真昼まひるのアテナイAthēnai。アゴラagoraを行いき交かう人々ひとびとのなかを、火ひのついたランプlampを掲かかげた男おとこが歩あるいている。誰だれかが聞きいた。何なにを探さがしているのか。「人間にんげんを探さがしているのだ」(ディオゲネス・ラエルティオスDiogenēs Laertios『哲学者てつがくしゃ列伝れつでん』VI.41)。太陽たいようの下したでランプlampを灯ともす男おとこ。気きが狂くるっているか、面白おもしろがっているか、あるいはその両方りょうほうか。シノペSinōpēのディオゲネスDiogenēsは、紀元前きげんぜん4世紀せいきのアテナイAthēnaiで最もっとも嫌きらわれ、最もっとも有名ゆうめいだった哲学者てつがくしゃである。

住所じゅうしょは大おおきな甕かめ(ピトスpithos)。所持品しょじひんは外套がいとうと杖つえと袋ふくろだけ。少年しょうねんが手てで水みずを掬すくって飲のむのを見みて、唯一ゆいいつの杯さかずきを投なげ捨すてた。子こどもにすら負まけている、と(VI.37)。広場ひろばで自慰じいをし、公衆こうしゅうの面前めんぜんで食事しょくじをし、プラトンPlatōnの講義こうぎに羽はねを毟むしった鶏にわとりを放はなり込こんだ。品性ひんせいの欠片かけらもないように見みえる。だが彼かれを単たんなる奇人きじんとして片かたづけるのは間違まちがいだ。

ディオゲネスDiogenēsは一行いちぎょうも書かかなかった(著作ちょさくが帰きされてはいるが、真偽しんぎは不明ふめい)。論文ろんぶんの代かわりに自分じぶんの身体しんたいを使つかった。甕かめに住すむことが論証ろんしょうであり、裸足はだしで歩あるくことが反論はんろんであり、公衆こうしゅうの前まえで食くらうことが結論けつろんだった。哲学てつがくは教室きょうしつの中なかにあるのではない。路上ろじょうで、身体しんたいで、やるものだ。ソクラテスSōkratēsが問答もんどうで哲学てつがくを街まちに持もち出だしたとすれば、ディオゲネスDiogenēsはそこから言葉ことばすら剥はぎ取とった。

彼かれが創始そうしした(あるいは体現たいげんした)犬儒けんじゅ派は(キュニコスKynikos派は)は、後のちのストアStoa派は、初期しょきキリストChrist教きょうの禁欲きんよく主義しゅぎ、近代きんだいのアナキズムanarchismにまで水脈すいみゃくを通とおしている。問といは一ひとつ。人間にんげんは所有しょゆうなしに幸福こうふくでありうるか。あるいは、こう聞きくべきか。所有しょゆうが人間にんげんを不幸ふこうにしているのではないか。

この記事きじの要点ようてん

  • 「通貨つうかの変造へんぞう」(パラカラッテイン・ト・ノミスマparacharattein to nomisma):ディオゲネスDiogenēsは故郷こきょうシノペSinōpēで文字通もじどおりに貨幣かへいを変造へんぞうして追放ついほうされた。だがこの行為こういを彼かれは比喩ひゆに転換てんかんした。「通貨つうか」とは社会しゃかいの常識じょうしきであり、名誉めいよであり、習慣しゅうかんである。偽にせの価値かちの刻印こくいんを削けずり取とること。それがキュニコスKynikos哲学てつがくの根幹こんかんである。
  • 「犬いぬの生せい」と恥はじの解体かいたい(アナイデイアanaideia):犬いぬと呼よばれたことを誇ほこりにした。犬いぬは食たべたいときに食たべ、寝ねたいところで寝ねて、人目ひとめを気きにしない。恥はじの感覚かんかくこそが人間にんげんを縛しばる最大さいだいの鎖くさりだとディオゲネスDiogenēsは見抜みぬいた。
  • 「身体しんたいによる哲学てつがく」:他たの哲学者てつがくしゃが言葉ことばで徳とくを語かたったのに対たいし、ディオゲネスDiogenēsは自分じぶんの生活せいかつそのものを論証ろんしょうにした。凍こおった彫像ちょうぞうに抱だきつき、真夏まなつの砂すなの上うえを転ころがった。身体しんたいを鍛きたえることが精神せいしんの鍛錬たんれんであり、哲学てつがくとは生活せいかつの形式けいしきそのものだった。

生涯しょうがいと時代じだい背景はいけい

ディオゲネスDiogenēsは黒海こっかい沿岸えんがんの植民しょくみん都市としシノペSinōpēに生うまれた。父ちちヒケシアスHikesiasは両替りょうがえ商しょう。ディオゲネスDiogenēsは若わかくして貨幣かへいの変造へんぞう(偽造ぎぞうとも額面がくめんの削けずり取とりとも伝つたわる)に手てを染そめ、発覚はっかくして追放ついほうされた(VI.20-21)。罪人ざいにんとして故郷こきょうを追おわれた男おとこが、アテナイAthēnaiに流ながれ着ついて哲学者てつがくしゃになる。犯罪はんざいが哲学てつがくになった稀有けうな例れいだ。

