害はくがいされようとしている人々ひとびとのもとにとどまりたいとおもった」。

1941ねん1がつ4よっかベルクソンBergson占領せんりょうパリParisぼっした。享年きょうねん81さい葬儀そうぎ簡素かんそなものだった。かつてヨーロッパEuropa最大さいだい知的ちてき名声めいせいほこった哲学てつがくしゃは、ほとんどわすられたかのようにった。

ミニ年表ねんぴょう

  • 1859ねんパリParisまれる(ちちポーランドPolandけいユダヤJewishじん音楽おんがくははイギリスEnglandけいユダヤJewishじん
  • 1878ねんエコール・ノルマル・シュペリウールÉcole Normale Supérieure入学にゅうがく
  • 1881ねん哲学てつがく教授きょうじゅ資格しかくアグレガシオンagrégation取得しゅとく地方ちほうリセlycée教職きょうしょく
  • 1889ねん:『意識いしき直接ちょくせつあたえられたものについての試論しろん』(博士はかせ論文ろんぶん刊行かんこう
  • 1896ねん:『物質ぶっしつ記憶きおく刊行かんこう
  • 1900ねんコレージュ・ド・フランスCollège de France教授きょうじゅ就任しゅうにん。『わらい』刊行かんこう
  • 1907ねん:『創造そうぞうてき進化しんか刊行かんこう国際こくさいてき名声めいせい頂点ちょうてん
  • 1914ねんアカデミー・フランセーズAcadémie française会員かいいん選出せんしゅつ
  • 1917ねんフランスFrance政府せいふ密使みっしとしてアメリカAmerica訪問ほうもん
  • 1922ねんアインシュタインEinstein時間じかんをめぐる論争ろんそう。『持続じぞく同時どうじせい』(Durée et simultanéitéデュレ・エ・シミュルタネイテ刊行かんこう
  • 1927ねんノーベルNobel文学ぶんがくしょう受賞じゅしょう
  • 1932ねん最後さいご主著しゅちょ道徳どうとく宗教しゅうきょう源泉げんせん刊行かんこう
  • 1940ねんヴィシーVichy政権せいけんはんユダヤJewishほう適用てきよう免除めんじょ拒否きょひ
  • 1941ねん占領せんりょうパリParis死去しきょ享年きょうねん81さい

ベルクソンBergsonなにうたのか

19世紀せいき後半こうはん科学かがく圧倒あっとうてき成功せいこうおさめていた。ニュートンNewton力学りきがく天体てんたい運動うんどう予測よそくし、熱力ねつりきがく蒸気じょうき機関きかんうごかし、ダーウィンDarwin進化しんかろん生命せいめい起源きげん自然しぜん法則ほうそく説明せつめいした。その延長えんちょうとして、人間にんげん意識いしきさえも物理ぶつりてき生理せいりてき法則ほうそく解明かいめいできるはずだ、という確信かくしんひろがっていた。

心理しんり物理ぶつりがく創始そうししゃグスタフ・フェヒナーGustav Fechnerは、感覚かんかく強度きょうどさえ数学すうがくてき測定そくていできると主張しゅちょうした。ベルクソンBergsonはこの前提ぜんてい疑問ぎもんげかける。かなしみが「2ばい」になるとは、いったいどういう意味いみか。よろこびの「おおきさ」を数値すうち比較ひかくできるのか。感情かんじょう意識いしき経験けいけんりょうてきあつかおうとするこころみの背後はいごには、ある暗黙あんもく前提ぜんていかくれている。あらゆるものを空間くうかんてきりょう還元かんげんできるはずだ、という前提ぜんていだ。ベルクソンBergsonはそれを見抜みぬいた。

ここからかれ根本こんぽんてきいがまれる。科学かがく前提ぜんていとする「空間くうかんされた時間じかん」と、意識いしきのなかで実際じっさいきられている「時間じかん」は、本当ほんとうおなじものなのか。

このいはかけほど素朴そぼくではない。もしふたつの「時間じかん」が根本こんぽんてきことなるなら、科学かがく実在じつざい一面いちめんしかとらえていないことになる。意識いしき自由じゆう生命せいめい創造そうぞう。これらを理解りかいするには、科学かがくとはことなる哲学てつがく固有こゆう方法ほうほう必要ひつようになる。ベルクソンBergsonはその方法ほうほうを「直観ちょっかん」とんだ。

核心かくしん理論りろん

1. 持続じぞくデュレdurée)── きられた時間じかん再発見さいはっけん

ベルクソンBergson哲学てつがく土台どだいとなる概念がいねんが「持続じぞく」(デュレdurée)である。一言ひとことえば、「持続じぞく」とは、時計とけいでははかれない、わたしたちが内側うちがわから体験たいけんしている時間じかんのことだ。それがどういうことか、じゅんってていこう。

まず時計とけい時間じかんおもかべてほしい。1びょう、2びょう、3びょう。つまり均質きんしつ単位たんい直線ちょくせんじょうならんでいる。1秒目びょうめわってから2秒目びょうめはじまり、2秒目びょうめわってから3秒目びょうめはじまる。この時間じかんかんでは、かく瞬間しゅんかんたがいに外的がいてきで、交換こうかん可能かのうで、空間くうかんてんのように並置へいちされている。

