「すべての人間は本性上知ることを欲する。その証拠に、感覚への愛好がある。」こう書き出されるのは、西洋哲学史上最も影響力のある書物のひとつ、アリストテレスの『形而上学』(『タ・メタ・タ・ピュシカ』I.1, 980a21)の冒頭である。この一文には、知への欲求を人間の本質と見なすアリストテレスの根本姿勢が凝縮されている。
アリストテレスは紀元前4世紀のギリシャに生き、哲学・論理学・自然学・倫理学・政治学・詩学・生物学、つまり知のほぼすべての領域を体系的に論じた。「万学の祖」と呼ばれるゆえんである。師プラトンが感覚世界の彼方にあるイデアに真の実在を求めたのに対し、アリストテレスは目の前にある個物(この馬、この人間、この樫の木)こそが第一の実在(ウーシア)であると主張した。哲学を天上から地上に引き戻した。この転換がもたらした影響は計り知れない。
しかしアリストテレスは単なる経験主義者ではない。彼は個物のうちに形(形相=エイドス)と材料(質料=ヒュレー)という二つの側面を見出し、さらに四つの原因(「何からできているか」「何であるか」「何が動かしたか」「何のためか」)によって「なぜ」を徹底的に問い尽くす方法を確立した。また「まだ実現していないが、実現しうる状態」(可能態=デュナミス)から「実現した状態」(現実態=エネルゲイア)への展開として変化と運動を説明し、存在のあらゆる次元を統一的に把握しようとした。
本記事では、形而上学・論理学・自然学・倫理学・政治学を横断しつつ、アリストテレスが何を問い、いかなる体系を築いたのかを追う。そしてその問いが2400年を経た現代にどう響くかを検討する。
この記事の要点
- 四原因説と形相=質料論:アリストテレスはあらゆる存在と変化を質料因・形相因・起動因・目的因の四つから説明した。個物は形相と質料の複合体(シュノロン)であり、プラトンのイデアのように分離して存在する普遍ではなく、具体的な事物のなかにこそ本質がある。この枠組みは自然科学の方法論に決定的な影響を与えた。
- 論理学(オルガノン)と三段論法:アリストテレスは形式論理学を史上初めて体系化し、三段論法(シュロギスモス)を推論の基本形式として定式化した。この論理学は19世紀まで西洋の知的基盤であり続けた。
- 中庸の徳とエウダイモニア:人間にとっての最高善は幸福(エウダイモニア)であり、それは徳に即した魂の活動によって実現される。徳とは過剰と不足の中間(メソテース)にある性格の状態であり、習慣と実践によって獲得される。
生涯と時代背景
アリストテレスは紀元前384年、マケドニア王国の辺境の町スタゲイラに生まれた。父ニコマコスはマケドニア王アミュンタス3世の侍医であった。この医師の家系に生まれたという事実は、経験的観察を重んじるアリストテレスの知的姿勢の背景をうかがわせる(ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』V.1)。
17歳のとき(紀元前367年)、アリストテレスはアテナイに赴き、プラトンの学園アカデメイアに入門した。以後20年間(プラトンが没する紀元前347年まで)アカデメイアに在籍した。プラトンはアリストテレスを「学園の知性」(ヌース)と呼んだと伝えられ(ディオゲネス・ラエルティオスV.1)、師弟の関係は親密でありながら知的な緊張を孕んでいた。アリストテレス自身は後にこう書いている。「プラトンは友であるが、真理はより友である(アミクス・プラトー・セド・マギス・アミカ・ウェリタス)」(『ニコマコス倫理学』I.6, 1096a16の趣旨をラテン語で定式化したもの)。
プラトンの死後、アリストテレスはアテナイを離れ、小アジアのアッソスで僭主ヘルミアスの庇護のもと研究を続けた。この時期にヘルミアスの養女(一説には姪)ピュティアスと結婚し、同名の娘をもうけている(ディオゲネス・ラエルティオスV.1)。のちヘルミアスがペルシアに捕らえられ処刑されると、アリストテレスはレスボス島に移り、弟子テオプラストスとともに動植物の精密な観察と記録に没頭した。ここでの研究は『動物誌』(ヒストリア・アニマリウム)『動物部分論』『動物発生論』として結実し、経験的自然科学の先駆けとなった。紀元前343年にはマケドニア王ピリッポス2世に招かれ、若き王子アレクサンドロス(のちの大王)の教育を任された。哲学者と征服者の出会いは歴史の綾であるが、両者の思想的影響関係については多くが不明のままである。
