京都きょうと東山ひがしやま銀閣寺ぎんかくじから南禅寺なんぜんじかう疏水そすい沿いの小径しょうけいがある。はるにはさくらのトンネルとなり、あきには紅葉こうよう水面すいめんめるこのみちを、一人ひとり哲学てつがくしゃ毎朝まいあさふか思索しさくしずみながらあるいた。西田にしだ幾多郎きたろう自宅じたくから京都きょうと帝国ていこく大学だいがくへの通勤つうきんであったこの散歩道さんぽみちは、やがて「哲学てつがくみち」とばれるようになり、今日きょうでは京都きょうと代表だいひょうする観光かんこう名所めいしょとなっている。しかし西田にしだがこのみちもとめていたのは風景ふうけいうつくしさではなく、「かんがえること」のさらに手前てまえにあるなにか(主観しゅかん客観きゃっかんかれる以前いぜんの、経験けいけんそのものの根源こんげん)だった。

1911ねん西田にしだは『ぜん研究けんきゅう』を刊行かんこうする。41さい。「哲学てつがく」という日本語にほんご西周にしあまねによって造語ぞうごされてからわずか40ねんらず。日本にっぽん知識ちしきじんがもっぱら西洋せいよう思想しそうの「輸入ゆにゅう翻訳ほんやく」に従事じゅうじしていた時代じだいに、この書物しょもつ衝撃しょうげきをもたらした。日本語にほんごかれた最初さいしょ本格ほんかくてき独創どくそうてき哲学てつがくしょ発売はつばい直後ちょくごから読書どくしょかい話題わだいさらい、旧制きゅうせい高校こうこう学生がくせいたちの必読ひつどくしょとなり、哲学てつがくしょとしては異例いれいばんかさねた。西田にしだはこのいっさつをもって、日本にっぽん西洋せいよう哲学てつがくの「受容じゅようしゃ」から「発信はっしんしゃ」にてんじうることを実証じっしょうした。

西田にしだ哲学てつがく難解なんかいをもってられる。「絶対ぜったい矛盾むじゅんてき自己じこ同一どういつ」「場所ばしょてき論理ろんり」「行為こういてき直観ちょっかん」。その用語ようご日本語にほんごであるにもかかわらず、はじめてものには外国がいこくのようにえる。しかしその核心かくしんにあるのは、おどろくほどシンプルないだ。主観しゅかん客観きゃっかん自己じこ世界せかいかれる以前いぜん根源こんげんてき経験けいけんとはなにか」。このいは、ウィリアム・ジェイムズWilliam James根本こんぽんてき経験けいけんろんフッサールHusserl現象げんしょうがくぜん仏教ぶっきょうさとりの体験たいけんひとつの地平ちへい統合とうごうしようとする壮大そうだいこころみに西田にしだみちびいた。「経験けいけんとはなにか」「意識いしき根源こんげんとはなにか」。のう科学かがくこころ哲学てつがく飛躍ひやくてき発展はってんした今日きょうにおいても、このいはかつてないほど切迫せっぱくしている。そのいのもっと独創どくそうてき探究たんきゅうしゃ一人ひとりが、西田にしだ幾多郎きたろうである。

この記事きじ要点ようてん

  • 純粋じゅんすい経験けいけん」── 主客しゅきゃくぶん根源こんげん西田にしだは、主観しゅかん(「わたし」)と客観きゃっかん(「られる世界せかい」)がかれる以前いぜん直接的ちょくせつてき経験けいけん──いろ瞬間しゅんかんおといた瞬間しゅんかんの、判断はんだん反省はんせいもないなま経験けいけん──を「純粋じゅんすい経験けいけん」とび、これこそが実在じつざい根本こんぽん形態けいたいだと主張しゅちょうした。これは西洋せいよう近代きんだい哲学てつがくデカルトDescartes以来いらい前提ぜんていとしてきた「主観しゅかん客観きゃっかん」の二元論にげんろん根底こんていからなおこころみである。
  • 絶対ぜったい場所ばしょ」── 西洋せいよう論理ろんりがく限界げんかいへの挑戦ちょうせん西田にしだ後年こうねん純粋じゅんすい経験けいけん立場たちばを「場所ばしょ」の論理ろんりへと発展はってんさせた。西洋せいようろん理学りがくが「あるもの(有)ゆうげんがいしゃ」を基盤きばんとするのにたいし、西田にしだは「」──しかもあらゆる「ゆう」をつつむ「絶対ぜったい」──こそが、すべての存在そんざい認識にんしき成立せいりつする「場所ばしょ」だとろんじた。これは東洋とうようの「」の伝統でんとう哲学てつがくてき概念がいねんとしてきたげる前例ぜんれいのないこころみであった。
  • 絶対ぜったい矛盾むじゅんてき自己じこ同一どういつ」── 対立たいりつ根源こんげんてき統一とういつ西田にしだ哲学てつがく到達とうたつてんは、矛盾むじゅんするものが矛盾むじゅんしたままひとつであるという「絶対ぜったい矛盾むじゅんてき自己じこ同一どういつ」の論理ろんりである。全体ぜんたいゆう主観しゅかん客観きゃっかん──これらは排除はいじょうのではなく、相互そうご否定ひていつうじて根源こんげんてきひとつである。この論理ろんりは、ヘーゲルHegel弁証法べんしょうほうの「止揚しようアウフヘーベンAufheben)」ともぜんの「そく論理ろんり」ともことなる、西田にしだ独自どくじ存在そんざいろんてき洞察どうさつである。

生涯しょうがい時代じだい背景はいけい

西田にしだ幾多郎きたろうは1870ねん明治めいじ3ねん)5がつ19にち石川いしかわけん河北かほくぐんむらげん・かほく)にまれた。加賀かがはん下級かきゅう士族しぞく家系かけいであり、ちち得登とくと小学しょうがく校長こうちょうつとめた教育きょういくしゃだった。明治維新めいじいしんからわずか3ねん武士ぶし時代じだいわり、日本にっぽん急速きゅうそく近代きんだい突入とつにゅうした時代じだいである)。「哲学てつがく」という日本語にほんご自体じたいが、西周にしあまねによって "philosophy" の訳語やくごとしてつくられたのは1874ねんのこと。西田にしだまれたとき、日本にっぽんにはまだ「哲学てつがく」という言葉ことばすら定着ていちゃくしていなかった。

1886ねんごろ西田にしだだいよん高等こうとう中学校ちゅうがっこうのちだいよん高等こうとう学校がっこう金沢かなざわ)に入学にゅうがくする。ここで生涯しょうがい親友しんゆうとなる鈴木すずきさだ太郎たろうのち鈴木すずき大拙だいせつぜん世界せかい紹介しょうかいした仏教ぶっきょう思想家しそうか)と出会であう。にんつくえならべてまなび、ともにぜん関心かんしんいた。この友情ゆうじょうは70ねんあまりにわたってつづき、書簡しょかんつうじてたがいの思索しさく刺激しげきった。西田にしだが「哲学てつがく言語げんご」でぜんかたろうとし、鈴木すずきが「ぜん言語げんご」で世界せかいかたりかけた。このふたつのみちおなからびたえだである。

1891ねん東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく文科ぶんか大学だいがく哲学てつがくに「選科せんかせい」(正規せいき課程かていではなく聴講ちょうこうちか身分みぶん)として入学にゅうがく当時とうじ東京帝大とうきょうていだい哲学てつがくはドイツ観念論かんねんろん輸入ゆにゅう中心ちゅうしんであり、西田にしだカントKantヘーゲルHegelショーペンハウアーSchopenhauerまなんだ。しかし選科せんかせいという身分みぶん正規せいき学位がくいをもたらさず、卒業そつぎょうのちのアカデミックキャリアにはおおきな不利ふりとなった。この経験けいけんは、体制たいせいないでの不遇ふぐうと、それにもかかわらず自力じりきみちひらねばづよさを、西田にしだ人格じんかくきざんだ。