しかし、とベルクソンBergsonう。わたしたちが実際じっさい体験たいけんする時間じかんは、そのようなものだろうか。退屈たいくつ会議かいぎの1時間じかんと、したしい友人ゆうじんとの会話かいわの1時間じかんは、時計とけいうえではおなじ60ぷんだが、きられる経験けいけんとしてはまったく異質いしつだ。会議かいぎの1時間じかんはいつまでもわらないようにかんじ、たのしい会話かいわの1時間じかんまたたる。このちがいは錯覚さっかくではなく、時間じかんそのもののしつことなるのだ。ベルクソンBergsonはそうかんがえた。

ベルクソンBergsonこのんだもうひとつの比喩ひゆ旋律せんりつメロディーmelody)である。旋律せんりつくとき、わたしたちは個々ここおとをバラバラに知覚ちかくするのではない。まえおとつぎおとみ、全体ぜんたいひとつのながれとして体験たいけんされる。おとめてならなおせば楽譜がくふになるが、それは旋律せんりつそのものではない。楽譜がくふおと空間くうかんてきならべた記号きごうであり、時間じかんのなかでながれる旋律せんりつきた体験たいけんとは根本こんぽんてきことなる。持続じぞくとは、この旋律せんりつのような時間じかんのことだ。過去かこ現在げんざいのなかにつづけ、かく瞬間しゅんかんたがいに浸透しんとうい、質的しつてきことなる連続れんぞくす。

さらに『創造そうぞうてき進化しんか』では、「角砂糖かくざとう」の有名ゆうめい比喩ひゆもちいられる。コップのみず角砂糖かくざとうれて、それがけるのをつとき、わたしは「たねばならない」。この「つ」という焦燥しょうそうかん心理しんりてきおもみこそが、持続じぞく実体じったいである。物理ぶつりがく砂糖さとうけるまでの過程かてい数式すうしき計算けいさんできるが、そこには「わたしつ」という絶対ぜったいてき事実じつふくまれない。科学かがく時間じかんを「ながさ」として測定そくていするが、きられた時間じかんはつねに「しつ」として体験たいけんされるのだ。

科学かがくあつか時間じかんは、じつは「空間くうかんされた時間じかん」にすぎない。時間じかん数直線すうちょくせんうえならべた瞬間しゅんかん時間じかん空間くうかん変質へんしつする。測定そくていできるのは空間くうかんされた時間じかんだけであり、持続じぞくそのものは測定そくていあみをすりける。

この区別くべつみちび帰結きけつ重大じゅうだいだ。もし意識いしき本質ほんしつ持続じぞくであるなら、意識いしき空間くうかんして分析ぶんせきする科学かがくは、原理げんりてき意識いしき核心かくしんがすことになる。これは科学かがく否定ひていしているのではない。科学かがくがどこまで有効ゆうこうで、どこからさきとどかないのかを見極みきわめる作業さぎょうだ。

持続じぞく概念がいねんは、自由じゆう問題もんだいをも根底こんていからえる。決定けっていろんは、意識いしき状態じょうたいAが意識いしき状態じょうたいBを必然ひつぜんてきこすと主張しゅちょうする。だが持続じぞくのなかでは、「状態じょうたいA」と「状態じょうたいB」は分離ぶんりした固定こていてき単位たんいではない。Aが展開てんかいするうちにA自体じたい変質へんしつし、Bがまれる時点じてんではもはや出発しゅっぱつてんのAとはことなるものになっている。決定けっていろん前提ぜんていとする因果いんが連鎖れんさは、時間じかん空間くうかんしてはじめて成立せいりつする虚構きょこうなのだ。ベルクソンBergsonは『試論しろんだい3しょうでこうろんじた。

ではベルクソンにとって自由じゆうとはなにか。それは選択肢せんたくしAとBのあいだの選択せんたくではない。持続じぞくする自己じこそのものがえずあらたな自己じこしていく。その不断ふだん自己じこ創造そうぞうこそが、自由じゆう本質ほんしつだとベルクソンはかんがえた。今日きょうわたし昨日きのう経験けいけんけたうえであらたな一歩いっぽす。その一歩いっぽはあらかじめまっていたのではなく、持続じぞくする自己じこあつみのなかからまれてくる。それが自由じゆう経験けいけんなのだ。

2. 直観ちょっかんアンテュイシオンintuition)── 哲学てつがく固有こゆう方法ほうほう

持続じぞくとらえるための方法ほうほうが「直観ちょっかん」(アンテュイシオンintuition)である。ただしこれは神秘しんぴてきひらめきや合理ごうりてき直感ちょっかんのことではない。たとえば、したしい友人ゆうじんかなしんでいるとき、わたしたちはそのひと表情ひょうじょうこえ分析ぶんせきしてから「かなしいのだ」と判断はんだんするのではなく、そのかなしみに直接ちょくせつれるようにして理解りかいする。ベルクソンBergson直観ちょっかんとは、これにちかい(対象たいしょう内部ないぶき、その流動りゅうどう共感きょうかんてき参入さんにゅうする認識にんしき仕方しかた)。

ベルクソンBergsonは『形而上学けいじじょうがく入門にゅうもん』のなかで、これを「まち写真しゃしん何枚なんまいること」と「実際じっさいにそのまちあるくこと」のちがいにたとえている。知性ちせいによる分析ぶんせきは、まち様々さまざま角度かくどから撮影さつえいし、つなぎわせるようなものだ。どれほど写真しゃしんかずやしても、けっして「まちあるく」という絶対ぜったいてき経験けいけんそのものには到達とうたつできない。直観ちょっかんとは、まさにそのまち内部ないぶはいみ、対象たいしょう一体いったいする絶対ぜったいてき認識にんしきなのだ。