紀元前335年、アリストテレスはアテナイに戻り、リュケイオン(アポロン・リュケイオスの神域)に自らの学園を開いた。弟子たちと回廊(ペリパトス)を散歩しながら議論したことから「逍遥学派」(ペリパトス学派)と呼ばれた。ここでアリストテレスは12年間にわたって講義・研究・執筆に打ち込んだ。現存する著作の大部分はこの時期の講義ノートに基づくとされる。
紀元前323年、アレクサンドロス大王が急死すると、アテナイに反マケドニア感情が高まった。アリストテレスは不敬の罪で告発される危険を察し、「アテナイの人々が哲学に対して二度罪を犯すことのないように」と語って(ソクラテスの処刑を念頭に置いた言葉)カルキスに退き、翌紀元前322年に62歳で没した(ディオゲネス・ラエルティオスV.5-10)。
ミニ年表
- 紀元前384年:スタゲイラに生まれる。父はマケドニア王の侍医
- 紀元前367年:17歳でアテナイへ。プラトンのアカデメイアに入門
- 紀元前347年:プラトン没。アカデメイアを離れアッソスへ
- 紀元前345〜343年:レスボス島で生物学的観察に従事
- 紀元前343年:アレクサンドロスの教育係に就任
- 紀元前335年:アテナイに帰還。リュケイオンを開設
- 紀元前323年:アレクサンドロス大王死去。反マケドニア感情の高まりでカルキスに退去
- 紀元前322年:カルキスにて没(62歳)
この哲学者は何を問うたのか
プラトンは感覚世界の背後に永遠不変のイデアを想定した。私たちが目にする個々の馬や花は、天上に存在する完全な「馬のイデア」「花のイデア」の不完全な模像にすぎないとされた。しかしアリストテレスはこの理論に根本的な疑問を投げた。もし「馬のイデア」が天上にあるとして、目の前のこの馬が走ったり成長したりすることを、遠く離れたイデアはどう説明できるのか(『形而上学』I.9, 990b-991b)。個物から切り離されたイデアは、個物の原因になりえないのではないか。
アリストテレスが立てた問いの核心はこうである。「あるもの」とは何か(ティ・ト・オン)。存在するとはどういうことか、事物はなぜ変化するのか、知識はいかにして成立するのか、人間はいかに生きるべきか。これらの問いを、天上のイデアではなく、地上の経験的事実から出発して解き明かすこと。それがアリストテレスの哲学の根本方針であった。
こうしてアリストテレスは「存在としての存在を探究する学」(『形而上学』IV.1, 1003a21、のちに「第一哲学」と呼ばれるもの)を構想した。自然学は自然界を、数学は数や図形を扱うが、第一哲学はそもそも「存在するとはどういうことか」を問う。すべての学問の土台となる問いである。ここにアリストテレスの壮大な知の体系が始まる。
核心理論
1. 実体(ウーシア)── 存在の第一の意味
「存在は多くの仕方で語られる」(『形而上学』IV.2, 1003a33)。アリストテレスの出発点はここにある。私たちが「ある」と言うとき、その意味は一様ではない。「ソクラテスがいる」と「白い」と「3キュビトある」と「二倍の」とでは、存在の仕方がそれぞれ異なる。アリストテレスはこうした存在の種類を範疇(カテゴリア)として整理し、実体・性質・量・関係などに分類した。そのうえで彼が強調するのは、すべての範疇が実体を前提とするということである。「白い」が存在するためには、白い「何か」(たとえば白い壁や白い紙)がなければならない。色や大きさだけが宙に浮いて存在することはない。
アリストテレスは実体を二重に規定した。第一実体とは個別の具体的存在(「この人間」「この馬」)であり(『範疇論』5, 2a11-19)、第二実体とは種(「人間」)や類(「動物」)である。プラトンが普遍(イデア)に第一の実在性を認めたのとは正に逆である。個物こそが最もリアルなものだ。これがアリストテレスの形而上学の基盤である。