1894ねん東京帝大とうきょうていだいり、石川いしかわけん中学校ちゅうがっこう教師きょうしだいよん高等こうとう学校がっこう講師こうしとして地方ちほうでの教育きょういく生活せいかつおくる。この時期じき西田にしだ参禅さんぜん本格ほんかくてき開始かいしした。京都きょうと妙心寺みょうしんじ禅堂ぜんどうかよい、臨ざいぜん修行しゅぎょうんだ。西田にしだ日記にっきには坐禅ざぜん記録きろく克明こくめいのこされている。「いち」に集中しゅうちゅうする修行しゅぎょうくるしさと、ときおりおとずれる透徹とうてつしたさとし瞬間しゅんかん。「哲学てつがくしょんで知識ちしき」ではなく「坐禅ざぜんつうじて身体しんたいつかんだ経験けいけん」が、やがて西田にしだ哲学てつがく核心かくしん(「純粋じゅんすい経験けいけん」)を形作かたちづくることになる。

1910ねん、40さいにして京都きょうと帝国ていこく大学だいがく文科ぶんか大学だいがく助教授じょきょうじゅ就任しゅうにん。1911ねん、『ぜん研究けんきゅう』を弘道こうどうかんから刊行かんこうする。この書物しょもつ哲学てつがく専門せんもんしょでありながら、旧制きゅうせい高校こうこう学生がくせいたちを中心ちゅうしんひろまれ、哲学てつがくしょとしては異例いれい反響はんきょうんだ。大正たいしょう教養きょうよう主義しゅぎなみり、「ぜん研究けんきゅうんだか」は知識ちしき青年せいねんたちの合言葉あいことばのようになったとつたえられる。1913ねん教授きょうじゅ昇任しょうにんし、以後いご1928ねん退官たいかんまで京都きょうとていだい教鞭きょうべんった。

京大きょうだい西田にしだ研究けんきゅうしつからは、田辺たなべはじめ三木みききよし西谷にしたに啓治けいじ久松ひさまつ真一しんいち高坂こうさか正顕まさあきら、のちの「京都きょうと学派がくは」の中核ちゅうかくにな思想家しそうか次々つぎつぎ輩出はいしゅつされた。西田にしだ講義こうぎ口下手くちべたけっして雄弁ゆうべんではなかったが、思索しさくふかさと誠実せいじつさが学生がくせいきつけたという。自宅じたくから大学だいがくまでの通勤つうきん銀閣寺ぎんかくじ付近ふきんから疏水そすい沿いに南禅寺なんぜんじ方面ほうめんかう小径しょうけい)を、西田にしだ毎日まいにちふか瞑想めいそうなかあるいた。弟子でし田辺たなべはじめもまたこのみちあるいたことから、この散歩道さんぽみちはいつしか「哲学てつがくみち」とばれるようになり、今日きょうでは京都きょうと代表だいひょうする名所めいしょとしてられている。

西田にしだ私生活しせいかつは、ふか悲哀ひあいいろどられていた。1907ねん長男ちょうなんけんおさなくして病死びょうしし、1920年代ねんだいには長女ちょうじょいくやまいたおれた。つま寿美すみなが病床びょうしょうにあり、1925ねんくなった。晩年ばんねん日記にっき西田にしだしるしている。「哲学てつがく動機どうきは『おどろき』ではなくしてふか人生じんせい悲哀ひあいでなければならない」。アリストテレスἈριστοτέλης哲学てつがくはじまりを「おどろき(タウマゼインthaumazein)」にもとめたのにたいし、西田にしだ自身じしん骨身ほねみみたかなしみを哲学てつがく源泉げんせんた。「純粋じゅんすい経験けいけん」や「絶対ぜったい」という抽象ちゅうしょうてき概念がいねん背後はいごに、うしなった父親ちちおやなげきがある。このてん見落みおとすと、西田にしだ哲学てつがくたんなる知的ちてきゲームに矮小わいしょうされる。

1928ねん京大きょうだい退官たいかんしたのち京都きょうとつづけ、著述ちょじゅつ専念せんねんした。晩年ばんねん鎌倉かまくらうつり、太平洋戦争たいへいようせんそう渦中かちゅうで「世界せかいしん秩序ちつじょ原理げんり」(1943ねん)など政治せいじてきテクストtextのこしている(後述こうじゅつ批判ひはん論争ろんそう」を参照さんしょう)。1945ねん6がつ7なのか鎌倉かまくらにて尿毒症にょうどくしょうのため死去しきょ享年きょうねん75さい日本にっぽん無条件むじょうけん降伏こうふくのわずか2かげつまえ西田にしだ生涯しょうがいをかけて「東洋とうよう西洋せいよう架橋かきょう」をこころみた知的ちてきいとなみは、そのはし戦火せんかによってかれる直前ちょくぜんわった。

ミニ年表ねんぴょう

  • 1870ねん石川いしかわけん河北かほくぐんむらげん・かほく)にまれる。加賀かが藩士はんしぞく家系かけい
  • 1886ねんころだいよん高等こうとう中学校ちゅうがっこう金沢かなざわ)に入学にゅうがく鈴木すずき大拙だいせつさだ太郎たろう)と出会であ
  • 1891ねん東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく文科ぶんか大学だいがく哲学てつがく選科せんか入学にゅうがく
  • 1894ねん東京帝大とうきょうていだいる。石川いしかわけん尋常じんじょう中学校ちゅうがっこう教師きょうしとなる
  • 1896ねんころ参禅さんぜん本格ほんかくてき開始かいし京都きょうと妙心寺みょうしんじなどの禅堂ぜんどうかよ
  • 1899ねんだいよん高等こうとう学校がっこう講師こうし就任しゅうにん
  • 1907ねん長男ちょうなんけん病死びょうし
  • 1910ねん京都きょうと帝国ていこく大学だいがく文科ぶんか大学だいがく助教授じょきょうじゅ就任しゅうにん
  • 1911ねん:『ぜん研究けんきゅう刊行かんこう弘道こうどうかん)。哲学てつがくしょとしては異例いれい反響はんきょう
  • 1913ねん京都きょうと帝国ていこく大学だいがく教授きょうじゅ昇任しょうにん
  • 1917ねん:『自覚じかくける直観ちょっかん反省はんせい刊行かんこう
  • 1925ねんつま寿美すみ死去しきょ
  • 1926ねん論文ろんぶん場所ばしょ発表はっぴょう(『哲学てつがく研究けんきゅう』)。「場所ばしょ論理ろんり」への決定的けっていてき転換てんかん
  • 1927ねん:『はたらくものからるものへ』刊行かんこう
  • 1928ねん京都きょうと帝国ていこく大学だいがく退官たいかん京都きょうとにて著述ちょじゅつ専念せんねん
  • 1933-1934ねん:『哲学てつがく根本こんぽん問題もんだい』(せいぞく刊行かんこう
  • 1939ねん:「絶対ぜったい矛盾むじゅんてき自己じこ同一どういつ論文ろんぶん発表はっぴょう
  • 1945ねん:6がつ7なのか鎌倉かまくらにて死去しきょ享年きょうねん75さい)。遺稿いこう場所ばしょてき論理ろんり宗教しゅうきょうてき世界せかいかん」が遺作いさくとなる

西田にしだなにうたのか

西田にしだきた明治めいじ大正たいしょう昭和しょうわ日本にっぽんは、西洋せいよう文明ぶんめい猛烈もうれつ吸収きゅうしゅう没頭ぼっとうしていた。哲学てつがくもその例外れいがいではなく、井上いのうえ哲次郎てつじろう大西祝おおにしはじめ先行せんこう世代せだい仕事しごとは、カントKantヘーゲルHegel紹介しょうかい解説かいせつ中心ちゅうしんであった。「西洋せいよう哲学てつがく正確せいかく理解りかいすること」がそのまま「哲学てつがくすること」となされた時代じだいに、西田にしだはまったくべついをてた。西洋せいよう哲学てつがく根本こんぽん前提ぜんていそのものをなおすことはできないか