知性ちせいアンテレクトintellect)は対象たいしょう外側そとがわからる。分析ぶんせきし、分割ぶんかつし、概念がいねん整理せいりする。この操作そうさ実践じっせんてき行動こうどうには不可欠ふかけつだ。しかし代償だいしょうがある。分割ぶんかつするたびに、対象たいしょう連続れんぞくせいうしなわれる。ながれるみずですくえば、みずなかにあるが、ながれはえている。おなじように、ひと人生じんせい履歴りれきしょにまとめれば事実じじつ一覧いちらんられるが、そのひときてきた時間じかんながれ(なやみ、よろこび、まよいのつらなり)はそこにはあらわれない。知性ちせい実在じつざい固定こていして把握はあくするが、実在じつざいそのものは流動りゅうどうである。

直観ちょっかんはこの流動りゅうどう直接ちょくせつれようとする。ベルクソンBergson言葉ことばりれば、「対象たいしょうのなかにそのユニークで、したがって表現ひょうげんしえないものへの共感きょうかんによって移入いにゅうすること」(『形而上学けいじじょうがく入門にゅうもん』〔Introduction à la métaphysiqueアントロデュクシオン・ア・ラ・メタフィジーク〕1903ねん)である。

重要じゅうよう留保りゅうほがある。ベルクソンBergson知性ちせい否定ひていしているのではない。知性ちせい科学かがく技術ぎじゅつのためのすぐれた道具どうぐであり、直観ちょっかんもまた知性ちせい通過つうかしたのち到達とうたつされるものだ。問題もんだいは、知性ちせいてき認識にんしきだけが認識にんしきのすべてだとおもむことにある。哲学てつがく科学かがく延長えんちょうではなく、独自どくじ方法ほうほうつべきだ。これがベルクソンBergson主張しゅちょうである。

3. 記憶きおく── 過去かこえない

1896ねんの『物質ぶっしつ記憶きおく』は、持続じぞく概念がいねん心身しんしん問題もんだい展開てんかいした著作ちょさくだ。ベルクソンBergsonはまず記憶きおくふたつに区別くべつする。

ひとつは「習慣しゅうかん記憶きおく」だ。自転じてんしゃかた言語げんご使つかかたのように、かえしによって身体しんたいきざまれた記憶きおく。これはのう身体しんたいメカニズムmechanism依存いぞんする。

もうひとつは「純粋じゅんすい記憶きおく」だ。昨日きのう特定とくてい場面ばめんおもすとき、わたしたちは過去かこ特定とくてい瞬間しゅんかんに「む」。ベルクソンBergson大胆だいたん主張しゅちょうはこうだ。過去かこ経験けいけんはすべて保存ほぞんされている。のうのなかにではなく、持続じぞくそのもののなかに。これは一見いっけん奇妙きみょうこえるかもしれない。しかしベルクソンBergson真意しんいはこうだ。記憶きおくとはのうのどこかの「たな」に仕舞しまわれたファイルfileのようなものではない。持続じぞく(つまり過去かこ現在げんざいんでながつづける時間じかんながれそのもの)のなかに、過去かこつづけている。のう記憶きおくを「貯蔵ちょぞう」するのではなく、現在げんざい行動こうどう関連かんれんする記憶きおくだけを「選別せんべつ」して意識いしき浮上ふじょうさせるフィルターfilter役割やくわりたす。

物質ぶっしつ記憶きおく』にはもうひとつ、注目ちゅうもくすべき議論ぎろんがある。知覚ちかくについてだ。通常つうじょう知覚ちかくとは外界がいかい情報じょうほうのうが「る」ことだとかんがえられている。ベルクソンBergsonはこれを逆転ぎゃくてんさせた。知覚ちかくとは「付加ふか」ではなく「ざん」だと。世界せかいにはすでにイメージimage全体ぜんたいがある。のうはそこから、行動こうどう不要ふようなものをいて、のこったものだけを意識いしき浮上ふじょうさせる。知覚ちかく受動じゅどうてき受容じゅようではなく、実用じつようてき行動こうどうへの関心かんしんもとづく能動のうどうてき選別せんべつ実在じつざいフィルタリングfiltering)なのだ。日常にちじょうれいえば、みちあるいているとき、わたしたちは周囲しゅういのすべての情報じょうほう意識いしきしているわけではない。信号しんごういろくるま接近せっきんなど、行動こうどう必要ひつようなものだけがかびがり、のこりは背景はいけい退しりぞいている。ベルクソンBergsonによれば、知覚ちかくとはまさにそのような選別せんべつなのだ。

かれはこれを「さかさまの円錐えんすい」の説明せつめいした。円錐えんすい頂点ちょうてん現在げんざい知覚ちかく物質ぶっしつ世界せかいとの接点せってん)であり、底面ていめんかって過去かこ記憶きおく無限むげんひろがっている。ゆめているとき、のうフィルターfilter機能きのうよわまり、普段ふだん意識いしきのぼらない記憶きおくあふす。ベルクソンBergsonはこの現象げんしょうをそう説明せつめいする。

この立場たちば唯物ゆいぶつろんでも観念かんねんろんでもない。のう損傷そんしょうすれば記憶きおく想起そうきする能力のうりょくうしなわれるが、記憶きおくそのものがえるわけではない。ベルクソンBergsonはこうろんじた。20世紀せいき後半こうはんのう科学かがく、とりわけ失語症しつごしょう記憶きおく障害しょうがい研究けんきゅうは、ベルクソンBergson直観ちょっかん部分ぶぶんてきただしかったことをしめ唆している。のう記憶きおくの「場所ばしょ」ではなく「過程かてい」であるという見方みかたは、今日こんにち神経しんけい科学かがくでも有力ゆうりょく仮説かせつひとつだ。

