いかりをかんじたことのない人間にんげんはいない。満員まんいん電車でんしゃあしまれてもあやまりもしない。上司じょうし理不尽りふじんなことをわれる。SNSエスエヌエス見知みしらぬだれかに罵倒ばとうされる。そのときむねおくあついものがこみげ、こぶしにぎられ、かえしたくなる。セネカSeneca紀元後きげんご41ねんごろいた『いかりについて』(De Iraデ・イーラー)は、まさにその瞬間しゅんかんあつかっている。いかりとはなにか。なぜきるのか。そして、どうすればめられるのか。

このいがセネカSenecaにとって切実せつじつだった理由りゆうは、かれきた時代じだいればわかる。皇帝こうていカリグラCaligulaらない元老げんろういん議員ぎいん晩餐ばんさんかいのさなかに処刑しょけいさせた。いかりにられた権力けんりょくしゃがどれほどの破壊はかいらすか、セネカSeneca間近まぢかてきた。カリグラCaligula自身じしんころされかけてもいる。いかりは、セネカSenecaにとって教室きょうしつ議題ぎだいではなく、いのちかかわる問題もんだいだった。

いかりについて』はぜん3かんからなる。だい1かんではいかりの本性ほんせい定義ていぎし、だい2かんではいかりの発生はっせい過程かてい三段階さんだんかい分解ぶんかいして予防よぼうほうき、だい3かんではすでにしょうじたいかりをいかにしずめるかの実践じっせんてき技法ぎほう提示ていじする。哲学てつがくしょでありながら、同時どうじ治療ちりょう手引てびきでもある。えたとき、いかりの仕組しくみがけてえるようになるかもしれない。それだけではいかりはえないが、まれるまえまることはできるようになるだろう。

原著げんちょ三巻さんかん構成こうせい沿って、いかりをめぐるセネカSeneca議論ぎろんってみよう。定義ていぎから診断しんだんへ、診断しんだんから処方しょほうせんへ。すすめるうちにえてくるのは、2000ねんまえのこのテキストtextが、現代げんだい認知にんち行動こうどう療法りょうほうあつか構造こうぞうおどろくほどかさなっているという事実じじつだ。そしてもうひとつ。いかりの処方しょほうせんいたこの哲学者てつがくしゃは、のちに暴君ぼうくんネロNeroとなり、自分じぶんいましめたいかりのうずまれていく。処方しょほうせんいた医者いしゃが、やがて患者かんじゃになる。その皮肉ひにくも、この書物しょもつ一部いちぶだ。

この記事きじ要点ようてん

  • いかりは「一時的いちじてき狂気きょうき」であり、理性りせい両立りょうりつしないセネカSenecaアリストテレスAristotelēsの「適度てきどいかりは有益ゆうえき」という主張しゅちょう全面ぜんめんてき退しりぞける。いかりはりょう問題もんだいではなくしつ問題もんだいであり、少量しょうりょうでもどくどくだ。セネカSeneca間近まぢか暴君ぼうくんカリグラCaligulaいが、この確信かくしん裏打うらうちしている。
  • いかりの三段階さんだんかいモデルmodel──刺激しげき判断はんだん暴走ぼうそう外的がいてき刺激しげきによる不随意ふずいい身体しんたい反応はんのう第一だいいち運動うんどう)、「不当ふとうだ」という判断はんだんへの同意どうい第二だいに段階だんかい)、理性りせい圧倒あっとうする制御せいぎょ不能ふのう激情げきじょう第三だいさん段階だんかい)。歯止はどめをかけられるのは第二だいに段階だんかいだけであり、現代げんだい認知にんち行動こうどう療法りょうほうもまったくおなじことをっている。
  • 具体ぐたいてき治療ちりょう技法ぎほう宝庫ほうこかがみ自分じぶんいかったかおること、遅延ちえん(「まずて」)の技術ぎじゅつ毎晩まいばん自己じこ省察せいさつセネカSenecaだい3かん列挙れっきょする処方しょほうせんは、抽象ちゅうしょうろんではなく明日あすあさからためせる実践じっせんである。

書物しょもつ基本きほん情報じょうほう

  • 著者ちょしゃルキウス・アンナエウス・セネカLucius Annaeus Seneca紀元前きげんぜん4ねんごろ65ねん
  • 成立せいりつ年代ねんだい紀元後きげんご41ねんごろクラウディウスClaudiusてい治世ちせい初期しょきカリグラCaligula暗殺あんさつ直後ちょくご時期じき異説いせつあり)
  • ジャンルgenre哲学てつがく対話たいわへん対話たいわたい道徳どうとく論文ろんぶん実際じっさいにはほぼ独白どくはく形式けいしきで、あにノウァトゥスNovatus(のちのガッリオGallio)にてたもの)
  • 原題げんだいDe Iraデ・イーラーぜん3かん
  • 主要しゅよう邦訳ほうやく兼利かねとし琢也たくややくいかりについて 他一篇いっぺん岩波いわなみ文庫ぶんこ
  • 英訳えいやくR. A. KasterR. A. カスター & M. C. NussbaumM. C. ヌスバウムeds.), Seneca: Anger, Mercy, Revengeセネカ:怒り、慈悲、復讐, University of Chicago Pressシカゴ大学出版局, 2010

目次もくじマップmap

  • だい1かんいかりとはなに──いかりの定義ていぎアリストテレスAristotelēsとの論争ろんそういかりの破壊はかいせい実例じつれい(I.1〜I.21)
  • だい2かんいかりの発生はっせいメカニズムmechanism予防よぼう──三段階さんだんかいモデルmodelいかりやすい性格せいかく分析ぶんせき原因げんいん除去じょきょ(II.1〜II.36)
  • だい3かんいかりの治療ちりょう──身体しんたいてき制御せいぎょ遅延ちえん技術ぎじゅつゆるしの論理ろんりかがみよる省察せいさつ人生じんせいみじかさ(III.1〜III.43)

