夕食ゆうしょくの席せきで、家族かぞくのなかに政治せいじや宗教しゅうきょうの話題わだいが持もち出だされたとき、空気くうきがわずかに張はりつめるのを感かんじたことはないでしょうか。誰だれかが「まあ、その話はなしはやめておきましょう」と静しずかに言いい、話題わだいは天気てんきや近所きんじょの桜さくらの開花かいかに移うつる。あの小ちいさな沈黙ちんもく。あの微かすかな退しりぞき。私わたしたちは日ひごろ、意識いしきしないままに「寛容かんよう」という行為こういを繰くり返かえしています。

けれども寛容かんようは、食卓しょくたくの気きまずさを回避かいひする処世術しょせいじゅつにとどまるものではありません。隣人りんじんがあなたとはまったく異ことなる神かみを信しんじているとき。同僚どうりょうがどうしても受うけ入いれがたい政治的せいじてき信条しんじょうを掲かかげているとき。相手あいてが間違まちがっていると心こころの底そこから思おもいながら、それでもなおその人ひとの隣となりに座すわり続つづけることは可能かのうでしょうか。ここには、食事しょくじの場ばの気遣きづかいとは次元じげんの違ちがう問といが潜ひそんでいます。

人類じんるいの歴史れきしは、この問といに対たいして長ながいあいだ、血ちで答こたえてきました。異端いたんを焼やき、異教徒いきょうとを追放ついほうし、信仰しんこうの相違そういを理由りゆうに都市としを焼やいた。16世紀せいきから17世紀せいきにかけてヨーロッパEuropeを引ひき裂さいた宗教しゅうきょう戦争せんそうは、「正ただしい信仰しんこう」を武力ぶりょくで強制きょうせいしようとした試こころみがどこへ行いき着つくかを、灰はいと死体したいの山やまで教おしえてくれました。寛容かんようという理念りねんは、静しずかな書斎しょさいで生うまれたのではありません。焦土しょうどのうえに、もう二度にどと繰くり返かえすまいという苦にがい決意けついとともに芽めを出だしたのです。

ロックJohn Lockeは信仰しんこうを強制きょうせいすることの不可能ふかのうを論ろんじ、ヴォルテールVoltaireは冤罪えんざい事件じけんを前まえにして狂信きょうしんの愚おろかさを告発こくはつしました。ミルJohn Stuart Millは個人こじんの自由じゆうを守まもる防波堤ぼうはていとして「危害きがい原理げんり」を据すえ、ポパーKarl Popperは寛容かんようそのものが自壊じかいする逆説ぎゃくせつを突つきつけた。ロールズJohn Rawlsは信念しんねんの異ことなる人々ひとびとが政治的せいじてき原理げんりのうえで合意ごういする道筋みちすじを描えがき、ウェンディWendy・ブラウンBrownは「寛容かんようする側がわ」に隠かくれた権力けんりょくを暴あばきました。数すう世紀せいきにわたる格闘かくとうの足跡あしあとを、ここからたどってみましょう。

この記事きじの要点ようてん

  • 信仰しんこうは強制きょうせいできない:ロックJohn Lockeは『寛容かんようについての書簡しょかん』(1689年ねん)で、魂たましいの救済きゅうさいは内面ないめんの確信かくしんにしかありえず、剣つるぎで信仰しんこうを植うえつけることはできないと論ろんじました。この洞察どうさつは政教せいきょう分離ぶんりと信教しんきょうの自由じゆうの土台どだいとなっています。
  • 危害きがい原理げんりと個人こじんの自律じりつ:ミルJohn Stuart Millは『自由論じゆうろん』(1859年ねん)で、他者たしゃへの危害きがいがない限かぎり個人こじんの自由じゆうは制限せいげんされるべきではないという原理げんりを打うち立たてました。多数派たすうはの横暴おうぼうから少数しょうすう意見いけんを守まもるこの構想こうそうは、近代きんだい自由じゆう主義しゅぎの背骨せぼねです。
  • 寛容かんようのパラドクスparadox:ポパーKarl Popperは『開ひらかれた社会しゃかいとその敵てき』(1945年ねん)で、無制限むせいげんの寛容かんようは不寛容ふかんようによって滅ほろぼされると警告けいこくしました。寛容かんような社会しゃかいを維持いじするためには、不寛容ふかんように対たいして毅然きぜんと立たつ覚悟かくごが必要ひつようである──この逆説ぎゃくせつはいまなお未解決みかいけつです。

なぜこの問といが問とわれてきたのか

人ひとが集あつまれば意見いけんは割われます。何なにを食たべるか、子こをどう育そだてるか、死後しごに何なにがあるか。些細ささいな好このみの違ちがいなら笑わらって済すませられます。しかし信仰しんこうや正義せいぎにかかわる違ちがいは、ときに相手あいての存在そんざいそのものを否定ひていしたくなるほどの摩擦まさつを生うみます。寛容かんようの問といは、哲学てつがくの書棚しょだなに収おさまる抽象ちゅうしょうではなく、台所だいどころの隣となりから漂ただよってくる見知みしらぬ香辛料こうしんりょうの匂においくらい、身近みぢかなところから始はじまります。

この問といが切迫せっぱくするのは、相手あいての信念しんねんを単たんに「好このみの違ちがい」とは片かたづけられないときです。自分じぶんが深ふかく正ただしいと信しんじていることに照てらして、相手あいては明あきらかに誤あやまっている。それでも干渉かんしょうせず、力ちからで正ただそうとしない。寛容かんようとは、無関心むかんしんでもなければ諦あきらめでもありません。自分じぶんの信念しんねんを保たもちながら、なお相手あいての信念しんねんを持もつ権利けんりを認みとめる。その綱渡つなわたりに似にた営いとなみです。

