その男性の散歩は、街の時計よりも正確だったと伝えられています。午後3時30分、イマヌエル・カントが杖を手に菩提樹の並木道に姿を現すと、ケーニヒスベルクの住人たちは懐中時計の針を合わせたといいます。小柄な体躯。胸はやや窪み、右肩が少し傾いていました。生涯この港町を離れることなく、結婚もせず、遠くへの旅にも出なかった。それでいて、この教授が書斎のなかで成し遂げたことは、西洋哲学の地形そのものを塗り替えるものでした。
18世紀の半ば、哲学は行き詰まっていました。大陸の合理論は理性の力だけで世界を解き明かせると信じ、イギリスの経験論は感覚こそがすべての源だと説く。両者は譲らず、実を結ばない論争が繰り返されていた。カントはそこに、まったく別の角度から問いを投げました。私たちの認識が対象に従うのではなく、対象のほうが私たちの認識の形式に従うのだとしたら、と。部屋の窓を思い浮かべてください。窓の向こうに広がる庭の景色は、窓枠の形に切り取られている。枠を外すことはできません。それでも、その枠がどんな形をしているかを知ることならできる。
理性はどこまで届くのか。届かない場所には何があるのか。そして、自らの限界を知った理性は、道徳の問題に対してなお何かを語りうるのか。カントの歩みは、この三つの問いをめぐる、厳密で息の長い思索の旅でした。
この記事の要点
- コペルニクス的転回:認識が対象に従うのではなく、対象が認識の形式に従う。この逆転によってカントは経験論と合理論の膠着を打ち破り、近代認識論の土台を据えました。『純粋理性批判』(1781年)の核心です。
- 定言命法(kategorischer Imperativ):「汝の意志の格率が、つねに同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ」。神の命令にも幸福の計算にも頼らず、理性のみから道徳の原理を打ち立てた試みです。
- 理性の自己批判:理性が自分で自分の限界を画定する。知りうるものと知りえないものの境界を引くことで、形而上学の空転を止めると同時に、道徳と信仰のための余地を確保しました。知の制限が自由の条件となるという、逆説的な構造です。
生涯と時代背景
1724年4月22日、東プロイセンのケーニヒスベルク。馬具職人の家に、9人兄弟の四番目として生まれました。裕福な家ではありませんでしたが、母アンナ・レギーナの存在は大きかった。敬虔主義(ピエティスムス)の篤い信仰を持つ母は、幼い息子の胸に道徳的な厳しさと、内面の誠実さを静かに刻みました。カントは晩年まで母のことを語るとき、声が柔らかくなったと伝えられています。「母は私のなかに最初の善の種を蒔いてくれた」と。その母を13歳で亡くしました。
16歳でケーニヒスベルク大学に入学。哲学、数学、物理学を学びました。卒業後は貴族の家で家庭教師を務めながら研究を続ける、長い下積みの時代が続きます。この時期のカントは、哲学だけでなく自然科学にも目を向けています。1755年の『天界の一般自然史と理論』では、太陽系が原始星雲から力学的に形成されたという仮説を提唱しました。のちにラプラスが独立に同様の着想を発表したことから、「カント=ラプラス星雲説」の名で知られています。哲学者になる前のカントは、星の成り立ちを物理で解こうとする科学者でもありました。
この年に私講師(プリヴァートドツェント)の資格を得ますが、正教授の椅子が回ってくるまでにさらに15年。46歳のとき、ようやく論理学・形而上学の正教授に就任しました。遅咲きです。ただ、その遅さは土のなかで深い根を張る時間だったのかもしれません。
転機は、デイヴィッド・ヒュームの著作でした。「ヒュームの想起こそが、多年にわたる私の独断の微睡みをはじめて破った」(die Erinnerung des David Hume war eben dasjenige, was mir vor vielen Jahren zuerst den dogmatischen Schlummer unterbrach)とカントは書いています(『プロレゴメナ』1783年、序文)。因果関係は経験から確実に導けない、というヒュームの懐疑。それは当時の形而上学の足元を揺るがすものでした。カントはこの揺れのなかから、まったく新しい問いの地平を切り拓くことになります。