原著げんちょ目次もくじ沿った逐次ちくじ解説かいせつ

1. だい1かん──いかりの正体しょうたい(I.1〜I.21)

いかりほどおおくの都市としほろぼし、おおくの民族みんぞく奴隷どれいとし、おおくの国家こっか瓦解がかいさせた疫病えきびょうはない」(I.2.1)。冒頭ぼうとうからいきなりいかりの破壊はかいりょくたたきつけられる。セネカSenecaえがいかれる人間にんげん肖像しょうぞう生々なまなましい。血走ちばしったふるえるくちびるいしばるかおこぶしたたきつける。「そのかおよ」(I.1.3-4)。いかった人間にんげんかおけものている、とセネカSenecaう。抽象ちゅうしょうてき議論ぎろんではなく、いかった人間にんげんみにくさを直接ちょくせつえがいている。

核心かくしん議論ぎろんだい1かん前半ぜんはん展開てんかいされる定義ていぎ論争ろんそうだ。セネカSenecaいかりを「不正ふせいけた(あるいはけたとおもんだ)ことへの報復ほうふく欲求よっきゅう」と定義ていぎする(I.2.3b)。ポイントpointは「おもんだ」にある。実際じっさい不正ふせいおこなわれたかどうかは関係かんけいない。自分じぶんが「不当ふとうあつかわれた」と判断はんだんした瞬間しゅんかんいかりの導火線どうかせんがつく。

ここで見落みおとせないのが、セネカSenecaいかりを理性りせいてき存在そんざい固有こゆう現象げんしょう位置いちづけているてんだ(I.3)。野獣やじゅう凶暴きょうぼうにはなるが、いかりはしない。いかりには「不正ふせいけた」という判断はんだん必要ひつようであり、判断はんだん理性りせい機能きのうだからだ。おな理由りゆうで、幼児ようじ癇癪かんしゃく厳密げんみつ意味いみでのいかりではない。理性りせい十分じゅうぶん発達はったつしていなければ、「自分じぶん不当ふとうあつかわれた」という判断はんだんくだすことができない。セネカSenecaはさらに、いかりと類似るいじしながらもことなるものを区別くべつする(I.4)。好戦こうせんせいferitasフェリタース)は性格せいかく傾向けいこうであって判断はんだんふくまない。残忍ざんにんさ(saevitiaサエウィティア)は刑罰けいばつかいおぼえるやまいであり、いかりとはべつ悪徳あくとくだ。いかりが理性りせい前提ぜんていにしているという逆説ぎゃくせつ──理性りせいなしには成立せいりつしないのに、一度いちど成立せいりつすれば理性りせい破壊はかいする──が、この書物しょもつ全体ぜんたいつらぬく。

ここでセネカSenecaアリストテレスAristotelēs逍遥しょうよう学派がくは)と正面しょうめんからぶつかる。アリストテレスAristotelēsは『ニコマコスNicomachos倫理りんりがく』で「適切てきせつ状況じょうきょう適切てきせつ程度ていどいかることはとくである」とろんじていた(IV.5, 1125b-1126a)。不正ふせいてもいからない人間にんげん鈍感どんかんであり、いかりは行動こうどう原動力げんどうりょくになりうる、と。セネカSeneca反論はんろん鮮烈せんれつだ。いかりはりょう調節ちょうせつできる感情かんじょうではない。一度いちどがついたら自分じぶん意志いしすことはできない。「いかりを制御せいぎょするくらいなら、最初さいしょからほうがたやすい」(I.7.2)。いえのなかにれてから火加減ひかげん調節ちょうせつしようとするひとがいるだろうか。消防しょうぼう仕事しごと火事かじ管理かんりすることではなく、火事かじこさないことだ。

ここで見落みおとせないのは、セネカSenecaいかりを「一時的いちじてき狂気きょうき」(brevis insaniaブレウィス・インサーニア)とんでいることだ(I.1.2)。ローマRoma詩人しじんホラティウスHoratiusが『書簡しょかん』で使つかった言葉ことばまえた表現ひょうげんだが、セネカSenecaはこれを比喩ひゆではなく文字通もじどおりにる。狂人きょうじん自分じぶんくるっていることをらない。いかった人間にんげんおなじだ。自分じぶん行動こうどう正当せいとうだと確信かくしんしている。その確信かくしんこそがやまい症状しょうじょうだ、とセネカSenecaる。

逍遥しょうよう学派がくはは「いかりは兵士へいし戦意せんいたかめる」とも主張しゅちょうした。セネカSenecaはこれにもみつく(I.9-11)。いかりでたたか兵士へいし無謀むぼうになるだけだ。統制とうせいうしなった軍隊ぐんたい烏合うごうしゅうひとしい。蛮族ばんぞくいかりにまかせて突撃とつげきし、ローマRomaぐん規律きりつある陣形じんけい壊滅かいめつさせられた。勇気ゆうきいかりはべつのものだ、とセネカSenecaる。勇気ゆうき理性りせいしたがい、いかりは理性りせいみにじる。

だい1かん後半こうはん(I.12〜I.21)では、いかりの破壊はかいりょく歴史れきしてき実例じつれいたたみかける。ペルシアPersiaおうカンビュセスCambysēsったいかりのなかで友人ゆうじん息子むすこ心臓しんぞう射抜いぬいた(I.15)。アレクサンドロスAlexandros大王だいおう宴席えんせき最愛さいあいともクレイトスKleitosやりころし、いがめてから絶叫ぜっきょうした(I.17)。いかりにゆだねた瞬間しゅんかんひとかえしのつかないことをする。後悔こうかいかならずやってくるが、行為こういもどせない。セネカSenecaがこれらの事例じれいげるのは、論証ろんしょうのためだけではない。読者どくしゃこころ恐怖きょうふきざみたかったのだろう。いかりを許容きょようすることが、どこにきつくか、ということを。

