1513年ねん12月がつ10日とおか、フィレンツェFirenze郊外こうがいの小ちいさな農場のうじょう。昼間ひるまは薪まきを切きり、鶫つぐみを捕とり、居酒屋いざかやで肉屋にくややパンpan屋やを相手あいてにカードcardに興きょうじていた男おとこが、夕暮ゆうぐれとともに家いえに戻もどる。泥どろだらけの日常にちじょう着ぎを脱ぬぎ、「宮廷きゅうていにふさわしい衣服いふく」に着替きがえて書斎しょさいに入はいる。ここから先さきは別べつの世界せかいだ。

「私わたしは恥はじることなく彼かれら(古代こだいの人々ひとびと)と語かたり合あい、彼かれらの行為こういの理由りゆうを尋たずねる。彼かれらは人間にんげん愛あいゆえに答こたえてくれる。四よ時間じかんのあいだ、私わたしは何なんの退屈たいくつも感かんじず、一切いっさいの苦悩くのうを忘わすれ、貧困ひんこんを恐おそれず、死しを恐おそれない。私わたしはすっかり彼かれらの中なかに移うつし入いれられるのだ」。

友人ゆうじんフランチェスコ・ヴェットーリFrancesco Vettoriに宛あてたこの手紙てがみの中なかで、ニッコロNiccolò・マキャヴェッリMachiavelliは一冊いっさつの小著しょうちょを書かき上あげたことを告つげている。「私わたしはそれを『君主論De Principatibusについて』と名付なづけた」。権力けんりょくを失うしなった元もと書記しょき官かんが、フィレンツェFirenzeの泥どろと古代こだいローマRomaの叡知えいちの間あいだを往復おうふくしながら書かいた、わずか26章しょうの論考ろんこう。この小著しょうちょが、政治せいじというものの考かんがえ方かたを永久えいきゅうに変かえることになる。

「マキャヴェッリMachiavelli的てき(マキャヴェリアンMachiavellian)」という英語えいごは、「狡猾こうかつな」「冷酷れいこくな」という否定ひてい的てきな意味いみで使つかわれる。だが彼かれが本当ほんとうに行おこなったのは、あるべき理想りそうからではなく、あるがままの現実げんじつから政治せいじを考かんがえるという方法ほうほう論ろんの革命かくめいだった。リーダーシップleadership論ろん、国際こくさい関係かんけい論ろん、組織そしき論ろん。現代げんだいの政治せいじと経営けいえいを語かたる言語げんごは、多おおかれ少すくなかれマキャヴェッリMachiavelliの地平ちへいの上うえに立たっている。

この記事きじの要点ようてん

  • 政治せいじ的てきリアリズムrealismの先駆せんく:マキャヴェッリMachiavelliは、政治せいじを神学しんがくや道徳どうとく哲学てつがくの従属じゅうぞく物ぶつではなく、独自どくじの論理ろんりを持もつ自律じりつ的てきな領域りょういきとして先駆せんく的てきに分析ぶんせきした。「人間にんげんはこうあるべきだ」ではなく「人間にんげんは実際じっさいにどう動うごくか」から出発しゅっぱつするこの方法ほうほう論ろんが、近代きんだい政治せいじ学がくの基礎きそを築きずいた。
  • ヴィルトゥvirtù(力量りきりょう)とフォルトゥナfortuna(運命うんめい):制御せいぎょできない運命うんめいに対たいして、指導しどう者しゃの力量りきりょうはどこまで対抗たいこうできるか。この問題もんだい構造こうぞうがマキャヴェッリMachiavelliの政治せいじ理論りろんの核心かくしんであり、現代げんだいの危機きき管理かんり論ろんやリーダーシップleadership論ろんの原型げんけいでもある。
  • 共和きょうわ主義しゅぎ者しゃとしてのマキャヴェッリMachiavelli:『君主論Il Principe』だけ読よむと専制せんせいの擁護ようご者しゃに見みえる。だが彼かれの主著しゅちょ『ディスコルシDiscorsi(リウィウスLivius論ろん)』では、自由じゆうな市民しみんによる共和きょうわ政せいこそ最もっとも安定あんていした政体せいたいだと主張しゅちょうしている。両著りょうちょを合あわせて読よんで初はじめて、マキャヴェッリMachiavelliの全体ぜんたい像ぞうが浮うかび上あがる。

生涯しょうがいと時代じだい背景はいけい

ニッコロNiccolò・マキャヴェッリMachiavelliは1469年ねん5月がつ3日みっか、フィレンツェFirenze共和きょうわ国こくに生うまれた。父ちちベルナルドBernardoは法律ほうりつ家かの資格しかくを持もつが、債務さいむ者しゃ名簿めいぼに載のるほど経済けいざい的てきには恵めぐまれない。ただし書籍しょせき愛好あいこう家かとしては知しられた人物じんぶつだった。マキャヴェッリMachiavelliの読書どくしょの原点げんてんは、この父ちちの蔵書ぞうしょにある。

ベルナルドBernardoの日記にっきに興味きょうみ深ぶかい記録きろくがある。彼かれはリウィウスLiviusの『ローマRoma建国けんこく以来いらいの歴史れきし』の索引さくいんを作成さくせいする仕事しごとの報酬ほうしゅうとして、出版しゅっぱん者しゃから同書どうしょの一部いちぶを受うけ取とっている。息子むすこニッコロNiccolòがやがてこの同おなじリウィウスLiviusを題材だいざいに自みずからの主著しゅちょを書かくことになるのは、歴史れきしの皮肉ひにくというほかない。マキャヴェッリMachiavelliはラテンLatin語ごの古典こてん教育きょういくを受うけたが大学だいがくには通かよわず、キケロCicero、リウィウスLivius、タキトゥスTacitus、ポリュビオスPolybiosといったローマRomaの歴史れきし家か・思想しそう家かを独学どくがくで読よみ込こんだ。

彼かれが生いきたのは、イタリアItalia半島はんとうがヨーロッパEuropa列強れっきょうに翻弄ほんろうされた時代じだいだった。フィレンツェFirenze、ヴェネツィアVenezia、ミラノMilano、教皇きょうこう領りょう、ナポリNapoli王国おうこくの五ご大だい勢力せいりょくが同盟どうめいと裏切うらぎりを繰くり返かえす中なか、1494年ねんにフランスFrance王おうシャルルCharles8世せいがイタリアItaliaに侵攻しんこうする。65年ねんに及およぶ「イタリアItalia戦争せんそう」の始はじまりだった。小しょう国家こっかが大国たいこくに蹂躙じゅうりんされる現実げんじつ。これがマキャヴェッリMachiavelliの政治せいじ思想しそうを形かたちづくる経験けいけん的てき基盤きばんである。

