1889年ねん1月がつ3日にち、トリノTorinoのカルロ・アルベルトCarlo Alberto広場ひろばで、一人ひとりの男おとこが馬うまの首くびに抱だきつきました。御者ぎょしゃが鞭むちで打うっている老馬ろうばを見みて、泣なきながら駆かけ寄よったのです。フリードリヒFriedrich・ニーチェNietzsche、44歳さい。それから11年ねん、彼かれは二度にどと正気しょうきに戻もどりませんでした。

けれどもこの崩壊ほうかいの直前ちょくぜん、1888年ねんの秋あきから冬ふゆにかけて、ニーチェNietzscheはおそろしい速度そくどで書かいていました。『偶像ぐうぞうの黄昏たそがれ』『反はんキリスト者しゃ』『この人ひとを見みよ』。ヨーロッパEuropaの知的ちてき地盤じばんが沈下ちんかしつつあることを、同時代どうじだいの誰だれよりも鋭するどく感かんじていた人物じんぶつが、自みずからの精神せいしんの地盤じばんを失うしなっていく。その皮肉ひにくに気きづいていた人ひとは、当時とうじほとんどいなかったでしょう。生前せいぜんに売うれた本ほんは数百部すうひゃくぶ。読者どくしゃのいない書斎しょさいで、ニーチェNietzscheはひとり格闘かくとうしていたのです。

ニーチェNietzscheが格闘かくとうした相手あいては、ひとことで言いえば虚無きょむでした。神かみが死しんだ。あるいはもっと正確せいかくに言いえば、これまで西洋せいようの道徳どうとくと意味いみを支ささえてきた土台どだいが、もはや信しんじるに足たりない。教会きょうかいの鐘かねはまだ鳴なっています。道徳どうとくの教科書きょうかしょはまだ使つかわれている。けれども土台どだいは朽くちている。冬ふゆの庭にわに立たつ枯かれ木きのように、見みかけは立たっているのに、根ねはすでに死しんでいる。

では、その先さきに何なにがあるのか。

ニーチェNietzscheはこの問といから逃にげませんでした。虚無きょむのなかに沈しずむのでもなく、道徳どうとくを疑うたがうことを不道徳ふどうとくだと退しりぞけるのでもない。道徳どうとくそのものの起源きげんを掘ほり起おこして、その根ねに何なにが絡からみついているかを見みること。そのうえで生せいを丸まるごと肯定こうていする道みちを探さがすこと。ニーチェNietzscheの哲学てつがくは、その一点いってんに懸かかっています。

この記事きじの要点ようてん

  • 「神かみの死し」とニヒリズムNihilismus:キリストChristus教きょう的な神かみと、それに支ささえられてきた道徳どうとく・形而上学けいじじょうがくの体系たいけいがもはや信しんじられなくなったとき、人間にんげんは意味いみの真空しんくうに放ほうり出だされます。ニーチェNietzscheはこの事態じたいを「ニヒリズムNihilismus」と呼よび、来きたるべき二百年にひゃくねんの歴史れきしとして予告よこくしました。『悦よろこばしき知識ちしき』第125節せつの「狂人きょうじん」の寓話ぐうわがその診断しんだんの核かくです。
  • 道徳どうとくの系譜学けいふがく:善悪ぜんあくは天てんから降ふってきたものではなく、歴史れきしのなかで作つくられたものです。ニーチェNietzscheは道徳どうとくの起源きげんを掘ほり起おこし、強者きょうしゃの道徳どうとく(主人しゅじん道徳どうとく)を弱者じゃくしゃがルサンチマンressentiment(怨恨えんこん)によって転倒てんとうさせた過程かていを、『道徳どうとくの系譜学けいふがく』で描えがき出だしました。善ぜんと呼よばれるものの裏側うらがわにある権力けんりょくの力学りきがくを暴あばく仕事しごとです。
  • 永遠回帰えいえんかいきと超人ちょうじん:生せいの全面的ぜんめんてき肯定こうてい:ニヒリズムNihilismusの先さきにニーチェNietzscheが差さし出だしたのは、永遠回帰えいえんかいき(ewige Wiederkunftエーヴィゲ・ヴィーダークンフト)という思考しこう実験じっけんでした。あなたのこの人生じんせいが、寸分すんぶん違たがわず永遠えいえんに繰くり返かえされるとしたら、あなたはそれを望のぞめるか。この問といに「然しかり」と答こたえられる者もの。それが超人ちょうじん(Übermenschユーバーメンシュ)の姿すがたです。

生涯しょうがいと時代じだい背景はいけい

1844年ねん10月がつ15日にち、プロイセンPreußen王国おうこくザクセンSachsen州しゅうリュッツェンLützen近郊きんこうのレッケンRöcken村むらに生うまれました。父ちちカール・ルートヴィヒKarl LudwigはルターLuther派はの牧師ぼくしでした。のちに神かみの死しを宣告せんこくする哲学者てつがくしゃが、牧師ぼくしの家いえに生うまれたのです。両方りょうほうの祖父そふも牧師ぼくし。信仰しんこうの厚あつい家庭かていです。けれども父ちちはニーチェNietzscheが4歳さいのとき脳のうの病やまいで亡なくなり、翌年よくねんには弟おとうとも没ぼっしています。牧師館ぼくしかんを追おわれた母ははと妹いもうとと祖母そぼのなかで育そだった少年しょうねんは、女性じょせいばかりの家庭かていで静しずかに本ほんを読よみ、音楽おんがくを奏かなで、詩しを書かいていました。

14歳さいで名門めいもんシュルプフォルタSchulpforta学院がくいんに入学にゅうがくします。ここはフィヒテFichteやランケRankeも学まなんだ全寮制ぜんりょうせいの厳格げんかくな学校がっこうで、古典こてん語ごの教育きょういくに力ちからを注そそいでいました。ニーチェNietzscheはギリシャGriechisch語ごとラテンLatein語ごに没頭ぼっとうし、音楽おんがくにも熱中ねっちゅうしています。ボンBonn大学だいがくに進すすんだのちライプツィヒLeipzig大学だいがくに転てんじ、古典こてん文献学ぶんけんがくを学まなびました。ここでの二ふたつの出会であいが、生涯しょうがいを変かえます。ひとつは古書店こしょてんで偶然ぐうぜん手てに取とったショーペンハウアーSchopenhauerの『意志いしと表象ひょうしょうとしての世界せかい』。もうひとつは作曲家さっきょくかリヒャルトRichard・ヴァーグナーWagnerとの邂逅かいこうです。