1781年、57歳にして『純粋理性批判』(Kritik der reinen Vernunft)を刊行。そこから堰を切ったように主要著作が続きました。1788年『実践理性批判』、1790年『判断力批判』。三つの批判書はわずか9年のうちに書き上げられました。長い沈黙のあとの噴火。地中で静かに熱を溜めていたものが、ついに吹き出したかのようです。
1804年2月12日、ケーニヒスベルクにて没。享年79。最後の言葉は「十分だ」(Es ist gut)だったと伝えられています。
ミニ年表
- 1724年:東プロイセン、ケーニヒスベルクに生まれる
- 1737年:母アンナ・レギーナ死去
- 1740年:ケーニヒスベルク大学に入学
- 1746年:父死去。家庭教師として生計を立てる
- 1755年:『天界の一般自然史と理論』刊行。私講師の資格を取得
- 1770年:論理学・形而上学正教授に就任。就職論文「感性界と叡智界の形式と原理」
- 1781年:『純粋理性批判』初版(A版)刊行
- 1785年:『人倫の形而上学の基礎づけ』刊行
- 1787年:『純粋理性批判』第二版(B版)刊行
- 1788年:『実践理性批判』刊行
- 1790年:『判断力批判』刊行
- 1795年:『永遠平和のために』刊行
- 1804年2月12日:ケーニヒスベルクにて没。享年79
この哲学者は何を問うたのか
カント以前の哲学は、二つの陣営に分かれていました。デカルト、ライプニッツ、ヴォルフら大陸合理論の哲学者たちは、理性には生得の観念があり、経験に頼らずとも確実な知識に到達できると信じていました。一方、ロック、バークリー、ヒュームらイギリス経験論の哲学者たちは、心は白紙(タブラ・ラサ)であり、すべての知識は感覚経験に由来すると主張していました。合理論は空を掴み、経験論は確実性を手放す。この対立は不毛でした。
カントは問いそのものを変えました。私たちの認識は対象に合わせて形づくられるのだろうか。それとも、対象が私たちの認識の仕組みに合わせて現れるのだろうか。天文学でコペルニクスが地球ではなく太陽を中心に据えたように、カントは認識の主体を中心に据えました。「コペルニクス的転回」(kopernikanische Wende)と呼ばれるこの転換は、哲学の歴史をこちら側とあちら側に分ける稜線となりました。
カントの哲学は三つの問いに集約されます。私は何を知りうるか(Was kann ich wissen?)。私は何をなすべきか(Was soll ich tun?)。私は何を望んでよいか(Was darf ich hoffen?)。そしてこの三つは最終的にひとつに収斂します。人間とは何か(Was ist der Mensch?)。小さな書斎のなかで、人間という存在の輪郭を隅から隅まで測ろうとした営み。カント哲学は、その測量の記録です。
核心理論
1. コペルニクス的転回と先験的観念論
『純粋理性批判』(Kritik der reinen Vernunft、1781/1787年)は、800頁を超える大著です。難渋な書物ですが、その骨にあるのはひとつの鮮やかな転換でした。私たちは世界をあるがままに知ることはできない。知りうるのは、私たちの認識能力が構成した限りでの世界だけです。
カントによれば、人間の認識には二つの幹があります。ひとつは感性(Sinnlichkeit)。外からやってくる素材を受け取る力で、時間と空間という形式をあらかじめ備えています。もうひとつは悟性(Verstand)。受け取った素材を概念によって秩序づける力で、因果性や実体といった範疇(カテゴリー)を生まれながらに持っている。朝、窓を開けて庭を眺めるとき、目に飛び込んでくるのは光と色の流れにすぎません。そこに「木」を見、「風が枝を揺らしている」と了解するのは、私たちの側の仕組みです。「内容なき思想は空虚であり、概念なき直観は盲目である」(Gedanken ohne Inhalt sind leer, Anschauungen ohne Begriffe sind blind、A51/B75)。悟性がどれほど鋭くても、感覚の素材がなければ空回りする。感覚がどれほど豊かでも、概念がなければ混沌のまま。両者が手を取り合ってはじめて認識が成り立つのです。