ローマRoma将軍しょうぐんピソPiso逸話いつわ背筋せすじさむくなる(I.18)。ピソPiso休暇きゅうかから同僚どうりょうなしに帰還きかんした兵士へいしを、同僚どうりょうころしたとだんじて処刑しょけいめいじた。ところが処刑しょけい直前ちょくぜん行方ゆくえ不明ふめいだった同僚どうりょう無事ぶじかえってきた。百人ひゃくにん隊長たいちょう処刑しょけい中止ちゅうしし、三人さんにんをそろえてピソPisoのもとにかえった。慈悲じひ期待きたいしてのことだ。ところがピソPiso激怒げきどし、三人さんにん全員ぜんいん処刑しょけいめいじた。最初さいしょ兵士へいしもとつみで、百人ひゃくにん隊長たいちょう命令めいれい違反いはんで、そしてきてかえった同僚どうりょうは「二人ふたり処刑しょけい原因げんいんつくった」つみで。無実むじつ証明しょうめいされたにもかかわらず、いかりはみっつのあたらしいつみ捏造ねつぞうした。いかりは反証はんしょうされると、えるのではなく、さらに凶暴きょうぼうになる。ここにセネカSenecaいかりの「制御せいぎょ」をしんじない根拠こんきょがある。

2. だい2かん前半ぜんはん──三段階さんだんかいモデルmodel(II.1〜II.6)

だい1かんが「いかりはあくである」という診断しんだんだったとすれば、だい2かんは「いかりはどう発生はっせいするか」の解剖かいぼうはいる。このかん本書ほんしょ核心かくしんだろう。

まずセネカSeneca根本こんぽん問題もんだいむ──いかりは人間にんげん本性ほんせいぞくするのか(II.1-4)。いかりが自然しぜんなものであれば制御せいぎょ困難こんなんであり、後天こうてんてきなものであれば除去じょきょ可能かのうだ。セネカSenecaこたえは明快めいかいだ。いかりは自然しぜんはんする。なぜなら自然しぜん人間にんげん相互そうご扶助ふじょのためにつくり、いかりは相互そうご破壊はかいかうからだ。反論はんろんる──「しかしいかりはいたるところにあるではないか。自然しぜんでなくてなにか」。セネカSenecaかえす。悪徳あくとくひろられるからといって自然しぜんとはかぎらない。やまい蔓延まんえんするが、やまい自然しぜんだとはだれわない。このいをかたづけたうえで、セネカSenecaいかりの発生はっせいメカニズムmechanism解剖かいぼうはいる。

セネカSenecaいかりの発生はっせいみっつの段階だんかいける(II.4.1)。第一だいいち段階だんかい──外的がいてき刺激しげき不随意ふずいい身体しんたい反応はんのうprimus motusプリームス・モートゥス第一だいいち運動うんどう)をこす。かお紅潮こうちょうする、こえがる、血圧けつあつがる。たとえば電車でんしゃあしまれたとき、カッかっ身体からだあつくなるあの瞬間しゅんかんだ。これは意志いしとは無関係むかんけいきる反射はんしゃであり、いかりそのものではない。たかいところからしたのぞいてあしすくむのとおなじで、めようがない。

第二だいに段階だんかい──理性りせいが「自分じぶん不当ふとうあつかわれた、報復ほうふくすべきだ」という判断はんだんくだし、それに「同意どうい」(assensusアッセンスス)する。わかりやすくえば、「あいつがあいつがわるい、ゆるせない」と自分じぶんかせる瞬間しゅんかんだ。ここではじめていかりがいかりになる。決定けっていてき重要じゅうようなのは、この同意どうい自動じどうてきではない、ということだ。同意どうい保留ほりゅうする余地よちがある。「あのひとわたし侮辱ぶじょくした」という印象いんしょうたいして、「本当ほんとうにそうか?」とかえ一瞬いっしゅん隙間すきま。その隙間すきまセネカSenecaはすべてをける。

第三だいさん段階だんかい──同意どういあたえてしまえば、感情かんじょう理性りせい圧倒あっとうし、制御せいぎょ不能ふのう暴走ぼうそうはいる。こうなったら手遅ておくれだ。濁流だくりゅうまれた人間にんげんが「ここでまろう」とめることはできない。だからこそ、介入かいにゅうすべきは第二だいに段階だんかいなのだ。かわ上流じょうりゅうせきめるのであって、氾濫はんらんしたあとみずすのではない。

現代げんだい認知にんち行動こうどう療法りょうほうCBTシービーティー)は、おな構造こうぞう実験じっけん臨床りんしょう裏付うらづけた。出来事できごと刺激しげき)→認知にんち解釈かいしゃく)→感情かんじょう反応はんのう)。感情かんじょうえたければ、認知にんち解釈かいしゃく仕方しかた)をえよ。セネカSeneca実験じっけんしつわりに宮廷きゅうていで、おな構造こうぞうづいていた。

3. だい2かん中盤ちゅうばん──いかりやすさの原因げんいん分析ぶんせき(II.7〜II.22)

三段階さんだんかいモデルmodel提示ていじしたあとセネカSenecaはなぜひといかりやすくなるのかを分析ぶんせきする。いかりの原因げんいんそとにあるのではなく、がわ条件じょうけんにある、というのがセネカSeneca見立みたてだ。

柔弱にゅうじゃくさ」(mollitiaモッリティア)がまずげられる。あまやかされてそだったもの些細ささいなことでいかる。不便ふべん不快ふかいえる訓練くんれんていないからだ(II.21.6)。もうひとつの原因げんいんが「過大かだい自己じこ評価ひょうか」(aestimatio suiアエスティマーティオー・スイー)だ。自分じぶん特別とくべつあつかいをけるべきだ、としんじている人間にんげんは、普通ふつうあつかいを侮辱ぶじょくかんじる。レストランrestaurant料理りょうりおそいだけで激昂げきこうするきゃく。あのいかりの正体しょうたいは「たされるべきではない人間にんげんだ」という肥大ひだいした自己じこぞうにある。

