1922年4月6日、パリのフランス哲学会。その夜の特別講演に登壇したのは、相対性理論で世界を震わせた物理学者アルベルト・アインシュタインだった。講演後、聴衆の中から一人の老いた哲学者が立ち上がった。アンリ・ベルクソン(当時62歳、すでにヨーロッパ最大の知的名声を誇る思想家だった)。
ベルクソンは穏やかに、しかし明確に異を唱えた。物理学が測定する「時間」は、私たちが実際に生きている「時間」ではない。アインシュタインは短くこう応じた。「哲学者の時間は存在しない」。会場は静まり返った。
この一夜は、20世紀の知の歴史における分水嶺だった。以後、時間についての発言権は物理学に移り、ベルクソンの名は急速に忘れ去られていく。だが彼の問いは消えなかった。むしろ21世紀に入り、意識の科学や時間知覚の研究が進むにつれ、ベルクソンの洞察は新たな光を浴びている。
時計が刻む時間と、私たちが生きている時間のあいだには、埋めがたい溝がある。この溝を最初に哲学の中心問題に据えたのがベルクソンだった。科学万能の時代に「生きられた経験」はけっして科学に解消できないと訴えたこの哲学者は、いま何を語りかけているのか。
この記事の要点
- 持続(デュレ):ベルクソンは、時計が測る均質な時間と、意識のなかで生きられる質的で連続的な時間(持続)を峻別した。この区別は、科学では捉えきれない人間経験の固有の層があることを示し、現代の意識研究や時間知覚の問題に直結している。
- 直観(アンテュイシオン)と知性(アンテレクト):知性は世界を分割し固定して把握するが、実在の流動性をそのままには捉えられない。直観こそが持続に直接触れる方法だとベルクソンは論じた。これは反知性主義ではなく、知性の限界を見定めたうえで哲学独自の方法を確立する試みだった。
- エラン・ヴィタル(生の躍動):進化は機械的な適応の蓄積でもなく、あらかじめ決められた目的への収斂でもない。予測不可能な創造を本質とする「生の躍動」が進化を駆動するという大胆な仮説は、生物学の還元主義に対する哲学的挑戦であり続けている。
生涯と時代背景
アンリ・ベルクソンは1859年10月18日、パリに生まれた。父ミシェルはポーランド系ユダヤ人の音楽家、母キャサリンはイギリス系ユダヤ人だった。幼少期の一時期をロンドンで過ごした後、9歳でパリに戻り、名門リセ・コンドルセに入学する。
少年ベルクソンは数学に傑出した才能を示し、全国数学コンクールで入賞するほどだった。周囲は理系の道を勧めたが、彼は哲学を選んだ。数学の教師は「数学を裏切った」と嘆いたという。しかしこの選択は偶然ではない。数学の内部から数学的思考の限界を感じ取ったことが、のちの「知性の限界」という主題に直結していく。
1878年、エコール・ノルマル・シュペリウールに入学する。同期には社会学者エミール・デュルケームや政治家ジャン・ジョレスがいた。当時のフランス哲学界はスペンサーの進化論的実証主義とカント主義の二つの潮流に支配されていた。ベルクソンは若い頃スペンサーに傾倒していたが、やがてその時間概念の浅さに気づく。スペンサーは「進化」を語りながら、時間を本当の意味で真剣に受け止めていない。この発見がベルクソン哲学の出発点となる。
1881年に哲学教授資格(アグレガシオン)を取得後、地方のリセ(高等中学校)で教壇に立った。アンジェ、ついでクレルモン=フェランで教えながら、最初の主著『意識に直接与えられたものについての試論』(1889年)を博士論文として完成させる。この著作で彼は「持続」の概念を初めて体系的に提示し、心理学における決定論と自由意志の問題を根底から組み替えた。
1900年、コレージュ・ド・フランスの教授に就任する。彼の講義はパリの知的事件となった。教室は学生だけでなく、社交界の貴婦人、芸術家、外国からの知識人で溢れ返り、交通渋滞を引き起こすほどだった。ウィリアム・ジェイムズはわざわざパリまで聴きに来て感嘆し、T.S.エリオットも聴講生の一人だった。
