もしうまえがけたら、うまかみえがくだろう。うしならうしかみを。この一見いっけんして冗談じょうだんのような思考しこう実験じっけんを、紀元前きげんぜん6世紀せいき真剣しんけんろんじた哲学てつがくしゃがいた。クセノファネスΞενοφάνηςである。ギリシャじん神々かみがみがギリシャじんているのは偶然ぐうぜんではない。それは人間にんげん自分じぶん自身じしん姿すがたかみ投影とうえいしているからだ。この洞察どうさつは、2400ねんフォイエルバッハFeuerbachが『キリスト教の本質Das Wesen des Christentums』(1841ねん)で体系たいけいし、フロイトFreud宗教しゅうきょうを「幻想げんそう」と精神せいしん分析ぶんせきてき宗教しゅうきょうろんにまでながむ、西洋せいよう宗教しゅうきょう批判ひはん最古さいこ源流げんりゅうである。

だがクセノファネスΞενοφάνης射程しゃてい宗教しゅうきょう批判ひはんにとどまらない。かれ同時どうじに、確実かくじつ真理しんりト・サペスτὸ σαφές)はだれにも到達とうたつできない」宣言せんげんした最初さいしょ哲学てつがくしゃでもある。神々かみがみについて真実しんじつることはできない。だが、それは神々かみがみについてだけのはなしではない。あらゆる事柄ことがらについて、人間にんげんの「」は「かけ(ドコスδόκος)」にすぎない。この知的ちてき謙虚けんきょさは、近代きんだい科学かがく基盤きばんである可謬かびゅう主義しゅぎファリビリズムfallibilism、あらゆる理論りろん暫定ざんていてきであり将来しょうらい修正しゅうせいされうる)の最古さいこ表明ひょうめいである宗教しゅうきょう批判ひはん認識にんしきろん両方りょうほう一人ひとり人物じんぶつひらいた。クセノファネスΞενοφάνηςは、哲学てつがくがもつ「批判ひはんちから」をもっとはや体現たいげんした思想家しそうかなのだ。

この記事きじ要点ようてん

  • 擬人ぎじん批判ひはんホメロスὍμηροςヘシオドスἩσίοδος神々かみがみを「人間にんげん姿すがた投影とうえい」として批判ひはんし、宗教しゅうきょうてき信念しんねん文化ぶんかてき心理しんりてき起源きげんあばいた。西洋せいようにおける宗教しゅうきょう批判ひはん宗教しゅうきょうがく出発しゅっぱつてんである。
  • 限界げんかい自覚じかく:「確実かくじつ真理しんり人間にんげんには到達とうたつできない」(断片だんぺんB34)と宣言せんげんし、可謬かびゅう主義しゅぎ最古さいこ表明ひょうめいおこなった。同時どうじに「探究たんきゅうによって、時間じかんをかけて人間にんげんはよりいものをつけす」(断片だんぺんB18)とべ、漸進ぜんしんてき進歩しんぽへの信頼しんらいしめした。懐疑かいぎ探究たんきゅう共存きょうぞん。これは近代きんだい科学かがく精神せいしんそのものである。
  • 哲学てつがくてきいちかみろん:「神々かみがみ人間にんげんたちのうちで最大さいだいなる唯一ゆいいつかみ」(断片だんぺんB23)を提唱ていしょうし、人間にんげんとはまったくことなる仕方しかた思考しこう世界せかい統御とうぎょする超越ちょうえつてき存在そんざい構想こうそうした。ギリシャてき多神教たしんきょう一神教いっしんきょうてき直観ちょっかんつ、独自どくじ神学しんがく展開てんかいした。
  • 社会しゃかい批判ひはん:オリュンピアの勝者しょうしゃ過大かだいたたえる風潮ふうちょう批判ひはんし、知恵ちえソフィアσοφία)こそが都市とし国家こっかにとってしん有益ゆうえきだと主張しゅちょうした。「知識ちしきじん社会しゃかいてき役割やくわり」を最初さいしょろんじた哲学てつがくしゃである。

生涯しょうがい時代じだい背景はいけい

クセノファネスΞενοφάνης紀元前きげんぜん570ねんごろイオニアἸωνία地方ちほう都市としコロポンΚολοφώνまれた(ディオゲネス・ラエルティオスDiogenes Laërtius列伝Βίοι φιλοσόφωνだい9かん18せつ)。コロポンΚολοφώνミレトスΜίλητος北西ほくせいやく60キロに位置いちするイオニアἸωνία都市としで、古代こだい世界せかいでは染色せんしょく産業さんぎょう騎兵きへいられていた。しかしクセノファネスΞενοφάνης自身じしん断片だんぺんB3で証言しょうげんするように、コロポンΚολοφών市民しみんリュディアΛυδίαじんから「やくたない贅沢ぜいたく(ἁβροσύνη / ハブロシュネーἁβροσύνη)」をまなび、むらさきころもをまとい、香油こうゆかみり、堕落だらくしていた。

紀元前きげんぜん546/545ねん、ペルシアのキュロスΚῦρος大王だいおうリュディアΛυδίαほろぼしイオニアἸωνία全域ぜんいき征服せいふくしたとき、クセノファネスΞενοφάνηςは25さいだった。かれ祖国そこくはなれ、以後いご67年間ねんかんにわたってギリシャ世界せかい放浪ほうろうした(断片だんぺんB8)。シチリアΣικελίαザンクレΖάγκληげんメッシーナ)やカタナΚατάνηげんカターニア)で活動かつどうし、みなみイタリアのエレアἘλέα付近ふきんにも滞在たいざいしたとつたえられる。この放浪ほうろう生涯しょうがいが、ことなる文化ぶんかことなる宗教しゅうきょうかんへの比較ひかく視点してんかれあたえたことはうたがいない。エチオピアじんかみくろはだち、トラキアじんかみあおあかかみつ。この観察かんさつ断片だんぺんB16)は、多様たよう民族みんぞく接触せっしょくした放浪ほうろう詩人しじんならではの知見ちけんである。

クセノファネスΞενοφάνηςミレトスΜίλητος学派がくは自然しぜん哲学てつがくしゃたちとはことなり、散文さんぶんではなく韻文いんぶん哲学てつがくした。エレゲイアelegeia哀歌あいか調ちょうこう連句れんく)とヘクサメトロスhexametros叙事詩じょじしろく脚韻きゃくいん)で作品さくひんあらわし、シンポジオンSymposion酒宴しゅえん)やおおやけみずか朗誦ろうしょうしたつたえられる。つまりかれは「哲学てつがくしゃ」である以前いぜんに「かた哲学てつがくしゃ」であり、ギリシャの教育きょういく文化ぶんかであったシンポジオンSymposionにおいて、聴衆ちょうしゅう面前めんぜんホメロスὍμηροςヘシオドスἩσίοδος批判ひはんしたのである。これは知的ちてき勇気ゆうきようする行為こういだった。なぜならホメロスὍμηροςはギリシャじんにとって「聖書せいしょ」にひとしい文化ぶんかてき権威けんいだったからだ。