ショーペンハウアーSchopenhauerの悲観主義ひかんしゅぎと、ヴァーグナーWagnerの音楽おんがくが体現たいげんするギリシャGriechisch悲劇ひげきの再生さいせい。若わかきニーチェNietzscheはこのふたつに酔よいました。1869年ねん、まだ博士号はくしごうも取得しゅとくしていない24歳さいで、バーゼルBasel大学だいがくの古典こてん文献学ぶんけんがく教授きょうじゅに招聘しょうへいされます。師しのフリードリヒFriedrich・リッチュルRitschlの強力きょうりょくな推薦すいせんでした。異例いれいの抜擢ばってきです。けれどもニーチェNietzscheの関心かんしんはすでに、文献ぶんけんの校訂こうていよりも文化ぶんかの診断しんだんへと移うつっていました。

バーゼルBasel時代じだいの10年間ねんかんは、激はげしい変容へんようの時期じきです。1872年ねんに処女作しょじょさく『悲劇ひげきの誕生たんじょう』を刊行かんこうしましたが、文献学ぶんけんがくの同僚どうりょうたちからは黙殺もくさつされ、若手わかて文献学者ぶんけんがくしゃウラーモヴィッツWilamowitz=メレンドルフMoellendorffから痛烈つうれつな批判ひはんを浴あびました。学問的がくもんてきなキャリアに傷きずがつきます。ヴァーグナーWagnerとの友情ゆうじょうも、1876年ねんのバイロイトBayreuth音楽祭おんがくさいを境さかいに冷ひえていきました。ヴァーグナーWagnerの芸術げいじゅつがますますキリストChristus教的きょうてき神秘しんぴ主義しゅぎとドイツDeutsch国粋こくすい主義しゅぎに傾かたむいていくことに、ニーチェNietzscheは耐たえられなくなったのです。

1879年ねん、激はげしい偏頭痛へんずつうと視力しりょくの衰おとろえのため教授職きょうじゅしょくを辞じします。35歳さい。年金ねんきんはわずかで、安やすい下宿げしゅくを転々てんてんとしながら書かき続つづける生活せいかつが始はじまりました。夏なつはスイスSchweizのシルス・マリアSils-Maria、冬ふゆは南仏なんふつのニースNiceや北伊ほくいのトリノTorino。孤独こどくな放浪ほうろうの10年間ねんかんに、主要しゅよう著作ちょさくのほとんどが書かかれました。読者どくしゃはほぼいない。出版しゅっぱんは自費じひに近ちかい形かたちです。山やまの稜線りょうせんを歩あるきながら構想こうそうを練ねり、簡素かんそな部屋へやに戻もどって書かく。体からだは痛いたみに苛さいなまれ、目めはほとんど見みえません。それでも書かくことをやめなかった。

1889年ねん1月がつの精神せいしん崩壊ほうかいののち、母ははフランツィスカの、のちに妹いもうとエリーザベトElisabethの介護かいごを受うけながら、1900年ねん8月がつ25日にちにヴァイマルWeimarで没ぼつしました。享年きょうねん55。皮肉ひにくなことに、死後しごにこそ名声めいせいは爆発ばくはつしました。そしてその名声めいせいは、妹いもうとエリーザベトElisabethによる遺稿いこうの恣意的しいてきな編集へんしゅうと、ナチスNazisによる政治的せいじてき利用りようとともに、歪ゆがんだ形かたちで広ひろがっていきます。

ミニ年表ねんぴょう

  • 1844年ねん:プロイセンPreußen・レッケンRöckenに生うまれる(父ちちはルターLuther派は牧師ぼくし)
  • 1849年ねん:父ちちカールKarl・ルートヴィヒLudwigが脳のう軟化症なんかしょうで死去しきょ
  • 1858年ねん:シュルプフォルタSchulpforta学院がくいんに入学にゅうがく
  • 1865年ねん:ライプツィヒLeipzigに転学てんがく、ショーペンハウアーSchopenhauerの著作ちょさくと出会であう
  • 1868年ねん:リヒャルトRichard・ヴァーグナーWagnerと初はじめて会あう
  • 1869年ねん:24歳さいでバーゼルBasel大学だいがく古典こてん文献学ぶんけんがく教授きょうじゅに就任しゅうにん
  • 1870年ねん:普仏ふふつ戦争せんそうに衛生兵えいせいへいとして従軍じゅうぐん、赤痢せきりとジフテリアDiphtherieに罹患りかん
  • 1872年ねん:『悲劇ひげきの誕生たんじょう』刊行かんこう
  • 1876年ねん:バイロイトBayreuth音楽祭おんがくさいを機きにヴァーグナーWagnerとの決裂けつれつが始はじまる
  • 1878年ねん:『人間的にんげんてき、あまりに人間的にんげんてき』刊行かんこう
  • 1879年ねん:健康けんこう悪化あっかによりバーゼルBasel大学だいがくを辞職じしょく。放浪ほうろうの生活せいかつが始はじまる
  • 1882年ねん:『悦よろこばしき知識ちしき』刊行かんこう(「神かみは死しんだ」)。ルーLou・ザロメSaloméとの出会であいと失恋しつれん
  • 1883〜85年ねん:『ツァラトゥストラZarathustraはこう言いった』全ぜん四部ぶ執筆しっぴつ
  • 1886年ねん:『善悪ぜんあくの彼岸ひがん』刊行かんこう
  • 1887年ねん:『道徳どうとくの系譜学けいふがく』刊行かんこう
  • 1888年ねん:『偶像ぐうぞうの黄昏たそがれ』『反はんキリスト者しゃ』『この人ひとを見みよ』執筆しっぴつ(トリノTorinoにて)
  • 1889年ねん1月がつ:トリノTorinoで精神せいしん崩壊ほうかい
  • 1900年ねん8月がつ25日にち:ヴァイマルWeimarにて没ぼつ。享年きょうねん55

