1889ねん1がつ3にちトリノTorinoカルロ・アルベルトCarlo Alberto広場ひろばで、一人ひとりおとこうまくびきつきました。御者ぎょしゃむちっている老馬ろうばて、きながらったのです。フリードリヒFriedrichニーチェNietzsche、44さい。それから11ねんかれ二度にど正気しょうきもどりませんでした。

けれどもこの崩壊ほうかい直前ちょくぜん、1888ねんあきからふゆにかけて、ニーチェNietzscheはおそろしい速度そくどいていました。『偶像ぐうぞう黄昏たそがれ』『はんキリストしゃ』『このひとよ』。ヨーロッパEuropa知的ちてき地盤じばん沈下ちんかしつつあることを、同時代どうじだいだれよりもするどかんじていた人物じんぶつが、みずからの精神せいしん地盤じばんうしなっていく。その皮肉ひにくづいていたひとは、当時とうじほとんどいなかったでしょう。生前せいぜんれたほん数百部すうひゃくぶ読者どくしゃのいない書斎しょさいで、ニーチェNietzscheはひとり格闘かくとうしていたのです。

ニーチェNietzsche格闘かくとうした相手あいては、ひとことでえば虚無きょむでした。かみんだ。あるいはもっと正確せいかくえば、これまで西洋せいよう道徳どうとく意味いみささえてきた土台どだいが、もはやしんじるにりない。教会きょうかいかねはまだっています。道徳どうとく教科書きょうかしょはまだ使つかわれている。けれども土台どだいちている。ふゆにわのように、かけはっているのに、はすでにんでいる。

では、そのさきなにがあるのか。

ニーチェNietzscheはこのいからげませんでした。虚無きょむのなかにしずむのでもなく、道徳どうとくうたがうことを不道徳ふどうとくだと退しりぞけるのでもない。道徳どうとくそのものの起源きげんこして、そのなにからみついているかをること。そのうえでせいまるごと肯定こうていするみちさがすこと。ニーチェNietzsche哲学てつがくは、その一点いってんかっています。

この記事きじ要点ようてん

  • かみ」とニヒリズムNihilismusキリストChristusきょう的なかみと、それにささえられてきた道徳どうとく形而上学けいじじょうがく体系たいけいがもはやしんじられなくなったとき、人間にんげん意味いみ真空しんくうほうされます。ニーチェNietzscheはこの事態じたいを「ニヒリズムNihilismus」とび、きたるべき二百年にひゃくねん歴史れきしとして予告よこくしました。『よろこばしき知識ちしき』第125せつの「狂人きょうじん」の寓話ぐうわがその診断しんだんかくです。
  • 道徳どうとく系譜学けいふがく善悪ぜんあくてんからってきたものではなく、歴史れきしのなかでつくられたものです。ニーチェNietzsche道徳どうとく起源きげんこし、強者きょうしゃ道徳どうとく主人しゅじん道徳どうとく)を弱者じゃくしゃルサンチマンressentiment怨恨えんこん)によって転倒てんとうさせた過程かていを、『道徳どうとく系譜学けいふがく』でえがしました。ぜんばれるものの裏側うらがわにある権力けんりょく力学りきがくあば仕事しごとです。
  • 永遠回帰えいえんかいき超人ちょうじんせい全面的ぜんめんてき肯定こうていニヒリズムNihilismusさきニーチェNietzscheしたのは、永遠回帰えいえんかいきewige Wiederkunftエーヴィゲ・ヴィーダークンフト)という思考しこう実験じっけんでした。あなたのこの人生じんせいが、寸分すんぶんたがわず永遠えいえんかえされるとしたら、あなたはそれをのぞめるか。このいに「しかり」とこたえられるもの。それが超人ちょうじんÜbermenschユーバーメンシュ)の姿すがたです。

生涯しょうがい時代じだい背景はいけい

1844ねん10がつ15にちプロイセンPreußen王国おうこくザクセンSachsenしゅうリュッツェンLützen近郊きんこうレッケンRöckenむらまれました。ちちカール・ルートヴィヒKarl LudwigルターLuther牧師ぼくしでした。のちにかみ宣告せんこくする哲学者てつがくしゃが、牧師ぼくしいえまれたのです。両方りょうほう祖父そふ牧師ぼくし信仰しんこうあつ家庭かていです。けれどもちちニーチェNietzscheが4さいのときのうやまいくなり、翌年よくねんにはおとうとぼっしています。牧師館ぼくしかんわれたははいもうと祖母そぼのなかでそだった少年しょうねんは、女性じょせいばかりの家庭かていしずかにほんみ、音楽おんがくかなで、いていました。

14さい名門めいもんシュルプフォルタSchulpforta学院がくいん入学にゅうがくします。ここはフィヒテFichteランケRankeまなんだ全寮制ぜんりょうせい厳格げんかく学校がっこうで、古典こてん教育きょういくちからそそいでいました。ニーチェNietzscheギリシャGriechischラテンLatein没頭ぼっとうし、音楽おんがくにも熱中ねっちゅうしています。ボンBonn大学だいがくすすんだのちライプツィヒLeipzig大学だいがくてんじ、古典こてん文献学ぶんけんがくまなびました。ここでのふたつの出会であいが、生涯しょうがいえます。ひとつは古書店こしょてん偶然ぐうぜんったショーペンハウアーSchopenhauerの『意志いし表象ひょうしょうとしての世界せかい』。もうひとつは作曲家さっきょくかリヒャルトRichardヴァーグナーWagnerとの邂逅かいこうです。