古代こだい伝承でんしょうプラトンΠλάτωνソフィストΣοφιστής』242d、アリストテレスἈριστοτέλης形而上学Τὰ μετὰ τὰ φυσικά』986b21)はクセノファネスΞενοφάνηςエレアἘλέα学派がくは創始そうししゃとし、パルメニデスΠαρμενίδηςとしている。しかし現代げんだい研究けんきゅうしゃおおくはこの帰属きぞく懐疑かいぎてきである。クセノファネスΞενοφάνηςの「万物ばんぶつひとつ」という主張しゅちょうアリストテレスἈριστοτέλης帰属きぞく)と、パルメニデスΠαρμενίδηςの「存在そんざいひとつ」という論証ろんしょうは、方法ほうほう射程しゃていもかなりことなる。クセノファネスΞενοφάνης特定とくてい学派がくはぞくさない独立どくりつ思想家しそうか放浪ほうろうする批判ひはん知性ちせい)として理解りかいするのが妥当だとうだろう。

クセノファネスΞενοφάνης著作ちょさくジャンルとしては、哲学てつがくのほかに『シッロイ(Σίλλοι / 風刺ふうし)』重要じゅうようである。これは詩人しじん哲学てつがくしゃ風刺ふうしてき批判ひはんするで、ピュロンΠύρρων主義しゅぎ哲学てつがくしゃティモンΤίμων・オブ・プレイウス(ぜん3世紀せいき)がクセノファネスΞενοφάνηςならって同名どうめい作品さくひんあらわしたほど、古代こだいられた形式けいしきだった。クセノファネスΞενοφάνηςたんなる理論りろんではなく、知的ちてき権威けんいへの批判ひはんおおやけ実演じつえんするパフォーマーでもあった。

断片だんぺんB8(ディオゲネス・ラエルティオスDiogenes Laërtius列伝Βίοι φιλοσόφωνだい9かん19せつ)によれば、クセノファネスΞενοφάνηςは92さいえてなお朗誦ろうしょうしていた。紀元前きげんぜん478ねんごろぼっしたとされるが、正確せいかく没年ぼつねん不明ふめいである。

ミニ年表ねんぴょう

  • ぜん570ねんころイオニアἸωνία地方ちほうコロポンΚολοφώνまれる
  • ぜん546/545ねん:ペルシアによるイオニアἸωνία征服せいふく。25さいコロポンΚολοφώνり、放浪ほうろう生活せいかつはい
  • ぜん540〜530年代ねんだいシチリアΣικελίαザンクレΖάγκληカタナΚατάνη)で活動かつどうシンポジオンSymposion哲学てつがく朗誦ろうしょう
  • ぜん530〜510年代ねんだいみなみイタリア(マグナ・グラエキアMagna Graecia)で活動かつどうエレアἘλέα付近ふきん滞在たいざいした可能かのうせい
  • ぜん500年代ねんだい:92さいえてなお詩作しさくつづける(断片だんぺんB8)
  • ぜん478ねんころぼつ推定すいてい)。放浪ほうろう67ねん

クセノファネスΞενοφάνηςなにうたのか

クセノファネスΞενοφάνηςたたかった相手あいては、タレスΘαλῆςアナクシマンドロスἈναξίμανδροςのように「自然しぜん根源こんげん」ではなく、ギリシャ文化ぶんかそのものの根幹こんかんだった。ホメロスὍμηροςの『イリアスἸλιάς』と『オデュッセイアὈδύσσεια』、ヘシオドスἩσίοδοςの『神統記Θεογονία』と『仕事と日々Ἔργα καὶ Ἡμέραι』。これらはギリシャじんにとってたんなる文学ぶんがく作品さくひんではなく、教育きょういく基礎きそ道徳どうとく規範きはん神々かみがみについての「公式こうしき見解けんかい」であった。ギリシャの少年しょうねんホメロスὍμηρος暗唱あんしょうしてそだち、ホメロスὍμηρος神々かみがみ物語ものがたりつうじて世界せかいかん形成けいせいした。

クセノファネスΞενοφάνηςはこの文化ぶんかてき権威けんい正面しょうめんからいどんだ。断片だんぺんB11でこうべる:

"ホメロスὍμηροςヘシオドスἩσίοδοςは、人間にんげんのあいだで恥辱ちじょくであり非難ひなんである行為こういのすべて(ぬすみ、姦通かんつうたがいのあざむき)を神々かみがみかえした。" ── クセノファネスΞενοφάνης断片だんぺんB11(セクストス・エンペイリコスSextus Empiricus学者たちへの反論Adversus Mathematicosだい9かん193せつ

問題もんだいは、神々かみがみ物語ものがたりが「不道徳ふどうとく」だということだけではない。より根本こんぽんてきいは、なぜ人間にんげん自分じぶんかみつくるのか、そしてそのようなかみは「真実しんじつ」なのか、ということだ。

つまり、クセノファネスΞενοφάνηςいはじゅう構造こうぞうっている。だいいちに、宗教しゅうきょうてき表象ひょうしょう批判ひはん、つまり人間にんげんかみについてかたることは、人間にんげん自身じしん投影とうえいにすぎないのではないか。だいに、認識にんしき限界げんかい。では、かみについて(あるいは何事なにごとについても)「真実しんじつ」をることは可能かのうなのか。前者ぜんしゃ宗教しゅうきょうがく宗教しゅうきょう批判ひはんいであり、後者こうしゃ認識にんしきろんいである。クセノファネスΞενοφάνηςは、このふたつのいを同時どうじ提起ていきした最初さいしょ哲学てつがくしゃだった。

そして重要じゅうようなのは、このふたつのいが論理ろんりてき連動れんどうしていることだ。もし人間にんげんかみについてかたるとき、つね自分じぶん自身じしん姿すがた投影とうえいしてしまうのならば、つまり人間にんげん認知にんち文化ぶんかてき身体しんたいてき条件じょうけん制約せいやくされているのならば、人間にんげん自分じぶん認知にんち限界げんかいえて「真実しんじつそのもの」に到達とうたつすることはできない。擬人ぎじん批判ひはん認識にんしきろんてき懐疑かいぎ具体ぐたいてき根拠こんきょ提供ていきょうし、認識にんしきろんてき懐疑かいぎ擬人ぎじん批判ひはん哲学てつがくてき射程しゃてい普遍ふへんする。このふたつは別々べつべつ主張しゅちょうではなく、おな洞察どうさつひょううらなのである。

核心かくしん理論りろん

1. 擬人ぎじん批判ひはん── 神々かみがみ人間にんげんかがみである

クセノファネスΞενοφάνης擬人ぎじん批判ひはんは、さん段階だんかい論理ろんり構造こうぞうっている。だいいち段階だんかい(B11)は道徳どうとくてき批判ひはんホメロスὍμηρος神々かみがみ不道徳ふどうとくだ。だい段階だんかい(B14)は構造こうぞうてき批判ひはん、そもそも人間にんげんかみ自分じぶんせてつくっている。だいさん段階だんかい(B15-B16)は比較ひかく文化ぶんかてき証明しょうめいことなる民族みんぞくことなる姿すがたかみち、動物どうぶつなら動物どうぶつかみつくるだろう。このさん段階だんかいじゅんていこう。