4. エラン・ヴィタルélan vital── 生命せいめい創造そうぞうてき飛躍ひやく

1907ねんの『創造そうぞうてき進化しんか』でベルクソンBergsonは、持続じぞく概念がいねん生命せいめい全体ぜんたいへと拡張かくちょうする。進化しんか駆動くどうするちから、それが「エラン・ヴィタルélan vital」(「せい躍動やくどう」あるいは「せい飛躍ひやく」とやくされる概念がいねん)だ。

ベルクソンBergson進化しんかについてのふたつの既存きそん説明せつめい退しりぞける。ひとつは機械きかいろん自然しぜん選択せんたくによる偶然ぐうぜん変異へんい蓄積ちくせき進化しんか説明せつめいできるとする立場たちば)。もうひとつは目的もくてきろん進化しんかにはあらかじめさだめられた目的もくてきがあるとする立場たちば)。

機械きかいろん問題もんだいは、複雑ふくざつ器官きかん(たとえば)が偶然ぐうぜん微小びしょう変異へんい蓄積ちくせきだけで説明せつめいできるのか、というてんにある。しかも脊椎せきつい動物どうぶつ軟体なんたい動物どうぶつのように、まったくことなる進化しんか系統けいとう独立どくりつ類似るいじ器官きかん発達はったつさせている(収斂しゅうれん進化しんか)。純粋じゅんすい偶然ぐうぜんではこの一致いっち説明せつめいしにくい。目的もくてきろん説明せつめいできるが、進化しんか予測よそく不可能ふかのうせい(あらかじめ計画けいかくされていないあらたなものがあらわれる)を説明せつめいできない。

エラン・ヴィタルélan vitalは、このふたつの不十分ふじゅうぶん説明せつめいわる第三だいさんみちだ。生命せいめい根源こんげんてき創造そうぞう衝動しょうどううちち、物質ぶっしつ抵抗ていこうさからいながら、予測よそくできない方向ほうこう分岐ぶんきしていく。進化しんか設計せっけい実行じっこうではなく、即興そっきょう演奏えんそうている。音楽おんがく楽譜がくふなしに演奏えんそうするとき、つぎにどんなおとまれるかは演奏えんそうしゃ自身じしんにもからない。おなじように、生命せいめいすすみながらみずからのみちつくす。

ベルクソンBergsonエラン・ヴィタルélan vital分岐ぶんきみっつのおおきな方向ほうこう整理せいりしている。第一だいいち植物しょくぶつてき方向ほうこう──物質ぶっしつのなかにしずみ、太陽たいようこうたくわえてエネルギーenergy蓄積ちくせきする無感覚むかんかくせい)。うごかないが、そこには膨大ぼうだいエネルギーenergyたくわえられている。第二だいに本能ほんのう方向ほうこう昆虫こんちゅう典型てんけいてきな、対象たいしょう内側うちがわから把握はあくする能力のうりょく)。はち精密せいみつ六角ろっかくけいつくるのは、計算けいさん学習がくしゅうによるのではなく、対象たいしょうとの直接ちょくせつてきむすびつきによる。しかしそこに自己じこ意識いしきはない。第三だいさん知性ちせい方向ほうこう人間にんげん典型てんけいてきな、道具どうぐ製作せいさく空間くうかん操作そうさする能力のうりょく)。石器せっきからコンピュータcomputerいたるまで、人間にんげん道具どうぐつうじて環境かんきょうつくえてきた。

知性ちせい実践じっせんにおいて圧倒あっとうてき有利ゆうりだが、持続じぞくとらえることはできない。では直観ちょっかんとはなにか。ベルクソンBergsonはそれを、知性ちせいえて、本能ほんのうがもっていた「内側うちがわからの把握はあく」を自覚じかくてきもどこころみだと位置いちづけている(『創造そうぞうてき進化しんかだい2・3しょう)。

この概念がいねんには深刻しんこく批判ひはんもある。「エラン・ヴィタルélan vital」は具体ぐたいてきなにすのか。検証けんしょう可能かのう科学かがくてき仮説かせつなのか、それともたんなる比喩ひゆにすぎないのか。この批判ひはんのちくわしくろんじるが、ベルクソンBergson意図いと科学かがくわるべつ説明せつめい提供ていきょうすることよりも、機械きかいろんてき世界せかいかん限界げんかいしめすことにあった。

5. 道徳どうとく宗教しゅうきょう源泉げんせん── じた社会しゃかいひらかれた社会しゃかい

1932ねん、73さいベルクソンBergson発表はっぴょうした最後さいご主著しゅちょ道徳どうとく宗教しゅうきょう源泉げんせん』は、持続じぞく哲学てつがく社会しゃかい倫理りんり領域りょういき拡張かくちょうした。

