1961ねん4がつエルサレムJerusalem法廷ほうてい防弾ぼうだんガラスの仕切しきりのこうにすわっているおとこは、せて禿がった、どこにでもいそうな中年ちゅうねん官吏かんりでした。アドルフAdolfアイヒマンEichmannナチスNazis親衛隊しんえいたい中佐ちゅうさとして、ヨーロッパ各地かくちから強制きょうせい収容所しゅうようじょへのユダヤJudenじん移送いそう組織そしきした人物じんぶつです。傍聴席ぼうちょうせきにいたハンナHannahアーレントArendtは、悪魔あくまるつもりで法廷ほうていていたのかもしれません。けれどもそこにいたのは、悪魔あくまではなかった。陳腐ちんぷまり文句もんくかえし、命令めいれいしたがっただけだと主張しゅちょうする、うすっぺらなおとこでした。

アーレントArendt戦慄せんりつしました。大量たいりょう虐殺ぎゃくさつ実行じっこうした人間にんげんが、怪物かいぶつでも狂人きょうじんでもなく、ただ「かんがえなかった」人間にんげんだったとしたら。あく深淵しんえんからがるものではなく、思考しこう欠如けつじょから、表面ひょうめんひろがるものだとしたら。アーレントArendtが「あく凡庸ぼんようさ」(the banality of evilザ・バナリティ・オブ・イーヴル)とづけたこの洞察どうさつは、彼女かのじょはげしい非難ひなんをもたらしました。けれどもそれは、20世紀せいき政治せいじ思想しそうもっとふか傷痕きずあとのこしたいのひとつとなりました。

アーレントArendt思想しそう書斎しょさいのなかだけでそだったものではありません。ユダヤJudenじんとしてナチスからげ、無国籍むこくせき難民なんみんとして十八年じゅうはちねんごし、全体ぜんたい主義しゅぎがひとりの人間にんげん余計者よけいものえていく過程かていを、みずからの身体しんたいった人物じんぶつです。その経験けいけんからつむされたいがあります。人間にんげん人間にんげんであるとはどういうことか。政治せいじとはなにか。ともにきるとはどういうことか。

この記事きじ要点ようてん

  • あく凡庸ぼんようさ」ホロコーストHolocaust遂行すいこうしたアイヒマンEichmann悪魔的あくまてき怪物かいぶつではなく、命令めいれいしたが自分じぶんあたまかんがえることを放棄ほうきした凡庸ぼんよう官僚かんりょうでした。思考しこう不在ふざいこそが巨大きょだいあく可能かのうにする。この洞察どうさつは『エルサレムJerusalemアイヒマンEichmann』(1963ねん)で提起ていきされ、はげしい論争ろんそうこしました。
  • 活動的生ヴィータ・アクティーヴァvita activa)の三区分さんくぶん:『人間にんげん条件じょうけん』(1958ねん)でアーレントArendt人間にんげんいとなみを労働ろうどうlabor)・仕事しごとwork)・活動かつどうaction)の三層さんそうけました。なかでも活動かつどう、すなわち他者たしゃのあいだで言葉ことば行為こういつうじてみずからをあらわすことこそが、人間にんげん固有こゆう存在そんざいたらしめるものです。
  • 全体ぜんたい主義しゅぎと「権利けんり権利けんり:『全体ぜんたい主義しゅぎ起源きげん』(1951ねん)でアーレントArendtは、ナチズムとスターリニズムを従来じゅうらい専制せんせい政治せいじとはことなるあたらしい支配しはい形態けいたいとして分析ぶんせきしました。国家こっかぞくさない人間にんげんはあらゆる権利けんりうしなう。そこから「権利けんり権利けんり」(the right to have rights)という根源的こんげんてき概念がいねんまれました。

生涯しょうがい時代じだい背景はいけい

1906ねん10がつ14にちハノーファーHannoverリンデンLinden地区ちくで、ある世俗的せぞくてきユダヤJudenじん家庭かていおんなまれました。おさなくしてちちくし、そだったのはケーニヒスベルクKönigsbergカントKantまちです。かつて永遠えいえん平和へいわゆめ哲学者てつがくしゃおなとおりをあるきながら、少女しょうじょ哲学てつがく文学ぶんがくかれていきました。14さいカントKantの『純粋じゅんすい理性りせい批判ひはん』をんでいたとつたえられますから、その早熟そうじゅくさはなみのものではありません。

