もし馬が絵を描けたら、馬の神を描くだろう。牛なら牛の神を。この一見して冗談のような思考実験を、紀元前6世紀に真剣に論じた哲学者がいた。クセノファネスである。ギリシャ人の神々がギリシャ人に似ているのは偶然ではない。それは人間が自分自身の姿を神に投影しているからだ。この洞察は、2400年後にフォイエルバッハが『キリスト教の本質』(1841年)で体系化し、フロイトが宗教を「幻想」と呼ぶ精神分析的宗教論にまで流れ込む、西洋宗教批判の最古の源流である。
だがクセノファネスの射程は宗教批判にとどまらない。彼は同時に、「確実な真理(ト・サペス)は誰にも到達できない」と宣言した最初の哲学者でもある。神々について真実を知ることはできない。だが、それは神々についてだけの話ではない。あらゆる事柄について、人間の「知」は「見かけ(ドコス)」にすぎない。この知的謙虚さは、近代科学の基盤である可謬主義(ファリビリズム、あらゆる理論は暫定的であり将来修正されうる)の最古の表明である。宗教批判と認識論の両方を一人の人物が切り拓いた。クセノファネスは、哲学がもつ「批判の力」を最も早く体現した思想家なのだ。
この記事の要点
- 擬人化批判:ホメロスとヘシオドスの神々を「人間の姿の投影」として批判し、宗教的信念の文化的・心理的起源を暴いた。西洋における宗教批判・宗教学の出発点である。
- 知の限界の自覚:「確実な真理は人間には到達できない」(断片B34)と宣言し、可謬主義の最古の表明を行った。同時に「探究によって、時間をかけて人間はより良いものを見つけ出す」(断片B18)と述べ、漸進的な知の進歩への信頼も示した。懐疑と探究の共存。これは近代科学の精神そのものである。
- 哲学的一神論:「神々と人間たちのうちで最大なる唯一の神」(断片B23)を提唱し、人間とはまったく異なる仕方で思考し世界を統御する超越的存在を構想した。ギリシャ的多神教と一神教的直観の間に立つ、独自の神学を展開した。
- 社会批判:オリュンピアの勝者を過大に讃える風潮を批判し、知恵(ソフィア)こそが都市国家にとって真に有益だと主張した。「知識人の社会的役割」を最初に論じた哲学者である。
生涯と時代背景
クセノファネスは紀元前570年頃、イオニア地方の都市コロポンに生まれた(ディオゲネス・ラエルティオス『列伝』第9巻18節)。コロポンはミレトスの北西約60キロに位置するイオニアの都市で、古代世界では染色産業と騎兵で知られていた。しかしクセノファネス自身が断片B3で証言するように、コロポンの市民はリュディア人から「役に立たない贅沢(ἁβροσύνη / ハブロシュネー)」を学び、紫の衣をまとい、香油を髪に塗り、堕落していた。
紀元前546/545年、ペルシアのキュロス大王がリュディアを滅ぼしイオニア全域を征服したとき、クセノファネスは25歳だった。彼は祖国を離れ、以後67年間にわたってギリシャ世界を放浪した(断片B8)。シチリアのザンクレ(現メッシーナ)やカタナ(現カターニア)で活動し、南イタリアのエレア付近にも滞在したと伝えられる。この放浪の生涯が、異なる文化・異なる宗教観への比較の視点を彼に与えたことは疑いない。エチオピア人の神が黒い肌を持ち、トラキア人の神が碧い目と赤い髪を持つ。この観察(断片B16)は、多様な民族と接触した放浪詩人ならではの知見である。
クセノファネスはミレトス学派の自然哲学者たちとは異なり、散文ではなく韻文(詩)で哲学した。エレゲイア(哀歌調の二行連句)とヘクサメトロス(叙事詩の六脚韻)で作品を著し、シンポジオン(酒宴)や公の場で自ら朗誦したと伝えられる。つまり彼は「書く哲学者」である以前に「語る哲学者」であり、ギリシャの教育と文化の場であったシンポジオンにおいて、聴衆の面前でホメロスとヘシオドスを批判したのである。これは知的な勇気を要する行為だった。なぜならホメロスの詩はギリシャ人にとって「聖書」に等しい文化的権威だったからだ。
古代の伝承(プラトン『ソフィスト』242d、アリストテレス『形而上学』986b21)はクセノファネスをエレア学派の創始者とし、パルメニデスの師としている。しかし現代の研究者の多くはこの帰属に懐疑的である。クセノファネスの「万物は一つ」という主張(アリストテレスの帰属)と、パルメニデスの「存在は一つ」という論証は、方法も射程もかなり異なる。クセノファネスは特定の学派に属さない独立の思想家(放浪する批判知性)として理解するのが妥当だろう。