ショーペンハウアーSchopenhauer悲観主義ひかんしゅぎと、ヴァーグナーWagner音楽おんがく体現たいげんするギリシャGriechisch悲劇ひげき再生さいせいわかニーチェNietzscheはこのふたつにいました。1869ねん、まだ博士号はくしごう取得しゅとくしていない24さいで、バーゼルBasel大学だいがく古典こてん文献学ぶんけんがく教授きょうじゅ招聘しょうへいされます。フリードリヒFriedrichリッチュルRitschl強力きょうりょく推薦すいせんでした。異例いれい抜擢ばってきです。けれどもニーチェNietzsche関心かんしんはすでに、文献ぶんけん校訂こうていよりも文化ぶんか診断しんだんへとうつっていました。

バーゼルBasel時代じだいの10年間ねんかんは、はげしい変容へんよう時期じきです。1872ねん処女作しょじょさく悲劇ひげき誕生たんじょう』を刊行かんこうしましたが、文献学ぶんけんがく同僚どうりょうたちからは黙殺もくさつされ、若手わかて文献学者ぶんけんがくしゃウラーモヴィッツWilamowitzメレンドルフMoellendorffから痛烈つうれつ批判ひはんびました。学問的がくもんてきなキャリアにきずがつきます。ヴァーグナーWagnerとの友情ゆうじょうも、1876ねんバイロイトBayreuth音楽祭おんがくさいさかいえていきました。ヴァーグナーWagner芸術げいじゅつがますますキリストChristus教的きょうてき神秘しんぴ主義しゅぎドイツDeutsch国粋こくすい主義しゅぎかたむいていくことに、ニーチェNietzscheえられなくなったのです。

1879ねんはげしい偏頭痛へんずつう視力しりょくおとろえのため教授職きょうじゅしょくします。35さい年金ねんきんわずかで、やす下宿げしゅく転々てんてんとしながらつづける生活せいかつはじまりました。なつスイスSchweizシルス・マリアSils-Mariaふゆ南仏なんふつニースNice北伊ほくいトリノTorino孤独こどく放浪ほうろうの10年間ねんかんに、主要しゅよう著作ちょさくのほとんどがかれました。読者どくしゃはほぼいない。出版しゅっぱん自費じひちかかたちです。やま稜線りょうせんあるきながら構想こうそうり、簡素かんそ部屋へやもどってく。からだいたみにさいなまれ、はほとんどえません。それでもくことをやめなかった。

1889ねん1がつ精神せいしん崩壊ほうかいののち、ははフランツィスカの、のちにいもうとエリーザベトElisabeth介護かいごけながら、1900ねん8がつ25にちヴァイマルWeimarぼつしました。享年きょうねん55。皮肉ひにくなことに、死後しごにこそ名声めいせい爆発ばくはつしました。そしてその名声めいせいは、いもうとエリーザベトElisabethによる遺稿いこう恣意的しいてき編集へんしゅうと、ナチスNazisによる政治的せいじてき利用りようとともに、ゆがんだかたちひろがっていきます。

ミニ年表ねんぴょう

  • 1844ねんプロイセンPreußenレッケンRöckenまれる(ちちルターLuther牧師ぼくし
  • 1849ねんちちカールKarlルートヴィヒLudwigのう軟化症なんかしょう死去しきょ
  • 1858ねんシュルプフォルタSchulpforta学院がくいん入学にゅうがく
  • 1865ねんライプツィヒLeipzig転学てんがくショーペンハウアーSchopenhauer著作ちょさく出会であ
  • 1868ねんリヒャルトRichardヴァーグナーWagnerはじめて
  • 1869ねん:24さいバーゼルBasel大学だいがく古典こてん文献学ぶんけんがく教授きょうじゅ就任しゅうにん
  • 1870ねん普仏ふふつ戦争せんそう衛生兵えいせいへいとして従軍じゅうぐん赤痢せきりジフテリアDiphtherie罹患りかん
  • 1872ねん:『悲劇ひげき誕生たんじょう刊行かんこう
  • 1876ねんバイロイトBayreuth音楽祭おんがくさいヴァーグナーWagnerとの決裂けつれつはじまる
  • 1878ねん:『人間的にんげんてき、あまりに人間的にんげんてき刊行かんこう
  • 1879ねん健康けんこう悪化あっかによりバーゼルBasel大学だいがく辞職じしょく放浪ほうろう生活せいかつはじまる
  • 1882ねん:『よろこばしき知識ちしき刊行かんこう(「かみんだ」)。ルーLouザロメSaloméとの出会であいと失恋しつれん
  • 1883〜85ねん:『ツァラトゥストラZarathustraはこうった』ぜん執筆しっぴつ
  • 1886ねん:『善悪ぜんあく彼岸ひがん刊行かんこう
  • 1887ねん:『道徳どうとく系譜学けいふがく刊行かんこう
  • 1888ねん:『偶像ぐうぞう黄昏たそがれ』『はんキリストしゃ』『このひとよ』執筆しっぴつトリノTorinoにて)
  • 1889ねん1がつトリノTorino精神せいしん崩壊ほうかい
  • 1900ねん8がつ25にちヴァイマルWeimarにてぼつ享年きょうねん55

この哲学者てつがくしゃなにうたのか

ニーチェNietzsche以前、西洋せいよう道徳どうとく意味いみ体系たいけいには、るぎないようにえる支柱しちゅうがありました。プラトンPlatōnぜんイデアIdeaキリストChristusきょうかみカントKant道徳どうとく法則ほうそく。いずれも、ぜんあく区別くべつ人間にんげん意志いしえた場所ばしょづかせていました。道徳どうとくてんからってくるもの、あるいは理性りせいのなかにきざまれているもの。人間にんげんつくったのではなく、発見はっけんするもの。そういう前提ぜんていです。