ベルクソンBergson道徳どうとく宗教しゅうきょうをそれぞれふたつの源泉げんせんから区別くべつする。第一だいいちは「じた社会しゃかい」を維持いじするための「じた道徳どうとく」と「静的せいてき宗教しゅうきょう」だ。人間にんげん知性ちせいつがゆえに、社会しゃかいおきて疑問ぎもんいだき、利己りこてきる舞い、さらには恐怖きょうふ直面ちょくめんして虚無きょむおちい危険きけんがある。そこで自然しぜん人類じんるいに「虚構きょこう機能きのうファビュラシオンfabulation)」という防衛ほうえい本能ほんのうあたえた。神話しんわ迷信めいしん死後しご世界せかいといった虚構きょこうすことで、知性ちせいによる社会しゃかい解体かいたいふせぎ、集団しゅうだん強固きょうこ結束けっそくさせるのだ。しかし、この結束けっそくは「わたしたち」と「かれら」を区別くべつし、内部ないぶ平和へいわ外部がいぶへの戦争せんそう裏表うらおもてとする閉鎖へいさてきなものである。

第二だいには、その境界きょうかい突破とっぱする「ひらかれた道徳どうとく」と「動的どうてき宗教しゅうきょう」だ。偉大いだい神秘しんぴミスティックmystique)や聖人せいじん体現たいげんする、全人ぜんじんるいへの無条件むじょうけんあいである。(キリストChrist釈迦しゃかアッシジAssisiフランチェスコFrancescoなど)こうした人物じんぶつ社会しゃかいてき圧力あつりょくではなく、エラン・ヴィタルélan vitalそのものに直接ちょくせつれ、それにうごかされて行動こうどうする。かれらのびかけは人種じんしゅ国家こっかかべえ、人類じんるい全体ぜんたいひらかれた根源こんげんてきあいへと我々われわれげる。

ここには重要じゅうよう含意がんいがある。じた道徳どうとくりょうてき拡大かくだいしても、ひらかれた道徳どうとくには到達とうたつしない。国家こっかへの忠誠ちゅうせいをどれだけひろげても、「人類じんるいへのあい」にはならない。家族かぞくあいし、地域ちいきあいし、くにあいする。このえんをどれほどおおきくしても、それは結局けっきょく境界きょうかい内側うちがわ仲間なかま」へのあいでしかなく、境界きょうかいそのものをはらう「人類じんるいへのあい」とはしつことなる。ふたつの道徳どうとく程度ていどではなく種類しゅるいちがう。この断絶だんぜつこそがベルクソンBergson洞察どうさつ核心かくしんであり、国際こくさい主義しゅぎナショナリズムnationalismかえ敗北はいぼくする理由りゆう構造こうぞうてき説明せつめいしている。

6. わらい── せい哲学てつがく社会しゃかいてき応用おうよう

1900ねん小著しょうちょわらい』は、ベルクソンBergson哲学てつがく意外いがい応用おうようだ。なぜひとわらうのか。ベルクソンBergsonこたえはこうだ。「けるもののうえかれた機械きかいてきなもの」(du mécanique plaqué sur du vivantデュ・メカニック・プラケ・シュル・デュ・ヴィヴァン)が滑稽こっけいむ。

ひとバナナbananaかわすべってころぶとき、本来ほんらい柔軟じゅうなん対応たいおうすべき身体しんたい機械きかいのように硬直こうちょくしている。官僚かんりょう規則きそく固執こしゅうして馬鹿ばかげた対応たいおうをするとき、きた状況じょうきょうへの柔軟じゅうなんせいうしなわれている。わらいは、この硬直こうちょく生命せいめいながれにさからう機械きかいてき反復はんぷく)にたいする社会しゃかい矯正きょうせい反応はんのうなのだ。

この理論りろん喜劇きげきろんとしてすべてのわらいを説明せつめいできるわけではない。しかし持続じぞく知性ちせい対立たいりつ流動りゅうどうするせい固定こていする)を日常にちじょう生活せいかつのなかに見出みいだしたてんで、ベルクソンBergson哲学てつがくがいかに具体ぐたいてき現象げんしょうらしせるかをしめ好例こうれいだ。

主要しゅよう著作ちょさくガイド

  • 時間じかん自由じゆう』(原題げんだいEssai sur les données immédiates de la conscience意識に直接与えられたものについての試論、1889ねん / 邦訳ほうやく中村なかむら文郎ふみおやく岩波いわなみ文庫ぶんこほか) ── 博士はかせ論文ろんぶんにして出発しゅっぱつてん。「持続じぞく」の概念がいねんはじめて提示ていじされる。心理しんりがくにおける決定けっていろん自由じゆう問題もんだいを、時間じかん概念がいねんからえる。ベルクソンBergsonむならまずここから。
  • 物質ぶっしつ記憶きおく』(Matière et mémoireマティエール・エ・メモワール、1896ねん / 邦訳ほうやく熊野くまの純彦すみひこやく岩波いわなみ文庫ぶんこほか) ── 記憶きおく種類しゅるい区別くべつ心身しんしん問題もんだいへの独自どくじ回答かいとう哲学てつがく神経しんけい科学かがく交差こうさてん著作ちょさくで、難度なんどたかいがごたえがある。
  • わらい』(Le Rireル・リール、1900ねん / 邦訳ほうやくはやし達夫たつおやく岩波いわなみ文庫ぶんこほか) ── わらいの本質ほんしつ分析ぶんせきした小著しょうちょベルクソンBergson哲学てつがくへの入門にゅうもんとしてもめる。みじか明快めいかい
  • 創造そうぞうてき進化しんか』(L'Évolution créatriceレヴォリュシオン・クレアトリス、1907ねん / 邦訳ほうやく真方まかた敬道よしみちやく岩波いわなみ文庫ぶんこほか) ── エラン・ヴィタルélan vital概念がいねんじくに、進化しんかろん認識にんしきろん統合とうごうする野心やしんてき著作ちょさくベルクソンBergson名声めいせい世界せかいてきなものにした代表だいひょうさく
  • 道徳どうとく宗教しゅうきょう源泉げんせん』(Les Deux Sources de la morale et de la religionレ・ドゥー・スルス・ドゥ・ラ・モラル・エ・ドゥ・ラ・ルリジオン、1932ねん / 邦訳ほうやく森口もりぐち美都男みつおやく岩波いわなみ文庫ぶんこほか) ── じた道徳どうとくひらかれた道徳どうとく区別くべつろんじた最後さいご主著しゅちょ政治せいじ哲学てつがく宗教しゅうきょう哲学てつがくへの展開てんかい
  • 思想しそううごくもの』(La Pensée et le mouvantラ・パンセ・エ・ル・ムヴァン、1934ねん / 邦訳ほうやく河野こうの与一よいちやく岩波いわなみ文庫ぶんこほか) ── 論文ろんぶんしゅう序論じょろん自身じしん哲学てつがくかえり、「直観ちょっかん」の方法ほうほうもっと明確めいかく定式ていしきしている。「形而上学けいじじょうがく入門にゅうもん」(1903ねん)を収録しゅうろく