1494年ねん、フィレンツェFirenzeの実質じっしつ的てき支配しはい者しゃメディチMedici家けが追放ついほうされると、ドミニコDominico会かい修道しゅうどう士しジローラモ・サヴォナローラGirolamo Savonarolaが神権しんけん政治せいじを敷しいた。市民しみんの贅沢ぜいたく品ひん・美術びじゅつ品ひん・鏡かがみ・書物しょもつを広場ひろばで焼やき払はらう「虚栄きょえいの焼却しょうきゃく」はその象徴しょうちょうである。しかし1498年ねん、サヴォナローラSavonarolaは異端いたんとして火刑かけいに処しょされる。マキャヴェッリMachiavelliは後年こうねん、このエピソードepisodeから一ひとつの教訓きょうくんを引ひき出だした。「武装ぶそうした預言よげん者しゃは勝かち、非ひ武装ぶそうの預言よげん者しゃは滅ほろんだ」(『君主論Il Principe』第だい6章しょう)。理想りそうだけでは国家こっかは守まもれない。マキャヴェッリMachiavelliのリアリズムrealismの出発しゅっぱつ点てんがここにある。

サヴォナローラSavonarolaの処刑しょけい後ご、新あらたな共和きょうわ政せいのもとで、29歳さいのマキャヴェッリMachiavelliはフィレンツェFirenze第二だいに書記しょき局きょく長官ちょうかんに就任しゅうにんする(1498年ねん)。以後いご14年間ねんかん、彼かれは外交がいこうと軍事ぐんじの実務じつむに携たずさわった。

中なかでも決定けってい的てきだったのがチェーザレ・ボルジアCesare Borgiaへの外交がいこう使節しせつ(1502〜1503年ねん)である。教皇きょうこうアレクサンデルAlexander6世せいの庶子しょしボルジアBorgiaは、計算けいさんされた残忍ざんにんさと大胆だいたんさでロマーニャRomagna地方ちほうを征服せいふくしていた。マキャヴェッリMachiavelliはその統治とうち術じゅつを間近まぢかで観察かんさつし、とりわけ一ひとつの事件じけんに衝撃しょうげきを受うける。

ボルジアBorgiaは、征服せいふくしたロマーニャRomagnaの混乱こんらんを鎮しずめるため、腹心ふくしんレミッロ・デ・オルコRemirro de Orcoに全権ぜんけんを委ゆだね、残忍ざんにんな手段しゅだんで秩序ちつじょを回復かいふくさせた。住民じゅうみんの怨嗟えんさがレミッロRemirroに集中しゅうちゅうすると、今度こんどはボルジアBorgia自身じしんがレミッロRemirroを逮捕たいほする。ある朝あさ、チェゼーナCesenaの広場ひろばに、二ふたつに切断せつだんされたレミッロRemirroの遺体いたいが木片もくへんと血ちまみれの刀かたなとともに晒さらされた。マキャヴェッリMachiavelliはこう記しるしている。「この光景こうけいの残酷ざんこくさは人々ひとびとを満足まんぞくさせると同時どうじに、茫然ぼうぜんとさせた」(『君主論Il Principe』第だい7章しょう)。汚よごれ仕事しごとを部下ぶかに行おこなわせ、その責任せきにんを部下ぶかに被かぶせ、自みずからは「解放かいほう者しゃ」として登場とうじょうする。この冷徹れいてつな権力けんりょくの演出えんしゅつ術じゅつが、マキャヴェッリMachiavelliの目めの前まえで実演じつえんされたのである。

もう一ひとつの重要じゅうような経験けいけんは市民しみん軍ぐんの創設そうせつだった。当時とうじのイタリアItalia都市とし国家こっかは軍事ぐんじを傭兵ようへいに依存いぞんしていたが、傭兵ようへいは金かねで雇やとわれる以上いじょう、忠誠ちゅうせい心しんに欠かけ、危機ききに際さいして逃亡とうぼうすることもあった。マキャヴェッリMachiavelliはこの問題もんだいを痛感つうかんし、フィレンツェFirenze独自どくじの市民しみん軍ぐんを組織そしきして(1506年ねん)、1509年ねんのピサPisa攻略こうりゃくに成功せいこうする。しかし1512年ねん、スペインEspañaの正規せいき軍ぐんがフィレンツェFirenze領りょうプラートPratoを攻撃こうげきしたとき、市民しみん軍ぐんはあっけなく潰走かいそうした。理論りろんと現実げんじつの苦にがい乖離かいり。この経験けいけんもまた、彼かれの思想しそうに刻きざみ込こまれている。

同年どうねん、メディチMedici家けがスペインEspaña軍ぐんの後押あとおしを受うけてフィレンツェFirenzeに復帰ふっきし、共和きょうわ政せいは崩壊ほうかいする。マキャヴェッリMachiavelliは失職しっしょくした。翌よく1513年ねんには反はんメディチMedici陰謀いんぼうの嫌疑けんぎで逮捕たいほされる。受うけた拷問ごうもんはストラッパードstrappado(両腕りょううでを背後はいごに縛しばり、滑車かっしゃで吊つり上あげて落おとす)を6回かい。肩かた関節かんせつが外はずれる激痛げきつうに耐たえながらも、彼かれは無実むじつを主張しゅちょうし続つづけた。

釈放しゃくほう後ご、マキャヴェッリMachiavelliはフィレンツェFirenze郊外こうがいのサンタンドレア・イン・ペルクッシーナSant'Andrea in Percussinaに隠棲いんせいする。冒頭ぼうとうのヴェットーリVettori宛あて書簡しょかんに描えがかれた二重にじゅう生活せいかつ(昼ひるは農のう作業さぎょうと居酒屋いざかや、夜よるは古典こてんとの対話たいわ)の中なかで、『君主論Il Principe』と『ディスコルシDiscorsi』が書かかれた。

『君主論Il Principe』にはメディチMedici家けへの献辞けんじが付ふされた。政治せいじ復帰ふっきへの切実せつじつな願ねがいだったが、実現じつげんしなかった。晩年ばんねん、メディチMedici家けから『フィレンツェFirenze史し』の執筆しっぴつを委嘱いしょくされ、またイタリアItalia・ルネサンスRenaissance期き最高さいこうの喜劇きげきとも評ひょうされる戯曲ぎきょく『マンドラゴラLa Mandragola』を書かいて文学ぶんがく的てき名声めいせいを得えたが、政治せいじの第一線だいいっせんには戻もどれなかった。

1527年ねん5月がつ6日むいか、「ローマRomaの略奪りゃくだつ」によってメディチMedici政権せいけんが崩壊ほうかいし、フィレンツェFirenzeに共和きょうわ政せいが復活ふっかつする。だが皮肉ひにくにも、マキャヴェッリMachiavelliは「メディチMediciの協力きょうりょく者しゃ」と見みなされて公職こうしょくから排除はいじょされた。共和きょうわ政せいのために働はたらき、共和きょうわ政せいの崩壊ほうかいで追放ついほうされ、共和きょうわ政せいの復活ふっかつでも排除はいじょされる。この二重にじゅうの皮肉ひにくを味あじわいながら、1527年ねん6月がつ21日にち、58歳さいで没ぼっした。