だいいち段階だんかいすで引用いんようしたB11(ホメロスὍμηροςヘシオドスἩσίοδος神々かみがみ不道徳ふどうとく行為こういかえした)である。つづ断片だんぺんB14は、道徳どうとく批判ひはんから構造こうぞうてき批判ひはんへの橋渡はしわたしをおこなう:

"しかしすべきものたち(人間にんげん)は、神々かみがみ自分じぶんたちとおなじようにまれ、自分じぶんたちとおな衣服いふくこえ姿すがたがたつとおもんでいる。" ── クセノファネスΞενοφάνης断片だんぺんB14(クレメンス・アレクサンドリアClemens Alexandrinusの『ストロマテイスΣτρωματεῖςだい5かん109しょう2せつ

ここでクセノファネスΞενοφάνηςは、問題もんだいホメロスὍμηρος個人こじん描写びょうしゃにとどまらず、人間にんげん一般いっぱん認知にんち傾向けいこう自分じぶん自身じしん基準きじゅんにしてかみ想像そうぞうする)にあることを指摘してきしている。そして、この構造こうぞうてき批判ひはん決定的けっていてき証拠しょうことして、もっと有名ゆうめい断片だんぺんB15とB16がつづく:

"もしうしうまやライオンがち、えが作品さくひんつくることができたなら、うまうま姿すがたに、うしうし姿すがたに、それぞれ自分じぶんからだせて神々かみがみ姿すがたえがくだろう。" ── クセノファネスΞενοφάνης断片だんぺんB15(クレメンス・アレクサンドリアClemens Alexandrinusの『ストロマテイスΣτρωματεῖςだい5かん109しょう3せつ
"エチオピアじん自分じぶんたちの神々かみがみはなひくはだくろいとい、トラキアじんあおあかかみだとう。" ── クセノファネスΞενοφάνης断片だんぺんB16(クレメンス・アレクサンドリアClemens Alexandrinusの『ストロマテイスΣτρωματεῖςだい7かん22しょう1せつ

この論証ろんしょう構造こうぞう明快めいかいである。(1)ことなる民族みんぞくことなる容姿ようし神々かみがみしんじている。(2)かく民族みんぞく神々かみがみは、その民族みんぞく自身じしん容姿ようしている。(3)もし動物どうぶつにも宗教しゅうきょうがあれば、動物どうぶつ自分じぶん姿すがたかみつくるだろう。結論けつろんしたがって、神々かみがみの「容姿ようし」は信者しんじゃ自身じしん姿すがた投影とうえいであり、かみそのものの属性ぞくせいではない。

この論証ろんしょうは、ふたつのてん革命かくめいてきだった。

だいいちに、文化ぶんかてき相対そうたい主義しゅぎ萌芽ほうがである。宗教しゅうきょうてき信念しんねんは「絶対ぜったいてき真理しんり」ではなく、特定とくてい文化ぶんか民族みんぞく立場たちばから形成けいせいされたものだ、という視点してんは、ヘロドトスἩρόδοτος比較ひかく文化ぶんかろん(『歴史Ἱστορίαιだい3かん38せつカンビュセスΚαμβύσης逸話いつわ)に先行せんこうし、近代きんだい宗教しゅうきょう社会しゃかいがくデュルケムDurkheim、ウェーバー)や宗教しゅうきょう人類じんるいがく(エヴァンズ=プリチャード)のとお先駆せんくである。

だいに、投影とうえい理論りろん原型げんけいである。かみ人間にんげん自己じこぞう外在がいざいである。この洞察どうさつは、19世紀せいきフォイエルバッハFeuerbachが『キリスト教の本質Das Wesen des Christentums』で体系たいけいした「投影とうえいせつプロイェクツィオーンステオリーProjektionstheorie)」と構造こうぞうてき同一どういつであり、フロイトFreud宗教しゅうきょうろん(『幻想の未来Die Zukunft einer Illusion』1927ねん)にも直結ちょっけつする。2400ねんときへだてて、おな構造こうぞう批判ひはんかえされたことは、このいの根源こんげんせいしめしている。

ただし、クセノファネスΞενοφάνηςおこなったのはかみ存在そんざい」の否定ひていではなく、「表象ひょうしょう」の批判ひはんであることに注意ちゅういすべきだ。かれは「かみ存在そんざいしない」とはっていない。「人間にんげんかみについてかたっていることは、人間にんげん自身じしん投影とうえいにすぎない」とったのである。この区別くべつ決定的けっていてき重要じゅうようだ。

2. 哲学てつがくてきいちかみろん── 「神々かみがみ人間にんげんのうちで最大さいだいなる唯一ゆいいつかみ

批判ひはんだけでは哲学てつがくにならない。クセノファネスΞενοφάνηςは、人間にんげん神々かみがみ否定ひていしたうえで、積極せっきょくてきかみ概念がいねん提示ていじした。断片だんぺんB23-B26がそれである:

"神々かみがみ人間にんげんたちのうちでもっと偉大いだいなる唯一ゆいいつかみ身体しんたいにおいても思考しこうにおいてもすべきものども(人間にんげん)とはまったくていない。" ── クセノファネスΞενοφάνης断片だんぺんB23(クレメンス・アレクサンドリアClemens Alexandrinusの『ストロマテイスΣτρωματεῖςだい5かん109しょう1せつ

このかみは、全体ぜんたいとして全体ぜんたいとして思考しこうし、全体ぜんたいとして(B24)。思考しこうちからだけで、ろうせずして万物ばんぶつうごかす(B25)。つねおな場所ばしょにとどまり、すこしもうごかない(B26)。ホメロスὍμηρος神々かみがみ人間にんげんおなじようにはしり、おこり、嫉妬しっとし、浮気うわきするのとは対照たいしょうてきに、クセノファネスΞενοφάνηςかみ人間にんげんてき物質ぶっしつてき運動うんどうてきである。

学術がくじゅつてき議論ぎろんかれるのは、これが厳密げんみつ一神教いっしんきょうモノセイズムmonotheismか、それともたん一神教いっしんきょうヘノセイズムhenotheismひとつの最高さいこうしんみとめつつ神々かみがみ存在そんざい否定ひていしない)かというてんだ。B23の「神々かみがみ人間にんげんたちのうちで(ἔν τε θεοῖσι καὶ ἀνθρώποισιエン・テ・テオイシ・カイ・アントローポイシ)」という表現ひょうげんは、複数ふくすうの「神々かみがみ」の存在そんざい前提ぜんていとしているようにもめる。レシャーLesher(1992)はこのてん重視じゅうしし、クセノファネスΞενοφάνης立場たちば厳密げんみつ一神教いっしんきょうではなく「主神しゅしんろん」にちかいとろんじている。