1924ねんマールブルクMarburg大学だいがく入学にゅうがくしたとき、彼女かのじょっていたのはマルティンMartinハイデガーHeideggerでした。18さい学生がくせいと35さい教授きょうじゅ恋愛れんあい関係かんけいまれ、やがてみじか歳月さいげつのうちにわりました。けれどもこの出会であいがのこしたきずは、ずっとあとまでうずつづけます。ハイデガーHeideggerがのちにナチとう入党にゅうとうし、フライブルクFreiburg大学だいがく総長そうちょうとして体制たいせい加担かたんしたとき、アーレントArendtなにおもったでしょうか。偉大いだい知性ちせい政治せいじ場面ばめんおどろくほどのおろかさをしめすことがある。このにが認識にんしきは、のちに「思考しこう判断はんだん」の問題もんだいふかげるとき、いつもとおくにえるあかりのように、彼女かのじょ思索しさくみちびいたのではないかとおもわれます。

ハイデガーHeideggerのもとをはなれ、ハイデルベルクHeidelberg大学だいがくカールKarlヤスパースJaspers師事しじ博士はかせ論文ろんぶん題目だいもくは「アウグスティヌスAugustinusにおけるあい概念がいねん」(Der Liebesbegriff bei Augustin、1929ねん)でした。ヤスパースJaspersとのきずなハイデガーHeideggerとのそれとはまるでちがいました。たがいの誠実せいじつさにささえられた師弟してい関係かんけいは、戦争せんそう亡命ぼうめい歳月さいげつえて、最後さいごまでつづくことになります。

1933ねん、ナチスが政権せいけん掌握しょうあくアーレントArendtシオニストZionist団体だんたい依頼いらいはんユダヤてき宣伝せんでん資料しりょう収集しゅうしゅうおこない、ゲシュタポGestapo逮捕たいほされました。釈放しゃくほうののちパリParisげ、1941ねんアメリカAmericaわたります。そのあいだずっと、彼女かのじょ無国籍むこくせきでした。パスポートpassportたない人間にんげん。どのくにもんたたいても「おまえはここにいる資格しかくがない」とげられる人間にんげんアメリカAmerica市民権しみんけんたのは1951ねんのこと。十八年じゅうはちねんにわたる無権利むけんり時間じかんてようやく、彼女かのじょは「どこかにぞくする」人間にんげんになりました。この経験けいけんきずは、彼女かのじょ政治せいじ思想しそうのいちばんふかいところにまっています。

1951ねん、『全体ぜんたい主義しゅぎ起源きげん』の刊行かんこう一躍いちやく注目ちゅうもくあつめます。そのあゆみははやい。1958ねんに『人間にんげん条件じょうけん』、1963ねんに『エルサレムJerusalemアイヒマンEichmann』と『革命かくめいについて』。シカゴChicago大学だいがくニュースクールNew School教壇きょうだんち、晩年ばんねんは『精神せいしん生活せいかつ』の執筆しっぴつ没頭ぼっとうしていました。1975ねん12がつ4にちニューヨークNew York自宅じたく心臓しんぞう発作ほっさ。69さいでした。タイプライターtypewriterには『精神せいしん生活せいかつ第三部だいさんぶ判断はんだん」のとびらページがはさまれていました。白紙はくしのままで。

ミニ年表ねんぴょう

  • 1906ねんハノーファーHannoverリンデンLindenまれる(世俗的せぞくてきユダヤJudenじん家庭かてい
  • 1924ねんマールブルクMarburg大学だいがく入学にゅうがくハイデガーHeidegger師事しじ
  • 1926ねんハイデルベルクHeidelbergうつヤスパースJaspersのもとへ
  • 1929ねん博士はかせ論文ろんぶんアウグスティヌスAugustinusにおけるあい概念がいねん提出ていしゅつ
  • 1933ねんゲシュタポGestapo逮捕たいほ釈放しゃくほうパリParis亡命ぼうめい
  • 1940ねん南仏なんふつギュルスGurs収容所しゅうようじょ抑留よくりゅう、のち脱出だっしゅつ
  • 1941ねんおっとハインリヒHeinrichブリュッヒャーBlücherとともにニューヨークNew York到着とうちゃく
  • 1951ねん:『全体ぜんたい主義しゅぎ起源きげん刊行かんこうアメリカAmerica市民権しみんけん取得しゅとく
  • 1958ねん:『人間にんげん条件じょうけん刊行かんこう
  • 1961ねんエルサレムJerusalemアイヒマンEichmann裁判さいばん傍聴ぼうちょう(『ニューヨーカーNew Yorker特派員とくはいんとして)
  • 1963ねん:『エルサレムJerusalemアイヒマンEichmann』『革命かくめいについて』刊行かんこう
  • 1967〜75ねんニュースクールNew School教鞭きょうべん
  • 1975ねん12がつ4にちニューヨークNew Yorkにて急逝きゅうせい享年きょうねん69。『精神せいしん生活せいかつ未完みかん