デカルトDescartes以来いらい西洋せいよう哲学てつがくは「かんがえる主体しゅたいコギトcogito)」と「かんがえられる対象たいしょう世界せかい)」の分離ぶんり出発しゅっぱつてんとし、主観しゅかんがいかにして客観きゃっかん正確せいかく認識にんしきできるかという「認識にんしきろん」を中心ちゅうしん問題もんだいとしてきた。カントKantはこのいに「純粋じゅんすい理性りせい批判ひはん」で応答おうとうし、ヘーゲルHegel弁証法べんしょうほうによって主観しゅかん客観きゃっかん統一とういつこころみた。しかし、と西田にしだう。主観しゅかん客観きゃっかん区別くべつそのものが、すでに派生はせいてき事態じたいではないか

いろ瞬間しゅんかん、「わたしいろている」という反省はんせいはまだしょうじていない。その反省はんせい以前いぜん直接的ちょくせつてき経験けいけん(「あかい」という意識いしきがただそこにある状態じょうたい)こそが、もっと根源こんげんてき実在じつざい形態けいたいなのではないか。「わたし」と「あか」がかれるのは、その反省はんせいてき思考しこう介入かいにゅうするからにすぎない。

このいは、西田にしだどう時代じだいせっしたふたつの思想しそう潮流ちょうりゅうふか共鳴きょうめいしていた。ひとつはウィリアム・ジェイムズWilliam Jamesの「純粋じゅんすい経験けいけんピュア・エクスペリエンスpure experience)」の概念がいねんである。ジェイムズJamesは1904ねん論文ろんぶん「『意識いしき』は存在そんざいするか」およびその続編ぞくへん純粋じゅんすい経験けいけん世界せかい」で、主観しゅかんでも客観きゃっかんでもない「経験けいけんそのもの」を実在じつざい根本こんぽんえる根本こんぽんてき経験けいけんろん提唱ていしょうした。西田にしだの「純粋じゅんすい経験けいけん概念がいねんジェイムズJamesから直接ちょくせつ影響えいきょうけている(ただし西田にしだジェイムズJames以上いじょうにこの概念がいねん存在そんざいろんてき深化しんかさせた)。もうひとつはぜん仏教ぶっきょう体験たいけんである。じゅうねん以上いじょうにわたる参禅さんぜんつうじて西田にしだ体得たいとくした「主客しゅきゃく合一ごういつ」の境地きょうちるものとられるものがかれていない直接的ちょくせつてきさとし)は、哲学てつがくしょからではなく身体しんたいつうじてられた経験けいけんてき基盤きばんであった。

西田にしだ独創どくそうてきだったのは、この「主客しゅきゃくぶん経験けいけん」を、たんなる神秘しんぴ体験たいけん詩的してき直観ちょっかんとしてではなく、西洋せいよう哲学てつがく厳密げんみつ論理ろんり概念がいねん装置そうちもちいて体系たいけいてき言語げんごしようとしたてんにある。ぜん老師ろうし公案こうあん沈黙ちんもくでこの経験けいけんつたえるが、西田にしだカントKantヘーゲルHegelフィヒテFichteフッサールHusserlベルクソンBergson言語げんご駆使くししてそれを哲学てつがくてき命題めいだい体系たいけい鋳造ちゅうぞうしようとした。このこころみが「東洋とうよう西洋せいよう架橋かきょう」とばれる所以ゆえんであり、同時どうじにその困難こんなんさが西田にしだ哲学てつがく難解なんかいさの主要しゅよう原因げんいんでもある。「言葉ことばにできないもの」をあえて言葉ことばにしようとする。この不可能ふかのうへの挑戦ちょうせんが、西田にしだ哲学てつがく根本こんぽんてき緊張きんちょうしている。

核心かくしん理論りろん

1. 純粋じゅんすい経験けいけん ── 主客しゅきゃくぶん実在じつざい

西田にしだ哲学てつがく出発しゅっぱつてんは『ぜん研究けんきゅう』(1911ねん)で提示ていじされた「純粋じゅんすい経験けいけん」の概念がいねんである。西田にしだはこういている。「経験けいけんするというのは事実じじつ其儘にるのである。まった自己じこ細工ざいくてて、事実じじつしたがうてるのである」(『ぜん研究けんきゅうだいいちへんだいいちしょう)。ここで「自己じこ細工ざいく」とは、判断はんだん分類ぶんるい反省はんせいといった知的ちてき操作そうさのことである。それらが介入かいにゅうする以前いぜんの、なま経験けいけんそのものが「純粋じゅんすい経験けいけん」である。

具体ぐたいれいげよう。すぐれた音楽家おんがくか演奏えんそう没入ぼつにゅうしているとき、「わたし演奏えんそうしている」という意識いしきはない。音楽おんがく演奏えんそうしゃ一体いったいとなった状態じょうたいがある。あるいは、断崖だんがいって壮大そうだい風景ふうけいにした瞬間しゅんかん、「わたし」と「風景ふうけい」の区別くべつえ、ただ圧倒的あっとうてき経験けいけんだけがある。スポーツ選手せんしゅう「ゾーンにはいる」状態じょうたい自意識じいしきえ、行為こうい環境かんきょうひとつになる瞬間しゅんかん)もまた、純粋じゅんすい経験けいけんいちれいである。西田にしだによれば、このような状態じょうたいこそが経験けいけん根源こんげんてき形態けいたいであり、「主観しゅかん客観きゃっかん認識にんしきする」という構図こうずは、この根源こんげんてき経験けいけんから事後じごてき抽象ちゅうしょうされた派生はせいてき事態じたいにすぎない。

この立場たちば射程しゃていおおきい。デカルトDescartesの「わがおもう、ゆえにわがあり(コギト・エルゴ・スムcogito ergo sum)」は、「おもう」という行為こういなかにすでに「おも主体しゅたいわが)」を前提ぜんていとしてんでいる。西田にしだわせれば、「おもう」という経験けいけんそのものが根源こんげんてきであり、そこに「わが」を見出みいだすのはてき反省はんせい所産しょさんである。この意味いみで、西田にしだ純粋じゅんすい経験けいけんろんデカルトDescartesてきコギトcogito根底こんていくずこころみであり、フッサールHusserlが「志向しこうせい」の分析ぶんせきつうじて、メルロ=ポンティMerleau-Pontyが「知覚ちかく現象げんしょうがく」をつうじて到達とうたつしようとした地点ちてんふかしんえんせいつ。

ただし、『ぜん研究けんきゅう』には根本こんぽんてき困難こんなんふくまれていた。純粋じゅんすい経験けいけん言語げんごすること自体じたいが、すでに純粋じゅんすい経験けいけんからの逸脱いつだつではないのか。言語げんご主語しゅご述語じゅつご構造こうぞうち、必然ひつぜんてき主客しゅきゃく分離ぶんり含意がんいする。「純粋じゅんすい経験けいけんがある」といた瞬間しゅんかん、そこには「純粋じゅんすい経験けいけん」(対象たいしょう)と「それについてかたわたし」(主体しゅたい)の分裂ぶんれつしょうじている。西田にしだ自身じしんもこの困難こんなん自覚じかくしており、後年こうねんには『ぜん研究けんきゅう』の立場たちばをそのまま維持いじするのではなく、よりふか論理ろんり展開てんかいする必要ひつようかえかたっている。後年こうねんの「場所ばしょ論理ろんり」への展開てんかいは、この言語げんご困難こんなんえるためのこころみでもあった。

2. 自覚じかく ── 自己じこ自己じこうつ構造こうぞう

ぜん研究けんきゅう西田にしだ純粋じゅんすい経験けいけん概念がいねんをさらに深化しんかさせ、「自覚じかく」の哲学てつがくへと移行いこうする。中心ちゅうしん著作ちょさくは『自覚じかくける直観ちょっかん反省はんせい』(1917ねん)である。ここで西田にしだ注目ちゅうもくするのは、意識いしき自分じぶん自身じしん意識いしきするという再帰さいきてき構造こうぞう(「自覚じかく」)である。