1907年の『創造的進化』でベルクソンの名声は頂点に達する。第一次世界大戦中にはフランス政府の密使としてアメリカを訪問し(1917年)、ウィルソン大統領の参戦決意に一定の影響を与えたとされる。戦後は国際連盟の知的協力国際委員会(ユネスコの前身)の初代委員長を務めた。1927年、ノーベル文学賞を受賞する。哲学者としての受賞は極めて異例であり、彼の散文の美しさが評価されてのことだった。
しかし晩年は苦難の連続だった。重い関節リウマチに苦しみ、ほとんど動けない状態となる。1940年、ナチス・ドイツに占領されたフランスでヴィシー政権が反ユダヤ法を施行した。ベルクソンはその名声ゆえに適用免除を申し出ることもできたが、拒否した。晩年、カトリックに深い共感を抱いていた彼だが、迫害されるユダヤ人の側にとどまることを選んだ。遺言にはこうある。「私は反ユダヤ主義の大波が世界に押し寄せるのを目にして、迫害されようとしている人々のもとにとどまりたいと思った」。
1941年1月4日、ベルクソンは占領下のパリで没した。享年81歳。葬儀は簡素なものだった。かつてヨーロッパ最大の知的名声を誇った哲学者は、ほとんど忘れ去られたかのように世を去った。
ミニ年表
- 1859年:パリに生まれる(父はポーランド系ユダヤ人の音楽家、母はイギリス系ユダヤ人)
- 1878年:エコール・ノルマル・シュペリウールに入学
- 1881年:哲学教授資格(アグレガシオン)取得。地方のリセで教職
- 1889年:『意識に直接与えられたものについての試論』(博士論文)刊行
- 1896年:『物質と記憶』刊行
- 1900年:コレージュ・ド・フランス教授に就任。『笑い』刊行
- 1907年:『創造的進化』刊行。国際的名声が頂点に
- 1914年:アカデミー・フランセーズ会員に選出
- 1917年:フランス政府の密使としてアメリカを訪問
- 1922年:アインシュタインと時間をめぐる論争。『持続と同時性』(Durée et simultanéité)刊行
- 1927年:ノーベル文学賞受賞
- 1932年:最後の主著『道徳と宗教の二源泉』刊行
- 1940年:ヴィシー政権の反ユダヤ法の適用免除を拒否
- 1941年:占領下のパリで死去(享年81歳)
ベルクソンは何を問うたのか
19世紀後半、科学は圧倒的な成功を収めていた。ニュートン力学は天体の運動を予測し、熱力学は蒸気機関を動かし、ダーウィンの進化論は生命の起源を自然法則で説明した。その延長として、人間の意識さえも物理的・生理的な法則で解明できるはずだ、という確信が広がっていた。
心理物理学の創始者グスタフ・フェヒナーは、感覚の強度さえ数学的に測定できると主張した。ベルクソンはこの前提に疑問を投げかける。悲しみが「2倍」になるとは、いったいどういう意味か。喜びの「大きさ」を数値で比較できるのか。感情や意識の経験を量的に扱おうとする試みの背後には、ある暗黙の前提が隠れている。あらゆるものを空間的な量に還元できるはずだ、という前提だ。ベルクソンはそれを見抜いた。
ここから彼の根本的な問いが生まれる。科学が前提とする「空間化された時間」と、意識のなかで実際に生きられている「時間」は、本当に同じものなのか。
この問いは見かけほど素朴ではない。もし二つの「時間」が根本的に異なるなら、科学は実在の一面しか捉えていないことになる。意識、自由、生命、創造。これらを理解するには、科学とは異なる哲学固有の方法が必要になる。ベルクソンはその方法を「直観」と呼んだ。
核心理論
1. 持続(デュレ)── 生きられた時間の再発見
ベルクソン哲学の土台となる概念が「持続」(デュレ)である。一言で言えば、「持続」とは、時計では測れない、私たちが内側から体験している時間のことだ。それがどういうことか、順を追って見ていこう。
まず時計の時間を思い浮かべてほしい。1秒、2秒、3秒。つまり均質な単位が直線上に並んでいる。1秒目が終わってから2秒目が始まり、2秒目が終わってから3秒目が始まる。この時間観では、各瞬間は互いに外的で、交換可能で、空間の点のように並置されている。