この哲学者てつがくしゃなにうたのか

アーレントArendt以前、西洋せいよう政治せいじ哲学てつがくはおおむね、支配しはい服従ふくじゅう問題もんだいとして政治せいじかたってきました。だれ支配しはいするべきか。権力けんりょくはどう正当化せいとうかされるか。プラトンPlatōn哲人王てつじんおうからホッブズHobbes主権者しゅけんしゃルソーRousseau一般意志いっぱんいしいたるまで、政治せいじはつねに統治とうち技術ぎじゅつでした。

アーレントArendtはまったくちが場所ばしょから出発しゅっぱつしました。政治せいじとは支配しはいではない。複数ふくすう人間にんげんあつまり、言葉ことばわし、ともに行為こういすること。それが政治せいじはじまりです。

台所だいどころ家族かぞく食卓しょくたくかこ夕方ゆうがたのことをおもかべてみてください。はなし中身なかみはたわいもないかもしれません。けれどもそこには、ひとひとのあいだにちいさな空間くうかんまれている。アーレントArendtまもろうとしたのは、その「あいだ」でした。ひとりの人間にんげん他者たしゃまえあらわれ、みずからのこえかたり、だれにも予測よそくできないなにかをはじめる。全体ぜんたい主義しゅぎはこの「あいだ」をつぶしました。人々ひとびと孤立こりつさせ、信頼しんらい腐食ふしょくさせ、公的こうてき空間くうかんそのものをした。アーレントArendtいは、その廃墟はいきょのなかからがってきたものです。

彼女かのじょみずからを「政治せいじ理論家りろんか」(political theorist)とび、「哲学者てつがくしゃ」とばれることをこばみました。哲学者てつがくしゃ孤独こどくのなかで真理しんりもとめる。けれども政治せいじ複数性ふくすうせいpluralityプルラリティ)のなかでしかたない。ひとりでは政治せいじはできない。はたけ一人ひとりたがやすことはできても、広場ひろば一人ひとりつくることはできないように。

核心かくしん理論りろん

1. 全体ぜんたい主義しゅぎ起源きげん人間にんげんを「余計者よけいもの」にする支配しはい

全体ぜんたい主義しゅぎ起源きげん』(The Origins of Totalitarianismジ・オリジンズ・オブ・トータリテリアニズム、1951ねん)は、はんユダヤ主義しゅぎ帝国ていこく主義しゅぎ全体ぜんたい主義しゅぎみっつのながれをさかのぼ大著たいちょです。ナチズムもスターリニズムも、過去かこ暴君ぼうくんたちとは根本的こんぽんてきちがう。暴君ぼうくん反対者はんたいしゃ弾圧だんあつしますが、全体ぜんたい主義しゅぎはそこでまらない。人間にんげんそのものを「余計者よけいもの」(superfluousスーパーフルアス)にえ、存在そんざいしたこと自体じたいをなかったことにしようとする。アーレントArendtがこの異様いよう支配しはいまえまったのは、それが従来じゅうらい政治せいじ概念がいねんでは到底とうていとらえられないものだったからです。

強制きょうせい収容所しゅうようじょはその核心かくしんでした。アーレントArendtはこういています。収容所しゅうようじょ目的もくてきたんなる殺害さつがいではなく、人間にんげん自発性じはつせいそのものを破壊はかいすることです。法的ほうてき人格じんかく剥奪はくだつ権利けんり存在そんざいであることの否定ひてい)、道徳的どうとくてき人格じんかく破壊はかい良心りょうしんもとづく選択せんたく不可能ふかのうにする)、そして個性こせい消去しょうきょ(ひとりの人間にんげん人間にんげん交換こうかん可能かのう存在そんざいにする)。あめのなかで一本いっぽんずつかれていくくさのように、人間にんげんであることの条件じょうけん一枚いちまいずつがされていく。

ここから「権利けんり権利けんり」(the right to have rights)という概念がいねんかびがります。人権じんけん国家こっか保障ほしょうするものですが、国家こっかぞくさなくなった人間にんげんはどうなるのか。アーレントArendt自分じぶん経験けいけんからこのいをきつけました。難民なんみん権利けんりになではなく、権利けんり体系たいけいから排除はいじょされた存在そんざいです。権利けんりよりもまえに、権利けんりちうる主体しゅたいとしてみとめられること。それがもっと根源的こんげんてき権利けんりなのだ、と。

