京都きょうとの東山ひがしやま、銀閣寺ぎんかくじから南禅寺なんぜんじへ向むかう疏水そすい沿ぞいの小径しょうけいがある。春はるには桜さくらのトンネルとなり、秋あきには紅葉こうようが水面すいめんを染そめるこの道みちを、一人ひとりの哲学てつがく者しゃが毎朝まいあさ、深ふかい思索しさくに沈しずみながら歩あるいた。西田にしだ幾多郎きたろう。自宅じたくから京都きょうと帝国ていこく大学だいがくへの通勤つうきん路ろであったこの散歩道さんぽみちは、やがて「哲学てつがくの道みち」と呼よばれるようになり、今日きょうでは京都きょうとを代表だいひょうする観光かんこう名所めいしょとなっている。しかし西田にしだがこの道みちで追おい求もとめていたのは風景ふうけいの美うつくしさではなく、「考かんがえること」のさらに手前てまえにある何なにか(主観しゅかんと客観きゃっかんが分わかれる以前いぜんの、経験けいけんそのものの根源こんげん)だった。

1911年ねん、西田にしだは『善ぜんの研究けんきゅう』を刊行かんこうする。41歳さい。「哲学てつがく」という日本語にほんごが西周にしあまねによって造語ぞうごされてからわずか40年ねん足たらず。日本にっぽんの知識ちしき人じんがもっぱら西洋せいよう思想しそうの「輸入ゆにゅうと翻訳ほんやく」に従事じゅうじしていた時代じだいに、この書物しょもつは衝撃しょうげきをもたらした。日本語にほんごで書かかれた最初さいしょの本格ほんかく的てきな独創どくそう的てき哲学てつがく書しょ。発売はつばい直後ちょくごから読書どくしょ界かいの話題わだいを攫さらい、旧制きゅうせい高校こうこうの学生がくせいたちの必読ひつどく書しょとなり、哲学てつがく書しょとしては異例いれいの版ばんを重かさねた。西田にしだはこの一いっ冊さつをもって、日本にっぽんが西洋せいよう哲学てつがくの「受容じゅよう者しゃ」から「発信はっしん者しゃ」に転てんじうることを実証じっしょうした。

西田にしだの哲学てつがくは難解なんかいをもって知しられる。「絶対ぜったい矛盾むじゅん的てき自己じこ同一どういつ」「場所ばしょ的てき論理ろんり」「行為こうい的てき直観ちょっかん」。その用語ようごは日本語にほんごであるにもかかわらず、初はじめて読よむ者ものには外国がいこく語ごのように見みえる。しかしその核心かくしんにあるのは、驚おどろくほどシンプルな問といだ。「主観しゅかんと客観きゃっかん、自己じこと世界せかいが分わかれる以前いぜんの根源こんげん的てきな経験けいけんとは何なにか」。この問といは、ウィリアム・ジェイムズWilliam Jamesの根本こんぽん的てき経験けいけん論ろん、フッサールHusserlの現象げんしょう学がく、禅ぜん仏教ぶっきょうの悟さとりの体験たいけんを一ひとつの地平ちへいで統合とうごうしようとする壮大そうだいな試こころみに西田にしだを導みちびいた。「経験けいけんとは何なにか」「意識いしきの根源こんげんとは何なにか」。脳のう科学かがくや心こころの哲学てつがくが飛躍ひやく的てきに発展はってんした今日きょうにおいても、この問といはかつてないほど切迫せっぱくしている。その問といの最もっとも独創どくそう的てきな探究たんきゅう者しゃの一人ひとりが、西田にしだ幾多郎きたろうである。

この記事きじの要点ようてん

  • 「純粋じゅんすい経験けいけん」── 主客しゅきゃく未み分ぶんの根源こんげん:西田にしだは、主観しゅかん(「見みる私わたし」)と客観きゃっかん(「見みられる世界せかい」)が分わかれる以前いぜんの直接的ちょくせつてきな経験けいけん──色いろを見みた瞬間しゅんかん、音おとを聞きいた瞬間しゅんかんの、判断はんだんも反省はんせいもない生なまの経験けいけん──を「純粋じゅんすい経験けいけん」と呼よび、これこそが実在じつざいの根本こんぽん形態けいたいだと主張しゅちょうした。これは西洋せいよう近代きんだい哲学てつがくがデカルトDescartes以来いらい前提ぜんていとしてきた「主観しゅかん/客観きゃっかん」の二元論にげんろんを根底こんていから問とい直なおす試こころみである。
  • 「絶対ぜったい無むの場所ばしょ」── 西洋せいよう論理ろんり学がくの限界げんかいへの挑戦ちょうせん:西田にしだは後年こうねん、純粋じゅんすい経験けいけんの立場たちばを「場所ばしょ」の論理ろんりへと発展はってんさせた。西洋せいよう論ろん理学りがくが「あるもの(有)ゆうげんがいしゃ」を基盤きばんとするのに対たいし、西田にしだは「無む」──しかもあらゆる「有ゆう」を包つつみ込こむ「絶対ぜったい無む」──こそが、すべての存在そんざいと認識にんしきが成立せいりつする「場所ばしょ」だと論ろんじた。これは東洋とうようの「無む」の伝統でんとうを哲学てつがく的てき概念がいねんとして鍛きたえ上あげる前例ぜんれいのない試こころみであった。
  • 「絶対ぜったい矛盾むじゅん的てき自己じこ同一どういつ」── 対立たいりつの根源こんげん的てき統一とういつ:西田にしだ哲学てつがくの到達とうたつ点てんは、矛盾むじゅんするものが矛盾むじゅんしたまま一ひとつであるという「絶対ぜったい矛盾むじゅん的てき自己じこ同一どういつ」の論理ろんりである。個こと全体ぜんたい、有ゆうと無む、主観しゅかんと客観きゃっかん──これらは排除はいじょし合あうのではなく、相互そうご否定ひていを通つうじて根源こんげん的てきに一ひとつである。この論理ろんりは、ヘーゲルHegel弁証法べんしょうほうの「止揚しよう(アウフヘーベンAufheben)」とも禅ぜんの「即そく非ひの論理ろんり」とも異ことなる、西田にしだ独自どくじの存在そんざい論ろん的てき洞察どうさつである。

生涯しょうがいと時代じだい背景はいけい

西田にしだ幾多郎きたろうは1870年ねん(明治めいじ3年ねん)5月がつ19日にち、石川いしかわ県けん河北かほく郡ぐん宇うノ気け村むら(現げん・かほく市し)に生うまれた。加賀かが藩はんの下級かきゅう士族しぞくの家系かけいであり、父ちち・得登とくとは小学しょうがく校長こうちょうを務つとめた教育きょういく者しゃだった。明治維新めいじいしんからわずか3年ねん後ご(武士ぶしの時代じだいが終おわり、日本にっぽんが急速きゅうそくな近代きんだい化かに突入とつにゅうした時代じだいである)。「哲学てつがく」という日本語にほんご自体じたいが、西周にしあまねによって "philosophy" の訳語やくごとして造つくられたのは1874年ねんのこと。西田にしだが生うまれたとき、日本にっぽんにはまだ「哲学てつがく」という言葉ことばすら定着ていちゃくしていなかった。

1886年ねん頃ごろ、西田にしだは第だい四よん高等こうとう中学校ちゅうがっこう(後のちの第だい四よん高等こうとう学校がっこう、金沢かなざわ)に入学にゅうがくする。ここで生涯しょうがいの親友しんゆうとなる鈴木すずき貞さだ太郎たろう(後のちの鈴木すずき大拙だいせつ、禅ぜんを世界せかいに紹介しょうかいした仏教ぶっきょう思想家しそうか)と出会であう。二に人にんは机つくえを並ならべて学まなび、ともに禅ぜんに関心かんしんを抱だいた。この友情ゆうじょうは70年ねん余あまりにわたって続つづき、書簡しょかんを通つうじて互たがいの思索しさくを刺激しげきし合あった。西田にしだが「哲学てつがくの言語げんご」で禅ぜんを語かたろうとし、鈴木すずきが「禅ぜんの言語げんご」で世界せかいに語かたりかけた。この二ふたつの道みちは同おなじ根ねから伸のびた枝えだである。

1891年ねん、東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく文科ぶんか大学だいがく哲学てつがく科かに「選科せんか生せい」(正規せいき課程かていではなく聴講ちょうこうに近ちかい身分みぶん)として入学にゅうがく。当時とうじの東京帝大とうきょうていだい哲学てつがく科かはドイツ観念論かんねんろんの輸入ゆにゅうが中心ちゅうしんであり、西田にしだはカントKant、ヘーゲルHegel、ショーペンハウアーSchopenhauerを学まなんだ。しかし選科せんか生せいという身分みぶんは正規せいきの学位がくいをもたらさず、卒業そつぎょう後のちのアカデミックキャリアには大おおきな不利ふりとなった。この経験けいけんは、体制たいせい内ないでの不遇ふぐうと、それにもかかわらず自力じりきで道みちを切きり拓ひらく粘ねばり強づよさを、西田にしだの人格じんかくに刻きざみ込こんだ。