セネカSeneca列挙れっきょするいかりの原因げんいんはさらにつづく(II.10-17)。「猜疑さいぎしん」──友人ゆうじん何気なにげない言葉ことばうら意味いみみ、侮辱ぶじょくさが人間にんげん。「忘恩ぼうおん」──おんほどこした相手あいて感謝かんしゃしないことへのいかり。「野心やしん」──自分じぶん昇進しょうしんしなかったのは不当ふとうだ、という確信かくしん共通きょうつうするのは、いかりの本当ほんとう原因げんいんそと出来事できごとではなく、出来事できごと投影とうえいされる自分じぶん期待きたい前提ぜんていにあるという洞察どうさつだ。セネカSenecaはまた、「いそがしすぎる人間にんげん」がいかりやすいと指摘してきする(II.12)。多忙たぼう精神せいしん余裕よゆううばい、ささいな障害しょうがいおおきないかりにける。政務せいむわれる高官こうかんがわずかな遅延ちえんにも激怒げきどするのは、いかりっぽい性格せいかくのせいではなく、余裕よゆうのない状況じょうきょうのせいだ。

身体しんたい条件じょうけん見逃みのがせない。「疲労ひろう空腹くうふく飲酒いんしゅ不眠ふみん」(II.19-20)がいかりの閾値いきちげる。セネカSenecaいかりを純粋じゅんすい精神せいしんてき問題もんだいとしてではなく、身体しんたい環境かんきょう条件じょうけんとの相互そうご作用さようとしてとらえている。寝不足ねぶそくあさ些細ささいなことでいかりが爆発ばくはつした経験けいけんのあるひとなら、この観察かんさつみょう生々なまなましい。

4. だい2かん後半こうはん──予防よぼう技術ぎじゅつ(II.22〜II.36)

原因げんいんがわかれば予防よぼうができる。セネカSenecaだい2かん後半こうはんで、いかりを未然みぜんふせぐための具体ぐたいてき方策ほうさく展開てんかいする。

解釈かいしゃくうたがえ」。だれかに侮辱ぶじょくされたとかんじたとき、まず自分じぶん解釈かいしゃく検証けんしょうせよ。「あのひと本当ほんとうわたしきずつけようとしたのか? たん不注意ふちゅういだったのではないか? わたし過敏かびんなだけではないか?」(II.22.3)。現代げんだい心理しんり療法りょうほうでいう「認知にんち再構成さいこうせい」──つまり、出来事できごとそのものではなく、出来事できごとたいする自分じぶんかた点検てんけんする技術ぎじゅつだ。セネカSeneca実験じっけんデータdataなしに、おな構造こうぞう辿たどいていたことになる。

自分じぶんよわさをれ」。いかりやすい人間にんげんは、いかりを刺激しげきする状況じょうきょうけろ。騒々そうぞうしい場所ばしょ不快ふかい相手あいて疲労ひろうした状態じょうたいでの重要じゅうよう会話かいわ。「空腹くうふくかわきがあるときに論争ろんそうしてはならない」(II.20.2)。さけんだ状態じょうたい夫婦ふうふ喧嘩げんかをすればかえしがつかないことになる。2000ねんまえからわらないはなしではある。

どもの教育きょういくにもふでおよぶ(II.21)。幼少ようしょうから忍耐にんたい節制せっせいおしえよ。あまやかしすぎればいかりっぽい大人おとなができる。けばなんでもはいるとまなんだどもは、大人おとなになってもいかりで世界せかいうごかそうとする。

つきあう相手あいて選択せんたくにもセネカSenecaむ(II.25)。いかりっぽい人間にんげんそばにいれば、いかりは伝染でんせんする。おだやかな人間にんげんごせ。陰気いんき話題わだいけ、かるみものや音楽おんがく精神せいしんやわらげよ(II.20.4)。意志いしちからいかりをおさえつけるのではなく、いかりがきにくい環境かんきょうさきつくっておく。いわば精神せいしん環境かんきょう設計せっけいだ。根性こんじょうろんではなく、環境かんきょうろんだ。

5. だい3かん前半ぜんはん──すでにしょうじたいかりへの対処たいしょ(III.1〜III.15)

だい2かん予防よぼう医学いがくだったとすれば、だい3かん救急きゅうきゅう医療いりょうだ。すでにいかりがしょうじたとき、どうするか。

セネカSenecaはまず身体しんたいつうじた制御せいぎょほうしめす(III.9-10)。いかりをかんじたらこえひくくし、歩調ほちょうゆるめ、かお表情ひょうじょう意識いしきてきやわらげよ。こぶしにぎればいかりがし、ひらけばいかりがやわらぐ。身体しんたい姿勢しせい感情かんじょう作用さようする、とセネカSenecaかんがえる。友人ゆうじん役割やくわりにも言及げんきゅうがある(III.10)。いかりの最中さいちゅう信頼しんらいできる友人ゆうじんが「け」とこえをかけること。それ自体じたい治療ちりょうになりうる。ただし相手あいていかりの渦中かちゅうにいるときは正面しょうめんから反論はんろんするな、とセネカSenecaいましめる。いかりにいかりでおうじればあぶらそそぐだけだ。いかりがすこおさまるのをち、そのあとでおだやかにかたりかけよ。

セネカSenecaのもうひとつの処方しょほうせんは「遅延ちえん」(moraモラ)だ。「いかりの最大さいだい治療ちりょうやく時間じかんをおくことである」(III.12.4, 原文げんぶん:"Maximum remedium irae mora est")。いかりをかんじたら、行動こうどうするな。返事へんじくな。くちひらくな。時間じかんいかりのいきおいをぐ。10ぷんには馬鹿ばからしくおもえることが、いまこの瞬間しゅんかんいのちがけにおもえる。いかりは自分じぶんおおきさをらない。時間じかんは、いかりの実際じっさいおおきさをおしえてくれる。