2. 形相と質料(ヒュレモルフィズム)
個物は形相(エイドス/モルフェー)と質料(ヒュレー)の複合体(シュノロン)である。青銅の彫像を例に取れば、青銅が質料であり、彫像の形が形相である(『形而上学』VII.3, 1029a3-5)。形相はプラトンのイデアと同じギリシャ語(エイドス)で呼ばれるが、決定的に異なるのは、それが個物から分離して存在するのではなく、質料のなかに内在する点である。
生物においてこの枠組みはいっそう明確になる。魂(プシュケー)は身体の形相であり、身体は魂の質料である(『魂について』II.1, 412a19-21)。たとえば目の形相は「見る働き」であり、斧の形相は「切る働き」である。同じように、魂とは身体から独立した霊的実体ではなく、生きている身体全体の「働き」(栄養を摂り、感覚し、思考する活動そのもの)である。アリストテレスの言葉では自然的身体の「第一の現実態」と表現される。この考え方は、魂と身体を別々の存在と見なすプラトン的な心身二元論を退けるものであり、心を身体の機能として捉える現代の機能主義の先駆とも言える。
3. 四原因説 ── 「なぜ」を問い尽くす
アリストテレスは「知る」とは「原因を知る」ことであるとした(『自然学』II.3, 194b17-20)。そして原因には四つの種類がある。
(1)質料因(ヒュレー):それが「何から」できているか。家における煉瓦と木材。(2)形相因(エイドス):それが「何であるか」。家の設計図。(3)起動因(アルケー・テース・キネーセオース):「何が」それを動かしたか。家を建てた建築家。(4)目的因(テロス):「何のために」。住むために建てられた家。この四つの原因は互いに独立しているのではなく、一つの事物を四つの角度から説明するものである。家が家として存在するためには、材料があり、設計があり、建てる者がいて、住むという目的がある。この四つがすべて揃ってはじめて「なぜこの家があるのか」を十分に説明したことになる。
アリストテレスにとって、自然もまた目的をもって働く。樫の実は偶然樫の木になるのではなく、樫の木になるために成長する。目は見るために存在し、歯は噛むために生えている。この目的論(テレオロジー)は、自然現象を機械的な因果だけで説明する近代科学の世界観とは鋭く対立する。しかし生物学の領域では、「この器官は何のためにあるのか」という問いは今日でも有効であり続けている。「自然は無駄なことをしない」(『政治学』I.2, 1253a9)──この原理は、自然選択による適応の説明とある種の構造的類似を見せる。
4. 可能態と現実態(デュナミスとエネルゲイア)
変化とは何か。パルメニデスは変化を否定し、プラトンは変化を影の世界に押し込めた。アリストテレスはこの難問を可能態(デュナミス)と現実態(エネルゲイア)の区別で解決した(『形而上学』IX.1-9)。
樫の実は可能態としての樫の木であり、成長して樫の木になったとき現実態に達する。同じように、大理石の塊には美しい彫像になる可能性が潜んでおり、彫刻家の手によって形を与えられたとき現実態に達する。つまり変化とは、あるものの内に秘められていた可能性が現実の姿として現れることである。アリストテレスはこれを厳密に「可能的なものが可能的である限りにおいて現実化すること」と定義した(『自然学』III.1, 201a10-11)。ここで重要なのは、存在が「あるか、ないか」の二択ではなくなるという点である。「まだ完全にはないが、成りうる」という中間状態を認めることで、パルメニデスが封じた「無からの生成」の難問を回避しつつ、私たちが日々目にしている変化(種が芽吹き、子どもが大人になる)を合理的に説明できるようになる。
そしてアリストテレスは現実態が可能態に先立つと主張する(『形而上学』IX.8)。鶏は卵に先立つ。完成した形態こそが可能態の目指すところであり、存在論的に優先する。この原理は宇宙論の頂点である「不動の動者」へとつながる。
5. 不動の動者 ── 純粋現実態
