その男性だんせいの散歩さんぽは、街まちの時計とけいよりも正確せいかくだったと伝つたえられています。午後ごご3時じ30分ふん、イマヌエルImmanuel・カントKantが杖つえを手てに菩提樹ぼだいじゅの並木道なみきみちに姿すがたを現あらわすと、ケーニヒスベルクKönigsbergの住人じゅうにんたちは懐中かいちゅう時計どけいの針はりを合あわせたといいます。小柄こがらな体躯たいく。胸むねはやや窪くぼみ、右肩みぎかたが少すこし傾かたむいていました。生涯しょうがいこの港町みなとまちを離はなれることなく、結婚けっこんもせず、遠とおくへの旅たびにも出でなかった。それでいて、この教授きょうじゅが書斎しょさいのなかで成なし遂とげたことは、西洋せいよう哲学てつがくの地形ちけいそのものを塗ぬり替かえるものでした。

18世紀せいきの半なかば、哲学てつがくは行いき詰づまっていました。大陸たいりくの合理論ごうりろんは理性りせいの力ちからだけで世界せかいを解とき明あかせると信しんじ、イギリスEnglandの経験論けいけんろんは感覚かんかくこそがすべての源みなもとだと説とく。両者りょうしゃは譲ゆずらず、実みを結むすばない論争ろんそうが繰くり返かえされていた。カントKantはそこに、まったく別べつの角度かくどから問といを投なげました。私わたしたちの認識にんしきが対象たいしょうに従したがうのではなく、対象たいしょうのほうが私わたしたちの認識にんしきの形式けいしきに従したがうのだとしたら、と。部屋へやの窓まどを思おもい浮うかべてください。窓まどの向むこうに広ひろがる庭にわの景色けしきは、窓枠まどわくの形かたちに切きり取とられている。枠わくを外はずすことはできません。それでも、その枠わくがどんな形かたちをしているかを知しることならできる。

理性りせいはどこまで届とどくのか。届とどかない場所ばしょには何なにがあるのか。そして、自みずからの限界げんかいを知しった理性りせいは、道徳どうとくの問題もんだいに対たいしてなお何なにかを語かたりうるのか。カントKantの歩あゆみは、この三みっつの問といをめぐる、厳密げんみつで息いきの長ながい思索しさくの旅たびでした。

この記事きじの要点ようてん

  • コペルニクス的転回コペルニクスてきてんかい:認識にんしきが対象たいしょうに従したがうのではなく、対象たいしょうが認識にんしきの形式けいしきに従したがう。この逆転ぎゃくてんによってカントKantは経験論けいけんろんと合理論ごうりろんの膠着こうちゃくを打うち破やぶり、近代きんだい認識論にんしきろんの土台どだいを据すえました。『純粋じゅんすい理性りせい批判ひはん』(1781年ねん)の核心かくしんです。
  • 定言命法ていげんめいほう(kategorischer Imperativ):「汝なんじの意志いしの格率かくりつが、つねに同時どうじに普遍的ふへんてき立法りっぽうの原理げんりとして妥当だとうしうるように行為こういせよ」。神かみの命令めいれいにも幸福こうふくの計算けいさんにも頼たよらず、理性りせいのみから道徳どうとくの原理げんりを打うち立たてた試こころみです。
  • 理性りせいの自己じこ批判ひはん:理性りせいが自分じぶんで自分じぶんの限界げんかいを画定かくていする。知しりうるものと知しりえないものの境界きょうかいを引ひくことで、形而上学けいじじょうがくの空転くうてんを止とめると同時どうじに、道徳どうとくと信仰しんこうのための余地よちを確保かくほしました。知ちの制限せいげんが自由じゆうの条件じょうけんとなるという、逆説的ぎゃくせつてきな構造こうぞうです。

生涯しょうがいと時代じだい背景はいけい

1724年ねん4月がつ22日にち、東ひがしプロイセンPreußenのケーニヒスベルクKönigsberg。馬具ばぐ職人しょくにんの家いえに、9人にん兄弟きょうだいの四番目よんばんめとして生うまれました。裕福ゆうふくな家いえではありませんでしたが、母ははアンナAnna・レギーナReginaの存在そんざいは大おおきかった。敬虔けいけん主義しゅぎ(ピエティスムスPietismus)の篤あつい信仰しんこうを持もつ母ははは、幼おさない息子むすこの胸むねに道徳的どうとくてきな厳きびしさと、内面ないめんの誠実せいじつさを静しずかに刻きざみました。カントKantは晩年ばんねんまで母ははのことを語かたるとき、声こえが柔やわらかくなったと伝つたえられています。「母ははは私わたしのなかに最初さいしょの善ぜんの種たねを蒔まいてくれた」と。その母ははを13歳さいで亡なくしました。

16歳さいでケーニヒスベルクKönigsberg大学だいがくに入学にゅうがく。哲学てつがく、数学すうがく、物理学ぶつりがくを学まなびました。卒業後そつぎょうごは貴族きぞくの家いえで家庭かてい教師きょうしを務つとめながら研究けんきゅうを続つづける、長ながい下積したづみの時代じだいが続つづきます。この時期じきのカントKantは、哲学てつがくだけでなく自然しぜん科学かがくにも目めを向むけています。1755年ねんの『天界てんかいの一般いっぱん自然史しぜんしと理論りろん』では、太陽系たいようけいが原始げんし星雲せいうんから力学的りきがくてきに形成けいせいされたという仮説かせつを提唱ていしょうしました。のちにラプラスLaplaceが独立どくりつに同様どうようの着想ちゃくそうを発表はっぴょうしたことから、「カントKant=ラプラスLaplace星雲説せいうんせつ」の名なで知しられています。哲学者てつがくしゃになる前まえのカントKantは、星ほしの成なり立たちを物理ぶつりで解とこうとする科学者かがくしゃでもありました。