ニーチェNietzscheは、この前提ぜんていそのものをいにしました。ぜんばれるものは、本当ほんとうぜんなのか。謙虚けんきょさや同情どうじょう自己犠牲じこぎせいとくとされるのはなぜか。だれがそうめたのか。どういうちから配置はいちのなかで、そうめられたのか。道徳どうとくまもるかどうかではなく、道徳どうとくの「価値かち」そのものをう。それまでの哲学てつがくがほとんどをつけなかったいです。

善悪ぜんあく彼岸ひがん』の序文じょぶんニーチェNietzscheはこういています。「真理しんりへの意志いしとはなにか。(中略)その意志いし価値かちについてわれたことは、いまだかつてない。(中略)道徳どうとくにおけるぜんあく価値かちうことが必要ひつようである」(Jenseits von Gut und Böse, Vorrede)。道徳どうとくまもるかどうかではなく、道徳どうとく価値かちう。ぜんあく区別くべつするのではなく、善悪ぜんあく彼岸ひがんこうがわ)につ。これがニーチェNietzsche挑戦ちょうせんでした。

にわつちってみたら、そこに長年ながねんまっていたふるくだ腐食ふしょくしているのをつけた。それをなかったことにしてつちかぶなおすこともできる。けれどもニーチェNietzscheつづけたのです。

核心かくしん理論りろん

1. 悲劇ひげき誕生たんじょうアポロンApollonディオニュソスDionysos

1872ねん処女作しょじょさく悲劇ひげき誕生たんじょう──音楽おんがく精神せいしんからの』(Die Geburt der Tragödie aus dem Geiste der Musikディー・ゲブルト・デア・トラゲーディエ)は、学術がくじゅつ論文ろんぶんとしては破格はかくでした。厳密げんみつ文献学ぶんけんがく作法さほう逸脱いつだつした、あつかされたような書物しょもつです。ニーチェNietzscheはここで、ギリシャGriechisch文化ぶんか根底こんていにふたつの衝動しょうどうました。アポロンApollon的なもの(秩序ちつじょかたち明晰めいせきさ、個体こたい境界きょうかい)と、ディオニュソスDionysos的なもの(陶酔とうすい混沌こんとん溶解ようかいせい根源的こんげんてきちから)。

ギリシャGriechisch悲劇ひげきはこの両者りょうしゃ緊張きんちょううえっていました。苦痛くつう破壊はかいちた物語ものがたりを、うつくしい形式けいしきのなかにつつむことで、せいおそろしさを直視ちょくししつつ肯定こうていする。ところがエウリピデスEuripidēs時代じだいに、変化へんかおとずれます。ニーチェNietzscheによれば、エウリピデスEuripidēsソクラテスSōkratēs的な合理主義ごうりしゅぎ舞台ぶたいみ、悲劇ひげき合唱隊コロス(コロス)を後退こうたいさせ、筋立すじだてと心理しんり描写びょうしゃ前面ぜんめんしました。理性りせい説明せつめいできないものは排除はいじょされる。「うつくしくあるためには、すべてが意識的いしきてきでなければならない」(『悲劇ひげき誕生たんじょうだい12せつ)というソクラテス的命題めいだいのもとで、ディオニュソスDionysos的なふかみは理性りせいひかりさらされ、蒸発じょうはつしてしまったのです。あきまつりのよるかんじるむね高鳴たかなり。理屈りくつでは説明せつめいできない、せいそこからげてくるもの。ニーチェNietzscheディオニュソスDionysos的とんだのは、そのようなちからです。

この処女作しょじょさくにはおおくのあらさがのこされています。ニーチェNietzsche自身じしん、のちに「一冊いっさつ不可能ふかのうほん」とんで距離きょりきました(『このひとよ』)。けれども芸術げいじゅつによってせい肯定こうていするという主題しゅだいは、かたちえながら最後さいごまでニーチェNietzsche思想しそうつらぬいていきます。

2. 「かみんだ」:ニヒリズムNihilismus診断しんだん

よろこばしき知識ちしき』(Die fröhliche Wissenschaftディー・フレーリヒェ・ヴィッセンシャフト、1882ねん)のだい125せつ白昼はくちゅうにランプをともして市場いちばまわ狂人きょうじんさけびます。「かみんだ! かみんだままだ! そして我々われわれころしたのだ!」(Gott ist todt! Gott bleibt todt! Und wir haben ihn getödtet!)。市場いちば人々ひとびとわらいます。狂人きょうじんいます。「わたしははやすぎた」と。

ほこった無神論者むしんろんしゃ宣言せんげんではありません。狂人きょうじん歓喜かんきしているのではなく、おびえている。ニーチェNietzscheえがいているのは喪失そうしつ恐怖きょうふです。かみという概念がいねんささえられてきた意味いみ体系たいけい崩壊ほうかいしたとき、人間にんげんはどうなるのか。「地平線ちへいせんぬぐったのは我々われわれではなかったか。この大地だいちいま太陽たいようからはなたれたのではないか。我々われわれはどこへうごいているのか。すべての方向ほうこうからはなれていくのではないか」(だい125せつ)。方角ほうがくのわからないうみただよふねのような不安ふあんです。

ニーチェNietzsche遺稿いこうのなかでこうしるしています。「ニヒリズムNihilismus戸口とぐちっている。このもっと不気味ぶきみきゃくはどこからるのか」(遺稿いこう、1885〜86ねん)。ニヒリズムNihilismusとは、最高さいこう諸価値しょかち無価値むかちになることです。目的もくてきけている。「なんのために?」へのこたえがけている。ニーチェNietzscheはこの事態じたいけるべきものではなく、通過つうかすべきものとました。真冬まふゆはたけ表面ひょうめんはすべてこおりついている。けれどもこおりつくことなしには、はる芽吹めぶきもおとずれない。ニヒリズムNihilismusおそれてふる価値かちにしがみつくのではなく、そのこうがわあたらしい価値かち創造そうぞうすること。それがニーチェNietzscheもとめたものでした。