1894年ねんに東京帝大とうきょうていだいを去さり、石川いしかわ県けんの中学校ちゅうがっこう教師きょうし、第だい四よん高等こうとう学校がっこう講師こうしとして地方ちほうでの教育きょういく生活せいかつを送おくる。この時期じきに西田にしだは参禅さんぜんを本格ほんかく的てきに開始かいしした。京都きょうと・妙心寺みょうしんじの禅堂ぜんどうに通かよい、臨済ざい禅ぜんの修行しゅぎょうに打うち込こんだ。西田にしだの日記にっきには坐禅ざぜんの記録きろくが克明こくめいに残のこされている。「無むの一いち字じ」に集中しゅうちゅうする修行しゅぎょうの苦くるしさと、ときおり訪おとずれる透徹とうてつした覚さとし知ちの瞬間しゅんかん。「哲学てつがく書しょを読よんで得えた知識ちしき」ではなく「坐禅ざぜんを通つうじて身体しんたいで掴つかんだ経験けいけん」が、やがて西田にしだ哲学てつがくの核心かくしん(「純粋じゅんすい経験けいけん」)を形作かたちづくることになる。

1910年ねん、40歳さいにして京都きょうと帝国ていこく大学だいがく文科ぶんか大学だいがく助教授じょきょうじゅに就任しゅうにん。1911年ねん、『善ぜんの研究けんきゅう』を弘道こうどう館かんから刊行かんこうする。この書物しょもつは哲学てつがくの専門せんもん書しょでありながら、旧制きゅうせい高校こうこうの学生がくせいたちを中心ちゅうしんに広ひろく読よまれ、哲学てつがく書しょとしては異例いれいの反響はんきょうを呼よんだ。大正たいしょう期きの教養きょうよう主義しゅぎの波なみに乗のり、「善ぜんの研究けんきゅうを読よんだか」は知識ちしき青年せいねんたちの合言葉あいことばのようになったと伝つたえられる。1913年ねんに教授きょうじゅに昇任しょうにんし、以後いご1928年ねんの退官たいかんまで京都きょうと帝てい大だいで教鞭きょうべんを執とった。

京大きょうだいの西田にしだ研究けんきゅう室しつからは、田辺たなべ元はじめ、三木みき清きよし、西谷にしたに啓治けいじ、久松ひさまつ真一しんいち、高坂こうさか正顕まさあきら、後のちの「京都きょうと学派がくは」の中核ちゅうかくを担になう思想家しそうかが次々つぎつぎと輩出はいしゅつされた。西田にしだの講義こうぎは口下手くちべたで決けっして雄弁ゆうべんではなかったが、思索しさくの深ふかさと誠実せいじつさが学生がくせいを引ひきつけたという。自宅じたくから大学だいがくまでの通勤つうきん路ろ(銀閣寺ぎんかくじ付近ふきんから疏水そすい沿ぞいに南禅寺なんぜんじ方面ほうめんへ向むかう小径しょうけい)を、西田にしだは毎日まいにち深ふかい瞑想めいそうの中なかを歩あるいた。弟子でしの田辺たなべ元はじめもまたこの道みちを歩あるいたことから、この散歩道さんぽみちはいつしか「哲学てつがくの道みち」と呼よばれるようになり、今日きょうでは京都きょうとを代表だいひょうする名所めいしょとして知しられている。

西田にしだの私生活しせいかつは、深ふかい悲哀ひあいに彩いろどられていた。1907年ねんに長男ちょうなん・謙けんが幼おさなくして病死びょうしし、1920年代ねんだいには長女ちょうじょ・幾いくも病やまいに倒たおれた。妻つま・寿美すみは長ながく病床びょうしょうにあり、1925年ねんに亡なくなった。晩年ばんねんの日記にっきに西田にしだは記しるしている。「哲学てつがくの動機どうきは『驚おどろき』ではなくして深ふかい人生じんせいの悲哀ひあいでなければならない」。アリストテレスἈριστοτέληςが哲学てつがくの始はじまりを「驚おどろき(タウマゼインthaumazein)」に求もとめたのに対たいし、西田にしだは自身じしんの骨身ほねみに沁しみた悲かなしみを哲学てつがくの源泉げんせんと見みた。「純粋じゅんすい経験けいけん」や「絶対ぜったい無む」という抽象ちゅうしょう的てきな概念がいねんの背後はいごに、子こを失うしなった父親ちちおやの嘆なげきがある。この点てんを見落みおとすと、西田にしだ哲学てつがくは単たんなる知的ちてきゲームに矮小わいしょう化かされる。

1928年ねんに京大きょうだいを退官たいかんした後のちも京都きょうとに住すみ続つづけ、著述ちょじゅつに専念せんねんした。晩年ばんねんは鎌倉かまくらに移うつり、太平洋戦争たいへいようせんそうの渦中かちゅうで「世界せかい新しん秩序ちつじょの原理げんり」(1943年ねん)など政治せいじ的てきテクストtextも残のこしている(後述こうじゅつ「批判ひはんと論争ろんそう」を参照さんしょう)。1945年ねん6月がつ7日なのか、鎌倉かまくらにて尿毒症にょうどくしょうのため死去しきょ。享年きょうねん75歳さい。日本にっぽんの無条件むじょうけん降伏こうふくのわずか2か月げつ前まえ。西田にしだが生涯しょうがいをかけて「東洋とうようと西洋せいようの架橋かきょう」を試こころみた知的ちてき営いとなみは、その橋はしが戦火せんかによって引ひき裂さかれる直前ちょくぜんに終おわった。

ミニ年表ねんぴょう

  • 1870年ねん:石川いしかわ県けん河北かほく郡ぐん宇うノ気け村むら(現げん・かほく市し)に生うまれる。加賀かが藩士はんし族ぞくの家系かけい
  • 1886年ねん頃ころ:第だい四よん高等こうとう中学校ちゅうがっこう(金沢かなざわ)に入学にゅうがく。鈴木すずき大拙だいせつ(貞さだ太郎たろう)と出会であう
  • 1891年ねん:東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく文科ぶんか大学だいがく哲学てつがく科か選科せんかに入学にゅうがく
  • 1894年ねん:東京帝大とうきょうていだいを去さる。石川いしかわ県けん尋常じんじょう中学校ちゅうがっこうの教師きょうしとなる
  • 1896年ねん頃ころ:参禅さんぜんを本格ほんかく的てきに開始かいし。京都きょうと・妙心寺みょうしんじなどの禅堂ぜんどうに通かよう
  • 1899年ねん:第だい四よん高等こうとう学校がっこう講師こうしに就任しゅうにん
  • 1907年ねん:長男ちょうなん・謙けんが病死びょうし
  • 1910年ねん:京都きょうと帝国ていこく大学だいがく文科ぶんか大学だいがく助教授じょきょうじゅに就任しゅうにん
  • 1911年ねん:『善ぜんの研究けんきゅう』刊行かんこう(弘道こうどう館かん)。哲学てつがく書しょとしては異例いれいの反響はんきょうを呼よぶ
  • 1913年ねん:京都きょうと帝国ていこく大学だいがく教授きょうじゅに昇任しょうにん
  • 1917年ねん:『自覚じかくに於おける直観ちょっかんと反省はんせい』刊行かんこう
  • 1925年ねん:妻つま・寿美すみ死去しきょ
  • 1926年ねん:論文ろんぶん「場所ばしょ」発表はっぴょう(『哲学てつがく研究けんきゅう』)。「場所ばしょの論理ろんり」への決定的けっていてき転換てんかん
  • 1927年ねん:『働はたらくものから見みるものへ』刊行かんこう
  • 1928年ねん:京都きょうと帝国ていこく大学だいがくを退官たいかん。京都きょうとにて著述ちょじゅつに専念せんねん
  • 1933-1934年ねん:『哲学てつがくの根本こんぽん問題もんだい』(正せい・続ぞく)刊行かんこう
  • 1939年ねん:「絶対ぜったい矛盾むじゅん的てき自己じこ同一どういつ」論文ろんぶん発表はっぴょう
  • 1945年ねん:6月がつ7日なのか、鎌倉かまくらにて死去しきょ(享年きょうねん75歳さい)。遺稿いこう「場所ばしょ的てき論理ろんりと宗教しゅうきょう的てき世界せかい観かん」が遺作いさくとなる