ミニ年表ねんぴょう

  • 1469年ねん:フィレンツェFirenzeに生うまれる
  • 1494年ねん:フランスFrance王おうシャルルCharles8世せいのイタリアItalia侵入しんにゅう。メディチMedici家け追放ついほう、サヴォナローラSavonarolaの台頭たいとう
  • 1498年ねん:サヴォナローラSavonarola火刑かけい。マキャヴェッリMachiavelli、第二だいに書記しょき局きょく長官ちょうかんに就任しゅうにん(29歳さい)
  • 1500年ねん:フランスFrance宮廷きゅうていへの最初さいしょの外交がいこう使節しせつ
  • 1502〜1503年ねん:チェーザレ・ボルジアCesare Borgiaへの外交がいこう使節しせつ。レミッロ・デ・オルコRemirro de Orco事件じけんを目撃もくげき
  • 1506年ねん:フィレンツェFirenze市民しみん軍ぐんの創設そうせつを主導しゅどう
  • 1509年ねん:市民しみん軍ぐんによるピサPisa攻略こうりゃく
  • 1512年ねん:プラートPratoの戦たたかいで市民しみん軍ぐん壊滅かいめつ。メディチMedici家け復帰ふっき、マキャヴェッリMachiavelli失職しっしょく
  • 1513年ねん:投獄とうごく・拷問ごうもん(ストラッパードstrappado6回かい)。釈放しゃくほう後ご隠棲いんせいし、『君主論Il Principe』執筆しっぴつ
  • 1513〜1519年ねん:『ディスコルシDiscorsi(リウィウスLivius論ろん)』執筆しっぴつ
  • 1518年ねん頃ごろ:喜劇きげき『マンドラゴラLa Mandragola』執筆しっぴつ
  • 1520年ねん:『戦争せんそうの技術ぎじゅつ』刊行かんこう
  • 1525年ねん:『フィレンツェFirenze史し』をメディチMedici家けの教皇きょうこうクレメンスClemens7世せいに献呈けんてい
  • 1527年ねん:「ローマRomaの略奪りゃくだつ」。フィレンツェFirenze共和きょうわ政せい復活ふっかつも公職こうしょくを得えられず、6月がつ21日にち死去しきょ(享年きょうねん58歳さい)

マキャヴェッリMachiavelliは何なにを問とうたのか

マキャヴェッリMachiavelli以前いぜんの政治せいじ思想しそうには、大おおきく二ふたつの流ながれがあった。

一ひとつは古代こだいギリシャGreece以来いらいの「理想りそうの国家こっか」を構想こうそうする伝統でんとう。プラトンPlatoの『国家Πολιτεία』やアリストテレスAristotleの『政治学Πολιτικά』がその代表だいひょうである。もう一ひとつは中世ちゅうせいキリストChrist教きょうの「君主くんしゅの鑑かがみ」と呼よばれる伝統でんとう(トマス・アクィナスThomas Aquinasやエギディウス・ロマヌスAegidius Romanusに代表だいひょうされる、君主くんしゅが正義せいぎ・慈悲じひ・寛大かんだい・信義しんぎといったキリストChrist教きょう的てきな徳とくに従したがって統治とうちすべきだと説とく方向ほうこうだ。どちらも共通きょうつうして、「政治せいじはいかにあるべきか」という問といから出発しゅっぱつしていた。

マキャヴェッリMachiavelliはこの前提ぜんていを根本こんぽんから覆くつがえした。『君主論Il Principe』第だい15章しょうでこう宣言せんげんする。「多おおくの人々ひとびとが、見みたことも実在じつざいしたことも知しらない共和きょうわ国こくや君主くんしゅ政せいを想像そうぞうしてきた。しかし、人間にんげんが実際じっさいにどう生いきているかは、人間にんげんがどう生いきるべきかとは大おおきく隔へだたっている。なすべきことのためになされていることを無視むしする者ものは、自己じこの維持いじよりもむしろ自己じこの破滅はめつを学まなぶことになる」。

これが「事物じぶつの有効ゆうこうな真理しんり」の原則げんそくである。理想りそうからではなく、人間にんげんの実際じっさいの行動こうどうから政治せいじを考かんがえる。政治せいじを神学しんがくや道徳どうとく哲学てつがくから引ひき離はなし、独自どくじの論理ろんりを持もつ知ちの領域りょういきとして打うち立たてる。いわば「政治せいじ学がくの世俗せぞく化か」である。

この転換てんかんの背後はいごには、14年間ねんかんの外交がいこう実務じつむから得えた残酷ざんこくな教訓きょうくんがあった。サヴォナローラSavonarolaは道徳どうとく的てきに正ただしかったかもしれないが、武力ぶりょくがなかったために滅ほろびた。チェーザレ・ボルジアCesare Borgiaは道徳どうとく的てきには非難ひなんされるべき人物じんぶつだが、秩序ちつじょをもたらした。道徳どうとく的てきな善悪ぜんあくと政治せいじ的てきな成否せいひは一致いっちしない。この認識にんしきこそ、マキャヴェッリMachiavelliの出発しゅっぱつ点てんだった。

そこから生うまれた問といは、単純たんじゅんにして根源こんげん的てきだった。権力けんりょくの獲得かくとくと維持いじは、実際じっさいにはどのようなメカニズムmechanismで成なり立たっているのか。

核心かくしん理論りろん

1. 「事物じぶつの有効ゆうこうな真理しんり」── 政治せいじ的てきリアリズムrealismの方法ほうほう論ろん

政治せいじを、規範きはん(あるべき姿すがた)ではなく経験けいけん的てき事実じじつ(ある姿すがた)から考かんがえる。この単純たんじゅんな転換てんかんが、マキャヴェッリMachiavelliの方法ほうほう論ろん的てき革新かくしんの中核ちゅうかくである。そして、この転換てんかんは近代きんだい政治せいじ学がくが「政治せいじ的てきリアリズムrealism」と呼よぶ思想しそう潮流ちょうりゅうの源流げんりゅうとなった。20世紀せいきのE.H.カーCarr(『危機の二十年The Twenty Years' Crisis』1939年ねん)やハンス・モーゲンソーHans Morgenthau(『国際政治Politics Among Nations』1948年ねん)の国際こくさい政治せいじ学がくは、マキャヴェッリMachiavelliの直系ちょっけいの子孫しそんにあたる。

出発しゅっぱつ点てんとなるのは、人間にんげんの本性ほんせいについての冷徹れいてつな観察かんさつだ。「人間にんげんについて一般いっぱん的てきにこう言いえる。恩知おんしらずで、移うつり気ぎで、偽善ぎぜん的てきで、危険きけんを避さけ、利得りとくに貪欲どんよくである」(『君主論Il Principe』第だい17章しょう)。これは人間にんげん嫌ぎらいの表明ひょうめいではない。政治せいじを分析ぶんせきするための「作業さぎょう仮説かせつ」である。もし人間にんげんがつねに善良ぜんりょうなら、政治せいじにさほど複雑ふくざつな技術ぎじゅつは必要ひつようない。善悪ぜんあくの間あいだで揺ゆれ動うごく存在そんざいを統治とうちするからこそ、高度こうどな技術ぎじゅつと判断はんだん力りょくが求もとめられるのだ。