一方いっぽうバーンズBarnes(1979)はこの表現ひょうげん叙事詩じょじしてき慣用かんようとして退しりぞけ、実質じっしつてきいちかみろん解釈かいしゃくする。

いずれの解釈かいしゃくるにせよ、クセノファネスΞενοφάνηςかみは、のちパルメニデスΠαρμενίδηςの「存在そんざいト・エオンτὸ ἐόν不動ふどう不変ふへんいちなるもの)」と構造こうぞうてき類似るいじしており、プラトンΠλάτωνイデアἰδέαろんアリストテレスἈριστοτέληςの「不動ふどうどうしゃ」をて、キリストきょう神学しんがくやイスラーム哲学てつがくにおける唯一ゆいいつしん概念がいねんにまでなが壮大そうだい知的ちてき系譜けいふ出発しゅっぱつてんのひとつである。

3. 限界げんかい── 「確実かくじつ真理しんりだれにもからない」

クセノファネスΞενοφάνηςもっと哲学てつがくてきふか洞察どうさつは、断片だんぺんB34に凝縮ぎょうしゅくされている:

"神々かみがみについて、またわたしかたるすべての事柄ことがらについて、確実かくじつ真理しんり(τὸ σαφές / ト・サペスτὸ σαφές)をったものは、かつていなかったし、これからもいないだろう。たとえ偶然ぐうぜん完全かんぜん真理しんりかたったとしても、本人ほんにんはそれをらない。なぜなら、万事ばんじたいしてかけ(δόκος / ドコスδόκος)が支配しはいしているからだ。" ── クセノファネスΞενοφάνης断片だんぺんB34(セクストス・エンペイリコスSextus Empiricus学者たちへの反論Adversus Mathematicosだい7かん49せつ、およびプルタルコスΠλούταρχος食卓談義Quaestiones Convivalesだい9かん746B)

この断片だんぺんは、西洋せいよう認識にんしきろん歴史れきしにおけるもっと重要じゅうよう宣言せんげんのひとつである。ここで注意ちゅういすべきはみっつのポイントだ。

だいいちに、対象たいしょう限定げんていなき普遍ふへんせい。「神々かみがみについて」だけでなく「わたしかたるすべての事柄ことがらについて」とっている。つまり認識にんしき限界げんかいは、宗教しゅうきょうてき知識ちしきだけでなくあらゆる知識ちしきおよぶ。自然しぜん哲学てつがくも、政治せいじも、倫理りんりも、人間にんげんかたることはすべて「ドコスδόκοςかけ・おもいなし)」にすぎない。

だいに、偶然ぐうぜんせい問題もんだい。「たとえ偶然ぐうぜん完全かんぜん真理しんりかたったとしても、本人ほんにんはそれをらない」。これは認識にんしきてき正当せいとうエピステミック・ジャスティフィケーションepistemic justification問題もんだい最古さいこ定式ていしきである。しんなる命題めいだいべることと、それがしんであることをっていることとは別物べつものだ、という洞察どうさつは、プラトンΠλάτωνの『テアイテトスΘεαίτητος』における「知識ちしき正当せいとうされたしんなる信念しんねん」という定義ていぎ直接的ちょくせつてき先駆せんくであり、現代げんだいのゲティア問題もんだい(1963ねん正当せいとうされたしんなる信念しんねん知識ちしき十分じゅうぶん条件じょうけんではない)にまでつらなる。

だいさんに、積極せっきょくてき探究たんきゅう肯定こうていとの共存きょうぞんである。断片だんぺんB18でクセノファネスΞενοφάνηςはこうべる:

"神々かみがみはじめから万事ばんじすべきものたちにしめしたのではない。しかし時間じかんをかけてさがもとめることで、人間にんげんはよりいものを見出みいだす。" ── クセノファネスΞενοφάνης断片だんぺんB18(ストバイオスΣτοβαῖος抜粋集Ἀνθολόγιονだい1かん8しょう2せつ

B34とB18をわせてめば、クセノファネスΞενοφάνης認識にんしきろんてき立場たちば絶対ぜったいてき真理しんり不可能ふかのうだが、漸進ぜんしんてき改善かいぜん可能かのうである」という可謬かびゅう主義しゅぎファリビリズムfallibilismならない。これは近代きんだい科学かがく精神せいしん理論りろん暫定ざんていてきであり反証はんしょうひらかれているが、探究たんきゅうつうじてより理論りろんへと進歩しんぽしうる)と構造こうぞうてき同一どういつであり、カール・ポパーPopper科学かがく哲学てつがく(『推測と反駁Conjectures and Refutations』1963ねん)の2500ねんまえ先取さきどりとさええる。ポパーPopper自身じしんクセノファネスΞενοφάνηςを「批判ひはんてき合理ごうり主義しゅぎ始祖しそ」としてたか評価ひょうかしている(ポパーPopper「Back to the Presocratics」1958ねん講演こうえん、1963ねん出版しゅっぱん)。

さらに注目ちゅうもくすべきは断片だんぺんB35である:

"これらのことは、真実しんじつたもの(ἐοικότα τοῖς ἐτύμοισιエオイコタ・トイス・エテュモイシ)としてられよ。" ── クセノファネスΞενοφάνης断片だんぺんB35(プルタルコスΠλούταρχος食卓談義Quaestiones Convivalesだい9かん746B)

これはクセノファネスΞενοφάνης自分じぶん自身じしん自然しぜん哲学てつがくてき主張しゅちょうたいしてもB34の認識にんしきろん適用てきようしていることをしめす。「大地だいちみず根源こんげんである」「天体てんたいえるくもだ」。これらの自説じせつもまた「確実かくじつ真理しんり」ではなく「真実しんじつたもの」にすぎない、とかれみとめているのだ。みずからの理論りろん絶対ぜったいしない自己じこ言及げんきゅうてき知的ちてき謙虚けんきょ。これは哲学てつがくにおいてきわめて稀有けう態度たいどであり、のちソクラテスΣωκράτηςの「無知むち」やポパーPopperの「反証はんしょう可能かのうせい」に直結ちょっけつする精神せいしんである。

4. 自然しぜん哲学てつがく── 大地だいちみず化石かせきくも

クセノファネスΞενοφάνης名声めいせい宗教しゅうきょう批判ひはん認識にんしきろんにあるが、かれどう時代じだいミレトスΜίλητος学派がくは自然しぜん哲学てつがくしゃたちと同様どうように、自然しぜん現象げんしょう合理ごうりてき説明せつめいこころみた。

断片だんぺんB29によれば、万物ばんぶつ大地だいちからしょうじ、大地だいちへとかえる」断片だんぺんB33では「われわれはすべて大地だいちみずからまれた」とされる。ヒッポリュトスἹππόλυτος(『全異端反駁Refutatio Omnium Haeresiumだい1かん14しょう)の証言しょうげんによれば、クセノファネスΞενοφάνης大地だいちみず万物ばんぶつふたつの根源こんげんとした。これはタレスΘαλῆςの「みず」やアナクシメネスἈναξιμένηςの「空気くうき」にくらべると二元にげんてきであり、のちエンペドクレスἘμπεδοκλῆςよん元素げんそせつへの橋渡はしわたてき位置いちにある。