全体ぜんたい主義しゅぎ起源きげん』の結末けつまつアーレントArendtは、全体ぜんたい主義しゅぎろす土壌どじょうとして「孤立こりつ」(lonelinessロンリネス、独語Verlassenheitフェアラッセンハイト)をげています。これは一人ひとりでいる状態じょうたいsolitudeソリテュード、独語Einsamkeitアインザムカイト)とはちがいます。孤独こどくのなかでひと自分じぶん自身と対話たいわできます。けれども孤立こりつとは、自分じぶん自身との対話たいわさえうしない、世界せかいのなかに居場所いばしょがないとかんじる状態じょうたいです。夕暮ゆうぐれの台所だいどころで、だれとも言葉ことばわさず、自分じぶんかんがえにさえれられなくなるような時間じかん全体ぜんたい主義しゅぎは、人々ひとびとをこの孤立こりつのなかにみ、そこに支配しはいんだのです。

2. 「あく凡庸ぼんようさ」:かんがえないことのおそろしさ

エルサレムJerusalemアイヒマンEichmann──あく凡庸ぼんようさについての報告ほうこく』(Eichmann in Jerusalem: A Report on the Banality of Evilアイヒマン・イン・ジェルサレム、1963ねん)は、雑誌ざっしニューヨーカーNew Yorker』にせた裁判さいばん傍聴ぼうちょうがもとになっています。冷静れいせい筆致ひっちおくに、アーレントArendt戸惑とまどいがにじんでいる一冊いっさつです。

アイヒマンEichmann狂信者きょうしんしゃではありませんでした。はんユダヤ主義しゅぎ信念しんねんうごかされたわけでもない。かれ出世しゅっせのぞみ、上司じょうし命令めいれいしたがい、書類しょるい処理しょりし、列車れっしゃ時刻表じこくひょうととのえました。かれはこんでいたのは貨物かもつではなく人間にんげんでしたが、その区別くべつについてまってかんがえることがなかった。アーレントArendtが「凡庸ぼんよう」とんだのは、あくちいさいという意味いみではありません。あくおこなった人間にんげん内面ないめんふかさがない、ということです。がないのに表面ひょうめんおおくす雑草ざっそうのように、思考しこう不在ふざい際限さいげんなくひろがりうるのです。

この報告ほうこくあらしのような批判ひはんびました。犠牲者ぎせいしゃであるユダヤじん指導層しどうそうユーデンラートJudenrat)がナチスの移送いそう協力きょうりょくした事実じじつれた箇所かしょが、犠牲者ぎせいしゃへの冒涜ぼうとくだとられたのです。旧友きゅうゆうたちがはなれていきました。けれどもアーレントArendtいのかくべつのところにあります。体制たいせいのなかで普通ふつうらしている人間にんげんが、かんがえることをめたとき、どこまであく加担かたんしうるのか。このいは、法廷ほうてい被告ひこくにではなく、傍聴席ぼうちょうせきのすべての人間にんげんけられています。のちにアーレントArendtは『精神せいしん生活せいかつ』のなかで、思考しこうを「かぜ」にたとえました。思考しこうかぜえるものをのこさない。けれどもそのかぜくところで、こおりついた慣習かんしゅう固定こてい観念かんねんかされる(The Life of the Mind, "Thinking", ch. 3)。アイヒマンEichmannのなかでは、そのかぜがまったくいていなかったのです。

3. 活動的生ヴィータ・アクティーヴァ労働ろうどう仕事しごと活動かつどう

1958ねんの『人間にんげん条件じょうけん』(The Human Conditionザ・ヒューマン・コンディション)。原題げんだいドイツDeutsch語版ごばんは『活動的生ヴィータ・アクティーヴァ』(Vita activa oder Vom tätigen Leben、1960ねん)です。アーレントArendtはここで、人間にんげんいとなみをみっつのそうけました。

ひとつめは労働ろうどうlaborレイバー)。生命せいめい維持いじむすびついたいとなみです。べ、ねむり、掃除そうじし、またよごれ、また掃除そうじする。永遠えいえんわらない循環じゅんかんあさきて台所だいどころつとき、昨日きのう今日きょうおなじことのかえしだとかんじることがあるでしょう。それが労働ろうどう性格せいかくです。痕跡こんせきのこさない。消費しょうひされてえる。