この方法ほうほう論ろんには明確めいかくな限界げんかいもある。「権力けんりょくを維持いじするために何なにが有効ゆうこうか」を問とえば、「そもそもその権力けんりょくは正当せいとうなのか」という問といは脇わきに置おかれがちだ。ルソーRousseauは鋭するどく指摘してきした。「マキャヴェッリMachiavelliは王おうに教訓きょうくんを与あたえるふりをして、人民じんみんに偉大いだいな教訓きょうくんを与あたえた」(『社会契約論Du contrat social』第だい3巻かん第だい6章しょう)。なるほど、権力けんりょくのメカニズムmechanismを「暴露ばくろ」するという意味いみでは、『君主論Il Principe』は支配しはい者しゃのマニュアルmanualであると同時どうじに、被ひ支配しはい者しゃのための警告けいこく書しょでもありうる。

2. ヴィルトゥvirtù── 道徳どうとく的てきな「徳とく」ではない「力量りきりょう」

マキャヴェッリMachiavelliを読よむ上うえで、最もっとも重要じゅうようで、最もっとも誤解ごかいされやすい概念がいねんがこれだ。ヴィルトゥvirtù。語源ごげんはラテンLatin語ごの「virtus(徳とく・男おとこらしさ)」だが、マキャヴェッリMachiavelliの使つかい方かたはキリストChrist教きょう的てきな道徳どうとく的てき徳とく(正義せいぎ・節制せっせい・慈悲じひ)とは根本こんぽん的てきに違ちがう。

ヴィルトゥvirtùとは、政治せいじ的てき状況じょうきょうに対応たいおうするための総合そうごう的てきな力量りきりょうのことだ。決断けつだん力りょく、機敏きびんさ、大胆だいたんさ、時ときには残酷ざんこくさを行使こうしする覚悟かくご、そして何なにより変化へんかする状況じょうきょうへの適応てきおう力りょく。

具体ぐたい例れいを見みよう。チェーザレ・ボルジアCesare Borgiaのレミッロ・デ・オルコRemirro de Orco事件じけんである。ボルジアBorgiaは三さん段階だんかいの政治せいじ的てき操作そうさを一ひとつの連続れんぞくした行為こういとして遂行すいこうした。まず、混乱こんらんの鎮圧ちんあつのためにレミッロRemirroに残忍ざんにんな手段しゅだんを使つかわせる。次つぎに、住民じゅうみんの怨嗟えんさがレミッロRemirroに集中しゅうちゅうすると、今度こんどは自みずからレミッロRemirroを処刑しょけいして「解放かいほう者しゃ」として登場とうじょうする。道徳どうとく的てきには非難ひなんされるべきだが、政治せいじ的てきヴィルトゥvirtùにおいては卓越たくえつしていた。これがマキャヴェッリMachiavelliの評価ひょうかである(『君主論Il Principe』第だい7章しょう)。

ただし、ヴィルトゥvirtùは単たんなる暴力ぼうりょくや狡知こうちではない。『君主論Il Principe』第だい8章しょうで、マキャヴェッリMachiavelliはシチリアSiciliaの僭主せんしゅアガトクレスAgathoclesを取とり上あげている。この男おとこは残虐ざんぎゃくな手段しゅだんで権力けんりょくを握にぎったが、マキャヴェッリMachiavelliの評価ひょうかはこうだ。「彼かれの行為こういをヴィルトゥvirtùと呼よぶことはできない」。なぜか。「市民しみんを殺ころし、友ともを裏切うらぎり、信義しんぎも慈悲じひも宗教しゅうきょうも持もたない」ことは「権力けんりょくを獲得かくとくしうるが、栄光えいこうを獲得かくとくすることはない」からだ。ヴィルトゥvirtùには、単たんなる有効ゆうこう性せいを超こえた「卓越たくえつ性せい」への志向しこうが含ふくまれている。

マキャヴェッリMachiavelliはこう述のべている。「善ぜんから離はなれないようにしつつも、必要ひつように迫せまられれば悪あくに踏ふみ込こむことができる」(第だい18章しょう)。善ぜんと悪あくを状況じょうきょうに応おうじて使つかい分わける実践じっせん的てきな判断はんだん力りょく。アリストテレスAristotleの「フロネーシスphronēsis(実践じっせん的てき知恵ちえ)」と構造こうぞう的てきに似にている、と指摘してきする研究けんきゅう者しゃもいる(ガーヴァーGarver, 1987)。ただし決定けってい的てきな違ちがいがある。フロネーシスphronēsisの目的もくてきはつねに道徳どうとく的てき善ぜんだが、ヴィルトゥvirtùは「国家こっかの維持いじ」という政治せいじ的てき目的もくてきのために道徳どうとく的てき善ぜんを犠牲ぎせいにしうるのだ。

3. フォルトゥナfortuna── 運命うんめいとの格闘かくとう

ヴィルトゥvirtùの対ついになる概念がいねんがフォルトゥナfortuna(運命うんめい、偶然ぐうぜん、時運じうんのこと)だ。マキャヴェッリMachiavelliは鮮あざやかな比喩ひゆで説明せつめいしている。フォルトゥナfortunaは「荒あれ狂くるう河川かせん」のようなものだ。洪水こうずいのときにはすべてを押おし流ながす。しかし平時へいじに堤防ていぼうや水路すいろを整備せいびしておけば、被害ひがいを最小さいしょう限げんに抑おさえられる(『君主論Il Principe』第だい25章しょう)。

彼かれの見積みつもりはこうだ。「われわれの行為こういの半分はんぶんはフォルトゥナfortunaに支配しはいされ、もう半分はんぶんは、あるいはそれに近ちかい部分ぶぶんは、われわれ自身じしんの支配しはいに委ゆだねられている」。

古代こだいローマRomaではフォルトゥナFortunaは気きまぐれな女神めがみだった。中世ちゅうせいキリストChrist教きょうはこれを神かみの摂理せつりに置おき換かえ、すべては神かみの計画けいかくの中なかにあるとした。人間にんげんが運命うんめいに介入かいにゅうする余地よちは狭せまかった。マキャヴェッリMachiavelliはフォルトゥナfortunaを神学しんがくから解放かいほうし、指導しどう者しゃが「対処たいしょすべき不確実ふかくじつ性せい」として定義ていぎし直なおした。近代きんだい的てきな危機きき管理かんりの思想しそうは、ここに原型げんけいを持もつ。

しかし、ヴィルトゥvirtùを尽つくしても勝かてないことがある。チェーザレ・ボルジアCesare Borgiaのケースcaseがそれだ。ボルジアBorgiaはあらゆる備そなえを講こうじたが、一ひとつだけ想定そうてい外がいのことがあった。父ちち教皇きょうこうアレクサンデルAlexander6世せいが死しんだとき、自分じぶん自身じしんも瀕死ひんしの重病じゅうびょうだったのだ。権力けんりょく基盤きばんを固かためる最もっとも重要じゅうような瞬間しゅんかんに、身動みうごきが取とれなかった。マキャヴェッリMachiavelliはこう結むすんでいる。「彼かれを非難ひなんすべきは唯一ゆいいつこの点てんだけだ」「他たの者ものへの教訓きょうくんとして、彼かれ以上いじょうのよい範例はんれいを私わたしは知しらない」(第だい7章しょう)。