しかし、とベルクソンは問う。私たちが実際に体験する時間は、そのようなものだろうか。退屈な会議の1時間と、親しい友人との会話の1時間は、時計の上では同じ60分だが、生きられる経験としてはまったく異質だ。会議の1時間はいつまでも終わらないように感じ、楽しい会話の1時間は瞬く間に過ぎ去る。この違いは錯覚ではなく、時間そのものの質が異なるのだ。ベルクソンはそう考えた。
ベルクソンが好んだもう一つの比喩は旋律(メロディー)である。旋律を聴くとき、私たちは個々の音をバラバラに知覚するのではない。前の音が次の音に溶け込み、全体が一つの流れとして体験される。音を止めて並べ直せば楽譜になるが、それは旋律そのものではない。楽譜は音を空間的に並べた記号であり、時間のなかで流れる旋律の生きた体験とは根本的に異なる。持続とは、この旋律のような時間のことだ。過去が現在のなかに生き続け、各瞬間が互いに浸透し合い、質的に異なる連続を成す。
さらに『創造的進化』では、「角砂糖」の有名な比喩が用いられる。コップの水に角砂糖を入れて、それが溶けるのを待つとき、私は「待たねばならない」。この「待つ」という焦燥感や心理的な重みこそが、持続の実体である。物理学は砂糖が溶けるまでの過程を数式で計算できるが、そこには「私が待つ」という絶対的な事実は含まれない。科学は時間を「長さ」として測定するが、生きられた時間はつねに「質」として体験されるのだ。
科学が扱う時間は、実は「空間化された時間」にすぎない。時間を数直線の上に並べた瞬間、時間は空間に変質する。測定できるのは空間化された時間だけであり、持続そのものは測定の網の目をすり抜ける。
この区別が導く帰結は重大だ。もし意識の本質が持続であるなら、意識を空間化して分析する科学は、原理的に意識の核心を取り逃がすことになる。これは科学を否定しているのではない。科学がどこまで有効で、どこから先は届かないのかを見極める作業だ。
持続の概念は、自由の問題をも根底から組み替える。決定論は、意識状態Aが意識状態Bを必然的に引き起こすと主張する。だが持続のなかでは、「状態A」と「状態B」は分離した固定的な単位ではない。Aが展開するうちにA自体が変質し、Bが生まれる時点ではもはや出発点のAとは異なるものになっている。決定論が前提とする因果の連鎖は、時間を空間化して初めて成立する虚構なのだ。ベルクソンは『試論』第3章でこう論じた。
ではベルクソンにとって自由とは何か。それは選択肢AとBのあいだの選択ではない。持続する自己そのものが絶えず新たな自己を生み出していく。その不断の自己創造こそが、自由の本質だとベルクソンは考えた。今日の私は昨日の経験を引き受けたうえで新たな一歩を踏み出す。その一歩はあらかじめ決まっていたのではなく、持続する自己の厚みのなかから生まれてくる。それが自由の経験なのだ。
2. 直観(アンテュイシオン)── 哲学固有の方法
持続を捉えるための方法が「直観」(アンテュイシオン)である。ただしこれは神秘的な閃きや非合理的な直感のことではない。たとえば、親しい友人が悲しんでいるとき、私たちはその人の表情や声を分析してから「悲しいのだ」と判断するのではなく、その悲しみに直接触れるようにして理解する。ベルクソンが言う直観とは、これに近い(対象の内部に身を置き、その流動に共感的に参入する認識の仕方)。
ベルクソンは『形而上学入門』のなかで、これを「町の写真を何枚も見ること」と「実際にその町を歩くこと」の違いに喩えている。知性による分析は、町を様々な角度から撮影し、つなぎ合わせるようなものだ。どれほど写真の数を増やしても、決して「町を歩く」という絶対的な経験そのものには到達できない。直観とは、まさにその町の内部に入り込み、対象と一体化する絶対的な認識なのだ。
知性(アンテレクト)は対象を外側から見る。分析し、分割し、概念で整理する。この操作は実践的な行動には不可欠だ。しかし代償がある。分割するたびに、対象の連続性は失われる。流れる水を手ですくえば、水は手の中にあるが、流れは消えている。同じように、人の人生を履歴書にまとめれば事実の一覧は得られるが、その人が生きてきた時間の流れ(悩み、喜び、迷いの連なり)はそこには現れない。知性は実在を固定化して把握するが、実在そのものは流動である。