彼かれが活動かつどうした紀元前きげんぜん4世紀せいきのアテナイAthēnaiは、ペロポネソスPeloponnēsos戦争せんそうの敗北はいぼく(前ぜん404年ねん)から回復かいふくしきれず、マケドニアMakedoniaのフィリッポスPhilippos2世せいの圧力あつりょくに晒さらされていた。ポリスpolis(都市とし国家こっか)の理想りそうが崩くずれつつある時代じだい。市民しみんであることの意味いみが揺ゆらぎ、個人こじんがどう生いきるかという問といが切迫せっぱくしていた。プラトンPlatōnがアカデメイアAkadēmeiaで理想りそう国家こっかを構想こうそうし、アリストテレスAristotelēsがリュケイオンLykeionで万学ばんがくを講こうじていた、その同おなじ街まちで、ディオゲネスDiogenēsは甕かめに住すんでいた。

「犬いぬ」(キュオーンkyōn、ギリシャGreece語ご:κύων)。それが彼かれのあだ名なだった。侮蔑ぶべつとして付つけられたこの呼よび名なを、ディオゲネスDiogenēsは喜よろこんで受うけ入いれた。犬いぬは恩人おんじんには尾おを振ふり、敵てきには噛かみつく。飾かざらない。嘘うそをつかない。キュニコスKynikos派は(犬儒けんじゅ派は)の名なはこの「犬いぬ」に由来ゆらいする。のちに英語えいごの cynicシニック(皮肉ひにく屋や)となるこの語ごの原義げんぎは、「犬いぬのように生いきる者もの」だ。

海賊かいぞくに捕とらえられ奴隷どれいとして売うられたとき、何なにができるかと聞きかれたディオゲネスDiogenēsは答こたえた。「人間にんげんを支配しはいすることができる」(VI.74)。奴隷どれいの身みでありながら主人しゅじんを名乗なのる。買かい主ぬしのコリントスKorinthosの富豪ふごうクセニアデスXeniadēsは、実際じっさいにディオゲネスDiogenēsを子こどもたちの教師きょうしに据すえた。奴隷どれいが主人しゅじんの家いえを仕切しきる。ディオゲネスDiogenēsの逸話いつわはどれも同おなじ構造こうぞうをしている。外そとから見みた地位ちいと、実際じっさいの力関係ちからかんけいが逆転ぎゃくてんする。

ミニ年表ねんぴょう

  • 前ぜん412年ねん頃ごろ:黒海こっかい沿岸えんがんのシノペSinōpēに生うまれる
  • 前ぜん390年代ねんだい頃ごろ:貨幣かへい変造へんぞうの罪つみでシノペSinōpēを追放ついほうされる
  • 前ぜん380年代ねんだい:アテナイAthēnaiに渡わたり、アンティステネスAntisthenēsに師事しじ(異説いせつあり)
  • 前ぜん370-350年代ねんだい:アテナイAthēnaiのアゴラagoraとコリントスKorinthosで犬儒けんじゅ派はの生活せいかつを実践じっせん
  • 前ぜん340年代ねんだい:海賊かいぞくに捕とらえられ奴隷どれいとして売うられるが、買かい主ぬしクセニアデスXeniadēsのもとで子弟してい教育きょういくを担になう
  • 前ぜん336年ねん頃ごろ:コリントスKorinthosでアレクサンドロスAlexandros大王だいおうと対面たいめん
  • 前ぜん323年ねん頃ごろ:コリントスKorinthosにて没ぼつ(アレクサンドロスAlexandrosと同日どうじつに死しんだという伝説でんせつがある)

この哲学者てつがくしゃは何なにを問とうたのか

プラトンPlatōnは「善ぜんのイデアidea」を、アリストテレスAristotelēsは「幸福こうふく(エウダイモニアeudaimonia)とは活動かつどうである」を論ろんじた。どちらの議論ぎろんにも、暗黙あんもくの前提ぜんていがある。ポリスpolisに所属しょぞくしていること、ある程度ていどの財産ざいさんがあること、余暇よかがあること、議論ぎろんの相手あいてになる友人ゆうじんがいること。ディオゲネスDiogenēsはこの前提ぜんていの全部ぜんぶを蹴けり飛とばした。

問といはこうだ。人間にんげんが本当ほんとうに必要ひつようなものは何なにか。社会しゃかいが「必要ひつようだ」と言いっているものは、本当ほんとうに必要ひつようなのか。名誉めいよ、財産ざいさん、地位ちい、体裁ていさい。そのすべてを剥はぎ取とったとき、残のこるものがあるか。あるとすれば、それは何なにか。