ヴィルトゥvirtùは成功せいこうを保証ほしょうしない。それでも人間にんげんにできる最善さいぜんの努力どりょくである。ここにマキャヴェッリMachiavelliの思想しそうの悲劇ひげき的てきな色調しきちょうがある。

4. 「愛あいされるか、恐おそれられるか」── 権力けんりょくの感情かんじょう的てき基盤きばん

マキャヴェッリMachiavelliの問といの中なかで、おそらく最もっとも有名ゆうめいなものだろう。『君主論Il Principe』第だい17章しょう。「愛あいされるのと恐おそれられるのと、どちらが望のぞましいか」。

回答かいとうはこうだ。理想りそうは両方りょうほう。だが二ふたつを併あわせ持もつのは難むずかしい。もし一方いっぽうを選えらばなければならないなら、「愛あいされるよりも恐おそれられるほうがはるかに安全あんぜんである」。

なぜか。先述せんじゅつの人間にんげん観かんに立たち返かえればわかる。人間にんげんは恩知おんしらずだ。利害りがい関係かんけいがなくなれば離はなれていく。愛あいによる結むすびつきは利害りがいによって断たち切きられるが、恐怖きょうふによる結むすびつきは「罰ばつへの不安ふあん」によって持続じぞくする。

ただし、この留保りゅうほは見落みおとされがちだが、マキャヴェッリMachiavelliは「恐おそれられること」と「憎にくまれること」を厳格げんかくに区別くべつしている。「君主くんしゅは何なんとしても憎悪ぞうおを避さけなければならない」(同どう章しょう)。市民しみんの財産ざいさんを奪うばわないこと。恣意しい的てきな処刑しょけいを行おこなわないこと。この一線いっせんを越こえた残虐ざんぎゃくは、いかなるヴィルトゥvirtùをもってしても取とり返かえしがつかない。

この議論ぎろんは現代げんだいでも繰くり返かえし参照さんしょうされる。フィスクFiske、カディCuddy、グリックGlickによる「温あたたかさと有能ゆうのうさ」の二に軸じくモデルmodel(2007年ねん)は、マキャヴェッリMachiavelliの問といを実験じっけん心理しんり学がくの言語げんごに翻訳ほんやくしたものとも読よめるだろう。ただし、国家こっかの存亡そんぼうがかかる16世紀せいきイタリアItaliaの極限きょくげん状況じょうきょうを、現代げんだい企業きぎょうのマネジメントmanagementと安易あんいに同一どういつ視しすべきではない。

5. 共和きょうわ主義しゅぎ── 自由じゆうと市民しみん的てき徳とく

マキャヴェッリMachiavelliを『君主論Il Principe』だけで判断はんだんするのは、一面いちめん的てきにすぎる。彼かれ自身じしんがより重要じゅうようと考かんがえていたのは、はるかに長大ちょうだいな『ディスコルシDiscorsi』のほうだ。正式せいしき名称めいしょうは「ティトゥス・リウィウスTitus Liviusの最初さいしょの十じゅう巻かんについての論考ろんこう」。古代こだいローマRoma共和きょうわ政せいの分析ぶんせきを通つうじて、共和きょうわ制せいの優位ゆうい性せいが論ろんじられている。

核心かくしんはこうだ。一人ひとりの人間にんげんのヴィルトゥvirtùには限界げんかいがある。しかし自由じゆうな市民しみんの集合しゅうごう的てきなヴィルトゥvirtùは、その限界げんかいを超こえうる。「多数たすう者しゃは個人こじんよりも賢明けんめいであり、よりよい選択せんたくをする」(『ディスコルシDiscorsi』第だい1巻かん第だい58章しょう)。

特とくに注目ちゅうもくすべきは、マキャヴェッリMachiavelliの「対立たいりつ」の評価ひょうかだ。彼かれは貴族きぞくと平民へいみんの間あいだの衝突しょうとつを否定ひてい的てきに見みない。むしろこう言いい切きる。「ローマRomaの自由じゆうを生うんだのは、平民へいみんと元老げんろう院いんの間あいだの不和ふわだった」(第だい1巻かん第だい4章しょう)。当時とうじの常識じょうしきは「政治せいじの安定あんていは調和ちょうわによって維持いじされる」だった。マキャヴェッリMachiavelliはこれを正面しょうめんから覆くつがえした。対立たいりつと闘争とうそうこそが制度せいどを鍛きたえ、自由じゆうを守まもる。近代きんだいの多元たげん主義しゅぎ的てき民主みんしゅ主義しゅぎのはるかな先取さきどりである。

では『君主論Il Principe』と『ディスコルシDiscorsi』はどう整合せいごうするのか。有力ゆうりょくな解釈かいしゃくの一ひとつはこうだ。腐敗ふはいしきった国家こっかには、まず「新あたらしい君主くんしゅ」が自由じゆうと秩序ちつじょの基盤きばんを一いちから築きずかなければならない。その基盤きばんの上うえに、最終さいしゅう的てきに共和きょうわ政せいを打うち立たてるのが目標もくひょうである。つまり『君主論Il Principe』は、共和きょうわ主義しゅぎという目的もくてきのための「非常ひじょう手段しゅだん」を論ろんじた書物しょもつだ、と。

20世紀せいき後半こうはん、J.G.A.ポーコックPocock(『マキァヴェリアン・モーメントThe Machiavellian Moment』1975年ねん)やクエンティン・スキナーQuentin Skinner(『自由主義に先立つ自由Liberty before Liberalism』1998年ねん)らの研究けんきゅうによって、この共和きょうわ主義しゅぎ的てき側面そくめんは大幅おおはばに再さい評価ひょうかされた。今日こんにちの市民しみん的てき共和きょうわ主義しゅぎは、マキャヴェッリMachiavelliを重要じゅうような知的ちてき源泉げんせんと位置いちづけている。ただし、彼かれの共和きょうわ主義しゅぎには女性じょせいの排除はいじょ(ヴィルトゥvirtùは語源ごげん的てきにも男性だんせいに結むすびつく)や軍事ぐんじ的てき拡張かくちょうの肯定こうていといった限界げんかいがあり、そのまま現代げんだいに適用てきようすることはできない。

6. ネチェッシタnecessità── 政治せいじにおける「必要ひつよう」の論理ろんり

もう一ひとつの鍵かぎ概念がいねんが「ネチェッシタnecessità」(「必要ひつよう」あるいは「必然ひつぜん性せい」)である。国家こっかの存亡そんぼうがかかった状況じょうきょうでは、君主くんしゅは「必要ひつように迫せまられて」悪あくに踏ふみ込こまなければならない。ここでの「必要ひつよう」とは、通常つうじょうの道徳どうとく的てき基準きじゅんを一時いちじ的てきに停止ていしさせるほどの行為こういの強制きょうせい力りょくを意味いみする。