運動は永遠であるとアリストテレスは考えた。しかし運動の連鎖には究極の原因が必要である。何かを動かすものは、それ自身も別のものに動かされている。この系列は無限に遡ることはできない。したがって、自らは動かずに他の一切を動かすもの、すなわち「不動の動者」(ト・プロートン・キヌーン・アキネートン)が存在しなければならない(『形而上学』XII.7, 1072a23-b3)。
不動の動者は純粋現実態であり、一切の可能態を含まない。変化しうるものはまだ完成していないが、不動の動者にはそうした未完成さが一切ない。それは「思惟の思惟」(ノエーシス・ノエーセオース、つまり純粋な知性そのものが永遠に自らを思惟しつづける活動)として存在する(XII.9, 1074b33-35)。
では、動かないものがどうやって世界を動かすのか。アリストテレスの答えは独特である。不動の動者は物理的な力で世界を押すのではなく、「愛されるものとして動かす」(XII.7, 1072b3)。これは比喩で考えると分かりやすい。憧れの人物は、何も命令しなくても周囲の人々を奮い立たせ、より良い自分になろうとする意欲を引き出す。それと同じように、完全なるものの存在そのものが万物の憧れを呼び起こし、万物はそれに向かって自らを実現しようとする。いわば宇宙を貫く目的論的な引力である。この概念は後の中世キリスト教神学、とりわけトマス・アクィナスの神の存在証明に決定的な影響を与えた。
6. 論理学 ── 三段論法と学問の道具
アリストテレスは論理学を哲学の一部ではなく、あらゆる学問に先立つ「道具」(オルガノン)と位置づけた。彼の論理学著作(『範疇論』『命題論』『分析論前書・後書』『トピカ』『詭弁論駁論』)は後にまとめて「オルガノン」と呼ばれた。
核心は三段論法(シュロギスモス)である。「すべての人間は死ぬ(大前提)、ソクラテスは人間である(小前提)、ゆえにソクラテスは死ぬ(結論)」。私たちが日常的に行っている推論を、アリストテレスは「すべてのMはPである、すべてのSはMである、ゆえにすべてのSはPである」という形式として取り出した。この形式が推論の基本単位として抽出され、妥当な推論形式が網羅的に分類された(『分析論前書』I.1-7)。カントは『純粋理性批判』の序文で、アリストテレスの論理学は「以来一歩も後退する必要がなく、また一歩も前進することができなかった」と述べた(Bviii)。19世紀にフレーゲが述語論理学を創始するまで、アリストテレスの論理学は2000年以上西洋思想の基盤であり続けた。
7. 倫理学 ── 中庸の徳とエウダイモニア
アリストテレスの倫理学は幸福(エウダイモニア)から出発する。「あらゆる技術、あらゆる探究、同じくあらゆる実践と選択は、何らかの善を目指していると思われる」(『ニコマコス倫理学』I.1, 1094a1-3)。善のなかの善、つまりそれ自体のために求められ、他のいかなる目的の手段でもないものが幸福(エウダイモニア)である。
では幸福とは具体的に何か。アリストテレスは「徳(アレテー)に即した魂の活動」(I.7, 1098a16-17)と定義する。幸福とは一時の快感や財産の所有ではなく、徳にかなった生き方を生涯にわたって実践し続けること(一羽の燕が春を作るのではない、I.7, 1098a18)である。
徳(倫理的徳)とは過剰と不足の中間、つまり中庸(メソテース)にある性格の状態(ヘクシス)である(II.6, 1106b36-1107a2)。勇気は無謀(過剰)と臆病(不足)の中間であり、気前の良さは浪費と吝嗇の中間である。ただし中庸は算術的な中間ではなく、状況・人・時に応じて異なる。「適切な時に、適切な事柄について、適切な人に対して、適切な目的のために、適切な仕方で」(II.6, 1106b21-23)感じ、行為することが徳である。
重要なのは、徳は生まれつきではなく習慣(エトス)によって獲得されるという点である(II.1, 1103a14-26)。竪琴を弾くことによって竪琴弾きになるように、勇敢な行為を繰り返すことによって勇敢になる。倫理は理論ではなく実践の問題であり、知っているだけでは不十分で、行わなければならない。
