夕食ゆうしょくせきで、家族かぞくのなかに政治せいじ宗教しゅうきょう話題わだいされたとき、空気くうきがわずかにりつめるのをかんじたことはないでしょうか。だれかが「まあ、そのはなしはやめておきましょう」としずかにい、話題わだい天気てんき近所きんじょさくら開花かいかうつる。あのちいさな沈黙ちんもく。あのかすかな退しりぞき。わたしたちはごろ、意識いしきしないままに「寛容かんよう」という行為こういかえしています。

けれども寛容かんようは、食卓しょくたくまずさを回避かいひする処世術しょせいじゅつにとどまるものではありません。隣人りんじんがあなたとはまったくことなるかみしんじているとき。同僚どうりょうがどうしてもれがたい政治的せいじてき信条しんじょうかかげているとき。相手あいて間違まちがっているとこころそこからおもいながら、それでもなおそのひととなりすわつづけることは可能かのうでしょうか。ここには、食事しょくじ気遣きづかいとは次元じげんちがいがひそんでいます。

人類じんるい歴史れきしは、このいにたいしてながいあいだ、こたえてきました。異端いたんき、異教徒いきょうと追放ついほうし、信仰しんこう相違そうい理由りゆう都市としいた。16世紀せいきから17世紀せいきにかけてヨーロッパEuropeいた宗教しゅうきょう戦争せんそうは、「ただしい信仰しんこう」を武力ぶりょく強制きょうせいしようとしたこころみがどこへくかを、はい死体したいやまおしえてくれました。寛容かんようという理念りねんは、しずかな書斎しょさいまれたのではありません。焦土しょうどのうえに、もう二度にどかえすまいというにが決意けついとともにしたのです。

ロックJohn Locke信仰しんこう強制きょうせいすることの不可能ふかのうろんじ、ヴォルテールVoltaire冤罪えんざい事件じけんまえにして狂信きょうしんおろかさを告発こくはつしました。ミルJohn Stuart Mill個人こじん自由じゆうまも防波堤ぼうはていとして「危害きがい原理げんり」をえ、ポパーKarl Popper寛容かんようそのものが自壊じかいする逆説ぎゃくせつきつけた。ロールズJohn Rawls信念しんねんことなる人々ひとびと政治的せいじてき原理げんりのうえで合意ごういする道筋みちすじえがき、ウェンディWendyブラウンBrownは「寛容かんようするがわ」にかくれた権力けんりょくあばきました。すう世紀せいきにわたる格闘かくとう足跡あしあとを、ここからたどってみましょう。

この記事きじ要点ようてん

  • 信仰しんこう強制きょうせいできないロックJohn Lockeは『寛容かんようについての書簡しょかん』(1689ねん)で、たましい救済きゅうさい内面ないめん確信かくしんにしかありえず、つるぎ信仰しんこうえつけることはできないとろんじました。この洞察どうさつ政教せいきょう分離ぶんり信教しんきょう自由じゆう土台どだいとなっています。
  • 危害きがい原理げんり個人こじん自律じりつミルJohn Stuart Millは『自由論じゆうろん』(1859ねん)で、他者たしゃへの危害きがいがないかぎ個人こじん自由じゆう制限せいげんされるべきではないという原理げんりてました。多数派たすうは横暴おうぼうから少数しょうすう意見いけんまもるこの構想こうそうは、近代きんだい自由じゆう主義しゅぎ背骨せぼねです。
  • 寛容かんようパラドクスparadoxポパーKarl Popperは『ひらかれた社会しゃかいとそのてき』(1945ねん)で、無制限むせいげん寛容かんよう不寛容ふかんようによってほろぼされると警告けいこくしました。寛容かんよう社会しゃかい維持いじするためには、不寛容ふかんようたいして毅然きぜん覚悟かくご必要ひつようである──この逆説ぎゃくせつはいまなお未解決みかいけつです。

なぜこのいがわれてきたのか

ひとあつまれば意見いけんれます。なにべるか、をどうそだてるか、死後しごなにがあるか。些細ささいこのみのちがいならわらってませられます。しかし信仰しんこう正義せいぎにかかわるちがいは、ときに相手あいて存在そんざいそのものを否定ひていしたくなるほどの摩擦まさつみます。寛容かんよういは、哲学てつがく書棚しょだなおさまる抽象ちゅうしょうではなく、台所だいどころとなりからただよってくる見知みしらぬ香辛料こうしんりょうにおいくらい、身近みぢかなところからはじまります。

このいが切迫せっぱくするのは、相手あいて信念しんねんたんに「このみのちがい」とはかたづけられないときです。自分じぶんふかただしいとしんじていることにらして、相手あいてあきらかにあやまっている。それでも干渉かんしょうせず、ちからただそうとしない。寛容かんようとは、無関心むかんしんでもなければあきらめでもありません。自分じぶん信念しんねんたもちながら、なお相手あいて信念しんねん権利けんりみとめる。その綱渡つなわたりにいとなみです。