自覚じかくとは、たんなる自己じこ認識にんしきではない。かがみうつった自分じぶんかおることではなく、行為こういそのものがられる行為こうい同一どういつであるような事態じたい(「自己じこ自己じこなか自己じこうつす」構造こうぞう)をす。フィヒテFichteの「自我じが自我じが自身じしん定立ていりつする(ダス・イッヒ・ゼッツト・ジッヒ・ゼルプストDas Ich setzt sich selbst)」という命題めいだい西田にしだ独自どくじ発展はってんさせ、自覚じかく構造こうぞうなかに「直観ちょっかん」(直接的ちょくせつてき把握はあく)と「反省はんせい」(自己じこ対象たいしょうする知的ちてき操作そうさ)の統一とういつ見出みいだそうとした。

この段階だんかいでの西田にしだ課題かだいは、純粋じゅんすい経験けいけんの「主客しゅきゃくぶん」の洞察どうさつを、たんなる出発しゅっぱつてんではなく、意識いしき構造こうぞう全体ぜんたい説明せつめいする原理げんりにまでたかめることだった。しかし西田にしだ次第しだいに、この「自覚じかく」の体系たいけいがなおフィヒテFichteてきな「自我じが」の枠組わくぐみにしばられていることに不満ふまんかんじる。「自覚じかくする自我じが」はまだ「主体しゅたい」のがわにとどまっており、しん主客しゅきゃく分離ぶんりえてはいない。「主体しゅたい哲学てつがく」の内部ないぶでいくらふかりしても、「主体しゅたい」というわくそのもののそとにはられない。このまりが、つぎの「場所ばしょ」の論理ろんりへの決定的けっていてき転換てんかん準備じゅんびした。

3. 場所ばしょ論理ろんり ── 「いてある」の哲学てつがく

1926ねん論文ろんぶん場所ばしょ」は、西田にしだ哲学てつがく決定的けっていてき転換てんかんてんとされる。西田にしだはここで、アリストテレスἈριστοτέλης以来いらい西洋せいようろん理学りがくが「主語しゅご」と「述語じゅつご」の構造こうぞう(「SはPである」)にもとづいていることに注目ちゅうもくする。この構造こうぞうでは、「S(主語しゅご)」にたるもの、すなわち「基体きたいヒュポケイメノンὑποκείμενον)」が存在そんざい中心ちゅうしんかれる。なにかが「ある」とは、つまり主語しゅご位置いちつことである。

西田にしだはこの構造こうぞう逆転ぎゃくてんさせる。「あるもの」(主語しゅごてきなもの)ではなく、あるものが「いてある場所ばしょ」(述語じゅつごてきなもの)こそが、より根源こんげんてきではないか。あかはなが「ある」とき、その「ある」を可能かのうにしている「」がある。意識いしきなにかを認識にんしきするとき、その認識にんしきつつんでいる「場所ばしょ」がある。西田にしだはこの「場所ばしょ」をみっつのそうける。

だいいちに「ゆう場所ばしょ」(自然しぜん科学かがくあつか物理ぶつりてき世界せかい物体ぶったい空間くうかん時間じかんという「場所ばしょ」のなか存在そんざいする)。だいに「相対そうたい場所ばしょ」(意識いしき意識いしき物理ぶつりてき対象たいしょうつつんで認識にんしきするが、意識いしき自体じたい物理ぶつりてき対象たいしょうではない。意識いしきは「なにものでもない()」からこそ、あらゆるものをうつかがみとなりうる。ちょうどかがみ透明とうめい無色むしょく)であるからこそいろうつせるように)。だいさんに「絶対ぜったい場所ばしょ」(意識いしきすらもつつ究極きゅうきょく場所ばしょ。これはゆうでもでもなく、ゆう対立たいりつそのものをえた場所ばしょであり、西田にしだはこれを「絶対ぜったい」とぶ)。

絶対ぜったい」はたんなる「なにもない状態じょうたい」ではない。むしろ、あらゆる存在そんざい存在そんざいみずからのうちふく無限むげん包摂ほうせつりょくつ「場所ばしょ」である。西洋せいよう哲学てつがくが「ゆう存在そんざい、Being)」を基盤きばんとするのにたいし(パルメニデスΠαρμενίδηςの「あるものはある、ないものはない」からハイデガーHeideggerの「存在そんざいい」にいたるまで)、西田にしだは「」を基盤きばんえた。しかしそれは西洋せいようてきな「ゆう」の単純たんじゅん否定ひていではなく、「ゆう」をもつつむ「」、つまり大乗だいじょう仏教ぶっきょうでいう「くうシューニャターśūnyatā)」やぜんでいう「」の哲学てつがくてき言語げんごである。

この「場所ばしょ論理ろんり」は、西洋せいよう論理ろんりがくアリストテレスἈριστοτέληςてき伝統でんとう主語しゅごてき論理ろんり)にたいする根本こんぽんてき批判ひはんであり代替だいたいあんであった。西田にしだ主張しゅちょうは、西洋せいよう論理ろんりがくつねに「あるもの」を起点きてんとするが、「あるもの」が「ある」ためにはそれをつつむ「場所ばしょ」が必要ひつようであり、その究極きゅうきょく場所ばしょは「ゆう」ではなく「」であるというものだった。この発想はっそうは、西洋せいよう哲学てつがく内部ないぶからはおそらくてこなかった。ぜん修行しゅぎょうつうじて「」を体得たいとくし、同時どうじ西洋せいよう哲学てつがく論理ろんり構造こうぞう熟知じゅくちしていた西田にしだだからこそ到達とうたつしえた視点してんである。

4. 絶対ぜったい矛盾むじゅんてき自己じこ同一どういつ ── 対立たいりつえる論理ろんり

西田にしだ哲学てつがく後期こうき代表だいひょうする概念がいねんが「絶対ぜったい矛盾むじゅんてき自己じこ同一どういつ」である。この概念がいねんは1939ねん同名どうめい論文ろんぶん(『哲学てつがくろん文集ぶんしゅう だいさん所収しょしゅう)で体系たいけいてき展開てんかいされた。

この概念がいねん理解りかいするには、まず通常つうじょう論理ろんりがくにおける矛盾むじゅんりつ(「Aであり、かつAでない」ということはありえない)を想起そうきする必要ひつようがある。西田にしだろんじているのは、この矛盾むじゅんりつ単純たんじゅん否定ひていすることではなく、矛盾むじゅんするふたつの契機けいき矛盾むじゅんしたままひとつの実在じつざい構成こうせいするという事態じたいである。

たとえば「全体ぜんたい」の関係かんけいかんがえる。しん全体ぜんたいから独立どくりつして存在そんざいするのではなく、全体ぜんたいなかにおいてはじめてとして成立せいりつする。しかし同時どうじに、全体ぜんたいもまた個々ここ要素ようそなしには存在そんざいしない。全体ぜんたい否定ひていし(全体ぜんたいではない)、全体ぜんたい否定ひていする(全体ぜんたいではない)。しかしこの相互そうご否定ひていつうじて、両者りょうしゃ根源こんげんてきひとつの実在じつざい形成けいせいしている。これが「絶対ぜったい矛盾むじゅんてき自己じこ同一どういつ」である。

これはヘーゲルHegel弁証法べんしょうほうせいはんごう)とどうちがうのか。ヘーゲルHegel弁証法べんしょうほうでは、矛盾むじゅんは「止揚しようアウフヘーベンAufheben)」によって高次こうじ統一とういつ解消かいしょうされる。AとBの対立たいりつはCという合一ごういつに「げられる」。しかし西田にしだの「絶対ぜったい矛盾むじゅんてき自己じこ同一どういつ」では、矛盾むじゅん解消かいしょうされない。AとBは矛盾むじゅんしたまま(矛盾むじゅん保持ほじしたまま)同一どういつなのである。西田にしだヘーゲルHegel弁証法べんしょうほうを「まだ合理ごうり主義しゅぎてきであり、しん矛盾むじゅんえていない」と批判ひはんした。