ふたつめは仕事しごとworkワーク)。労働ろうどうえるものにしばられているのにたいして、仕事しごと耐久性たいきゅうせいのあるものをつくいとなみです。いえてる。道具どうぐつくる。ほんく。仕事しごと世界せかい持続じぞくするものをくわえます。職人しょくにんけずって椅子いすつくる。その椅子いすつくがいなくなってものこる。人間にんげんまう世界せかい構築こうちくするのが仕事しごとです。

そしてみっつめが活動かつどうactionアクション)。労働ろうどう仕事しごととはしつのまったくことなるそうです。他者たしゃのあいだで言葉ことば行為こういつうじてみずからをあらわいとなみです。ものかいさず、ひとひとのあいだで直接ちょくせつまれるもの。活動かつどう予測よそくがつきません。ひとたび言葉ことばはっし、行為こういはじめれば、その結果けっか制御せいぎょできない。たねいたひとが、どんなはなくか完全かんぜんにはりえないように。けれどもこの予測よそく不可能性ふかのうせいこそが、活動かつどう尊厳そんげんです。人間にんげんはひとりひとりことなるからこそ、なにはじまるかわからない。アーレントArendtはこのはじまりのちからナタリティnatality出生しゅっしょう誕生たんじょう条件じょうけん)とびました。

活動かつどうにはあぶうさもともないます。はじめたことの結果けっかせない。はっした言葉ことばもどらない。アーレントArendtはこのかえしのつかなさにたいするふたつの処方しょほうしめしました。ひとつはゆるし(forgivenessフォーギヴネス)。過去かこ行為こういしばられつづけるものを、ゆるしによってはなつこと。もうひとつは約束やくそくpromiseプロミス)。不確ふたしかな未来みらいのなかに信頼しんらいしまをつくること。隣人りんじんに「明日あしたるよ」とどもの言葉ことば些細ささい約束やくそくが、ひとひとのあいだにちいさなたしかさをつくります。ゆるしと約束やくそくがなければ、活動かつどう破壊はかいにしかならないでしょう(『人間にんげん条件じょうけん第五章だいごしょう第33〜34せつ)。

4. 公的こうてき領域りょういき政治的せいじてき行為こうい

支配しはいではなく、ともにかた行為こういすること。それがアーレントArendtえが政治せいじ姿すがたでした。彼女かのじょがこの公的こうてき領域りょういきpublic realmパブリック・レルム)の原型げんけいもとめたのは、古代こだいギリシャGriechischポリスpolisです。市民しみん広場ひろばアゴラagora)にあつまり、対等たいとうものとして議論ぎろんしました。そこでは暴力ぼうりょくではなく説得せっとくちからでした。アーレントArendtはこの経験けいけん理想化りそうかしているという批判ひはんけていますが、彼女かのじょていたのは歴史れきし事実じじつというよりも、政治せいじ原型げんけいです。

ここに、ひとつのあざやかな区別くべつがあります。権力けんりょくpowerパワー)と暴力ぼうりょくviolenceヴァイオレンス)。権力けんりょく人々ひとびとあつまり協力きょうりょくするところにまれ、人々ひとびとらばればえます。暴力ぼうりょく道具どうぐによって増幅ぞうふくされますが、権力けんりょく代替だいたいにはなりえません(『暴力ぼうりょくについて』On Violence、1970ねん)。暴力ぼうりょく支配しはいする場所ばしょでは、権力けんりょくはすでにうしなわれている。町内会ちょうないかいいでさえ、一人ひとり怒鳴どなはじめれば対話たいわこわれます。暴力ぼうりょく権力けんりょくこわすことはできても、権力けんりょくつくることはできないのです。

5. ナタリティnatalityはじまりのちから

西洋せいよう哲学てつがくながいあいだ、中心ちゅうしんえてきました。ハイデガーHeideggerの「への存在そんざい」(Sein zum Todeザイン・ツム・トーデ)はその典型てんけいです。アーレントArendtはそこにとなえました。人間にんげん条件じょうけんさだめるのはではなく誕生たんじょうである、と。ナタリティnatality誕生たんじょう条件じょうけん)。『人間にんげん条件じょうけん』のもっともふか水脈すいみゃくは、ここをながれています。

ひとりのどもがまれるたびに、世界せかいにはかつて存在そんざいしなかっただれかがあらわれます。その存在そんざい予測よそくできない。なにかたり、なにはじめるか、だれにもわからない。「人間にんげん行為こういしうるのは、各人かくじんがそれぞれ固有こゆうであるがゆえである」(『人間にんげん条件じょうけん第五章だいごしょう)。全体ぜんたい主義しゅぎはこの固有性こゆうせいつぶそうとしました。けれどもあたらしい生命せいめいはつねに到来とうらいします。はる野原のはらくように、予期よきしないはじまりがいつもおとずれる。アーレントArendt思想しそうのなかで、もっとしずかな希望きぼうはここに宿やどっています。