ここから二つの世界の区別が生まれます。私たちが経験しうる世界、すなわち現象(Erscheinung)の世界。そして認識の形式を越えた先にあるもの、すなわち物自体(Ding an sich)の世界。物自体は在る。しかし私たちの認識は、決してそこには届きません。隣家との塀の向こうに庭があることは知っている。でも塀を越えることはできない。カントはこの境界を引くことに哲学の使命を見ました。
ところが人間の理性は、境界を引かれても黙っていられません。神は存在するか。魂は不滅か。世界には始まりがあるのか。問わずにはいられない。経験の彼方に手を伸ばさずにはおれない。『純粋理性批判』の「先験的弁証論」(Transzendentale Dialektik)は、理性のこの止められない越境の衝動を解剖しています。カントがそこで取り出して見せたのが「二律背反」(Antinomie)です。「世界には時間的な始まりがある」と「世界に始まりはなく無限に続く」。互いに矛盾する二つの命題が、どちらも論理的に証明できてしまう。理性が身の丈を超えた問いに手を出すと、こうして袋小路に嵌る。夜道で提灯の明かりが届く範囲を超えて闇のなかに踏み出せば、足元がわからなくなるのと似ています。カントは理性を否定したわけではありません。提灯の明かりがどこまで届くかを正確に見定めること。それが理性を正しく使う唯一の方法だとカントは考えました。
2. アプリオリな綜合判断:知の基礎をどこに置くか
『純粋理性批判』の序論でカントが立てた問いは、一見技術的に聞こえます。「アプリオリな綜合判断はいかにして可能か」。けれどもこれは哲学の根幹にかかわる問いです。
判断には二つの種類がある、とカントは整理します。分析判断(「独身者は未婚である」のように、主語の概念のなかにすでに述語が含まれているもの)と、綜合判断(「このバラは赤い」のように、経験によって新しい情報が加わるもの)。分析判断は確実ですが新しいことを教えてくれません。綜合判断は新しいことを教えてくれますが、経験に依存するかぎり確実とは言い切れない。
では、経験に頼らず(アプリオリに)、かつ新しい内容を持つ判断はありうるのか。「7+5=12」は経験なしに正しいと知ることができ、しかも「7」と「5」の概念だけからは「12」は出てこない。数学や自然科学の基礎には、このような不思議な判断が潜んでいます。それを可能にしているのが、時間・空間という感性の形式と、範疇という悟性の形式です。私たちが確実に知ることができるのは経験の範囲に限られますが、その経験を可能にしている条件は経験に先立って存在する。畑に種を蒔く前に、土を耕し畝をつくる農夫のように、認識の形式が経験という収穫を受け入れる土壌を整えているのです。
3. 実践理性と定言命法:道徳の基礎はどこにあるか
『純粋理性批判』が理性の認識能力を吟味したとすれば、『実践理性批判』(Kritik der praktischen Vernunft、1788年)と『人倫の形而上学の基礎づけ』(Grundlegung zur Metaphysik der Sitten、1785年)は、理性の実践的な能力を吟味します。理性は世界を知る道具であるばかりか、正しい行為の根拠をも語りうるのか。カントの答えは、静かに、しかし揺るぎなく「然り」でした。
幸福を増やすことが善だとするならば、道徳は損得の勘定にすぎなくなります。神の声に委ねるならば、道徳は外から与えられた命令への服従になる。カントが探したのは、報酬にも罰にも左右されず、理性そのものの内から湧き上がる道徳の原理でした。
そこから導かれたのが定言命法(kategorischer Imperativ)です。「汝の意志の格率が、つねに同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ」(『実践理性批判』第一部第一編第一章§7、Ak. V, 30)。噛み砕いて言えば、自分がこれから取ろうとする行動の原則が、もし全員がそうしたらどうなるかを考えてみよ、ということです。「困ったら嘘をつく」という原則を全員が採用したら、嘘という行為そのものが成り立たなくなる。嘘は信頼のうえに寄生しているからです。井戸端で交わされる約束が誰にも信じられなくなったとき、約束という行為そのものが消えてしまう。定言命法は、この自壊の構造を道徳の試金石にしたのです。