主要しゅよう批判ひはん論争ろんそう

1. バートランド・ラッセルBertrand Russell── はん知性ちせい主義しゅぎへの批判ひはんベルクソンBergsonたいするもっと有名ゆうめい批判ひはんは、分析ぶんせき哲学てつがく巨人きょじんラッセルRussellからた。ラッセルRussellベルクソンBergsonを「知性ちせい使つかって知性ちせい不十分ふじゅうぶんさを論証ろんしょうする」矛盾むじゅんおちいっていると批判ひはんした(『西洋せいよう哲学てつがく』〔A History of Western Philosophyア・ヒストリー・オブ・ウェスタン・フィロソフィー〕1945ねん)。「直観ちょっかん」が哲学てつがく方法ほうほうだとうなら、なぜベルクソンBergson著書ちょしょくのか。著書ちょしょくこと自体じたい知性ちせいてき活動かつどうではないか。

この批判ひはん一定いっていちからつが、ベルクソンBergson知性ちせい否定ひていしたわけではない。直観ちょっかん知性ちせい経由けいゆして到達とうたつされるものであり、知性ちせいの「代替だいたい」ではなく「補完ほかん」であるとかれかえべている。しかし、直観ちょっかん内実ないじつ明確めいかく定義ていぎしきれなかったことが、この誤解ごかいまねいためんはある。

2. アインシュタインEinstein論争ろんそう── 哲学てつがくしゃ時間じかん存在そんざいするか:1922ねん論争ろんそうベルクソンBergson知的ちてき名声めいせい深刻しんこく打撃だげきあたえた。ベルクソンBergsonは『持続じぞく同時どうじせい』(Durée et simultanéitéデュレ・エ・シミュルタネイテ、1922ねん)でみずからの立場たちば詳述しょうじゅつしたが、相対そうたいせい理論りろん誤解ごかいしているとの批判ひはんけ、晩年ばんねんには同書どうしょ再版さいはんめた。

しかし近年きんねん研究けんきゅう──とりわけヒメナ・カナレスJimena Canales物理ぶつり学者がくしゃ哲学てつがくしゃ』(The Physicist and the Philosopherザ・フィジシスト・アンド・ザ・フィロソファー, 2015ねん)──は、この論争ろんそう従来じゅうらいかんがえられていたほど一方いっぽうてきなものではなかったことをしめしている。ベルクソンBergson論点ろんてん──物理ぶつりがく時間じかん測定そくていは、測定そくていする観察かんさつしゃきた経験けいけん前提ぜんていとしている──は、物理ぶつりがくでは解決かいけつできない哲学てつがくてき問題もんだい提起ていきしていた。

3. 「生気せいきろん」への批判ひはん:「エラン・ヴィタルélan vital」は科学かがくしゃから「説明せつめいになっていない説明せつめい」として退しりぞけられた。分子ぶんし生物せいぶつ学者がくしゃジャック・モノーJacques Monodは『偶然ぐうぜん必然ひつぜん』(Le Hasard et la Nécessitéル・アザール・エ・ラ・ネセシテ、1970ねん)で、ベルクソンBergsonを「生気せいきろん」の代表だいひょうとして批判ひはんした。「生命せいめい特別とくべつちから」をすことは、科学かがくてき説明せつめい放棄ほうきでしかない、と。

ただしベルクソンBergson自身じしんは、エラン・ヴィタルélan vital生物せいぶつがくてき実体じったいとしてではなく、生命せいめい現象げんしょう全体ぜんたい理解りかいするための哲学てつがくてき概念がいねんとして提示ていじしていた。還元かんげん主義しゅぎではとらえられない創発そうはつせいエマージェンスemergence)の問題もんだい──これは今日こんにち複雑ふくざつけい科学かがく生物せいぶつ哲学てつがくでも中心ちゅうしん課題かだいでありつづけている。

4. ハイデガーHeidegger── アリストテレスAristotleてき時間じかん概念がいねん延長えんちょうにすぎないかハイデガーHeideggerは『存在そんざい時間じかん』(Sein und Zeitザイン・ウント・ツァイト、1927ねん)で、ベルクソンBergson時間じかん問題もんだいんだことは評価ひょうかしつつも、かれの「持続じぞく」は結局けっきょくアリストテレスAristotle以来いらいの「時間じかんいま連続れんぞく」という枠組わくぐみをだっしていないと批判ひはんした。ベルクソンBergson持続じぞく心理しんりてき体験たいけんにとどまっており、より根源こんげんてきな「存在そんざい時間じかんせい」には到達とうたつしていない、と。この批判ひはん妥当だとうせいいま議論ぎろんされている。