この哲学者てつがくしゃは何なにを問とうたのか

ニーチェNietzsche以前、西洋せいようの道徳どうとくと意味いみの体系たいけいには、揺ゆるぎないように見みえる支柱しちゅうがありました。プラトンPlatōnの善ぜんのイデアIdea。キリストChristus教きょうの神かみ。カントKantの道徳どうとく法則ほうそく。いずれも、善ぜんと悪あくの区別くべつを人間にんげんの意志いしを超こえた場所ばしょに根ねづかせていました。道徳どうとくは天てんから降ふってくるもの、あるいは理性りせいのなかに刻きざまれているもの。人間にんげんが作つくったのではなく、発見はっけんするもの。そういう前提ぜんていです。

ニーチェNietzscheは、この前提ぜんていそのものを問といに付ふしました。善ぜんと呼よばれるものは、本当ほんとうに善ぜんなのか。謙虚けんきょさや同情どうじょうや自己犠牲じこぎせいが徳とくとされるのはなぜか。誰だれがそう決きめたのか。どういう力ちからの配置はいちのなかで、そう決きめられたのか。道徳どうとくを守まもるかどうかではなく、道徳どうとくの「価値かち」そのものを問とう。それまでの哲学てつがくがほとんど手てをつけなかった問といです。

『善悪ぜんあくの彼岸ひがん』の序文じょぶんでニーチェNietzscheはこう書かいています。「真理しんりへの意志いしとは何なにか。(中略)その意志いしの価値かちについて問とわれたことは、いまだかつてない。(中略)道徳どうとくにおける善ぜんと悪あくの価値かちを問とうことが必要ひつようである」(Jenseits von Gut und Böse, Vorrede)。道徳どうとくを守まもるかどうかではなく、道徳どうとくの価値かちを問とう。善ぜんと悪あくを区別くべつするのではなく、善悪ぜんあくの彼岸ひがん(向むこう側がわ)に立たつ。これがニーチェNietzscheの挑戦ちょうせんでした。

庭にわの土つちを掘ほってみたら、そこに長年ながねん埋うまっていた古ふるい管くだが腐食ふしょくしているのを見みつけた。それを見みなかったことにして土つちを被かぶせ直なおすこともできる。けれどもニーチェNietzscheは掘ほり続つづけたのです。

核心かくしん理論りろん

1. 悲劇ひげきの誕生たんじょう:アポロンApollonとディオニュソスDionysos

1872年ねんの処女作しょじょさく『悲劇ひげきの誕生たんじょう──音楽おんがくの精神せいしんからの』(Die Geburt der Tragödie aus dem Geiste der Musikディー・ゲブルト・デア・トラゲーディエ)は、学術がくじゅつ論文ろんぶんとしては破格はかくでした。厳密げんみつな文献学ぶんけんがくの作法さほうを逸脱いつだつした、熱あつに浮うかされたような書物しょもつです。ニーチェNietzscheはここで、ギリシャGriechisch文化ぶんかの根底こんていにふたつの衝動しょうどうを見みました。アポロンApollon的なもの(秩序ちつじょ、形かたち、明晰めいせきさ、個体こたいの境界きょうかい)と、ディオニュソスDionysos的なもの(陶酔とうすい、混沌こんとん、個この溶解ようかい、生せいの根源的こんげんてきな力ちから)。

ギリシャGriechisch悲劇ひげきはこの両者りょうしゃの緊張きんちょうの上うえに成なり立たっていました。苦痛くつうと破壊はかいに満みちた物語ものがたりを、美うつくしい形式けいしきのなかに包つつみ込こむことで、生せいの恐おそろしさを直視ちょくししつつ肯定こうていする。ところがエウリピデスEuripidēsの時代じだいに、変化へんかが訪おとずれます。ニーチェNietzscheによれば、エウリピデスEuripidēsはソクラテスSōkratēs的な合理主義ごうりしゅぎを舞台ぶたいに持もち込こみ、悲劇ひげきの合唱隊コロス(コロス)を後退こうたいさせ、筋立すじだてと心理しんり描写びょうしゃを前面ぜんめんに押おし出だしました。理性りせいで説明せつめいできないものは排除はいじょされる。「美うつくしくあるためには、すべてが意識的いしきてきでなければならない」(『悲劇ひげきの誕生たんじょう』第だい12節せつ)というソクラテス的命題めいだいのもとで、ディオニュソスDionysos的な深ふかみは理性りせいの光ひかりに晒さらされ、蒸発じょうはつしてしまったのです。秋あきの祭まつりの夜よるに感かんじる胸むねの高鳴たかなり。理屈りくつでは説明せつめいできない、生せいの底そこから突つき上あげてくるもの。ニーチェNietzscheがディオニュソスDionysos的と呼よんだのは、そのような力ちからです。

この処女作しょじょさくには多おおくの粗あらさが残のこされています。ニーチェNietzsche自身じしん、のちに「一冊いっさつの不可能ふかのうな本ほん」と呼よんで距離きょりを置おきました(『この人ひとを見みよ』)。けれども芸術げいじゅつによって生せいを肯定こうていするという主題しゅだいは、形かたちを変かえながら最後さいごまでニーチェNietzscheの思想しそうを貫つらぬいていきます。

2. 「神かみは死しんだ」:ニヒリズムNihilismusの診断しんだん

『悦よろこばしき知識ちしき』(Die fröhliche Wissenschaftディー・フレーリヒェ・ヴィッセンシャフト、1882年ねん)の第だい125節せつ。白昼はくちゅうにランプを灯ともして市場いちばを駆かけ回まわる狂人きょうじんが叫さけびます。「神かみは死しんだ! 神かみは死しんだままだ! そして我々われわれが殺ころしたのだ!」(Gott ist todt! Gott bleibt todt! Und wir haben ihn getödtet!)。市場いちばの人々ひとびとは笑わらいます。狂人きょうじんは言いいます。「わたしは早はやく来きすぎた」と。

