真昼まひるアテナイAthēnaiアゴラagora人々ひとびとのなかを、のついたランプlampかかげたおとこあるいている。だれかがいた。なにさがしているのか。「人間にんげんさがしているのだ」(ディオゲネス・ラエルティオスDiogenēs Laertios哲学者てつがくしゃ列伝れつでん』VI.41)。太陽たいようしたランプlampともおとこくるっているか、面白おもしろがっているか、あるいはその両方りょうほうか。シノペSinōpēディオゲネスDiogenēsは、紀元前きげんぜん4世紀せいきアテナイAthēnaiもっときらわれ、もっと有名ゆうめいだった哲学者てつがくしゃである。

住所じゅうしょおおきなかめピトスpithos)。所持品しょじひん外套がいとうつえふくろだけ。少年しょうねんみずすくってむのをて、唯一ゆいいつさかずきてた。どもにすらけている、と(VI.37)。広場ひろば自慰じいをし、公衆こうしゅう面前めんぜん食事しょくじをし、プラトンPlatōn講義こうぎはねむしったにわとりはなんだ。品性ひんせい欠片かけらもないようにえる。だがかれたんなる奇人きじんとしてかたづけるのは間違まちがいだ。

ディオゲネスDiogenēs一行いちぎょうかなかった(著作ちょさくされてはいるが、真偽しんぎ不明ふめい)。論文ろんぶんわりに自分じぶん身体しんたい使つかった。かめむことが論証ろんしょうであり、裸足はだしあるくことが反論はんろんであり、公衆こうしゅうまえらうことが結論けつろんだった。哲学てつがく教室きょうしつなかにあるのではない。路上ろじょうで、身体しんたいで、やるものだ。ソクラテスSōkratēs問答もんどう哲学てつがくまちしたとすれば、ディオゲネスDiogenēsはそこから言葉ことばすらった。

かれ創始そうしした(あるいは体現たいげんした)犬儒けんじゅキュニコスKynikos)は、のちストアStoa初期しょきキリストChristきょう禁欲きんよく主義しゅぎ近代きんだいアナキズムanarchismにまで水脈すいみゃくとおしている。いはひとつ。人間にんげん所有しょゆうなしに幸福こうふくでありうるか。あるいは、こうくべきか。所有しょゆう人間にんげん不幸ふこうにしているのではないか。

この記事きじ要点ようてん

  • 通貨つうか変造へんぞう」(パラカラッテイン・ト・ノミスマparacharattein to nomismaディオゲネスDiogenēs故郷こきょうシノペSinōpē文字通もじどおりに貨幣かへい変造へんぞうして追放ついほうされた。だがこの行為こういかれ比喩ひゆ転換てんかんした。「通貨つうか」とは社会しゃかい常識じょうしきであり、名誉めいよであり、習慣しゅうかんである。にせ価値かち刻印こくいんけずること。それがキュニコスKynikos哲学てつがく根幹こんかんである。
  • いぬせい」とはじ解体かいたいアナイデイアanaideiaいぬばれたことをほこりにした。いぬべたいときにべ、たいところでて、人目ひとめにしない。はじ感覚かんかくこそが人間にんげんしば最大さいだいくさりだとディオゲネスDiogenēs見抜みぬいた。
  • 身体しんたいによる哲学てつがく哲学者てつがくしゃ言葉ことばとくかたったのにたいし、ディオゲネスDiogenēs自分じぶん生活せいかつそのものを論証ろんしょうにした。こおった彫像ちょうぞうきつき、真夏まなつすなうえころがった。身体しんたいきたえることが精神せいしん鍛錬たんれんであり、哲学てつがくとは生活せいかつ形式けいしきそのものだった。

生涯しょうがい時代じだい背景はいけい

ディオゲネスDiogenēs黒海こっかい沿岸えんがん植民しょくみん都市としシノペSinōpēまれた。ちちヒケシアスHikesias両替りょうがえしょうディオゲネスDiogenēsわかくして貨幣かへい変造へんぞう偽造ぎぞうとも額面がくめんけずりともつたわる)にめ、発覚はっかくして追放ついほうされた(VI.20-21)。罪人ざいにんとして故郷こきょうわれたおとこが、アテナイAthēnaiながいて哲学者てつがくしゃになる。犯罪はんざい哲学てつがくになった稀有けうれいだ。