第二の定式化はさらに深いところに触れます。「人間性を、自分の人格においても他の人格においても、つねに同時に目的として扱い、決して単に手段としてのみ扱うことのないように行為せよ」(『基礎づけ』第二章、Ak. IV, 429)。人間を道具にしてはならない。これは使い勝手のよい道具として扱われたことのある人間なら、身体で理解できる命題でしょう。
ここで見落としてはならないのは、カントの道徳哲学が「自律」(Autonomie)という概念に支えられていることです。他律(Heteronomie)とは、欲望や外部の権威に従って行為すること。自律とは、理性が自ら立てた法則に自ら従うこと。食卓で親に叱られるから嘘をつかないのは他律であり、嘘をつくことが誰にとっても矛盾するとわかるから嘘をつかないのが自律です。カントにとって自由とは好き勝手にふるまうことではなく、道徳法則に自発的に従えること。自由と義務は矛盾しない。むしろ、自由であるからこそ義務を負える。川が堤を失えば氾濫するように、自由もまた、自ら課した法なしには形を失う。カント倫理学のいちばん深い水脈は、この逆説のなかを流れています。
4. 判断力批判:美と目的のあいだ
『判断力批判』(Kritik der Urteilskraft、1790年)は、三つの批判書のなかでもっとも独特な位置を占めています。自然の領域(認識)と自由の領域(道徳)のあいだには深い溝があります。判断力はその溝に橋を架ける試みでした。
前半は美的判断力を扱います。美しいものを前にしたとき、私たちは利害を離れた満足を感じます。夕暮れの空を見て「美しい」と思うとき、私たちはその空を所有しようとも、利用しようとも思っていない。カントはこの「無関心の満足」(interesseloses Wohlgefallen)のなかに、個人の好みを超えた普遍性への要求を見出しました。「これは美しい」と言うとき、私たちは暗に「他の人もそう感じるはずだ」と期待している。主観的でありながら普遍性を求めるという、この不思議な構造。庭先に咲いた一輪の花を見て、思わず「綺麗だ」とつぶやく。その瞬間、私たちは花を売ろうとも食べようとも思っていません。ただ美しいと感じている。しかも隣にいる誰かにも同意してほしいと願っている。カントはこの素朴な経験のなかに、認識と道徳を架橋する手がかりを見ていたのです。
美と並んで、カントが論じたのが「崇高」(das Erhabene)です。嵐の海、切り立つ断崖、圧倒的な星空。人間を押しつぶすような自然の力を前にしたとき、私たちは恐怖と同時に高揚を感じます。カントはこう解きました。感性は圧倒されている。なのに理性は、その圧倒のただなかで、自然の力をなお超える自分の内なる道徳的尊厳を自覚する。崇高の感情は、自然に打ちのめされながらもなお立ち上がる理性の力を映しています(第一部第二編「崇高の分析論」§23〜29)。
後半は目的論的判断力を扱います。生き物の身体を見ると、あたかも目的に向かって設計されたかのように感じます。ただしそれは、自然そのものに目的があるという断定ではありません。私たちが自然を理解しようとするとき、目的という概念を手放せない、ということです。木の葉が陽の光に向かって伸びるのを見るとき、「この木は光を求めている」と感じるのは、自然に目的を読み込む私たちの判断力の働きです。判断力は認識と道徳のあいだに立ち、両者が無関係ではないことを、証明するのではなく感じ取らせる能力です。
5. 永遠平和と世界市民
1795年、71歳のカントは『永遠平和のために』(Zum ewigen Frieden)を書きました。書名には苦い皮肉が込められています。「永遠の平和」は墓地の看板にも使われる表現でした。本当の平和は死んでからしか訪れないのか。それとも、生きている人間のあいだで実現しうるのか。
カントは六つの予備条項と三つの確定条項を掲げました。予備条項には「常備軍は廃止されるべきである」「いかなる国家も他国の体制に武力で干渉してはならない」などが含まれます。確定条項はさらに踏み込みます。国内の体制は共和制であること。国家どうしは世界政府ではなく自由な諸国家の連合(Föderalismus)を結ぶこと。そして世界市民法(Weltbürgerrecht)として、普遍的な歓待の権利が保障されること。歓待(Hospitalität)とは、見知らぬ土地を訪れた者が敵として扱われないという訪問の権利であり、定住の権利ではありません。遠くの村から旅人がやってきたとき、追い返さず水を差し出すこと。カントはその素朴な道義を法的な原理に昇華させようとしたのです。