西田にしだは何なにを問とうたのか

西田にしだが生いきた明治めいじ・大正たいしょう・昭和しょうわの日本にっぽんは、西洋せいよう文明ぶんめいの猛烈もうれつな吸収きゅうしゅうに没頭ぼっとうしていた。哲学てつがくもその例外れいがいではなく、井上いのうえ哲次郎てつじろうや大西祝おおにしはじめら先行せんこう世代せだいの仕事しごとは、カントKantやヘーゲルHegelの紹介しょうかい・解説かいせつが中心ちゅうしんであった。「西洋せいよう哲学てつがくを正確せいかくに理解りかいすること」がそのまま「哲学てつがくすること」と見みなされた時代じだいに、西田にしだはまったく別べつの問といを立たてた。西洋せいよう哲学てつがくの根本こんぽん前提ぜんていそのものを問とい直なおすことはできないか。

デカルトDescartes以来いらい、西洋せいよう哲学てつがくは「考かんがえる主体しゅたい(コギトcogito)」と「考かんがえられる対象たいしょう(世界せかい)」の分離ぶんりを出発しゅっぱつ点てんとし、主観しゅかんがいかにして客観きゃっかんを正確せいかくに認識にんしきできるかという「認識にんしき論ろん」を中心ちゅうしん問題もんだいとしてきた。カントKantはこの問といに「純粋じゅんすい理性りせい批判ひはん」で応答おうとうし、ヘーゲルHegelは弁証法べんしょうほうによって主観しゅかんと客観きゃっかんの統一とういつを試こころみた。しかし、と西田にしだは問とう。主観しゅかんと客観きゃっかんの区別くべつそのものが、すでに派生はせい的てきな事態じたいではないか。

色いろを見みる瞬間しゅんかん、「私わたしが色いろを見みている」という反省はんせいはまだ生しょうじていない。その反省はんせい以前いぜんの直接的ちょくせつてきな経験けいけん(「赤あかい」という意識いしきがただそこにある状態じょうたい)こそが、最もっとも根源こんげん的てきな実在じつざいの形態けいたいなのではないか。「私わたし」と「赤あか」が分わかれるのは、その後ごに反省はんせい的てき思考しこうが介入かいにゅうするからにすぎない。

この問といは、西田にしだが同どう時代じだいに接せっした二ふたつの思想しそう潮流ちょうりゅうと深ふかく共鳴きょうめいしていた。一ひとつはウィリアム・ジェイムズWilliam Jamesの「純粋じゅんすい経験けいけん(ピュア・エクスペリエンスpure experience)」の概念がいねんである。ジェイムズJamesは1904年ねんの論文ろんぶん「『意識いしき』は存在そんざいするか」およびその続編ぞくへん「純粋じゅんすい経験けいけんの世界せかい」で、主観しゅかんでも客観きゃっかんでもない「経験けいけんそのもの」を実在じつざいの根本こんぽんに据すえる根本こんぽん的てき経験けいけん論ろんを提唱ていしょうした。西田にしだの「純粋じゅんすい経験けいけん」概念がいねんはジェイムズJamesから直接ちょくせつ影響えいきょうを受うけている(ただし西田にしだはジェイムズJames以上いじょうにこの概念がいねんを存在そんざい論ろん的てきに深化しんかさせた)。もう一ひとつは禅ぜん仏教ぶっきょうの体験たいけんである。十じゅう年ねん以上いじょうにわたる参禅さんぜんを通つうじて西田にしだが体得たいとくした「主客しゅきゃく合一ごういつ」の境地きょうち(見みるものと見みられるものが分わかれていない直接的ちょくせつてきな覚さとし知ち)は、哲学てつがく書しょからではなく身体しんたいを通つうじて得えられた経験けいけん的てき基盤きばんであった。

西田にしだが独創どくそう的てきだったのは、この「主客しゅきゃく未み分ぶんの経験けいけん」を、単たんなる神秘しんぴ体験たいけんや詩的してき直観ちょっかんとしてではなく、西洋せいよう哲学てつがくの厳密げんみつな論理ろんりと概念がいねん装置そうちを用もちいて体系たいけい的てきに言語げんご化かしようとした点てんにある。禅ぜんの老師ろうしは公案こうあんと沈黙ちんもくでこの経験けいけんを伝つたえるが、西田にしだはカントKant、ヘーゲルHegel、フィヒテFichte、フッサールHusserl、ベルクソンBergsonの言語げんごを駆使くししてそれを哲学てつがく的てき命題めいだいの体系たいけいに鋳造ちゅうぞうしようとした。この試こころみが「東洋とうようと西洋せいようの架橋かきょう」と呼よばれる所以ゆえんであり、同時どうじにその困難こんなんさが西田にしだ哲学てつがくの難解なんかいさの主要しゅような原因げんいんでもある。「言葉ことばにできないもの」をあえて言葉ことばにしようとする。この不可能ふかのうへの挑戦ちょうせんが、西田にしだ哲学てつがくの根本こんぽん的てきな緊張きんちょうを生うみ出だしている。

核心かくしん理論りろん

1. 純粋じゅんすい経験けいけん ── 主客しゅきゃく未み分ぶんの実在じつざい

西田にしだ哲学てつがくの出発しゅっぱつ点てんは『善ぜんの研究けんきゅう』(1911年ねん)で提示ていじされた「純粋じゅんすい経験けいけん」の概念がいねんである。西田にしだはこう書かいている。「経験けいけんするというのは事実じじつ其儘に知しるの意いである。全まったく自己じこの細工ざいくを棄すてて、事実じじつに従したがうて知しるのである」(『善ぜんの研究けんきゅう』第だい一いち編へん第だい一いち章しょう)。ここで「自己じこの細工ざいく」とは、判断はんだん、分類ぶんるい、反省はんせいといった知的ちてき操作そうさのことである。それらが介入かいにゅうする以前いぜんの、生なまの経験けいけんそのものが「純粋じゅんすい経験けいけん」である。

具体ぐたい例れいを挙あげよう。優すぐれた音楽家おんがくかが演奏えんそうに没入ぼつにゅうしているとき、「私わたしが演奏えんそうしている」という意識いしきはない。音楽おんがくと演奏えんそう者しゃが一体いったいとなった状態じょうたいがある。あるいは、断崖だんがいに立たって壮大そうだいな風景ふうけいを目めにした瞬間しゅんかん、「私わたし」と「風景ふうけい」の区別くべつは消きえ、ただ圧倒的あっとうてきな経験けいけんだけがある。スポーツ選手せんしゅが言いう「ゾーンに入はいる」状態じょうたい(自意識じいしきが消きえ、行為こういと環境かんきょうが一ひとつになる瞬間しゅんかん)もまた、純粋じゅんすい経験けいけんの一いち例れいである。西田にしだによれば、このような状態じょうたいこそが経験けいけんの根源こんげん的てき形態けいたいであり、「主観しゅかんが客観きゃっかんを認識にんしきする」という構図こうずは、この根源こんげん的てき経験けいけんから事後じご的てきに抽象ちゅうしょうされた派生はせい的てきな事態じたいにすぎない。

この立場たちばの射程しゃていは大おおきい。デカルトDescartesの「我わが思おもう、ゆえに我わがあり(コギト・エルゴ・スムcogito ergo sum)」は、「思おもう」という行為こういの中なかにすでに「思おもう主体しゅたい(我わが)」を前提ぜんていとして読よみ込こんでいる。西田にしだに言いわせれば、「思おもう」という経験けいけんそのものが根源こんげん的てきであり、そこに「我わが」を見出みいだすのは二に次じ的てきな反省はんせいの所産しょさんである。この意味いみで、西田にしだの純粋じゅんすい経験けいけん論ろんはデカルトDescartes的てきコギトcogitoの根底こんていを掘ほり崩くずす試こころみであり、後ごにフッサールHusserlが「志向しこう性せい」の分析ぶんせきを通つうじて、メルロ=ポンティMerleau-Pontyが「知覚ちかくの現象げんしょう学がく」を通つうじて到達とうたつしようとした地点ちてんと深ふかい親しん縁えん性せいを持もつ。

ただし、『善ぜんの研究けんきゅう』には根本こんぽん的てきな困難こんなんが含ふくまれていた。純粋じゅんすい経験けいけんを言語げんご化かすること自体じたいが、すでに純粋じゅんすい経験けいけんからの逸脱いつだつではないのか。言語げんごは主語しゅごと述語じゅつごの構造こうぞうを持もち、必然ひつぜん的てきに主客しゅきゃくの分離ぶんりを含意がんいする。「純粋じゅんすい経験けいけんがある」と書かいた瞬間しゅんかん、そこには「純粋じゅんすい経験けいけん」(対象たいしょう)と「それについて語かたる私わたし」(主体しゅたい)の分裂ぶんれつが生しょうじている。西田にしだ自身じしんもこの困難こんなんを自覚じかくしており、後年こうねんには『善ぜんの研究けんきゅう』の立場たちばをそのまま維持いじするのではなく、より深ふかい論理ろんりへ展開てんかいする必要ひつようを繰くり返かえし語かたっている。後年こうねんの「場所ばしょの論理ろんり」への展開てんかいは、この言語げんご化かの困難こんなんを乗のり越こえるための試こころみでもあった。