歴史れきしは、この綱つなを踏ふみ外はずしたときに何なにが起おきるかを記録きろくしています。1572年ねん8月がつのサン・バルテルミの虐殺Saint-Barthélemy massacreでは、一夜いちやのうちに数千人すうせんにんのユグノーHuguenotが殺ころされました。30年ねん戦争せんそう(1618〜1648年ねん)はドイツDeutschlandの人口じんこうを三分さんぶんの一いちにまで減へらしたとも言いわれています。信仰しんこうの純粋じゅんすいさを守まもるために隣人りんじんを殺ころす。その繰くり返かえしのなかから、「共存きょうぞんのための知恵ちえ」としての寛容かんようが浮うかび上あがってきたのです。

厄介やっかいなのは、寛容かんようがどこか真理しんりへの無関心むかんしんに似にて見みえることでしょう。「何なにを信しんじてもいい」とは、「何なにが正ただしいかはどうでもいい」という意味いみなのか。寛容かんようを唱となえた哲学者てつがくしゃたちの多おおくは、じつは真理しんりに対たいして深ふかい関心かんしんを持もっていました。真理しんりを追求ついきゅうするからこそ、強制きょうせいでは真理しんりに到達とうたつできないことを知しっていた。庭にわの木きを引ひっぱっても早はやく育そだつわけではないように、信仰しんこうもまた、自みずからの根ねを張はる時間じかんを必要ひつようとするのではないでしょうか。

テーマthemeの起源きげんと変遷へんせん

古代こだいローマRomaは、被ひ征服せいふく民みんの神々かみがみをおおむね容認ようにんしました。帝国ていこくの秩序ちつじょを乱みださない限かぎり、何なにを拝おがんでもよかった。ところがキリスト教キリストきょうが国教こっきょうとなってから、風景ふうけいは一変いっぺんします。「唯一ゆいいつの真まことの神かみ」を掲かかげる一神教いっしんきょうにとって、異端いたんは魂たましいを蝕むしばむ病やまいであり、放置ほうちすれば共同体きょうどうたい全体ぜんたいが汚染おせんされる。中世ちゅうせいの異端いたん審問しんもんは、こうした論理ろんりのうえに築きずかれていました。腐くさった果実かじつは籠かごから取とり除のぞかねばならない、と。

宗教しゅうきょう改革かいかく(16世紀せいき)がその統一とういつを砕くだきました。ルターMartin Lutherが教皇きょうこうの権威けんいに異いを唱となえ、カルヴァンJean CalvinがジュネーヴGenèveに独自どくじの神政しんせいを敷しき、カトリックCatholicとプロテスタントProtestantは剣つるぎを手てに向むき合あいました。1555年ねんのアウクスブルクの和議Augsburger Religionsfriedeは「領主りょうしゅの宗教しゅうきょうがその地ちの宗教しゅうきょう」(cuius regio eius religio)という原則げんそくで休戦きゅうせんをもたらしましたが、これは個人こじんの信教しんきょうの自由じゆうではなく、領主りょうしゅの選択せんたくに臣民しんみんが従したがうという仕組しくみにすぎませんでした。1648年ねんのヴェストファーレン条約Westfälischer FriedeはアウクスブルクAugsburgの原則げんそくを再確認さいかくにんしつつカルヴァン派Calvinistにも適用てきようを拡大かくだいしましたが、真しんの寛容かんようにはほど遠とおい妥協だきょうでした。泥どろだらけの畑はたけに杭くいを打うって境界きょうかいを引ひいたようなもの。根本こんぽんの問とい──なぜ異ことなる信仰しんこうを認みとめるべきなのか──には答こたえていませんでした。

その問といに正面しょうめんから向むき合あったのが啓蒙けいもう期きの哲学者てつがくしゃたちです。ロックJohn Locke、ベールPierre Bayle、ヴォルテールVoltaireは、それぞれの角度かくどから寛容かんようの根拠こんきょを論ろんじました。19世紀せいきにはミルJohn Stuart Millが寛容かんようを宗教しゅうきょうの領域りょういきから思想しそうと生活せいかつ全般ぜんぱんに拡張かくちょうし、20世紀せいきには全体ぜんたい主義しゅぎの経験けいけんが寛容かんようの限界げんかいと条件じょうけんをめぐる新あたらしい問といを生うみ出だしました。川かわが上流じょうりゅうから下流かりゅうへと姿すがたを変かえながら流ながれるように、寛容かんようの概念がいねんもまた、時代じだいごとに水量すいりょうと流路りゅうろを変かえてきたのです。