勝かち誇ほこった無神論者むしんろんしゃの宣言せんげんではありません。狂人きょうじんは歓喜かんきしているのではなく、怯おびえている。ニーチェNietzscheが描えがいているのは喪失そうしつの恐怖きょうふです。神かみという概念がいねんに支ささえられてきた意味いみの体系たいけいが崩壊ほうかいしたとき、人間にんげんはどうなるのか。「地平線ちへいせんを拭ぬぐい去さったのは我々われわれではなかったか。この大地だいちは今いまや太陽たいようから解とき放はなたれたのではないか。我々われわれはどこへ動うごいているのか。すべての方向ほうこうから離はなれていくのではないか」(第だい125節せつ)。方角ほうがくのわからない海うみに漂ただよう船ふねのような不安ふあんです。

ニーチェNietzscheは遺稿いこうのなかでこう記しるしています。「ニヒリズムNihilismusが戸口とぐちに立たっている。この最もっとも不気味ぶきみな客きゃくはどこから来くるのか」(遺稿いこう、1885〜86年ねん)。ニヒリズムNihilismusとは、最高さいこうの諸価値しょかちが無価値むかちになることです。目的もくてきが欠かけている。「何なんのために?」への答こたえが欠かけている。ニーチェNietzscheはこの事態じたいを避さけるべきものではなく、通過つうかすべきものと見みました。真冬まふゆの畑はたけ。表面ひょうめんはすべて凍こおりついている。けれども凍こおりつくことなしには、春はるの芽吹めぶきも訪おとずれない。ニヒリズムNihilismusを恐おそれて古ふるい価値かちにしがみつくのではなく、その向むこう側がわに新あたらしい価値かちを創造そうぞうすること。それがニーチェNietzscheの求もとめたものでした。

3. 道徳どうとくの系譜学けいふがく:善悪ぜんあくの起源きげんを暴あばく

1887年ねんの『道徳どうとくの系譜学けいふがく』(Zur Genealogie der Moralツア・ゲネアロギー・デア・モラール)は、ニーチェNietzscheの著作ちょさくのなかで最もっとも論証ろんしょうの構造こうぞうが明確めいかくな一冊いっさつです。三みっつの論文ろんぶんから成なり、それぞれが道徳どうとくの起源きげんを異ことなる角度かくどから掘ほり起おこしていきます。

第一だいいち論文ろんぶん「『善ぜんと悪あく』、『良よいと悪わるい』」でニーチェNietzscheは、道徳どうとくの二ふたつの起源きげんを対置たいちします。主人しゅじん道徳どうとく(Herrenmoralヘレンモラール)では、強つよい者ものが自みずからの力ちからと卓越たくえつを「良よい」(gut)と呼よび、それに劣おとるものを「悪わるい」(schlecht)と呼よびます。子こどもが走はしり回まわって「速はやい!」と自分じぶんを誇ほこるような率直そっちょくさ。そこには罪つみの意識いしきはありません。

ところが奴隷どれい道徳どうとく(Sklavenmoralスクラーヴェンモラール)はまったく別べつの仕方しかたで生うまれます。弱者じゃくしゃは強者きょうしゃに勝かてない。その悔くやしさと怒いかりが、行動こうどうに転てんじることなく内部ないぶに蓄積ちくせきされます。これをニーチェNietzscheはルサンチマンressentiment(怨恨えんこん)と呼よびました。ルサンチマンressentimentのなかで、弱者じゃくしゃは価値かちを転倒てんとうさせます。強つよいことは「悪あく」であり、弱よわいことこそ「善ぜん」である、と。謙虚けんきょさ、従順じゅうじゅんさ、同情どうじょう。これらが徳とくとされたのは、弱者じゃくしゃがみずからの弱よわさを正当化せいとうかするためだった、とニーチェNietzscheは論ろんじます。

これは不穏ふおんな主張しゅちょうです。「弱者じゃくしゃへの同情どうじょうは悪あくだ」と読よまれかねない。けれどもニーチェNietzscheの眼目がんもくはそこにはないでしょう。彼かれが問とうているのは、道徳どうとくが自明じめいのものとして受うけ入いれられているとき、その裏側うらがわにはどのような力ちからの配置はいちがあるのか、ということです。近所きんじょづきあいのなかで「いい人ひと」と呼よばれるとき、それは本当ほんとうに相手あいての徳とくを指さしているのか。それとも「従順じゅうじゅんで扱あつかいやすい」という意味いみではないか。ニーチェNietzscheの系譜学けいふがくは、そうした居心地いごこちの悪わるい問といを突つきつけてきます。

第二だいに論文ろんぶん「『負おい目め』、『良心りょうしんの疚やましさ』、およびその類るいのもの」は、罪つみの意識いしきの起源きげんを追おいます。ニーチェNietzscheによれば、「負おい目め」(Schuldシュルト)はもともと経済的けいざいてきな「負債ふさい」(Schuldenシュルデン)から派生はせいした概念がいねんです。債務者さいむしゃが返済へんさいできなければ、債権者さいけんしゃは苦痛くつうを与あたえることで補償ほしょうを得えた。やがて人間にんげんは、自分じぶんの攻撃的こうげきてきな衝動しょうどうを外そとに向むけることができなくなったとき、それを内側うちがわに向むけるようになります。この自己じこへの攻撃こうげきが「良心りょうしんの疚やましさ」(schlechtes Gewissenシュレヒテス・ゲヴィッセン)の起源きげんである、とニーチェNietzscheは論ろんじました。文明化ぶんめいかの過程かていで、人間にんげんは自みずからの獣性じゅうせいを抑圧よくあつし、そのエネルギーを自分じぶん自身に向むけた。罪つみの意識いしきとは、檻おりに入いれられた野生やせい動物どうぶつが自みずからの身体しんたいを傷きずつけるようなものです。