3. 道徳どうとく系譜学けいふがく善悪ぜんあく起源きげんあば

1887ねんの『道徳どうとく系譜学けいふがく』(Zur Genealogie der Moralツア・ゲネアロギー・デア・モラール)は、ニーチェNietzsche著作ちょさくのなかでもっと論証ろんしょう構造こうぞう明確めいかく一冊いっさつです。みっつの論文ろんぶんからり、それぞれが道徳どうとく起源きげんことなる角度かくどからこしていきます。

第一だいいち論文ろんぶん「『ぜんあく』、『いとわるい』」でニーチェNietzscheは、道徳どうとくふたつの起源きげん対置たいちします。主人しゅじん道徳どうとくHerrenmoralヘレンモラール)では、つよものみずからのちから卓越たくえつを「い」(gut)とび、それにおとるものを「わるい」(schlecht)とびます。どもがはしまわって「はやい!」と自分じぶんほこるような率直そっちょくさ。そこにはつみ意識いしきはありません。

ところが奴隷どれい道徳どうとくSklavenmoralスクラーヴェンモラール)はまったくべつ仕方しかたまれます。弱者じゃくしゃ強者きょうしゃてない。そのくやしさといかりが、行動こうどうてんじることなく内部ないぶ蓄積ちくせきされます。これをニーチェNietzscheルサンチマンressentiment怨恨えんこん)とびました。ルサンチマンressentimentのなかで、弱者じゃくしゃ価値かち転倒てんとうさせます。つよいことは「あく」であり、よわいことこそ「ぜん」である、と。謙虚けんきょさ、従順じゅうじゅんさ、同情どうじょう。これらがとくとされたのは、弱者じゃくしゃがみずからのよわさを正当化せいとうかするためだった、とニーチェNietzscheろんじます。

これは不穏ふおん主張しゅちょうです。「弱者じゃくしゃへの同情どうじょうあくだ」とまれかねない。けれどもニーチェNietzsche眼目がんもくはそこにはないでしょう。かれうているのは、道徳どうとく自明じめいのものとしてれられているとき、その裏側うらがわにはどのようなちから配置はいちがあるのか、ということです。近所きんじょづきあいのなかで「いいひと」とばれるとき、それは本当ほんとう相手あいてとくしているのか。それとも「従順じゅうじゅんあつかいやすい」という意味いみではないか。ニーチェNietzsche系譜学けいふがくは、そうした居心地いごこちわるいをきつけてきます。

第二だいに論文ろんぶん「『』、『良心りょうしんやましさ』、およびそのるいのもの」は、つみ意識いしき起源きげんいます。ニーチェNietzscheによれば、「」(Schuldシュルト)はもともと経済的けいざいてきな「負債ふさい」(Schuldenシュルデン)から派生はせいした概念がいねんです。債務者さいむしゃ返済へんさいできなければ、債権者さいけんしゃ苦痛くつうあたえることで補償ほしょうた。やがて人間にんげんは、自分じぶん攻撃的こうげきてき衝動しょうどうそとけることができなくなったとき、それを内側うちがわけるようになります。この自己じこへの攻撃こうげきが「良心りょうしんやましさ」(schlechtes Gewissenシュレヒテス・ゲヴィッセン)の起源きげんである、とニーチェNietzscheろんじました。文明化ぶんめいか過程かていで、人間にんげんみずからの獣性じゅうせい抑圧よくあつし、そのエネルギーを自分じぶん自身にけた。つみ意識いしきとは、おりれられた野生やせい動物どうぶつみずからの身体しんたいきずつけるようなものです。

第三だいさん論文ろんぶん禁欲きんよく主義的しゅぎてき理想りそうなに意味いみするか」は、苦行くぎょう自己じこ否定ひていをなぜ人間にんげんもとめるのかをいます。禁欲きんよく主義的しゅぎてき理想りそうasketisches Idealアスケーティッシェス・イデアール)は、修道士しゅうどうしにとってはせい否定ひてい意味いみあたえるものであり、哲学者てつがくしゃにとっては静穏せいおん思索しさく条件じょうけんであり、学者がくしゃにとっては客観性きゃっかんせいという仮面かめんです。ニーチェNietzsche核心的かくしんてき洞察どうさつはこうです。人間にんげんは「なにほっしない」ことにはえられない。ほっすることさえ、なにほっしないよりはましなのです(Zur Genealogie der Moral, III, §28)。禁欲きんよく主義しゅぎとは、虚無きょむよりもせい否定ひていえらんだ人間にんげん最後さいごとりでであった、ということです。

4. ちからへの意志いし支配しはいではなく自己超克じこちょうこく

ちからへの意志いし」(der Wille zur Machtデア・ヴィレ・ツア・マハト)。この概念がいねんほど誤読ごどくされたものはないかもしれません。弱肉強食じゃくにくきょうしょく正当化せいとうか暴力ぼうりょく賛美さんびナチスNazisがこの概念がいねん利用りようしたことも、誤解ごかいふかめました。けれどもニーチェNietzscheのテキストにそくしてめば、ちからへの意志いし他者たしゃへの支配しはいよりも、自己超克じこちょうこくSelbstüberwindungゼルプストユーバーヴィンドゥング)に重心じゅうしんがあります。