2. 自覚じかく ── 自己じこが自己じこを映うつす構造こうぞう

『善ぜんの研究けんきゅう』後ご、西田にしだは純粋じゅんすい経験けいけんの概念がいねんをさらに深化しんかさせ、「自覚じかく」の哲学てつがくへと移行いこうする。中心ちゅうしん著作ちょさくは『自覚じかくに於おける直観ちょっかんと反省はんせい』(1917年ねん)である。ここで西田にしだが注目ちゅうもくするのは、意識いしきが自分じぶん自身じしんを意識いしきするという再帰さいき的てきな構造こうぞう(「自覚じかく」)である。

自覚じかくとは、単たんなる自己じこ認識にんしきではない。鏡かがみに映うつった自分じぶんの顔かおを見みることではなく、見みる行為こういそのものが見みられる行為こういと同一どういつであるような事態じたい(「自己じこが自己じこの中なかに自己じこを映うつす」構造こうぞう)を指さす。フィヒテFichteの「自我じがは自我じが自身じしんを定立ていりつする(ダス・イッヒ・ゼッツト・ジッヒ・ゼルプストDas Ich setzt sich selbst)」という命題めいだいを西田にしだは独自どくじに発展はってんさせ、自覚じかくの構造こうぞうの中なかに「直観ちょっかん」(直接的ちょくせつてきな把握はあく)と「反省はんせい」(自己じこを対象たいしょう化かする知的ちてき操作そうさ)の統一とういつを見出みいだそうとした。

この段階だんかいでの西田にしだの課題かだいは、純粋じゅんすい経験けいけんの「主客しゅきゃく未み分ぶん」の洞察どうさつを、単たんなる出発しゅっぱつ点てんではなく、意識いしきの構造こうぞう全体ぜんたいを説明せつめいする原理げんりにまで高たかめることだった。しかし西田にしだは次第しだいに、この「自覚じかく」の体系たいけいがなおフィヒテFichte的てきな「自我じが」の枠組わくぐみに縛しばられていることに不満ふまんを感かんじる。「自覚じかくする自我じが」はまだ「主体しゅたい」の側がわにとどまっており、真しんに主客しゅきゃくの分離ぶんりを超こえてはいない。「主体しゅたいの哲学てつがく」の内部ないぶでいくら深ふか掘ほりしても、「主体しゅたい」という枠わくそのものの外そとには出でられない。この行いき詰づまりが、次つぎの「場所ばしょ」の論理ろんりへの決定的けっていてきな転換てんかんを準備じゅんびした。

3. 場所ばしょの論理ろんり ── 「於おいてある」の哲学てつがく

1926年ねんの論文ろんぶん「場所ばしょ」は、西田にしだ哲学てつがくの決定的けっていてきな転換てんかん点てんとされる。西田にしだはここで、アリストテレスἈριστοτέλης以来いらいの西洋せいよう論ろん理学りがくが「主語しゅご」と「述語じゅつご」の構造こうぞう(「SはPである」)に基もとづいていることに注目ちゅうもくする。この構造こうぞうでは、「S(主語しゅご)」に当あたるもの、すなわち「基体きたい(ヒュポケイメノンὑποκείμενον)」が存在そんざいの中心ちゅうしんに置おかれる。何なにかが「ある」とは、つまり主語しゅごの位置いちに立たつことである。

西田にしだはこの構造こうぞうを逆転ぎゃくてんさせる。「あるもの」(主語しゅご的てきなもの)ではなく、あるものが「於おいてある場所ばしょ」(述語じゅつご的てきなもの)こそが、より根源こんげん的てきではないか。赤あかい花はなが「ある」とき、その「ある」を可能かのうにしている「場ば」がある。意識いしきが何なにかを認識にんしきするとき、その認識にんしきを包つつみ込こんでいる「場所ばしょ」がある。西田にしだはこの「場所ばしょ」を三みっつの層そうに分わける。

第だい一いちに「有ゆうの場所ばしょ」(自然しぜん科学かがくが扱あつかう物理ぶつり的てき世界せかい。物体ぶったいは空間くうかん・時間じかんという「場所ばしょ」の中なかに存在そんざいする)。第だい二にに「相対そうたい無むの場所ばしょ」(意識いしきの場ば。意識いしきは物理ぶつり的てき対象たいしょうを包つつみ込こんで認識にんしきするが、意識いしき自体じたいは物理ぶつり的てき対象たいしょうではない。意識いしきは「何なにものでもない(無む)」からこそ、あらゆるものを映うつし出だす鏡かがみとなりうる。ちょうど鏡かがみが透明とうめい(無色むしょく)であるからこそ色いろを映うつせるように)。第だい三さんに「絶対ぜったい無むの場所ばしょ」(意識いしきすらも包つつみ込こむ究極きゅうきょくの場所ばしょ。これは有ゆうでも無むでもなく、有ゆうと無むの対立たいりつそのものを超こえた場所ばしょであり、西田にしだはこれを「絶対ぜったい無む」と呼よぶ)。

「絶対ぜったい無む」は単たんなる「何なにもない状態じょうたい」ではない。むしろ、あらゆる存在そんざいと非ひ存在そんざいを自みずからの内うちに含ふくむ無限むげんの包摂ほうせつ力りょくを持もつ「場所ばしょ」である。西洋せいよう哲学てつがくが「有ゆう(存在そんざい、Being)」を基盤きばんとするのに対たいし(パルメニデスΠαρμενίδηςの「あるものはある、ないものはない」からハイデガーHeideggerの「存在そんざいの問とい」に至いたるまで)、西田にしだは「無む」を基盤きばんに据すえた。しかしそれは西洋せいよう的てきな「有ゆう」の単純たんじゅんな否定ひていではなく、「有ゆう」をも包つつみ込こむ「無む」、つまり大乗だいじょう仏教ぶっきょうでいう「空くう(シューニャターśūnyatā)」や禅ぜんでいう「無む」の哲学てつがく的てき言語げんご化かである。

この「場所ばしょの論理ろんり」は、西洋せいよう論理ろんり学がくのアリストテレスἈριστοτέλης的てき伝統でんとう(主語しゅご的てき論理ろんり)に対たいする根本こんぽん的てきな批判ひはんであり代替だいたい案あんであった。西田にしだの主張しゅちょうは、西洋せいようの論理ろんり学がくは常つねに「あるもの」を起点きてんとするが、「あるもの」が「ある」ためにはそれを包つつむ「場所ばしょ」が必要ひつようであり、その究極きゅうきょくの場所ばしょは「有ゆう」ではなく「無む」であるというものだった。この発想はっそうは、西洋せいよう哲学てつがくの内部ないぶからはおそらく出でてこなかった。禅ぜんの修行しゅぎょうを通つうじて「無む」を体得たいとくし、同時どうじに西洋せいよう哲学てつがくの論理ろんり構造こうぞうを熟知じゅくちしていた西田にしだだからこそ到達とうたつしえた視点してんである。

4. 絶対ぜったい矛盾むじゅん的てき自己じこ同一どういつ ── 対立たいりつを超こえる論理ろんり

西田にしだ哲学てつがくの後期こうきを代表だいひょうする概念がいねんが「絶対ぜったい矛盾むじゅん的てき自己じこ同一どういつ」である。この概念がいねんは1939年ねんの同名どうめい論文ろんぶん(『哲学てつがく論ろん文集ぶんしゅう 第だい三さん』所収しょしゅう)で体系たいけい的てきに展開てんかいされた。

この概念がいねんを理解りかいするには、まず通常つうじょうの論理ろんり学がくにおける矛盾むじゅん律りつ(「Aであり、かつAでない」ということはありえない)を想起そうきする必要ひつようがある。西田にしだが論ろんじているのは、この矛盾むじゅん律りつを単純たんじゅんに否定ひていすることではなく、矛盾むじゅんする二ふたつの契機けいきが矛盾むじゅんしたまま一ひとつの実在じつざいを構成こうせいするという事態じたいである。

例たとえば「個こと全体ぜんたい」の関係かんけいを考かんがえる。真しんの個こは全体ぜんたいから独立どくりつして存在そんざいするのではなく、全体ぜんたいの中なかにおいて初はじめて個ことして成立せいりつする。しかし同時どうじに、全体ぜんたいもまた個々ここの要素ようそなしには存在そんざいしない。個こは全体ぜんたいを否定ひていし(個こは全体ぜんたいではない)、全体ぜんたいは個こを否定ひていする(全体ぜんたいは個こではない)。しかしこの相互そうご否定ひていを通つうじて、両者りょうしゃは根源こんげん的てきに一ひとつの実在じつざいを形成けいせいしている。これが「絶対ぜったい矛盾むじゅん的てき自己じこ同一どういつ」である。