ミニ年表ねんぴょう

  • 1553年ねん:カルヴァンJean CalvinのジュネーヴGenèveでミシェル・セルヴェMichel Servetが異端いたんとして火刑かけいに処しょされる
  • 1555年ねん:アウクスブルクの和議Augsburger Religionsfriede──「領主りょうしゅの宗教しゅうきょうがその地ちの宗教しゅうきょう」の原則げんそく
  • 1572年ねん:サン・バルテルミの虐殺Saint-Barthélemy massacre。フランスFrance全土ぜんどで数千すうせんのユグノーHuguenotが殺害さつがいされる
  • 1648年ねん:ヴェストファーレン条約Westfälischer Friede。アウクスブルクAugsburgの原則げんそくをカルヴァン派Calvinistにも拡大かくだい
  • 1686年ねん:ベールPierre Bayle『哲学的てつがくてき註解ちゅうかい』(Commentaire philosophique)刊行かんこう
  • 1689年ねん:ロックJohn Locke『寛容かんようについての書簡しょかん』(Epistola de Tolerantia)刊行かんこう
  • 1763年ねん:ヴォルテールVoltaire『寛容論かんようろん』(Traité sur la tolérance)刊行かんこう。カラス事件affaire Calasがきっかけ
  • 1786年ねん:ジェファソンThomas JeffersonのヴァージニアVirginia信教しんきょう自由じゆう法ほうが成立せいりつ(起草きそうは1777年ねん)
  • 1859年ねん:ミルJohn Stuart Mill『自由論じゆうろん』(On Liberty)刊行かんこう
  • 1945年ねん:ポパーKarl Popper『開ひらかれた社会しゃかいとその敵てき』(The Open Society and Its Enemies)刊行かんこう
  • 1993年ねん:ロールズJohn Rawls『政治的せいじてきリベラリズムliberalism』(Political Liberalism)刊行かんこう
  • 1995年ねん:ユネスコUNESCO「寛容かんようの原則げんそくに関かんする宣言せんげん」採択さいたく

主要しゅような立場たちばと論証ろんしょう

ロックJohn Locke──信仰しんこうは強制きょうせいできない

1689年ねん、亡命ぼうめい先さきのオランダNetherlandsでロックJohn Lockeは『寛容かんようについての書簡しょかん』(Epistola de Tolerantia)を匿名とくめいで出版しゅっぱんしました。イングランドEnglandでは国教会こっきょうかいと非国教徒ひこっきょうとの対立たいりつが続つづき、名誉めいよ革命かくめいの余波よはがまだ冷さめやらぬ時代じだいでした。ロックJohn Lockeの論証ろんしょうはきわめて明快めいかいです。魂たましいの救済きゅうさいは内面ないめんの真摯しんしな確信かくしんによるほかない。力ちからで信仰しんこうを押おしつけても、生うまれるのは偽善者ぎぜんしゃだけであって、真しんの信者しんじゃではない。

ロックJohn Lockeは市民しみん政府せいふと宗教しゅうきょうの管轄かんかつを明確めいかくに分わけました。政府せいふの仕事しごとは生命せいめい・財産ざいさん・自由じゆうといった現世げんせの利益りえきを守まもることであり、魂たましいの行ゆく先さきまで管理かんりする権限けんげんは持もたない。教会きょうかいは自発的じはつてきな結社けっしゃにすぎず、脱退だったいの自由じゆうがなければならない。井戸いどの水みずは皆みなで共有きょうゆうするが、井戸いどのそばで何なにを祈いのるかは各人かくじんに委ゆだねられるべきだ。そういう感覚かんかくに近ちかいかもしれません。

ただしロックJohn Lockeの寛容かんようにはよく知しられた限界げんかいがあります。無神論者むしんろんしゃは対象外たいしょうがいでした。神かみを信しんじない者ものは誓約せいやくを守まもる根拠こんきょを持もたないから信用しんようできない、とロックJohn Lockeは考かんがえました。カトリックCatholic教徒きょうとも除外じょがいされています。教皇きょうこうという外国がいこくの君主くんしゅに忠誠ちゅうせいを誓ちかう者ものは国家こっかの安全あんぜんを脅おびやかすという理由りゆうでした。寛容かんようの理念りねんそのものが、その出発点しゅっぱつてんにおいて排除はいじょを含ふくんでいた。この矛盾むじゅんは、寛容かんようの歴史れきしに最初さいしょから影かげを落おとしています。

それでもなお、信仰しんこうは強制きょうせいしえないというロックJohn Lockeの洞察どうさつは、種たねのようなものでした。蒔まかれた土地とちの性質せいしつに応おうじて、のちにさまざまな花はなを咲さかせることになります。政教せいきょう分離ぶんり、信教しんきょうの自由じゆう、良心りょうしんの自由じゆう──近代きんだい民主みんしゅ主義しゅぎの骨格こっかくをなす原理げんりの多おおくが、ロックJohn Lockeのこの小ちいさな書簡しょかんにその根ねを持もっています。

ベールPierre BayleとヴォルテールVoltaire──良心りょうしんの権利けんりと理性りせいの武器ぶき

ロックJohn Lockeより3年ねん早はやく、フランスFranceの亡命ぼうめいユグノーHuguenot知識人ちしきじんピエールPierre・ベールBayleは『哲学的てつがくてき註解ちゅうかい』(Commentaire philosophique、1686年ねん)を著あらわしました。ベールPierre Bayleの核心かくしんにある主張しゅちょうは大胆だいたんです。たとえ誤あやまった信仰しんこうであっても、誠実せいじつな良心りょうしんに従したがって抱いだかれている限かぎり、その良心りょうしんは尊重そんちょうされなければならない。誤あやまりうる良心りょうしん(conscience errante)にも権利けんりがある──この着想ちゃくそうは、寛容かんようの射程しゃていを大おおきく広ひろげるものでした。