戦争は理性によって克服されうる。その確信は、夢想ではなく、道徳法則からの要請でした。国際連盟、そして国際連合。カントの構想は、200年を経て不完全ながらもかたちを持ちつつあります。
この小さな著作には、カントの思想の全体が圧縮されています。理性が自らの限界を知りつつも、道徳法則に従って平和を目指すこと。実現の保証はどこにもありません。それでも目指すべきであるという義務は揺るがない。晩秋の畑に種を蒔く農夫のように。芽が出るかどうかはわからない。でも、蒔かなければ決して芽は出ない。
主要著作ガイド
- 『純粋理性批判』(Kritik der reinen Vernunft、1781/1787年):認識の可能性と限界を徹底的に吟味した主著。読破は容易ではありませんが、序文とB版緒論だけでも読む意味があります。邦訳:中山元訳(光文社古典新訳文庫)、原佑訳(平凡社ライブラリー)。
- 『人倫の形而上学の基礎づけ』(Grundlegung zur Metaphysik der Sitten、1785年):定言命法を軸に道徳哲学の原理を論じた小著。カントの倫理学への入門として最適です。邦訳:中山元訳(光文社古典新訳文庫)。
- 『実践理性批判』(Kritik der praktischen Vernunft、1788年):道徳法則の根拠を純粋実践理性のうちに見出す。「頭上の星空と内なる道徳法則」の一節はこの書の結語です。邦訳:中山元訳(光文社古典新訳文庫)。
- 『判断力批判』(Kritik der Urteilskraft、1790年):美と崇高、自然の目的論を論じ、認識と道徳の架橋を試みた第三批判。邦訳:牧野英二訳(岩波文庫、上下巻)。
- 『永遠平和のために』(Zum ewigen Frieden、1795年):国家間の平和を実現するための条件を法的に整理した小著。読みやすく、カント政治哲学への入口として好適です。邦訳:中山元訳(光文社古典新訳文庫)。
主要な批判と論争
カントへの批判は、生前から激しいものでした。同時代の批判者として、ヤコービは物自体の概念に矛盾を見出しました。物自体が私たちの感性に触発すると言うとき、すでに因果関係を物自体に適用しているではないか。因果性は現象にしか使えないはずなのに。この批判は、今日に至るまで完全には解消されていません。
ヘーゲルの批判はさらに根底的でした。カントの道徳哲学は形式的にすぎる、と。定言命法は何を「すべきではない」かを教えてくれるかもしれないが、具体的に何を「すべきか」は教えてくれない。朝の食卓で子どもが「嘘をついてはいけないの?」と尋ねたとき、「いけません」と答えることはできても、その子が目の前の友人にどんな言葉をかけるべきかまでは定言命法から導けないでしょう。歴史や共同体のなかで育まれる具体的な倫理(Sittlichkeit)を軽視している、とヘーゲルは見ていました。
ニーチェは、カントの道徳哲学をキリスト教道徳の理性化にすぎないと断じました。義務への服従を美徳とする姿勢は、生の力を抑圧する奴隷道徳の変奏ではないか。鮮やかな一撃です。ただ、カントの読みとして正確かどうかは別の問いでしょう。カントにとって義務とは誰かに押しつけられるものではなく、理性が自ら立てた法に自ら従うこと。服従ではなく自律だったからです。
現代では、カントが人種と地理についての講義のなかで人種差別的な見解を述べていた事実が、研究者のあいだで真剣に議論されています(チャールズ・ミルズ、エマニュエル・エゼらの研究)。普遍的人間性を説く哲学者が、ある人々をその普遍性から排除していたとすれば、それは思想の内部に走る亀裂であり、誠実に向き合わなければならない問題です。定言命法の精神は、まさにその精神によってカント自身を批判する根拠を提供してもいます。
影響と遺産
カントが没すると、ドイツ観念論の若い哲学者たちがただちに舞台に上がりました。フィヒテは物自体を捨てて自我の活動からすべてを導こうとし、シェリングは自然と精神の統一を夢見、ヘーゲルは弁証法によってカントが引いた境界線そのものを消し去ろうとしました。三者ともにカントを踏み台にし、カントを乗り越えようとした。その踏み台がなければ、彼らの跳躍はなかったでしょう。ショーペンハウアーは物自体を「意志」と読み替え、思想をまったく別の方角へ引っぱっていきました。山の水源から流れ出た水が、谷の地形に応じてそれぞれ異なる川筋を描くように。