かれ活動かつどうした紀元前きげんぜん4世紀せいきアテナイAthēnaiは、ペロポネソスPeloponnēsos戦争せんそう敗北はいぼくぜん404ねん)から回復かいふくしきれず、マケドニアMakedoniaフィリッポスPhilippos2せい圧力あつりょくさらされていた。ポリスpolis都市とし国家こっか)の理想りそうくずれつつある時代じだい市民しみんであることの意味いみらぎ、個人こじんがどうきるかといういが切迫せっぱくしていた。プラトンPlatōnアカデメイアAkadēmeia理想りそう国家こっか構想こうそうし、アリストテレスAristotelēsリュケイオンLykeion万学ばんがくこうじていた、そのおなまちで、ディオゲネスDiogenēsかめんでいた。

いぬ」(キュオーンkyōnギリシャGreece:κύων)。それがかれのあだだった。侮蔑ぶべつとしてけられたこのを、ディオゲネスDiogenēsよろこんでれた。いぬ恩人おんじんにはり、てきにはみつく。かざらない。うそをつかない。キュニコスKynikos犬儒けんじゅ)のはこの「いぬ」に由来ゆらいする。のちに英語えいごcynicシニック皮肉ひにく)となるこの原義げんぎは、「いぬのようにきるもの」だ。

海賊かいぞくとらえられ奴隷どれいとしてられたとき、なにができるかとかれたディオゲネスDiogenēsこたえた。「人間にんげん支配しはいすることができる」(VI.74)。奴隷どれいでありながら主人しゅじん名乗なのる。ぬしコリントスKorinthos富豪ふごうクセニアデスXeniadēsは、実際じっさいディオゲネスDiogenēsどもたちの教師きょうしえた。奴隷どれい主人しゅじんいえ仕切しきる。ディオゲネスDiogenēs逸話いつわはどれもおな構造こうぞうをしている。そとから地位ちいと、実際じっさい力関係ちからかんけい逆転ぎゃくてんする。

ミニ年表ねんぴょう

  • ぜん412ねんごろ黒海こっかい沿岸えんがんシノペSinōpēまれる
  • ぜん390年代ねんだいごろ貨幣かへい変造へんぞうつみシノペSinōpē追放ついほうされる
  • ぜん380年代ねんだいアテナイAthēnaiわたり、アンティステネスAntisthenēs師事しじ異説いせつあり)
  • ぜん370-350年代ねんだいアテナイAthēnaiアゴラagoraコリントスKorinthos犬儒けんじゅ生活せいかつ実践じっせん
  • ぜん340年代ねんだい海賊かいぞくとらえられ奴隷どれいとしてられるが、ぬしクセニアデスXeniadēsのもとで子弟してい教育きょういくにな
  • ぜん336ねんごろコリントスKorinthosアレクサンドロスAlexandros大王だいおう対面たいめん
  • ぜん323ねんごろコリントスKorinthosにてぼつアレクサンドロスAlexandros同日どうじつんだという伝説でんせつがある)

この哲学者てつがくしゃなにうたのか

プラトンPlatōnは「ぜんイデアidea」を、アリストテレスAristotelēsは「幸福こうふくエウダイモニアeudaimonia)とは活動かつどうである」をろんじた。どちらの議論ぎろんにも、暗黙あんもく前提ぜんていがある。ポリスpolis所属しょぞくしていること、ある程度ていど財産ざいさんがあること、余暇よかがあること、議論ぎろん相手あいてになる友人ゆうじんがいること。ディオゲネスDiogenēsはこの前提ぜんてい全部ぜんぶばした。

いはこうだ。人間にんげん本当ほんとう必要ひつようなものはなにか。社会しゃかいが「必要ひつようだ」とっているものは、本当ほんとう必要ひつようなのか。名誉めいよ財産ざいさん地位ちい体裁ていさい。そのすべてをったとき、のこるものがあるか。あるとすれば、それはなにか。

とされるアンティステネスAntisthenēsソクラテスSōkratēs弟子でし)は、とくだけで幸福こうふく十分じゅうぶんだとろんじていた。ディオゲネスDiogenēsはその主張しゅちょうり、言葉ことばではなく生活せいかつ証明しょうめいしてみせた。くちで「とくさえあればいい」とうのは簡単かんたんだ。実際じっさいいえかね地位ちいててきてみろ。それをやった。