直観はこの流動に直接触れようとする。ベルクソンの言葉を借りれば、「対象のなかにそのユニークで、したがって表現しえないものへの共感によって移入すること」(『形而上学入門』〔Introduction à la métaphysique〕1903年)である。
重要な留保がある。ベルクソンは知性を否定しているのではない。知性は科学と技術のための優れた道具であり、直観もまた知性を通過した後に到達されるものだ。問題は、知性的認識だけが認識のすべてだと思い込むことにある。哲学は科学の延長ではなく、独自の方法を持つべきだ。これがベルクソンの主張である。
3. 記憶── 過去は消えない
1896年の『物質と記憶』は、持続の概念を心身問題に展開した著作だ。ベルクソンはまず記憶を二つに区別する。
一つは「習慣記憶」だ。自転車の乗り方や言語の使い方のように、繰り返しによって身体に刻まれた記憶。これは脳と身体のメカニズムに依存する。
もう一つは「純粋記憶」だ。昨日の特定の場面を思い出すとき、私たちは過去の特定の瞬間に「飛び込む」。ベルクソンの大胆な主張はこうだ。過去の経験はすべて保存されている。脳のなかにではなく、持続そのもののなかに。これは一見奇妙に聞こえるかもしれない。しかしベルクソンの真意はこうだ。記憶とは脳のどこかの「棚」に仕舞われたファイルのようなものではない。持続(つまり過去が現在に溶け込んで流れ続ける時間の流れそのもの)のなかに、過去は生き続けている。脳は記憶を「貯蔵」するのではなく、現在の行動に関連する記憶だけを「選別」して意識に浮上させるフィルターの役割を果たす。
『物質と記憶』にはもう一つ、注目すべき議論がある。知覚についてだ。通常、知覚とは外界の情報を脳が「受け取る」ことだと考えられている。ベルクソンはこれを逆転させた。知覚とは「付加」ではなく「引き算」だと。世界にはすでにイメージの全体がある。脳はそこから、行動に不要なものを差し引いて、残ったものだけを意識に浮上させる。知覚は受動的な受容ではなく、実用的な行動への関心に基づく能動的な選別(実在のフィルタリング)なのだ。日常の例で言えば、道を歩いているとき、私たちは周囲のすべての情報を意識しているわけではない。信号の色や車の接近など、行動に必要なものだけが浮かび上がり、残りは背景に退いている。ベルクソンによれば、知覚とはまさにそのような選別なのだ。
彼はこれを「逆さまの円錐」の図で説明した。円錐の頂点が現在の知覚(物質世界との接点)であり、底面に向かって過去の記憶が無限に広がっている。夢を見ているとき、脳のフィルター機能が弱まり、普段は意識に上らない記憶が溢れ出す。ベルクソンはこの現象をそう説明する。
この立場は唯物論でも観念論でもない。脳が損傷すれば記憶を想起する能力は失われるが、記憶そのものが消えるわけではない。ベルクソンはこう論じた。20世紀後半の脳科学、とりわけ失語症や記憶障害の研究は、ベルクソンの直観が部分的に正しかったことを示唆している。脳は記憶の「場所」ではなく「過程」であるという見方は、今日の神経科学でも有力な仮説の一つだ。
4. エラン・ヴィタル── 生命の創造的飛躍
1907年の『創造的進化』でベルクソンは、持続の概念を生命全体へと拡張する。進化を駆動する力、それが「エラン・ヴィタル」(「生の躍動」あるいは「生の飛躍」と訳される概念)だ。
ベルクソンは進化についての二つの既存の説明を退ける。一つは機械論(自然選択による偶然の変異と蓄積で進化が説明できるとする立場)。もう一つは目的論(進化にはあらかじめ定められた目的があるとする立場)。
機械論の問題は、複雑な器官(たとえば眼)が偶然の微小変異の蓄積だけで説明できるのか、という点にある。しかも脊椎動物と軟体動物のように、まったく異なる進化系統が独立に類似の器官を発達させている(収斂進化)。純粋な偶然ではこの一致を説明しにくい。目的論は説明できるが、進化の予測不可能性(あらかじめ計画されていない新たなものが現れる)を説明できない。