第三だいさん論文ろんぶん「禁欲きんよく主義的しゅぎてき理想りそうは何なにを意味いみするか」は、苦行くぎょうや自己じこ否定ひていをなぜ人間にんげんは求もとめるのかを問といます。禁欲きんよく主義的しゅぎてき理想りそう(asketisches Idealアスケーティッシェス・イデアール)は、修道士しゅうどうしにとっては生せいの否定ひていに意味いみを与あたえるものであり、哲学者てつがくしゃにとっては静穏せいおんな思索しさくの条件じょうけんであり、学者がくしゃにとっては客観性きゃっかんせいという仮面かめんです。ニーチェNietzscheの核心的かくしんてきな洞察どうさつはこうです。人間にんげんは「何なにも欲ほっしない」ことには耐たえられない。無むを欲ほっすることさえ、何なにも欲ほっしないよりはましなのです(Zur Genealogie der Moral, III, §28)。禁欲きんよく主義しゅぎとは、虚無きょむよりも生せいの否定ひていを選えらんだ人間にんげんの最後さいごの砦とりでであった、ということです。

4. 力ちからへの意志いし:支配しはいではなく自己超克じこちょうこく

「力ちからへの意志いし」(der Wille zur Machtデア・ヴィレ・ツア・マハト)。この概念がいねんほど誤読ごどくされたものはないかもしれません。弱肉強食じゃくにくきょうしょくの正当化せいとうか、暴力ぼうりょくの賛美さんび。ナチスNazisがこの概念がいねんを利用りようしたことも、誤解ごかいを深ふかめました。けれどもニーチェNietzscheのテキストに即そくして読よめば、力ちからへの意志いしは他者たしゃへの支配しはいよりも、自己超克じこちょうこく(Selbstüberwindungゼルプストユーバーヴィンドゥング)に重心じゅうしんがあります。

この概念がいねんの背景はいけいには、師しであり仮想かそう敵てきでもあるショーペンハウアーSchopenhauerがいます。ショーペンハウアーSchopenhauerは世界せかいの根底こんていに「生せいへの意志いし」(Wille zum Lebenヴィレ・ツム・レーベン)を見みて、それは盲目もうもくな衝動しょうどうであるがゆえに苦くの源泉げんせんであると論ろんじました。救すくいは意志いしの否定ひていにある、と。ニーチェNietzscheはこの結論けつろんを引ひき受うけませんでした。意志いしの否定ひていではなく、意志いしの方向ほうこうを変かえること。単たんに生いき延のびようとするのではなく、自みずからを超こえようとする力ちから。それが力ちからへの意志いしです。

『ツァラトゥストラZarathustraはこう言いった』第二部「自己超克じこちょうこくについて」でツァラトゥストラZarathustraはこう語かたります。「生せいあるもののあるところ、そこには意志いしもある。だがそれは生せいへの意志いしではなく(中略)力ちからへの意志いしである」("Von der Selbst-Überwindung")。生いきものは自己じこを保存ほぞんするだけでなく、自みずからを超こえようとする。成長せいちょうし、変容へんようし、より大おおきな力ちからを実現じつげんしようとする。庭にわのつるが塀へいを這はい上あがっていくのは、塀へいを支配しはいしたいからではなく、伸のびることそのものが生いきることだからです。

ただし注意ちゅういが必要ひつようです。妹いもうとエリーザベトElisabethが編纂へんさんした遺稿集いこうしゅう『力ちからへの意志いし』(Der Wille zur Macht、1901年ねん初版しょはん)は、ニーチェNietzsche自身じしんが完成かんせいさせた著作ちょさくではありません。断片だんぺんを恣意的しいてきに配列はいれつし、一冊いっさつの体系たいけい書しょに仕立したてたものです。カウフマンKaufmannやコリColli=モンティナーリMontinariによる批判ひはん校訂こうてい版ばんによって、ニーチェNietzscheの本来ほんらいの構想こうそうとの乖離かいりが明あきらかになっています。力ちからへの意志いしを語かたるとき、この文献学的ぶんけんがくてきな事情じじょうは常つねに念頭ねんとうに置おくべきでしょう。

5. 超人ちょうじん:「人間にんげんは克服こくふくされるべきものである」

『ツァラトゥストラZarathustraはこう言いった』(Also sprach Zarathustraアルゾー・シュプラッハ・ツァラトゥストラ、1883〜85年ねん)の冒頭ぼうとう、10年間ねんかんの孤独こどくを経へて山やまを降おりてきたツァラトゥストラZarathustraが、市場いちばの群衆ぐんしゅうにこう告つげます。「わたしはあなたがたに超人ちょうじんを教おしえる。人間にんげんは克服こくふくされるべきものである」("Ich lehre euch den Übermenschen. Der Mensch ist etwas, das überwunden werden soll.")。

超人ちょうじん(Übermenschユーバーメンシュ)は、生物学的せいぶつがくてきな進化しんかの産物さんぶつではありません。人種じんしゅ的な優越ゆうえつとも無関係むかんけいです。神かみが死しんだのちに、みずから価値かちを創造そうぞうし、生せいを丸まるごと引ひき受うけられる者ものの姿すがたです。ツァラトゥストラZarathustraは第一部だいいちぶ「三段さんだんの変化へんか」("Von den drei Verwandlungen")で、精神せいしんが超人ちょうじんへと近ちかづく道筋みちすじを三みっつの比喩ひゆで語かたります。駱駝らくだ(Kamel)は重荷おもにを背負せおい、「汝なんじなすべし」という義務ぎむに耐たえる。獅子しし(Löwe)は「我われ欲ほっす」と吼ほえ、古ふるい価値かちの竜りゅう「汝なんじなすべし」を破壊はかいする。けれども獅子ししは壊こわすことしかできません。新あたらしい価値かちを創つくるのは、幼子おさなご(Kind)の無垢むくです。「幼子おさなごは無垢むくであり忘却ぼうきゃくであり、ひとつの新あたらしい始はじまりである」。砂場すなばで遊あそぶ子こどもの目めのような、まっさらな肯定こうていの力ちから。