19世紀後半、ヘーゲル哲学の崩壊ののちに「カントに帰れ」(Zurück zu Kant!)を掲げる新カント派(Neukantianismus)が興りました。マールブルク学派のコーヘンやナトルプは認識論の側面を、南西ドイツ学派のヴィンデルバントやリッケルトは価値哲学の側面を継承しました。20世紀の分析哲学もまた、カントの問いを形を変えて引き継いでいます。ストローソンは『感性の限界』(The Bounds of Sense、1966年)で、分析哲学の道具を使ってカントを読み直しました。ロールズの『正義論』(A Theory of Justice、1971年)は、「無知のヴェール」(veil of ignorance)の背後で原理を選ぶという構想を据えていますが、これは定言命法の普遍化テストと根のところで響き合っています。ハーバーマスの討議倫理学(Diskursethik)もまた、道徳原理を対話の手続きとして鋳直す試みでした。
哲学の外にも影響は広く及んでいます。国際法における国家の平和的共存の理念、人権の普遍性への要求、認知科学における「人間の認識は受動的な記録ではなく能動的な構成である」という発想。こうした領域にカントの影を見ることができます。日本でも明治以降、西周がカントの用語を翻訳する過程で「哲学」「理性」「悟性」といった訳語が生まれ、日本語の学術用語そのものを形づくりました。西田幾多郎はカントの認識論を深く学んだうえで、主客未分の「純粋経験」という独自の出発点を据えました。カントを通過することなしには西田哲学もまた生まれなかったでしょう。
現代への接続
「なぜ嘘をついてはいけないのか」。子どもに聞かれたとき、私たちはどう答えるでしょうか。「怒られるから」では損得の話にすぎません。「神様がそう言っているから」では権威への服従です。カントならばこう問いかけるでしょう。もし全員が嘘をついたら世界はどうなるか想像してごらん、と。信頼がなくなれば言葉そのものが力を失います。道徳の根拠を宗教にも伝統にも頼れなくなった時代に、理性だけで道徳を基礎づけようとしたカントの企ては、その困難さゆえにかえって真剣に向き合うべきものに思われます。
「人間を手段としてのみ扱ってはならない」という原則は、労働の現場で、教育の現場で、医療の現場で、繰り返し試されています。病院の待合室で番号を呼ばれるとき、私たちは数字で管理される存在になっています。教室で成績順に並べられるとき、子どもたちは数値に還元されています。効率と尊厳のあいだの軋みは、カントが投げかけた問いの別の姿です。
『永遠平和のために』の構想もまた、色を変えて今に残っています。国際連合が機能しない場面を目にするたび、カントの理念は甘い夢に見えるかもしれません。ただそれは、実現の予言ではありませんでした。方向を指し示す道徳の要請です。平和が実現するかどうかはわからない。それでも平和を目指すべきであるという義務は消えない。この静かな区別に、カントの思想の芯があります。
読者への問い
- あなたがこれから取ろうとしている行動の原則を、もし全員が採用したら世界はどうなるか。それでもなお、その行動を選びますか。
- 損得でも信仰でも伝統でもない根拠から、「これは正しい」と言い切ることは、あなたにとって可能ですか。
- 理性に限界があると知ることは、あなたの生き方を楽にしますか、それとも苦しくしますか。
名言(出典つき)
「二つのものが、繰り返し深く省みれば省みるほど、つねに新たに増しゆく讃嘆と畏敬の念をもって心を満たすもの──わが頭上の星ちりばめる空と、わが内なる道徳法則」 出典:イマヌエル・カント『実践理性批判』結語(Ak. V, 161)/原文:"Zwei Dinge erfüllen das Gemüth mit immer neuer und zunehmender Bewunderung und Ehrfurcht, je öfter und anhaltender sich das Nachdenken damit beschäftigt: der bestirnte Himmel über mir, und das moralische Gesetz in mir."