師しとされるアンティステネスAntisthenēs(ソクラテスSōkratēsの弟子でし)は、徳とくだけで幸福こうふくに十分じゅうぶんだと論ろんじていた。ディオゲネスDiogenēsはその主張しゅちょうを受うけ取とり、言葉ことばではなく生活せいかつで証明しょうめいしてみせた。口くちで「徳とくさえあればいい」と言いうのは簡単かんたんだ。実際じっさいに家いえも金かねも地位ちいも捨すてて生いきてみろ。それをやった。

核心かくしん思想しそう

1. 通貨つうかの変造へんぞう(パラカラッテイン・ト・ノミスマparacharattein to nomisma)

ギリシャGreece語ごのノミスマnomismaは「貨幣かへい」と「慣習かんしゅう」の両方りょうほうを意味いみする。ディオゲネスDiogenēsがシノペSinōpēでやったことは犯罪はんざいだったが、彼かれはそれを哲学てつがくの比喩ひゆに転てんじた。社会しゃかいで通用つうようしている「価値かち」の刻印こくいん。名誉めいよ、出世しゅっせ、豪邸ごうてい、肩書かたがき。それらの表面ひょうめんに刻きざまれた「価値かちがある」という刻印こくいんを削けずり落おとし、中身なかみを見みろ、と。デルポイDelphoiの神託しんたくが「通貨つうかを変造へんぞうせよ」と告つげたという逸話いつわがあり(VI.20-21)、ディオゲネスDiogenēsはそれを文字通もじどおりにも比喩ひゆ的てきにも実行じっこうした。

具体ぐたい的てきに何なにを「変造へんぞう」したのか。結婚けっこん制度せいど、財産ざいさんの私有しゆう、国家こっかへの忠誠ちゅうせい。当時とうじのギリシャGreece人じんにとって疑うたがう余地よちのなかった制度せいどを、片端かたはしから蹴けり倒たおした。彼かれに帰きされる著作ちょさく『国家ポリテイア』(現存げんぞんせず、断片だんぺんのみ)では、貨幣かへいの廃止はいし、妻つま子この共有きょうゆう、身分みぶんの撤廃てっぱいが提案ていあんされていたという(VI.72)。プラトンPlatōnの『国家こっか』が哲人てつじん王おうによる統治とうちを理想りそうとしたのに対たいし、ディオゲネスDiogenēsの『国家ポリテイア』は統治とうちそのものを不要ふようとした。人間にんげんが自然しぜんに従したがって生いきれば、法ほうも軍隊ぐんたいも裁判所さいばんしょもいらない。荒唐こうとう無稽むけいに聞きこえるが、「社会しゃかいの制度せいどは自然しぜんの必然ひつぜんではなく人為じんいの発明はつめいだ」という指摘してきそのものは、鋭するどい。

2. アスケーシスaskēsis(鍛錬たんれん)

ディオゲネスDiogenēsの鍛錬たんれんは精神せいしん修養しゅうようではない。身体しんたいを使つかった過酷かこくな訓練くんれんだ。真冬まふゆに雪ゆきの積つもった彫像ちょうぞうに抱だきつき、真夏まなつに焼やけた砂すなの上うえで転ころがった(VI.23)。要ようするに、苦痛くつうに慣なれてしまえば苦痛くつうは苦痛くつうでなくなる。快適かいてきな暮くらしに慣なれた人間にんげんは、その快適かいてきさを失うしなうことを常つねに恐おそれなければならない。逆ぎゃくに、最初さいしょから何なにも持もっていなければ、失うしなうものもない。

これは苦行くぎょうではない。自由じゆうの技術ぎじゅつだ、とディオゲネスDiogenēsは言いうだろう。暖房だんぼうが切きれたら不幸ふこうになる人間にんげんと、どこでも眠ねむれる人間にんげん。どちらが自由じゆうか。競技きょうぎの選手せんしゅが身体しんたいを鍛きたえるように、哲学者てつがくしゃは欲望よくぼうへの耐性たいせいを鍛きたえる。ディオゲネスDiogenēsはそれを「二重にじゅうの鍛錬たんれん」と呼よんだ。身体しんたいと精神せいしんを同時どうじに鍛きたえること(VI.70)。

3. アナイデイアanaideia(恥知はじしらず)

アゴラagoraで自慰じいをした逸話いつわは有名ゆうめいだ(VI.46)。「腹はらも擦こすって空腹くうふくが治なおればいいのに」。下品げひんだ、と思おもうだろう。だがディオゲネスDiogenēsの問といはこうだ。なぜそれは恥はずかしいのか。食事しょくじも排泄はいせつも性欲せいよくも、身体しんたいが求もとめる自然しぜんな行為こういにすぎない。それを「隠かくすべきだ」と決きめたのは身体しんたいではなく慣習かんしゅう(ノモスnomos)だ。つまり、恥はじという感覚かんかくは自然しぜんに備そなわったものではなく、社会しゃかいが後あとから植うえつけたものだ。そして人間にんげんはその植うえつけられた恥はじに、一生いっしょう操あやつられる。