クセノファネスの著作ジャンルとしては、哲学詩のほかに『シッロイ(Σίλλοι / 風刺詩)』が重要である。これは他の詩人や哲学者を風刺的に批判する詩で、後にピュロン主義の哲学者ティモン・オブ・プレイウス(前3世紀)がクセノファネスに倣って同名の作品を著したほど、古代で知られた形式だった。クセノファネスは単なる理論家ではなく、知的権威への批判を公の場で実演するパフォーマーでもあった。
断片B8(ディオゲネス・ラエルティオス『列伝』第9巻19節)によれば、クセノファネスは92歳を超えてなお詩を朗誦していた。紀元前478年頃に没したとされるが、正確な没年は不明である。
ミニ年表
- 前570年頃:イオニア地方コロポンに生まれる
- 前546/545年:ペルシアによるイオニア征服。25歳でコロポンを去り、放浪生活に入る
- 前540〜530年代:シチリア(ザンクレ、カタナ)で活動。シンポジオンで哲学詩を朗誦
- 前530〜510年代:南イタリア(マグナ・グラエキア)で活動。エレア付近に滞在した可能性
- 前500年代:92歳を超えてなお詩作を続ける(断片B8)
- 前478年頃:没(推定)。放浪67年
クセノファネスは何を問うたのか
クセノファネスが戦った相手は、タレスやアナクシマンドロスのように「自然の根源」ではなく、ギリシャ文化そのものの根幹だった。ホメロスの『イリアス』と『オデュッセイア』、ヘシオドスの『神統記』と『仕事と日々』。これらはギリシャ人にとって単なる文学作品ではなく、教育の基礎、道徳の規範、神々についての「公式見解」であった。ギリシャの少年はホメロスを暗唱して育ち、ホメロスの神々の物語を通じて世界観を形成した。
クセノファネスはこの文化的権威に正面から挑んだ。断片B11でこう述べる:
"ホメロスとヘシオドスは、人間のあいだで恥辱であり非難である行為のすべて(盗み、姦通、互いの欺き)を神々に帰した。" ── クセノファネス断片B11(セクストス・エンペイリコス『学者たちへの反論』第9巻193節)
問題は、神々の物語が「不道徳」だということだけではない。より根本的な問いは、なぜ人間は自分に似た神を作るのか、そしてそのような神は「真実」なのか、ということだ。
つまり、クセノファネスの問いは二重構造を持っている。第一に、宗教的表象の批判、つまり人間が神について語ることは、人間自身の投影にすぎないのではないか。第二に、認識の限界。では、神について(あるいは何事についても)「真実」を知ることは可能なのか。前者は宗教学・宗教批判の問いであり、後者は認識論の問いである。クセノファネスは、この二つの問いを同時に提起した最初の哲学者だった。
そして重要なのは、この二つの問いが論理的に連動していることだ。もし人間が神について語るとき、常に自分自身の姿を投影してしまうのならば、つまり人間の認知が文化的・身体的条件に制約されているのならば、人間は自分の認知の限界を超えて「真実そのもの」に到達することはできない。擬人化批判は認識論的懐疑の具体的な根拠を提供し、認識論的懐疑は擬人化批判の哲学的射程を普遍化する。この二つは別々の主張ではなく、同じ洞察の表と裏なのである。
核心理論
1. 擬人化批判── 神々は人間の鏡である
クセノファネスの擬人化批判は、三段階の論理構造を持っている。第一段階(B11)は道徳的批判、ホメロスの神々は不道徳だ。第二段階(B14)は構造的批判、そもそも人間は神を自分に似せて作っている。第三段階(B15-B16)は比較文化的証明、異なる民族は異なる姿の神を持ち、動物なら動物の神を作るだろう。この三段階を順に見ていこう。
第一段階は既に引用したB11(ホメロスとヘシオドスが神々に不道徳な行為を帰した)である。続く断片B14は、道徳批判から構造的批判への橋渡しを行う:
"しかし死すべきものたち(人間)は、神々も自分たちと同じように生まれ、自分たちと同じ衣服、声、姿形を持つと思い込んでいる。" ── クセノファネス断片B14(クレメンス・アレクサンドリアの『ストロマテイス』第5巻109章2節)