核心かくしん思想しそう

1. 通貨つうか変造へんぞうパラカラッテイン・ト・ノミスマparacharattein to nomisma

ギリシャGreeceノミスマnomismaは「貨幣かへい」と「慣習かんしゅう」の両方りょうほう意味いみする。ディオゲネスDiogenēsシノペSinōpēでやったことは犯罪はんざいだったが、かれはそれを哲学てつがく比喩ひゆてんじた。社会しゃかい通用つうようしている「価値かち」の刻印こくいん名誉めいよ出世しゅっせ豪邸ごうてい肩書かたがき。それらの表面ひょうめんきざまれた「価値かちがある」という刻印こくいんけずとし、中身なかみろ、と。デルポイDelphoi神託しんたくが「通貨つうか変造へんぞうせよ」とげたという逸話いつわがあり(VI.20-21)、ディオゲネスDiogenēsはそれを文字通もじどおりにも比喩ひゆてきにも実行じっこうした。

具体ぐたいてきなにを「変造へんぞう」したのか。結婚けっこん制度せいど財産ざいさん私有しゆう国家こっかへの忠誠ちゅうせい当時とうじギリシャGreeceじんにとってうたが余地よちのなかった制度せいどを、片端かたはしからたおした。かれされる著作ちょさく国家ポリテイア』(現存げんぞんせず、断片だんぺんのみ)では、貨幣かへい廃止はいしつま共有きょうゆう身分みぶん撤廃てっぱい提案ていあんされていたという(VI.72)。プラトンPlatōnの『国家こっか』が哲人てつじんおうによる統治とうち理想りそうとしたのにたいし、ディオゲネスDiogenēsの『国家ポリテイア』は統治とうちそのものを不要ふようとした。人間にんげん自然しぜんしたがってきれば、ほう軍隊ぐんたい裁判所さいばんしょもいらない。荒唐こうとう無稽むけいこえるが、「社会しゃかい制度せいど自然しぜん必然ひつぜんではなく人為じんい発明はつめいだ」という指摘してきそのものは、するどい。

2. アスケーシスaskēsis鍛錬たんれん

ディオゲネスDiogenēs鍛錬たんれん精神せいしん修養しゅうようではない。身体しんたい使つかった過酷かこく訓練くんれんだ。真冬まふゆゆきもった彫像ちょうぞうきつき、真夏まなつけたすなうえころがった(VI.23)。ようするに、苦痛くつうれてしまえば苦痛くつう苦痛くつうでなくなる。快適かいてきらしにれた人間にんげんは、その快適かいてきさをうしなうことをつねおそれなければならない。ぎゃくに、最初さいしょからなにっていなければ、うしなうものもない。

これは苦行くぎょうではない。自由じゆう技術ぎじゅつだ、とディオゲネスDiogenēsうだろう。暖房だんぼうれたら不幸ふこうになる人間にんげんと、どこでもねむれる人間にんげん。どちらが自由じゆうか。競技きょうぎ選手せんしゅ身体しんたいきたえるように、哲学者てつがくしゃ欲望よくぼうへの耐性たいせいきたえる。ディオゲネスDiogenēsはそれを「二重にじゅう鍛錬たんれん」とんだ。身体しんたい精神せいしん同時どうじきたえること(VI.70)。

3. アナイデイアanaideia恥知はじしらず)

アゴラagora自慰じいをした逸話いつわ有名ゆうめいだ(VI.46)。「はらこすって空腹くうふくなおればいいのに」。下品げひんだ、とおもうだろう。だがディオゲネスDiogenēsいはこうだ。なぜそれははずかしいのか。食事しょくじ排泄はいせつ性欲せいよくも、身体しんたいもとめる自然しぜん行為こういにすぎない。それを「かくすべきだ」とめたのは身体しんたいではなく慣習かんしゅうノモスnomos)だ。つまり、はじという感覚かんかく自然しぜんそなわったものではなく、社会しゃかいあとからえつけたものだ。そして人間にんげんはそのえつけられたはじに、一生いっしょうあやつられる。