ぜん言葉ことばえば、「やまやまであり、みずみずである」→「やまやまにあらず、みずみずにあらず」→「やまはやはりやまであり、みずはやはりみずである」。このさんだん否定ひてい肯定こうてい一瞬いっしゅんのうちに成立せいりつする事態じたい(「否定ひてい否定ひてい」がたんなるもとへの回帰かいきではなく、まったあたらしいふかさでの肯定こうていとなる事態じたい)が絶対ぜったい矛盾むじゅんてき自己じこ同一どういつ具体ぐたいてき意味いみである。身近みぢかれいげれば、「わたし完全かんぜん自由じゆうであると同時どうじ完全かんぜん制約せいやくされている」──人間にんげん自由じゆう制約せいやくてきままではなく、身体しんたい言語げんご歴史れきし他者たしゃという徹底的てっていてき制約せいやくなかでこそ成立せいりつする。自由じゆう制約せいやく矛盾むじゅんしつつ同一どういつである。西田にしだはこの論理ろんりを、たん抽象ちゅうしょうてき形而上学けいじじょうがくとしてではなく、歴史れきし宗教しゅうきょう芸術げいじゅつ道徳どうとく領域りょういきにまで適用てきようしようとした。

5. 行為こういてき直観ちょっかん ── 「つくることによってる」

後期こうき西田にしだ哲学てつがくのもうひとつの重要じゅうよう概念がいねんが「行為こういてき直観ちょっかん」である。これは認識にんしきろん存在そんざいろん統一とういつ目指めざ概念がいねんであり、「ものをつくることがものをることであり、ものをることがものをつくることである」(『哲学てつがくろん文集ぶんしゅう だい』)という逆説ぎゃくせつてき命題めいだい表現ひょうげんされる。

西洋せいよう近代きんだい認識にんしきろんでは、認識にんしきはまず対象たいしょうを「る」(観察かんさつする)ことからはじまり、つぎにそれに「はたらきかける」(実践じっせんする)という順序じゅんじょ暗黙あんもく前提ぜんていとされてきた。理論りろんさき実践じっせん西田にしだはこの順序じゅんじょ根本こんぽんてきなおす。陶芸とうげい轆轤ろくろかうとき、完成かんせいがたの「設計せっけい」がさきにあってそれを粘土ねんどに「適用てきよう」するのではない。粘土ねんどれ、回転かいてんする轆轤ろくろうえうごかす行為こういなかで、うつわかたちあらわれてくる。粘土ねんど抵抗ていこうつたわり、その感触かんしょくつぎうごきをみちびく。行為こういなか直観ちょっかんがあり、直観ちょっかんなか行為こういがある。両者りょうしゃ分離ぶんり不可能ふかのうである。

この概念がいねんは、マルクスMarxの「実践じっせんプラクシスpraxis)」概念がいねん人間にんげん世界せかい解釈かいしゃくするだけでなく変革へんかくする)やハイデガーHeideggerの「道具どうぐてき存在そんざいツーハンデンハイトZuhandenheit)」(ハンマーを「ながめる」のではなく「使つかう」ことのなかでハンマーの存在そんざい開示かいじされる)との類似るいじせい指摘してきされている。しかし西田にしだの「行為こういてき直観ちょっかん」は、これらを存在そんざいろんてき一層いっそうふか水準すいじゅん(「世界せかい自己じこ自身じしん形成けいせいする」過程かていとしての行為こうい)へとすすめた。認識にんしきする主体しゅたい世界せかいを「そとから」ながめるのではなく、主体しゅたい自身じしん世界せかい自己じこ形成けいせい一部いちぶであり、「わたし世界せかいつくる」と同時どうじに「世界せかいわたしつくる」。この相互そうご形成けいせい動的どうてき過程かていが、行為こういてき直観ちょっかん核心かくしんである。

主要しゅよう著作ちょさくガイド

西田にしだ著作ちょさく難解なんかいであり、入門にゅうもんしょから段階だんかいてきすすめることがつよ推奨すいしょうされる。以下いか順序じゅんじょしめす。

  • 小坂こさか国継くにつぐ西田にしだ幾多郎きたろう思想しそう』(講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ、2002ねん) ── 西田にしだ哲学てつがく全体ぜんたいぞう平明へいめい日本語にほんご概説がいせつする定評ていひょうのある入門にゅうもんしょ。「純粋じゅんすい経験けいけん」から「絶対ぜったい矛盾むじゅんてき自己じこ同一どういつ」にいた思想しそう展開てんかいを、とき系列けいれつ沿ってうことができる。最初さいしょむべきいっさつ
  • 藤田ふじた正勝まさかつ西田にしだ幾多郎きたろう──きることと哲学てつがく』(岩波いわなみ新書しんしょ、2007ねん) ── 西田にしだ生涯しょうがい思想しそう一体いったいのものとしてえが伝記でんきてき入門にゅうもんしょ哲学てつがく内容ないようだけでなく、西田にしだがどのような経験けいけんから思索しさくつむしたかをることができる。
  • 西田にしだ幾多郎きたろうぜん研究けんきゅう』(岩波いわなみ文庫ぶんこ) ── 西田にしだ処女しょじょさくにして代表だいひょうさくだいいちへん純粋じゅんすい経験けいけん」が核心かくしん文体ぶんたい後期こうき著作ちょさくくらべれば格段かくだんみやすく、哲学てつがくしょとしての完成かんせいたかい。日本語にほんごかれた独創どくそうてき哲学てつがくしょとして歴史れきしてき意義いぎつ。ただし後期こうき西田にしだ哲学てつがくとの断絶だんぜつもあるため、これだけで西田にしだ理解りかいしたとおもわないこと。
  • 西田にしだ幾多郎きたろうはたらくものからるものへ』(岩波いわなみ文庫ぶんこ) ── 「場所ばしょ」の論理ろんりへの転換期てんかんき論文ろんぶんしゅう。「場所ばしょ論文ろんぶんふくむ。西田にしだ哲学てつがく中期ちゅうき代表だいひょうする著作ちょさくであり、『ぜん研究けんきゅう』から後期こうきへの橋渡はしわたしとなる。
  • 西田にしだ幾多郎きたろう西田にしだ幾多郎きたろう哲学てつがく論集ろんしゅう III』(上田うえだ閑照しずてるへんちゅう岩波いわなみ文庫ぶんこ) ── 「絶対ぜったい矛盾むじゅんてき自己じこ同一どういつ」など後期こうき核心かくしんてき論文ろんぶん注釈ちゅうしゃくつきで収録しゅうろくきわめて難解なんかいだが、西田にしだ哲学てつがく到達とうたつてんるためにはけてとおれない。上田うえだちゅう理解りかいたすけになる。
  • 上田うえだ閑照しずてる西田にしだ幾多郎きたろうとはだれか』(岩波いわなみ現代げんだい文庫ぶんこ、2002ねん) ── 京都きょうと学派がくは継承けいしょうしゃによる本格ほんかくてき西田にしだろん西田にしだ哲学てつがくぜん伝統でんとうとの関係かんけいにおいてふかく。西田にしだを「内側うちがわから」理解りかいするための必読ひつどく文献ぶんけん