歴史れきしは、このつなはずしたときになにきるかを記録きろくしています。1572ねん8がつサン・バルテルミの虐殺Saint-Barthélemy massacreでは、一夜いちやのうちに数千人すうせんにんユグノーHuguenotころされました。30ねん戦争せんそう(1618〜1648ねん)はドイツDeutschland人口じんこう三分さんぶんいちにまでらしたともわれています。信仰しんこう純粋じゅんすいさをまもるために隣人りんじんころす。そのかえしのなかから、「共存きょうぞんのための知恵ちえ」としての寛容かんようかびがってきたのです。

厄介やっかいなのは、寛容かんようがどこか真理しんりへの無関心むかんしんえることでしょう。「なにしんじてもいい」とは、「なにただしいかはどうでもいい」という意味いみなのか。寛容かんようとなえた哲学者てつがくしゃたちのおおくは、じつは真理しんりたいしてふか関心かんしんっていました。真理しんり追求ついきゅうするからこそ、強制きょうせいでは真理しんり到達とうたつできないことをっていた。にわっぱってもはやそだつわけではないように、信仰しんこうもまた、みずからの時間じかん必要ひつようとするのではないでしょうか。

テーマtheme起源きげん変遷へんせん

古代こだいローマRomaは、征服せいふくみん神々かみがみをおおむね容認ようにんしました。帝国ていこく秩序ちつじょみださないかぎり、なにおがんでもよかった。ところがキリスト教キリストきょう国教こっきょうとなってから、風景ふうけい一変いっぺんします。「唯一ゆいいつまことかみ」をかかげる一神教いっしんきょうにとって、異端いたんたましいむしばやまいであり、放置ほうちすれば共同体きょうどうたい全体ぜんたい汚染おせんされる。中世ちゅうせい異端いたん審問しんもんは、こうした論理ろんりのうえにきずかれていました。くさった果実かじつかごからのぞかねばならない、と。

宗教しゅうきょう改革かいかく(16世紀せいき)がその統一とういつくだきました。ルターMartin Luther教皇きょうこう権威けんいとなえ、カルヴァンJean CalvinジュネーヴGenève独自どくじ神政しんせいき、カトリックCatholicプロテスタントProtestantつるぎいました。1555ねんアウクスブルクの和議Augsburger Religionsfriedeは「領主りょうしゅ宗教しゅうきょうがその宗教しゅうきょう」(cuius regio eius religio)という原則げんそく休戦きゅうせんをもたらしましたが、これは個人こじん信教しんきょう自由じゆうではなく、領主りょうしゅ選択せんたく臣民しんみんしたがうという仕組しくみにすぎませんでした。1648ねんヴェストファーレン条約Westfälischer FriedeアウクスブルクAugsburg原則げんそく再確認さいかくにんしつつカルヴァン派Calvinistにも適用てきよう拡大かくだいしましたが、しん寛容かんようにはほどとお妥協だきょうでした。どろだらけのはたけくいって境界きょうかいいたようなもの。根本こんぽんい──なぜことなる信仰しんこうみとめるべきなのか──にはこたえていませんでした。

そのいに正面しょうめんからったのが啓蒙けいもう哲学者てつがくしゃたちです。ロックJohn LockeベールPierre BayleヴォルテールVoltaireは、それぞれの角度かくどから寛容かんよう根拠こんきょろんじました。19世紀せいきにはミルJohn Stuart Mill寛容かんよう宗教しゅうきょう領域りょういきから思想しそう生活せいかつ全般ぜんぱん拡張かくちょうし、20世紀せいきには全体ぜんたい主義しゅぎ経験けいけん寛容かんよう限界げんかい条件じょうけんをめぐるあたらしいいをしました。かわ上流じょうりゅうから下流かりゅうへと姿すがたえながらながれるように、寛容かんよう概念がいねんもまた、時代じだいごとに水量すいりょう流路りゅうろえてきたのです。