とりわけ注目ちゅうもくすべきは、クセノファネスΞενοφάνης化石かせきへの注目ちゅうもくである。ヒッポリュトスἹππόλυτοςおな証言しょうげんによれば、クセノファネスΞενοφάνηςシュラクサイΣυράκουσαιいしじょう貝殻かいがら化石かせきを、パロスΠάροςとう月桂樹げっけいじゅ化石かせきを、マルタΜελίτηとう海洋かいよう生物せいぶつ化石かせき発見はっけんし、これらを根拠こんきょとして大地だいちはかつてうみおおわれていた推論すいろんした。そして大地だいちふたたどろなかしずみ、人類じんるい滅亡めつぼうし、やがてどろかわいてふたたび人類じんるいまれるという周期しゅうきてき地球ちきゅう構想こうそうした。化石かせきを「かつてのうみ証拠しょうこ」としてむ。この推論すいろん方法ほうほうは、地質ちしつがくてき思考しこうもっとはや事例じれいのひとつである。

気象きしょう現象げんしょうについても、クセノファネスΞενοφάνης合理ごうりてき説明せつめいこころみた。アエティオスἈέτιος証言しょうげんによれば、太陽たいようつき・星々はすべてえているくもうみから蒸発じょうはつした水分すいぶん上空じょうくうあつまり発火はっかしたもの)であるとした。太陽たいよう毎日まいにちあたらしくしょうじ(断片だんぺんB31-32の証言しょうげん)、にじもまた「いろのついたくも」にすぎないとした(断片だんぺんB32)。「セントエルモの」としてられる船上せんじょう発光はっこう現象げんしょう(セント・エルモの)もちいさなくも発光はっこうとして説明せつめいした。すべてを「みず蒸発じょうはつくも形成けいせい発火はっか」という統一とういつてきなプロセスで説明せつめいしようとしたてんは、ミレトスΜίλητος学派がくは一元いちげんてき説明せつめいへの志向しこういつにしている。

5. 社会しゃかい批判ひはん── 知恵ちえ競技きょうぎ勝利しょうりより価値かちがある

クセノファネスΞενοφάνης批判ひはん精神せいしんは、宗教しゅうきょう自然しぜんにとどまらず、ギリシャ社会しゃかい価値かちかんそのものにもけられた。まず、最長さいちょう現存げんそん断片だんぺんである断片だんぺんB1は、クセノファネスΞενοφάνης理想りそうとするシンポジオンSymposion酒宴しゅえん)の姿すがたえがく。そこではゆか清潔せいけつかれ、はいきよめられ、花冠かかん香油こうゆ用意よういされる。しかし重要じゅうようなのは、そのシンポジオンSymposionかたられるべき内容ないようだ。「ティタンぞく巨人きょじんぞくやケンタウロスのたたかい」という神話しんわてきフィクションではなく、神々かみがみへの敬虔けいけんただしいおこない」かたられるべきだ、とクセノファネスΞενοφάνης主張しゅちょうする。つまり、シンポジオンSymposionという文化ぶんか空間くうかんそのものを、ホメロスὍμηροςてき娯楽ごらくから知的ちてき倫理りんりてき探究たんきゅうへと変革へんかくしようとしたのである。

さらに断片だんぺんB2は、古代こだいギリシャにおける知識ちしきじんもっとはやい「社会しゃかいてき立場たちば表明ひょうめい」である:

"たとえオリュンピアであしはやさやしゅ競技きょうぎ相撲すもう勝利しょうりたとしても、それゆえに都市とし国家こっかがよりよく統治とうちされるわけではない。市民しみんがよき知恵ちえ(σοφίη / ソフィエーσοφίη)をつことこそが、都市とし財政ざいせいたすのだ。" ── クセノファネスΞενοφάνης断片だんぺんB2(アテナイオスἈθήναιος食卓の賢人たちΔειπνοσοφισταίだい10かん413F-414C)

古代こだいギリシャにおいてオリュンピアの競技きょうぎかい勝者しょうしゃ英雄えいゆうとしてあがめられ、故郷こきょう都市とし国家こっかから終身しゅうしん特権とっけん食事しょくじ供与きょうよさい前列ぜんれつせきなど)をあたえられた。クセノファネスΞενοφάνηςはこの風潮ふうちょうこうから批判ひはんし、身体しんたいてき卓越たくえつさよりも知的ちてき卓越たくえつさ(ソフィアσοφία)のほうが都市とし国家こっかにとって有益ゆうえき主張しゅちょうした。

この主張しゅちょうは、プラトンΠλάτωνの「哲人てつじんおう思想しそう(『国家Πολιτείαだい5-7かん)の先駆せんくであり、同時どうじに「知識ちしきじん社会しゃかいたいしてどのような責任せきにんうのか」というい(現代げんだい公共こうきょう知識ちしきじんろんSTEMステム教育きょういくろんにまでつらなる)のもっとふる表明ひょうめいでもある。

主要しゅよう著作ちょさくガイド

クセノファネスΞενοφάνης著作ちょさく韻文いんぶんかれ、断片だんぺんとしてやく40が現存げんそんする(DK 21 B1-B45)。以下いかかれ思想しそう復元ふくげんするための文献ぶんけんガイドである。

  • ディオゲネス・ラエルティオスDiogenes Laërtiusギリシア哲学者列伝Βίοι φιλοσόφωνだい9かん18-20せつ加来かく彰俊あきとしやく岩波いわなみ文庫ぶんこ)── クセノファネスΞενοφάνης生涯しょうがい業績ぎょうせき簡潔かんけつ伝記でんきてき概要がいようエレアἘλέα学派がくはとの関係かんけいについての古代こだい見方みかた出発しゅっぱつてん
  • 廣川ひろかわ洋一よういちソクラテス以前の哲学者The Presocratic Philosophers』(講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ、1997ねん)── クセノファネスΞενοφάνης擬人ぎじん批判ひはん認識にんしきろん日本語にほんご平易へいい解説かいせつする。
  • G.S. Kirkカーク, J.E. Ravenレイヴン, M. SchofieldスコフィールドThe Presocratic Philosophersソクラテス以前の哲学者たち』2nd ed., Cambridge UP, 1983, Ch.5(邦訳ほうやく内山うちやま勝利かつとしやくソクラテス以前の哲学者たちThe Presocratic Philosophers京都大きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい)── クセノファネスΞενοφάνηςぜん断片だんぺんぜん証言しょうげん原典げんてん批判ひはんてき検討けんとうする。B34の認識にんしきろんてき解釈かいしゃくについてもっと詳細しょうさい議論ぎろん提供ていきょうする。
  • J.H. LesherレシャーXenophanes of Colophon: Fragmentsコロポンのクセノファネス:断片集』, University of Toronto Press, 1992 ── クセノファネスΞενοφάνης研究けんきゅう決定けっていばんぜん断片だんぺん英訳えいやく注釈ちゅうしゃく哲学てつがくてき解説かいせつ収録しゅうろくいちかみろんたん一神教いっしんきょうかの論争ろんそうについてもっと精密せいみつ分析ぶんせき提供ていきょうする。
  • K. Popperポパー「Back to the Presocratics」(1958ねん講演こうえん、『推測と反駁Conjectures and Refutations』1963ねん所収しょしゅう)── ポパーPopperクセノファネスΞενοφάνης認識にんしきろん近代きんだい科学かがく哲学てつがく文脈ぶんみゃくさい評価ひょうかした記念きねんてき論文ろんぶん