ツァラトゥストラZarathustraはその対極たいきょくとして「末人まつじん」(der letzte Menschデア・レツテ・メンシュ)を描えがきます。末人まつじんは快適かいてきさだけを求もとめ、危険きけんを避さけ、「幸福こうふくを発明はつめいした」と言いって瞬まばたきする存在そんざいです。何なににも深ふかく関かかわらず、何なにも賭かけず、穏おだやかに衰退すいたいしていく。群衆ぐんしゅうは超人ちょうじんの話はなしには耳みみを貸かさず、末人まつじんを歓呼かんこで迎むかえました。ニーチェNietzscheが恐おそれたのは、暴力ぼうりょくよりもこの安楽あんらくな衰弱すいじゃくだったのかもしれません。

6. 永遠回帰えいえんかいき:生せいの究極的きゅうきょくてきな肯定こうてい

1881年ねん8月がつ、スイスSchweizのシルス・マリアSils-Maria。湖みずうみのほとりを散歩さんぽしていたニーチェNietzscheは、ひとつの巨大きょだいな岩いわのそばで立たち止どまりました。そこで永遠回帰えいえんかいきの思想しそうが稲妻いなずまのように閃ひらめいたと、遺稿いこうに記しるされています。「人間にんげんと時間じかんの6000フィート彼方かなたにて」という走はしり書がき。山やまの空気くうきと湖面こめんの静しずけさのなかで降おりてきた直観ちょっかんが、のちに『悦よろこばしき知識ちしき』第だい341節せつで言葉ことばになります。

「最大さいだいの重荷おもに」と題だいされたその断章だんしょう。ある夜よる、あなたの最もっとも孤独こどくな孤独こどくのなかに悪魔あくまが忍しのび込こんできて、こう囁ささやくとする。「おまえが今いま生いき、また生いきてきたこの生せいを、おまえはもう一度いちど、そしてなお無数むすうに繰くり返かえし生いきなければならないだろう」。すべての苦痛くつうも喜よろこびも、すべての些細ささいなことも壮大そうだいなことも、寸分すんぶん違たがわず繰くり返かえされる。そのとき、あなたは歯はを食くいしばって悪魔あくまを呪のろうか、それとも「おまえは神かみだ、これほど神々こうごうしいことを聞きいたことがない」と答こたえるか。

永遠回帰えいえんかいき(ewige Wiederkunftエーヴィゲ・ヴィーダークンフト)は、宇宙論うちゅうろんの仮説かせつなのか、倫理的りんりてきな思考しこう実験じっけんなのか。研究者けんきゅうしゃのあいだでも見解けんかいは分わかれています。けれどもこの問といの鋭するどさは、解釈かいしゃくの相違そういを超こえて胸むねに迫せまります。いまのこの生せいを、変更へんこうなしに、もう一度いちど引ひき受うけることができるか。あの朝あさの口論こうろんも。あの雨あめの午後ごごの退屈たいくつも。あの失敗しっぱいも、あの後悔こうかいも。すべてをふくめて「然しかり」と言いえるか。

この肯定こうていを、ニーチェNietzscheは運命愛うんめいあい(amor fatiアモル・ファーティー)と呼よびました。「わたしの方程式ほうていしきは、あるがままのものを必然ひつぜんとして肯定こうていすること──ただ耐たえるだけでなく(中略)愛あいすること」(『この人ひとを見みよ』「なぜわたしはこれほど賢明けんめいなのか」第10節せつ)。運命うんめいに耐たえるのではない。受うけ入いれるだけでもない。愛あいする。この飛躍ひやくに、ニーチェNietzsche哲学てつがくのもっとも過激かげきな核かくがあります。

主要しゅよう著作ちょさくガイド

  • 『悲劇ひげきの誕生たんじょう』(Die Geburt der Tragödie、1872年ねん):処女作しょじょさく。アポロンApollon的なものとディオニュソスDionysos的なものの対ついでギリシャGriechisch悲劇ひげきの本質ほんしつを論ろんじた挑発的ちょうはつてきな一冊いっさつです。文献学ぶんけんがくの作法さほうを逸脱いつだつしており、専門家せんもんかからは激はげしく批判ひはんされましたが、芸術げいじゅつによる生せいの肯定こうていという主題しゅだいは生涯しょうがいを貫つらぬきます。邦訳ほうやく:秋山あきやま英夫ひでお訳やく、岩波文庫いわなみぶんこ。
  • 『悦よろこばしき知識ちしき』(Die fröhliche Wissenschaft、1882年ねん):「神かみは死しんだ」(第だい125節せつ)と永遠回帰えいえんかいき(第だい341節せつ)がともに登場とうじょうする要かなめの著作ちょさくです。箴言しんげん形式けいしきで書かかれ、軽かるやかな筆致ひっちのなかに鋭利えいりな刃やいばがひそんでいます。邦訳ほうやく:村井むらい則夫のりお訳やく、河出文庫かわでぶんこ。
  • 『ツァラトゥストラZarathustraはこう言いった』(Also sprach Zarathustra、1883〜85年ねん):ニーチェNietzscheが自みずからの最高さいこう傑作けっさくとみなした哲学てつがく小説しょうせつです。預言者よげんしゃツァラトゥストラZarathustraの放浪ほうろうと説教せっきょうを通つうじて、超人ちょうじん・永遠回帰えいえんかいき・力ちからへの意志いしが物語ものがたりとして展開てんかいされます。詩しと散文さんぶんのあいだを行いき来きする独特どくとくの文体ぶんたい。難解なんかいですが、声こえに出だして読よむとリズムの美うつくしさが伝つたわります。邦訳ほうやく:氷上ひかみ英廣ひでひろ訳やく、岩波文庫いわなみぶんこ。
  • 『善悪ぜんあくの彼岸ひがん』(Jenseits von Gut und Böse、1886年ねん):ツァラトゥストラZarathustraの思想しそうを散文さんぶんで展開てんかいした論集ろんしゅうです。哲学者てつがくしゃの偏見へんけん、道徳どうとくの自然史しぜんし、民族みんぞくと祖国そこくの問題もんだいなどを切きれ味あじ鋭するどく論ろんじています。邦訳ほうやく:中山なかやま元げん訳やく、光文社こうぶんしゃ古典こてん新訳しんやく文庫ぶんこ。
  • 『道徳どうとくの系譜学けいふがく』(Zur Genealogie der Moral、1887年ねん):ニーチェNietzscheの著作ちょさくのなかで最もっとも体系的たいけいてきに論証ろんしょうが展開てんかいされており、学術的がくじゅつてきな入門にゅうもんにも適てきしています。邦訳ほうやく:中山なかやま元げん訳やく、光文社こうぶんしゃ古典こてん新訳しんやく文庫ぶんこ。
  • 『この人ひとを見みよ』(Ecce Homo、執筆しっぴつ1888年ねん、刊行かんこう1908年ねん):自伝じでんと自己じこ注釈ちゅうしゃく。「なぜわたしはこれほど賢明けんめいなのか」「なぜわたしはこれほど良よい本ほんを書かくのか」など、挑発的ちょうはつてきな章しょう題だいが並ならびます。誇大こだい妄想もうそうの兆候ちょうこうか、深ふかい自己認識じこにんしきか。その境界きょうかいを読者どくしゃは自分じぶんで判断はんだんしなければなりません。