この年としに私講師しこうし(プリヴァートドツェントPrivatdozent)の資格しかくを得えますが、正教授せいきょうじゅの椅子いすが回まわってくるまでにさらに15年ねん。46歳さいのとき、ようやく論理学ろんりがく・形而上学けいじじょうがくの正教授せいきょうじゅに就任しゅうにんしました。遅咲おそざきです。ただ、その遅おそさは土つちのなかで深ふかい根ねを張はる時間じかんだったのかもしれません。

転機てんきは、デイヴィッドDavid・ヒュームHumeの著作ちょさくでした。「ヒュームHumeの想起そうきこそが、多年たねんにわたる私わたしの独断どくだんの微睡まどろみをはじめて破やぶった」(die Erinnerung des David Hume war eben dasjenige, was mir vor vielen Jahren zuerst den dogmatischen Schlummer unterbrach)とカントKantは書かいています(『プロレゴメナProlegomena』1783年ねん、序文じょぶん)。因果いんが関係かんけいは経験けいけんから確実かくじつに導みちびけない、というヒュームHumeの懐疑かいぎ。それは当時とうじの形而上学けいじじょうがくの足元あしもとを揺ゆるがすものでした。カントKantはこの揺ゆれのなかから、まったく新あたらしい問といの地平ちへいを切きり拓ひらくことになります。

1781年ねん、57歳さいにして『純粋じゅんすい理性りせい批判ひはん』(Kritik der reinen Vernunft)を刊行かんこう。そこから堰せきを切きったように主要しゅよう著作ちょさくが続つづきました。1788年ねん『実践じっせん理性りせい批判ひはん』、1790年ねん『判断力はんだんりょく批判ひはん』。三みっつの批判書ひはんしょはわずか9年ねんのうちに書かき上あげられました。長ながい沈黙ちんもくのあとの噴火ふんか。地中ちちゅうで静しずかに熱ねつを溜ためていたものが、ついに吹ふき出だしたかのようです。

1804年ねん2月がつ12日にち、ケーニヒスベルクKönigsbergにて没ぼつ。享年きょうねん79。最後さいごの言葉ことばは「十分じゅうぶんだ」(Es ist gut)だったと伝つたえられています。

ミニ年表ねんぴょう

  • 1724年ねん:東ひがしプロイセンPreußen、ケーニヒスベルクKönigsbergに生うまれる
  • 1737年ねん:母ははアンナAnna・レギーナRegina死去しきょ
  • 1740年ねん:ケーニヒスベルクKönigsberg大学だいがくに入学にゅうがく
  • 1746年ねん:父ちち死去しきょ。家庭かてい教師きょうしとして生計せいけいを立たてる
  • 1755年ねん:『天界てんかいの一般いっぱん自然史しぜんしと理論りろん』刊行かんこう。私講師しこうしの資格しかくを取得しゅとく
  • 1770年ねん:論理学ろんりがく・形而上学けいじじょうがく正教授せいきょうじゅに就任しゅうにん。就職しゅうしょく論文ろんぶん「感性界かんせいかいと叡智界えいちかいの形式けいしきと原理げんり」
  • 1781年ねん:『純粋じゅんすい理性りせい批判ひはん』初版しょはん(A版ばん)刊行かんこう
  • 1785年ねん:『人倫じんりんの形而上学けいじじょうがくの基礎きそづけ』刊行かんこう
  • 1787年ねん:『純粋じゅんすい理性りせい批判ひはん』第二版だいにはん(B版ばん)刊行かんこう
  • 1788年ねん:『実践じっせん理性りせい批判ひはん』刊行かんこう
  • 1790年ねん:『判断力はんだんりょく批判ひはん』刊行かんこう
  • 1795年ねん:『永遠えいえん平和へいわのために』刊行かんこう
  • 1804年ねん2月がつ12日にち:ケーニヒスベルクKönigsbergにて没ぼつ。享年きょうねん79

この哲学者てつがくしゃは何なにを問とうたのか

カントKant以前の哲学てつがくは、二ふたつの陣営じんえいに分わかれていました。デカルトDescartes、ライプニッツLeibniz、ヴォルフWolffら大陸たいりく合理論ごうりろんの哲学者てつがくしゃたちは、理性りせいには生得せいとくの観念かんねんがあり、経験けいけんに頼たよらずとも確実かくじつな知識ちしきに到達とうたつできると信しんじていました。一方、ロックLocke、バークリーBerkeley、ヒュームHumeらイギリスEngland経験論けいけんろんの哲学者てつがくしゃたちは、心こころは白紙はくし(タブラ・ラサtabula rasa)であり、すべての知識ちしきは感覚かんかく経験けいけんに由来ゆらいすると主張しゅちょうしていました。合理論ごうりろんは空くうを掴つかみ、経験論けいけんろんは確実性かくじつせいを手放てばなす。この対立たいりつは不毛ふもうでした。

カントKantは問といそのものを変かえました。私わたしたちの認識にんしきは対象たいしょうに合あわせて形かたちづくられるのだろうか。それとも、対象たいしょうが私わたしたちの認識にんしきの仕組しくみに合あわせて現あらわれるのだろうか。天文学てんもんがくでコペルニクスCopernicusが地球ちきゅうではなく太陽たいようを中心ちゅうしんに据すえたように、カントKantは認識にんしきの主体しゅたいを中心ちゅうしんに据すえました。「コペルニクス的転回コペルニクスてきてんかい」(kopernikanische Wendeコペルニカーニシェ・ヴェンデ)と呼よばれるこの転換てんかんは、哲学てつがくの歴史れきしをこちら側がわとあちら側がわに分わける稜線りょうせんとなりました。

カントKantの哲学てつがくは三みっつの問といに集約しゅうやくされます。私わたしは何なにを知しりうるか(Was kann ich wissen?)。私わたしは何なにをなすべきか(Was soll ich tun?)。私わたしは何なにを望のぞんでよいか(Was darf ich hoffen?)。そしてこの三みっつは最終的さいしゅうてきにひとつに収斂しゅうれんします。人間にんげんとは何なにか(Was ist der Mensch?)。小ちいさな書斎しょさいのなかで、人間にんげんという存在そんざいの輪郭りんかくを隅すみから隅すみまで測はかろうとした営いとなみ。カントKant哲学てつがくは、その測量そくりょうの記録きろくです。