これはヘーゲルHegelの弁証法べんしょうほう(正せい・反はん・合ごう)とどう違ちがうのか。ヘーゲルHegelの弁証法べんしょうほうでは、矛盾むじゅんは「止揚しよう(アウフヘーベンAufheben)」によって高次こうじの統一とういつに解消かいしょうされる。AとBの対立たいりつはCという合一ごういつに「揚あげられる」。しかし西田にしだの「絶対ぜったい矛盾むじゅん的てき自己じこ同一どういつ」では、矛盾むじゅんは解消かいしょうされない。AとBは矛盾むじゅんしたまま(矛盾むじゅんを保持ほじしたまま)同一どういつなのである。西田にしだはヘーゲルHegelの弁証法べんしょうほうを「まだ合理ごうり主義しゅぎ的てきであり、真しんの矛盾むじゅんに耐たえていない」と批判ひはんした。

禅ぜんの言葉ことばで言いえば、「山やまは山やまであり、水みずは水みずである」→「山やまは山やまにあらず、水みずは水みずにあらず」→「山やまはやはり山やまであり、水みずはやはり水みずである」。この三さん段だんの否定ひていと肯定こうていが一瞬いっしゅんのうちに成立せいりつする事態じたい(「否定ひていの否定ひてい」が単たんなる元もとへの回帰かいきではなく、全まったく新あたらしい深ふかさでの肯定こうていとなる事態じたい)が絶対ぜったい矛盾むじゅん的てき自己じこ同一どういつの具体ぐたい的てきな意味いみである。身近みぢかな例れいを挙あげれば、「私わたしは完全かんぜんに自由じゆうであると同時どうじに完全かんぜんに制約せいやくされている」──人間にんげんの自由じゆうは無む制約せいやく的てきな気きままではなく、身体しんたい・言語げんご・歴史れきし・他者たしゃという徹底的てっていてきな制約せいやくの中なかでこそ成立せいりつする。自由じゆうと制約せいやくは矛盾むじゅんしつつ同一どういつである。西田にしだはこの論理ろんりを、単たんに抽象ちゅうしょう的てきな形而上学けいじじょうがくとしてではなく、歴史れきし、宗教しゅうきょう、芸術げいじゅつ、道徳どうとくの領域りょういきにまで適用てきようしようとした。

5. 行為こうい的てき直観ちょっかん ── 「作つくることによって知しる」

後期こうき西田にしだ哲学てつがくのもう一ひとつの重要じゅうよう概念がいねんが「行為こうい的てき直観ちょっかん」である。これは認識にんしき論ろんと存在そんざい論ろんの統一とういつを目指めざす概念がいねんであり、「ものを作つくることがものを見みることであり、ものを見みることがものを作つくることである」(『哲学てつがく論ろん文集ぶんしゅう 第だい二に』)という逆説ぎゃくせつ的てきな命題めいだいで表現ひょうげんされる。

西洋せいよう近代きんだいの認識にんしき論ろんでは、認識にんしきはまず対象たいしょうを「見みる」(観察かんさつする)ことから始はじまり、次つぎにそれに「働はたらきかける」(実践じっせんする)という順序じゅんじょが暗黙あんもくの前提ぜんていとされてきた。理論りろんが先さき、実践じっせんが後ご。西田にしだはこの順序じゅんじょを根本こんぽん的てきに問とい直なおす。陶芸とうげい家かが轆轤ろくろに向むかうとき、完成かんせい形がたの「設計せっけい図ず」が先さきにあってそれを粘土ねんどに「適用てきよう」するのではない。粘土ねんどに触ふれ、回転かいてんする轆轤ろくろの上うえで手てを動うごかす行為こういの中なかで、器うつわの形かたちが現あらわれてくる。粘土ねんどの抵抗ていこうが手てに伝つたわり、その感触かんしょくが次つぎの動うごきを導みちびく。行為こういの中なかに直観ちょっかんがあり、直観ちょっかんの中なかに行為こういがある。両者りょうしゃは分離ぶんり不可能ふかのうである。

この概念がいねんは、マルクスMarxの「実践じっせん(プラクシスpraxis)」概念がいねん(人間にんげんは世界せかいを解釈かいしゃくするだけでなく変革へんかくする)やハイデガーHeideggerの「道具どうぐ的てき存在そんざい(ツーハンデンハイトZuhandenheit)」(ハンマーを「眺ながめる」のではなく「使つかう」ことの中なかでハンマーの存在そんざいが開示かいじされる)との類似るいじ性せいが指摘してきされている。しかし西田にしだの「行為こうい的てき直観ちょっかん」は、これらを存在そんざい論ろん的てきに一層いっそう深ふかい水準すいじゅん(「世界せかいが自己じこ自身じしんを形成けいせいする」過程かていとしての行為こうい)へと推おし進すすめた。認識にんしきする主体しゅたいが世界せかいを「外そとから」眺ながめるのではなく、主体しゅたい自身じしんが世界せかいの自己じこ形成けいせいの一部いちぶであり、「私わたしが世界せかいを作つくる」と同時どうじに「世界せかいが私わたしを作つくる」。この相互そうご形成けいせいの動的どうてき過程かていが、行為こうい的てき直観ちょっかんの核心かくしんである。

主要しゅよう著作ちょさくガイド

西田にしだの著作ちょさくは難解なんかいであり、入門にゅうもん書しょから段階だんかい的てきに読よみ進すすめることが強つよく推奨すいしょうされる。以下いかに読よむ順序じゅんじょを示しめす。

  • 小坂こさか国継くにつぐ『西田にしだ幾多郎きたろうの思想しそう』(講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ、2002年ねん) ── 西田にしだ哲学てつがくの全体ぜんたい像ぞうを平明へいめいな日本語にほんごで概説がいせつする定評ていひょうのある入門にゅうもん書しょ。「純粋じゅんすい経験けいけん」から「絶対ぜったい矛盾むじゅん的てき自己じこ同一どういつ」に至いたる思想しそうの展開てんかいを、時とき系列けいれつに沿そって追おうことができる。最初さいしょに読よむべき一いっ冊さつ。
  • 藤田ふじた正勝まさかつ『西田にしだ幾多郎きたろう──生いきることと哲学てつがく』(岩波いわなみ新書しんしょ、2007年ねん) ── 西田にしだの生涯しょうがいと思想しそうを一体いったいのものとして描えがく伝記でんき的てき入門にゅうもん書しょ。哲学てつがくの内容ないようだけでなく、西田にしだがどのような経験けいけんから思索しさくを紡つむぎ出だしたかを知しることができる。
  • 西田にしだ幾多郎きたろう『善ぜんの研究けんきゅう』(岩波いわなみ文庫ぶんこ) ── 西田にしだの処女しょじょ作さくにして代表だいひょう作さく。第だい一いち編へん「純粋じゅんすい経験けいけん」が核心かくしん。文体ぶんたいは後期こうきの著作ちょさくに比くらべれば格段かくだんに読よみやすく、哲学てつがく書しょとしての完成かんせい度ども高たかい。日本語にほんごで書かかれた独創どくそう的てき哲学てつがく書しょとして歴史れきし的てき意義いぎを持もつ。ただし後期こうき西田にしだ哲学てつがくとの断絶だんぜつもあるため、これだけで西田にしだを理解りかいしたと思おもわないこと。
  • 西田にしだ幾多郎きたろう『働はたらくものから見みるものへ』(岩波いわなみ文庫ぶんこ) ── 「場所ばしょ」の論理ろんりへの転換期てんかんきの論文ろんぶん集しゅう。「場所ばしょ」論文ろんぶんを含ふくむ。西田にしだ哲学てつがくの中期ちゅうきを代表だいひょうする著作ちょさくであり、『善ぜんの研究けんきゅう』から後期こうきへの橋渡はしわたしとなる。
  • 西田にしだ幾多郎きたろう『西田にしだ幾多郎きたろう哲学てつがく論集ろんしゅう III』(上田うえだ閑照しずてる編へん注ちゅう、岩波いわなみ文庫ぶんこ) ── 「絶対ぜったい矛盾むじゅん的てき自己じこ同一どういつ」など後期こうきの核心かくしん的てき論文ろんぶんを注釈ちゅうしゃくつきで収録しゅうろく。極きわめて難解なんかいだが、西田にしだ哲学てつがくの到達とうたつ点てんを知しるためには避さけて通とおれない。上田うえだの注ちゅうが理解りかいの助たすけになる。
  • 上田うえだ閑照しずてる『西田にしだ幾多郎きたろうとは誰だれか』(岩波いわなみ現代げんだい文庫ぶんこ、2002年ねん) ── 京都きょうと学派がくはの継承けいしょう者しゃによる本格ほんかく的てきな西田にしだ論ろん。西田にしだ哲学てつがくを禅ぜんの伝統でんとうとの関係かんけいにおいて深ふかく読よみ解とく。西田にしだを「内側うちがわから」理解りかいするための必読ひつどく文献ぶんけん。