エラン・ヴィタルは、この二つの不十分な説明に代わる第三の道だ。生命は根源的な創造の衝動を内に持ち、物質の抵抗に逆らいながら、予測できない方向に分岐していく。進化は設計図の実行ではなく、即興演奏に似ている。音楽家が楽譜なしに演奏するとき、次にどんな音が生まれるかは演奏者自身にも分からない。同じように、生命は進みながら自らの道を創り出す。
ベルクソンはエラン・ヴィタルの分岐を三つの大きな方向に整理している。第一は植物的な方向──物質のなかに沈み込み、太陽光を蓄えてエネルギーを蓄積する無感覚の生)。木は動かないが、そこには膨大なエネルギーが蓄えられている。第二は本能の方向(昆虫に典型的な、対象を内側から把握する能力)。蜂が精密な六角形の巣を作るのは、計算や学習によるのではなく、対象との直接的な結びつきによる。しかしそこに自己意識はない。第三は知性の方向(人間に典型的な、道具を製作し空間を操作する能力)。石器からコンピュータに至るまで、人間は道具を通じて環境を作り変えてきた。
知性は実践において圧倒的に有利だが、持続を捉えることはできない。では直観とは何か。ベルクソンはそれを、知性を超えて、本能がもっていた「内側からの把握」を自覚的に取り戻す試みだと位置づけている(『創造的進化』第2・3章)。
この概念には深刻な批判もある。「エラン・ヴィタル」は具体的に何を指すのか。検証可能な科学的仮説なのか、それとも単なる比喩にすぎないのか。この批判は後に詳しく論じるが、ベルクソンの意図は科学に代わる別の説明を提供することよりも、機械論的世界観の限界を示すことにあった。
5. 道徳と宗教の二源泉── 閉じた社会と開かれた社会
1932年、73歳のベルクソンが発表した最後の主著『道徳と宗教の二源泉』は、持続の哲学を社会と倫理の領域へ拡張した。
ベルクソンは道徳と宗教をそれぞれ二つの源泉から区別する。第一は「閉じた社会」を維持するための「閉じた道徳」と「静的宗教」だ。人間は知性を持つがゆえに、社会の掟に疑問を抱き、利己的に振る舞まい、さらには死の恐怖に直面して虚無に陥る危険がある。そこで自然は人類に「虚構機能(ファビュラシオン)」という防衛本能を与えた。神話や迷信、死後の世界といった虚構を生み出すことで、知性による社会の解体を防ぎ、集団を強固に結束させるのだ。しかし、この結束は「私たち」と「彼ら」を区別し、内部の平和と外部への戦争を裏表とする閉鎖的なものである。
第二は、その境界を突破する「開かれた道徳」と「動的宗教」だ。偉大な神秘家(ミスティック)や聖人が体現する、全人類への無条件の愛である。(キリスト、釈迦、アッシジのフランチェスコなど)こうした人物は社会的な圧力ではなく、エラン・ヴィタルそのものに直接触れ、それに突き動かされて行動する。彼らの呼びかけは人種や国家の壁を越え、人類全体に開かれた根源的な愛へと我々を引き上げる。
ここには重要な含意がある。閉じた道徳を量的に拡大しても、開かれた道徳には到達しない。国家への忠誠をどれだけ広げても、「人類への愛」にはならない。家族を愛し、地域を愛し、国を愛する。この円をどれほど大きくしても、それは結局「境界の内側の仲間」への愛でしかなく、境界そのものを取り払う「人類への愛」とは質が異なる。二つの道徳は程度ではなく種類が違う。この断絶こそがベルクソンの洞察の核心であり、国際主義がナショナリズムに繰り返し敗北する理由を構造的に説明している。
6. 笑い── 生の哲学の社会的応用
1900年の小著『笑い』は、ベルクソン哲学の意外な応用だ。なぜ人は笑うのか。ベルクソンの答えはこうだ。「生けるものの上に置かれた機械的なもの」(du mécanique plaqué sur du vivant)が滑稽を生む。
人がバナナの皮で滑って転ぶとき、本来柔軟に対応すべき身体が機械のように硬直している。官僚が規則に固執して馬鹿げた対応をするとき、生きた状況への柔軟性が失われている。笑いは、この硬直(生命の流れに逆らう機械的反復)に対する社会の矯正反応なのだ。