ここに犬儒けんじゅ急所きゅうしょがある。はじ感覚かんかく社会しゃかい秩序ちつじょ維持いじする道具どうぐであって、自然しぜん命令めいれいではない。はじこわせば、社会しゃかい支配しはいける。極論きょくろんこえるかもしれないが、身近みぢかれいかんがえるとわかりやすい。電車でんしゃ自分じぶんだけマスクmaskをしていないときの、あの居心地いごこちわるさ。周囲しゅうい視線しせんになるあの感覚かんかくは、衛生えいせい問題もんだいなのか、感染かんせんへの恐怖きょうふなのか、それともたんに「みんながしているから」なのか。ディオゲネスDiogenēsなら、だと即答そくとうするだろう。

4. パレーシアparrēsia忌憚きたんなき発言はつげん

ディオゲネスDiogenēsだれにでもおな態度たいどせっした。奴隷どれいにもおうにも。アレクサンドロスAlexandros大王だいおうコリントスKorinthosたとき、日向ひなたぼっこしているディオゲネスDiogenēsのもとをおとずれて「なにのぞみはあるか」といた。「かげにならないでくれ」(VI.38)。世界せかい征服せいふくしたおとこたいして、「邪魔じゃまだ」とった。アレクサンドロスAlexandros感嘆かんたんしたとつたえられている。「もしわたしアレクサンドロスAlexandrosでなかったら、ディオゲネスDiogenēsになりたい」と(プルタルコスPlutarchosアレクサンドロスAlexandrosでん』14.2-3)。

パレーシアparrēsiaギリシャGreece民主みんしゅ政治せいじ理念りねんだった。自由じゆう市民しみん広場ひろばなにってもよい。ディオゲネスDiogenēsはそれを徹底てっていした。権力けんりょくしゃへの追従ついしょうこばみ、富裕ふゆうそう嘲笑ちょうしょうし、哲学者てつがくしゃ仲間なかま虚栄きょえいあばいた。プラトンPlatōn人間にんげんを「羽毛うもうのない二足にそく歩行ほこう動物どうぶつ」と定義ていぎしたとき、ディオゲネスDiogenēsにわとりはねむしってプラトンPlatōn学園がくえんんだ。「これがプラトンPlatōn人間にんげんだ」(VI.40)。言葉ことば反論はんろんするのではなく、行為こういわらばす。プラトンPlatōn弟子でしたちはさぞこまっただろう。論理ろんり対抗たいこうできる相手あいてではないのだから。

5. コスモポリテースkosmopolitēs世界せかい市民しみん

「おまえはどこの出身しゅっしんだ」とかれたとき、ディオゲネスDiogenēsは「世界せかい市民しみんだ」(コスモポリテースkosmopolitēs)とこたえた(VI.63)。記録きろくのこかぎり、このはじめて使つかった人物じんぶつだ。ポリスpolisへの帰属きぞく市民しみん存在そんざい理由りゆうだったギリシャGreeceで、「どこにもぞくさない」と宣言せんげんすることの衝撃しょうげき追放ついほうしゃとして市民しみんけんうしなったおとこが、国境こっきょうそのものを無効むこうにした。

この一言ひとことふたつのことを同時どうじっている。まず、ポリスpolis市民しみんけんがなくても人間にんげん人間にんげんだということ。市民しみんけん剥奪はくだつされた追放ついほうしゃだからこそえた言葉ことばだ。そしてもうひとつ、人間にんげん人間にんげんのあいだにある国境こっきょうは、自然しぜんいたせんではなく人間にんげん勝手かっていたせんにすぎないということ。アリストテレスAristotelēsが「人間にんげんポリスpolisてき動物どうぶつである」(『政治せいじがく』I.2, 1253a)と断言だんげんしたのにたいし、ディオゲネスDiogenēsポリスpolisなしの人間にんげん自分じぶん身体しんたいしめした。この発想はっそうストアStoaがれ、やがてローマRōma帝国ていこく普遍ふへん主義しゅぎ、18世紀せいき啓蒙けいもう思想しそうカントKant永遠えいえん平和へいわろんへとつながっていく。かめ無一文むいちもんおとこ一言ひとことが、2000ねんえる思想しそう出発しゅっぱつてんになったわけだ。