主要しゅような批判ひはんと論争ろんそう

1. 田辺たなべ元はじめの批判ひはん(同どう時代じだい):西田にしだの最もっとも重要じゅうような批判ひはん者しゃは、京都きょうと帝てい大だいの同僚どうりょうであり弟子でしでもあった田辺たなべ元はじめである。田辺たなべは1930年ねんの論文ろんぶん「西田にしだ先生せんせいの教きょうを仰あおぐ」で、西田にしだの「場所ばしょの論理ろんり」が「直観ちょっかん的てき」にすぎ、論理ろんり的てきな媒介ばいかいを欠かいていると批判ひはんした。西田にしだの「絶対ぜったい無む」は禅ぜん的てきな直接ちょくせつ体験たいけんに依拠いきょするが、哲学てつがくはそのような直接ちょくせつ性せいを論理ろんり的てきに媒介ばいかいしなければならない、と田辺たなべは主張しゅちょうした。田辺たなべはこれに対たいして「種たねの論理ろんり」──個こと類るいの間まに「種たね」(民族みんぞく・社会しゃかいといった具体ぐたい的てき共同きょうどう体たい)を媒介ばいかい項こうとして挿入そうにゅうする弁証法べんしょうほう──を提唱ていしょうした。師弟してい関係かんけいにあった二に人にんの公開こうかいの論争ろんそうは、日本にっぽん哲学てつがく史上しじょう最もっとも生産せいさん的てきな知的ちてき対決たいけつの一ひとつとされ、西田にしだもこの批判ひはんに応答おうとうする形かたちで自身じしんの論理ろんりを精緻せいち化かしていった。

2. 戸坂とさか潤じゅんのマルクスMarx主義しゅぎ的てき批判ひはん(同どう時代じだい):京都きょうと学派がくはの左派さはに属ぞくする戸坂とさか潤じゅんは、西田にしだ哲学てつがくの「観念論かんねんろん」的てき性格せいかくを鋭するどく批判ひはんした。戸坂とさかは西田にしだの「場所ばしょ」の論理ろんりが社会しゃかい的てき・歴史れきし的てきな現実げんじつから遊離ゆうりした抽象ちゅうしょう的てき形而上学けいじじょうがくであると論ろんじ、マルクスMarxの唯物ゆいぶつ論ろん的てき弁証法べんしょうほうこそが現実げんじつの変革へんかくに資しする哲学てつがくだと主張しゅちょうした。西田にしだが「絶対ぜったい無む」という超越ちょうえつ的てき原理げんりに訴うったえること自体じたいが、社会しゃかい的てき現実げんじつの矛盾むじゅんを覆おおい隠かくす機能きのうを持もつ──これは「現実げんじつの苦くるしみを観念かんねん的てきに解消かいしょうしてしまう」観念論かんねんろんへの古典こてん的てき批判ひはんの変奏へんそうである。戸坂とさかは治安ちあん維持いじ法ほう違反いはんで投獄とうごくされ、1945年ねん8月がつ9日ここのか、敗戦はいせんのわずか6日むいか前まえに獄中ごくちゅうで病死びょうしした。

3. 政治せいじ的てき論争ろんそう──戦争せんそう協力きょうりょくをめぐって(近きん現代げんだい):西田にしだの政治せいじ的てき立場たちばをめぐる論争ろんそうは、今日きょうなお解決かいけつしていない。西田にしだは太平洋戦争たいへいようせんそう中ちゅうに「世界せかい新しん秩序ちつじょの原理げんり」(1943年ねん)など、日本にっぽんを中心ちゅうしんとする「東亜とうあ共栄きょうえい圏けん」の理念りねん的てき基礎きそづけと読よみうるテクストtextを残のこしている。一方いっぽうで、軍部ぐんぶの単純たんじゅんな膨張ぼうちょう主義しゅぎには批判ひはん的てきであり、「各かく民族みんぞくがそれぞれの個性こせいを保たもちつつ一ひとつの世界せかいを形成けいせいする」という理念りねんは、軍国ぐんこく主義しゅぎとは異ことなる普遍ふへん的てきなビジョンを含ふくんでいたとする解釈かいしゃくもある。さらに、軍部ぐんぶの政策せいさくに対たいして批判ひはん的てきな私信ししんも残のこされており、西田にしだの真意しんいについては研究けんきゅう者しゃの間まで見解けんかいが鋭するどく対立たいりつしている。

酒井さかい直樹なおきらは西田にしだ哲学てつがくが結果けっかとして日本にっぽん帝国ていこく主義しゅぎの知的ちてき正当せいとう化かに利用りようされたことを厳きびしく批判ひはんし、中村なかむら雄二郎ゆうじろうや上田うえだ閑照てらは西田にしだが体制たいせいに対たいして可能かのうな範囲はんいで抵抗ていこうしつつ哲学てつがく的てき理念りねんを貫つらぬこうとしたと弁護べんごする。この問題もんだいはハイデガーHeideggerとナチズムの関係かんけいをめぐる論争ろんそうと構造こうぞう的てきに類似るいじしており、哲学てつがく的てき業績ぎょうせきと政治せいじ的てき行為こういの関係かんけいという普遍ふへん的てきな問といを提起ていきしている。

4. 分析ぶんせき哲学てつがくからの批判ひはん(現代げんだい):英えい米べい系けいの分析ぶんせき哲学てつがくの立場たちばからは、西田にしだの概念がいねん(「絶対ぜったい無む」「絶対ぜったい矛盾むじゅん的てき自己じこ同一どういつ」など)が論理ろんり的てきに不明瞭ふめいりょうであり、検証けんしょう可能かのうな命題めいだいとして定式ていしき化かできないという批判ひはんがある。矛盾むじゅん律りつの「超克ちょうこく」を主張しゅちょうする西田にしだの立場たちばは、分析ぶんせき哲学てつがくの基本きほん前提ぜんてい──論理ろんり的てき整合せいごう性せいが思考しこうの最低限さいていげんの条件じょうけんである──と正面しょうめんから衝突しょうとつする。「矛盾むじゅんしたまま同一どういつである」とは厳密げんみつにはどういうことか。それは矛盾むじゅん律りつを否定ひていしているのか、それとも通常つうじょうの矛盾むじゅん律りつが適用てきようされる水準すいじゅんとは別べつの水準すいじゅんの話はなしをしているのか。この問といに対たいする明晰めいせきな回答かいとうが西田にしだ自身じしんのテクストtextからは必かならずしも得えられない。

ただし近年きんねん、矛盾むじゅん許容きょよう論理ろんり(パラコンシステント・ロジックparaconsistent logic)の発展はってんにより、矛盾むじゅんを含ふくみつつも破綻はたんしない論理ろんり体系たいけいが可能かのうであることが示しめされており、西田にしだの論理ろんりを現代げんだい論理ろんり学がくの枠組わくぐみで再さい評価ひょうかする試こころみも始はじまっている(たとえば グレアム・プリーストGraham Priestらのダイアレセイズムdialetheismとの比較ひかく研究けんきゅう)。

影響えいきょうと遺産いさん

先行せんこう思想しそう:ウィリアム・ジェイムズWilliam Jamesの根本こんぽん的てき経験けいけん論ろん(純粋じゅんすい経験けいけん概念がいねんの直接的ちょくせつてき影響えいきょう源げん)、ドイツ観念論かんねんろん(カントKantの超越ちょうえつ論ろん的てき哲学てつがく、フィヒテFichteの自我じが論ろん、ヘーゲルHegelの弁証法べんしょうほう)、新しんカントKant派は(特とくにリッケルトRickertの価値かち哲学てつがく)、フッサールHusserlの現象げんしょう学がく、ベルクソンBergsonの「純粋じゅんすい持続じぞく」概念がいねん、禅ぜん仏教ぶっきょう(特とくに臨済宗りんざいしゅうの公案こうあん修行しゅぎょうと坐禅ざぜんの体験たいけん)、大乗だいじょう仏教ぶっきょうの空くう・無むの思想しそう(般若はんにゃ経典きょうてん、中ちゅう観かん派はの龍樹りゅうじゅ)、華厳宗けごんしゅうの「事事ことごと無碍むげ法界ほうかい」の思想しそう。

直接的ちょくせつてき後継こうけい者しゃ(京都きょうと学派がくは):西田にしだの思想しそうは「京都きょうと学派がくは」として制度せいど化かされた。田辺たなべ元はじめは師しを批判ひはんしつつ「種たねの論理ろんり」を展開てんかいし、戦後せんごは「懺悔ざんげ道どうとしての哲学てつがく」へ転回てんかいした。西谷にしたに啓治けいじは「空くう」の哲学てつがくをニヒリズムnihilism克服こくふくの論理ろんりとして発展はってんさせた(『宗教しゅうきょうとは何なにか』1961年ねん)。久松ひさまつ真一しんいちは禅ぜんと西田にしだ哲学てつがくの統合とうごうを追求ついきゅうし、「無む相しょうの自己じこ」を核心かくしん概念がいねんとした。上田うえだ閑照しずてるはマイスター・エックハルトMeister Eckhartと禅ぜんの比較ひかくを通つうじて西田にしだ哲学てつがくを国際こくさい的てきに発信はっしんした。三木みき清きよしは西田にしだ哲学てつがくをマルクスMarx主義しゅぎと接続せつぞくさせる「構想こうそう力りょくの論理ろんり」を展開てんかいしたが、戦時せんじ中ちゅうに共産きょうさん主義しゅぎ者しゃをかくまった罪つみで投獄とうごくされ、敗戦はいせん後ごも釈放しゃくほうされないまま1945年ねん9月がつに獄中ごくちゅうで病死びょうしした──戦後せんご日本にっぽんの知識ちしき人じんに深ふかい衝撃しょうげきを与あたえた事件じけんである。