ミニ年表ねんぴょう

  • 1553ねんカルヴァンJean CalvinジュネーヴGenèveミシェル・セルヴェMichel Servet異端いたんとして火刑かけいしょされる
  • 1555ねんアウクスブルクの和議Augsburger Religionsfriede──「領主りょうしゅ宗教しゅうきょうがその宗教しゅうきょう」の原則げんそく
  • 1572ねんサン・バルテルミの虐殺Saint-Barthélemy massacreフランスFrance全土ぜんど数千すうせんユグノーHuguenot殺害さつがいされる
  • 1648ねんヴェストファーレン条約Westfälischer FriedeアウクスブルクAugsburg原則げんそくカルヴァン派Calvinistにも拡大かくだい
  • 1686ねんベールPierre Bayle哲学的てつがくてき註解ちゅうかい』(Commentaire philosophique刊行かんこう
  • 1689ねんロックJohn Locke寛容かんようについての書簡しょかん』(Epistola de Tolerantia刊行かんこう
  • 1763ねんヴォルテールVoltaire寛容論かんようろん』(Traité sur la tolérance刊行かんこうカラス事件affaire Calasがきっかけ
  • 1786ねんジェファソンThomas JeffersonヴァージニアVirginia信教しんきょう自由じゆうほう成立せいりつ起草きそうは1777ねん
  • 1859ねんミルJohn Stuart Mill自由論じゆうろん』(On Liberty刊行かんこう
  • 1945ねんポパーKarl Popperひらかれた社会しゃかいとそのてき』(The Open Society and Its Enemies刊行かんこう
  • 1993ねんロールズJohn Rawls政治的せいじてきリベラリズムliberalism』(Political Liberalism刊行かんこう
  • 1995ねんユネスコUNESCO寛容かんよう原則げんそくかんする宣言せんげん採択さいたく

主要しゅよう立場たちば論証ろんしょう

ロックJohn Locke──信仰しんこう強制きょうせいできない

1689ねん亡命ぼうめいさきオランダNetherlandsロックJohn Lockeは『寛容かんようについての書簡しょかん』(Epistola de Tolerantia)を匿名とくめい出版しゅっぱんしました。イングランドEnglandでは国教会こっきょうかい非国教徒ひこっきょうと対立たいりつつづき、名誉めいよ革命かくめい余波よはがまだめやらぬ時代じだいでした。ロックJohn Locke論証ろんしょうはきわめて明快めいかいです。たましい救済きゅうさい内面ないめん真摯しんし確信かくしんによるほかない。ちから信仰しんこうしつけても、まれるのは偽善者ぎぜんしゃだけであって、しん信者しんじゃではない。

ロックJohn Locke市民しみん政府せいふ宗教しゅうきょう管轄かんかつ明確めいかくけました。政府せいふ仕事しごと生命せいめい財産ざいさん自由じゆうといった現世げんせ利益りえきまもることであり、たましいさきまで管理かんりする権限けんげんたない。教会きょうかい自発的じはつてき結社けっしゃにすぎず、脱退だったい自由じゆうがなければならない。井戸いどみずみな共有きょうゆうするが、井戸いどのそばでなにいのるかは各人かくじんゆだねられるべきだ。そういう感覚かんかくちかいかもしれません。

ただしロックJohn Locke寛容かんようにはよくられた限界げんかいがあります。無神論者むしんろんしゃ対象外たいしょうがいでした。かみしんじないもの誓約せいやくまも根拠こんきょたないから信用しんようできない、とロックJohn Lockeかんがえました。カトリックCatholic教徒きょうと除外じょがいされています。教皇きょうこうという外国がいこく君主くんしゅ忠誠ちゅうせいちかもの国家こっか安全あんぜんおびやかすという理由りゆうでした。寛容かんよう理念りねんそのものが、その出発点しゅっぱつてんにおいて排除はいじょふくんでいた。この矛盾むじゅんは、寛容かんよう歴史れきし最初さいしょからかげとしています。

それでもなお、信仰しんこう強制きょうせいしえないというロックJohn Locke洞察どうさつは、たねのようなものでした。かれた土地とち性質せいしつおうじて、のちにさまざまなはなかせることになります。政教せいきょう分離ぶんり信教しんきょう自由じゆう良心りょうしん自由じゆう──近代きんだい民主みんしゅ主義しゅぎ骨格こっかくをなす原理げんりおおくが、ロックJohn Lockeのこのちいさな書簡しょかんにそのっています。

ベールPierre BayleヴォルテールVoltaire──良心りょうしん権利けんり理性りせい武器ぶき

ロックJohn Lockeより3ねんはやく、フランスFrance亡命ぼうめいユグノーHuguenot知識人ちしきじんピエールPierreベールBayleは『哲学的てつがくてき註解ちゅうかい』(Commentaire philosophique、1686ねん)をあらわしました。ベールPierre Bayle核心かくしんにある主張しゅちょう大胆だいたんです。たとえあやまった信仰しんこうであっても、誠実せいじつ良心りょうしんしたがっていだかれているかぎり、その良心りょうしん尊重そんちょうされなければならない。あやまりうる良心りょうしんconscience errante)にも権利けんりがある──この着想ちゃくそうは、寛容かんよう射程しゃていおおきくひろげるものでした。