6. 判断力はんだんりょく未完みかん

精神せいしん生活せいかつ』(The Life of the Mindザ・ライフ・オブ・ザ・マインド)。晩年ばんねんアーレントArendt心血しんけつそそいでいたこの大作たいさくは、三巻さんかん構想こうそうされました。第一部だいいちぶ思考しこう」(Thinking)、第二部だいにぶ意志いし」(Willing)はげられました。けれども第三部だいさんぶ判断はんだん」(Judging)は一行いちぎょうかれることなく、著者ちょしゃりました。

けれどもその輪郭りんかく講義こうぎ論文ろんぶんからうかがえます。アーレントArendtカントKantの『判断力はんだんりょく批判ひはん』にがかりをもとめました。うつくしいものをまえにしたとき、私たちは個人的こじんてきこのみをえて「これはうつくしい」と判断はんだんします。論理ろんり演繹えんえきではなく、個別こべつ事例じれい直面ちょくめんして、規則きそくなしに判断はんだんするちからカントKantはそこに「拡大かくだいされた心性しんせい」(erweiterte Denkungsartエアヴァイテルテ・デンクングスアルト)という概念がいねんきました。自分じぶん立場たちばだけでなく、他者たしゃ立場たちばからも物事ものごとながめる想像力そうぞうりょくアーレントArendtはこの概念がいねんに、政治的せいじてき判断はんだん核心かくしんていました。前例ぜんれいのない状況じょうきょうで、規則きそくたよらず判断はんだんするちからアイヒマンEichmannけていたのは、まさにそれでした。

判断はんだん」のまきかれませんでした。けれども白紙はくしのままのこされたそのページは、もののひとりひとりにいをしているようにもおもわれます。あなたはどう判断はんだんするのか、と。

主要しゅよう著作ちょさくガイド

  • 全体ぜんたい主義しゅぎ起源きげん』(The Origins of Totalitarianism、1951ねん):はんユダヤ主義しゅぎ帝国ていこく主義しゅぎ全体ぜんたい主義しゅぎ三部さんぶ構成こうせい。20世紀せいき政治せいじ思想しそう必読ひつどくしょ分量ぶんりょうおおいですが、第三部だいさんぶだけでも価値かちがあります。邦訳ほうやく大久保おおくぼ和郎かずおほかやくみすず書房みすずしょぼう
  • 人間にんげん条件じょうけん』(The Human Condition、1958ねん):労働ろうどう仕事しごと活動かつどうみっつの概念がいねん人間にんげんいとなみを分析ぶんせきした代表作だいひょうさくです。政治せいじ哲学てつがく関心かんしんのあるかたには、ここからはいるのがよいでしょう。邦訳ほうやく志水しみず速雄はやおやく、ちくま学芸がくげい文庫ぶんこ
  • エルサレムJerusalemアイヒマンEichmann』(Eichmann in Jerusalem、1963ねん):裁判さいばん傍聴ぼうちょうであり、20世紀せいきもっと論争ろんそうんだ政治せいじ思想しそうしょのひとつ。みやすい文体ぶんたいかれています。邦訳ほうやく大久保おおくぼ和郎かずおやくみすず書房みすずしょぼう
  • 革命かくめいについて』(On Revolution、1963ねん):アメリカAmerica革命かくめいフランスFrance革命かくめい比較ひかくし、政治的せいじてき自由じゆう条件じょうけんろんじた著作ちょさくです。邦訳ほうやく志水しみず速雄はやおやく、ちくま学芸がくげい文庫ぶんこ
  • 精神せいしん生活せいかつ』(The Life of the Mind死後しご刊行かんこう1978ねん):「思考しこう」と「意志いし」の二巻にかん完成かんせい、「判断はんだん」は未完みかんアイヒマンEichmann裁判さいばんをきっかけに思考しこうあく関係かんけい根底こんていからなおした遺作いさくです。邦訳ほうやく佐藤さとう和夫かずおやく岩波書店いわなみしょてん