この概念がいねん背景はいけいには、であり仮想かそうてきでもあるショーペンハウアーSchopenhauerがいます。ショーペンハウアーSchopenhauer世界せかい根底こんていに「せいへの意志いし」(Wille zum Lebenヴィレ・ツム・レーベン)をて、それは盲目もうもく衝動しょうどうであるがゆえに源泉げんせんであるとろんじました。すくいは意志いし否定ひていにある、と。ニーチェNietzscheはこの結論けつろんけませんでした。意志いし否定ひていではなく、意志いし方向ほうこうえること。たんびようとするのではなく、みずからをえようとするちから。それがちからへの意志いしです。

ツァラトゥストラZarathustraはこうった』第二部「自己超克じこちょうこくについて」でツァラトゥストラZarathustraはこうかたります。「せいあるもののあるところ、そこには意志いしもある。だがそれはせいへの意志いしではなく(中略)ちからへの意志いしである」("Von der Selbst-Überwindung")。きものは自己じこ保存ほぞんするだけでなく、みずからをえようとする。成長せいちょうし、変容へんようし、よりおおきなちから実現じつげんしようとする。にわのつるがへいがっていくのは、へい支配しはいしたいからではなく、びることそのものがきることだからです。

ただし注意ちゅうい必要ひつようです。いもうとエリーザベトElisabeth編纂へんさんした遺稿集いこうしゅうちからへの意志いし』(Der Wille zur Macht、1901ねん初版しょはん)は、ニーチェNietzsche自身じしん完成かんせいさせた著作ちょさくではありません。断片だんぺん恣意的しいてき配列はいれつし、一冊いっさつ体系たいけいしょ仕立したてたものです。カウフマンKaufmannコリColliモンティナーリMontinariによる批判ひはん校訂こうていばんによって、ニーチェNietzsche本来ほんらい構想こうそうとの乖離かいりあきらかになっています。ちからへの意志いしかたるとき、この文献学的ぶんけんがくてき事情じじょうつね念頭ねんとうくべきでしょう。

5. 超人ちょうじん:「人間にんげん克服こくふくされるべきものである」

ツァラトゥストラZarathustraはこうった』(Also sprach Zarathustraアルゾー・シュプラッハ・ツァラトゥストラ、1883〜85ねん)の冒頭ぼうとう、10年間ねんかん孤独こどくやまりてきたツァラトゥストラZarathustraが、市場いちば群衆ぐんしゅうにこうげます。「わたしはあなたがたに超人ちょうじんおしえる。人間にんげん克服こくふくされるべきものである」("Ich lehre euch den Übermenschen. Der Mensch ist etwas, das überwunden werden soll.")。

超人ちょうじんÜbermenschユーバーメンシュ)は、生物学的せいぶつがくてき進化しんか産物さんぶつではありません。人種じんしゅ的な優越ゆうえつとも無関係むかんけいです。かみんだのちに、みずから価値かち創造そうぞうし、せいまるごとけられるもの姿すがたです。ツァラトゥストラZarathustra第一部だいいちぶ三段さんだん変化へんか」("Von den drei Verwandlungen")で、精神せいしん超人ちょうじんへとちかづく道筋みちすじみっつの比喩ひゆかたります。駱駝らくだKamel)は重荷おもに背負せおい、「なんじなすべし」という義務ぎむえる。獅子ししLöwe)は「われほっす」とえ、ふる価値かちりゅうなんじなすべし」を破壊はかいする。けれども獅子ししこわすことしかできません。あたらしい価値かちつくるのは、幼子おさなごKind)の無垢むくです。「幼子おさなご無垢むくであり忘却ぼうきゃくであり、ひとつのあたらしいはじまりである」。砂場すなばあそどもののような、まっさらな肯定こうていちから

ツァラトゥストラZarathustraはその対極たいきょくとして「末人まつじん」(der letzte Menschデア・レツテ・メンシュ)をえがきます。末人まつじん快適かいてきさだけをもとめ、危険きけんけ、「幸福こうふく発明はつめいした」とってまばたきする存在そんざいです。なににもふかかかわらず、なにけず、おだやかに衰退すいたいしていく。群衆ぐんしゅう超人ちょうじんはなしにはみみさず、末人まつじん歓呼かんこむかえました。ニーチェNietzscheおそれたのは、暴力ぼうりょくよりもこの安楽あんらく衰弱すいじゃくだったのかもしれません。

6. 永遠回帰えいえんかいきせい究極的きゅうきょくてき肯定こうてい

1881ねん8がつスイスSchweizシルス・マリアSils-Mariaみずうみのほとりを散歩さんぽしていたニーチェNietzscheは、ひとつの巨大きょだいいわのそばでまりました。そこで永遠回帰えいえんかいき思想しそう稲妻いなずまのようにひらめいたと、遺稿いこうしるされています。「人間にんげん時間じかんの6000フィート彼方かなたにて」というはしき。やま空気くうき湖面こめんしずけさのなかでりてきた直観ちょっかんが、のちに『よろこばしき知識ちしきだい341せつ言葉ことばになります。

最大さいだい重荷おもに」とだいされたその断章だんしょう。あるよる、あなたのもっと孤独こどく孤独こどくのなかに悪魔あくましのんできて、こうささやくとする。「おまえがいまき、またきてきたこのせいを、おまえはもう一度いちど、そしてなお無数むすうかえきなければならないだろう」。すべての苦痛くつうよろこびも、すべての些細ささいなことも壮大そうだいなことも、寸分すんぶんたがわずかえされる。そのとき、あなたはいしばって悪魔あくまのろうか、それとも「おまえはかみだ、これほど神々こうごうしいことをいたことがない」とこたえるか。

永遠回帰えいえんかいきewige Wiederkunftエーヴィゲ・ヴィーダークンフト)は、宇宙論うちゅうろん仮説かせつなのか、倫理的りんりてき思考しこう実験じっけんなのか。研究者けんきゅうしゃのあいだでも見解けんかいかれています。けれどもこのいのするどさは、解釈かいしゃく相違そういえてむねせまります。いまのこのせいを、変更へんこうなしに、もう一度いちどけることができるか。あのあさ口論こうろんも。あのあめ午後ごご退屈たいくつも。あの失敗しっぱいも、あの後悔こうかいも。すべてをふくめて「しかり」とえるか。