この「まずて」は単純たんじゅんだが、あなどれない。SNSエスエヌエスいかりにまかせて投稿とうこうボタンbuttonした経験けいけんのあるひとなら、翌朝よくあさ後悔こうかいっているだろう。セネカSenecaもとめたのは、投稿とうこうボタンbuttonゆびのあいだに一拍いっぱく沈黙ちんもくはさむことだ。

相手あいて立場たちばけ」(III.12)も処方しょほうせんひとつだ。いかりは自分じぶんだけが被害ひがいしゃだという錯覚さっかくむ。だが相手あいてにも事情じじょうがある。「かれわかい。ゆるせ。彼女かのじょ無知むちだ。ゆるせ。かれっていた。ゆるせ」(III.24.2)。ゆるしは相手あいてのためではなく、自分じぶんこころどくからまもるためにある。

6. だい3かん中盤ちゅうばん──ゆるしの技術ぎじゅつ(III.16〜III.30)

だい3かん中盤ちゅうばんで、セネカSeneca個別こべつ技法ぎほうから視野しやひろげ、他者たしゃいかりへの対処たいしょと、いかりの根本こんぽん原因げんいんである人間にんげん不完全ふかんぜんさそのものにう。まずいかっている他者たしゃあつかかただ(III.16-18)。権力けんりょくしゃいかっているときには直接ちょくせつ対決たいけつするな。をそらし、娯楽ごらくあたえ、らせでやわらげよ。アウグストゥスAugustusてい腹心ふくしんアテノドロスAthenodōrosは、皇帝こうていに「いかりをかんじたらアルファベットalphabet最後さいごまでとなえてから行動こうどうせよ」と助言じょげんした(III.18)。ここにも「遅延ちえん」の原理げんりつらぬかれている。

つづいてセネカSenecaは、いかりをしずめるもっと根源こんげんてき方法ほうほうとしてゆるしの論理ろんり展開てんかいする(III.19-28)。侮辱ぶじょくけたとき、まず侮辱ぶじょく発信はっしんしゃ性質せいしつ吟味ぎんみせよ。「どもだ、ゆるせ。おんなだ、ゆるせ。命令めいれいされたのだ、ゆるせ。無知むちだった、ゆるせ」(III.24.2)。相手あいて弱者じゃくしゃなら寛大かんだいであれ。強者きょうしゃなら賢明けんめいであれ。対等たいとうものなら忍耐にんたいせよ(III.24.3)。このゆるしはよわさのあらわれではない。いかりというどくまないための知恵ちえだ。いかりをいだつづけることは、相手あいてばっするつもりで自分じぶんむしばむことだ。

この文脈ぶんみゃくセネカSeneca有名ゆうめい対比たいひす(III.25-28)。哲学者てつがくしゃデモクリトスDēmokritos人間にんげんおろかさをわらい、ヘラクレイトスHērakleitosいた。「我々われわれわる人間にんげんのあいだにんでいるのだ。くにはもうおそい。わらうべきだ」(III.28.1-2)。セネカSenecaわらがわつ。人間にんげん不完全ふかんぜんであり、あやまちをおかす。それはいかりの理由りゆうではなく、人間にんげん条件じょうけんそのものだ。不完全ふかんぜん存在そんざい完全かんぜんもとめるからいかるのであって、不完全ふかんぜんみにすればいかりのたれる。いかりを全面ぜんめん禁止きんしするのは非人間ひにんげんてきではないか──この反論はんろんセネカSenecaっている。だが退しりぞかない。裁判さいばんかんいかりなしに判決はんけつくだす。医者いしゃいかりなしに患部かんぶる(I.16)。正義せいぎ冷静れいせい理性りせい実行じっこうできるし、そうすべきだ。べつ著作ちょさく寛容かんようについて』(De Clementiaデ・クレメンティアー I.2.2)でセネカSenecaは「すべての人間にんげんゆるすことは残酷ざんこくだし、だれをもゆるさないことも残酷ざんこくだ」といた。ばつ必要ひつようだ。だがそのばついかりをぜるな。

7. だい3かん終盤しゅうばん──かがみよる省察せいさつ人生じんせいみじかさ(III.30〜III.43)

だい3かん後半こうはんいかりの些末さまつさへの自覚じかくうながす(III.29-35)。我々われわれいか理由りゆう大半たいはんるにらない。奴隷どれいみずをぬるくした、ガラスglassさかずきれた、寝台しんだい配置はいちらない。こうした些事さじいかるのは「神経しんけいしつ不幸ふこう人間にんげん特徴とくちょう」だとセネカSenecaる(III.35)。いかりの対象たいしょう吟味ぎんみすれば、ほとんどの場合ばあい、その対象たいしょういかりにあたいしない。

セネカSenecaかがみ道具どうぐとして使つかう(II.36, III.36)。いかりの最中さいちゅう自分じぶんかおかがみてみよ。ゆがんだ表情ひょうじょうがったまゆきつった口元くちもと。そのみにくさが冷水れいすいになる。「もしいかりのあいだかがみることができたなら、だれもがそれをみとめたくなくなるだろう」。自分じぶんかおたくない、という感覚かんかくいかりをぐ。

本書ほんしょのなかでもとく具体ぐたいてきなのが「よる省察せいさつ」だ(III.36)。セネカSeneca毎晩まいばん就寝しゅうしんまえ一日いちにち行動こうどうかえったと告白こくはくする。「今日きょうなおした悪癖あくへきなにか。どの欲望よくぼう抵抗ていこうしたか。どのてんくなったか」。これは自分じぶん断罪だんざいするためではなく、すこしでもくなるための点検てんけんだ。わかころ師事しじしたしんピュタゴラスPythagoras哲学者てつがくしゃソティオンSotionからいだこの習慣しゅうかんを、セネカSeneca自分じぶん生活せいかつのなかで実行じっこうつづけた。日記にっきとも懺悔ざんげとも自己じこコーチングcoachingともつかない、しずかな習慣しゅうかんだ。