6. 自然しぜんしたがせいカタ・ピュシンkata physin

犬儒けんじゅにとって、自然しぜんピュシスphysis)と慣習かんしゅうノモスnomos)の対立たいりつ根本こんぽん問題もんだいだった。ディオゲネスDiogenēs徹底てっていして自然しぜんがわった。動物どうぶついえてず、料理りょうりをせず、ふくないが、ちゃんときている。ならば人間にんげんが「絶対ぜったい必要ひつようだ」とおもんでいるものの大半たいはんは、自然しぜんもとめているのではなく、慣習かんしゅうもとめているだけではないか。「文明ぶんめい」とばれるものの大半たいはん余計よけい荷物にもつだ、と。

この立場たちばのちストアStoa直接ちょくせつながむ。ストアStoa創始そうししゃゼノンZēnōnわかころ犬儒けんじゅクラテスKratēsディオゲネスDiogenēs弟子でし)にまなんだ。「自然しぜんしたがってきよ」というストアStoa根本こんぽん命題めいだいは、ディオゲネスDiogenēsかめらしからまれた。ストアStoaはそれを体系たいけい仕上しあげ、社会しゃかいのなかでも実践じっせんできるようにととのえた。いわばディオゲネスDiogenēs原液げんえきうすめてみやすくしたのがストアStoa哲学てつがくだとえるかもしれない。

主要しゅよう資料しりょうガイドguide

ディオゲネスDiogenēs自身じしん著作ちょさく現存げんぞんしない。情報じょうほうのほぼすべてが後世こうせい伝記でんき逸話いつわしゅう依存いぞんする。

  • ディオゲネス・ラエルティオスDiogenēs Laertios哲学者てつがくしゃ列伝れつでんだい6かんディオゲネスDiogenēsかんする最大さいだい一次いちじ資料しりょう逸話いつわ宝庫ほうこであり、信頼しんらいせい玉石ぎょくせき混交こんこうだが、これなしにはなにかたれない。邦訳ほうやく加来かく彰俊あきとしやくギリシアGreece哲学者てつがくしゃ列伝れつでん岩波いわなみ文庫ぶんこ
  • プルタルコスPlutarchos対比たいひ列伝れつでんアレクサンドロスAlexandrosでんアレクサンドロスAlexandrosとの対面たいめんエピソードepisode出典しゅってん邦訳ほうやく河野こうの与一よいちやくほか、岩波いわなみ文庫ぶんこ
  • Branham, R.B.ブランハム & Goulet-Cazé, M.-O.グーレ=カゼeds.), The Cynics: The Cynic Movement in Antiquity and Its Legacyキュニコス派:古代のキュニコス運動とその遺産, U of California Pressカリフォルニア大学出版局, 1996.犬儒けんじゅ研究けんきゅう標準ひょうじゅん論文ろんぶんしゅう歴史れきし思想しそう後世こうせいへの影響えいきょう包括ほうかつてきカバーcover
  • Navia, Luis E.ナヴィア, Diogenes the Cynic: The War Against the World犬儒派のディオゲネス:世界との戦い, Humanity Booksヒューマニティ・ブックス, 2005.逸話いつわ検証けんしょうから思想しそう再構さいこうせいまでおこなったモノグラフmonograph

主要しゅよう批判ひはん論争ろんそう

プラトンPlatōnディオゲネスDiogenēsを「くるったソクラテスSōkratēs」とんだ(VI.54)。この一言ひとこと正確せいかくだ。ソクラテスSōkratēs問答もんどうひと無知むちあばいたが、社会しゃかい枠組わくぐみそのものはこわさなかった。裁判さいばんしたがい、毒杯どくはいんだ。ディオゲネスDiogenēsならげただろう。あるいは裁判さいばんせき放尿ほうにょうしただろう。

アリストテレスAristotelēs立場たちばからすればディオゲネスDiogenēsかたは「人間にんげん幸福こうふく」ではない。アリストテレスAristotelēsにとって幸福こうふくには友人ゆうじん健康けんこう一定いってい財産ざいさん市民しみんとしての活動かつどう必要ひつようだった(『ニコマコスNicomachos倫理りんりがく』I.8, 1099a-b)。かめんで残飯ざんぱんおとこを「幸福こうふく」とべるか。ディオゲネスDiogenēsならこたえるだろう。「おまえは幸福こうふくか? 豪邸ごうていローンloanわれながら?」