遠とおい後継こうけい者しゃ:西田にしだ哲学てつがくは1990年代ねんだい以降いこう、英語えいご圏けんでも本格ほんかく的てきに受容じゅようされるようになった。ジェイムズ・ハイジックJames W. Heisig、ジョン・マラルドJohn Maraldo、ブレット・デイヴィスBret W. Davisらが西田にしだの英語えいご圏けんへの紹介しょうかいと批判ひはん的てき研究けんきゅうを進すすめている。比較ひかく哲学てつがく(東西とうざい比較ひかく思想しそう)の分野ぶんやでは、西田にしだは「非ひ西洋せいよう圏けんから出でた最初さいしょの世界せかい的てき水準すいじゅんの体系たいけい的てき哲学てつがく者しゃ」として参照さんしょうされることが多おおい。フランスの現象げんしょう学者がくしゃミシェル・アンリMichel Henryの「生なまの現象げんしょう学がく」──意識いしきの志向しこう性せいの「手前てまえ」にある自己じこ触発しょくはつ──やメルロ=ポンティMerleau-Pontyの「肉にくの存在そんざい論ろん」──知覚ちかくする身体しんたいと知覚ちかくされる世界せかいの交叉こうさ(キアスムchiasmus)──との構造こうぞう的てき類似るいじが指摘してきされており、現象げんしょう学がく的てき伝統でんとうとの対話たいわが活発かっぱつに行おこなわれている。

哲学てつがく外がいへの波及はきゅう:「場所ばしょ」の概念がいねんは、中村なかむら雄二郎ゆうじろうの「臨床りんしょうの知ち」、清水しみず博ひろしの「場ばの理論りろん」(組織そしき論ろん・生命せいめい論ろん)など、日本にっぽんの思想しそう・科学かがく論ろんに広ひろく影響えいきょうを与あたえた。京都きょうとの「哲学てつがくの道みち」は、西田にしだの思索しさくの足跡あしあとを偲しのぶ場所ばしょとして知しられ、「歩あるきながら考かんがえる」哲学てつがくの実践じっせんを今日きょうに伝つたえている。また近年きんねん、意識いしきの哲学てつがくの領域りょういきで、西田にしだの「純粋じゅんすい経験けいけん」──機能きのう的てき記述きじゅつに還元かんげんされない意識いしきの「質的しつてき」側面そくめん──を再さい評価ひょうかする動うごきが現あらわれている。

現代げんだいへの接続せつぞく

西田にしだ哲学てつがくは1945年ねんの彼かれの死後しご、しばらく「過去かこの遺産いさん」として扱あつかわれた。戦後せんごの日本にっぽん哲学てつがくはマルクスMarx主義しゅぎと分析ぶんせき哲学てつがくに支配しはいされ、京都きょうと学派がくはの形而上学けいじじょうがくは「戦前せんぜんの観念論かんねんろん」「戦争せんそう協力きょうりょくの哲学てつがく」として敬遠けいえんされた。しかし21世紀せいきに入はいり、西田にしだの問といは新あらたな切実せつじつさを帯おびて回帰かいきしつつある。

第だい一いちに、意識いしきの問題もんだい。脳のうの神経しんけい活動かつどうがいくら精密せいみつに解明かいめいされても、「なぜ物質ぶっしつ的てきな過程かていから主観しゅかん的てきな経験けいけんが生うまれるのか」は未み解決かいけつのままである。意識いしきのハードプロブレム(デイヴィッド・チャーマーズChalmersが1995年ねんに定式ていしき化か)が問とうているのは、まさに西田にしだが「純粋じゅんすい経験けいけん」として捉とらえようとした次元じげん──機能きのう的てき記述きじゅつには還元かんげんできない経験けいけんの「質感しつかん(クオリアqualia)」──である。

西田にしだの「純粋じゅんすい経験けいけんは主客しゅきゃく未み分ぶんである」という洞察どうさつは、「意識いしきとは、脳のうの機能きのうに還元かんげんされる副産物ふくさんぶつではなく、経験けいけんそのものの根源こんげん的てきな在あり方かたである」という仮説かせつに哲学てつがく的てき根拠こんきょを提供ていきょうしうる。「意識いしきとは何なにか」──西田にしだはこの問といに100年ねん前まえから取とり組くんでいた。

第だい二にに、二元論にげんろんを超こえる思考しこうの必要ひつよう性せい。現代げんだい社会しゃかいは「自然しぜん/人工じんこう」「身体しんたい/精神せいしん」「個人こじん/社会しゃかい」「西洋せいよう/東洋とうよう」といった二に項こう対立たいりつによって思考しこうを組織そしきしているが、気候きこう変動へんどう、パンデミック、グローバルなデジタル接続せつぞくは、これらの対立たいりつが人為じんい的てきな抽象ちゅうしょうであることを暴露ばくろしつつある。西田にしだの「絶対ぜったい矛盾むじゅん的てき自己じこ同一どういつ」は、二に項こう対立たいりつを「止揚しよう」して解消かいしょうするのではなく、対立たいりつを対立たいりつのまま引ひき受うけつつその根源こんげん的てき一体いったい性せいを見みる論理ろんりを提供ていきょうする。たとえば「グローバル化か」と「ローカルなアイデンティティ」は矛盾むじゅんするように見みえるが、真しんのグローバル化かは各かく文化ぶんかの固有こゆう性せいを消去しょうきょするのではなく、固有こゆう性せいが固有こゆう性せいのまま一ひとつの世界せかいを形成けいせいする事態じたいであるべきだ。

これは西田にしだが「世界せかい新しん秩序ちつじょの原理げんり」で(政治せいじ的てきな問題もんだいを孕はらみつつも)哲学てつがく的てきに構想こうそうしようとしたことの核心かくしんでもある。

第だい三さんに、非ひ西洋せいよう的てき哲学てつがくの可能かのう性せい。哲学てつがくが西洋せいようのローカルな伝統でんとうに過すぎないのか、それとも普遍ふへん的てきな知的ちてき営いとなみであるのかという問といが、比較ひかく哲学てつがくや異い文化ぶんか間かん哲学てつがくの分野ぶんやで活発かっぱつに議論ぎろんされている。西田にしだは、西洋せいよう哲学てつがくの方法ほうほう論ろんを完全かんぜんに身みにつけた上うえで、東洋とうよう的てきな知ちの伝統でんとうに根ねざした独自どくじの体系たいけいを構築こうちくした最初さいしょの思想家しそうかである。これは「非ひ西洋せいようの思想しそうが西洋せいよう哲学てつがくと対等たいとうに対話たいわしうる」ことを実践じっせん的てきに証明しょうめいした先例せんれいであり、今日きょうの「世界せかい哲学てつがく(world philosophy)」構想こうそうにとって不可欠ふかけつの参照さんしょう点てんとなっている。

同時どうじに、西田にしだの限界げんかいも直視ちょくしすべきだ。彼かれの文体ぶんたいは極きわめて晦渋かいじゅうであり、「分わかりにくさ」が深遠しんえんさの証拠しょうことして機能きのうする知的ちてき権威けんい主義しゅぎを招まねきやすい。また、「絶対ぜったい無む」のような概念がいねんが具体ぐたい的てきな社会しゃかい的てき問題もんだいに対たいしてどのような実践じっせん的てき帰結きけつを持もつのかは、必かならずしも明あきらかではない。戦時せんじ中ちゅうの政治せいじ的てきテクストtextが示しめすように、抽象ちゅうしょう的てきな哲学てつがく的てき原理げんりは、それを担になう人間にんげんの政治せいじ的てき判断はんだんの質しつを自動的じどうてきには保証ほしょうしない。「東洋とうようと西洋せいようの統一とういつ」という壮大そうだいな理念りねんが、現実げんじつには帝国ていこく主義しゅぎ的てき拡張かくちょうの正当せいとう化かに転用てんようされうるということ──この教訓きょうくんは、西田にしだの思想しそう的てき遺産いさんを継承けいしょうする上うえで忘わすれてはならない。哲学てつがくは時代じだいを超こえるが、哲学てつがく者しゃは時代じだいの中なかにいる。

読者どくしゃへの問とい

  • あなたが「考かんがえる前まえに」経験けいけんしていることは何なにか? 朝あさ、目めを覚さました最初さいしょの瞬間しゅんかん──「私わたし」がまだ立たち上あがっていない、世界せかいがただそこにある一瞬いっしゅん──を思おもい出だせるか? それは「主観しゅかんが客観きゃっかんを認識にんしきしている」状態じょうたいなのか、それとも何なにか別べつの状態じょうたいなのか?
  • 西田にしだは「場所ばしょの論理ろんり」で、意識いしきが「無む」であるからこそあらゆるものを映うつし出だせると論ろんじた。あなた自身じしんの意識いしきは、「何なにものかである」ことと「何なにものでもないこと」のどちらに近ちかいと感かんじるか? その感覚かんかくはなぜ生うまれるのか?
  • 「矛盾むじゅんするものが同時どうじに一ひとつである」という西田にしだの主張しゅちょうは、あなたにとって納得なっとくできるか? もし納得なっとくできないとすれば、あなたが暗黙あんもくに前提ぜんていとしている「論理ろんり」とはどのようなものか? あなた自身じしんの中なかに「矛盾むじゅんしたまま共存きょうぞんしている」ものはないか?