ここに犬儒けんじゅ派はの急所きゅうしょがある。恥はじの感覚かんかくは社会しゃかい秩序ちつじょを維持いじする道具どうぐであって、自然しぜんの命令めいれいではない。恥はじを壊こわせば、社会しゃかいの支配しはいが解とける。極論きょくろんに聞きこえるかもしれないが、身近みぢかな例れいで考かんがえるとわかりやすい。電車でんしゃで自分じぶんだけマスクmaskをしていないときの、あの居心地いごこちの悪わるさ。周囲しゅういの視線しせんが気きになるあの感覚かんかくは、衛生えいせいの問題もんだいなのか、感染かんせんへの恐怖きょうふなのか、それとも単たんに「みんながしているから」なのか。ディオゲネスDiogenēsなら、三みつ目めだと即答そくとうするだろう。

4. パレーシアparrēsia(忌憚きたんなき発言はつげん)

ディオゲネスDiogenēsは誰だれにでも同おなじ態度たいどで接せっした。奴隷どれいにも王おうにも。アレクサンドロスAlexandros大王だいおうがコリントスKorinthosに来きたとき、日向ひなたぼっこしているディオゲネスDiogenēsのもとを訪おとずれて「何なにか望のぞみはあるか」と聞きいた。「日ひ陰かげにならないでくれ」(VI.38)。世界せかいを征服せいふくした男おとこに対たいして、「邪魔じゃまだ」と言いった。アレクサンドロスAlexandrosは感嘆かんたんしたと伝つたえられている。「もし私わたしがアレクサンドロスAlexandrosでなかったら、ディオゲネスDiogenēsになりたい」と(プルタルコスPlutarchos『アレクサンドロスAlexandros伝でん』14.2-3)。

パレーシアparrēsiaはギリシャGreeceの民主みんしゅ政治せいじの理念りねんだった。自由じゆう市民しみんは広場ひろばで何なにを言いってもよい。ディオゲネスDiogenēsはそれを徹底てっていした。権力けんりょく者しゃへの追従ついしょうを拒こばみ、富裕ふゆう層そうを嘲笑ちょうしょうし、哲学者てつがくしゃ仲間なかまの虚栄きょえいを暴あばいた。プラトンPlatōnが人間にんげんを「羽毛うもうのない二足にそく歩行ほこうの動物どうぶつ」と定義ていぎしたとき、ディオゲネスDiogenēsは鶏にわとりの羽はねを毟むしってプラトンPlatōnの学園がくえんに投なげ込こんだ。「これがプラトンPlatōnの人間にんげんだ」(VI.40)。言葉ことばで反論はんろんするのではなく、行為こういで笑わらい飛とばす。プラトンPlatōnの弟子でしたちはさぞ困こまっただろう。論理ろんりで対抗たいこうできる相手あいてではないのだから。

5. コスモポリテースkosmopolitēs(世界せかい市民しみん)

「おまえはどこの出身しゅっしんだ」と聞きかれたとき、ディオゲネスDiogenēsは「世界せかいの市民しみんだ」(コスモポリテースkosmopolitēs)と答こたえた(VI.63)。記録きろくに残のこる限かぎり、この語ごを初はじめて使つかった人物じんぶつだ。ポリスpolisへの帰属きぞくが市民しみんの存在そんざい理由りゆうだったギリシャGreeceで、「どこにも属ぞくさない」と宣言せんげんすることの衝撃しょうげき。追放ついほう者しゃとして市民しみん権けんを失うしなった男おとこが、国境こっきょうそのものを無効むこうにした。

この一言ひとことは二ふたつのことを同時どうじに言いっている。まず、ポリスpolisの市民しみん権けんがなくても人間にんげんは人間にんげんだということ。市民しみん権けんを剥奪はくだつされた追放ついほう者しゃだからこそ言いえた言葉ことばだ。そしてもう一ひとつ、人間にんげんと人間にんげんのあいだにある国境こっきょうは、自然しぜんが引ひいた線せんではなく人間にんげんが勝手かってに引ひいた線せんにすぎないということ。アリストテレスAristotelēsが「人間にんげんはポリスpolis的てき動物どうぶつである」(『政治せいじ学がく』I.2, 1253a)と断言だんげんしたのに対たいし、ディオゲネスDiogenēsはポリスpolisなしの人間にんげんを自分じぶんの身体しんたいで示しめした。この発想はっそうはストアStoa派はに受うけ継つがれ、やがてローマRōma帝国ていこくの普遍ふへん主義しゅぎ、18世紀せいきの啓蒙けいもう思想しそう、カントKantの永遠えいえん平和へいわ論ろんへと繋つながっていく。甕かめに住すむ無一文むいちもんの男おとこの一言ひとことが、2000年ねんを超こえる思想しそう史しの出発しゅっぱつ点てんになったわけだ。

6. 自然しぜんに従したがう生せい(カタ・ピュシンkata physin)