ここでクセノファネスは、問題がホメロス個人の描写にとどまらず、人間一般が持つ認知傾向(自分自身を基準にして神を想像する)にあることを指摘している。そして、この構造的批判の決定的な証拠として、最も有名な断片B15とB16が続く:
"もし牛や馬やライオンが手を持ち、手で絵を描き作品を作ることができたなら、馬は馬の姿に、牛は牛の姿に、それぞれ自分の体に似せて神々の姿を描くだろう。" ── クセノファネス断片B15(クレメンス・アレクサンドリアの『ストロマテイス』第5巻109章3節)
"エチオピア人は自分たちの神々を鼻が低く肌が黒いと言い、トラキア人は碧い目と赤い髪だと言う。" ── クセノファネス断片B16(クレメンス・アレクサンドリアの『ストロマテイス』第7巻22章1節)
この論証の構造は明快である。(1)異なる民族は異なる容姿の神々を信じている。(2)各民族の神々は、その民族自身の容姿に似ている。(3)もし動物にも宗教があれば、動物は自分の姿に似た神を作るだろう。(結論)したがって、神々の「容姿」は信者自身の姿の投影であり、神そのものの属性ではない。
この論証は、二つの点で革命的だった。
第一に、文化的相対主義の萌芽である。宗教的信念は「絶対的真理」ではなく、特定の文化・民族の立場から形成されたものだ、という視点は、ヘロドトスの比較文化論(『歴史』第3巻38節のカンビュセスの逸話)に先行し、近代の宗教社会学(デュルケム、ウェーバー)や宗教人類学(エヴァンズ=プリチャード)の遠い先駆である。
第二に、投影理論の原型である。神は人間の自己像の外在化である。この洞察は、19世紀にフォイエルバッハが『キリスト教の本質』で体系化した「投影説(プロイェクツィオーンステオリー)」と構造的に同一であり、フロイトの宗教論(『幻想の未来』1927年)にも直結する。2400年の時を隔てて、同じ構造の批判が繰り返されたことは、この問いの根源性を示している。
ただし、クセノファネスが行ったのは神の「存在」の否定ではなく、「表象」の批判であることに注意すべきだ。彼は「神は存在しない」とは言っていない。「人間が神について語っていることは、人間自身の投影にすぎない」と言ったのである。この区別は決定的に重要だ。
2. 哲学的一神論── 「神々と人間のうちで最大なる唯一の神」
批判だけでは哲学にならない。クセノファネスは、人間に似た神々を否定したうえで、積極的な神概念を提示した。断片B23-B26がそれである:
"神々と人間たちのうちで最も偉大なる唯一の神、身体においても思考においても死すべきものども(人間)とはまったく似ていない。" ── クセノファネス断片B23(クレメンス・アレクサンドリアの『ストロマテイス』第5巻109章1節)
この神は、全体として見、全体として思考し、全体として聴く(B24)。思考の力だけで、労せずして万物を揺り動かす(B25)。常に同じ場所にとどまり、少しも動かない(B26)。ホメロスの神々が人間と同じように走り、怒り、嫉妬し、浮気するのとは対照的に、クセノファネスの神は非人間的・非物質的・非運動的である。
学術的に議論が分かれるのは、これが厳密な一神教(モノセイズム)か、それとも単一神教(ヘノセイズム、一つの最高神を認めつつ他の神々の存在を否定しない)かという点だ。B23の「神々と人間たちのうちで(ἔν τε θεοῖσι καὶ ἀνθρώποισι)」という表現は、複数の「神々」の存在を前提としているようにも読める。レシャー(1992)はこの点を重視し、クセノファネスの立場は厳密な一神教ではなく「主神論」に近いと論じている。
一方、バーンズ(1979)はこの表現を叙事詩的な慣用句として退け、実質的な一神論と解釈する。
いずれの解釈を取るにせよ、クセノファネスの神は、後のパルメニデスの「存在(ト・エオン、不動、不変、一なるもの)」と構造的に類似しており、プラトンのイデア論やアリストテレスの「不動の動者」を経て、キリスト教神学やイスラーム哲学における唯一神の概念にまで流れ込む壮大な知的系譜の出発点のひとつである。
3. 知の限界── 「確実な真理は誰にも分からない」