ヴォルテールVoltaireはそこに、風刺ふうしいかりという燃料ねんりょうそそみました。1762ねんトゥールーズToulouse商人しょうにんジャンJeanカラスCalas処刑しょけいされます。息子むすこマルク=アントワーヌMarc-Antoine自宅じたく死亡しぼうしているのが発見はっけんされ──自殺じさつられていますが──ちちカラスJean Calas息子むすこカトリックCatholicへの改宗かいしゅうはばむために殺害さつがいしたと告発こくはつされたのです。証拠しょうこ薄弱はくじゃくで、宗教的しゅうきょうてき偏見へんけん裁判さいばんゆがめていました。ヴォルテールVoltaireは3ねんにわたる運動うんどうすえ名誉めいよ回復かいふくり(1765ねん)、その経験けいけんから『寛容論かんようろん』(Traité sur la tolérance、1763ねん)をあらわしました。狂信きょうしん無実むじつ人間にんげん車裂くるまざきにする。ヴォルテールVoltaireはその具体的ぐたいてき残酷ざんこくさを読者どくしゃまえきつけたのです。

なお、「わたしはあなたの意見いけんには反対はんたいだが、あなたがそれを権利けんりいのちをかけてまもる」という有名ゆうめい言葉ことばは、ヴォルテールVoltaire自身じしん言葉ことばではありません。1906ねんエヴリンEvelynベアトリスBeatriceホールHall伝記でんきのなかでヴォルテールVoltaire態度たいど要約ようやくした一節いっせつであり、原典げんてん対応たいおうする箇所かしょはありません。とはいえ、この一文いちぶんヴォルテールVoltaire精神せいしんをよくとらえていることもまたたしかでしょう。かれにとって寛容かんようとは、理性りせいにおいて狂信きょうしんたたか武器ぶきでもあったのです。

ミルJohn Stuart Mill──個人こじん自律じりつと「危害きがい原理げんり

1859ねん刊行かんこうされたミルJohn Stuart Millの『自由論じゆうろん』(On Liberty)は、寛容かんよう議論ぎろん宗教しゅうきょう領域りょういきからはるかにとおくまでひろげました。ミルJohn Stuart Mill見据みすえていたのは、国王こくおう教会きょうかい専制せんせいではなく、「多数者たすうしゃ暴虐ぼうぎゃく」(tyranny of the majority)という、もっとしずかで浸透力しんとうりょくのある圧力あつりょくでした。法律ほうりつきんじなくとも、世間せけん異端いたんしつぶす。むら井戸端いどばたささやかれるうわさちからは、ときに法廷ほうてい判決はんけつよりもおもい。

ミルJohn Stuart Millえた原理げんり簡潔かんけつです。「文明ぶんめい社会しゃかい成員せいいんたいし、その意志いしはんして権力けんりょく行使こうしすることが正当せいとうとされるのは、成員せいいんたいする危害きがいふせぐという目的もくてきかぎられる」(だい1しょう)。他者たしゃきずつけないかぎり、なにしんじ、なにかたり、どのようにらすかは個人こじん領分りょうぶんであり、社会しゃかい国家こっかるべきではない。これがいわゆる「危害きがい原理げんり」(harm principle)です。

だい2しょうでは、意見いけん自由じゆうがなぜ不可欠ふかけつであるかがろんじられます。ある意見いけんふうじることは、その意見いけんただしい場合ばあいには真理しんりへのみちざすことになり、あやまっている場合ばあいでも、ただしい意見いけん反論はんろんつうじてきたえられる機会きかいうばうことになる。使つかわれない筋肉きんにくおとろえるように、反論はんろんにさらされない信念しんねん教条きょうじょうへと硬直こうちょくする。だい3しょうの「個性こせいについて」では、人間にんげん幸福こうふくにとって「かた実験じっけん」(experiments in living)がかせないことが強調きょうちょうされます。他人たにんちがかた社会しゃかいゆたかさの源泉げんせんであって、排除はいじょすべき逸脱いつだつではないのです。

ただしミルJohn Stuart Mill危害きがい原理げんりは、「危害きがいとはなにか」をめぐるてしない論争ろんそうびました。精神的せいしんてき苦痛くつう危害きがいふくまれるのか。差別的さべつてき発言はつげんは、もの尊厳そんげんきずつけるという意味いみで「危害きがい」なのか。原理げんり明快めいかいさは、適用てきようだんになるときりのなかにえてしまうことがあります。

ポパーKarl Popper──寛容かんようパラドクスparadox

1945ねんカールKarlポパーPopperは『ひらかれた社会しゃかいとそのてき』(The Open Society and Its Enemies)のだい1かんだい7しょうちゅう4で、後世こうせいふかきざまれる逆説ぎゃくせつ提示ていじしました。

無制限むせいげん寛容かんようは、かならず寛容かんよう消滅しょうめつく。もし不寛容ふかんようものたちにたいしてさえ無制限むせいげん寛容かんようおよぼすならば、寛容かんようものたちはほろぼされ、寛容かんようもろともにほろびるであろう」 出典しゅってんカールKarlポパーPopperひらかれた社会しゃかいとそのてきだい1かんだい7しょうちゅう4(1945ねん