核心かくしん理論りろん

1. コペルニクス的転回コペルニクスてきてんかいと先験的せんけんてき観念論かんねんろん

『純粋じゅんすい理性りせい批判ひはん』(Kritik der reinen Vernunftクリティーク・デア・ライネン・フェアヌンフト、1781/1787年ねん)は、800頁ページを超こえる大著たいちょです。難渋なんじゅうな書物しょもつですが、その骨ほねにあるのはひとつの鮮あざやかな転換てんかんでした。私わたしたちは世界せかいをあるがままに知しることはできない。知しりうるのは、私わたしたちの認識にんしき能力のうりょくが構成こうせいした限かぎりでの世界せかいだけです。

カントKantによれば、人間にんげんの認識にんしきには二ふたつの幹みきがあります。ひとつは感性かんせい(Sinnlichkeitジンリヒカイト)。外そとからやってくる素材そざいを受うけ取とる力ちからで、時間じかんと空間くうかんという形式けいしきをあらかじめ備そなえています。もうひとつは悟性ごせい(Verstandフェアシュタント)。受うけ取とった素材そざいを概念がいねんによって秩序ちつじょづける力ちからで、因果性いんがせいや実体じったいといった範疇はんちゅう(カテゴリーKategorie)を生うまれながらに持もっている。朝あさ、窓まどを開あけて庭にわを眺ながめるとき、目めに飛とび込こんでくるのは光ひかりと色いろの流ながれにすぎません。そこに「木き」を見み、「風かぜが枝えだを揺ゆらしている」と了解りょうかいするのは、私わたしたちの側がわの仕組しくみです。「内容ないようなき思想しそうは空虚くうきょであり、概念がいねんなき直観ちょっかんは盲目もうもくである」(Gedanken ohne Inhalt sind leer, Anschauungen ohne Begriffe sind blind、A51/B75)。悟性ごせいがどれほど鋭するどくても、感覚かんかくの素材そざいがなければ空回からまわりする。感覚かんかくがどれほど豊ゆたかでも、概念がいねんがなければ混沌こんとんのまま。両者りょうしゃが手てを取とり合あってはじめて認識にんしきが成なり立たつのです。

ここから二ふたつの世界せかいの区別くべつが生うまれます。私わたしたちが経験けいけんしうる世界せかい、すなわち現象げんしょう(Erscheinungエアシャイヌング)の世界せかい。そして認識にんしきの形式けいしきを越こえた先さきにあるもの、すなわち物自体ものじたい(Ding an sichディング・アン・ジッヒ)の世界せかい。物自体ものじたいは在ある。しかし私わたしたちの認識にんしきは、決けっしてそこには届とどきません。隣家りんかとの塀へいの向むこうに庭にわがあることは知しっている。でも塀へいを越こえることはできない。カントKantはこの境界きょうかいを引ひくことに哲学てつがくの使命しめいを見みました。

ところが人間にんげんの理性りせいは、境界きょうかいを引ひかれても黙だまっていられません。神かみは存在そんざいするか。魂たましいは不滅ふめつか。世界せかいには始はじまりがあるのか。問とわずにはいられない。経験けいけんの彼方かなたに手てを伸のばさずにはおれない。『純粋じゅんすい理性りせい批判ひはん』の「先験的せんけんてき弁証論べんしょうろん」(Transzendentale Dialektikトランスツェンデンターレ・ディアレクティーク)は、理性りせいのこの止とめられない越境えっきょうの衝動しょうどうを解剖かいぼうしています。カントKantがそこで取とり出だして見みせたのが「二律背反にりつはいはん」(Antinomieアンティノミー)です。「世界せかいには時間的じかんてきな始はじまりがある」と「世界せかいに始はじまりはなく無限むげんに続つづく」。互たがいに矛盾むじゅんする二ふたつの命題めいだいが、どちらも論理的ろんりてきに証明しょうめいできてしまう。理性りせいが身みの丈たけを超こえた問といに手てを出だすと、こうして袋小路ふくろこうじに嵌はまる。夜道よみちで提灯ちょうちんの明あかりが届とどく範囲はんいを超こえて闇やみのなかに踏ふみ出だせば、足元あしもとがわからなくなるのと似にています。カントKantは理性りせいを否定ひていしたわけではありません。提灯ちょうちんの明あかりがどこまで届とどくかを正確せいかくに見定みさだめること。それが理性りせいを正ただしく使つかう唯一ゆいいつの方法ほうほうだとカントKantは考かんがえました。

2. アプリオリa prioriな綜合そうごう判断はんだん:知ちの基礎きそをどこに置おくか

『純粋じゅんすい理性りせい批判ひはん』の序論じょろんでカントKantが立たてた問といは、一見けん技術的ぎじゅつてきに聞きこえます。「アプリオリa prioriな綜合そうごう判断はんだんはいかにして可能かのうか」。けれどもこれは哲学てつがくの根幹こんかんにかかわる問といです。

判断はんだんには二ふたつの種類しゅるいがある、とカントKantは整理せいりします。分析ぶんせき判断はんだん(「独身者どくしんしゃは未婚みこんである」のように、主語しゅごの概念がいねんのなかにすでに述語じゅつごが含ふくまれているもの)と、綜合そうごう判断はんだん(「このバラは赤あかい」のように、経験けいけんによって新あたらしい情報じょうほうが加くわわるもの)。分析ぶんせき判断はんだんは確実かくじつですが新あたらしいことを教おしえてくれません。綜合そうごう判断はんだんは新あたらしいことを教おしえてくれますが、経験けいけんに依存いぞんするかぎり確実かくじつとは言いい切きれない。