クセノファネスの最も哲学的に深い洞察は、断片B34に凝縮されている:
"神々について、また私が語るすべての事柄について、確実な真理(τὸ σαφές / ト・サペス)を知った者は、かつていなかったし、これからもいないだろう。たとえ偶然に完全な真理を語ったとしても、本人はそれを知らない。なぜなら、万事に対して見かけ(δόκος / ドコス)が支配しているからだ。" ── クセノファネス断片B34(セクストス・エンペイリコス『学者たちへの反論』第7巻49節、およびプルタルコス『食卓談義』第9巻746B)
この断片は、西洋認識論の歴史における最も重要な宣言のひとつである。ここで注意すべきは三つのポイントだ。
第一に、対象の限定なき普遍性。「神々について」だけでなく「私が語るすべての事柄について」と言っている。つまり認識の限界は、宗教的知識だけでなくあらゆる知識に及ぶ。自然哲学も、政治も、倫理も、人間が語ることはすべて「ドコス(見かけ・思いなし)」にすぎない。
第二に、偶然性の問題。「たとえ偶然に完全な真理を語ったとしても、本人はそれを知らない」。これは認識的正当化(エピステミック・ジャスティフィケーション)の問題の最古の定式化である。真なる命題を述べることと、それが真であることを知っていることとは別物だ、という洞察は、プラトンの『テアイテトス』における「知識=正当化された真なる信念」という定義の直接的な先駆であり、現代のゲティア問題(1963年、正当化された真なる信念は知識の十分条件ではない)にまで連なる。
第三に、積極的な探究の肯定との共存である。断片B18でクセノファネスはこう述べる:
"神々は初めから万事を死すべきものたちに示したのではない。しかし時間をかけて探し求めることで、人間はより良いものを見出す。" ── クセノファネス断片B18(ストバイオス『抜粋集』第1巻8章2節)
B34とB18を合わせて読めば、クセノファネスの認識論的立場は「絶対的真理は不可能だが、漸進的な改善は可能である」という可謬主義(ファリビリズム)に他ならない。これは近代科学の精神(理論は暫定的であり反証に開かれているが、探究を通じてより良い理論へと進歩しうる)と構造的に同一であり、カール・ポパーの科学哲学(『推測と反駁』1963年)の2500年前の先取りとさえ言える。ポパー自身、クセノファネスを「批判的合理主義の始祖」として高く評価している(ポパー「Back to the Presocratics」1958年講演、1963年出版)。
さらに注目すべきは断片B35である:
"これらのことは、真実に似たもの(ἐοικότα τοῖς ἐτύμοισι)として受け取られよ。" ── クセノファネス断片B35(プルタルコス『食卓談義』第9巻746B)
これはクセノファネスが自分自身の自然哲学的主張に対してもB34の認識論を適用していることを示す。「大地と水が根源である」「天体は燃える雲だ」。これらの自説もまた「確実な真理」ではなく「真実に似たもの」にすぎない、と彼は認めているのだ。自らの理論を絶対視しない自己言及的な知的謙虚さ。これは哲学史においてきわめて稀有な態度であり、後のソクラテスの「無知の知」やポパーの「反証可能性」に直結する精神である。
4. 自然哲学── 大地と水、化石と雲
クセノファネスの名声は宗教批判と認識論にあるが、彼は同時代のミレトス学派の自然哲学者たちと同様に、自然現象の合理的説明も試みた。
断片B29によれば、「万物は大地から生じ、大地へと帰る」。断片B33では「われわれはすべて大地と水から生まれた」とされる。ヒッポリュトス(『全異端反駁』第1巻14章)の証言によれば、クセノファネスは大地と水を万物の二つの根源とした。これはタレスの「水」やアナクシメネスの「空気」に比べると二元的であり、後のエンペドクレスの四元素説への橋渡し的な位置にある。
とりわけ注目すべきは、クセノファネスの化石への注目である。ヒッポリュトスの同じ証言によれば、クセノファネスはシュラクサイの石切り場で貝殻の化石を、パロス島で月桂樹の葉の化石を、マルタ島で海洋生物の化石を発見し、これらを根拠として大地はかつて海に覆われていたと推論した。そして大地は再び泥の中に沈み、人類は滅亡し、やがて泥が乾いてふたたび人類が生まれるという周期的な地球史を構想した。化石を「かつての海の証拠」として読む。この推論方法は、地質学的思考の最も早い事例のひとつである。