資料しりょう問題もんだい無視むしできない。ディオゲネスDiogenēsかんする情報じょうほうはほぼすべて後世こうせい逸話いつわしゅうであり、どこまでが事実じじつでどこからが伝説でんせつかの線引せんびきはきわめて困難こんなんだ。かたですら複数ふくすう伝承でんしょうがある。なまたこべてんだ、いきめてんだ、いぬまれてんだ(VI.76-77)。どれが本当ほんとうかはわからない。ただ、かれ何通なんとおりもかたなおされたということ自体じたいが、この哲学者てつがくしゃ存在そんざい感を物語ものがたっている。アレクサンドロスAlexandros大王だいおう同日どうじつんだという伝説でんせつも、世界せかい征服せいふくしたおとこなにたなかったおとこついにしたい古代こだい想像力そうぞうりょくんだものだろう。

もっと根本こんぽんてき批判ひはんは、犬儒けんじゅ哲学てつがく他者たしゃとの関係かんけいてることだ。ディオゲネスDiogenēs自足じそくアウタルケイアautarkeia)は、究極きゅうきょくには一人ひとり完結かんけつする。だが人間にんげん一人ひとりきているわけではない。そだてるおやかめめない。病人びょうにんもの自足じそくてなければならない。犬儒けんじゅ自由じゆうは、他者たしゃへの責任せきにん放棄ほうきすることで成立せいりつする。犬儒けんじゅ自由じゆうには、そういう無視むしできない代償だいしょうがある。

影響えいきょう遺産いさん

弟子でしクラテスKratēs犬儒けんじゅ継承けいしょうテバイThēbai名家めいかまれたクラテスKratēsディオゲネスDiogenēs感化かんかされ、ぜん財産ざいさんして犬儒けんじゅはいった。クラテスKratēsつまヒッパルキアHipparchia夫婦ふうふ公衆こうしゅう面前めんぜん犬儒けんじゅ生活せいかつ実践じっせんした最初さいしょの「夫婦ふうふキュニコスKynikos」であり、ヒッパルキアHipparchia古代こだいギリシャGreeceもっと急進きゅうしんてき女性じょせい哲学者てつがくしゃ一人ひとりだった(VI.96-98)。

ストアStoaゼノンZēnōnわかころクラテスKratēs師事しじし、「自然しぜんしたがせい」と「とくのみがぜん」をストアStoa哲学てつがく根幹こんかんえた。犬儒けんじゅ過激かげきさをとし、社会しゃかいのなかできながら内面ないめん自由じゆうたもみちひらいた。エピクテトスEpiktētos後年こうねん理想りそうてきキュニコスKynikosを「かみ使者ししゃ」とび、ディオゲネスDiogenēsかえ引用いんようしている(『語録ごろく』III.22)。

ローマRōma帝政ていせいキュニコスKynikos復興ふっこう紀元きげん1-2世紀せいきローマRōma帝国ていこく街角まちかどにはキュニコスKynikos格好かっこう粗末そまつ外套がいとうつえふくろ)をした放浪ほうろう説教せっきょうしゃあふれた。権力けんりょくしゃ面前めんぜん罵倒ばとうするかれらに、皇帝こうていユリアヌスJulianus(4世紀せいき)は『無学むがくいぬどもにたいして』をいて反撃はんげきした。偽物にせものがこれほどえたこと自体じたいが、本物ほんもののディオゲネスがどれほどの衝撃しょうげきだったかを物語ものがたっている。

初期しょきキリストChristきょう使徒しとパウロPaulos放浪ほうろう生活せいかつ砂漠さばく隠修いんしゅうたち、托鉢たくはつ修道しゅうどうかい所有しょゆう放棄ほうき身体しんたい苦行くぎょうという犬儒けんじゅ実践じっせんは、キリストChristきょう禁欲きんよく主義しゅぎふか痕跡こんせきのこした。13世紀せいきアッシジAssisiフランチェスコFrancescoはだかちちまえち、財産ざいさん一切いっさいかえした場面ばめんは、ディオゲネスDiogenēs身振みぶりとかさなる。