ナチズムNazismヴァイマルWeimar共和国きょうわこく民主的みんしゅてき制度せいど利用りようして権力けんりょくにぎり、民主みんしゅ主義しゅぎそのものを破壊はかいした記憶きおくが、ポパーKarl Popperのこの警告けいこく背後はいごにあります。にわ蔓草つるくさ侵入しんにゅうしたとき、「くさ植物しょくぶつだから」とはなっておけば、やがてにわはなはすべてころされる。寛容かんようもまた、みずからをまも意志いしがなければのこれないのではないか。

ただしポパーKarl Popperは、不寛容ふかんよう言論げんろんをすべて弾圧だんあつせよとはっていません。理性的りせいてき議論ぎろんおうじる用意よういがあるかぎり、不寛容ふかんよう主張しゅちょう言論げんろん反論はんろんすべきだ、と。問題もんだいは、議論ぎろん拒否きょひ暴力ぼうりょくうったえるものたいしてどうするか、です。このとき寛容かんよう社会しゃかいは、みずからの存続そんぞくのために不寛容ふかんようたいして不寛容ふかんようでなければならない。しかし、だれがそのせんくのか。せん権力けんりょくそのものが濫用らんようされたらどうなるのか。ポパーKarl Popperパラドクスparadoxは、こたえではなくいとしてわたしたちのまえにありつづけています。

ロールズJohn Rawls──かさなり合意ごうい

ジョンJohnロールズRawlsは、寛容かんよういを正義論せいぎろん枠組わくぐみのなかに位置いちづけました。『正義論せいぎろん』(A Theory of Justice、1971ねん)の§35では、「ただしい社会しゃかい不寛容ふかんようもの寛容かんようすべきか」といういが正面しょうめんからあつかわれています。ロールズJohn Rawlsこたえは慎重しんちょうです。不寛容ふかんよう集団しゅうだんであっても、憲法けんぽう体制たいせいそのものをおびやかさないかぎ寛容かんようされるべきである。なぜなら、不寛容ふかんようもの抑圧よくあつすることは、正義せいぎ原理げんりそのものを裏切うらぎることになるから。

のちの『政治的せいじてきリベラリズムliberalism』(Political Liberalism、1993ねん)で、ロールズJohn Rawlsは「合理的ごうりてき多元主義たげんしゅぎ事実じじつ」(the fact of reasonable pluralism)という概念がいねん導入どうにゅうしました。自由じゆう制度せいどのもとでは、人々ひとびとがそれぞれことなる包括的ほうかつてき教説きょうせつ──宗教しゅうきょう哲学てつがく人生観じんせいかん──をいだくのは自然しぜんなことであり、それを無理むりひとつにまとめることはできない。では共通きょうつう政治的せいじてき基盤きばんはどこにあるのか。ロールズJohn Rawlsは「かさなり合意ごうい」(overlapping consensus)に希望きぼうたくしました。ことなる信念しんねんぬしが、それぞれの理由りゆうからおな政治的せいじてき原理げんり支持しじする。人生じんせい意味いみでは合意ごういできなくても、正義せいぎ原理げんりでは合意ごういできる。いえかたちちがっても、かよみち共有きょうゆうできる、という構想こうそうです。

ロールズJohn Rawls枠組わくぐみは「政治的せいじてきであって形而上学的けいじじょうがくてきではない」ことを強調きょうちょうします。かみ存在そんざいたましい不滅ふめつについて合意ごういする必要ひつようはない。大切たいせつなのは、自由じゆう平等びょうどう市民しみんとしてたがいを尊重そんちょうする政治的せいじてき関係かんけいきずけるかどうか。この構想こうそうはきわめて精緻せいちですが、批判ひはんもあります。「合理的ごうりてきな」多元主義たげんしゅぎとは結局けっきょくリベラリズムliberalismれる範囲はんい多元主義たげんしゅぎにすぎないのではないか。本当ほんとうふか対立たいりつ──リベラリズムliberalismそのものをこば立場たちば──にはとどいていないのではないか。

ウェンディWendyブラウンBrown──寛容かんようへの批判的ひはんてき視座しざ

2006ねん政治せいじ理論家りろんかウェンディWendyブラウンBrownは『嫌悪けんお規制きせいする』(Regulating Aversion: Tolerance in the Age of Identity and Empire)をあらわし、寛容かんようという概念がいねんそのものにするど疑問ぎもんげかけました。寛容かんようとはだれだれを「寛容かんようする」のか。そこには権力けんりょく非対称ひたいしょうがないか。「わたしはあなたを寛容かんようします」という言葉ことばは、あんに「わたしにはあなたを排除はいじょするちからがある。だがいまはそうしないでおく」とっているのではないか。