こうした徳は孤立した個人のなかで完成するのではない。アリストテレスは善き生にとって他者との関係が不可欠であることを重視し、『ニコマコス倫理学』の全10巻のうち2巻(VIII-IX巻)を友愛(ピリア)の分析に充てている。友愛には三つの種類がある。有用性に基づく友愛(商取引のように互いの利益のための関係)、快楽に基づく友愛(若者が楽しさを共有する関係)、そして徳に基づく完全な友愛(相手の善そのものを願う関係)である(VIII.3, 1156a6-b6)。完全な友愛は互いが徳ある人間であることを前提とし、時間と親密さを必要とするため稀であるが、それこそが善き生に不可欠な要素である。「友なくして何人も生きることを選ばないであろう、たとえ他のすべての善を持っていたとしても」(VIII.1, 1155a5-6)。
では、徳にかなった生のなかで最も幸福な生き方とは何か。『ニコマコス倫理学』の最終巻でアリストテレスが示す答えは、観想的生(ビオス・テオレーティコス)である(X.7-8, 1177a12-1179a32)。これは宇宙や自然の真理をただ知りたいという純粋な欲求に従い、探究そのものに没頭する生き方である。観想は自足的であり、他の何かの手段ではなくそれ自体のために求められる。これは知性的徳(ディアノエーティケー・アレテー)の最高形態であり、倫理的徳に基づく実践的生とともに幸福の二つの柱をなす。ただしアリストテレスは現実主義者でもあり、幸福には健康・財産・友人といった外的善もある程度必要であると認めた(I.8, 1099a31-b8)。純粋な精神主義でもなく物質主義でもない、この均衡感覚もまたアリストテレスの特徴である。
8. 政治学 ── 「人間はポリス的動物である」
「人間は本性上ポリス的動物(ゾーオン・ポリティコン)である」(『政治学』I.2, 1253a2-3)。アリストテレスはこう宣言した。人間は一人では善く生きることができない。言葉を交わし、法を定め、正義と不正義を論じ合う共同体のなかでこそ、人間は人間として完成する。倫理学が個人の幸福を論じるのに対し、政治学は共同体全体の幸福を論じる。したがって政治学は倫理学の延長であり、「最高のアルキテクトニケー(統轄的学問)」である(『ニコマコス倫理学』I.2, 1094a26-b7)。
アリストテレスは158の都市国家の政体を収集・分析し(その大部分は失われたが『アテナイ人の国制』は現存する)、政体を支配者の数(一人・少数・多数)と目的(共通善か私利か)で六類型に分けた(『政治学』III.7)。正しい政体:王政・貴族政・国制(ポリテイア)。その逸脱形態:僭主政・寡頭政・民主政。アリストテレスは中間層が厚い「混合政体」を最も安定した政治形態と考えた(IV.11)。これもまた「中庸」の精神の政治的応用といえる。
主要著作ガイド
- 『形而上学』(タ・メタ・タ・ピュシカ)── 存在としての存在を問う「第一哲学」。実体・原因・不動の動者を論じる。邦訳:出隆訳(岩波文庫)。
- 『ニコマコス倫理学』(エーティカ・ニコマケイア)── 幸福・徳・友愛・観想的生を論じた倫理学の最高傑作。邦訳:高田三郎訳(岩波文庫)、朴一功訳(京都大学学術出版会)。
- 『自然学』(ピュシカ)── 運動・変化・場所・時間・無限を論じた自然哲学の基礎文献。
- 『政治学』(ポリティカ)── 国家と政体の分析。政治学の源流。邦訳:山本光雄訳(岩波文庫)。
- 『魂について』(デ・アニマ)── 魂を身体の形相と定義。心の哲学の原点。
- 『詩学』(ペリ・ポイエーティケース)── 悲劇の分析。模倣(ミメーシス)と浄化(カタルシス)の理論で西洋文芸批評の基盤を築いた。
- 『分析論前書・後書』(アナリュティカ)── 三段論法と学問的証明の理論。形式論理学の出発点。
- 『弁論術』(レートリケー)── 説得の技術を体系的に分析。論証(ロゴス)・性格(エートス)・感情(パトス)による三つの説得手段を論じ、西洋修辞学の基盤を築いた。
主要な批判と論争