主要しゅよう批判ひはん論争ろんそう

エルサレムJerusalemアイヒマンEichmann』をめぐる論争ろんそうは、刊行かんこうから60ねんてもおさまっていません。歴史家れきしかラウルRaulヒルバーグHilbergは、アーレントArendt自分じぶん研究けんきゅう(『ヨーロッパ・ユダヤJudenじん破壊はかい』)に依拠いきょしながらも十分じゅうぶんみとめなかったと不満ふまんべています。近年きんねん研究けんきゅうベッティーナBettinaシュタングネトStangnethエルサレムJerusalem以前いぜんアイヒマンEichmann』2011ねん)は、アイヒマンEichmann法廷ほうていせた「凡庸ぼんような」態度たいど演技えんぎだっためんがあることをしめしています。アーレントArendt法廷ほうていでの印象いんしょうきずられすぎたのかもしれません。ただし「かんがえないことがあく可能かのうにする」という洞察どうさつそのものは、アイヒマンEichmann実像じつぞうがどうであれ、依然いぜんとしてするどちからっています。

ポリスpolisへの傾斜けいしゃについても批判ひはんがあります。古代こだいアテナイAthens市民しみん自由じゆう男性だんせいかぎられ、奴隷どれい女性じょせい排除はいじょされていました。アーレントArendt公的こうてき領域りょういき理想りそうは、この排除はいじょ構造こうぞう十分じゅうぶんうていないのではないか。フェミニズムfeminism研究者けんきゅうしゃボニーBonnieホーニグHonigシーラSeylaベンハビブBenhabibら)は、アーレントArendt枠組わくぐみを批判的ひはんてき継承けいしょうしつつ、公私こうし境界きょうかいなお作業さぎょうつづけています。

ハイデガーHeideggerとの関係かんけいもまた、かえ議論ぎろん対象たいしょうになります。ナチに加担かたんした哲学者てつがくしゃを、なぜアーレントArendt戦後せんご完全かんぜんにはてなかったのか。このいに簡単かんたんこたえはありません。思想しそうちから人間にんげんよわさは、ときにおな人物じんぶつのなかに同居どうきょするのでしょう。

影響えいきょう遺産いさん

あく凡庸ぼんようさ」という言葉ことばは、いつしか学問がくもん垣根かきねえました。新聞しんぶん社説しゃせつあらわれ、日常にちじょう会話かいわにもはいんでいます。官僚かんりょうせいのなかで責任せきにんきりのように拡散かくさんし、だれもが「自分じぶん命令めいれいしたがっただけだ」とくちにする構造こうぞうスタンリーStanleyミルグラムMilgramが1963ねんおこなった服従ふくじゅう実験じっけんは、実験室じっけんしつのなかでアーレントArendt直観ちょっかんうらづけたものとして、ひろられています。

政治せいじ理論りろん分野ぶんやでは、ユルゲンJürgenハーバーマスHabermas公共圏こうきょうけん理論りろんアーレントArendt公的こうてき領域りょういき議論ぎろんおおきな刺激しげきけています。「権利けんり権利けんり」の概念がいねんは、難民なんみん無国籍者むこくせきしゃ問題もんだいがますます深刻しんこくになる現在げんざい国際法こくさいほう人権論じんけんろん領域りょういきかえ参照さんしょうされます。ジュディスJudithバトラーButlerエティエンヌÉtienneバリバールBalibar現代げんだい政治せいじ哲学者てつがくしゃも、アーレントArendt批判的ひはんてき継承けいしょうしながらみずからの仕事しごと展開てんかいしています。

日本にほんでもアーレントArendtへの関心かんしんたかく、2012ねん映画えいがハンナHannahアーレントArendt』(マルガレーテMargaretheフォンvonトロッタTrotta監督かんとく)は異例いれいヒットhit記録きろくしました。「かんがえる」とはなにか。この根本的こんぽんてきいが、時代じだいえて人々ひとびとむねとどいたのでしょう。

現代げんだいへの接続せつぞく

職場しょくばで「うえがそうめたから」とって、違和感いわかんのある指示しじをそのまま実行じっこうしたことはないでしょうか。学校がっこうで「みんながそうしているから」と、自分じぶん判断はんだんたなげたことは。アーレントArendtいは、歴史れきし教訓きょうくんとしてではなく、毎朝まいあさ判断はんだんのなかに宿やどっています。思考しこう停止ていししたとき、善良ぜんりょう人間にんげんでさえあくしうる。おおきな決断けつだんだけのはなしではありません。日々ひびちいさな場面ばめんで、まってかんがえるかいなか。

権利けんり権利けんり」のいは、難民なんみんかず過去かこ最多さいた更新こうしんつづける現在げんざい、その切実せつじつさはうすまるどころか、ねんごとにしているようです。パスポートpassportたない人間にんげん。どのくにからもれをこばまれる人間にんげん人権じんけんは「人間にんげんであること」にもとづくはずなのに、国籍こくせきがなければ人権じんけん保障ほしょうされない。アーレントArendtが70年前ねんまえきつけたこの矛盾むじゅんは、解消かいしょうされるどころかふかまっているようにえます。