気象現象についても、クセノファネスは合理的説明を試みた。アエティオスの証言によれば、太陽・月・星々はすべて「燃えている雲」(海から蒸発した水分が上空で集まり発火したもの)であるとした。太陽は毎日新しく生じ(断片B31-32の証言)、虹もまた「色のついた雲」にすぎないとした(断片B32)。「聖エルモの火」として知られる船上の発光現象(セント・エルモの火)も小さな雲の発光として説明した。すべてを「水の蒸発→雲の形成→発火」という統一的なプロセスで説明しようとした点は、ミレトス学派の一元的説明への志向と軌を一にしている。
5. 社会批判── 知恵は競技の勝利より価値がある
クセノファネスの批判精神は、宗教と自然にとどまらず、ギリシャ社会の価値観そのものにも向けられた。まず、最長の現存断片である断片B1は、クセノファネスが理想とするシンポジオン(酒宴)の姿を描く。そこでは床は清潔に掃かれ、杯は清められ、花冠と香油が用意される。しかし重要なのは、そのシンポジオンで語られるべき内容だ。「ティタン族や巨人族やケンタウロスの戦い」という神話的フィクションではなく、「神々への敬虔と正しい行い」が語られるべきだ、とクセノファネスは主張する。つまり、シンポジオンという文化空間そのものを、ホメロス的な娯楽から知的・倫理的な探究の場へと変革しようとしたのである。
さらに断片B2は、古代ギリシャにおける知識人の最も早い「社会的立場表明」である:
"たとえオリュンピアで足の速さや五種競技や相撲で勝利を得たとしても、それゆえに都市国家がよりよく統治されるわけではない。市民がよき知恵(σοφίη / ソフィエー)を持つことこそが、都市の財政を満たすのだ。" ── クセノファネス断片B2(アテナイオス『食卓の賢人たち』第10巻413F-414C)
古代ギリシャにおいてオリュンピアの競技会の勝者は英雄として崇められ、故郷の都市国家から終身の特権(食事の供与、最前列の席など)を与えられた。クセノファネスはこの風潮を真っ向から批判し、身体的卓越さよりも知的な卓越さ(ソフィア)のほうが都市国家にとって有益だと主張した。
この主張は、プラトンの「哲人王」思想(『国家』第5-7巻)の先駆であり、同時に「知識人は社会に対してどのような責任を負うのか」という問い(現代の公共知識人論やSTEM教育論にまで連なる)の最も古い表明でもある。
主要著作ガイド
クセノファネスの著作は韻文で書かれ、断片として約40が現存する(DK 21 B1-B45)。以下は彼の思想を復元するための文献ガイドである。
- ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』第9巻18-20節(加来彰俊訳、岩波文庫)── クセノファネスの生涯と業績の簡潔な伝記的概要。エレア学派との関係についての古代の見方を知る出発点。
- 廣川洋一『ソクラテス以前の哲学者』(講談社学術文庫、1997年)── クセノファネスの擬人化批判と認識論を日本語で平易に解説する。
- G.S. Kirk, J.E. Raven, M. Schofield『The Presocratic Philosophers』2nd ed., Cambridge UP, 1983, Ch.5(邦訳:内山勝利他訳『ソクラテス以前の哲学者たち』京都大学学術出版会)── クセノファネスの全断片・全証言を原典批判的に検討する。B34の認識論的解釈について最も詳細な議論を提供する。
- J.H. Lesher『Xenophanes of Colophon: Fragments』, University of Toronto Press, 1992 ── クセノファネス研究の決定版。全断片の英訳・注釈・哲学的解説を収録。一神論か単一神教かの論争について最も精密な分析を提供する。
- K. Popper「Back to the Presocratics」(1958年講演、『推測と反駁』1963年所収)── ポパーがクセノファネスの認識論を近代科学哲学の文脈で再評価した記念碑的論文。