1. 目的論への批判:「石はなぜ落ちるのか」。アリストテレスなら「石の自然な場所(下方)へ向かうため」と答えるが、近代科学は「重力という力が働くから」と答える。ガリレオやニュートンは目的因を科学の説明から排除し、主として機械論的因果(とりわけ起動因を中心とする説明)で自然を説明しようとした。ベーコンは目的因の探究を「処女のごとく何も生まない」と断じた(『学問の進歩』(デ・アウグメンティス)III.4)。目的論の追放は近代科学の成立条件のひとつであった。
2. 論理学の限界:アリストテレスの三段論法は「AはBである」という主語-述語形式の命題だけを扱う。しかし「AはBより大きい」のような関係命題や、「すべてのxについて、あるyが存在して…」のような複雑な量化構造は扱えない。19世紀にフレーゲが述語論理学を創始し、これらの形式を扱えるようになった。アリストテレスの論理学は2000年にわたる偉大な出発点であったが、現代論理学から見れば射程が限られていることは否めない。
3. 自然奴隷論と女性観:アリストテレスは「ある人間は本性上奴隷である」(『政治学』I.5, 1254a14-17)と述べ、女性を理性において男性に劣るとした(I.13, 1260a12-14)。この立場は古代の社会構造を反映しているとはいえ、現代の平等主義の観点からは厳しく批判される。アリストテレスの思想を受容する際には、この限界を明確に認識する必要がある。
4. 現代徳倫理学からの再評価:20世紀後半、アンスコムの論文「近代道徳哲学」(1958年)を契機に、義務論と功利主義に対する第三の選択肢としてアリストテレス的な徳倫理学が復興した。マッキンタイア『美徳なき時代』(1981年)、ヌスバウム『善の脆さ』(1986年)はその代表的な成果であり、「いかに生きるべきか」を問う倫理学の復権に貢献した。
影響と遺産
イスラーム哲学:アリストテレスの著作は中世ヨーロッパではその多くが直接には読まれなくなったが、アラビア語翻訳を通じて保存された。イブン・シーナー(アヴィセンナ)とイブン・ルシュド(アヴェロエス)はアリストテレスの注解者として知られ、とりわけアヴェロエスは西洋で「注解者」(ザ・コメンテーター)と呼ばれた。
中世スコラ哲学:12〜13世紀にアリストテレスの著作がラテン語に再び翻訳されると、ヨーロッパの知的世界に革命が起きた。トマス・アクィナスはアリストテレス哲学とキリスト教神学の総合を試み、不動の動者をキリスト教の神と同一視した。ダンテは『神曲』でアリストテレスを「知る者たちの師」(マエストロ・ディ・コロル・ケ・サンノ)と呼んだ(『地獄篇』IV.131)。
近代科学革命:17世紀の科学革命はアリストテレスの自然学への反発から始まった。ガリレオは落体の法則によってアリストテレスの運動論を覆し、ニュートンの力学は目的論的自然観を機械論に置き換えた。しかし皮肉なことに、近代科学の方法論(観察・分類・因果的説明)そのものは、アリストテレスが確立した枠組みに深く負っている。
生物学:アリストテレスはレスボス島で500種以上の動物を観察・記録し、分類学の基礎を築いた。ダーウィンは「リンネとキュヴィエは私の神であったが、彼らもアリストテレスに比べれば単なる生徒にすぎない」と書簡で述べている(1882年、ウィリアム・オーグルへの書簡)。
現代への接続
第一に、徳倫理学の復権。「何をすべきか」(義務論)や「結果をどう最大化するか」(功利主義)ではなく、「どのような人間になるべきか」を問うアリストテレス的倫理学は、AI倫理やケアの倫理、専門職倫理など現代の応用倫理学でも参照され続けている。
第二に、目的論と機能主義。生物学において「心臓は血液を送るためにある」と語ることは今日でも自然である。機能的説明は厳密にはアリストテレスの目的因そのものではないが、構造的に類似している。進化生物学における適応の説明と目的論の関係は、科学哲学で今なお活発に議論されている。
第三に、実践知(フロネーシス)の重要性。アリストテレスは理論知(エピステーメー)と実践知(フロネーシス)を区別した。実践知とは「善き生」に関わる判断力(マニュアル化できない、具体的状況に応じた賢慮)である。AIの判断が広がる現代において、定量化しにくい実践知の概念はむしろその重要性を増している。