では、経験けいけんに頼たよらず(アプリオリa prioriに)、かつ新あたらしい内容ないようを持もつ判断はんだんはありうるのか。「7+5=12」は経験けいけんなしに正ただしいと知しることができ、しかも「7」と「5」の概念がいねんだけからは「12」は出でてこない。数学すうがくや自然しぜん科学かがくの基礎きそには、このような不思議ふしぎな判断はんだんが潜ひそんでいます。それを可能かのうにしているのが、時間じかん・空間くうかんという感性かんせいの形式けいしきと、範疇はんちゅうという悟性ごせいの形式けいしきです。私わたしたちが確実かくじつに知しることができるのは経験けいけんの範囲はんいに限かぎられますが、その経験けいけんを可能かのうにしている条件じょうけんは経験けいけんに先立さきだって存在そんざいする。畑はたけに種たねを蒔まく前まえに、土つちを耕たがやし畝うねをつくる農夫のうふのように、認識にんしきの形式けいしきが経験けいけんという収穫しゅうかくを受うけ入いれる土壌どじょうを整ととのえているのです。

3. 実践じっせん理性りせいと定言命法ていげんめいほう:道徳どうとくの基礎きそはどこにあるか

『純粋じゅんすい理性りせい批判ひはん』が理性りせいの認識にんしき能力のうりょくを吟味ぎんみしたとすれば、『実践じっせん理性りせい批判ひはん』(Kritik der praktischen Vernunftクリティーク・デア・プラクティシェン・フェアヌンフト、1788年ねん)と『人倫じんりんの形而上学けいじじょうがくの基礎きそづけ』(Grundlegung zur Metaphysik der Sittenグルントレーグング・ツア・メタフュジーク・デア・ジッテン、1785年ねん)は、理性りせいの実践的じっせんてきな能力のうりょくを吟味ぎんみします。理性りせいは世界せかいを知しる道具どうぐであるばかりか、正ただしい行為こういの根拠こんきょをも語かたりうるのか。カントKantの答こたえは、静しずかに、しかし揺ゆるぎなく「然しかり」でした。

幸福こうふくを増ふやすことが善ぜんだとするならば、道徳どうとくは損得そんとくの勘定かんじょうにすぎなくなります。神かみの声こえに委ゆだねるならば、道徳どうとくは外そとから与あたえられた命令めいれいへの服従ふくじゅうになる。カントKantが探さがしたのは、報酬ほうしゅうにも罰ばつにも左右さゆうされず、理性りせいそのものの内うちから湧わき上あがる道徳どうとくの原理げんりでした。

そこから導みちびかれたのが定言命法ていげんめいほう(kategorischer Imperativカテゴリッシャー・インペラティーフ)です。「汝なんじの意志いしの格率かくりつが、つねに同時どうじに普遍的ふへんてき立法りっぽうの原理げんりとして妥当だとうしうるように行為こういせよ」(『実践じっせん理性りせい批判ひはん』第一部だいいちぶ第一編だいいっぺん第一章だいいっしょう§7、Ak. V, 30)。噛かみ砕くだいて言いえば、自分がこれから取とろうとする行動こうどうの原則げんそくが、もし全員ぜんいんがそうしたらどうなるかを考かんがえてみよ、ということです。「困こまったら嘘うそをつく」という原則げんそくを全員ぜんいんが採用さいようしたら、嘘うそという行為こういそのものが成なり立たたなくなる。嘘うそは信頼しんらいのうえに寄生きせいしているからです。井戸端いどばたで交かわされる約束やくそくが誰だれにも信しんじられなくなったとき、約束やくそくという行為こういそのものが消きえてしまう。定言命法ていげんめいほうは、この自壊じかいの構造こうぞうを道徳どうとくの試金石しきんせきにしたのです。

第二だいにの定式化ていしきかはさらに深ふかいところに触ふれます。「人間性にんげんせいを、自分じぶんの人格じんかくにおいても他たの人格じんかくにおいても、つねに同時どうじに目的もくてきとして扱あつかい、決けっして単たんに手段しゅだんとしてのみ扱あつかうことのないように行為こういせよ」(『基礎きそづけ』第二章だいにしょう、Ak. IV, 429)。人間にんげんを道具どうぐにしてはならない。これは使つかい勝手がってのよい道具どうぐとして扱あつかわれたことのある人間にんげんなら、身体しんたいで理解りかいできる命題めいだいでしょう。

ここで見落みおとしてはならないのは、カントKantの道徳どうとく哲学てつがくが「自律じりつ」(Autonomieアウトノミー)という概念がいねんに支ささえられていることです。他律たりつ(Heteronomieヘテロノミー)とは、欲望よくぼうや外部がいぶの権威けんいに従したがって行為こういすること。自律じりつとは、理性りせいが自みずから立たてた法則ほうそくに自みずから従したがうこと。食卓しょくたくで親おやに叱しかられるから嘘うそをつかないのは他律たりつであり、嘘うそをつくことが誰だれにとっても矛盾むじゅんするとわかるから嘘うそをつかないのが自律じりつです。カントKantにとって自由じゆうとは好すき勝手かってにふるまうことではなく、道徳どうとく法則ほうそくに自発的じはつてきに従したがえること。自由じゆうと義務ぎむは矛盾むじゅんしない。むしろ、自由じゆうであるからこそ義務ぎむを負おえる。川かわが堤つつみを失うしなえば氾濫はんらんするように、自由じゆうもまた、自みずから課かした法ほうなしには形かたちを失うしなう。カントKant倫理学りんりがくのいちばん深ふかい水脈すいみゃくは、この逆説ぎゃくせつのなかを流ながれています。

4. 判断力はんだんりょく批判ひはん:美びと目的もくてきのあいだ

『判断力はんだんりょく批判ひはん』(Kritik der Urteilskraftクリティーク・デア・ウアタイルスクラフト、1790年ねん)は、三みっつの批判書ひはんしょのなかでもっとも独特どくとくな位置いちを占しめています。自然しぜんの領域りょういき(認識にんしき)と自由じゆうの領域りょういき(道徳どうとく)のあいだには深ふかい溝みぞがあります。判断力はんだんりょくはその溝みぞに橋はしを架かける試こころみでした。