主要しゅよう批判ひはん論争ろんそう

1. ヘラクレイトスἩράκλειτος嘲笑ちょうしょうどう時代じだいエフェソスἜφεσοςヘラクレイトスἩράκλειτοςは、クセノファネスΞενοφάνηςを「博識はくしきポリュマティエーπολυμαθίη)」の代表だいひょうとして名指なざしで批判ひはんした(断片だんぺんB40)。ヘラクレイトスἩράκλειτοςにとって、幅広はばひろ知識ちしき蓄積ちくせきしん知恵ちえソフィアσοφία)ではなく、「おおくをまなぶこと(ポリュマティエーπολυμαθίη)は知性ちせいヌースνοῦς)をおしえない」のである。クセノファネスΞενοφάνης放浪ほうろうてき百科全書ひゃっかぜんしょてきのありかたと、ヘラクレイトスἩράκλειτοςふかひとつのロゴスλόγοςへの集中しゅうちゅうは、「はば」と「ふかさ」の対立たいりつとして興味深きょうみぶかい。

2. アリストテレスἈριστοτέλης冷淡れいたん評価ひょうか後世こうせいアリストテレスἈριστοτέληςは『形而上学Τὰ μετὰ τὰ φυσικάだい1かん5しょう(986b21-27)でクセノファネスΞενοφάνης言及げんきゅうするが、かれが「全体ぜんたいてん見渡みわたしていちなるものがかみであるとった」と紹介しょうかいしたうえで、なに明確めいかくにしなかった(οὐθὲν διεσαφήνισεν)」ひょうし、「これらのものたちの本性ほんしょうのいずれにもれていないようにえる」と判断はんだんしている。パルメニデスΠαρμενίδηςが「ロゴスλόγος)にそくしたいち」に到達とうたつしたのにたいし、クセノファネスΞενοφάνηςの「いち」は論理ろんりてき明確めいかくだった、というのがアリストテレスἈριστοτέλης見方みかたである。この評価ひょうかは、論理ろんりてき厳密げんみつせい重視じゅうしするアリストテレスἈριστοτέληςが、クセノファネスΞενοφάνης詩的してき修辞しゅうじてき哲学てつがくスタイルをひくたことを反映はんえいしている。

しかし、哲学てつがく論理ろんりてき厳密げんみつせいだけでなく文化ぶんか批判ひはん社会しゃかい批評ひひょう認識にんしきろんてき謙虚けんきょさをもふくむべきだとすれば、アリストテレスἈριστοτέλης評価ひょうか基準きじゅんそのものがなおされる。

3. 「エレアἘλέα学派がくは問題もんだい古代こだい現代げんだいプラトンソフィストΣοφιστής』242dは「クセノファネスΞενοφάνηςからはじまるエレアἘλέα一族いちぞく」とべ、クセノファネスΞενοφάνηςパルメニデスΠαρμενίδης先駆せんくしゃ位置いちづけた。しかし現代げんだい研究けんきゅうしゃおおく(レシャーLesher1992、カーク&レイヴン1983)はこの帰属きぞく疑問ぎもんする。クセノファネスΞενοφάνηςの「ひとつのかみ」は神学しんがくてき主張しゅちょうであり、パルメニデスΠαρμενίδηςの「存在そんざいひとつ」は存在そんざいろんてき論理ろんりがくてき主張しゅちょうである。方法ほうほう文脈ぶんみゃく論証ろんしょう構造こうぞうおおきくことなるため、両者りょうしゃ同一どういつ知的ちてき系譜けいふくことは慎重しんちょうようする。

4. B34の解釈かいしゃく論争ろんそう現代げんだい断片だんぺんB34は「懐疑かいぎ主義しゅぎ」の宣言せんげんなのか、それとも「可謬かびゅう主義しゅぎ」の宣言せんげんなのか。古代こだい懐疑かいぎ主義しゅぎしゃセクストス・エンペイリコスSextus EmpiricusクセノファネスΞενοφάνης先駆せんくとして引用いんようしたが、断片だんぺんB18(「探究たんきゅうによる漸進ぜんしんてき改善かいぜん」)とわせてめば、クセノファネスΞενοφάνης立場たちば可能かのうせい完全かんぜん否定ひていする懐疑かいぎ主義しゅぎではなく、暫定ざんていせいみとめつつ探究たんきゅう肯定こうていする可謬かびゅう主義しゅぎである、という解釈かいしゃく現在げんざいでは有力ゆうりょくである(フランケルFränkel1925、ポパーPopper1963、レシャーLesher1992)。

影響えいきょう遺産いさん

先行せんこう思想しそうミレトスΜίλητος学派がくは自然しぜん哲学てつがく合理ごうりてき世界せかい説明せつめい枠組わくぐみ)、ホメロスὍμηροςヘシオドスἩσίοδος叙事詩じょじし伝統でんとう批判ひはん対象たいしょうとして)、ひがし地中海ちちゅうかい比較ひかく文化ぶんかてき知識ちしき放浪ほうろう生活せいかつ獲得かくとく)。クセノファネスΞενοφάνηςミレトスΜίλητος学派がくは合理ごうり主義しゅぎを「自然しぜん」から「宗教しゅうきょう文化ぶんか認識にんしき」へと拡張かくちょうした。

パルメニデスΠαρμενίδηςエレアἘλέα学派がくはクセノファネスΞενοφάνηςの「唯一ゆいいつかみ」(不動ふどうで、思考しこうによって万物ばんぶつ統御とうぎょする存在そんざい)は、パルメニデスΠαρμενίδηςの「いちなる存在そんざいト・エオンτὸ ἐόν不生ふしょう不滅ふめつ不変ふへん不動ふどう)」と構造こうぞうてき類似るいじする。直接ちょくせつ師弟してい関係かんけいうたがわしいとしても、クセノファネスΞενοφάνης神学しんがくパルメニデスΠαρμενίδης存在そんざいろんなんらかの刺激しげきあたえた可能かのうせいたかい。

ソクラテスΣωκράτης問答もんどうほうクセノファネスΞενοφάνηςの「常識じょうしきうたがい、権威けんい批判ひはんする」態度たいどは、ソクラテスΣωκράτης問答もんどうほうエレンコスἔλεγχος対話たいわ相手あいて通念つうねん吟味ぎんみし、無知むち自覚じかくさせる)と精神せいしんてきふか共鳴きょうめいする。ソクラテスΣωκράτηςの「無知むち」とクセノファネスΞενοφάνηςのB34(「確実かくじつだれにもない」)は、知的ちてき謙虚けんきょさというおな土壌どじょうっている。