ブラウンWendy Brownは、寛容かんよう言説げんせつ政治的せいじてき不平等ふびょうどうおおかく機能きのうつことに注意ちゅういうながします。ある集団しゅうだんかれた困難こんなんが、構造的こうぞうてき差別さべつ経済的けいざいてき不正ふせい起因きいんするものであるとき、「寛容かんようしましょう」というびかけは、根本こんぽん原因げんいんけさせないための装置そうちになりかねない。雨漏あまもりのする屋根やねなおさずに、「あめれましょう」とっているようなものだ、と。

ブラウンWendy Brownはさらに、寛容かんよう文明ぶんめい野蛮やばん境界線きょうかいせん道具どうぐとしても機能きのうしてきたことを指摘してきします。「寛容かんよう我々われわれ」と「不寛容ふかんようかれら」という図式ずしきは、帝国ていこく論理ろんりにも容易ようい転用てんようされうる。

彼女かのじょ寛容かんよう全面的ぜんめんてき否定ひていしているわけではありません。寛容かんようという言葉ことばなにかくし、なに正当化せいとうかしているかに敏感びんかんであるべきだ、ともとめているのです。寛容かんよう美徳びとくとして無批判むひはん称揚しょうようするのではなく、その裏側うらがわらすこと。この姿勢しせいもまた、寛容かんようをめぐる思索しさくにはかせないものではないでしょうか。

重要じゅうよう論争点ろんそうてん

不寛容ふかんようたいする寛容かんよう限界げんかい

ポパーKarl Popperパラドクスparadox理論りろん問題もんだいにとどまりません。1949ねんドイツDeutschland基本法きほんほう憲法けんぽう)は「たたか民主みんしゅ主義しゅぎ」(streitbare Demokratie)の概念がいねん採用さいようし、民主みんしゅ主義しゅぎ廃止はいししようとする政党せいとう禁止きんしする制度せいどもうけました。ナチスNazis台頭たいとうというにが経験けいけんからまれた仕組しくみです。しかし、不寛容ふかんよう言論げんろんをどの時点じてん規制きせいすべきかという判断はんだんは、つねに権力けんりょく恣意しい紙一重かみひとえです。

ヘイトスピーチhate speech表現ひょうげん自由じゆう

ジェレミーJeremyウォルドロンWaldronは『ヘイトスピーチhate speechという危害きがい』(The Harm in Hate Speech、2012ねん)で、差別的さべつてき言論げんろん標的ひょうてきとされた人々ひとびとの「社会しゃかいにおける地位ちい保障ほしょう」(assurance of standing)をきずつけるとろんじました。たんなる感情かんじょう問題もんだいではなく、市民しみんとしての尊厳そんげんくずされる実害じつがいがある、と。これにたいして、表現ひょうげん自由じゆう重視じゅうしする立場たちばからは、言論げんろん規制きせい萎縮いしゅく効果こうかをもたらし、結局けっきょく弱者じゃくしゃこえをもふうじてしまうという反論はんろんがあります。オリヴァーOliverウェンデルWendellホームズHolmesアブラムズAbramsたい合衆国がっしゅうこく事件じけん(1919ねん)の反対はんたい意見いけんべた「思想しそう自由じゆう市場しじょう」(free trade in ideas)の構想こうそうは、いまなおちからっています。はかりのどちらがわかたむくべきかは、容易よういにはまりません。

承認しょうにん寛容かんよう区別くべつ

チャールズCharlesテイラーTaylorは「承認しょうにん政治せいじ」(The Politics of Recognition、1994ねん)のなかで、たんに「我慢がまんする」ことと、相手あいて存在そんざい対等たいとうなものとして積極的せっきょくてき承認しょうにんすることのちがいをろんじました。寛容かんよう消極的しょうきょくてき共存きょうぞんにとどまる危険きけんがあり、少数者しょうすうしゃは「我慢がまんされている」だけで「みとめられている」わけではないとかんじうる。ライナーRainerフォルストForstもまた『対立たいりつのなかの寛容かんよう』(Toleranz im Konflikt、2003ねん)で寛容かんようよっつの構想こうそう整理せいりし、「許可きょか」としての寛容かんようと「尊重そんちょう」としての寛容かんよう明確めいかく区別くべつしています。軒先のきさきすことと、となり部屋へやむかれることはちがいます。寛容かんようはどちらであるべきなのか。

影響えいきょう展開てんかい

寛容かんよう理念りねんは、まずほう骨格こっかくまれました。1786ねん制定せいていされたジェファソンThomas JeffersonヴァージニアVirginia信教しんきょう自由じゆうほうは、合衆国がっしゅうこく憲法けんぽう修正しゅうせいだい1じょうへのみちひらきました。フランスFrance人権じんけん宣言せんげん(1789ねんだい10じょうもまた信教しんきょう自由じゆう明記めいきしています。ロックJohn Lockeいたたねは、大西洋たいせいようわたり、革命かくめい土壌どじょうろしました。