最後さいごすうしょうでは、人生じんせいみじかさがあらためてされる(III.42-43)。かぎられた時間じかんいかりについやすのか。うたげせきさけをこぼされたことで一晩ひとばんじゅう不機嫌ふきげんでいるのか。「人生じんせいみじかい。いかりにくれているひまはない」。この一文いちぶんで、『いかりについて』は『人生じんせいみじかさについて』とむすぶ。時間じかん哲学てつがくいかりの哲学てつがくは、セネカSenecaのなかではひとつのものだった。

核心かくしん概念がいねん論証ろんしょう骨格こっかく

セネカSeneca議論ぎろんほねだけにすると、こうなる。

  • 前提ぜんてい1いかりは「不正ふせいけたという判断はんだん」にもとづく報復ほうふく欲求よっきゅうである
  • 前提ぜんてい2:その判断はんだんあやまりうる(実際じっさいには不正ふせいがなくてもいかりはきる)
  • 前提ぜんてい3いかりは一度いちど暴走ぼうそうすると制御せいぎょできない
  • 結論けつろんいかりは「制御せいぎょして利用りようする」ものではなく、「発生はっせいさせない」ものである
  • 方法ほうほう判断はんだんへの「同意どうい」を保留ほりゅうする(第二だいに段階だんかいへの介入かいにゅう

この骨格こっかくには飛躍ひやくがある。「いかりは制御せいぎょできない」という前提ぜんてい3は、アリストテレスAristotelēsみとめないところだ。適度てきどいかりを維持いじできる人間にんげんはいないのか? セネカSenecaは「いない」と断言だんげんする。しかしこれは経験けいけんてき主張しゅちょうであり、論理ろんりてき必然ひつぜんではない。ここに本書ほんしょ最大さいだい弱点じゃくてんがある。

背景はいけいにあるのは、ストアStoa根本こんぽん原理げんりアパテイアapatheia」(情念じょうねんからの解放かいほう)だ。誤解ごかいされやすいが、これは「なにかんじない冷血れいけつ人間にんげんになれ」という意味いみではない。ここでいう情念じょうねんpathosパトス)は、うつくしい景色けしき感動かんどうしたり友人ゆうじんいたんだりする自然しぜん感覚かんかくのことではない。あやまった判断はんだんもとづいて暴走ぼうそうするはげしい衝動しょうどうのことだ。いかり、恐怖きょうふ過度かど快楽かいらく過度かど悲嘆ひたん。これらは認知にんちゆがみからしょうじるのであって、感覚かんかく鋭敏えいびんさとはべつ問題もんだいだ。アリストテレスAristotelēs目指めざす「メトリオパテイアmetriopatheia」(情念じょうねん節度せつど)──つまりいかりを適度てきどたもつこと──と、ストアStoa目指めざす「アパテイアapatheia」──いかりをこそぎのぞくこと──は、出発しゅっぱつてんからしてちがう。いかりをりょう問題もんだいるか、しつ問題もんだいるか。セネカSenecaにとっていかりは「すこしならい」ものではなく、存在そんざいそのものがやまいなのだ。

主要しゅよう解釈かいしゃく論争ろんそう

1. いかりの全面ぜんめん否定ひていただしいかアリストテレスAristotelēsは「ふん」(不正ふせいたいする適度てきどいかり)をとくなした。セネカSenecaはこれを退しりぞけるが、現代げんだい道徳どうとく心理しんりがくヌスバウムNussbaumソロモンSolomonなど)はいかりの道徳どうとくてき機能きのうさい評価ひょうかしている。差別さべつ不正ふせいたいするいかりが社会しゃかい変革へんかく原動力げんどうりょくになった歴史れきし枚挙まいきょいとまがない。いかりを手放てばなしてこころ平穏へいおんる──個人こじんとしてはそれでいい。だが、社会しゃかい不正ふせいかうちからまで手放てばなしてしまわないか。

2. 三段階さんだんかいモデルmodelの「第一だいいち運動うんどう」はなに第一だいいち段階だんかい不随意ふずいい反応はんのうprimus motusプリームス・モートゥス)をセネカSenecaは「いかりの準備じゅんびであっていかりではない」とう。しかしストアStoa創設そうせつ大物おおものクリュシッポスChrysipposは、感情かんじょうとは判断はんだんそのものだと定義ていぎしていた(「感情かんじょう理性りせい過剰かじょう衝動しょうどう」)。判断はんだん手前てまえ身体しんたい勝手かって反応はんのうする段階だんかいがあるなど、クリュシッポスChrysippos枠組わくぐみには存在そんざいしない。セネカSenecaがこれをみとめたのは、正統せいとうストアStoaからの明確めいかく逸脱いつだつだが、おかげで理論りろん人間にんげん実感じっかんにずっとちかづいた。研究けんきゅうしゃのあいだでは、この逸脱いつだつポセイドニオスPoseidōnios影響えいきょうかどうかが議論ぎろんされている(Sorabji, 2000ソラブジ、2000年; Cooper, 2004クーパー、2004年)。

3. 執筆しっぴつ年代ねんだい宛先あてさき本書ほんしょあにノウァトゥスNovatusててかれたが、成立せいりつ時期じきについてはカリグラCaligula治世ちせい末期まっき(40ねんごろ)とするせつクラウディウスClaudius治世ちせい初期しょき(41-49ねん)とするせつがある。カリグラCaligulaへの言及げんきゅう頻度ひんど辛辣しんらつさから、暗殺あんさつかれた可能かのうせいたかいとされる。