近代きんだい現代げんだいルソーRousseau文明ぶんめい批判ひはんソローThoreauウォールデンWaldenでの生活せいかつ実験じっけんアナキズムanarchism権威けんい否定ひてい、20世紀せいきカウンターカルチャーcounterculture文明ぶんめい恩恵おんけい享受きょうじゅしながら文明ぶんめい批判ひはんするという矛盾むじゅんは、ディオゲネスDiogenēsにはなかった。かれ本当ほんとうてた。ミシェル・フーコーMichel Foucault晩年ばんねん講義こうぎ真理しんり勇気ゆうき』(1984ねん)で犬儒けんじゅパレーシアparrēsia集中しゅうちゅうてき分析ぶんせきし、ディオゲネスDiogenēsの「真実しんじつかた勇気ゆうき」を、権力けんりょくたいする抵抗ていこう原型げんけいとして位置いちづけた。哲学てつがくとは書斎しょさいてる理論りろんではなく、自分じぶん身体しんたいきる「せい様式ようしき」だという主張しゅちょうフーコーFoucaultがんおかされながらこの講義こうぎおこない、同年どうねんくなった。かれ最後さいご辿たどいたのが、2300ねんまえかめ哲学者てつがくしゃだったというのは、偶然ぐうぜんではないだろう。

現代げんだいへの接続せつぞく

ミニマリズムminimalismという言葉ことば流行りゅうこうしている。ちものをらし、部屋へやをすっきりさせ、すくないものでらす。ディオゲネスDiogenēsは2400ねんまえにそれを極限きょくげんまですすめた。ただし決定けっていてきちがいがある。現代げんだいミニマリズムminimalism快適かいてきさを手放てばなさない。厳選げんせんしたいものだけをのこす。ディオゲネスDiogenēsミニマリズムminimalismは「いもの」への執着しゅうちゃくそのものをる。

SNSエスエヌエス承認しょうにん欲求よっきゅう。いいねのかずフォロワーfollowerかず他人たにんからどうられているか。ディオゲネスDiogenēs解体かいたいした「はじ」の構造こうぞうは、SNSエスエヌエスしになっている。他人たにん評価ひょうかによって自分じぶん価値かちまるという感覚かんかく。それをディオゲネスDiogenēsった。きらわれることをおそれないのではない。そもそもかれようとすること自体じたいが、他人たにん自分じぶん価値かち判定はんていゆだねているのだ、とディオゲネスDiogenēsならうだろう。

ホームレスhomeless哲学てつがくディオゲネスDiogenēs現代げんだいれてくれば、かれ路上ろじょう生活者せいかつしゃだ。かめ哲学者てつがくしゃ尊敬そんけいされ、だんボールに人間にんげん排除はいじょされる。このはどこからるか。選択せんたく有無うむか。知性ちせいか。それとも2400ねん距離きょりか。ディオゲネスDiogenēs偉人いじんとしてたたえるなら、路上ろじょう生活者せいかつしゃさげす自分じぶん視線しせんをどう説明せつめいするのか。

労働ろうどう生存せいぞんしゅう5にちはたらき、家賃やちんはらい、保険ほけんはいり、老後ろうごそなえる。人生じんせい大半たいはんを「きるための準備じゅんび」についやしている。ディオゲネスDiogenēsはその回路かいろ切断せつだんした。必要ひつようなものを最小さいしょうにすれば、そのぶんはたら時間じかんる。いた時間じかんまるごと自分じぶんのものになる。現代げんだい社会しゃかいでは生活せいかつ水準すいじゅんげること自体じたいが「け」にえるが、ディオゲネスDiogenēs計算けいさんではそれこそが「ち」だった。生活せいかつ維持いじするために生活せいかつ時間じかんわたすのは、本末ほんまつ転倒てんとうだろうと。

読者どくしゃへの

  • あなたのちもののうち、本当ほんとう必要ひつようなものはいくつあるか。のこりを全部ぜんぶてたら、あなたはなにうしなうか。なにのこるか。
  • 他人たにん一切いっさいにしなくていいとしたら、明日あしたあなたの行動こうどうなにわるか。なにわらないなら、あなたはすでに自由じゆうだ。わるなら、いま行動こうどうだれのためにやっているのか。
  • ディオゲネスDiogenēs尊敬そんけいされるが、路上ろじょう生活者せいかつしゃ排除はいじょされる。「選択せんたくした貧困ひんこん」と「いられた貧困ひんこん」のを、あなたはどこにくか。