読者への問い
- 幸福(エウダイモニア)を「徳に即した魂の活動」と定義するアリストテレスの立場は、現代の快楽主義的な幸福観(欲求充足や主観的満足)とどう折り合うか。あなたにとっての「善き生」とは何か。
- アリストテレスの目的論は自然科学から追放されたが、私たちは日常生活で常に「何のために」と問い続けている。目的論的説明は本当に不要なのか、それとも人間の理解にとって不可欠なのか。
- 徳は習慣によって獲得されるとアリストテレスは説いた。しかし現代社会の環境(SNS、消費文化、情報過多)のなかで、「よい習慣」を形成することはどこまで可能か。
名言(出典つき)
"「すべての人間は本性上知ることを欲する。」" 出典:アリストテレス『形而上学(メタピュシカ)』I.1, 980a21/原文:"πάντες ἄνθρωποι τοῦ εἰδέναι ὀρέγονται φύσει"
"「一羽の燕が春をつくるのではなく、一日もまたそうではない。このようにして、一日やわずかの時間が人を幸福にするのではない。」" 出典:アリストテレス『ニコマコス倫理学(エーティカ・ニコマケイア)』I.7, 1098a18-20/原文:"μία γὰρ χελιδὼν ἔαρ οὐ ποιεῖ, οὐδὲ μία ἡμέρα· οὕτω δὲ οὐδὲ μακάριον καὶ εὐδαίμονα μία ἡμέρα οὐδ' ὀλίγος χρόνος"
"「人間は本性上ポリス的動物である。」" 出典:アリストテレス『政治学(ポリティカ)』I.2, 1253a2-3/原文:"ὁ ἄνθρωπος φύσει πολιτικὸν ζῷον"
"「我々は繰り返し行うことの結果そのものである。ゆえに卓越は行為ではなく習慣なのだ。」" 出典:ウィル・デュラント『哲学の物語(ストーリー・オブ・フィロソフィー)』(1926年)によるアリストテレスの趣旨の意訳。原典は『ニコマコス倫理学』II.1の議論に基づく。厳密にはアリストテレスの直接の言葉ではないが、その思想の核心を簡潔に伝えるものとして広く引用される。
参考文献
- (原典):Aristotle. The Complete Works of Aristotle: The Revised Oxford Translation. Ed. Jonathan Barnes. 2 vols. Princeton UP, 1984.── 英訳全集の標準版
- (概説):Shields, Christopher. Aristotle. 2nd ed., Routledge, 2014.── アリストテレス哲学の包括的入門書
- (研究書):Ross, W.D. Aristotle. 6th ed., Routledge, 1995.── 古典的な概説書。今なお有用
- (邦語文献):出隆訳『形而上学』(岩波文庫、上下)── 邦訳の定番
- (邦語文献):高田三郎訳『ニコマコス倫理学』(岩波文庫、上下)── 広く読まれている邦訳
- (研究書):Ackrill, J.L. Aristotle the Philosopher. Oxford UP, 1981.── 明快な入門書
- (倫理学):MacIntyre, Alasdair. After Virtue. 3rd ed., Notre Dame UP, 2007.── アリストテレス的徳倫理学の現代的復興
- (倫理学):Nussbaum, Martha C.. The Fragility of Goodness. Rev. ed., Cambridge UP, 2001.── ギリシャ悲劇と哲学における運と倫理の関係を論じた重要研究
- (ウェブ):Shields, Christopher. "Aristotle." Stanford Encyclopedia of Philosophy. https://plato.stanford.edu/entries/aristotle/