影響えいきょう遺産いさん

先行せんこう思想しそうプロティノスPlotinos流出りゅうしゅつせつ一者いっしゃからの連続れんぞくてき生成せいせい)。カントKant時間じかんろんベルクソンBergsonはカントてき現象げんしょう物自体ものじたい」の区別くべつ批判ひはんてき継承けいしょうした)。スペンサーSpencer進化しんかろんてき哲学てつがく──出発しゅっぱつてんにして批判ひはん対象たいしょうメーヌ・ド・ビランMaine de Biranやフランス・唯心ゆいしんろん伝統でんとう

同時代どうじだいへの影響えいきょうウィリアム・ジェイムズWilliam JamesベルクソンBergsonを「出現しゅつげん以来いらい最大さいだい天才てんさい」としょうし、両者りょうしゃふか知的ちてき交流こうりゅうった。プラグマティズムpragmatismベルクソンBergson哲学てつがくには、固定こていした概念がいねんより流動りゅうどうする経験けいけん重視じゅうしする共通きょうつう傾向けいこうがある。文学ぶんがくではマルセル・プルーストMarcel ProustベルクソンBergsonつまプルーストProustはは従姉妹いとこにあたる)の『うしなわれたときもとめて』が持続じぞく記憶きおく文学ぶんがくてき展開てんかいとしてめるが、プルーストProust自身じしん直接ちょくせつてき影響えいきょう否定ひていしている。

現象げんしょうがくとの関係かんけいメルロ=ポンティMerleau-PontyベルクソンBergson身体しんたいろん知覚ちかくろんたか評価ひょうかし、みずからの現象げんしょうがくんだ。『知覚ちかく現象げんしょうがく』(Phénoménologie de la perceptionフェノメノロジー・ドゥ・ラ・ペルセプシオン、1945ねん)における「きられた身体しんたい」の概念がいねんは、ベルクソンBergsonの『物質ぶっしつ記憶きおく』なしにはかんがえにくい。

ドゥルーズDeleuzeによる復権ふっけんベルクソンBergson哲学てつがく最大さいだい復興ふっこうしゃジル・ドゥルーズGilles Deleuzeだ。『ベルクソニスムLe bergsonisme』(1966ねん)でドゥルーズDeleuzeベルクソンBergsonふたた哲学てつがく最前線さいぜんせんもどした。さらに『シネマCinéma1・2』(1983ねん/1985ねん)ではベルクソンBergson運動うんどうろん記憶きおくろん映画えいが理論りろん応用おうようし、映像えいぞう時間じかん関係かんけい革新かくしんてきろんじた。今日こんにちベルクソンBergsonふたたまれているのは、おおきくドゥルーズDeleuze功績こうせきによる。

ホワイトヘッドWhitehead過程かてい哲学てつがくアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドAlfred North Whiteheadの「過程かてい哲学てつがく」はベルクソンBergson持続じぞく概念がいねんからおおきな刺激しげきけている。実在じつざい固定こていした「もの」ではなく流動りゅうどうする「過程かてい」としてとらえる視座しざは、環境かんきょう哲学てつがくエコロジーecology思想しそうにも波及はきゅうしている。

現代げんだいへの接続せつぞく

20世紀せいきなかばにほぼ忘却ぼうきゃくされかけたベルクソンBergsonが、なぜいまふたた注目ちゅうもくされているのか。現代げんだい課題かだいが、ベルクソンBergsonいをあらたな文脈ぶんみゃくもどしているからだ。

第一だいいちに、意識いしき時間じかん知覚ちかく科学かがく神経しんけい科学かがくあきらかにしつつあるのは、のう時間じかんを「構成こうせい」しているということだ。おなじ5ふんかんでも、注意ちゅうい集中しゅうちゅう感情かんじょう強度きょうど記憶きおく密度みつどによって主観しゅかんてきながさはまったくことなる。ベルクソンBergson直観ちょっかんてきとらえていた「きられた時間じかん」の問題もんだいは、時間じかん知覚ちかくクロノセプションchronoception)という研究けんきゅう分野ぶんやのなかで実証じっしょうてき探究たんきゅうされつつある。

第二だいにに、創発そうはつせい複雑ふくざつけい部分ぶぶん総和そうわ還元かんげんできない全体ぜんたい性質せいしつ──これはベルクソンBergsonエラン・ヴィタルélan vitalろんじた問題もんだい現代げんだいばんだ。複雑ふくざつけい科学かがく自己じこ組織そしき理論りろん生命せいめい起源きげん研究けんきゅう──いずれの分野ぶんやでも、機械きかいろんてき還元かんげん限界げんかいかえ問題もんだいになっている。

第三だいさんに、加速かそくする社会しゃかいと「おそさ」の哲学てつがくデジタルdigital技術ぎじゅつ時間じかんながれを加速かそくさせ、注意ちゅうい断片だんぺんする現代げんだいにおいて、ベルクソンBergsonの「持続じぞくひたす」という提案ていあんは、スローライフslow lifeマインドフルネスmindfulness流行りゅうこう無関係むかんけいではない。ただしそれはたんなるいやしではなく、認識にんしきかたそのものへのいかけである。