前半ぜんはんは美的びてき判断力はんだんりょくを扱あつかいます。美うつくしいものを前まえにしたとき、私わたしたちは利害りがいを離はなれた満足まんぞくを感かんじます。夕暮ゆうぐれの空そらを見みて「美うつくしい」と思おもうとき、私わたしたちはその空そらを所有しょゆうしようとも、利用りようしようとも思おもっていない。カントKantはこの「無関心むかんしんの満足まんぞく」(interesseloses Wohlgefallenインテレッセローゼス・ヴォールゲファレン)のなかに、個人こじんの好このみを超こえた普遍性ふへんせいへの要求ようきゅうを見出みいだしました。「これは美うつくしい」と言いうとき、私わたしたちは暗あんに「他たの人ひともそう感かんじるはずだ」と期待きたいしている。主観的しゅかんてきでありながら普遍性ふへんせいを求もとめるという、この不思議ふしぎな構造こうぞう。庭先にわさきに咲さいた一輪いちりんの花はなを見みて、思おもわず「綺麗きれいだ」とつぶやく。その瞬間しゅんかん、私わたしたちは花はなを売うろうとも食たべようとも思おもっていません。ただ美うつくしいと感かんじている。しかも隣となりにいる誰だれかにも同意どういしてほしいと願ねがっている。カントKantはこの素朴そぼくな経験けいけんのなかに、認識にんしきと道徳どうとくを架橋かきょうする手てがかりを見みていたのです。

美びと並ならんで、カントKantが論ろんじたのが「崇高すうこう」(das Erhabeneダス・エアハーベネ)です。嵐あらしの海うみ、切きり立たつ断崖だんがい、圧倒的あっとうてきな星空ほしぞら。人間にんげんを押おしつぶすような自然しぜんの力ちからを前まえにしたとき、私わたしたちは恐怖きょうふと同時どうじに高揚こうようを感かんじます。カントKantはこう解ときました。感性かんせいは圧倒あっとうされている。なのに理性りせいは、その圧倒あっとうのただなかで、自然しぜんの力ちからをなお超こえる自分じぶんの内うちなる道徳的どうとくてき尊厳そんげんを自覚じかくする。崇高すうこうの感情かんじょうは、自然しぜんに打うちのめされながらもなお立たち上あがる理性りせいの力ちからを映うつしています(第一部だいいちぶ第二編だいにへん「崇高すうこうの分析論ぶんせきろん」§23〜29)。

後半こうはんは目的論的もくてきろんてき判断力はんだんりょくを扱あつかいます。生いき物ものの身体しんたいを見みると、あたかも目的もくてきに向むかって設計せっけいされたかのように感かんじます。ただしそれは、自然しぜんそのものに目的もくてきがあるという断定だんていではありません。私わたしたちが自然しぜんを理解りかいしようとするとき、目的もくてきという概念がいねんを手放てばなせない、ということです。木きの葉はが陽ひの光ひかりに向むかって伸のびるのを見みるとき、「この木きは光ひかりを求もとめている」と感かんじるのは、自然しぜんに目的もくてきを読よみ込こむ私わたしたちの判断力はんだんりょくの働はたらきです。判断力はんだんりょくは認識にんしきと道徳どうとくのあいだに立たち、両者りょうしゃが無関係むかんけいではないことを、証明しょうめいするのではなく感かんじ取とらせる能力のうりょくです。

5. 永遠えいえん平和へいわと世界せかい市民しみん

1795年ねん、71歳さいのカントKantは『永遠えいえん平和へいわのために』(Zum ewigen Friedenツム・エーヴィゲン・フリーデン)を書かきました。書名しょめいには苦にがい皮肉ひにくが込こめられています。「永遠えいえんの平和へいわ」は墓地ぼちの看板かんばんにも使つかわれる表現ひょうげんでした。本当ほんとうの平和へいわは死しんでからしか訪おとずれないのか。それとも、生いきている人間にんげんのあいだで実現じつげんしうるのか。

カントKantは六むっつの予備よび条項じょうこうと三みっつの確定かくてい条項じょうこうを掲かかげました。予備よび条項じょうこうには「常備軍じょうびぐんは廃止はいしされるべきである」「いかなる国家こっかも他国たこくの体制たいせいに武力ぶりょくで干渉かんしょうしてはならない」などが含ふくまれます。確定かくてい条項じょうこうはさらに踏ふみ込こみます。国内こくないの体制たいせいは共和制きょうわせいであること。国家こっかどうしは世界せかい政府せいふではなく自由じゆうな諸しょ国家こっかの連合れんごう(Föderalismusフェーデラリスムス)を結むすぶこと。そして世界せかい市民法しみんほう(Weltbürgerrechtヴェルトビュルガーレヒト)として、普遍的ふへんてきな歓待かんたいの権利けんりが保障ほしょうされること。歓待かんたい(Hospitalitätホスピタリテート)とは、見知みしらぬ土地とちを訪おとずれた者ものが敵てきとして扱あつかわれないという訪問ほうもんの権利けんりであり、定住ていじゅうの権利けんりではありません。遠とおくの村むらから旅人たびびとがやってきたとき、追おい返かえさず水みずを差さし出だすこと。カントKantはその素朴そぼくな道義どうぎを法的ほうてきな原理げんりに昇華しょうかさせようとしたのです。

戦争せんそうは理性りせいによって克服こくふくされうる。その確信かくしんは、夢想むそうではなく、道徳どうとく法則ほうそくからの要請ようせいでした。国際こくさい連盟れんめい、そして国際こくさい連合れんごう。カントKantの構想こうそうは、200年ねんを経へて不完全ふかんぜんながらもかたちを持もちつつあります。

この小ちいさな著作ちょさくには、カントKantの思想しそうの全体ぜんたいが圧縮あっしゅくされています。理性りせいが自みずからの限界げんかいを知しりつつも、道徳どうとく法則ほうそくに従したがって平和へいわを目指めざすこと。実現じつげんの保証ほしょうはどこにもありません。それでも目指めざすべきであるという義務ぎむは揺ゆるがない。晩秋ばんしゅうの畑はたけに種たねを蒔まく農夫のうふのように。芽めが出でるかどうかはわからない。でも、蒔まかなければ決けっして芽めは出でない。