この肯定こうていを、ニーチェNietzsche運命愛うんめいあいamor fatiアモル・ファーティー)とびました。「わたしの方程式ほうていしきは、あるがままのものを必然ひつぜんとして肯定こうていすること──ただえるだけでなく(中略)あいすること」(『このひとよ』「なぜわたしはこれほど賢明けんめいなのか」第10せつ)。運命うんめいえるのではない。れるだけでもない。あいする。この飛躍ひやくに、ニーチェNietzsche哲学てつがくのもっとも過激かげきかくがあります。

主要しゅよう著作ちょさくガイド

  • 悲劇ひげき誕生たんじょう』(Die Geburt der Tragödie、1872ねん):処女作しょじょさくアポロンApollon的なものとディオニュソスDionysos的なもののついギリシャGriechisch悲劇ひげき本質ほんしつろんじた挑発的ちょうはつてき一冊いっさつです。文献学ぶんけんがく作法さほう逸脱いつだつしており、専門家せんもんかからははげしく批判ひはんされましたが、芸術げいじゅつによるせい肯定こうていという主題しゅだい生涯しょうがいつらぬきます。邦訳ほうやく秋山あきやま英夫ひでおやく岩波文庫いわなみぶんこ
  • よろこばしき知識ちしき』(Die fröhliche Wissenschaft、1882ねん):「かみんだ」(だい125せつ)と永遠回帰えいえんかいきだい341せつ)がともに登場とうじょうするかなめ著作ちょさくです。箴言しんげん形式けいしきかれ、かるやかな筆致ひっちのなかに鋭利えいりやいばがひそんでいます。邦訳ほうやく村井むらい則夫のりおやく河出文庫かわでぶんこ
  • ツァラトゥストラZarathustraはこうった』(Also sprach Zarathustra、1883〜85ねん):ニーチェNietzscheみずからの最高さいこう傑作けっさくとみなした哲学てつがく小説しょうせつです。預言者よげんしゃツァラトゥストラZarathustra放浪ほうろう説教せっきょうつうじて、超人ちょうじん永遠回帰えいえんかいきちからへの意志いし物語ものがたりとして展開てんかいされます。散文さんぶんのあいだをする独特どくとく文体ぶんたい難解なんかいですが、こえしてむとリズムのうつくしさがつたわります。邦訳ほうやく氷上ひかみ英廣ひでひろやく岩波文庫いわなみぶんこ
  • 善悪ぜんあく彼岸ひがん』(Jenseits von Gut und Böse、1886ねん):ツァラトゥストラZarathustra思想しそう散文さんぶん展開てんかいした論集ろんしゅうです。哲学者てつがくしゃ偏見へんけん道徳どうとく自然史しぜんし民族みんぞく祖国そこく問題もんだいなどをあじするどろんじています。邦訳ほうやく中山なかやまげんやく光文社こうぶんしゃ古典こてん新訳しんやく文庫ぶんこ
  • 道徳どうとく系譜学けいふがく』(Zur Genealogie der Moral、1887ねん):ニーチェNietzsche著作ちょさくのなかでもっと体系的たいけいてき論証ろんしょう展開てんかいされており、学術的がくじゅつてき入門にゅうもんにもてきしています。邦訳ほうやく中山なかやまげんやく光文社こうぶんしゃ古典こてん新訳しんやく文庫ぶんこ
  • 『このひとよ』(Ecce Homo執筆しっぴつ1888ねん刊行かんこう1908ねん):自伝じでん自己じこ注釈ちゅうしゃく。「なぜわたしはこれほど賢明けんめいなのか」「なぜわたしはこれほどほんくのか」など、挑発的ちょうはつてきしょうだいならびます。誇大こだい妄想もうそう兆候ちょうこうか、ふか自己認識じこにんしきか。その境界きょうかい読者どくしゃ自分じぶん判断はんだんしなければなりません。

主要しゅよう批判ひはん論争ろんそう

ニーチェNietzsche思想しそうをめぐる最大さいだい論争ろんそうは、ナチスNazisによる政治的せいじてき利用りようです。いもうとエリーザベトElisabethフェルスターFörsterニーチェNietzscheは、はんユダヤ主義者しゅぎしゃおっとベルンハルトBernhardフェルスターFörster思想しそう方向ほうこう沿うよう遺稿いこう編集へんしゅうし、ニーチェNietzsche文庫ぶんこをナチとう接近せっきんさせました。ヒトラーHitlerは1934ねんニーチェNietzsche文庫ぶんこ訪問ほうもんし、エリーザベトElisabethならんで写真しゃしんおさまっています。けれどもニーチェNietzsche自身じしんは、はんユダヤ主義しゅぎかえ嫌悪けんおしており、ドイツDeutsch国粋こくすい主義しゅぎをも辛辣しんらつ批判ひはんしていました。はんユダヤ主義しゅぎ出版人しゅっぱんにんテオドールTheodorフリッチュFritschてた1887ねん3がつ23にちづけ書簡しょかんでは、はんユダヤ主義者しゅぎしゃへの嫌悪けんおかくしていません。『このひとよ』でも「はんユダヤ主義者しゅぎしゃたいしては容赦ようしゃしない」と明言めいげんしています(Ecce Homo, "Warum ich so gute Bücher schreibe", §1)。戦後せんご研究けんきゅう、とりわけウォルターWalterカウフマンKaufmann仕事しごとNietzsche: Philosopher, Psychologist, Antichrist, 1950)がこの歪曲わいきょくただしました。