主要な批判と論争
1. ヘラクレイトスの嘲笑(同時代):エフェソスのヘラクレイトスは、クセノファネスを「博識(ポリュマティエー)」の代表として名指しで批判した(断片B40)。ヘラクレイトスにとって、幅広い知識の蓄積は真の知恵(ソフィア)ではなく、「多くを学ぶこと(ポリュマティエー)は知性(ヌース)を教えない」のである。クセノファネスの放浪的・百科全書的な知のあり方と、ヘラクレイトスの深い一つのロゴスへの集中は、「知の幅」と「知の深さ」の対立として興味深い。
2. アリストテレスの冷淡な評価(後世):アリストテレスは『形而上学』第1巻5章(986b21-27)でクセノファネスに言及するが、彼が「全体の天を見渡して一なるものが神であると言った」と紹介したうえで、「何も明確にしなかった(οὐθὲν διεσαφήνισεν)」と評し、「これらの者たちの本性のいずれにも触れていないように見える」と判断している。パルメニデスが「理(ロゴス)に即した一」に到達したのに対し、クセノファネスの「一」は論理的に不明確だった、というのがアリストテレスの見方である。この評価は、論理的厳密性を重視するアリストテレスが、クセノファネスの詩的・修辞的な哲学スタイルを低く見たことを反映している。
しかし、哲学が論理的厳密性だけでなく文化批判・社会批評・認識論的謙虚さをも含むべきだとすれば、アリストテレスの評価基準そのものが問い直される。
3. 「エレア学派の祖」問題(古代〜現代):プラトンは「クセノファネス
4. B34の解釈
影響えいきょう と遺産いさん
先行
パルメニデス
ソクラテス
古代
近代
科学
現代げんだい への接続せつぞく
クセノファネス
第
「あなたが見
第
第
読者どくしゃ への問と い
- あなたが「当然
とうぜん 」「自然しぜん 」「正ただ しい」と感かん じている価値かち 観かん や信念しんねん のなかに、実じつ は自分じぶん 自身じしん の文化ぶんか ・立場たちば ・経験けいけん の投影とうえい にすぎないものはないか。クセノファネスΞενοφάνης の目め で見み つめ直なお してみよ。 - 「確実
かくじつ な真理しんり は分わ からない」(B34)と「探究たんきゅう によってより良よ いものを見出みだ せる」(B18)──この二ふた つは矛盾むじゅん するか、それとも両立りょうりつ するか。あなたの仕事しごと や学まな びにおいて、この二ふた つをどう両立りょうりつ させているか。 - クセノファネス
Ξενοφάνης はオリュンピアの競技きょうぎ 者しゃ よりも知恵ちえ ある者もの を讃たた えるべきだと主張しゅちょう した。現代げんだい 社会しゃかい でも、スポーツ選手せんしゅ やエンターテイナーの報酬ほうしゅう が科学かがく 者しゃ や教育きょういく 者しゃ の報酬ほうしゅう を大おお きく上回うわまわ る。この格差かくさ は正当せいとう か。クセノファネスΞενοφάνης ならどう論ろん じるか。 - クセノファネス
Ξενοφάνης は「確実かくじつ な真理しんり は分わ からない」と述の べたうえで、自分じぶん 自身じしん の学説がくせつ にもその原則げんそく を適用てきよう した(B35)。私わたし たちは自分じぶん の信念しんねん や主張しゅちょう に対たい しても、同おな じ謙虚けんきょ さを保たも てているだろうか。
名言めいげん (出典しゅってん つき)
"もし牛うし や馬うま やライオンが手て を持も ち、手て で絵え を描えが き作品さくひん を作つく ることができたなら、馬うま は馬うま の姿すがた に、牛うし は牛うし の姿すがた に、それぞれ自分じぶん の体からだ に似に せて神々かみがみ の姿すがた を描えが くだろう。" ── 断片だんぺん B15(クレメンス・アレクサンドリアClemens Alexandrinus の『ストロマテイスΣτρωματεῖς 』第だい 5巻かん 109章しょう 3節せつ )。擬人ぎじん 化か 批判ひはん の核心かくしん 。西洋せいよう 宗教しゅうきょう 批判ひはん の出発しゅっぱつ 点てん とされる最もっと も有名ゆうめい な一節いっせつ 。