名言めいげん出典しゅってんつき)

"人間にんげんさがしているのだ。" 出典しゅってんディオゲネス・ラエルティオスDiogenēs Laertios哲学者てつがくしゃ列伝れつでん』VI.41/原文げんぶん:"Anthrōpon zētō.アントローポン・ゼートー"(Ἄνθρωπον ζητῶ.人間を探している

白昼はくちゅうランプlamp人間にんげんはどこにでもいるのに、「人間にんげん」はどこにもいない。肩書かたがきや財産ざいさんいだ人間にんげんに、ディオゲネスDiogenēs出会であえなかった。

かげにならないでくれ。」 出典しゅってんプルタルコスPlutarchos対比たいひ列伝れつでんアレクサンドロスAlexandrosでん 14.2-3/原文げんぶん:"Mikron apo tou hēliou metasthēthi.ミクロン・アポ・トゥー・ヘーリウー・メタステーティ"(Μικρὸν ἀπὸ τοῦ ἡλίου μετάστηθι.少し太陽からどいてくれ

世界せかい支配者しはいしゃたいしてもとめたのは、「どいてくれ」だけ。権力けんりょくあたえられるものに興味きょうみがないとき、権力けんりょく無力むりょくになる。

わたし世界せかい市民しみんだ。」 出典しゅってんディオゲネス・ラエルティオスDiogenēs Laertios哲学者てつがくしゃ列伝れつでん』VI.63/原文げんぶん:"Kosmopolitēs eimi.コスモポリテース・エイミ"(Κοσμοπολίτης εἰμί.私は世界の市民だ

追放ついほうしゃ発明はつめいした国境こっきょううしなった人間にんげんが、国境こっきょうそのものを否定ひていした。

かれらがわたしシノペSinōpēから追放ついほうしたのではない。わたしかれらにシノペSinōpēとどまることを宣告せんこくしてやったのだ。」 出典しゅってんディオゲネス・ラエルティオスDiogenēs Laertios哲学者てつがくしゃ列伝れつでん』VI.49/原文げんぶん:(趣意しゅい要約ようやく原文げんぶんはVI.49の文脈ぶんみゃくつたわる)

追放ついほうというばつを、かれ視点してん転換てんかん無力むりょくにした。められているのはどちらか。かべそとにいるものか、かべなかからられないものか。

参考さんこう文献ぶんけん

  • 一次いちじ資料しりょう邦訳ほうやくディオゲネス・ラエルティオスDiogenēs LaertiosギリシアGreece哲学者てつがくしゃ列伝れつでん加来かく彰俊あきとしやく岩波いわなみ文庫ぶんこじょうちゅう)。だい6かんディオゲネスDiogenēs主要しゅよう資料しりょう
  • 一次いちじ資料しりょうプルタルコスPlutarchos対比たいひ列伝れつでんアレクサンドロスAlexandrosでん邦訳ほうやく河野こうの与一よいちやくほか、岩波いわなみ文庫ぶんこ
  • 研究けんきゅうしょBranham, R.B.ブランハム & Goulet-Cazé, M.-O.グーレ=カゼeds.), The Cynics: The Cynic Movement in Antiquity and Its Legacyキュニコス派:古代のキュニコス運動とその遺産. Berkeleyバークレー: University of California Pressカリフォルニア大学出版局, 1996.
  • 研究けんきゅうしょNavia, Luis E.ナヴィア, Diogenes the Cynic: The War Against the World犬儒派のディオゲネス:世界との戦い. Amherstアマースト: Humanity Booksヒューマニティ・ブックス, 2005.
  • 研究けんきゅうしょDesmond, Williamデズモンド, Cynicsキュニコス派. Stocksfieldストックスフィールド: Acumenアキューメン, 2008.
  • 概説がいせつLong, A.A.ロング & Sedley, D.N.セドレー, The Hellenistic Philosophersヘレニズムの哲学者たち. Cambridgeケンブリッジ: Cambridge University Pressケンブリッジ大学出版局, 1987.
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