4. 中世ちゅうせい反論はんろんトマス・アクィナスThomas Aquinas義憤ぎふん復権ふっけんトマス・アクィナスThomas Aquinasは『神学しんがく大全たいぜん』(Summa Theologiaeスンマ・テオロギアエ II-II, q.158)でいかりをふたた二分にぶんした。罪深つみぶかいかり(ira vitiosaイーラ・ウィティオーサ)と正当せいとういかり(ira per zelumイーラ・ペル・ゼールム)。不正ふせいまえにしてもいからないのは無気力むきりょくであってとくではない、とアクィナスAquinasだんじた。アリストテレスAristotelēs路線ろせんキリストChristきょう神学しんがくのなかで復活ふっかつさせたこの議論ぎろんは、セネカSeneca全面ぜんめん否定ひていろんへのもっと体系たいけいてき反論はんろんとして西洋せいよう思想しそうきざまれた。

この書物しょもつ影響史えいきょうし

古代こだい中世ちゅうせいエピクテトスEpiktētosの『語録ごろく』とマルクス・アウレリウスMarcus Aureliusの『自省じせいろく』にもいかりの制御せいぎょかえ登場とうじょうするが、セネカSenecaほど体系たいけいてきろんじたものはいない。キリストChristきょう教父きょうふラクタンティウスLactantiusセネカSenecaいかろん反論はんろんする論文ろんぶん(『かみいかりについて』)をいた。かみいかりは正義せいぎ表現ひょうげんであり、否定ひていすべきではない、と。いかりをすべて否定ひていするのは、かみいかりをしんじるキリストChristきょうにとってれがたかったのだ。

近代きんだいモンテーニュMontaigneは『エセーEssais』でいかりの危険きけんろんじるさいセネカSeneca頻繁ひんぱんいた。デカルトDescartesの『情念じょうねんろん』(1649ねん)も、情念じょうねん身体しんたいメカニズムmechanismからかそうとするてんで、セネカSeneca発想はっそういでいる。

現代げんだい認知にんち行動こうどう療法りょうほうCBTシービーティー)の創始そうししゃアルバート・エリスAlbert Ellisは、みずからの論理ろんり情動じょうどう行動こうどう療法りょうほうREBTアールイービーティー)の先駆せんくとしてストアStoa哲学てつがく名指なざしした。ロバートソンRobertsonの『ストアStoa哲学てつがく認知にんち行動こうどう療法りょうほう』(2010ねん)は、セネカSeneca三段階さんだんかいモデルmodelCBTシービーティーABCモデルエービーシーモデル出来事できごと信念しんねん結果けっか)がどれほどているかを丹念たんねんあとづけている。

現代げんだいストイシズムStoicism運動うんどう:2010年代ねんだいからひろがった「現代げんだいストアStoa主義しゅぎ」(Modern Stoicismモダン・ストイシズム)の潮流ちょうりゅうのなかで、ライアン・ホリデーRyan Holiday著作ちょさくぐんウィリアム・アーヴァインWilliam Irvineの『人生じんせいについて』(A Guide to the Good Life良き人生への手引き, 2009ねん)がセネカSeneca実践じっせん技法ぎほう現代げんだい翻訳ほんやくした。『いかりについて』のよる省察せいさつは「ジャーナリングjournaling」として、遅延ちえん技術ぎじゅつは「刺激しげき反応はんのうあいだスペースspaceつくる」技法ぎほうとしてさいパッケージpackageされている。古代こだい知恵ちえ自己じこ啓発けいはつ市場しじょう流入りゅうにゅうしたことで、精度せいどちたが到達とうたつ範囲はんいけたちがいにひろがった。

現代げんだいへの接続せつぞく

オンラインonlineいかからかんがえてみよう。SNSエスエヌエスいかりの第二だいに段階だんかい判断はんだん)をほぼ瞬時しゅんじ第三だいさん段階だんかい行動こうどう投稿とうこう)に変換へんかんする装置そうちだ。不快ふかい投稿とうこう瞬間しゅんかん返信へんしんらんはすでにひらいている。「まずて」を実行じっこうする物理ぶつりてき距離きょりがない。セネカSenecaもとめた「遅延ちえん」は、現代げんだいにおいてはアプリapp設計せっけいそのものへのいになる。投稿とうこうまえに「本当ほんとう送信そうしんしますか?」と表示ひょうじする機能きのうは、セネカSenecaてき介入かいにゅうデジタルdigitalばんだとえる。

いかりと社会しゃかい正義せいぎ問題もんだいもある。セネカSeneca全面ぜんめん否定ひていろんたいする最大さいだい反論はんろんは、構造こうぞうてき不正ふせいへのいかりをふうじることへの懸念けねんだ。公民こうみんけん運動うんどうリーダーleaderたちのいかりがなければ、ほう制度せいどわらなかったかもしれない。ただしセネカSenecaならうだろう、「不正ふせいただ行動こうどういかりなしでも可能かのうだ」と。冷静れいせい理性りせいによる抵抗ていこうと、いかりによる抵抗ていこう。どちらが有効ゆうこうかといういは、いまだ決着けっちゃくがつかない。

アンガーマネジメントanger managementとの関係かんけい見逃みのがせない。現代げんだい職場しょくばひろまるアンガーマネジメントanger management研修けんしゅう内容ないよう──「6びょうルールrule」(いかりをかんじたら6びょうつ)、いかりの原因げんいんを「事実じじつ」と「解釈かいしゃく」に分離ぶんりする訓練くんれんいかりの日記にっきをつける習慣しゅうかん──これらはすべてセネカSenecaの『いかりについて』に原型げんけいがある。「遅延ちえん」「認知にんち吟味ぎんみ」「よる省察せいさつ」の現代げんだいてき翻訳ほんやくだ。

読者どくしゃへの

  • 最後さいごいかりでわれわすれたのはいつだったか。そのとき自分じぶんはどんな「判断はんだん」をくだしていたか。セネカSeneca第二だいに段階だんかい同意どうい)を保留ほりゅうできる余地よちはあったか。
  • 正当せいとういかり」は存在そんざいするか。不正ふせいてもいからない人間にんげん道徳どうとくてきすぐれているのか、それとも鈍感どんかんなのか。
  • 今夜こんやまえ一日いちにちかえってみてほしい。「今日きょういかりをんだ場面ばめんはあったか。めなかった場面ばめんはどこだったか」──セネカSenecaよる省察せいさつを、一晩ひとばんだけためしてみることはできるか。

重要じゅうよう引用いんよう出典しゅってんつき)

"いかりほどおおくの都市としほろぼし、おおくの民族みんぞく奴隷どれいとし、おおくの国家こっか瓦解がかいさせた疫病えきびょうはない。" 出典しゅってんセネカSenecaいかりについて』I.2.1/原文げんぶん:"Nullam pestem generi humano pluris stetisse: videbis caedes ac venena et reorum mutuam sordem et urbium clades et totarum exitia gentium..."