"確実かくじつ な真理しんり を知し った者もの は、かつていなかったし、これからもいないだろう。たとえ偶然ぐうぜん に完全かんぜん な真理しんり を語かた ったとしても、本人ほんにん はそれを知し らない。万事ばんじ に対たい して見み かけが支配しはい しているからだ。" ── 断片だんぺん B34(セクストス・エンペイリコスSextus Empiricus 『学者たちへの反論Adversus Mathematicos 』第だい 7巻かん 49節せつ )。可謬かびゅう 主義しゅぎ の最古さいこ の宣言せんげん 。ポパーPopper が「批判ひはん 的てき 合理ごうり 主義しゅぎ の始祖しそ 」と評ひょう した認識にんしき 論ろん の礎石そせき 。
"神々かみがみ は初はじ めから万事ばんじ を死し すべきものたちに示しめ したのではない。しかし時間じかん をかけて探さが し求もと めることで、人間にんげん はより良よ いものを見出みいだ す。" ── 断片だんぺん B18(ストバイオスΣτοβαῖος 『抜粋集Ἀνθολόγιον 』第だい 1巻かん 8章しょう 2節せつ )。B34の懐疑かいぎ を補完ほかん する「知ち の進歩しんぽ への信頼しんらい 」。可謬かびゅう 主義しゅぎ と漸進ぜんしん 的てき 改善かいぜん の統合とうごう 。
"神々かみがみ と人間にんげん たちのうちで最もっと も偉大いだい なる唯一ゆいいつ の神かみ 、身体しんたい においても思考しこう においても死し すべきものどもとはまったく似に ていない。" ── 断片だんぺん B23(クレメンス・アレクサンドリアClemens Alexandrinus の『ストロマテイスΣτρωματεῖς 』第だい 5巻かん 109章しょう 1節せつ )。哲学てつがく 的てき 一いち 神かみ 論ろん の最古さいこ の表明ひょうめい 。非ひ 擬人ぎじん 的てき な神かみ 概念がいねん の出発しゅっぱつ 点てん 。
"これらのことは、真実しんじつ に似に たものとして受う け取と られよ。" ── 断片だんぺん B35(プルタルコスΠλούταρχος 『食卓談義Quaestiones Convivales 』第だい 9巻かん 746B)。自みずか らの理論りろん にも可謬かびゅう 主義しゅぎ を適用てきよう する、哲学てつがく 史上しじょう きわめて稀有けう な自己じこ 言及げんきゅう 的てき 謙虚けんきょ さの表明ひょうめい 。
参考さんこう 文献ぶんけん
- (断片
だんぺん と証言しょうげん ):H. Dielsディールス & W. Kranzクランツ 編へん 『ソクラテスΣωκράτης 以前いぜん の哲学てつがく 者しゃ たちの断片だんぺん (Die Fragmente der Vorsokratikerディー・フラグメンテ・デア・フォアゾクラティカー )』第だい 1巻かん 、クセノファネスΞενοφάνης の章しょう (DK 21)。断片だんぺん B1-B45および全ぜん 証言しょうげん (A篇へん )を収録しゅうろく 。 - (断片
だんぺん 新版しんぱん ):A. Laksラクス & G.W. Mostモスト 編へん 『Early Greek Philosophy初期ギリシャ哲学 』(Loeb Classical Library 524-532, Harvard UP, 2016)── DK に代か わる新しん 標準ひょうじゅん 版ばん 。全ぜん 断片だんぺん ・証言しょうげん を原文げんぶん ・英訳えいやく 対照たいしょう で収録しゅうろく 。 - (証言
しょうげん ):アリストテレスἈριστοτέλης 『形而上学Τὰ μετὰ τὰ φυσικά 』第だい 1巻かん 5章しょう (986b18-27、出隆いでたかし 訳やく 、岩波いわなみ 文庫ぶんこ );プラトンΠλάτων 『ソフィストΣοφιστής 』242d ;セクストス・エンペイリコスSextus Empiricus 『学者たちへの反論Adversus Mathematicos 』第だい 7巻かん 49節せつ , 第だい 9巻かん 193節せつ 。 - (伝記