主要しゅよう著作ちょさくガイド

  • 『純粋じゅんすい理性りせい批判ひはん』(Kritik der reinen Vernunft、1781/1787年ねん):認識にんしきの可能性かのうせいと限界げんかいを徹底的てっていてきに吟味ぎんみした主著しゅちょ。読破どくはは容易よういではありませんが、序文じょぶんとB版ばん緒論しょろんだけでも読よむ意味いみがあります。邦訳ほうやく:中山なかやま元げん訳やく(光文社こうぶんしゃ古典こてん新訳しんやく文庫ぶんこ)、原はら佑たすく訳やく(平凡社へいぼんしゃライブラリーLibrary)。
  • 『人倫じんりんの形而上学けいじじょうがくの基礎きそづけ』(Grundlegung zur Metaphysik der Sitten、1785年ねん):定言命法ていげんめいほうを軸じくに道徳どうとく哲学てつがくの原理げんりを論ろんじた小著しょうちょ。カントKantの倫理学りんりがくへの入門にゅうもんとして最適さいてきです。邦訳ほうやく:中山なかやま元げん訳やく(光文社こうぶんしゃ古典こてん新訳しんやく文庫ぶんこ)。
  • 『実践じっせん理性りせい批判ひはん』(Kritik der praktischen Vernunft、1788年ねん):道徳どうとく法則ほうそくの根拠こんきょを純粋じゅんすい実践じっせん理性りせいのうちに見出みいだす。「頭上ずじょうの星空ほしぞらと内うちなる道徳どうとく法則ほうそく」の一節いっせつはこの書しょの結語けつごです。邦訳ほうやく:中山なかやま元げん訳やく(光文社こうぶんしゃ古典こてん新訳しんやく文庫ぶんこ)。
  • 『判断力はんだんりょく批判ひはん』(Kritik der Urteilskraft、1790年ねん):美びと崇高すうこう、自然しぜんの目的論もくてきろんを論ろんじ、認識にんしきと道徳どうとくの架橋かきょうを試こころみた第三だいさん批判ひはん。邦訳ほうやく:牧野まきの英二えいじ訳やく(岩波いわなみ文庫ぶんこ、上下じょうげ巻かん)。
  • 『永遠えいえん平和へいわのために』(Zum ewigen Frieden、1795年ねん):国家間こっかかんの平和へいわを実現じつげんするための条件じょうけんを法的ほうてきに整理せいりした小著しょうちょ。読よみやすく、カントKant政治せいじ哲学てつがくへの入口いりぐちとして好適こうてきです。邦訳ほうやく:中山なかやま元げん訳やく(光文社こうぶんしゃ古典こてん新訳しんやく文庫ぶんこ)。

主要しゅような批判ひはんと論争ろんそう

カントKantへの批判ひはんは、生前せいぜんから激はげしいものでした。同時代どうじだいの批判者ひはんしゃとして、ヤコービJacobiは物自体ものじたいの概念がいねんに矛盾むじゅんを見出みいだしました。物自体ものじたいが私わたしたちの感性かんせいに触発しょくはつすると言いうとき、すでに因果いんが関係かんけいを物自体ものじたいに適用てきようしているではないか。因果性いんがせいは現象げんしょうにしか使つかえないはずなのに。この批判ひはんは、今日こんにちに至いたるまで完全かんぜんには解消かいしょうされていません。

ヘーゲルHegelの批判ひはんはさらに根底的こんていてきでした。カントKantの道徳どうとく哲学てつがくは形式的けいしきてきにすぎる、と。定言命法ていげんめいほうは何なにを「すべきではない」かを教おしえてくれるかもしれないが、具体的ぐたいてきに何なにを「すべきか」は教おしえてくれない。朝あさの食卓しょくたくで子こどもが「嘘うそをついてはいけないの?」と尋たずねたとき、「いけません」と答こたえることはできても、その子こが目めの前まえの友人ゆうじんにどんな言葉ことばをかけるべきかまでは定言命法ていげんめいほうから導みちびけないでしょう。歴史れきしや共同体きょうどうたいのなかで育はぐくまれる具体的ぐたいてきな倫理りんり(Sittlichkeitジットリヒカイト)を軽視けいししている、とヘーゲルHegelは見みていました。

ニーチェNietzscheは、カントKantの道徳どうとく哲学てつがくをキリスト教キリストきょう道徳どうとくの理性化りせいかにすぎないと断だんじました。義務ぎむへの服従ふくじゅうを美徳びとくとする姿勢しせいは、生せいの力ちからを抑圧よくあつする奴隷どれい道徳どうとくの変奏へんそうではないか。鮮あざやかな一撃いちげきです。ただ、カントKantの読よみとして正確せいかくかどうかは別べつの問といでしょう。カントKantにとって義務ぎむとは誰だれかに押おしつけられるものではなく、理性りせいが自みずから立たてた法ほうに自みずから従したがうこと。服従ふくじゅうではなく自律じりつだったからです。

現代げんだいでは、カントKantが人種じんしゅと地理ちりについての講義こうぎのなかで人種じんしゅ差別的さべつてきな見解けんかいを述のべていた事実じじつが、研究者けんきゅうしゃのあいだで真剣しんけんに議論ぎろんされています(チャールズCharles・ミルズMills、エマニュエルEmmanuel・エゼEzeらの研究けんきゅう)。普遍的ふへんてき人間性にんげんせいを説とく哲学者てつがくしゃが、ある人々ひとびとをその普遍性ふへんせいから排除はいじょしていたとすれば、それは思想しそうの内部ないぶに走はしる亀裂きれつであり、誠実せいじつに向むき合あわなければならない問題もんだいです。定言命法ていげんめいほうの精神せいしんは、まさにその精神せいしんによってカントKant自身じしんを批判ひはんする根拠こんきょを提供ていきょうしてもいます。