名言めいげん(出典しゅってんつき)

"経験けいけんするというのは事実じじつ其儘に知しるの意いである。全まったく自己じこの細工ざいくを棄すてて、事実じじつに従したがうて知しるのである。" ── 西田にしだ幾多郎きたろう『善ぜんの研究けんきゅう』第だい一いち編へん第だい一いち章しょう(1911年ねん)。「純粋じゅんすい経験けいけん」の定義ていぎとして最もっとも有名ゆうめいな一節いっせつ。判断はんだんや反省はんせいが介入かいにゅうする以前いぜんの、直接的ちょくせつてきな経験けいけんこそが実在じつざいの根源こんげんであるという西田にしだ哲学てつがくの出発しゅっぱつ点てんを一文いちぶんに凝縮ぎょうしゅくする。/原文げんぶん:日本語にほんご原文げんぶん
"善ぜんとは一言ひとことにていえば人格じんかくの実現じつげんである。" ── 西田にしだ幾多郎きたろう『善ぜんの研究けんきゅう』第だい三さん編へん(1911年ねん)。倫理りんりの根拠こんきょを外的がいてきな規範きはんではなく、人格じんかくの内的ないてきな自己じこ実現じつげんに求もとめる。カントKantの義務ぎむ論ろんとアリストテレスἈριστοτέληςの徳とく倫理りんり学がくを統合とうごうしようとする西田にしだの倫理りんり思想しそうの核心かくしん。/原文げんぶん:日本語にほんご原文げんぶん
"我々われわれは世界せかいの創造そうぞう的てき要素ようそとして、歴史れきし的てきに作つくることによって、ものを見みるのである。行為こうい的てき直観ちょっかん的てきに物ものを見みるのである。" ── 西田にしだ幾多郎きたろう「絶対ぜったい矛盾むじゅん的てき自己じこ同一どういつ」(1939年ねん、『哲学てつがく論ろん文集ぶんしゅう 第だい三さん』所収しょしゅう)。認識にんしきは行為こういと分離ぶんりできないという後期こうき西田にしだ哲学てつがくの核心かくしん的てき命題めいだい。「見みること」と「作つくること」の同一どういつ性せいを主張しゅちょうする。/原文げんぶん:日本語にほんご原文げんぶん
"哲学てつがくの動機どうきは「驚おどろき」ではなくして深ふかい人生じんせいの悲哀ひあいでなければならない。" ── 西田にしだ幾多郎きたろうの晩年ばんねんの言葉ことば(書簡しょかん・随筆ずいひつに繰くり返かえし現あらわれる主題しゅだい)。アリストテレスἈριστοτέληςが哲学てつがくの始はじまりを「驚おどろき(タウマゼインthaumazein)」に求もとめた(『形而上学Τὰ μετὰ τὰ φυσικά』982b)のに対たいし、西田にしだは人生じんせいの悲哀ひあいをこそ哲学てつがくの源泉げんせんと見みた。幼おさない子供こどもたちに先立さきだたれた個人こじん的てきな悲嘆ひたんが、この一言ひとことの背景はいけいにある。/原文げんぶん:日本語にほんご原文げんぶん

参考さんこう文献ぶんけん

  • (主著しゅちょ):西田にしだ幾多郎きたろう『善ぜんの研究けんきゅう』(岩波いわなみ文庫ぶんこ、1950年ねん / 初版しょはん1911年ねん、弘道こうどう館かん)── 西田にしだ哲学てつがくの出発しゅっぱつ点てん。「純粋じゅんすい経験けいけん」の概念がいねんを中心ちゅうしんに、実在じつざい論ろん・倫理りんり学がく・宗教しゅうきょう論ろんを展開てんかいする。日本語にほんごで書かかれた独創どくそう的てき哲学てつがく書しょとして歴史れきし的てき意義いぎを持もつ。
  • (場所ばしょの論理ろんり):西田にしだ幾多郎きたろう『働はたらくものから見みるものへ』(岩波いわなみ文庫ぶんこ)── 論文ろんぶん「場所ばしょ」(1926年ねん)を含ふくむ中期ちゅうきの論文ろんぶん集しゅう。「有ゆうの場所ばしょ」「相対そうたい無むの場所ばしょ」「絶対ぜったい無むの場所ばしょ」の三さん層そう構造こうぞうが展開てんかいされる。
  • (後期こうき):西田にしだ幾多郎きたろう『西田にしだ幾多郎きたろう哲学てつがく論集ろんしゅう III』(上田うえだ閑照しずてる編へん注ちゅう、岩波いわなみ文庫ぶんこ)── 「絶対ぜったい矛盾むじゅん的てき自己じこ同一どういつ」(1939年ねん)など後期こうきの核心かくしん的てき論文ろんぶんを注釈ちゅうしゃくつきで収録しゅうろく。入手にゅうしゅしやすく、上田うえだの注ちゅうが理解りかいを助たすける。
  • (遺作いさく):西田にしだ幾多郎きたろう「場所ばしょ的てき論理ろんりと宗教しゅうきょう的てき世界せかい観かん」(1945年ねん、『西田にしだ幾多郎きたろう全集ぜんしゅう』第だい11巻かん所収しょしゅう)── 西田にしだ最後さいごの論文ろんぶん。絶対ぜったい無むと宗教しゅうきょう的てき経験けいけんの関係かんけいを論ろんじた宗教しゅうきょう哲学てつがくとしての到達とうたつ点てん。
  • (全集ぜんしゅう):『西田にしだ幾多郎きたろう全集ぜんしゅう』全ぜん24巻かん(岩波書店いわなみしょてん、新版しんぱん2003-2009年ねん)── 著作ちょさく・論文ろんぶんのみならず、日記にっき・書簡しょかんを含ふくむ。特とくに日記にっき(第だい17-18巻かん)は参禅さんぜん記録きろくや私生活しせいかつの記述きじゅつを含ふくみ、思想しそうの形成けいせい過程かていを知しる上うえで不可欠ふかけつ。
  • (入門にゅうもん・邦語ほうご):小坂こさか国継くにつぐ『西田にしだ幾多郎きたろうの思想しそう』(講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ、2002年ねん)── 西田にしだ哲学てつがくの全体ぜんたい像ぞうを平明へいめいに概説がいせつする日本語にほんご圏けんで定評ていひょうのある入門にゅうもん書しょ。
  • (伝記でんき的てき入門にゅうもん・邦語ほうご):藤田ふじた正勝まさかつ『西田にしだ幾多郎きたろう──生いきることと哲学てつがく』(岩波いわなみ新書しんしょ、2007年ねん)── 生涯しょうがいと思想しそうを一体いったいとして描えがく。西田にしだの人間像にんげんぞうに近ちかづくための最適さいてきな一いっ冊さつ。
  • (京都きょうと学派がくはからの解釈かいしゃく):上田うえだ閑照しずてる『西田にしだ幾多郎きたろうとは誰だれか』(岩波いわなみ現代げんだい文庫ぶんこ、2002年ねん)── 禅ぜんの伝統でんとうと西田にしだ哲学てつがくの接続せつぞくを深ふかく掘ほり下さげる。
  • (英語えいご圏けんの研究けんきゅう):James W. Heisig『Philosophers of Nothingness: An Essay on the Kyoto School』, University of Hawai'i Press, 2001 ── 京都きょうと学派がくは全体ぜんたいを英語えいごで概観がいかんする標準ひょうじゅん的てき入門にゅうもん書しょ。西田にしだ、田辺たなべ、西谷にしたにを中心ちゅうしんに扱あつかう。
  • (批判ひはん的てき研究けんきゅう):酒井さかい直樹なおき『日本にっぽん思想しそうという問題もんだい──翻訳ほんやくと主体しゅたい』(岩波書店いわなみしょてん、1997年ねん)── 京都きょうと学派がくはの「近代きんだいの超克ちょうこく」論ろんを批判ひはん的てきに分析ぶんせきし、政治せいじ的てき責任せきにんを問とう。