犬儒けんじゅ派はにとって、自然しぜん(ピュシスphysis)と慣習かんしゅう(ノモスnomos)の対立たいりつは根本こんぽん問題もんだいだった。ディオゲネスDiogenēsは徹底てっていして自然しぜんの側がわに立たった。動物どうぶつは家いえを建たてず、料理りょうりをせず、服ふくを着きないが、ちゃんと生いきている。ならば人間にんげんが「絶対ぜったいに必要ひつようだ」と思おもい込こんでいるものの大半たいはんは、自然しぜんが求もとめているのではなく、慣習かんしゅうが求もとめているだけではないか。「文明ぶんめい」と呼よばれるものの大半たいはんは余計よけいな荷物にもつだ、と。

この立場たちばは後のちのストアStoa派はに直接ちょくせつ流ながれ込こむ。ストアStoa派はの創始そうし者しゃゼノンZēnōnは若わかい頃ころ、犬儒けんじゅ派はのクラテスKratēs(ディオゲネスDiogenēsの弟子でし)に学まなんだ。「自然しぜんに従したがって生いきよ」というストアStoa派はの根本こんぽん命題めいだいは、ディオゲネスDiogenēsの甕かめ暮ぐらしから生うまれた。ストアStoa派ははそれを体系たいけいに仕上しあげ、社会しゃかいのなかでも実践じっせんできるように整ととのえた。いわばディオゲネスDiogenēsの原液げんえきを薄うすめて飲のみやすくしたのがストアStoa哲学てつがくだと言いえるかもしれない。

主要しゅよう資料しりょうガイドguide

ディオゲネスDiogenēs自身じしんの著作ちょさくは現存げんぞんしない。情報じょうほうのほぼすべてが後世こうせいの伝記でんきと逸話いつわ集しゅうに依存いぞんする。

  • ディオゲネス・ラエルティオスDiogenēs Laertios『哲学者てつがくしゃ列伝れつでん』第だい6巻かん:ディオゲネスDiogenēsに関かんする最大さいだいの一次いちじ資料しりょう。逸話いつわの宝庫ほうこであり、信頼しんらい性せいは玉石ぎょくせき混交こんこうだが、これなしには何なにも語かたれない。邦訳ほうやく:加来かく彰俊あきとし訳やく『ギリシアGreece哲学者てつがくしゃ列伝れつでん』岩波いわなみ文庫ぶんこ。
  • プルタルコスPlutarchos『対比たいひ列伝れつでん』アレクサンドロスAlexandros伝でん:アレクサンドロスAlexandrosとの対面たいめんエピソードepisodeの出典しゅってん。邦訳ほうやく:河野こうの与一よいち訳やくほか、岩波いわなみ文庫ぶんこ。
  • Branham, R.B.ブランハム & Goulet-Cazé, M.-O.グーレ=カゼ(eds.編), The Cynics: The Cynic Movement in Antiquity and Its Legacyキュニコス派:古代のキュニコス運動とその遺産, U of California Pressカリフォルニア大学出版局, 1996.:犬儒けんじゅ派は研究けんきゅうの標準ひょうじゅん論文ろんぶん集しゅう。歴史れきし、思想しそう、後世こうせいへの影響えいきょうを包括ほうかつ的てきにカバーcover。
  • Navia, Luis E.ナヴィア, Diogenes the Cynic: The War Against the World犬儒派のディオゲネス:世界との戦い, Humanity Booksヒューマニティ・ブックス, 2005.:逸話いつわの検証けんしょうから思想しそうの再構さいこう成せいまで行おこなったモノグラフmonograph。

主要しゅような批判ひはんと論争ろんそう

プラトンPlatōnはディオゲネスDiogenēsを「狂くるったソクラテスSōkratēs」と呼よんだ(VI.54)。この一言ひとことは正確せいかくだ。ソクラテスSōkratēsは問答もんどうで人ひとの無知むちを暴あばいたが、社会しゃかいの枠組わくぐみそのものは壊こわさなかった。裁判さいばんに従したがい、毒杯どくはいを飲のんだ。ディオゲネスDiogenēsなら逃にげただろう。あるいは裁判さいばんの席せきで放尿ほうにょうしただろう。

アリストテレスAristotelēsの立場たちばからすれば、ディオゲネスDiogenēsの生いき方かたは「人間にんげんの幸福こうふく」ではない。アリストテレスAristotelēsにとって幸福こうふくには友人ゆうじん、健康けんこう、一定いっていの財産ざいさん、市民しみんとしての活動かつどうが必要ひつようだった(『ニコマコスNicomachos倫理りんり学がく』I.8, 1099a-b)。甕かめに住すんで残飯ざんぱんを食くう男おとこを「幸福こうふく」と呼よべるか。ディオゲネスDiogenēsなら答こたえるだろう。「おまえは幸福こうふくか? 豪邸ごうていのローンloanに追おわれながら?」