影響えいきょうと遺産いさん

カントKantが没ぼつすると、ドイツDeutsch観念論かんねんろんの若わかい哲学者てつがくしゃたちがただちに舞台ぶたいに上あがりました。フィヒテFichteは物自体ものじたいを捨すてて自我じがの活動かつどうからすべてを導みちびこうとし、シェリングSchellingは自然しぜんと精神せいしんの統一とういつを夢ゆめ見み、ヘーゲルHegelは弁証法べんしょうほうによってカントKantが引ひいた境界線きょうかいせんそのものを消けし去さろうとしました。三者さんしゃともにカントKantを踏ふみ台だいにし、カントKantを乗のり越こえようとした。その踏ふみ台だいがなければ、彼かれらの跳躍ちょうやくはなかったでしょう。ショーペンハウアーSchopenhauerは物自体ものじたいを「意志いし」と読よみ替かえ、思想しそうをまったく別べつの方角ほうがくへ引ひっぱっていきました。山やまの水源すいげんから流ながれ出でた水みずが、谷たにの地形ちけいに応おうじてそれぞれ異ことなる川筋かわすじを描えがくように。

19世紀せいき後半こうはん、ヘーゲルHegel哲学てつがくの崩壊ほうかいののちに「カントKantに帰かえれ」(Zurück zu Kant!)を掲かかげる新しんカントKant派は(Neukantianismusノイカンティアニスムス)が興おこりました。マールブルクMarburg学派がくはのコーヘンCohenやナトルプNatorpは認識論にんしきろんの側面そくめんを、南西なんせいドイツDeutsch学派がくはのヴィンデルバントWindelbandやリッケルトRickertは価値かち哲学てつがくの側面そくめんを継承けいしょうしました。20世紀せいきの分析ぶんせき哲学てつがくもまた、カントKantの問といを形かたちを変かえて引ひき継ついでいます。ストローソンStrawsonは『感性かんせいの限界げんかい』(The Bounds of Sense、1966年ねん)で、分析ぶんせき哲学てつがくの道具どうぐを使つかってカントKantを読よみ直なおしました。ロールズRawlsの『正義論せいぎろん』(A Theory of Justice、1971年ねん)は、「無知むちのヴェール」(veil of ignorance)の背後はいごで原理げんりを選えらぶという構想こうそうを据すえていますが、これは定言命法ていげんめいほうの普遍化ふへんかテストと根ねのところで響ひびき合あっています。ハーバーマスHabermasの討議とうぎ倫理学りんりがく(Diskursethikディスクルスエーティク)もまた、道徳どうとく原理げんりを対話たいわの手続てつづきとして鋳い直なおす試こころみでした。

哲学てつがくの外そとにも影響えいきょうは広ひろく及およんでいます。国際法こくさいほうにおける国家こっかの平和的へいわてき共存きょうぞんの理念りねん、人権じんけんの普遍性ふへんせいへの要求ようきゅう、認知にんち科学かがくにおける「人間にんげんの認識にんしきは受動的じゅどうてきな記録きろくではなく能動的のうどうてきな構成こうせいである」という発想はっそう。こうした領域りょういきにカントKantの影かげを見みることができます。日本にほんでも明治めいじ以降いこう、西にし周あまねがカントKantの用語ようごを翻訳ほんやくする過程かていで「哲学てつがく」「理性りせい」「悟性ごせい」といった訳語やくごが生うまれ、日本語にほんごの学術がくじゅつ用語ようごそのものを形かたちづくりました。西田にしだ幾多郎きたろうはカントKantの認識論にんしきろんを深ふかく学まなんだうえで、主客しゅかく未分みぶんの「純粋じゅんすい経験けいけん」という独自どくじの出発点しゅっぱつてんを据すえました。カントKantを通過つうかすることなしには西田にしだ哲学てつがくもまた生うまれなかったでしょう。

現代げんだいへの接続せつぞく

「なぜ嘘うそをついてはいけないのか」。子こどもに聞きかれたとき、私わたしたちはどう答こたえるでしょうか。「怒おこられるから」では損得そんとくの話はなしにすぎません。「神様かみさまがそう言いっているから」では権威けんいへの服従ふくじゅうです。カントKantならばこう問といかけるでしょう。もし全員ぜんいんが嘘うそをついたら世界せかいはどうなるか想像そうぞうしてごらん、と。信頼しんらいがなくなれば言葉ことばそのものが力ちからを失うしないます。道徳どうとくの根拠こんきょを宗教しゅうきょうにも伝統でんとうにも頼たよれなくなった時代じだいに、理性りせいだけで道徳どうとくを基礎きそづけようとしたカントKantの企くわだては、その困難こんなんさゆえにかえって真剣しんけんに向むき合あうべきものに思おもわれます。

「人間にんげんを手段しゅだんとしてのみ扱あつかってはならない」という原則げんそくは、労働ろうどうの現場げんばで、教育きょういくの現場げんばで、医療いりょうの現場げんばで、繰くり返かえし試ためされています。病院びょういんの待合室まちあいしつで番号ばんごうを呼よばれるとき、私わたしたちは数字すうじで管理かんりされる存在そんざいになっています。教室きょうしつで成績せいせき順じゅんに並ならべられるとき、子こどもたちは数値すうちに還元かんげんされています。効率こうりつと尊厳そんげんのあいだの軋きしみは、カントKantが投なげかけた問といの別べつの姿すがたです。

『永遠えいえん平和へいわのために』の構想こうそうもまた、色いろを変かえて今いまに残のこっています。国際こくさい連合れんごうが機能きのうしない場面ばめんを目めにするたび、カントKantの理念りねんは甘あまい夢ゆめに見みえるかもしれません。ただそれは、実現じつげんの予言よげんではありませんでした。方向ほうこうを指さし示しめす道徳どうとくの要請ようせいです。平和へいわが実現じつげんするかどうかはわからない。それでも平和へいわを目指めざすべきであるという義務ぎむは消きえない。この静しずかな区別くべつに、カントKantの思想しそうの芯しんがあります。