ヴォルテールVoltaireはそこに、風刺ふうしと怒いかりという燃料ねんりょうを注そそぎ込こみました。1762年ねん、トゥールーズToulouseの商人しょうにんジャンJean・カラスCalasが処刑しょけいされます。息子むすこマルク=アントワーヌMarc-Antoineが自宅じたくで死亡しぼうしているのが発見はっけんされ──自殺じさつと見みられていますが──父ちちのカラスJean Calasが息子むすこのカトリックCatholicへの改宗かいしゅうを阻はばむために殺害さつがいしたと告発こくはつされたのです。証拠しょうこは薄弱はくじゃくで、宗教的しゅうきょうてき偏見へんけんが裁判さいばんを歪ゆがめていました。ヴォルテールVoltaireは3年ねんにわたる運動うんどうの末すえに名誉めいよ回復かいふくを勝かち取とり(1765年ねん)、その経験けいけんから『寛容論かんようろん』(Traité sur la tolérance、1763年ねん)を著あらわしました。狂信きょうしんは無実むじつの人間にんげんを車裂くるまざきにする。ヴォルテールVoltaireはその具体的ぐたいてきな残酷ざんこくさを読者どくしゃの目めの前まえに突つきつけたのです。

なお、「私わたしはあなたの意見いけんには反対はんたいだが、あなたがそれを言いう権利けんりは命いのちをかけて守まもる」という有名ゆうめいな言葉ことばは、ヴォルテールVoltaire自身じしんの言葉ことばではありません。1906年ねんにエヴリンEvelyn・ベアトリスBeatrice・ホールHallが伝記でんきのなかでヴォルテールVoltaireの態度たいどを要約ようやくした一節いっせつであり、原典げんてんに対応たいおうする箇所かしょはありません。とはいえ、この一文いちぶんがヴォルテールVoltaireの精神せいしんをよく捉とらえていることもまた確たしかでしょう。彼かれにとって寛容かんようとは、理性りせいの名なにおいて狂信きょうしんと闘たたかう武器ぶきでもあったのです。

ミルJohn Stuart Mill──個人こじんの自律じりつと「危害きがい原理げんり」

1859年ねんに刊行かんこうされたミルJohn Stuart Millの『自由論じゆうろん』(On Liberty)は、寛容かんようの議論ぎろんを宗教しゅうきょうの領域りょういきからはるかに遠とおくまで押おし広ひろげました。ミルJohn Stuart Millが見据みすえていたのは、国王こくおうや教会きょうかいの専制せんせいではなく、「多数者たすうしゃの暴虐ぼうぎゃく」(tyranny of the majority)という、もっと静しずかで浸透力しんとうりょくのある圧力あつりょくでした。法律ほうりつが禁きんじなくとも、世間せけんの目めが異端いたんを押おしつぶす。村むらの井戸端いどばたで囁ささやかれる噂うわさの力ちからは、ときに法廷ほうていの判決はんけつよりも重おもい。

ミルJohn Stuart Millが据すえた原理げんりは簡潔かんけつです。「文明ぶんめい社会しゃかいの成員せいいんに対たいし、その意志いしに反はんして権力けんりょくを行使こうしすることが正当せいとうとされるのは、他たの成員せいいんに対たいする危害きがいを防ふせぐという目的もくてきに限かぎられる」(第だい1章しょう)。他者たしゃを傷きずつけない限かぎり、何なにを信しんじ、何なにを語かたり、どのように暮くらすかは個人こじんの領分りょうぶんであり、社会しゃかいも国家こっかも立たち入いるべきではない。これがいわゆる「危害きがい原理げんり」(harm principle)です。

第だい2章しょうでは、意見いけんの自由じゆうがなぜ不可欠ふかけつであるかが論ろんじられます。ある意見いけんを封ふうじることは、その意見いけんが正ただしい場合ばあいには真理しんりへの道みちを閉とざすことになり、誤あやまっている場合ばあいでも、正ただしい意見いけんが反論はんろんを通つうじて鍛きたえられる機会きかいを奪うばうことになる。使つかわれない筋肉きんにくが衰おとろえるように、反論はんろんにさらされない信念しんねんは教条きょうじょうへと硬直こうちょくする。第だい3章しょうの「個性こせいについて」では、人間にんげんの幸福こうふくにとって「生いき方かたの実験じっけん」(experiments in living)が欠かかせないことが強調きょうちょうされます。他人たにんと違ちがう生いき方かたは社会しゃかいの豊ゆたかさの源泉げんせんであって、排除はいじょすべき逸脱いつだつではないのです。

ただしミルJohn Stuart Millの危害きがい原理げんりは、「危害きがいとは何なにか」をめぐる果はてしない論争ろんそうを呼よびました。精神的せいしんてきな苦痛くつうは危害きがいに含ふくまれるのか。差別的さべつてきな発言はつげんは、聞きく者ものの尊厳そんげんを傷きずつけるという意味いみで「危害きがい」なのか。原理げんりの明快めいかいさは、適用てきようの段だんになると霧きりのなかに消きえてしまうことがあります。

ポパーKarl Popper──寛容かんようのパラドクスparadox

1945年ねん、カールKarl・ポパーPopperは『開ひらかれた社会しゃかいとその敵てき』(The Open Society and Its Enemies)の第だい1巻かん第だい7章しょう注ちゅう4で、後世こうせいに深ふかく刻きざまれる逆説ぎゃくせつを提示ていじしました。