20世紀せいきには、全体ぜんたい主義しゅぎ経験けいけん寛容かんよう議論ぎろんにあらたな奥行おくゆきをくわえました。ナチズムNazismスターリニズムStalinismは、不寛容ふかんよう国家こっか規模きぼ制度化せいどかされたときなにきるかを世界せかいせつけた。戦後せんご国際こくさい人権じんけん体制たいせい──世界せかい人権じんけん宣言せんげん(1948ねん)、国際こくさい人権じんけん規約きやく──は、信教しんきょう思想しそう表現ひょうげん自由じゆう基本的きほんてき権利けんりとして明文化めいぶんかしました。1995ねんユネスコUNESCO寛容かんよう原則げんそくかんする宣言せんげん」は、寛容かんよう受動的じゅどうてき我慢がまんではなく、「世界せかい文化ぶんかゆたかさ、表現ひょうげん形態けいたい人間にんげんであることのかた多様たようさへの尊重そんちょう理解りかい」と定義ていぎしています。

哲学てつがく内部ないぶでは、フォルストRainer Forst研究けんきゅう寛容かんよう概念がいねんおおきく整理せいりしました。フォルストRainer Forst寛容かんようよっつの構想こうそう──許可きょか共存きょうぞん尊重そんちょう尊敬そんけい──を見出みいだし、それぞれの歴史的れきしてき文脈ぶんみゃく規範的きはんてき射程しゃてい区別くべつしました。寛容かんよう一枚いちまいいわ概念がいねんではなく、歴史れきしのなかで何層なんそうにもかさなった地層ちそうのようなものです。

文学ぶんがくもまた寛容かんよういにってきました。レッシングGotthold Ephraim Lessing戯曲ぎきょく賢者けんじゃナータンNathan』(1779ねん)に登場とうじょうする「みっつの指輪ゆびわ寓話ぐうわ」は、ユダヤ教ユダヤきょうキリスト教キリストきょうイスラームIslamみっつの宗教しゅうきょうがいずれも真正しんせいでありうることを示唆しさし、寛容かんよう精神せいしん物語ものがたりかたちつたえました。哲学てつがく論証ろんしょうあたまうったえるものだとすれば、物語ものがたりむねとどく。寛容かんよう歴史れきしは、その両方りょうほうちからまれてきたのです。

現代げんだいへの接続せつぞく

わたしたちはごろ、寛容かんようためされる場面ばめんかこまれています。職場しょくば自分じぶんとはまるでことなる価値観かちかん同僚どうりょうつくえならべるとき。どもの学校がっこうで、教育きょういく方針ほうしんをめぐって保護者ほごしゃ意見いけんれるとき。宗教しゅうきょうことなる家庭かていおな地域ちいきらすとき。寛容かんようはつねに、抽象的ちゅうしょうてき原理げんりとしてではなく、具体的ぐたいてき隣人りんじんかおとしてまえあらわれます。

むずかしいのは、相手あいて信念しんねん自分じぶん核心かくしんにある価値かち──たとえば人間にんげん平等びょうどう──と衝突しょうとつするときでしょう。差別さべつ正当化せいとうかする信念しんねんを「寛容かんよう」すべきなのか。寛容かんようのもとに沈黙ちんもくすることが、じつは不正ふせいへの加担かたんになっていないか。かわながれをめれば氾濫はんらんするが、なにもしなければ土手どてくずれる。寛容かんよう実践じっせんとは、つねにこのふたつの危険きけんのあいだでかじることかもしれません。

ロックJohn LockeからブラウンWendy Brownまで、寛容かんようをめぐる思索しさく歴史れきしおしえてくれるのは、寛容かんよう完成かんせいされたとくではなく、えずなおされるべき実践じっせんだということでしょう。寛容かんようであること自体は目的もくてきではない。ことなる信念しんねん人々ひとびとが、なおおなそらしたともらしてゆくための、わりのない手入ていれのようなもの。にわ一度いちどととのえればむものではありません。雑草ざっそうび、季節きせつわり、あたらしいはなす。その都度つどつづけること。

読者どくしゃへの

  • あなたがもっとも「寛容かんよう」をためされるのは、どのような場面ばめんでしょうか。そのとき、寛容かんよう沈黙ちんもく境界きょうかいはどこにありますか。
  • もし寛容かんよう社会しゃかい破壊はかいしようとする運動うんどうあらわれたとき、あなたは寛容かんよう原則げんそくをどこまでまもり、どこで手放てばなしますか。
  • 相手あいてを「寛容かんようする」ことと「みとめる」ことはおなじでしょうか。ちがうとすれば、なにりないのでしょうか。

名言めいげん重要じゅうよう引用いんよう

たましい世話せわ各人かくじん自身じしんぞくするものであり、各人かくじん自身じしんゆだねられなければならない」 出典しゅってんジョンJohnロックLocke寛容かんようについての書簡しょかん』(Epistola de Tolerantia、1689ねん)/原文げんぶん:"The care of each man's salvation belongs only to himself."