古代こだい懐疑かいぎ主義しゅぎセクストス・エンペイリコスSextus Empiricus2世紀せいき)はクセノファネスΞενοφάνης懐疑かいぎ主義しゅぎ先駆せんくとして重視じゅうしし、『ピュロン主義の概要Πυρρωνείων ὑποτυπώσεων』でくわしくろんじた。この帰属きぞく過度かどみであるとする批判ひはんもあるが、B34が後世こうせい懐疑かいぎ主義しゅぎてき思考しこう重要じゅうようインスピレーションinspirationげんであったことはたしかである。

近代きんだい宗教しゅうきょう批判ひはんクセノファネスΞενοφάνης擬人ぎじん批判ひはんは、近代きんだいにおいてみっつの主要しゅよう知的ちてき伝統でんとうながんだ。(1)フォイエルバッハFeuerbach投影とうえいせつ(1841ねんかみ人間にんげん本質ほんしつ外在がいざいであるとする宗教しゅうきょう哲学てつがく)。(2)フロイトFreud宗教しゅうきょう心理しんりがく(1927ねんかみ父親ちちおやぞう宇宙うちゅうてき投影とうえいであるとする精神せいしん分析ぶんせき)。(3)デュルケムDurkheim宗教しゅうきょう社会しゃかいがく(1912ねん宗教しゅうきょう社会しゃかいてき結束けっそく表現ひょうげんであるとする社会しゃかい科学かがくてき分析ぶんせき)。いずれも「人間にんげんかみかたるとき、じつ人間にんげん自身じしんかたっている」というクセノファネスΞενοφάνης根本こんぽん洞察どうさつを、それぞれの方法ほうほうろん精密せいみつしたものにほかならない。

科学かがく哲学てつがく:カール・ポパーPopperは、クセノファネスΞενοφάνηςのB34とB18をわせて「批判ひはんてき合理ごうり主義しゅぎ」の最古さいこ先行せんこうしゃ評価ひょうかした。「確実かくじつ真理しんりには到達とうたつできないが、批判ひはん吟味ぎんみによってより理論りろん漸近ぜんきんできる」。ポパーPopper科学かがく哲学てつがく核心かくしんテーゼは、クセノファネスΞενοφάνηςの2500ねんまえ洞察どうさつ構造こうぞうてき同一どういつである。

現代げんだいへの接続せつぞく

クセノファネスΞενοφάνης遺産いさんは、おどろくべき多面ためんせい現代げんだいきている。

だいいちに、認知にんちバイアスの自覚じかく人間にんげん自分じぶんたものを「ただしい」「自然しぜんだ」とかんじる傾向けいこうがある。クセノファネスΞενοφάνης擬人ぎじん批判ひはんは、現代げんだい認知にんち心理しんりがくが「確証かくしょうバイアス」「うち集団しゅうだんバイアス」「素朴そぼく実在じつざいろん」として精密せいみつ記述きじゅつする認知にんちゆがみを、もっとはや指摘してきしたものである。SNS時代じだいフィルターバブルfilter bubbleエコーチェンバーecho chamber自分じぶん意見いけんだけが反復はんぷくされ、それが「世界せかい真実しんじつ」にえる現象げんしょう)は、クセノファネスΞενοφάνης指摘してきした擬人ぎじん構造こうぞうのデジタルばんにほかならない。

「あなたがている世界せかいは、あなた自身じしん投影とうえいではないか」。このいは、2500ねんまえわらずするどい。

だいに、知的ちてき謙虚けんきょさとしての可謬かびゅう主義しゅぎ医学いがく歴史れきしがその好例こうれいだ。かつて医師いしあらわずに手術しゅじゅつおこない、瀉血しゃけつ病気びょうきなおそうとした。当時とうじ医師いし自分じぶんただしいと確信かくしんしていた。まさにB34が指摘してきした「たとえ偶然ぐうぜん真理しんりかたっても、本人ほんにんはそれをらない」状態じょうたいである。科学かがく進歩しんぽしたのは、みずからのあやまりの可能かのうせいつね意識いしきする態度たいど可謬かびゅう主義しゅぎ)を制度せいどしたからだ。査読さどく追試ついし反証はんしょう実験じっけん──近代きんだい科学かがく仕組しくみは、クセノファネスΞενοφάνηςが2500ねんまえしめした知的ちてき謙虚けんきょさの制度せいどてき実現じつげんである。

だいさんに、権威けんい批判ひはんてき吟味ぎんみクセノファネスΞενοφάνηςホメロスὍμηροςという絶対ぜったいてき権威けんい批判ひはんしたように、現代げんだい批判ひはんてき思考しこう教育きょういくクリティカル・シンキングcritical thinking)は「情報じょうほうげん権威けんい盲従もうじゅうしない」態度たいど核心かくしんえている。フェイクニュースfake newsディープフェイクdeepfake権威けんい主義しゅぎてき情報じょうほう統制とうせい。「おおくのひとしんじているからただしい」「権威けんいある人物じんぶつったからただしい」という推論すいろんあやうさを最初さいしょ哲学てつがくてきしめしたのがクセノファネスΞενοφάνηςである。

読者どくしゃへの

  • あなたが「当然とうぜん」「自然しぜん」「ただしい」とかんじている価値かちかん信念しんねんのなかに、じつ自分じぶん自身じしん文化ぶんか立場たちば経験けいけん投影とうえいにすぎないものはないか。クセノファネスΞενοφάνηςつめなおしてみよ。
  • 確実かくじつ真理しんりからない」(B34)と「探究たんきゅうによってよりいものを見出みだせる」(B18)──このふたつは矛盾むじゅんするか、それとも両立りょうりつするか。あなたの仕事しごとまなびにおいて、このふたつをどう両立りょうりつさせているか。
  • クセノファネスΞενοφάνηςはオリュンピアの競技きょうぎしゃよりも知恵ちえあるものたたえるべきだと主張しゅちょうした。現代げんだい社会しゃかいでも、スポーツ選手せんしゅやエンターテイナーの報酬ほうしゅう科学かがくしゃ教育きょういくしゃ報酬ほうしゅうおおきく上回うわまわる。この格差かくさ正当せいとうか。クセノファネスΞενοφάνηςならどうろんじるか。
  • クセノファネスΞενοφάνηςは「確実かくじつ真理しんりからない」とべたうえで、自分じぶん自身じしん学説がくせつにもその原則げんそく適用てきようした(B35)。わたしたちは自分じぶん信念しんねん主張しゅちょうたいしても、おな謙虚けんきょさをたもてているだろうか。

名言めいげん出典しゅってんつき)