読者どくしゃへの

  • あなたが最後さいごに「時間じかんわすれた」のはいつだろうか。そのとき体験たいけんしていた時間じかんは、時計とけい時間じかんとどうちがっていたか──ベルクソンBergsonの「持続じぞく」は、その経験けいけん言語げんごするたすけになるだろうか。
  • 科学かがくがいつか意識いしき完全かんぜん解明かいめいできるるのだろうか。もしないとすれば、それは技術ぎじゅつ限界げんかいなのか、それともベルクソンBergson指摘してきしたように、科学かがく方法ほうほうろんそのものに原理げんりてき限界げんかいがあるのか。
  • ベルクソンBergsonは「じた道徳どうとく」をりょうてき拡大かくだいしても「ひらかれた道徳どうとく」には到達とうたつしないとろんじた。この洞察どうさつは、国際こくさい協力きょうりょくかえ困難こんなんおちい現代げんだい状況じょうきょう説明せつめいするだろうか。あるいは、それは悲観ひかんてきにすぎるだろうか。

名言めいげん出典しゅってんつき)

"宇宙うちゅう持続じぞくする。" 出典しゅってん:アンリ・ベルクソン『創造そうぞうてき進化しんか』(L'Évolution créatrice, 1907ねん)/原文げんぶん:"L'univers dure."
"すくなくともひとつ、われわれが内側うちがわからとらえる実在じつざいがある。" 出典しゅってん:アンリ・ベルクソン「形而上学けいじじょうがくへの序論じょろん」(Introduction à la métaphysique, 1903ねん)/原文げんぶん:"Il y a une réalité au moins que nous saisissons tous du dedans."
"けるもののうえりついた機械きかいてきなもの。" 出典しゅってん:アンリ・ベルクソン『わらい』(Le Rire, 1900ねんだい1しょう原文げんぶん:"du mécanique plaqué sur du vivant."

参考さんこう文献ぶんけん

  • 原典げんてん:Bergson, Henri. Essai sur les données immédiates de la conscienceエセ・シュル・レ・ドネ・イメディアト・ドゥ・ラ・コンシアンス. Paris: Félix Alcan, 1889. / 邦訳ほうやく中村なかむら文郎ふみおやく時間じかん自由じゆう岩波いわなみ文庫ぶんこ
  • 原典げんてん:Bergson, Henri. Matière et mémoireマティエール・エ・メモワール. Paris: Félix Alcan, 1896. / 邦訳ほうやく熊野くまの純彦すみひこやく物質ぶっしつ記憶きおく岩波いわなみ文庫ぶんこ
  • 原典げんてん:Bergson, Henri. Le Rire: Essai sur la signification du comiqueル・リール:エセ・シュル・ラ・シニフィカシオン・デュ・コミック. Paris: Félix Alcan, 1900. / 邦訳ほうやくはやし達夫たつおやくわらい』岩波いわなみ文庫ぶんこ
  • 原典げんてん:Bergson, Henri. L'Évolution créatriceレヴォリュシオン・クレアトリス. Paris: Félix Alcan, 1907. / 邦訳ほうやく真方まかた敬道よしみちやく創造そうぞうてき進化しんか岩波いわなみ文庫ぶんこ
  • 原典げんてん:Bergson, Henri. Les Deux Sources de la morale et de la religionレ・ドゥー・スルス・ドゥ・ラ・モラル・エ・ドゥ・ラ・ルリジオン. Paris: Félix Alcan, 1932. / 邦訳ほうやく森口もりぐち美都男みつおやく道徳どうとく宗教しゅうきょう源泉げんせん岩波いわなみ文庫ぶんこ
  • 原典げんてん:Bergson, Henri. La Pensée et le mouvantラ・パンセ・エ・ル・ムヴァン. Paris: Félix Alcan, 1934.(「Introduction à la métaphysiqueアントロデュクシオン・ア・ラ・メタフィジーク所収しょしゅう
  • 復権ふっけん起点きてん:Deleuze, Gilles. Le bergsonismeル・ベルクソニスム. Paris: PUF, 1966. / 邦訳ほうやく檜垣ひがき立哉たつや合田ごうだ正人まさとやくベルクソニスムLe bergsonisme法政ほうせい大学だいがく出版しゅっぱんきょく、2017ねん
  • アインシュタインEinstein論争ろんそう:Canales, Jimena. The Physicist and the Philosopherザ・フィジシスト・アンド・ザ・フィロソファー. Princeton: Princeton University Press, 2015.
  • 批判ひはん文脈ぶんみゃく:Russell, Bertrand. A History of Western Philosophyア・ヒストリー・オブ・ウェスタン・フィロソフィー. London: George Allen & Unwin, 1945.
  • 批判ひはん文脈ぶんみゃく:Monod, Jacques. Le Hasard et la Nécessitéル・アザール・エ・ラ・ネセシテ. Paris: Éditions du Seuil, 1970. / 邦訳ほうやく:『偶然ぐうぜん必然ひつぜん』。
  • 邦語ほうご概説がいせつ檜垣ひがき立哉たつやベルクソンBergson哲学てつがく──生成せいせいする実在じつざい肯定こうてい勁草けいそう書房しょぼう、2000ねん
  • ウェブweb:Stanford Encyclopedia of Philosophy, "Henri Bergson" (Leonard Lawlor & Valentine Moulard-Leonard, substantive revision 2025). https://plato.stanford.edu/entries/bergson/ (2026-02-19 閲覧えつらん