主要しゅよう批判ひはん論争ろんそう

1. 田辺たなべはじめ批判ひはんどう時代じだい西田にしだもっと重要じゅうよう批判ひはんしゃは、京都きょうとていだい同僚どうりょうであり弟子でしでもあった田辺たなべはじめである。田辺たなべは1930ねん論文ろんぶん西田にしだ先生せんせいきょうあおぐ」で、西田にしだの「場所ばしょ論理ろんり」が「直観ちょっかんてき」にすぎ、論理ろんりてき媒介ばいかいいていると批判ひはんした。西田にしだの「絶対ぜったい」はぜんてき直接ちょくせつ体験たいけん依拠いきょするが、哲学てつがくはそのような直接ちょくせつせい論理ろんりてき媒介ばいかいしなければならない、と田辺たなべ主張しゅちょうした。田辺たなべはこれにたいして「たね論理ろんり」──るいに「たね」(民族みんぞく社会しゃかいといった具体ぐたいてき共同きょうどうたい)を媒介ばいかいこうとして挿入そうにゅうする弁証法べんしょうほう──を提唱ていしょうした。師弟してい関係かんけいにあったにん公開こうかい論争ろんそうは、日本にっぽん哲学てつがく史上しじょうもっと生産せいさんてき知的ちてき対決たいけつひとつとされ、西田にしだもこの批判ひはん応答おうとうするかたち自身じしん論理ろんり精緻せいちしていった。

2. 戸坂とさかじゅんマルクスMarx主義しゅぎてき批判ひはんどう時代じだい京都きょうと学派がくは左派さはぞくする戸坂とさかじゅんは、西田にしだ哲学てつがくの「観念論かんねんろんてき性格せいかくするど批判ひはんした。戸坂とさか西田にしだの「場所ばしょ」の論理ろんり社会しゃかいてき歴史れきしてき現実げんじつから遊離ゆうりした抽象ちゅうしょうてき形而上学けいじじょうがくであるとろんじ、マルクスMarx唯物ゆいぶつろんてき弁証法べんしょうほうこそが現実げんじつ変革へんかくする哲学てつがくだと主張しゅちょうした。西田にしだが「絶対ぜったい」という超越ちょうえつてき原理げんりうったえること自体じたいが、社会しゃかいてき現実げんじつ矛盾むじゅんおおかく機能きのうつ──これは「現実げんじつくるしみを観念かんねんてき解消かいしょうしてしまう」観念論かんねんろんへの古典こてんてき批判ひはん変奏へんそうである。戸坂とさか治安ちあん維持いじほう違反いはん投獄とうごくされ、1945ねん8がつ9ここのか敗戦はいせんのわずか6むいかまえ獄中ごくちゅう病死びょうしした。

3. 政治せいじてき論争ろんそう──戦争せんそう協力きょうりょくをめぐって(きん現代げんだい西田にしだ政治せいじてき立場たちばをめぐる論争ろんそうは、今日きょうなお解決かいけつしていない。西田にしだ太平洋戦争たいへいようせんそうちゅうに「世界せかいしん秩序ちつじょ原理げんり」(1943ねん)など、日本にっぽん中心ちゅうしんとする「東亜とうあ共栄きょうえいけん」の理念りねんてき基礎きそづけとみうるテクストtextのこしている。一方いっぽうで、軍部ぐんぶ単純たんじゅん膨張ぼうちょう主義しゅぎには批判ひはんてきであり、「かく民族みんぞくがそれぞれの個性こせいたもちつつひとつの世界せかい形成けいせいする」という理念りねんは、軍国ぐんこく主義しゅぎとはことなる普遍ふへんてきなビジョンをふくんでいたとする解釈かいしゃくもある。さらに、軍部ぐんぶ政策せいさくたいして批判ひはんてき私信ししんのこされており、西田にしだ真意しんいについては研究けんきゅうしゃ見解けんかいするど対立たいりつしている。

酒井さかい直樹なおきらは西田にしだ哲学てつがく結果けっかとして日本にっぽん帝国ていこく主義しゅぎ知的ちてき正当せいとう利用りようされたことをきびしく批判ひはんし、中村なかむら雄二郎ゆうじろう上田うえだらは西田にしだ体制たいせいたいして可能かのう範囲はんい抵抗ていこうしつつ哲学てつがくてき理念りねんつらぬこうとしたと弁護べんごする。この問題もんだいハイデガーHeideggerとナチズムの関係かんけいをめぐる論争ろんそう構造こうぞうてき類似るいじしており、哲学てつがくてき業績ぎょうせき政治せいじてき行為こうい関係かんけいという普遍ふへんてきいを提起ていきしている。

4. 分析ぶんせき哲学てつがくからの批判ひはん現代げんだいえいべいけい分析ぶんせき哲学てつがく立場たちばからは、西田にしだ概念がいねん(「絶対ぜったい」「絶対ぜったい矛盾むじゅんてき自己じこ同一どういつ」など)が論理ろんりてき不明瞭ふめいりょうであり、検証けんしょう可能かのう命題めいだいとして定式ていしきできないという批判ひはんがある。矛盾むじゅんりつの「超克ちょうこく」を主張しゅちょうする西田にしだ立場たちばは、分析ぶんせき哲学てつがく基本きほん前提ぜんてい──論理ろんりてき整合せいごうせい思考しこう最低限さいていげん条件じょうけんである──と正面しょうめんから衝突しょうとつする。「矛盾むじゅんしたまま同一どういつである」とは厳密げんみつにはどういうことか。それは矛盾むじゅんりつ否定ひていしているのか、それとも通常つうじょう矛盾むじゅんりつ適用てきようされる水準すいじゅんとはべつ水準すいじゅんはなしをしているのか。このいにたいする明晰めいせき回答かいとう西田にしだ自身じしんテクストtextからはかならずしもられない。

ただし近年きんねん矛盾むじゅん許容きょよう論理ろんりパラコンシステント・ロジックparaconsistent logic)の発展はってんにより、矛盾むじゅんふくみつつも破綻はたんしない論理ろんり体系たいけい可能かのうであることがしめされており、西田にしだ論理ろんり現代げんだい論理ろんりがく枠組わくぐみでさい評価ひょうかするこころみもはじまっている(たとえば グレアム・プリーストGraham Priestらのダイアレセイズムdialetheismとの比較ひかく研究けんきゅう)。

影響えいきょう遺産いさん

先行せんこう思想しそうウィリアム・ジェイムズWilliam James根本こんぽんてき経験けいけんろん純粋じゅんすい経験けいけん概念がいねん直接的ちょくせつてき影響えいきょうげん)、ドイツ観念論かんねんろんカントKant超越ちょうえつろんてき哲学てつがくフィヒテFichte自我じがろんヘーゲルHegel弁証法べんしょうほう)、しんカントKantとくリッケルトRickert価値かち哲学てつがく)、フッサールHusserl現象げんしょうがくベルクソンBergsonの「純粋じゅんすい持続じぞく概念がいねんぜん仏教ぶっきょうとく臨済宗りんざいしゅう公案こうあん修行しゅぎょう坐禅ざぜん体験たいけん)、大乗だいじょう仏教ぶっきょうくう思想しそう般若はんにゃ経典きょうてんちゅうかん龍樹りゅうじゅ)、華厳宗けごんしゅうの「事事ことごと無碍むげ法界ほうかい」の思想しそう

直接的ちょくせつてき後継こうけいしゃ京都きょうと学派がくは西田にしだ思想しそうは「京都きょうと学派がくは」として制度せいどされた。田辺たなべはじめ批判ひはんしつつ「たね論理ろんり」を展開てんかいし、戦後せんごは「懺悔ざんげどうとしての哲学てつがく」へ転回てんかいした。西谷にしたに啓治けいじは「くう」の哲学てつがくニヒリズムnihilism克服こくふく論理ろんりとして発展はってんさせた(『宗教しゅうきょうとはなにか』1961ねん)。久松ひさまつ真一しんいちぜん西田にしだ哲学てつがく統合とうごう追求ついきゅうし、「しょう自己じこ」を核心かくしん概念がいねんとした。上田うえだ閑照しずてるマイスター・エックハルトMeister Eckhartぜん比較ひかくつうじて西田にしだ哲学てつがく国際こくさいてき発信はっしんした。三木みききよし西田にしだ哲学てつがくマルクスMarx主義しゅぎ接続せつぞくさせる「構想こうそうりょく論理ろんり」を展開てんかいしたが、戦時せんじちゅう共産きょうさん主義しゅぎしゃをかくまったつみ投獄とうごくされ、敗戦はいせん釈放しゃくほうされないまま1945ねん9がつ獄中ごくちゅう病死びょうしした──戦後せんご日本にっぽん知識ちしきじんふか衝撃しょうげきあたえた事件じけんである。