"もしうしうまやライオンがち、えが作品さくひんつくることができたなら、うまうま姿すがたに、うしうし姿すがたに、それぞれ自分じぶんからだせて神々かみがみ姿すがたえがくだろう。" ── 断片だんぺんB15(クレメンス・アレクサンドリアClemens Alexandrinusの『ストロマテイスΣτρωματεῖςだい5かん109しょう3せつ)。擬人ぎじん批判ひはん核心かくしん西洋せいよう宗教しゅうきょう批判ひはん出発しゅっぱつてんとされるもっと有名ゆうめい一節いっせつ
"確実かくじつ真理しんりったものは、かつていなかったし、これからもいないだろう。たとえ偶然ぐうぜん完全かんぜん真理しんりかたったとしても、本人ほんにんはそれをらない。万事ばんじたいしてかけが支配しはいしているからだ。" ── 断片だんぺんB34(セクストス・エンペイリコスSextus Empiricus学者たちへの反論Adversus Mathematicosだい7かん49せつ)。可謬かびゅう主義しゅぎ最古さいこ宣言せんげんポパーPopperが「批判ひはんてき合理ごうり主義しゅぎ始祖しそ」とひょうした認識にんしきろん礎石そせき
"神々かみがみはじめから万事ばんじすべきものたちにしめしたのではない。しかし時間じかんをかけてさがもとめることで、人間にんげんはよりいものを見出みいだす。" ── 断片だんぺんB18(ストバイオスΣτοβαῖος抜粋集Ἀνθολόγιονだい1かん8しょう2せつ)。B34の懐疑かいぎ補完ほかんする「進歩しんぽへの信頼しんらい」。可謬かびゅう主義しゅぎ漸進ぜんしんてき改善かいぜん統合とうごう
"神々かみがみ人間にんげんたちのうちでもっと偉大いだいなる唯一ゆいいつかみ身体しんたいにおいても思考しこうにおいてもすべきものどもとはまったくていない。" ── 断片だんぺんB23(クレメンス・アレクサンドリアClemens Alexandrinusの『ストロマテイスΣτρωματεῖςだい5かん109しょう1せつ)。哲学てつがくてきいちかみろん最古さいこ表明ひょうめい擬人ぎじんてきかみ概念がいねん出発しゅっぱつてん
"これらのことは、真実しんじつたものとしてられよ。" ── 断片だんぺんB35(プルタルコスΠλούταρχος食卓談義Quaestiones Convivalesだい9かん746B)。みずからの理論りろんにも可謬かびゅう主義しゅぎ適用てきようする、哲学てつがく史上しじょうきわめて稀有けう自己じこ言及げんきゅうてき謙虚けんきょさの表明ひょうめい

参考さんこう文献ぶんけん

  • 断片だんぺん証言しょうげん:H. Dielsディールス & W. Kranzクランツ へんソクラテスΣωκράτης以前いぜん哲学てつがくしゃたちの断片だんぺんDie Fragmente der Vorsokratikerディー・フラグメンテ・デア・フォアゾクラティカー)』だい1かんクセノファネスΞενοφάνηςしょう(DK 21)。断片だんぺんB1-B45およびぜん証言しょうげん(Aへん)を収録しゅうろく
  • 断片だんぺん新版しんぱん:A. Laksラクス & G.W. Mostモスト へんEarly Greek Philosophy初期ギリシャ哲学』(Loeb Classical Library 524-532, Harvard UP, 2016)── DK にわるしん標準ひょうじゅんばんぜん断片だんぺん証言しょうげん原文げんぶん英訳えいやく対照たいしょう収録しゅうろく
  • 証言しょうげんアリストテレスἈριστοτέλης形而上学Τὰ μετὰ τὰ φυσικάだい1かん5しょう(986b18-27、出隆いでたかしやく岩波いわなみ文庫ぶんこ);プラトンΠλάτωνソフィストΣοφιστής』242d ;セクストス・エンペイリコスSextus Empiricus学者たちへの反論Adversus Mathematicosだい7かん49せつ, だい9かん193せつ
  • 伝記でんきディオゲネス・ラエルティオスDiogenes Laërtiusギリシア哲学者列伝Βίοι φιλοσόφωνだい9かん18-20せつ加来かく彰俊あきとしやく岩波いわなみ文庫ぶんこ)。
  • 決定けっていばん研究けんきゅう:J.H. LesherレシャーXenophanes of Colophon: Fragmentsコロポンのクセノファネス:断片集』, University of Toronto Press, 1992 ── クセノファネスΞενοφάνηςぜん断片だんぺん注釈ちゅうしゃくつきで検討けんとうする決定けっていばんモノグラフmonographいちかみろん/たん一神教いっしんきょう論争ろんそうやB34の認識にんしきろんてき解釈かいしゃくについてもっと精密せいみつ分析ぶんせき提供ていきょうする。
  • 標準ひょうじゅん研究けんきゅう:G.S. Kirkカーク, J.E. Ravenレイヴン, M. SchofieldスコフィールドThe Presocratic Philosophersソクラテス以前の哲学者たち』2nd ed., Cambridge UP, 1983, Ch.5(邦訳ほうやく内山うちやま勝利かつとしやくソクラテス以前の哲学者たちThe Presocratic Philosophers京都大きょうとだいがく学術がくじゅつ出版しゅっぱんかい)── クセノファネスΞενοφάνης断片だんぺん証言しょうげん厳密げんみつ検討けんとうする標準ひょうじゅん参考さんこうしょ
  • 概説がいせつ廣川ひろかわ洋一よういちソクラテス以前の哲学者The Presocratic Philosophers』(講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ、1997ねん)── 日本語にほんごめる定評ていひょうのある入門にゅうもん概説がいせつクセノファネスΞενοφάνης位置いちづけを明快めいかい整理せいり
  • 科学かがく哲学てつがくからのさい評価ひょうか:K. Popperポパー「Back to the Presocratics」(1958ねん講演こうえん、『Conjectures and Refutations推測と反駁』1963ねん所収しょしゅう)── クセノファネスΞενοφάνης批判ひはんてき合理ごうり主義しゅぎ先駆せんくしゃとしてさい評価ひょうかした記念きねんてき論文ろんぶん
  • 認識にんしきろん先駆せんくてき研究けんきゅう:H. Fränkelフランケル「Xenophanesstudien」(1925ねんに『Dichtung und Philosophie des frühen Griechentums初期ギリシャ世界の詩と哲学』1962ねん改訂かいてい収録しゅうろく)── B34の認識にんしきろんてき解釈かいしゃくはじめて精密せいみつ分析ぶんせきした記念きねんてき論文ろんぶん現代げんだいクセノファネスΞενοφάνης研究けんきゅう出発しゅっぱつてん
  • 近年きんねんさい評価ひょうか:P. Curdカード & D.W. Grahamグラハム へんThe Oxford Handbook of Presocratic Philosophyオックスフォード・ハンドブック:ソクラテス以前の哲学』, Oxford UP, 2008 ── 初期しょきギリシャ哲学てつがく最新さいしん研究けんきゅう網羅もうらする論文ろんぶんしゅうクセノファネスΞενοφάνης認識にんしきろん神学しんがくかんする複数ふくすう論考ろんこうふくむ。