この論理ろんりは、現代げんだいの政治せいじ哲学てつがくで「汚きたない手て(ダーティー・ハンズdirty hands)」と呼よばれる問題もんだいの原型げんけいだ。政治せいじ的てき指導しどう者しゃは、公共こうきょうの利益りえきのために道徳どうとく的てきに非難ひなんされる行為こういをなすことが正当せいとう化かされうるか。マイケル・ウォルツァーMichael Walzerの古典こてん的てき論文ろんぶん「Political Action: The Problem of Dirty Handsポリティカル・アクション:ザ・プロブレム・オブ・ダーティー・ハンズ」(1973年ねん)は、まさにこの問といを分析ぶんせきしている。原爆げんばく投下とうかの決定けってい、テロリストterroristへの拷問ごうもん、戦時せんじの市民しみんの犠牲ぎせい──こうした極限きょくげん的てきな政治せいじ判断はんだんを考かんがえる際さい、マキャヴェッリMachiavelliのネチェッシタnecessitàの概念がいねんは避さけて通とおれない。

この論理ろんりの危険きけん性せいは明白めいはくだ。「必要ひつようだった」という正当せいとう化かは、事後じご的てきにほとんどどんな行為こういにも適用てきようできてしまう。マキャヴェッリMachiavelli自身じしんは必要ひつよう以上いじょうの残虐ざんぎゃくを「悪あしき使つかい方かた」として明確めいかくに退しりぞけ、「善よき使つかい方かた」とは「必要ひつようのために一度いちどに行おこない、その後あとは繰くり返かえさない残酷ざんこくさ」だと述のべている(『君主論Il Principe』第だい8章しょう)。だが、その線引せんびきがどこまで客観きゃっかん的てきに可能かのうなのかは、今いまなお最もっとも論争ろんそう的てきな問題もんだいであり続つづけている。

主要しゅよう著作ちょさくガイド

  • 『君主論Il Principe』(河島かわしま英昭ひであき訳やく、岩波いわなみ文庫ぶんこ / 池田いけだ廉れん訳やく、中公ちゅうこう文庫ぶんこほか邦訳ほうやく複数ふくすう) ── マキャヴェッリMachiavelliの代名詞だいめいし。全ぜん26章しょう、100ページpage余あまりの短みじかさがありがたい。第だい15章しょうの「事物じぶつの有効ゆうこうな真理しんり」宣言せんげんだけでも読よむ価値かちがある。
  • 『ディスコルシDiscorsi sopra la prima deca di Tito Livio──「ローマRoma史し」論ろん』(永井ながい三明みつあき訳やく、ちくま学芸がくげい文庫ぶんこ) ── 古代こだいローマRomaの歴史れきし家かリウィウスLiviusを題材だいざいに共和きょうわ制せいの理論りろんを展開てんかいする主著しゅちょ。全ぜん3巻かん。『君主論Il Principe』とセットsetで読よんでこそマキャヴェッリMachiavelliの全体ぜんたい像ぞうが見みえる。
  • 『マンドラゴラLa Mandragola』(邦訳ほうやく複数ふくすう) ── 若わかい男おとこが知恵ちえと策略さくりゃくで人妻ひとづまを手てに入いれる喜劇きげき。欲望よくぼうと偽善ぎぜんに満みちた人間にんげんを冷徹れいてつに観察かんさつする眼差まなざしは、まさに『君主論Il Principe』の著者ちょしゃそのものだ。マキャヴェッリMachiavelliの「人間にんげん観かん」を別べつの角度かくどから知しるための補助ほじょ線せん。
  • 『戦争の技術Dell'arte della guerra』(邦訳ほうやく複数ふくすう) ── 傭兵ようへい制せいを批判ひはんし市民しみん軍ぐんを説とく対話たいわ篇へん。マキャヴェッリMachiavelliの政治せいじ思想しそうが軍事ぐんじと不可分ふかぶんであることがよくわかる。
  • Q. スキナーSkinner『Machiavelli: A Very Short Introductionマキャヴェッリ入門』, Oxford UP, 2000 ── コンパクトcompactで定評ていひょうのある入門にゅうもん書しょ。テクストtextを書かかれた当時とうじの知的ちてき文脈ぶんみゃくに位置いちづけて読よむ「ケンブリッジCambridge学派がくは」の方法ほうほう論ろんが見事みごとに発揮はっきされている。

主要しゅような批判ひはんと論争ろんそう

1. 「悪魔あくまの指ゆびで書かかれた」── 道徳どうとくと政治せいじの分離ぶんりへの批判ひはん:マキャヴェッリMachiavelliへの最もっとも根本こんぽん的てきな批判ひはんは、政治せいじを道徳どうとくから切きり離はなしたことに向むけられた。イングランドEnglandの枢機すうき卿きょうレジナルド・ポールReginald Poleは「悪魔あくまの指ゆびで書かかれた」と非難ひなんし、1559年ねんにはカトリックCatholic教会きょうかいが『君主論Il Principe』と『ディスコルシDiscorsi』を禁書きんしょ目録もくろくに載のせた。エリザベスElizabeth朝ちょうのイングランドEnglandでは、マーロウMarloweの戯曲ぎきょくに「マキャヴェルMachiavel」が悪魔あくま的てき策謀さくぼう者しゃとして登場とうじょうし、シェイクスピアShakespeare『リチャード三世Richard III』の主人しゅじん公こうにもその影かげが見みえる。「マキャヴェッリMachiavelli的てき」が「邪悪じゃあくな」とほぼ同義どうぎになったのは、この時代じだいのことだ。

2. 『君主論Il Principe』と『ディスコルシDiscorsi』のパラドクスparadox:一方いっぽうは強つよい指導しどう者しゃを、他方たほうは共和きょうわ制せいを推奨すいしょうする。この緊張きんちょう関係かんけいをどう理解りかいするかは、マキャヴェッリMachiavelli研究けんきゅうの中心ちゅうしん問題もんだいであり続つづけている。ハンス・バロンHans Baron(1961年ねん)は「市民しみん的てき人文じんぶん主義しゅぎ」の文脈ぶんみゃくからマキャヴェッリMachiavelliを共和きょうわ主義しゅぎ者しゃとして読よみ、『君主論Il Principe』は非常ひじょう事態じたいの処方しょほう箋せんにすぎないと論ろんじた。一方いっぽう、レオ・シュトラウスLeo Strauss(『Thoughts on Machiavelliマキャヴェッリについての思索』1958年ねん)は彼かれを「悪あくの教師きょうし」として読よみ、近代きんだいの道徳どうとく的てき退廃たいはいの源泉げんせんと位置いちづけた。民主みんしゅ主義しゅぎの先駆せんく者しゃか、ニヒリズムnihilismの元凶げんきょうか──この対立たいりつは今いまも解消かいしょうされていない。