マルティンMartinハイデガーHeideggerは、ニーチェNietzsche西洋せいよう形而上学けいじじょうがく完成者かんせいしゃとして解釈かいしゃくしました(『ニーチェNietzsche』全二巻、1961ねん)。ちからへの意志いし存在者そんざいしゃ存在そんざいについての最後さいご形而上学的けいじじょうがくてき命名めいめいであり、ニーチェNietzsche形而上学けいじじょうがく克服こくふくしたのではなく、その極限きょくげん体現たいげんした、と。この読解どっかい強力きょうりょくですが、ニーチェNietzscheハイデガーHeidegger枠組わくぐみにみすぎているという批判ひはんもあります。

フェミニズムfeminismからの批判ひはんけられません。ニーチェNietzscheのテキストには女性じょせい蔑視べっしめる箇所かしょがいくつもあります。「おんなのもとへくのか? むちわすれるな」(『ツァラトゥストラ』第一部「いたおんなわかおんな」)。この発言はつげん物語ものがたりのなかの老女ろうじょ台詞せりふであること、ニーチェNietzsche女性じょせいにかんする記述きじゅつには矛盾むじゅん多層性たそうせいがあることを考慮こうりょしても、なお問題もんだいのこります。思想しそうするどさと偏見へんけんふかさは、ひとりの人間にんげんのなかに共存きょうぞんしうるものです。

分析ぶんせき哲学てつがく伝統でんとうからは、ニーチェNietzsche論証ろんしょう厳密げんみつさに疑問ぎもんていされることがあります。箴言しんげん比喩ひゆ挑発ちょうはつ誇張こちょう論理ろんり連鎖れんさというよりも、直観ちょっかんひらめきのつらなり。それをどう評価ひょうかするかは、哲学てつがくなにもとめるかによってわるでしょう。

影響えいきょう遺産いさん

20世紀せいき思想しそう地図ちずで、ニーチェNietzscheれていない場所ばしょさがほうむずかしいかもしれません。実存じつぞん主義しゅぎヤスパースJaspersニーチェNietzsche限界げんかい状況じょうきょう思想家しそうかとしてみ、ハイデガーHeidegger形而上学けいじじょうがく完成者かんせいしゃとして対決たいけつしました。サルトルSartreの「実存じつぞん本質ほんしつ先立さきだつ」は、ニーチェNietzsche価値かち創造そうぞう系譜けいふつらなります。カミュCamusの『シーシュポスSisyphe神話しんわ』がうた「不条理ふじょうりにおける反抗はんこう」も、ニーチェNietzscheなしにはかんがえられない主題しゅだいです。

フランスFranceポストpost構造こうぞう主義しゅぎにとって、ニーチェNietzsche決定的けっていてき源泉げんせんでした。ミシェルMichelフーコーFoucault系譜学けいふがく権力けんりょく関係かんけい分析ぶんせき)は、ニーチェNietzsche道徳どうとく系譜学けいふがく直接ちょくせつ方法論的ほうほうろんてきはんとしています。ジルGillesドゥルーズDeleuzeニーチェNietzscheちから概念がいねん独自どくじ展開てんかいし、ジャックJacquesデリダDerridaニーチェNietzsche文体ぶんたいそのものに脱構築だつこうちく萌芽ほうがました。

心理学しんりがく分野ぶんやでは、ジークムントSigmundフロイトFreudニーチェNietzscheたいして微妙びみょう距離きょりたもちつつも、無意識むいしき衝動しょうどう抑圧よくあつ機制きせいについてニーチェNietzsche先取さきどりしていたことをみとめています。良心りょうしんやましさをみずからへの攻撃こうげき衝動しょうどう内向化ないこうかる『道徳どうとく系譜学けいふがく第二だいに論文ろんぶん分析ぶんせきは、フロイトFreud超自我ちょうじがÜber-Ichユーバー・イッヒ理論りろんおどろくほどかさなります。アルフレートAlfredアードラーAdlerの「権力けんりょくへの意志いし概念がいねんは、名前なまえからしてニーチェNietzscheからの借用しゃくようです。

文学ぶんがくではトーマスThomasマンMannかえニーチェNietzscheかえりました。『ヴェネツィアVenedigす』のなかのアポロンApollon秩序ちつじょディオニュソスDionysos陶酔とうすい相克そうこくは、『悲劇ひげき誕生たんじょう』の変奏へんそうめます。リルケRilkeイェイツYeatsヘルマンHermannヘッセHesseにもふか影響えいきょうあたえています。音楽おんがくではリヒャルトRichardシュトラウスStrauss交響詩こうきょうしツァラトゥストラZarathustraはかくかたりき』(1896ねん)がひろられ、グスタフGustavマーラーMahler交響曲こうきょうきょく第三番だいさんばん(1896ねん第四だいよん楽章がくしょうは『ツァラトゥストラ』の「酔歌すいか」にテキストをっています。哲学てつがくわくをはるかにえて、ニーチェNietzsche言葉ことばいは20世紀せいき文化ぶんか全体ぜんたい浸透しんとうしています。

現代げんだいへの接続せつぞく

日曜日にちようびあさ教会きょうかいかなくなったひとは、なにどころにしてきているのでしょうか。宗教しゅうきょう日常にちじょう行動こうどう規範きはん提供ていきょうしていた時代じだいぎつつあります。それにわるものとして、個人こじん自由じゆう選択せんたくかかげられる。けれどもその自由じゆうは、ときにてしないまよいになる。なにべるか、なにるか、だれらすか。選択肢せんたくしえたのに、えらぶための基準きじゅんつからない。ニーチェNietzsche予告よこくしたニヒリズムNihilismusは、劇的げきてき破局はきょくとしてではなく、しずかな倦怠けんたいとしておとずれているのかもしれません。