カントの墓碑にも刻まれた、もっともよく知られた言葉です。宇宙の広大さの前で人間は塵にすぎません。なのに、その塵の胸のうちに道徳法則が宿っている。星空を仰ぐ畏れと、胸の奥で響く法への畏れ。カントの墓碑にも刻まれたこの一節は、彼の哲学の出発点であり、到達点でもあったのでしょう。
「敢えて知れ! 自らの悟性を用いる勇気を持て!」 出典:イマヌエル・カント「啓蒙とは何かという問いに対する回答」(Beantwortung der Frage: Was ist Aufklärung?、1784年、Ak. VIII, 35)/原文:"Sapere aude! Habe Muth dich deines eigenen Verstandes zu bedienen!"
啓蒙とは「人間が自ら招いた未成年状態から脱すること」であるとカントは定義しました。未成年状態とは、他人に頼らなければ自分の頭で考えられない状態のことです。考える力はある。ただ、使う勇気がない。カントのこの声は、時代を越えて届きます。
「汝の意志の格率が、つねに同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ」 出典:イマヌエル・カント『実践理性批判』第一部第一編第一章§7(Ak. V, 30)/原文:"Handle so, daß die Maxime deines Willens jederzeit zugleich als Prinzip einer allgemeinen Gesetzgebung gelten könne."
定言命法の基本定式です。自分の行為の原則が、もし万人の法則になったとしても矛盾しないかどうか。それを常に問え、とカントは言っています。
参考文献
- (原典・ドイツ語):Immanuel Kant, Kritik der reinen Vernunft, 1. Aufl. 1781 (A), 2. Aufl. 1787 (B). Akademie-Ausgabe, Bd. III–IV.
- (原典・ドイツ語):Immanuel Kant, Kritik der praktischen Vernunft, 1788. Akademie-Ausgabe, Bd. V.
- (原典・ドイツ語):Immanuel Kant, Kritik der Urteilskraft, 1790. Akademie-Ausgabe, Bd. V.
- (原典・ドイツ語):Immanuel Kant, Prolegomena zu einer jeden künftigen Metaphysik, 1783. Akademie-Ausgabe, Bd. IV.
- (原典・ドイツ語):Immanuel Kant, Grundlegung zur Metaphysik der Sitten, 1785. Akademie-Ausgabe, Bd. IV.
- (原典・ドイツ語):Immanuel Kant, Zum ewigen Frieden, 1795. Akademie-Ausgabe, Bd. VIII.
- (原典・邦訳):カント『純粋理性批判』中山元訳、光文社古典新訳文庫(全7巻)。
- (原典・邦訳):カント『実践理性批判』中山元訳、光文社古典新訳文庫。
- (研究書):Henry E. Allison, Kant's Transcendental Idealism: An Interpretation and Defense, rev. ed., Yale University Press, 2004.
- (研究書):Paul Guyer, Kant, 2nd ed., Routledge, 2014.
- (研究書・邦語):石川文康『カント入門』ちくま新書。
- (補助ウェブ資料):"Immanuel Kant", Stanford Encyclopedia of Philosophy.