いかりは個人こじん感情かんじょうにとどまらない。戦争せんそうこし、くにかたむける。セネカSenecaはこの一文いちぶんで、いかりを個人こじん問題もんだいから政治せいじ問題もんだいげる。

"いかりの最大さいだい治療ちりょうやく時間じかんをおくことである。" 出典しゅってんセネカSenecaいかりについて』III.12.4/原文げんぶん:"Maximum remedium irae mora est."

たった六語ろくごラテンLatinに、『いかりについて』の実践じっせんてき核心かくしん凝縮ぎょうしゅくされている。なにもしなくていい。ただつだけだ。

"今日きょうなおした悪癖あくへきなにか。どの欲望よくぼう抵抗ていこうしたか。どのてんくなったか。" 出典しゅってんセネカSenecaいかりについて』III.36.2/原文げんぶん:"Quid hodie malum tuum sanasti? Cui vitio obstitisti? Qua parte melior es?"

セネカSeneca毎晩まいばん自分じぶんいかけた言葉ことば自分じぶんさば法廷ほうていではなく、自分じぶん手入ていれする整備せいびじょうとしての省察せいさつ

"ある賢者けんじゃたちはいかりを「一時的いちじてき狂気きょうき」とんだ。" 出典しゅってんセネカSenecaいかりについて』I.1.2/原文げんぶん:"Quidam itaque e sapientibus viris iram dixerunt brevem insaniam."

しょ冒頭ぼうとうちかくにかれたこの一文いちぶんが、全三巻ぜんさんかん基調きちょうめる。いかりは感情かんじょう一種いっしゅではなく精神せいしんやまいであり、治療ちりょう対象たいしょうだ。

"我々われわれわる人間にんげんのあいだにんでいるのだ。くにはもうおそい。わらうべきだ。" 出典しゅってんセネカSenecaいかりについて』III.28.1-2/原文げんぶん:"Inter malos nati sumus. (...) Humanius est deridere vitam quam deplorare."

デモクリトスDēmokritosヘラクレイトスHērakleitos対比たいひ世界せかいくかわらうか。セネカSenecaわらうことをえらんだ。人間にんげんおろかさをまえにしていかるより、ゆるほうが、自分じぶんこころ平和へいわをもたらす。

参考さんこう文献ぶんけん

  • 原典げんてん邦訳ほうやくセネカSenecaいかりについて 他一篇いっぺん兼利かねとし琢也たくややく岩波いわなみ文庫ぶんこ
  • 原典げんてん英訳えいやくKaster, R.A.カスター & Nussbaum, M.C.ヌスバウムeds.), Seneca: Anger, Mercy, Revengeセネカ:怒り、慈悲、復讐. Chicagoシカゴ: University of Chicago Pressシカゴ大学出版局, 2010.──注釈ちゅうしゃくつきの標準ひょうじゅん英訳えいやく
  • 原典げんてん邦訳ほうやくセネカSenecaせいみじかさについて 他二篇にへん大西おおにし英文ひでふみやく岩波いわなみ文庫ぶんこ。──セネカSeneca時間じかんろんとの接続せつぞく理解りかいするために。
  • 研究けんきゅうしょNussbaum, Marthaヌスバウム、マーサ. The Therapy of Desire欲望の治療法. Princetonプリンストン: Princeton University Pressプリンストン大学出版局, 1994.──セネカSenecaいかろん分析ぶんせき秀逸しゅういつ
  • 研究けんきゅうしょSorabji, Richardソラブジ、リチャード. Emotion and Peace of Mind: From Stoic Agitation to Christian Temptation感情と心の平静:ストア派の動揺からキリスト教の誘惑へ. Oxfordオックスフォード: Oxford University Pressオックスフォード大学出版局, 2000.──ストアStoa感情かんじょうろん包括ほうかつてき研究けんきゅう
  • 現代げんだいストアStoaRobertson, Donaldロバートソン、ドナルド. The Philosophy of Cognitive-Behavioural Therapy認知行動療法の哲学. Londonロンドン: Karnacカーナック, 2010.──ストアStoa哲学てつがくCBTシービーティー並行へいこうせいろんじた研究けんきゅう
  • 研究けんきゅうしょCooper, John M.クーパー、ジョン・M Knowledge, Nature, and the Good: Essays on Ancient Philosophy知識、自然、善:古代哲学論集. Princetonプリンストン: Princeton University Pressプリンストン大学出版局, 2004.──ストアStoa感情かんじょう理論りろんセネカSeneca位置いちづけをろんじた論文ろんぶん収録しゅうろく
  • 研究けんきゅうしょGraver, Margaretグレイヴァー、マーガレット. Stoicism and Emotionストア主義と感情. Chicagoシカゴ: University of Chicago Pressシカゴ大学出版局, 2007.──ストアStoaにおける「第一だいいち運動うんどう」と感情かんじょう関係かんけい精査せいさした研究けんきゅう
  • ウェブwebStanford Encyclopedia of Philosophyスタンフォード哲学百科事典, "Senecaセネカ" (first published初版 2007, substantive revision大幅改訂 2023). https://plato.stanford.edu/entries/seneca/