とお後継こうけいしゃ西田にしだ哲学てつがくは1990年代ねんだい以降いこう英語えいごけんでも本格ほんかくてき受容じゅようされるようになった。ジェイムズ・ハイジックJames W. Heisigジョン・マラルドJohn Maraldoブレット・デイヴィスBret W. Davisらが西田にしだ英語えいごけんへの紹介しょうかい批判ひはんてき研究けんきゅうすすめている。比較ひかく哲学てつがく東西とうざい比較ひかく思想しそう)の分野ぶんやでは、西田にしだは「西洋せいようけんから最初さいしょ世界せかいてき水準すいじゅん体系たいけいてき哲学てつがくしゃ」として参照さんしょうされることがおおい。フランスの現象げんしょう学者がくしゃミシェル・アンリMichel Henryの「なま現象げんしょうがく」──意識いしき志向しこうせいの「手前てまえ」にある自己じこ触発しょくはつ──やメルロ=ポンティMerleau-Pontyの「にく存在そんざいろん」──知覚ちかくする身体しんたい知覚ちかくされる世界せかい交叉こうさキアスムchiasmus)──との構造こうぞうてき類似るいじ指摘してきされており、現象げんしょうがくてき伝統でんとうとの対話たいわ活発かっぱつおこなわれている。

哲学てつがくがいへの波及はきゅう:「場所ばしょ」の概念がいねんは、中村なかむら雄二郎ゆうじろうの「臨床りんしょう」、清水しみずひろしの「理論りろん」(組織そしきろん生命せいめいろん)など、日本にっぽん思想しそう科学かがくろんひろ影響えいきょうあたえた。京都きょうとの「哲学てつがくみち」は、西田にしだ思索しさく足跡あしあとしの場所ばしょとしてられ、「あるきながらかんがえる」哲学てつがく実践じっせん今日きょうつたえている。また近年きんねん意識いしき哲学てつがく領域りょういきで、西田にしだの「純粋じゅんすい経験けいけん」──機能きのうてき記述きじゅつ還元かんげんされない意識いしきの「質的しつてき側面そくめん──をさい評価ひょうかするうごきがあらわれている。

現代げんだいへの接続せつぞく

西田にしだ哲学てつがくは1945ねんかれ死後しご、しばらく「過去かこ遺産いさん」としてあつかわれた。戦後せんご日本にっぽん哲学てつがくマルクスMarx主義しゅぎ分析ぶんせき哲学てつがく支配しはいされ、京都きょうと学派がくは形而上学けいじじょうがくは「戦前せんぜん観念論かんねんろん」「戦争せんそう協力きょうりょく哲学てつがく」として敬遠けいえんされた。しかし21世紀せいきはいり、西田にしだいはあらたな切実せつじつさをびて回帰かいきしつつある。

だいいちに、意識いしき問題もんだいのう神経しんけい活動かつどうがいくら精密せいみつ解明かいめいされても、「なぜ物質ぶっしつてき過程かていから主観しゅかんてき経験けいけんまれるのか」は解決かいけつのままである。意識いしきのハードプロブレム(デイヴィッド・チャーマーズChalmersが1995ねん定式ていしき)がうているのは、まさに西田にしだが「純粋じゅんすい経験けいけん」としてとらえようとした次元じげん──機能きのうてき記述きじゅつには還元かんげんできない経験けいけんの「質感しつかんクオリアqualia)」──である。

西田にしだの「純粋じゅんすい経験けいけん主客しゅきゃくぶんである」という洞察どうさつは、「意識いしきとは、のう機能きのう還元かんげんされる副産物ふくさんぶつではなく、経験けいけんそのものの根源こんげんてきかたである」という仮説かせつ哲学てつがくてき根拠こんきょ提供ていきょうしうる。「意識いしきとはなにか」──西田にしだはこのいに100ねんまえからんでいた。

だいに、二元論にげんろんえる思考しこう必要ひつようせい現代げんだい社会しゃかいは「自然しぜん人工じんこう」「身体しんたい精神せいしん」「個人こじん社会しゃかい」「西洋せいよう東洋とうよう」といったこう対立たいりつによって思考しこう組織そしきしているが、気候きこう変動へんどう、パンデミック、グローバルなデジタル接続せつぞくは、これらの対立たいりつ人為じんいてき抽象ちゅうしょうであることを暴露ばくろしつつある。西田にしだの「絶対ぜったい矛盾むじゅんてき自己じこ同一どういつ」は、こう対立たいりつを「止揚しよう」して解消かいしょうするのではなく、対立たいりつ対立たいりつのままけつつその根源こんげんてき一体いったいせい論理ろんり提供ていきょうする。たとえば「グローバル」と「ローカルなアイデンティティ」は矛盾むじゅんするようにえるが、しんのグローバルかく文化ぶんか固有こゆうせい消去しょうきょするのではなく、固有こゆうせい固有こゆうせいのままひとつの世界せかい形成けいせいする事態じたいであるべきだ。

これは西田にしだが「世界せかいしん秩序ちつじょ原理げんり」で(政治せいじてき問題もんだいはらみつつも)哲学てつがくてき構想こうそうしようとしたことの核心かくしんでもある。

だいさんに、西洋せいようてき哲学てつがく可能かのうせい哲学てつがく西洋せいようのローカルな伝統でんとうぎないのか、それとも普遍ふへんてき知的ちてきいとなみであるのかといういが、比較ひかく哲学てつがく文化ぶんかかん哲学てつがく分野ぶんや活発かっぱつ議論ぎろんされている。西田にしだは、西洋せいよう哲学てつがく方法ほうほうろん完全かんぜんにつけたうえで、東洋とうようてき伝統でんとうざした独自どくじ体系たいけい構築こうちくした最初さいしょ思想家しそうかである。これは「西洋せいよう思想しそう西洋せいよう哲学てつがく対等たいとう対話たいわしうる」ことを実践じっせんてき証明しょうめいした先例せんれいであり、今日きょうの「世界せかい哲学てつがく(world philosophy)」構想こうそうにとって不可欠ふかけつ参照さんしょうてんとなっている。

同時どうじに、西田にしだ限界げんかい直視ちょくしすべきだ。かれ文体ぶんたいきわめて晦渋かいじゅうであり、「かりにくさ」が深遠しんえんさの証拠しょうことして機能きのうする知的ちてき権威けんい主義しゅぎまねきやすい。また、「絶対ぜったい」のような概念がいねん具体ぐたいてき社会しゃかいてき問題もんだいたいしてどのような実践じっせんてき帰結きけつつのかは、かならずしもあきらかではない。戦時せんじちゅう政治せいじてきテクストtextしめすように、抽象ちゅうしょうてき哲学てつがくてき原理げんりは、それをにな人間にんげん政治せいじてき判断はんだんしつ自動的じどうてきには保証ほしょうしない。「東洋とうよう西洋せいよう統一とういつ」という壮大そうだい理念りねんが、現実げんじつには帝国ていこく主義しゅぎてき拡張かくちょう正当せいとう転用てんようされうるということ──この教訓きょうくんは、西田にしだ思想しそうてき遺産いさん継承けいしょうするうえわすれてはならない。哲学てつがく時代じだいえるが、哲学てつがくしゃ時代じだいなかにいる。

読者どくしゃへの

  • あなたが「かんがえるまえに」経験けいけんしていることはなにか? あさました最初さいしょ瞬間しゅんかん──「わたし」がまだがっていない、世界せかいがただそこにある一瞬いっしゅん──をおもせるか? それは「主観しゅかん客観きゃっかん認識にんしきしている」状態じょうたいなのか、それともなにべつ状態じょうたいなのか?
  • 西田にしだは「場所ばしょ論理ろんり」で、意識いしきが「」であるからこそあらゆるものをうつせるとろんじた。あなた自身じしん意識いしきは、「なにものかである」ことと「なにものでもないこと」のどちらにちかいとかんじるか? その感覚かんかくはなぜまれるのか?
  • 矛盾むじゅんするものが同時どうじひとつである」という西田にしだ主張しゅちょうは、あなたにとって納得なっとくできるか? もし納得なっとくできないとすれば、あなたが暗黙あんもく前提ぜんていとしている「論理ろんり」とはどのようなものか? あなた自身じしんなかに「矛盾むじゅんしたまま共存きょうぞんしている」ものはないか?