資料しりょうの問題もんだいも無視むしできない。ディオゲネスDiogenēsに関かんする情報じょうほうはほぼすべて後世こうせいの逸話いつわ集しゅうであり、どこまでが事実じじつでどこからが伝説でんせつかの線引せんびきはきわめて困難こんなんだ。死しに方かたですら複数ふくすうの伝承でんしょうがある。生なまの蛸たこを食たべて死しんだ、息いきを止とめて死しんだ、犬いぬに噛かまれて死しんだ(VI.76-77)。どれが本当ほんとうかはわからない。ただ、彼かれの死しが何通なんとおりも語かたり直なおされたということ自体じたいが、この哲学者てつがくしゃの存在そんざい感を物語ものがたっている。アレクサンドロスAlexandros大王だいおうと同日どうじつに死しんだという伝説でんせつも、世界せかいを征服せいふくした男おとこと何なにも持もたなかった男おとこを対ついにしたい古代こだいの想像力そうぞうりょくが生うんだものだろう。

最もっとも根本こんぽん的てきな批判ひはんは、犬儒けんじゅ派はの哲学てつがくが他者たしゃとの関係かんけいを切きり捨すてることだ。ディオゲネスDiogenēsの自足じそく(アウタルケイアautarkeia)は、究極きゅうきょくには一人ひとりで完結かんけつする。だが人間にんげんは一人ひとりで生いきているわけではない。子こを育そだてる親おやは甕かめに住すめない。病人びょうにんを看みる者ものは自足じそくを捨すてなければならない。犬儒けんじゅ派はの自由じゆうは、他者たしゃへの責任せきにんを放棄ほうきすることで成立せいりつする。犬儒けんじゅ派はの自由じゆうには、そういう無視むしできない代償だいしょうがある。

影響えいきょうと遺産いさん

弟子でしクラテスKratēsと犬儒けんじゅ派はの継承けいしょう:テバイThēbaiの名家めいかに生うまれたクラテスKratēsはディオゲネスDiogenēsに感化かんかされ、全ぜん財産ざいさんを投なげ出だして犬儒けんじゅ派はに入はいった。クラテスKratēsと妻つまヒッパルキアHipparchiaの夫婦ふうふは公衆こうしゅうの面前めんぜんで犬儒けんじゅ派はの生活せいかつを実践じっせんした最初さいしょの「夫婦ふうふキュニコスKynikos」であり、ヒッパルキアHipparchiaは古代こだいギリシャGreeceで最もっとも急進きゅうしん的てきな女性じょせい哲学者てつがくしゃの一人ひとりだった(VI.96-98)。

ストアStoa派は:ゼノンZēnōnは若わかい頃ころクラテスKratēsに師事しじし、「自然しぜんに従したがう生せい」と「徳とくのみが善ぜん」をストアStoa哲学てつがくの根幹こんかんに据すえた。犬儒けんじゅ派はの過激かげきさを削そぎ落おとし、社会しゃかいのなかで生いきながら内面ないめんの自由じゆうを保たもつ道みちを開ひらいた。エピクテトスEpiktētosは後年こうねん、理想りそう的てきなキュニコスKynikosを「神かみの使者ししゃ」と呼よび、ディオゲネスDiogenēsを繰くり返かえし引用いんようしている(『語録ごろく』III.22)。

ローマRōma帝政ていせい期きのキュニコスKynikos復興ふっこう:紀元きげん1-2世紀せいき、ローマRōma帝国ていこくの街角まちかどにはキュニコスKynikosの格好かっこう(粗末そまつな外套がいとう・杖つえ・袋ふくろ)をした放浪ほうろう説教せっきょう者しゃが溢あふれた。権力けんりょく者しゃを面前めんぜんで罵倒ばとうする彼かれらに、皇帝こうていユリアヌスJulianus(4世紀せいき)は『無学むがくな犬いぬどもに対たいして』を書かいて反撃はんげきした。偽物にせものがこれほど増ふえたこと自体じたいが、本物ほんもののディオゲネスがどれほどの衝撃しょうげきだったかを物語ものがたっている。

初期しょきキリストChrist教きょう:使徒しとパウロPaulosの放浪ほうろう生活せいかつ、砂漠さばくの隠修いんしゅう士したち、托鉢たくはつ修道しゅうどう会かい。所有しょゆうの放棄ほうきと身体しんたいの苦行くぎょうという犬儒けんじゅ派はの実践じっせんは、キリストChrist教きょうの禁欲きんよく主義しゅぎに深ふかい痕跡こんせきを残のこした。13世紀せいきのアッシジAssisiのフランチェスコFrancescoが裸はだかで父ちちの前まえに立たち、財産ざいさんの一切いっさいを返かえした場面ばめんは、ディオゲネスDiogenēsの身振みぶりと重かさなる。