この理論は喜劇論としてすべての笑いを説明できるわけではない。しかし持続と知性の対立(流動する生と固定する知)を日常生活のなかに見出した点で、ベルクソン哲学がいかに具体的な現象を照らし出せるかを示す好例だ。
主要著作ガイド
- 『時間と自由』(原題:Essai sur les données immédiates de la conscience、1889年 / 邦訳:中村文郎訳、岩波文庫ほか) ── 博士論文にして出発点。「持続」の概念が初めて提示される。心理学における決定論と自由の問題を、時間の概念から組み替える。ベルクソンを読むならまずここから。
- 『物質と記憶』(Matière et mémoire、1896年 / 邦訳:熊野純彦訳、岩波文庫ほか) ── 記憶の二種類の区別と心身問題への独自の回答。哲学と神経科学の交差点に立つ著作で、難度は高いが読み応えがある。
- 『笑い』(Le Rire、1900年 / 邦訳:林達夫訳、岩波文庫ほか) ── 笑いの本質を分析した小著。ベルクソン哲学への入門としても読める。短く明快。
- 『創造的進化』(L'Évolution créatrice、1907年 / 邦訳:真方敬道訳、岩波文庫ほか) ── エラン・ヴィタルの概念を軸に、進化論と認識論を統合する野心的著作。ベルクソンの名声を世界的なものにした代表作。
- 『道徳と宗教の二源泉』(Les Deux Sources de la morale et de la religion、1932年 / 邦訳:森口美都男訳、岩波文庫ほか) ── 閉じた道徳と開かれた道徳の区別を論じた最後の主著。政治哲学・宗教哲学への展開。
- 『思想と動くもの』(La Pensée et le mouvant、1934年 / 邦訳:河野与一訳、岩波文庫ほか) ── 論文集。序論で自身の哲学を振り返り、「直観」の方法を最も明確に定式化している。「形而上学入門」(1903年)を収録。
主要な批判と論争
1. バートランド・ラッセル── 反知性主義への批判:ベルクソンに対する最も有名な批判は、分析哲学の巨人ラッセルから来た。ラッセルはベルクソンを「知性を使って知性の不十分さを論証する」矛盾に陥っていると批判した(『西洋哲学史』〔A History of Western Philosophy〕1945年)。「直観」が哲学の方法だと言うなら、なぜベルクソンは著書を書くのか。著書を書くこと自体が知性的活動ではないか。
この批判は一定の力を持つが、ベルクソンは知性を否定したわけではない。直観は知性を経由して到達されるものであり、知性の「代替」ではなく「補完」であると彼は繰り返し述べている。しかし、直観の内実を明確に定義しきれなかったことが、この誤解を招いた面はある。
2. アインシュタイン論争── 哲学者の時間は存在するか:1922年の論争はベルクソンの知的名声に深刻な打撃を与えた。ベルクソンは『持続と同時性』(Durée et simultanéité、1922年)で自らの立場を詳述したが、相対性理論を誤解しているとの批判を受け、晩年には同書の再版を差し止めた。
しかし近年の研究──とりわけヒメナ・カナレス『物理学者と哲学者』(The Physicist and the Philosopher, 2015年)──は、この論争が従来考えられていたほど一方的なものではなかったことを示している。ベルクソンの論点──物理学の時間測定は、測定する観察者の生きた経験を前提としている──は、物理学では解決できない哲学的問題を提起していた。
3. 「生気論」への批判:「エラン・ヴィタル」は科学者から「説明になっていない説明」として退けられた。分子生物学者ジャック・モノーは『偶然と必然』(Le Hasard et la Nécessité、1970年)で、ベルクソンを「生気論」の代表として批判した。「生命の特別な力」を持ち出すことは、科学的説明の放棄でしかない、と。
ただしベルクソン自身は、エラン・ヴィタルを生物学的な実体としてではなく、生命現象の全体を理解するための哲学的概念として提示していた。還元主義では捉えられない創発性(エマージェンス)の問題──これは今日の複雑系科学や生物哲学でも中心課題であり続けている。