3. ルソーRousseauとグラムシGramsciの「転覆てんぷく的てき」読解どっかい:ルソーRousseauは『社会契約論Du contrat social』で、マキャヴェッリMachiavelliは「王おうに教おしえるふりをして、人民じんみんに大おおきな教訓きょうくんを与あたえた」と述のべた。権力けんりょくのメカニズムmechanismを暴露ばくろすることで、人民じんみんに抵抗ていこうの武器ぶきを与あたえたという読よみだ。20世紀せいき、アントニオ・グラムシAntonio Gramsciは『獄中ノートQuaderni del carcere』でこの読よみを発展はってんさせ、「新あたらしい君主くんしゅ」とは革命かくめい的てき政党せいとうであると読よみ替かえた。ムッソリーニMussoliniのファシズムfascism政権せいけん下かの獄中ごくちゅうで、グラムシGramsciがマキャヴェッリMachiavelliに救すくいを見出みいだしたのは偶然ぐうぜんではない。権力けんりょくの構造こうぞうを理解りかいすることは、それに抵抗ていこうするための第一歩だいいっぽでもある。

影響えいきょうと遺産いさん

先行せんこう思想しそう:古代こだいローマRomaの歴史れきし家かリウィウスLivius、タキトゥスTacitus、ポリュビオスPolybiosの政体せいたい循環じゅんかん論ろん。キケロCiceroの共和きょうわ主義しゅぎ思想しそう──マキャヴェッリMachiavelliはキケロCiceroの道徳どうとく主義しゅぎを熟知じゅくちした上うえで、意識いしき的てきに逆転ぎゃくてんさせた。中世ちゅうせいの「君主くんしゅの鑑かがみ」の伝統でんとう──これが直接ちょくせつ的てきな批判ひはん対象たいしょうである。

近代きんだい政治せいじ哲学てつがくへの影響えいきょう:ジャン・ボダンJean Bodinの主権しゅけん論ろん(1576年ねん)は「国家こっかの自律じりつ性せい」を法ほう理論りろんに展開てんかいした。ホッブズHobbesの「自然しぜん状態じょうたいは万人ばんにんの万人ばんにんに対たいする闘争とうそうである」(『リヴァイアサンLeviathan』1651年ねん)は、マキャヴェッリMachiavelliの人間にんげん観かんの理論りろん的てき精緻せいち化かと見みることができる。スピノザSpinozaは『政治論Tractatus Politicus』(1677年ねん)でマキャヴェッリMachiavelliを「卓越たくえつした思慮しりょ深ぶかい人物じんぶつ」と明示めいじ的てきに称賛しょうさんした。同どう時代じだいの哲学てつがく者しゃがマキャヴェッリMachiavelliを公然こうぜんと褒ほめたのは、極きわめて珍めずらしいことだった。

「国家こっか理性りせい」の伝統でんとう:マキャヴェッリMachiavelliの思想しそうは16〜17世紀せいきヨーロッパEuropaで「国家こっか理性りせい」の概念がいねんとして受容じゅようされた。ジョヴァンニ・ボテロGiovanni Botero(『国家理性論Della ragion di stato』1589年ねん)は表面ひょうめん上じょうマキャヴェッリMachiavelliを批判ひはんしつつ、実質じっしつ的てきにその問題もんだい設定せっていを継承けいしょうしている。リシュリューRichelieu枢機すうき卿きょうのフランスFrance外交がいこう、ビスマルクBismarckの「現実げんじつ政治せいじ(レアールポリティークRealpolitik)」もこの系譜けいふに連つらなる。

大西洋たいせいよう共和きょうわ主義しゅぎの伝統でんとう:ポーコックPocockの『マキァヴェリアン・モーメントThe Machiavellian Moment』(1975年ねん)は、マキャヴェッリMachiavelliの共和きょうわ主義しゅぎがイングランドEnglandのハリントンHarrington(『オセアナ共和国The Commonwealth of Oceana』1656年ねん)を経へて、アメリカAmerica建国けんこくの父ちちたち──ジェファソンJefferson、アダムズAdams──の思想しそうに流ながれ込こんだことを論証ろんしょうした。合衆がっしゅう国こく憲法けんぽうの権力けんりょく分立ぶんりつの背後はいごに、「対立たいりつによる自由じゆうの維持いじ」というマキャヴェッリMachiavelliの考かんがえの影かげがある。

哲学てつがく外がいへの波及はきゅう:国際こくさい関係かんけい論ろんのリアリズムrealism学派がくは(モーゲンソーMorgenthau、キッシンジャーKissinger)、経営けいえい学がくのリーダーシップleadership論ろん、ゲームgame理論りろんの戦略せんりゃく的てき思考しこう──マキャヴェッリMachiavelliの影響えいきょうは哲学てつがくの枠わくを大おおきく超こえている。

現代げんだいへの接続せつぞく

マキャヴェッリMachiavelliの問題もんだい提起ていきは、500年ねんを経へた現代げんだいでむしろ先鋭せんえい化かしている。

第一だいいちに、政治せいじ的てきリアリズムrealismの問題もんだい。国際こくさい政治せいじにおける道徳どうとく的てき理想りそうと権力けんりょく政治せいじの緊張きんちょうは、いまだに解消かいしょうされていない。21世紀せいきに入はいってもなお繰くり返かえされる武力ぶりょくによる国境こっきょう変更へんこうの試こころみは、国際こくさい法ほう秩序ちつじょと「事物じぶつの有効ゆうこうな真理しんり」の乖離かいりをあらためて突つきつけている。主権しゅけん国家こっかの安全あんぜん保障ほしょうは、道徳どうとく的てきな正当せいとう性せいだけでは確保かくほできない。500年ねん前まえのこの指摘してきは、今いまも有効ゆうこうだ。

第二だいにに、リーダーシップleadershipの問題もんだい。危機きき的てき状況じょうきょうで、指導しどう者しゃは不完全ふかんぜんな情報じょうほうのもと迅速じんそくに決断けつだんしなければならない。COVID-19パンデミックpandemicで各国かっこくのリーダーleaderが直面ちょくめんしたのは、まさにマキャヴェッリMachiavelli的てきな問といだった──「愛あいされること(市民しみんに自由じゆうを与あたえる)」と「恐おそれられること(強制きょうせい的てきな規制きせいを敷しく)」のどちらが、結果けっかとしてより多おおくの命いのちを救すくうか。

第三だいさんに、見みせかけと実質じっしつの問題もんだい。マキャヴェッリMachiavelliは『君主論Il Principe』第だい18章しょうで、君主くんしゅは「慈悲じひ深ぶかく、信義しんぎを守まもり、人間にんげん味みがあり、誠実せいじつで、敬虔けいけんであるように見みえなければならない」が、「必要ひつようなときにはその反対はんたいのことができなければならない」と述のべる。SNS時代じだい、政治せいじ家かのイメージimage戦略せんりゃくと実際じっさいの政策せいさくの乖離かいりは、かつてなく可視かし化かされている。マキャヴェッリMachiavelliは500年ねん前まえの時点じてんで、「政治せいじ的てきコミュニケーションcommunication」が権力けんりょくの本質ほんしつ的てきな構成こうせい要素ようそであることを見抜みぬいていた。