名言めいげん出典しゅってんつき)

"経験けいけんするというのは事実じじつ其儘にるのである。まった自己じこ細工ざいくてて、事実じじつしたがうてるのである。" ── 西田にしだ幾多郎きたろうぜん研究けんきゅうだいいちへんだいいちしょう(1911ねん)。「純粋じゅんすい経験けいけん」の定義ていぎとしてもっと有名ゆうめい一節いっせつ判断はんだん反省はんせい介入かいにゅうする以前いぜんの、直接的ちょくせつてき経験けいけんこそが実在じつざい根源こんげんであるという西田にしだ哲学てつがく出発しゅっぱつてん一文いちぶん凝縮ぎょうしゅくする。/原文げんぶん日本語にほんご原文げんぶん
"ぜんとは一言ひとことにていえば人格じんかく実現じつげんである。" ── 西田にしだ幾多郎きたろうぜん研究けんきゅうだいさんへん(1911ねん)。倫理りんり根拠こんきょ外的がいてき規範きはんではなく、人格じんかく内的ないてき自己じこ実現じつげんもとめる。カントKant義務ぎむろんアリストテレスἈριστοτέληςとく倫理りんりがく統合とうごうしようとする西田にしだ倫理りんり思想しそう核心かくしん。/原文げんぶん日本語にほんご原文げんぶん
"我々われわれ世界せかい創造そうぞうてき要素ようそとして、歴史れきしてきつくることによって、ものをるのである。行為こういてき直観ちょっかんてきものるのである。" ── 西田にしだ幾多郎きたろう絶対ぜったい矛盾むじゅんてき自己じこ同一どういつ」(1939ねん、『哲学てつがくろん文集ぶんしゅう だいさん所収しょしゅう)。認識にんしき行為こうい分離ぶんりできないという後期こうき西田にしだ哲学てつがく核心かくしんてき命題めいだい。「ること」と「つくること」の同一どういつせい主張しゅちょうする。/原文げんぶん日本語にほんご原文げんぶん
"哲学てつがく動機どうきは「おどろき」ではなくしてふか人生じんせい悲哀ひあいでなければならない。" ── 西田にしだ幾多郎きたろう晩年ばんねん言葉ことば書簡しょかん随筆ずいひつかえあらわれる主題しゅだい)。アリストテレスἈριστοτέλης哲学てつがくはじまりを「おどろき(タウマゼインthaumazein)」にもとめた(『形而上学Τὰ μετὰ τὰ φυσικά』982b)のにたいし、西田にしだ人生じんせい悲哀ひあいをこそ哲学てつがく源泉げんせんた。おさな子供こどもたちに先立さきだたれた個人こじんてき悲嘆ひたんが、この一言ひとこと背景はいけいにある。/原文げんぶん日本語にほんご原文げんぶん

参考さんこう文献ぶんけん

  • 主著しゅちょ西田にしだ幾多郎きたろうぜん研究けんきゅう』(岩波いわなみ文庫ぶんこ、1950ねん / 初版しょはん1911ねん弘道こうどうかん)── 西田にしだ哲学てつがく出発しゅっぱつてん。「純粋じゅんすい経験けいけん」の概念がいねん中心ちゅうしんに、実在じつざいろん倫理りんりがく宗教しゅうきょうろん展開てんかいする。日本語にほんごかれた独創どくそうてき哲学てつがくしょとして歴史れきしてき意義いぎつ。
  • 場所ばしょ論理ろんり西田にしだ幾多郎きたろうはたらくものからるものへ』(岩波いわなみ文庫ぶんこ)── 論文ろんぶん場所ばしょ」(1926ねん)をふく中期ちゅうき論文ろんぶんしゅう。「ゆう場所ばしょ」「相対そうたい場所ばしょ」「絶対ぜったい場所ばしょ」のさんそう構造こうぞう展開てんかいされる。
  • 後期こうき西田にしだ幾多郎きたろう西田にしだ幾多郎きたろう哲学てつがく論集ろんしゅう III』(上田うえだ閑照しずてるへんちゅう岩波いわなみ文庫ぶんこ)── 「絶対ぜったい矛盾むじゅんてき自己じこ同一どういつ」(1939ねん)など後期こうき核心かくしんてき論文ろんぶん注釈ちゅうしゃくつきで収録しゅうろく入手にゅうしゅしやすく、上田うえだちゅう理解りかいたすける。
  • 遺作いさく西田にしだ幾多郎きたろう場所ばしょてき論理ろんり宗教しゅうきょうてき世界せかいかん」(1945ねん、『西田にしだ幾多郎きたろう全集ぜんしゅうだい11かん所収しょしゅう)── 西田にしだ最後さいご論文ろんぶん絶対ぜったい宗教しゅうきょうてき経験けいけん関係かんけいろんじた宗教しゅうきょう哲学てつがくとしての到達とうたつてん
  • 全集ぜんしゅう:『西田にしだ幾多郎きたろう全集ぜんしゅうぜん24かん岩波書店いわなみしょてん新版しんぱん2003-2009ねん)── 著作ちょさく論文ろんぶんのみならず、日記にっき書簡しょかんふくむ。とく日記にっきだい17-18かん)は参禅さんぜん記録きろく私生活しせいかつ記述きじゅつふくみ、思想しそう形成けいせい過程かていうえ不可欠ふかけつ
  • 入門にゅうもん邦語ほうご小坂こさか国継くにつぐ西田にしだ幾多郎きたろう思想しそう』(講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ、2002ねん)── 西田にしだ哲学てつがく全体ぜんたいぞう平明へいめい概説がいせつする日本語にほんごけん定評ていひょうのある入門にゅうもんしょ
  • 伝記でんきてき入門にゅうもん邦語ほうご藤田ふじた正勝まさかつ西田にしだ幾多郎きたろう──きることと哲学てつがく』(岩波いわなみ新書しんしょ、2007ねん)── 生涯しょうがい思想しそう一体いったいとしてえがく。西田にしだ人間像にんげんぞうちかづくための最適さいてきいっさつ
  • 京都きょうと学派がくはからの解釈かいしゃく上田うえだ閑照しずてる西田にしだ幾多郎きたろうとはだれか』(岩波いわなみ現代げんだい文庫ぶんこ、2002ねん)── ぜん伝統でんとう西田にしだ哲学てつがく接続せつぞくふかげる。
  • 英語えいごけん研究けんきゅう:James W. Heisig『Philosophers of Nothingness: An Essay on the Kyoto School』, University of Hawai'i Press, 2001 ── 京都きょうと学派がくは全体ぜんたい英語えいご概観がいかんする標準ひょうじゅんてき入門にゅうもんしょ西田にしだ田辺たなべ西谷にしたに中心ちゅうしんあつかう。
  • 批判ひはんてき研究けんきゅう酒井さかい直樹なおき日本にっぽん思想しそうという問題もんだい──翻訳ほんやく主体しゅたい』(岩波書店いわなみしょてん、1997ねん)── 京都きょうと学派がくはの「近代きんだい超克ちょうこくろん批判ひはんてき分析ぶんせきし、政治せいじてき責任せきにんう。