4. ハイデガー── アリストテレス的時間概念の延長にすぎないか:ハイデガーは『存在と時間』(Sein und Zeit、1927年)で、ベルクソンが時間の問題に取り組んだことは評価しつつも、彼の「持続」は結局アリストテレス以来の「時間=今の連続」という枠組みを脱していないと批判した。ベルクソンの持続は心理的な体験にとどまっており、より根源的な「存在の時間性」には到達していない、と。この批判の妥当性は今も議論されている。
影響と遺産
先行思想:プロティノスの流出説(一者からの連続的生成)。カントの時間論(ベルクソンはカント的「現象と物自体」の区別を批判的に継承した)。スペンサーの進化論的哲学──出発点にして批判対象。メーヌ・ド・ビランやフランス・唯心論の伝統。
同時代への影響:ウィリアム・ジェイムズはベルクソンを「出現以来最大の天才」と称し、両者は深い知的交流を持った。プラグマティズムとベルクソン哲学には、固定した概念より流動する経験を重視する共通の傾向がある。文学ではマルセル・プルースト(ベルクソンの妻はプルーストの母の従姉妹にあたる)の『失われた時を求めて』が持続と記憶の文学的展開として読めるが、プルースト自身は直接的影響を否定している。
現象学との関係:メルロ=ポンティはベルクソンの身体論と知覚論を高く評価し、自らの現象学に取り込んだ。『知覚の現象学』(Phénoménologie de la perception、1945年)における「生きられた身体」の概念は、ベルクソンの『物質と記憶』なしには考えにくい。
ドゥルーズによる復権:ベルクソン哲学の最大の復興者はジル・ドゥルーズだ。『ベルクソニスム』(1966年)でドゥルーズはベルクソンを再び哲学の最前線に引き戻した。さらに『シネマ1・2』(1983年/1985年)ではベルクソンの運動論と記憶論を映画理論に応用し、映像と時間の関係を革新的に論じた。今日、ベルクソンが再び読まれているのは、大きくドゥルーズの功績による。
ホワイトヘッドと過程哲学:アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドの「過程哲学」はベルクソンの持続の概念から大きな刺激を受けている。実在を固定した「もの」ではなく流動する「過程」として捉える視座は、環境哲学やエコロジー思想にも波及している。
現代への接続
20世紀半ばにほぼ忘却されかけたベルクソンが、なぜ今再び注目されているのか。現代の課題が、ベルクソンの問いを新たな文脈で呼び戻しているからだ。
第一に、意識と時間知覚の科学。神経科学が明らかにしつつあるのは、脳が時間を「構成」しているということだ。同じ5分間でも、注意の集中度、感情の強度、記憶の密度によって主観的な長さはまったく異なる。ベルクソンが直観的に捉えていた「生きられた時間」の問題は、時間知覚(クロノセプション)という研究分野のなかで実証的に探究されつつある。
第二に、創発性と複雑系。部分の総和に還元できない全体の性質──これはベルクソンがエラン・ヴィタルで論じた問題の現代版だ。複雑系科学、自己組織化の理論、生命の起源研究──いずれの分野でも、機械論的還元の限界は繰り返し問題になっている。
第三に、加速する社会と「遅さ」の哲学。デジタル技術が時間の流れを加速させ、注意を断片化する現代において、ベルクソンの「持続に身を浸す」という提案は、スローライフやマインドフルネスの流行と無関係ではない。ただしそれは単なる癒しではなく、認識の在り方そのものへの問いかけである。
読者への問い
- あなたが最後に「時間を忘れた」のはいつだろうか。そのとき体験していた時間は、時計の時間とどう違っていたか──ベルクソンの「持続」は、その経験を言語化する助けになるだろうか。
- 科学がいつか意識を完全に解明できる日は来るのだろうか。もし来ないとすれば、それは技術の限界なのか、それともベルクソンが指摘したように、科学の方法論そのものに原理的な限界があるのか。