第四だいよんに、市民しみん的てき徳とくの問題もんだい。政治せいじ的てき無む関心かんしんが民主みんしゅ主義しゅぎを空洞くうどう化かさせている現代げんだいにおいて、マキャヴェッリMachiavelliの訴うったえは切実せつじつさを増ましている──自由じゆうは一度いちど獲得かくとくすれば自動じどう的てきに維持いじされるものではない。不断ふだんの参加さんかと闘争とうそうによってのみ守まもられる。これが『ディスコルシDiscorsi』の核心かくしんであり、現代げんだいの民主みんしゅ主義しゅぎへの最もっとも重要じゅうような警告けいこくだ。

読者どくしゃへの問とい

  • あなたが組織そしきのリーダーleaderだとして、組織そしきを守まもるために道徳どうとく的てきに疑うたがわしい手段しゅだんを取とることは正当せいとう化かされるか。もし「される」なら、その限界げんかいはどこか──マキャヴェッリMachiavelliの「善よき使つかい方かたと悪あしき使つかい方かた」の区別くべつは、あなたを助たすけるだろうか。
  • マキャヴェッリMachiavelliは「人間にんげんの本性ほんせいは変かわらない」という前提ぜんていで歴史れきしから教訓きょうくんを引ひき出だした。この前提ぜんていは正ただしいか。もし制度せいどや教育きょういくによって人間にんげんが変かわりうるなら、マキャヴェッリMachiavelliの理論りろんのどこが書かき換かえられるか。
  • あなたの身みの回まわりの「サヴォナローラSavonarola」──道徳どうとく的てきに正ただしいが現実げんじつ的てきな力ちからを持もたない人ひと──と「ボルジアBorgia」──手段しゅだんを選えらばないが結果けっかを出だす人ひと──は誰だれか。そのどちらでもない第三だいさんの道みちはありうるか。

名言めいげん(出典しゅってんつき)

"人間にんげんが実際じっさいにどう生いきているかは、人間にんげんがどう生いきるべきかとは大おおきく隔へだたっている。なすべきことのためになされていることを無視むしする者ものは、自己じこの維持いじよりもむしろ自己じこの破滅はめつを学まなぶことになる。" ── 『君主論Il Principe』第だい15章しょう。政治せいじ的てきリアリズムrealismの宣言せんげんとして最もっとも有名ゆうめいな一節いっせつ。/原文げんぶん:引用文いんようぶん内ないの括弧かっこ内ない原語げんご表記ひょうきを参照さんしょう
"フォルトゥナfortunaは、われわれの行為こういの半分はんぶんの裁定さいてい者しゃであるが、もう半分はんぶん、あるいはそれに近ちかい部分ぶぶんを、われわれ自身じしんの支配しはいに委ゆだねている。" ── 『君主論Il Principe』第だい25章しょう。運命うんめいと人間にんげんの自由じゆう意志いしの関係かんけいをめぐる核心かくしん的てきテーゼThese。/原文げんぶん:引用文いんようぶん内ないの括弧かっこ内ない原語げんご表記ひょうきを参照さんしょう
"君主くんしゅはライオンlionとキツネfoxを使つかい分わけねばならない。ライオンlionだけでは罠わなを見抜みぬけず、キツネfoxだけでは狼おおかみを退しりぞけられないからだ。" ── 『君主論Il Principe』第だい18章しょう。キケロCiceroが動物どうぶつ的てき手段しゅだんを否定ひていした(『義務論De Officiis』I.13.41)のに対たいし、マキャヴェッリMachiavelliは力ちから(ライオンlion)と知略ちりゃく(キツネfox)の両方りょうほうが不可欠ふかけつだと明確めいかくに肯定こうていしている。
"共和きょうわ国こくにおいては、平民へいみんと元老げんろう院いんの間あいだの不和ふわこそが、ローマRomaの自由じゆうの原因げんいんであった。" ── 『ディスコルシDiscorsi(リウィウスLivius論ろん)』第だい1巻かん第だい4章しょう。社会しゃかい的てき対立たいりつを自由じゆうの条件じょうけんとして積極せっきょく的てきに評価ひょうかする、共和きょうわ主義しゅぎの核心かくしん命題めいだい。

参考さんこう文献ぶんけん

  • (原典げんてん):N. Machiavelli『Il Principe君主論』(1513年ねん執筆しっぴつ、1532年ねん刊かん)/ 邦訳ほうやく: 河島かわしま英昭ひであき訳やく『君主論Il Principe』岩波いわなみ文庫ぶんこ、1998年ねん; 池田いけだ廉れん訳やく『君主論Il Principe』中公ちゅうこう文庫ぶんこ、2002年ねん(ほか邦訳ほうやく複数ふくすう)
  • (原典げんてん):N. Machiavelli『Discorsi sopra la prima deca di Tito Livioディスコルシ』(1531年ねん刊かん)/ 邦訳ほうやく: 永井ながい三明みつあき訳やく『ディスコルシDiscorsi──「ローマRoma史し」論ろん』ちくま学芸がくげい文庫ぶんこ、2011年ねん
  • (書簡しょかん):N. Machiavelli, Lettere, a cura di F. Gaeta, Feltrinelli, 1961 ── 1513年ねん12月がつ10日とおか付づヴェットーリVettori宛あて書簡しょかんは『君主論Il Principe』の成立せいりつ事情じじょうを知しる第一だいいち級きゅうの資料しりょう。英訳えいやくはJ.B. Atkinson & D. Sices (eds.), Machiavelli and His Friendsマキャヴェッリ・アンド・ヒズ・フレンズ, Northern Illinois UP, 1996に収録しゅうろく
  • (思想しそう史的してき文脈ぶんみゃく):Q. Skinner『Machiavelli: A Very Short Introductionマキャヴェッリ入門』, Oxford UP, 2000(改訂かいてい版ばん 2019) ── ケンブリッジCambridge学派がくは的てき方法ほうほう論ろんによる定評ていひょうのある入門にゅうもん
  • (共和きょうわ主義しゅぎの伝統でんとう):J.G.A. Pocock『The Machiavellian Momentマキァヴェリアン・モーメント: Florentine Political Thought and the Atlantic Republican Tradition』, Princeton UP, 1975 / 邦訳ほうやく: 田中たなか秀夫ひでおほか訳やく『マキァヴェリアン・モーメントThe Machiavellian Moment』名古屋なごや大学だいがく出版しゅっぱん会かい、2008年ねん
  • (批判ひはん的てき読解どっかい):L. Strauss『Thoughts on Machiavelliマキャヴェッリについての思索』, Free Press, 1958 ── マキャヴェッリMachiavelliを「悪あくの教師きょうし」として読よみ、近代きんだい性せいの起源きげんに位置いちづけた挑発ちょうはつ的てきな古典こてん
  • (邦語ほうご概説がいせつ):佐々木ささき毅つよし『マキアヴェッリMachiavelliの政治せいじ思想しそう』岩波いわなみ書店しょてん、1970年ねん ── 日本語にほんごで読よめる最もっとも体系たいけい的てきなマキャヴェッリMachiavelli研究けんきゅう
  • ウェブweb:Stanford Encyclopedia of Philosophy "Niccolò Machiavelli" (Cary Nederman) ── 研究けんきゅう動向どうこうを含ふくむ包括ほうかつ的てき概説がいせつ