信仰しんこう内面ないめん問題もんだいであるかぎり、外部がいぶちから介入かいにゅうすることには意味いみがない。ロックJohn Locke寛容論かんようろん核心かくしん凝縮ぎょうしゅくした一文いちぶんです。政教せいきょう分離ぶんり原理げんりは、ここにっています。

わたしはあなたの意見いけんには反対はんたいだが、あなたがそれを権利けんりいのちをかけてまもろう」 出典しゅってんエヴリンEvelynベアトリスBeatriceホールHallヴォルテールVoltaire友人ゆうじんたち』(The Friends of Voltaire、1906ねん)/原文げんぶん:"I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it."

ひろヴォルテールVoltaire言葉ことばとしてられていますが、実際じっさいには伝記でんき作家さっかホールHallヴォルテールVoltaire態度たいど要約ようやくしたものです。出典しゅってん正確せいかくさはたもちつつ、寛容かんよう精神せいしんをこれほどあざやかにあらわした言葉ことばもまたすくないでしょう。

「もし全人類ぜんじんるいから一人ひとりのぞいた全員ぜんいんおな意見いけんであり、たった一人ひとりだけが反対はんたい意見いけんっていたとしても、その一人ひとり沈黙ちんもくさせることは正当せいとうではない。それは、たった一人ひとり権力けんりょくにぎって全人類ぜんじんるい沈黙ちんもくさせることが正当せいとうではないのとおなじである」 出典しゅってんジョンJohnスチュアートStuartミルMill自由論じゆうろんだい2しょうOn Liberty、1859ねん)/原文げんぶん:"If all mankind minus one were of one opinion, and only one person were of the contrary opinion, mankind would be no more justified in silencing that one person than he, if he had the power, would be justified in silencing mankind."

少数しょうすう意見いけん保護ほご力強ちからづようったえた一節いっせつです。多数たすうであることはただしいことのあかしにはならない。一人ひとりこえふうじることは、そのこえ真理しんりであった場合ばあい全員ぜんいん損失そんしつになる。ミルJohn Stuart Mill主張しゅちょうはここに集約しゅうやくされます。

合理的ごうりてき多元主義たげんしゅぎという事実じじつは、人間にんげん理性りせい自由じゆう制度せいどのもとではたらいた帰結きけつのひとつにほかならない」 出典しゅってんジョンJohnロールズRawls政治的せいじてきリベラリズムliberalism序論じょろんPolitical Liberalism、1993ねん)/原文げんぶん:"The fact of reasonable pluralism is the normal result of the exercise of human reason within the framework of the free institutions of a constitutional democratic regime."

意見いけんかれるのは理性りせい欠陥けっかんではなく、理性りせい自由じゆうはたらいた結果けっかである。ロールズJohn Rawlsのこの認識にんしきは、寛容かんよう理性りせいよわさへの妥協だきょうではなく、理性りせい帰結きけつとしてとらなおすものです。

参考さんこう文献ぶんけん

  • 原典げんてん:John Locke, Epistola de Tolerantia / A Letter Concerning Toleration, 1689.
  • 原典げんてん:Pierre Bayle, Commentaire philosophique sur ces paroles de Jésus-Christ: Contrains-les d'entrer, 1686.
  • 原典げんてん:Voltaire, Traité sur la tolérance, 1763.
  • 原典げんてん:John Stuart Mill, On Liberty, 1859.
  • 原典げんてん:Karl Popper, The Open Society and Its Enemies, 2 vols., 1945.
  • 原典げんてん:John Rawls, A Theory of Justice, 1971; Political Liberalism, expanded ed., Columbia University Press, 1993/2005.
  • 原典げんてん邦訳ほうやくロックLocke寛容かんようについての手紙てがみ加藤かとうたかしやく岩波いわなみ文庫ぶんこ
  • 原典げんてん邦訳ほうやくミルMill自由論じゆうろん斉藤さいとう悦則よしのりやく光文社こうぶんしゃ古典こてん新訳しんやく文庫ぶんこ
  • 研究書けんきゅうしょ論文ろんぶん:Wendy Brown, Regulating Aversion: Tolerance in the Age of Identity and Empire, Princeton University Press, 2006.
  • 研究書けんきゅうしょ論文ろんぶん:Rainer Forst, Toleranz im Konflikt: Geschichte, Gehalt und Gegenwart eines umstrittenen Begriffs, Suhrkamp, 2003.
  • 研究書けんきゅうしょ論文ろんぶん:Jeremy Waldron, The Harm in Hate Speech, Harvard University Press, 2012.
  • 研究書けんきゅうしょ論文ろんぶん:Charles Taylor, "The Politics of Recognition", in Multiculturalism: Examining the Politics of Recognition, ed. Amy Gutmann, Princeton University Press, 1994.
  • 概説書がいせつしょ:"Toleration", Stanford Encyclopedia of Philosophy.