「無制限むせいげんの寛容かんようは、かならず寛容かんようの消滅しょうめつに行いき着つく。もし不寛容ふかんような者ものたちに対たいしてさえ無制限むせいげんの寛容かんようを及およぼすならば、寛容かんような者ものたちは滅ほろぼされ、寛容かんようもろともに滅ほろびるであろう」 出典しゅってん:カールKarl・ポパーPopper『開ひらかれた社会しゃかいとその敵てき』第だい1巻かん第だい7章しょう注ちゅう4(1945年ねん)

ナチズムNazismがヴァイマルWeimar共和国きょうわこくの民主的みんしゅてき制度せいどを利用りようして権力けんりょくを握にぎり、民主みんしゅ主義しゅぎそのものを破壊はかいした記憶きおくが、ポパーKarl Popperのこの警告けいこくの背後はいごにあります。庭にわに蔓草つるくさが侵入しんにゅうしたとき、「草くさも植物しょくぶつだから」と放はなっておけば、やがて庭にわの花はなはすべて絞しめ殺ころされる。寛容かんようもまた、自みずからを守まもる意志いしがなければ生いき残のこれないのではないか。

ただしポパーKarl Popperは、不寛容ふかんような言論げんろんをすべて弾圧だんあつせよとは言いっていません。理性的りせいてきな議論ぎろんに応おうじる用意よういがある限かぎり、不寛容ふかんような主張しゅちょうも言論げんろんの場ばで反論はんろんすべきだ、と。問題もんだいは、議論ぎろんを拒否きょひし暴力ぼうりょくに訴うったえる者ものに対たいしてどうするか、です。このとき寛容かんような社会しゃかいは、自みずからの存続そんぞくのために不寛容ふかんように対たいして不寛容ふかんようでなければならない。しかし、誰だれがその線せんを引ひくのか。線せんを引ひく権力けんりょくそのものが濫用らんようされたらどうなるのか。ポパーKarl Popperのパラドクスparadoxは、答こたえではなく問といとして私わたしたちの前まえにあり続つづけています。

ロールズJohn Rawls──重かさなり合あう合意ごうい

ジョンJohn・ロールズRawlsは、寛容かんようの問といを正義論せいぎろんの枠組わくぐみのなかに位置いちづけました。『正義論せいぎろん』(A Theory of Justice、1971年ねん)の§35では、「正ただしい社会しゃかいは不寛容ふかんような者ものを寛容かんようすべきか」という問といが正面しょうめんから扱あつかわれています。ロールズJohn Rawlsの答こたえは慎重しんちょうです。不寛容ふかんような集団しゅうだんであっても、憲法けんぽう体制たいせいそのものを脅おびやかさない限かぎり寛容かんようされるべきである。なぜなら、不寛容ふかんような者ものを抑圧よくあつすることは、正義せいぎの原理げんりそのものを裏切うらぎることになるから。

のちの『政治的せいじてきリベラリズムliberalism』(Political Liberalism、1993年ねん)で、ロールズJohn Rawlsは「合理的ごうりてきな多元主義たげんしゅぎの事実じじつ」(the fact of reasonable pluralism)という概念がいねんを導入どうにゅうしました。自由じゆうな制度せいどのもとでは、人々ひとびとがそれぞれ異ことなる包括的ほうかつてき教説きょうせつ──宗教しゅうきょうや哲学てつがくや人生観じんせいかん──を抱いだくのは自然しぜんなことであり、それを無理むりに一ひとつにまとめることはできない。では共通きょうつうの政治的せいじてき基盤きばんはどこにあるのか。ロールズJohn Rawlsは「重かさなり合あう合意ごうい」(overlapping consensus)に希望きぼうを託たくしました。異ことなる信念しんねんの持もち主ぬしが、それぞれの理由りゆうから同おなじ政治的せいじてき原理げんりを支持しじする。人生じんせいの意味いみでは合意ごういできなくても、正義せいぎの原理げんりでは合意ごういできる。家いえの形かたちは違ちがっても、通かよる道みちは共有きょうゆうできる、という構想こうそうです。

ロールズJohn Rawlsの枠組わくぐみは「政治的せいじてきであって形而上学的けいじじょうがくてきではない」ことを強調きょうちょうします。神かみの存在そんざいや魂たましいの不滅ふめつについて合意ごういする必要ひつようはない。大切たいせつなのは、自由じゆうで平等びょうどうな市民しみんとして互たがいを尊重そんちょうする政治的せいじてき関係かんけいを築きずけるかどうか。この構想こうそうはきわめて精緻せいちですが、批判ひはんもあります。「合理的ごうりてきな」多元主義たげんしゅぎとは結局けっきょく、リベラリズムliberalismを受うけ入いれる範囲はんいの多元主義たげんしゅぎにすぎないのではないか。本当ほんとうに根ねの深ふかい対立たいりつ──リベラリズムliberalismそのものを拒こばむ立場たちば──には届とどいていないのではないか。

ウェンディWendy・ブラウンBrown──寛容かんようへの批判的ひはんてき視座しざ

2006年ねん、政治せいじ理論家りろんかウェンディWendy・ブラウンBrownは『嫌悪けんおを規制きせいする』(Regulating Aversion: Tolerance in the Age of Identity and Empire)を著あらわし、寛容かんようという概念がいねんそのものに鋭するどい疑問ぎもんを投なげかけました。寛容かんようとは誰だれが誰だれを「寛容かんようする」のか。そこには権力けんりょくの非対称ひたいしょうがないか。「私わたしはあなたを寛容かんようします」という言葉ことばは、暗あんに「私わたしにはあなたを排除はいじょする力ちからがある。だが今いまはそうしないでおく」と言いっているのではないか。