でんき ):ディオゲネス・ラエルティオスDiogenes Laërtius 『ギリシア哲学者列伝Βίοι φιλοσόφων 』第だい 9巻かん 18-20節せつ (加来かく 彰俊あきとし 訳やく 、岩波いわなみ 文庫ぶんこ )。 - (決定
けってい 版ばん 研究けんきゅう ):J.H. Lesherレシャー 『Xenophanes of Colophon: Fragmentsコロポンのクセノファネス:断片集 』, University of Toronto Press, 1992 ── クセノファネスΞενοφάνης の全ぜん 断片だんぺん を注釈ちゅうしゃく つきで検討けんとう する決定けってい 版ばん モノグラフmonograph 。一いち 神かみ 論ろん /単たん 一神教いっしんきょう の論争ろんそう やB34の認識にんしき 論ろん 的てき 解釈かいしゃく について最もっと も精密せいみつ な分析ぶんせき を提供ていきょう する。 - (標準
ひょうじゅん 研究けんきゅう ):G.S. Kirkカーク , J.E. Ravenレイヴン , M. Schofieldスコフィールド 『The Presocratic Philosophersソクラテス以前の哲学者たち 』2nd ed., Cambridge UP, 1983, Ch.5(邦訳ほうやく :内山うちやま 勝利かつとし 他た 訳やく 『ソクラテス以前の哲学者たちThe Presocratic Philosophers 』京都大きょうとだい 学がく 学術がくじゅつ 出版しゅっぱん 会かい )── クセノファネスΞενοφάνης の断片だんぺん と証言しょうげん を厳密げんみつ に検討けんとう する標準ひょうじゅん 参考さんこう 書しょ 。 - (概説
がいせつ ):廣川ひろかわ 洋一よういち 『ソクラテス以前の哲学者The Presocratic Philosophers 』(講談社こうだんしゃ 学術がくじゅつ 文庫ぶんこ 、1997年ねん )── 日本語にほんご で読よ める定評ていひょう のある入門にゅうもん 概説がいせつ 。クセノファネスΞενοφάνης の位置いち づけを明快めいかい に整理せいり 。 - (科学
かがく 哲学てつがく からの再さい 評価ひょうか ):K. Popperポパー 「Back to the Presocratics」(1958年ねん 講演こうえん 、『Conjectures and Refutations推測と反駁 』1963年ねん 所収しょしゅう )── クセノファネスΞενοφάνης を批判ひはん 的てき 合理ごうり 主義しゅぎ の先駆せんく 者しゃ として再さい 評価ひょうか した記念きねん 碑ひ 的てき 論文ろんぶん 。 - (認識
にんしき 論ろん の先駆せんく 的てき 研究けんきゅう ):H. Fränkelフランケル 「Xenophanesstudien」(1925年ねん 、後ご に『Dichtung und Philosophie des frühen Griechentums初期ギリシャ世界の詩と哲学 』1962年ねん に改訂かいてい 収録しゅうろく )── B34の認識にんしき 論ろん 的てき 解釈かいしゃく を初はじ めて精密せいみつ に分析ぶんせき した記念きねん 碑ひ 的てき 論文ろんぶん 。現代げんだい のクセノファネスΞενοφάνης 研究けんきゅう の出発しゅっぱつ 点てん 。 - (近年
きんねん の再さい 評価ひょうか ):P. Curdカード & D.W. Grahamグラハム 編へん 『The Oxford Handbook of Presocratic Philosophyオックスフォード・ハンドブック:ソクラテス以前の哲学 』, Oxford UP, 2008 ── 初期しょき ギリシャ哲学てつがく の最新さいしん 研究けんきゅう を網羅もうら する論文ろんぶん 集しゅう 。クセノファネスΞενοφάνης の認識にんしき 論ろん と神学しんがく に関かん する複数ふくすう の論考ろんこう を含ふく む。