主要しゅような批判ひはんと論争ろんそう

ニーチェNietzscheの思想しそうをめぐる最大さいだいの論争ろんそうは、ナチスNazisによる政治的せいじてき利用りようです。妹いもうとエリーザベトElisabeth・フェルスターFörster=ニーチェNietzscheは、反はんユダヤ主義者しゅぎしゃの夫おっとベルンハルトBernhard・フェルスターFörsterの思想しそう的方向ほうこうに沿そうよう遺稿いこうを編集へんしゅうし、ニーチェNietzsche文庫ぶんこをナチ党とうに接近せっきんさせました。ヒトラーHitlerは1934年ねんにニーチェNietzsche文庫ぶんこを訪問ほうもんし、エリーザベトElisabethと並ならんで写真しゃしんに収おさまっています。けれどもニーチェNietzsche自身じしんは、反はんユダヤ主義しゅぎを繰くり返かえし嫌悪けんおしており、ドイツDeutsch国粋こくすい主義しゅぎをも辛辣しんらつに批判ひはんしていました。反はんユダヤ主義しゅぎの出版人しゅっぱんにんテオドールTheodor・フリッチュFritschに宛あてた1887年ねん3月がつ23日にち付づけの書簡しょかんでは、反はんユダヤ主義者しゅぎしゃへの嫌悪けんおを隠かくしていません。『この人ひとを見みよ』でも「反はんユダヤ主義者しゅぎしゃに対たいしては容赦ようしゃしない」と明言めいげんしています(Ecce Homo, "Warum ich so gute Bücher schreibe", §1)。戦後せんごの研究けんきゅう、とりわけウォルターWalter・カウフマンKaufmannの仕事しごと(Nietzsche: Philosopher, Psychologist, Antichrist, 1950)がこの歪曲わいきょくを正ただしました。

マルティンMartin・ハイデガーHeideggerは、ニーチェNietzscheを西洋せいよう形而上学けいじじょうがくの完成者かんせいしゃとして解釈かいしゃくしました(『ニーチェNietzsche』全二巻、1961年ねん)。力ちからへの意志いしは存在者そんざいしゃの存在そんざいについての最後さいごの形而上学的けいじじょうがくてき命名めいめいであり、ニーチェNietzscheは形而上学けいじじょうがくを克服こくふくしたのではなく、その極限きょくげんを体現たいげんした、と。この読解どっかいは強力きょうりょくですが、ニーチェNietzscheをハイデガーHeideggerの枠組わくぐみに押おし込こみすぎているという批判ひはんもあります。

フェミニズムfeminismからの批判ひはんも避さけられません。ニーチェNietzscheのテキストには女性じょせい蔑視べっしと読よめる箇所かしょがいくつもあります。「女おんなのもとへ行いくのか? 鞭むちを忘わすれるな」(『ツァラトゥストラ』第一部「老おいた女おんなと若わかい女おんな」)。この発言はつげんが物語ものがたりのなかの老女ろうじょの台詞せりふであること、ニーチェNietzscheの女性じょせいにかんする記述きじゅつには矛盾むじゅんや多層性たそうせいがあることを考慮こうりょしても、なお問題もんだいは残のこります。思想しそうの鋭するどさと偏見へんけんの深ふかさは、ひとりの人間にんげんのなかに共存きょうぞんしうるものです。

分析ぶんせき哲学てつがくの伝統でんとうからは、ニーチェNietzscheの論証ろんしょうの厳密げんみつさに疑問ぎもんが呈ていされることがあります。箴言しんげん、比喩ひゆ、挑発ちょうはつ、誇張こちょう。論理ろんりの連鎖れんさというよりも、直観ちょっかんの閃ひらめきの連つらなり。それをどう評価ひょうかするかは、哲学てつがくに何なにを求もとめるかによって変かわるでしょう。

影響えいきょうと遺産いさん

20世紀せいきの思想しそう地図ちずで、ニーチェNietzscheに触ふれていない場所ばしょを探さがす方ほうが難むずかしいかもしれません。実存じつぞん主義しゅぎ。ヤスパースJaspersはニーチェNietzscheを限界げんかい状況じょうきょうの思想家しそうかとして読よみ、ハイデガーHeideggerは形而上学けいじじょうがくの完成者かんせいしゃとして対決たいけつしました。サルトルSartreの「実存じつぞんは本質ほんしつに先立さきだつ」は、ニーチェNietzscheの価値かち創造そうぞうの系譜けいふに連つらなります。カミュCamusの『シーシュポスSisypheの神話しんわ』が問とうた「不条理ふじょうりにおける反抗はんこう」も、ニーチェNietzscheなしには考かんがえられない主題しゅだいです。