ブラウンWendy Brownは、寛容かんようの言説げんせつが政治的せいじてきな不平等ふびょうどうを覆おおい隠かくす機能きのうを持もつことに注意ちゅういを促うながします。ある集団しゅうだんの置おかれた困難こんなんが、構造的こうぞうてきな差別さべつや経済的けいざいてきな不正ふせいに起因きいんするものであるとき、「寛容かんようしましょう」という呼よびかけは、根本こんぽん原因げんいんに目めを向むけさせないための装置そうちになりかねない。雨漏あまもりのする屋根やねを直なおさずに、「雨あめを受うけ入いれましょう」と言いっているようなものだ、と。

ブラウンWendy Brownはさらに、寛容かんようが文明ぶんめいと野蛮やばんの境界線きょうかいせんを引ひく道具どうぐとしても機能きのうしてきたことを指摘してきします。「寛容かんような我々われわれ」と「不寛容ふかんような彼かれら」という図式ずしきは、帝国ていこくの論理ろんりにも容易よういに転用てんようされうる。

彼女かのじょは寛容かんようを全面的ぜんめんてきに否定ひていしているわけではありません。寛容かんようという言葉ことばが何なにを隠かくし、何なにを正当化せいとうかしているかに敏感びんかんであるべきだ、と求もとめているのです。寛容かんようを美徳びとくとして無批判むひはんに称揚しょうようするのではなく、その裏側うらがわに目めを凝こらすこと。この姿勢しせいもまた、寛容かんようをめぐる思索しさくには欠かかせないものではないでしょうか。

重要じゅうような論争点ろんそうてん

不寛容ふかんように対たいする寛容かんようの限界げんかい

ポパーKarl Popperのパラドクスparadoxは理論りろんの問題もんだいにとどまりません。1949年ねんのドイツDeutschland基本法きほんほう(憲法けんぽう)は「闘たたかう民主みんしゅ主義しゅぎ」(streitbare Demokratie)の概念がいねんを採用さいようし、民主みんしゅ主義しゅぎを廃止はいししようとする政党せいとうを禁止きんしする制度せいどを設もうけました。ナチスNazisの台頭たいとうという苦にがい経験けいけんから生うまれた仕組しくみです。しかし、不寛容ふかんような言論げんろんをどの時点じてんで規制きせいすべきかという判断はんだんは、つねに権力けんりょくの恣意しいと紙一重かみひとえです。

ヘイトスピーチhate speechと表現ひょうげんの自由じゆう

ジェレミーJeremy・ウォルドロンWaldronは『ヘイトスピーチhate speechという危害きがい』(The Harm in Hate Speech、2012年ねん)で、差別的さべつてき言論げんろんは標的ひょうてきとされた人々ひとびとの「社会しゃかいにおける地位ちいの保障ほしょう」(assurance of standing)を傷きずつけると論ろんじました。単たんなる感情かんじょうの問題もんだいではなく、市民しみんとしての尊厳そんげんが掘ほり崩くずされる実害じつがいがある、と。これに対たいして、表現ひょうげんの自由じゆうを重視じゅうしする立場たちばからは、言論げんろんの規制きせいは萎縮いしゅく効果こうかをもたらし、結局けっきょくは弱者じゃくしゃの声こえをも封ふうじてしまうという反論はんろんがあります。オリヴァーOliver・ウェンデルWendell・ホームズHolmesがアブラムズAbrams対たい合衆国がっしゅうこく事件じけん(1919年ねん)の反対はんたい意見いけんで述のべた「思想しそうの自由じゆう市場しじょう」(free trade in ideas)の構想こうそうは、いまなお力ちからを持もっています。秤はかりのどちら側がわに傾かたむくべきかは、容易よういには決きまりません。

承認しょうにんと寛容かんようの区別くべつ

チャールズCharles・テイラーTaylorは「承認しょうにんの政治せいじ」(The Politics of Recognition、1994年ねん)のなかで、単たんに「我慢がまんする」ことと、相手あいての存在そんざいを対等たいとうなものとして積極的せっきょくてきに承認しょうにんすることの違ちがいを論ろんじました。寛容かんようは消極的しょうきょくてきな共存きょうぞんにとどまる危険きけんがあり、少数者しょうすうしゃは「我慢がまんされている」だけで「認みとめられている」わけではないと感かんじうる。ライナーRainer・フォルストForstもまた『対立たいりつのなかの寛容かんよう』(Toleranz im Konflikt、2003年ねん)で寛容かんようの四よっつの構想こうそうを整理せいりし、「許可きょか」としての寛容かんようと「尊重そんちょう」としての寛容かんようを明確めいかくに区別くべつしています。軒先のきさきを貸かすことと、隣となりの部屋へやに迎むかえ入いれることは違ちがいます。寛容かんようはどちらであるべきなのか。

影響えいきょうと展開てんかい

寛容かんようの理念りねんは、まず法ほうの骨格こっかくに組くみ込こまれました。1786年ねんに制定せいていされたジェファソンThomas JeffersonのヴァージニアVirginia信教しんきょう自由じゆう法ほうは、合衆国がっしゅうこく憲法けんぽう修正しゅうせい第だい1条じょうへの道みちを開ひらきました。フランスFrance人権じんけん宣言せんげん(1789年ねん)第だい10条じょうもまた信教しんきょうの自由じゆうを明記めいきしています。ロックJohn Lockeが蒔まいた種たねは、大西洋たいせいようを渡わたり、革命かくめいの土壌どじょうに根ねを下おろしました。