- ベルクソンは「閉じた道徳」を量的に拡大しても「開かれた道徳」には到達しないと論じた。この洞察は、国際協力が繰り返し困難に陥る現代の状況を説明するだろうか。あるいは、それは悲観的にすぎるだろうか。
名言(出典つき)
"宇宙は持続する。" 出典:アンリ・ベルクソン『創造的進化』(L'Évolution créatrice, 1907年)/原文:"L'univers dure."
"少なくとも一つ、われわれが内側から捉える実在がある。" 出典:アンリ・ベルクソン「形而上学への序論」(Introduction à la métaphysique, 1903年)/原文:"Il y a une réalité au moins que nous saisissons tous du dedans."
"生けるものの上に貼りついた機械的なもの。" 出典:アンリ・ベルクソン『笑い』(Le Rire, 1900年)第1章/原文:"du mécanique plaqué sur du vivant."
参考文献
- (原典):Bergson, Henri. Essai sur les données immédiates de la conscience. Paris: Félix Alcan, 1889. / 邦訳:中村文郎訳『時間と自由』岩波文庫。
- (原典):Bergson, Henri. Matière et mémoire. Paris: Félix Alcan, 1896. / 邦訳:熊野純彦訳『物質と記憶』岩波文庫。
- (原典):Bergson, Henri. Le Rire: Essai sur la signification du comique. Paris: Félix Alcan, 1900. / 邦訳:林達夫訳『笑い』岩波文庫。
- (原典):Bergson, Henri. L'Évolution créatrice. Paris: Félix Alcan, 1907. / 邦訳:真方敬道訳『創造的進化』岩波文庫。
- (原典):Bergson, Henri. Les Deux Sources de la morale et de la religion. Paris: Félix Alcan, 1932. / 邦訳:森口美都男訳『道徳と宗教の二源泉』岩波文庫。
- (原典):Bergson, Henri. La Pensée et le mouvant. Paris: Félix Alcan, 1934.(「Introduction à la métaphysique」所収)
- (復権の起点):Deleuze, Gilles. Le bergsonisme. Paris: PUF, 1966. / 邦訳:檜垣立哉・合田正人訳『ベルクソニスム』法政大学出版局、2017年。
- (アインシュタイン論争):Canales, Jimena. The Physicist and the Philosopher. Princeton: Princeton University Press, 2015.
- (批判文脈):Russell, Bertrand. A History of Western Philosophy. London: George Allen & Unwin, 1945.
- (批判文脈):Monod, Jacques. Le Hasard et la Nécessité. Paris: Éditions du Seuil, 1970. / 邦訳:『偶然と必然』。
- (邦語概説):檜垣立哉『ベルクソンの哲学──生成する実在の肯定』勁草書房、2000年。
- ウェブ:Stanford Encyclopedia of Philosophy, "Henri Bergson" (Leonard Lawlor & Valentine Moulard-Leonard, substantive revision 2025). https://plato.stanford.edu/entries/bergson/ (2026-02-19 閲覧)