畜群ちくぐん道徳どうとく」(Herdenmoralヘルデンモラール)という概念がいねんもまた、日常にちじょうのなかにいきづいています。周囲しゅういおなじであることをもとめる圧力あつりょくくいたれる。職場しょくば空気くうきみ、学校がっこうではかないようにう。ニーチェNietzscheは、こうした同調どうちょう力学りきがくのなかに、せい衰弱すいじゃくていました。自分じぶん自身であることの勇気ゆうき手放てばなして、れのなかにまぎれる。それは安全あんぜんかもしれないが、きているといえるのか。

自己超克じこちょうこくという主題しゅだいは、日々ひびらしのなかにもしずかにひびいています。昨日きのう自分じぶんえること。他人たにんかすのではなく、自分じぶん自身の惰性だせいあらがうこと。あさ布団ふとんからるのがつらふゆに、それでもがること。どもが昨日きのうべなかったばこ今日きょうぶとき、そこにちいさな超克ちょうこくがある。ニーチェNietzsche思想しそうは、壮大そうだい体系たいけいというよりも、ひとりひとりのせい只中ただなかまれたいなのでしょう。

読者どくしゃへの

  • あなたのせい永遠えいえんかえされるとしたら、いまのこの一日いちにちを、えずにもう一度いちどけることができるか。
  • あなたが「ぜんい」としんじている行動こうどうのなかに、ルサンチマンressentimentだれかへの怨恨えんこん裏返うらがえし)はひそんでいないか。
  • 周囲しゅういおなじであることの安心あんしんと、自分じぶん自身であることの孤独こどく。あなたはどちらをえらぶか。その選択せんたくを、自分じぶんける覚悟かくごはあるか。

名言めいげん出典しゅってんつき)

かみんだ。かみんだままだ。そして我々われわれころしたのだ」 出典しゅってんフリードリヒFriedrichニーチェNietzscheよろこばしき知識ちしきだい125せつ原文げんぶん:"Gott ist todt! Gott bleibt todt! Und wir haben ihn getödtet!"

無神論むしんろん歓喜かんきではなく、価値かち土台どだいくずれたことへの戦慄せんりつ市場いちばさけ狂人きょうじんこえは、だれにもとどけられませんでした。

「わたしをころさないものは、わたしをつよくする」 出典しゅってんフリードリヒFriedrichニーチェNietzsche偶像ぐうぞう黄昏たそがれ』「箴言しんげんだい8せつ原文げんぶん:"Was mich nicht umbringt, macht mich stärker."

苦難くなん美化びかしているのではありません。苦痛くつうたのちにもなおっているもののなかには、以前いぜんにはなかったちから宿やどる。ただし、ころされてしまうものもいるということを、ニーチェNietzsche承知しょうちしていたはずです。

怪物かいぶつたたかものは、その過程かていみずからも怪物かいぶつにならぬようをつけよ。深淵しんえんをのぞくとき、深淵しんえんもまたこちらをのぞいているのだ」 出典しゅってんフリードリヒFriedrichニーチェNietzsche善悪ぜんあく彼岸ひがんだい146せつ原文げんぶん:"Wer mit Ungeheuern kämpft, mag zusehn, dass er nicht dabei zum Ungeheuer wird. Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein."

あくうことの代償だいしょうへの警告けいこくです。正義せいぎのためにたたかものが、いつしかみずからのうち暴力ぼうりょく宿やどしてしまうこと。ニーチェNietzsche箴言しんげんのなかでも、もっともひろかれる一節いっせつです。

参考さんこう文献ぶんけん

  • 原典げんてん独語どくご:Friedrich Nietzsche, Sämtliche Werke: Kritische Studienausgabe (KSA), hrsg. von Giorgio Colli und Mazzino Montinari, 15 Bde., de Gruyter, 1980.(標準ひょうじゅん批判ひはん校訂こうていばん
  • 原典げんてん邦訳ほうやくニーチェNietzscheツァラトゥストラZarathustraはこうった』氷上ひかみ英廣ひでひろやく岩波文庫いわなみぶんこ
  • 原典げんてん邦訳ほうやくニーチェNietzsche道徳どうとく系譜学けいふがく中山なかやまげんやく光文社こうぶんしゃ古典こてん新訳しんやく文庫ぶんこ
  • 原典げんてん邦訳ほうやくニーチェNietzsche善悪ぜんあく彼岸ひがん中山なかやまげんやく光文社こうぶんしゃ古典こてん新訳しんやく文庫ぶんこ
  • 研究書けんきゅうしょ:Walter Kaufmann, Nietzsche: Philosopher, Psychologist, Antichrist, 4th ed., Princeton University Press, 1974.(戦後せんごニーチェNietzsche再評価さいひょうか基礎きそきずいた古典こてん
  • 研究書けんきゅうしょ:Maudemarie Clark, Nietzsche on Truth and Philosophy, Cambridge University Press, 1990.
  • 研究書けんきゅうしょ邦語ほうご須藤すどう訓任くにひろニーチェNietzsche──〈永劫回帰えいごうかいき〉という迷宮めいきゅう講談社こうだんしゃ選書せんしょメチエ。
  • 伝記でんき:Rüdiger Safranski, Nietzsche: Biographie seines Denkens, Carl Hanser Verlag, 2000.(邦訳ほうやく山本やまもとたかしやくニーチェNietzsche──その思考しこう伝記でんき法政大学ほうせいだいがく出版局しゅっぱんきょく
  • 補助ほじょウェブweb資料しりょう:"Friedrich Nietzsche", Stanford Encyclopedia of Philosophy.