20世紀せいきには、全体ぜんたい主義しゅぎの経験けいけんが寛容かんようの議論ぎろんにあらたな奥行おくゆきを加くわえました。ナチズムNazismとスターリニズムStalinismは、不寛容ふかんようが国家こっか規模きぼで制度化せいどかされたとき何なにが起おきるかを世界せかいに見みせつけた。戦後せんごの国際こくさい人権じんけん体制たいせい──世界せかい人権じんけん宣言せんげん(1948年ねん)、国際こくさい人権じんけん規約きやく──は、信教しんきょう・思想しそう・表現ひょうげんの自由じゆうを基本的きほんてき権利けんりとして明文化めいぶんかしました。1995年ねんのユネスコUNESCO「寛容かんようの原則げんそくに関かんする宣言せんげん」は、寛容かんようを受動的じゅどうてきな我慢がまんではなく、「世界せかいの文化ぶんかの豊ゆたかさ、表現ひょうげんの形態けいたい、人間にんげんであることの在あり方かたの多様たようさへの尊重そんちょうと理解りかい」と定義ていぎしています。

哲学てつがくの内部ないぶでは、フォルストRainer Forstの研究けんきゅうが寛容かんようの概念がいねん史しを大おおきく整理せいりしました。フォルストRainer Forstは寛容かんように四よっつの構想こうそう──許可きょか、共存きょうぞん、尊重そんちょう、尊敬そんけい──を見出みいだし、それぞれの歴史的れきしてき文脈ぶんみゃくと規範的きはんてき射程しゃていを区別くべつしました。寛容かんようは一枚いちまい岩いわの概念がいねんではなく、歴史れきしのなかで何層なんそうにも重かさなった地層ちそうのようなものです。

文学ぶんがくもまた寛容かんようの問といに向むき合あってきました。レッシングGotthold Ephraim Lessingの戯曲ぎきょく『賢者けんじゃナータンNathan』(1779年ねん)に登場とうじょうする「三みっつの指輪ゆびわの寓話ぐうわ」は、ユダヤ教ユダヤきょう・キリスト教キリストきょう・イスラームIslamの三みっつの宗教しゅうきょうがいずれも真正しんせいでありうることを示唆しさし、寛容かんようの精神せいしんを物語ものがたりの形かたちで伝つたえました。哲学てつがくの論証ろんしょうが頭あたまに訴うったえるものだとすれば、物語ものがたりは胸むねに届とどく。寛容かんようの歴史れきしは、その両方りょうほうの力ちからで編あまれてきたのです。

現代げんだいへの接続せつぞく

私わたしたちは日ひごろ、寛容かんようを試ためされる場面ばめんに囲かこまれています。職場しょくばで自分じぶんとはまるで異ことなる価値観かちかんを持もつ同僚どうりょうと机つくえを並ならべるとき。子こどもの学校がっこうで、教育きょういくの方針ほうしんをめぐって保護者ほごしゃの意見いけんが割われるとき。宗教しゅうきょうの異ことなる家庭かていが同おなじ地域ちいきで暮くらすとき。寛容かんようはつねに、抽象的ちゅうしょうてきな原理げんりとしてではなく、具体的ぐたいてきな隣人りんじんの顔かおとして目めの前まえに現あらわれます。

難むずかしいのは、相手あいての信念しんねんが自分じぶんの核心かくしんにある価値かち──たとえば人間にんげんの平等びょうどう──と衝突しょうとつするときでしょう。差別さべつを正当化せいとうかする信念しんねんを「寛容かんよう」すべきなのか。寛容かんようの名なのもとに沈黙ちんもくすることが、じつは不正ふせいへの加担かたんになっていないか。川かわの流ながれを堰せき止とめれば氾濫はんらんするが、何なにもしなければ土手どては崩くずれる。寛容かんようの実践じっせんとは、つねにこの二ふたつの危険きけんのあいだで舵かじを取とることかもしれません。

ロックJohn LockeからブラウンWendy Brownまで、寛容かんようをめぐる思索しさくの歴史れきしが教おしえてくれるのは、寛容かんようは完成かんせいされた徳とくではなく、絶たえず問とい直なおされるべき実践じっせんだということでしょう。寛容かんようであること自体は目的もくてきではない。異ことなる信念しんねんを持もつ人々ひとびとが、なお同おなじ空そらの下したで共ともに暮くらしてゆくための、終おわりのない手入ていれのようなもの。庭にわは一度いちど整ととのえれば済すむものではありません。雑草ざっそうは伸のび、季節きせつは変かわり、新あたらしい花はなが芽めを出だす。その都度つど、手てを入いれ続つづけること。

読者どくしゃへの問とい

  • あなたが最もっとも「寛容かんよう」を試ためされるのは、どのような場面ばめんでしょうか。そのとき、寛容かんようと沈黙ちんもくの境界きょうかいはどこにありますか。
  • もし寛容かんような社会しゃかいを破壊はかいしようとする運動うんどうが現あらわれたとき、あなたは寛容かんようの原則げんそくをどこまで守まもり、どこで手放てばなしますか。
  • 相手あいてを「寛容かんようする」ことと「認みとめる」ことは同おなじでしょうか。違ちがうとすれば、何なにが足たりないのでしょうか。

名言めいげん・重要じゅうよう引用いんよう

「魂たましいの世話せわは各人かくじん自身じしんに属ぞくするものであり、各人かくじん自身じしんに委ゆだねられなければならない」 出典しゅってん:ジョンJohn・ロックLocke『寛容かんようについての書簡しょかん』(Epistola de Tolerantia、1689年ねん)/原文げんぶん:"The care of each man's salvation belongs only to himself."