読者どくしゃへの問とい

  • あなたがこれから取とろうとしている行動こうどうの原則げんそくを、もし全員ぜんいんが採用さいようしたら世界せかいはどうなるか。それでもなお、その行動こうどうを選えらびますか。
  • 損得そんとくでも信仰しんこうでも伝統でんとうでもない根拠こんきょから、「これは正ただしい」と言いい切きることは、あなたにとって可能かのうですか。
  • 理性りせいに限界げんかいがあると知しることは、あなたの生いき方かたを楽らくにしますか、それとも苦くるしくしますか。

名言めいげん(出典しゅってんつき)

「二ふたつのものが、繰くり返かえし深ふかく省かえりみれば省かえりみるほど、つねに新あたらたに増ましゆく讃嘆さんたんと畏敬いけいの念ねんをもって心こころを満みたすもの──わが頭上ずじょうの星ほしちりばめる空そらと、わが内うちなる道徳どうとく法則ほうそく」 出典しゅってん:イマヌエルImmanuel・カントKant『実践じっせん理性りせい批判ひはん』結語けつご(Ak. V, 161)/原文げんぶん:"Zwei Dinge erfüllen das Gemüth mit immer neuer und zunehmender Bewunderung und Ehrfurcht, je öfter und anhaltender sich das Nachdenken damit beschäftigt: der bestirnte Himmel über mir, und das moralische Gesetz in mir."

カントKantの墓碑ぼひにも刻きざまれた、もっともよく知しられた言葉ことばです。宇宙うちゅうの広大こうだいさの前まえで人間にんげんは塵ちりにすぎません。なのに、その塵ちりの胸むねのうちに道徳どうとく法則ほうそくが宿やどっている。星空ほしぞらを仰あおぐ畏おそれと、胸むねの奥おくで響ひびく法ほうへの畏おそれ。カントKantの墓碑ぼひにも刻きざまれたこの一節いっせつは、彼かれの哲学てつがくの出発点しゅっぱつてんであり、到達点とうたつてんでもあったのでしょう。

「敢あえて知しれ! 自みずからの悟性ごせいを用もちいる勇気ゆうきを持もて!」 出典しゅってん:イマヌエルImmanuel・カントKant「啓蒙けいもうとは何なにかという問といに対たいする回答かいとう」(Beantwortung der Frage: Was ist Aufklärung?、1784年ねん、Ak. VIII, 35)/原文げんぶん:"Sapere aude! Habe Muth dich deines eigenen Verstandes zu bedienen!"

啓蒙けいもうとは「人間にんげんが自みずから招まねいた未成年みせいねん状態じょうたいから脱だっすること」であるとカントKantは定義ていぎしました。未成年みせいねん状態じょうたいとは、他人たにんに頼たよらなければ自分じぶんの頭あたまで考かんがえられない状態じょうたいのことです。考かんがえる力ちからはある。ただ、使つかう勇気ゆうきがない。カントKantのこの声こえは、時代じだいを越こえて届とどきます。

「汝なんじの意志いしの格率かくりつが、つねに同時どうじに普遍的ふへんてき立法りっぽうの原理げんりとして妥当だとうしうるように行為こういせよ」 出典しゅってん:イマヌエルImmanuel・カントKant『実践じっせん理性りせい批判ひはん』第一部だいいちぶ第一編だいいっぺん第一章だいいっしょう§7(Ak. V, 30)/原文げんぶん:"Handle so, daß die Maxime deines Willens jederzeit zugleich als Prinzip einer allgemeinen Gesetzgebung gelten könne."

定言命法ていげんめいほうの基本きほん定式ていしきです。自分じぶんの行為こういの原則げんそくが、もし万人ばんにんの法則ほうそくになったとしても矛盾むじゅんしないかどうか。それを常つねに問とえ、とカントKantは言いっています。

参考さんこう文献ぶんけん

  • (原典げんてん・ドイツ語ドイツご):Immanuel Kant, Kritik der reinen Vernunft, 1. Aufl. 1781 (A), 2. Aufl. 1787 (B). Akademie-Ausgabe, Bd. III–IV.
  • (原典げんてん・ドイツ語ドイツご):Immanuel Kant, Kritik der praktischen Vernunft, 1788. Akademie-Ausgabe, Bd. V.
  • (原典げんてん・ドイツ語ドイツご):Immanuel Kant, Kritik der Urteilskraft, 1790. Akademie-Ausgabe, Bd. V.
  • (原典げんてん・ドイツ語ドイツご):Immanuel Kant, Prolegomena zu einer jeden künftigen Metaphysik, 1783. Akademie-Ausgabe, Bd. IV.
  • (原典げんてん・ドイツ語ドイツご):Immanuel Kant, Grundlegung zur Metaphysik der Sitten, 1785. Akademie-Ausgabe, Bd. IV.
  • (原典げんてん・ドイツ語ドイツご):Immanuel Kant, Zum ewigen Frieden, 1795. Akademie-Ausgabe, Bd. VIII.
  • (原典げんてん・邦訳ほうやく):カントKant『純粋じゅんすい理性りせい批判ひはん』中山なかやま元げん訳やく、光文社こうぶんしゃ古典こてん新訳しんやく文庫ぶんこ(全ぜん7巻かん)。
  • (原典げんてん・邦訳ほうやく):カントKant『実践じっせん理性りせい批判ひはん』中山なかやま元げん訳やく、光文社こうぶんしゃ古典こてん新訳しんやく文庫ぶんこ。
  • (研究書けんきゅうしょ):Henry E. Allison, Kant's Transcendental Idealism: An Interpretation and Defense, rev. ed., Yale University Press, 2004.
  • (研究書けんきゅうしょ):Paul Guyer, Kant, 2nd ed., Routledge, 2014.
  • (研究書けんきゅうしょ・邦語ほうご):石川いしかわ文康ふみやす『カントKant入門にゅうもん』ちくま新書しんしょ。
  • (補助ほじょウェブweb資料しりょう):"Immanuel Kant", Stanford Encyclopedia of Philosophy.