ナタリティnatality思想しそうは、しずかにちからあたえてくれます。世界せかいがどれほどくらえても、あたらしい人間にんげんはつねにまれてくる。そのひとりがなにはじめるか、だれにもわからない。あかぼうごえ。あの予測よそくできない、圧倒的あっとうてきはじまりのちからを、アーレントArendtしんじていました。

読者どくしゃへの

  • あなたが最後さいごに「おかしい」とかんじながらもだまってしたがったのは、いつのことか。そのときなに思考しこうめていたのか。
  • 権利けんり権利けんり」をたないひとまえにいるとき、あなたにできることはなにか。
  • あなたの周囲しゅういに「公的こうてき領域りょういき」はあるか。対等たいとうものとして言葉ことばわせる場所ばしょを、あなたはっているか。

名言めいげん出典しゅってんつき)

あく問題もんだいは、我々われわれ時代じだい根本こんぽん問題もんだいとなるであろう」 出典しゅってんハンナHannahアーレントArendtカールKarlヤスパースJaspersあて書簡しょかん、1946ねん8がつ17にち原文げんぶん:"The problem of evil will be the fundamental question of postwar intellectual life in Europe."

戦後せんごまもなくヤスパースJaspersてた手紙てがみ一節いっせつです。強制きょうせい収容所しゅうようじょ実態じったいあきらかになりつつあった時期じき言葉ことばあく過去かこ問題もんだいではなく、これからわれるべきものだとアーレントArendtていました。

世界せかいへのあいのために」 出典しゅってんハンナHannahアーレントArendt、『人間にんげん条件じょうけん』の仮題かだい(1955ねんヤスパースJaspersあて書簡しょかんにて言及げんきゅう)/原文げんぶん:"Amor mundi"(ラテンLatin

のちに『人間にんげん条件じょうけん』となる著作ちょさく仮題かだいとしてアーレントArendt構想こうそうしていた言葉ことばです。世界せかいあいすること。人間にんげんつくり、まい、こわしもする、このもろい共同きょうどう場所ばしょを。

もっとくら時代じだいにあってさえ、ひとにはなにかしらのひかり期待きたいする権利けんりがある」 出典しゅってんハンナHannahアーレントArendtくら時代じだい人々ひとびと序文じょぶん原文げんぶん:"Even in the darkest of times we have the right to expect some illumination."(Men in Dark Times, 1968, Preface)

レッシングLessingローザRosaルクセンブルクLuxemburgら、くら時代じだいきた人々ひとびと肖像しょうぞうえがいたエッセイessayしゅう序文じょぶんから。ひかり理論りろん概念がいねんからではなく、個々ここ人間にんげんせい行為こういからすのだ、とアーレントArendtしるしています。

参考さんこう文献ぶんけん

  • 原典げんてん英語えいご:Hannah Arendt, The Origins of Totalitarianism, new ed., Harcourt, 1968.
  • 原典げんてん英語えいご:Hannah Arendt, The Human Condition, 2nd ed., University of Chicago Press, 1998.
  • 原典げんてん英語えいご:Hannah Arendt, Eichmann in Jerusalem: A Report on the Banality of Evil, rev. ed., Penguin, 2006.
  • 原典げんてん邦訳ほうやくハンナHannahアーレントArendt人間にんげん条件じょうけん志水しみず速雄はやおやく、ちくま学芸がくげい文庫ぶんこ
  • 原典げんてん邦訳ほうやくハンナHannahアーレントArendtエルサレムJerusalemアイヒマンEichmann大久保おおくぼ和郎かずおやくみすず書房みすずしょぼう
  • 研究書けんきゅうしょ:Margaret Canovan, Hannah Arendt: A Reinterpretation of Her Political Thought, Cambridge University Press, 1992.
  • 伝記でんき:Elisabeth Young-Bruehl, Hannah Arendt: For Love of the World, 2nd ed., Yale University Press, 2004.
  • 研究書けんきゅうしょ邦語ほうご矢野やの久美子くみこハンナHannahアーレントArendt──「戦争せんそう世紀せいき」をきた政治せいじ哲学者てつがくしゃ中公新書ちゅうこうしんしょ
  • 補助ほじょウェブweb資料しりょう:"Hannah Arendt", Stanford Encyclopedia of Philosophy.