近代きんだい〜現代げんだい:ルソーRousseauの文明ぶんめい批判ひはん、ソローThoreauのウォールデンWaldenでの生活せいかつ実験じっけん、アナキズムanarchismの権威けんい否定ひてい、20世紀せいきのカウンターカルチャーcounterculture。文明ぶんめいの恩恵おんけいを享受きょうじゅしながら文明ぶんめいを批判ひはんするという矛盾むじゅんは、ディオゲネスDiogenēsにはなかった。彼かれは本当ほんとうに捨すてた。ミシェル・フーコーMichel Foucaultは晩年ばんねんの講義こうぎ『真理しんりの勇気ゆうき』(1984年ねん)で犬儒けんじゅ派はのパレーシアparrēsiaを集中しゅうちゅう的てきに分析ぶんせきし、ディオゲネスDiogenēsの「真実しんじつを語かたる勇気ゆうき」を、権力けんりょくに対たいする抵抗ていこうの原型げんけいとして位置いちづけた。哲学てつがくとは書斎しょさいで組くみ立たてる理論りろんではなく、自分じぶんの身体しんたいで生いきる「生せいの様式ようしき」だという主張しゅちょう。フーコーFoucaultは癌がんに侵おかされながらこの講義こうぎを行おこない、同年どうねん亡なくなった。彼かれが最後さいごに辿たどり着ついたのが、2300年ねん前まえの甕かめの哲学者てつがくしゃだったというのは、偶然ぐうぜんではないだろう。

現代げんだいへの接続せつぞく

ミニマリズムminimalismという言葉ことばが流行りゅうこうしている。持もちものを減へらし、部屋へやをすっきりさせ、少すくないもので暮くらす。ディオゲネスDiogenēsは2400年ねん前まえにそれを極限きょくげんまで推おし進すすめた。ただし決定けってい的てきな違ちがいがある。現代げんだいのミニマリズムminimalismは快適かいてきさを手放てばなさない。厳選げんせんした良よいものだけを残のこす。ディオゲネスDiogenēsのミニマリズムminimalismは「良よいもの」への執着しゅうちゃくそのものを切きる。

SNSエスエヌエスと承認しょうにん欲求よっきゅう。いいねの数かず、フォロワーfollowerの数かず、他人たにんからどう見みられているか。ディオゲネスDiogenēsが解体かいたいした「恥はじ」の構造こうぞうは、SNSエスエヌエスで剥むき出だしになっている。他人たにんの評価ひょうかによって自分じぶんの価値かちが決きまるという感覚かんかく。それをディオゲネスDiogenēsは蹴けった。嫌きらわれることを恐おそれないのではない。そもそも好すかれようとすること自体じたいが、他人たにんに自分じぶんの価値かちの判定はんていを委ゆだねているのだ、とディオゲネスDiogenēsなら言いうだろう。

ホームレスhomelessと哲学てつがく。ディオゲネスDiogenēsを現代げんだいに連つれてくれば、彼かれは路上ろじょう生活者せいかつしゃだ。甕かめに住すむ哲学者てつがくしゃは尊敬そんけいされ、段だんボールに住すむ人間にんげんは排除はいじょされる。この差さはどこから来くるか。選択せんたくの有無うむか。知性ちせいか。それとも2400年ねんの距離きょりか。ディオゲネスDiogenēsを偉人いじんとして称たたえるなら、路上ろじょう生活者せいかつしゃを蔑さげすむ自分じぶんの視線しせんをどう説明せつめいするのか。

労働ろうどうと生存せいぞん。週しゅう5日にち働はたらき、家賃やちんを払はらい、保険ほけんに入はいり、老後ろうごに備そなえる。人生じんせいの大半たいはんを「生いきるための準備じゅんび」に費ついやしている。ディオゲネスDiogenēsはその回路かいろを切断せつだんした。必要ひつようなものを最小さいしょうにすれば、そのぶん働はたらく時間じかんも減へる。浮ういた時間じかんは丸まるごと自分じぶんのものになる。現代げんだい社会しゃかいでは生活せいかつ水準すいじゅんを下さげること自体じたいが「負まけ」に見みえるが、ディオゲネスDiogenēsの計算けいさんではそれこそが「勝かち」だった。生活せいかつを維持いじするために生活せいかつの時間じかんを売うり渡わたすのは、本末ほんまつ転倒てんとうだろうと。

読者どくしゃへの問とい

  • あなたの持もちもののうち、本当ほんとうに必要ひつようなものはいくつあるか。残のこりを全部ぜんぶ捨すてたら、あなたは何なにを失うしなうか。何なにが残のこるか。
  • 他人たにんの目めを一切いっさい気きにしなくていいとしたら、明日あしたあなたの行動こうどうは何なにが変かわるか。何なにも変かわらないなら、あなたはすでに自由じゆうだ。変かわるなら、今いまの行動こうどうは誰だれのためにやっているのか。
  • ディオゲネスDiogenēsは尊敬そんけいされるが、路上ろじょう生活者せいかつしゃは排除はいじょされる。「選択せんたくした貧困ひんこん」と「強しいられた貧困ひんこん」の差さを、あなたはどこに引ひくか。

名言めいげん(出典しゅってんつき)