信仰しんこうが内面ないめんの問題もんだいである限かぎり、外部がいぶの力ちからで介入かいにゅうすることには意味いみがない。ロックJohn Lockeの寛容論かんようろんの核心かくしんを凝縮ぎょうしゅくした一文いちぶんです。政教せいきょう分離ぶんりの原理げんりは、ここに根ねを持もっています。

「私わたしはあなたの意見いけんには反対はんたいだが、あなたがそれを言いう権利けんりは命いのちをかけて守まもろう」 出典しゅってん:エヴリンEvelyn・ベアトリスBeatrice・ホールHall『ヴォルテールVoltaireの友人ゆうじんたち』(The Friends of Voltaire、1906年ねん)/原文げんぶん:"I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it."

広ひろくヴォルテールVoltaireの言葉ことばとして知しられていますが、実際じっさいには伝記でんき作家さっかホールHallがヴォルテールVoltaireの態度たいどを要約ようやくしたものです。出典しゅってんの正確せいかくさは保たもちつつ、寛容かんようの精神せいしんをこれほど鮮あざやかに言いい表あらわした言葉ことばもまた少すくないでしょう。

「もし全人類ぜんじんるいから一人ひとりを除のぞいた全員ぜんいんが同おなじ意見いけんであり、たった一人ひとりだけが反対はんたいの意見いけんを持もっていたとしても、その一人ひとりを沈黙ちんもくさせることは正当せいとうではない。それは、たった一人ひとりが権力けんりょくを握にぎって全人類ぜんじんるいを沈黙ちんもくさせることが正当せいとうではないのと同おなじである」 出典しゅってん:ジョンJohn・スチュアートStuart・ミルMill『自由論じゆうろん』第だい2章しょう(On Liberty、1859年ねん)/原文げんぶん:"If all mankind minus one were of one opinion, and only one person were of the contrary opinion, mankind would be no more justified in silencing that one person than he, if he had the power, would be justified in silencing mankind."

少数しょうすう意見いけんの保護ほごを力強ちからづよく訴うったえた一節いっせつです。多数たすうであることは正ただしいことの証あかしにはならない。一人ひとりの声こえを封ふうじることは、その声こえが真理しんりであった場合ばあい、全員ぜんいんの損失そんしつになる。ミルJohn Stuart Millの主張しゅちょうはここに集約しゅうやくされます。

「合理的ごうりてきな多元主義たげんしゅぎという事実じじつは、人間にんげんの理性りせいが自由じゆうな制度せいどのもとで働はたらいた帰結きけつのひとつにほかならない」 出典しゅってん:ジョンJohn・ロールズRawls『政治的せいじてきリベラリズムliberalism』序論じょろん(Political Liberalism、1993年ねん)/原文げんぶん:"The fact of reasonable pluralism is the normal result of the exercise of human reason within the framework of the free institutions of a constitutional democratic regime."

意見いけんが分わかれるのは理性りせいの欠陥けっかんではなく、理性りせいが自由じゆうに働はたらいた結果けっかである。ロールズJohn Rawlsのこの認識にんしきは、寛容かんようを理性りせいの弱よわさへの妥協だきょうではなく、理性りせいの帰結きけつとして捉とらえ直なおすものです。

参考さんこう文献ぶんけん

  • (原典げんてん):John Locke, Epistola de Tolerantia / A Letter Concerning Toleration, 1689.
  • (原典げんてん):Pierre Bayle, Commentaire philosophique sur ces paroles de Jésus-Christ: Contrains-les d'entrer, 1686.
  • (原典げんてん):Voltaire, Traité sur la tolérance, 1763.
  • (原典げんてん):John Stuart Mill, On Liberty, 1859.
  • (原典げんてん):Karl Popper, The Open Society and Its Enemies, 2 vols., 1945.
  • (原典げんてん):John Rawls, A Theory of Justice, 1971; Political Liberalism, expanded ed., Columbia University Press, 1993/2005.
  • (原典げんてん・邦訳ほうやく):ロックLocke『寛容かんようについての手紙てがみ』加藤かとう節たかし訳やく、岩波いわなみ文庫ぶんこ。
  • (原典げんてん・邦訳ほうやく):ミルMill『自由論じゆうろん』斉藤さいとう悦則よしのり訳やく、光文社こうぶんしゃ古典こてん新訳しんやく文庫ぶんこ。
  • (研究書けんきゅうしょ・論文ろんぶん):Wendy Brown, Regulating Aversion: Tolerance in the Age of Identity and Empire, Princeton University Press, 2006.
  • (研究書けんきゅうしょ・論文ろんぶん):Rainer Forst, Toleranz im Konflikt: Geschichte, Gehalt und Gegenwart eines umstrittenen Begriffs, Suhrkamp, 2003.
  • (研究書けんきゅうしょ・論文ろんぶん):Jeremy Waldron, The Harm in Hate Speech, Harvard University Press, 2012.
  • (研究書けんきゅうしょ・論文ろんぶん):Charles Taylor, "The Politics of Recognition", in Multiculturalism: Examining the Politics of Recognition, ed. Amy Gutmann, Princeton University Press, 1994.
  • (概説書がいせつしょ):"Toleration", Stanford Encyclopedia of Philosophy.