"人間にんげんを探さがしているのだ。" 出典しゅってん:ディオゲネス・ラエルティオスDiogenēs Laertios『哲学者てつがくしゃ列伝れつでん』VI.41/原文げんぶん:"Anthrōpon zētō.アントローポン・ゼートー"(Ἄνθρωπον ζητῶ.人間を探している)

白昼はくちゅうのランプlamp。人間にんげんはどこにでもいるのに、「人間にんげん」はどこにもいない。肩書かたがきや財産ざいさんを剥はいだ素すの人間にんげんに、ディオゲネスDiogenēsは出会であえなかった。

「日ひ陰かげにならないでくれ。」 出典しゅってん:プルタルコスPlutarchos『対比たいひ列伝れつでん』アレクサンドロスAlexandros伝でん 14.2-3/原文げんぶん:"Mikron apo tou hēliou metasthēthi.ミクロン・アポ・トゥー・ヘーリウー・メタステーティ"(Μικρὸν ἀπὸ τοῦ ἡλίου μετάστηθι.少し太陽からどいてくれ)

世界せかいの支配者しはいしゃに対たいして求もとめたのは、「どいてくれ」だけ。権力けんりょくが与あたえられるものに興味きょうみがないとき、権力けんりょくは無力むりょくになる。

「私わたしは世界せかいの市民しみんだ。」 出典しゅってん:ディオゲネス・ラエルティオスDiogenēs Laertios『哲学者てつがくしゃ列伝れつでん』VI.63/原文げんぶん:"Kosmopolitēs eimi.コスモポリテース・エイミ"(Κοσμοπολίτης εἰμί.私は世界の市民だ)

追放ついほう者しゃが発明はつめいした語ご。国境こっきょうを失うしなった人間にんげんが、国境こっきょうそのものを否定ひていした。

「彼かれらが私わたしをシノペSinōpēから追放ついほうしたのではない。私わたしが彼かれらにシノペSinōpēに留とどまることを宣告せんこくしてやったのだ。」 出典しゅってん:ディオゲネス・ラエルティオスDiogenēs Laertios『哲学者てつがくしゃ列伝れつでん』VI.49/原文げんぶん:(趣意しゅい要約ようやく。原文げんぶんはVI.49の文脈ぶんみゃくで伝つたわる)

追放ついほうという罰ばつを、彼かれは視点してんの転換てんかんで無力むりょくにした。閉とじ込こめられているのはどちらか。壁かべの外そとにいる者ものか、壁かべの中なかから出でられない者ものか。

参考さんこう文献ぶんけん

  • (一次いちじ資料しりょう・邦訳ほうやく):ディオゲネス・ラエルティオスDiogenēs Laertios『ギリシアGreece哲学者てつがくしゃ列伝れつでん』加来かく彰俊あきとし訳やく、岩波いわなみ文庫ぶんこ(上じょう・中ちゅう・下げ)。第だい6巻かんがディオゲネスDiogenēsの主要しゅよう資料しりょう。
  • (一次いちじ資料しりょう):プルタルコスPlutarchos『対比たいひ列伝れつでん』アレクサンドロスAlexandros伝でん。邦訳ほうやく:河野こうの与一よいち訳やくほか、岩波いわなみ文庫ぶんこ。
  • (研究けんきゅう書しょ):Branham, R.B.ブランハム & Goulet-Cazé, M.-O.グーレ=カゼ(eds.編), The Cynics: The Cynic Movement in Antiquity and Its Legacyキュニコス派:古代のキュニコス運動とその遺産. Berkeleyバークレー: University of California Pressカリフォルニア大学出版局, 1996.
  • (研究けんきゅう書しょ):Navia, Luis E.ナヴィア, Diogenes the Cynic: The War Against the World犬儒派のディオゲネス:世界との戦い. Amherstアマースト: Humanity Booksヒューマニティ・ブックス, 2005.
  • (研究けんきゅう書しょ):Desmond, Williamデズモンド, Cynicsキュニコス派. Stocksfieldストックスフィールド: Acumenアキューメン, 2008.
  • (概説がいせつ):Long, A.A.ロング & Sedley, D.N.セドレー, The Hellenistic Philosophersヘレニズムの哲学者たち. Cambridgeケンブリッジ: Cambridge University Pressケンブリッジ大学出版局, 1987.
  • (研究けんきゅう書しょ):Foucault, Michelフーコー、ミシェル, The Courage of Truth: The Government of Self and Others II真理の勇気:自己と他者の統治 II(Lectures at the Collège de Franceコレージュ・ド・フランス講義 1983-1984). Basingstokeベイジングストーク: Palgrave Macmillanパルグレイヴ・マクミラン, 2011. 邦訳ほうやく:『真理しんりの勇気ゆうき』慎改しんかい康之やすゆき訳やく、筑摩ちくま書房しょぼう。
  • ウェブweb:Stanford Encyclopedia of Philosophyスタンフォード哲学百科事典, "Diogenes of Sinopeシノペのディオゲネス"(first published初版 2006, substantive revision大幅改訂 2019). https://plato.stanford.edu/entries/diogenes-sinope/