フランスFranceのポストpost構造こうぞう主義しゅぎにとって、ニーチェNietzscheは決定的けっていてきな源泉げんせんでした。ミシェルMichel・フーコーFoucaultの系譜学けいふがく(権力けんりょくと知ちの関係かんけいの分析ぶんせき)は、ニーチェNietzscheの道徳どうとくの系譜学けいふがくを直接ちょくせつの方法論的ほうほうろんてき範はんとしています。ジルGilles・ドゥルーズDeleuzeはニーチェNietzscheの力ちからの概念がいねんを独自どくじに展開てんかいし、ジャックJacques・デリダDerridaはニーチェNietzscheの文体ぶんたいそのものに脱構築だつこうちくの萌芽ほうがを見みました。

心理学しんりがくの分野ぶんやでは、ジークムントSigmund・フロイトFreudがニーチェNietzscheに対たいして微妙びみょうな距離きょりを保たもちつつも、無意識むいしきの衝動しょうどうや抑圧よくあつの機制きせいについてニーチェNietzscheが先取さきどりしていたことを認みとめています。良心りょうしんの疚やましさを自みずからへの攻撃こうげき衝動しょうどうの内向化ないこうかと見みる『道徳どうとくの系譜学けいふがく』第二だいに論文ろんぶんの分析ぶんせきは、フロイトFreudの超自我ちょうじが(Über-Ichユーバー・イッヒ)理論りろんと驚おどろくほど重かさなります。アルフレートAlfred・アードラーAdlerの「権力けんりょくへの意志いし」概念がいねんは、名前なまえからしてニーチェNietzscheからの借用しゃくようです。

文学ぶんがくではトーマスThomas・マンMannが繰くり返かえしニーチェNietzscheに立たち返かえりました。『ヴェネツィアVenedigに死しす』のなかのアポロンApollon的秩序ちつじょとディオニュソスDionysos的陶酔とうすいの相克そうこくは、『悲劇ひげきの誕生たんじょう』の変奏へんそうと読よめます。リルケRilke、イェイツYeats、ヘルマンHermann・ヘッセHesseにも深ふかい影響えいきょうを与あたえています。音楽おんがくではリヒャルトRichard・シュトラウスStraussの交響詩こうきょうし『ツァラトゥストラZarathustraはかく語かたりき』(1896年ねん)が広ひろく知しられ、グスタフGustav・マーラーMahlerの交響曲こうきょうきょく第三番だいさんばん(1896年ねん)第四だいよん楽章がくしょうは『ツァラトゥストラ』の「酔歌すいか」にテキストを取とっています。哲学てつがくの枠わくをはるかに超こえて、ニーチェNietzscheの言葉ことばと問といは20世紀せいきの文化ぶんか全体ぜんたいに浸透しんとうしています。

現代げんだいへの接続せつぞく

日曜日にちようびの朝あさ、教会きょうかいに行いかなくなった人ひとは、何なにを拠より所どころにして生いきているのでしょうか。宗教しゅうきょうが日常にちじょうの行動こうどう規範きはんを提供ていきょうしていた時代じだいは過すぎつつあります。それに代かわるものとして、個人こじんの自由じゆうと選択せんたくが掲かかげられる。けれどもその自由じゆうは、ときに果はてしない迷まよいになる。何なにを食たべるか、何なにを着きるか、誰だれと暮くらすか。選択肢せんたくしは増ふえたのに、選えらぶための基準きじゅんが見みつからない。ニーチェNietzscheが予告よこくしたニヒリズムNihilismusは、劇的げきてきな破局はきょくとしてではなく、静しずかな倦怠けんたいとして訪おとずれているのかもしれません。

「畜群ちくぐん道徳どうとく」(Herdenmoralヘルデンモラール)という概念がいねんもまた、日常にちじょうのなかに息いきづいています。周囲しゅういと同おなじであることを求もとめる圧力あつりょく。出でる杭くいは打うたれる。職場しょくばの空気くうきを読よみ、学校がっこうでは浮うかないように振ふる舞まう。ニーチェNietzscheは、こうした同調どうちょうの力学りきがくのなかに、生せいの衰弱すいじゃくを見みていました。自分じぶん自身であることの勇気ゆうきを手放てばなして、群むれのなかに紛まぎれる。それは安全あんぜんかもしれないが、生いきているといえるのか。

自己超克じこちょうこくという主題しゅだいは、日々ひびの暮くらしのなかにも静しずかに響ひびいています。昨日きのうの自分じぶんを超こえること。他人たにんを負まかすのではなく、自分じぶん自身の惰性だせいに抗あらがうこと。朝あさ、布団ふとんから出でるのが辛つらい冬ふゆの日ひに、それでも起おき上あがること。子こどもが昨日きのうは跳とべなかった跳とび箱ばこを今日きょう跳とぶとき、そこに小ちいさな超克ちょうこくがある。ニーチェNietzscheの思想しそうは、壮大そうだいな体系たいけいというよりも、ひとりひとりの生せいの只中ただなかに投なげ込こまれた問といなのでしょう。

読者どくしゃへの問とい

  • あなたの生せいが永遠えいえんに繰くり返かえされるとしたら、いまのこの一日いちにちを、変かえずにもう一度いちど引ひき受うけることができるか。
  • あなたが「善ぜんい」と信しんじている行動こうどうのなかに、ルサンチマンressentiment(誰だれかへの怨恨えんこんの裏返うらがえし)はひそんでいないか。
  • 周囲しゅういと同おなじであることの安心あんしんと、自分じぶん自身であることの孤独こどく。あなたはどちらを選えらぶか。その選択せんたくを、自分じぶんで引ひき受うける覚悟かくごはあるか。

名言めいげん(出典しゅってんつき)

「神かみは死しんだ。神かみは死しんだままだ。そして我々われわれが殺ころしたのだ」 出典しゅってん:フリードリヒFriedrich・ニーチェNietzsche『悦よろこばしき知識ちしき』第だい125節せつ/原文げんぶん:"Gott ist todt! Gott bleibt todt! Und wir haben ihn getödtet!"

無神論むしんろんの歓喜かんきではなく、価値かちの土台どだいが崩くずれたことへの戦慄せんりつ。市場いちばで叫さけぶ狂人きょうじんの声こえは、誰だれにも聞きき届とどけられませんでした。

「わたしを殺ころさないものは、わたしを強つよくする」 出典しゅってん:フリードリヒFriedrich・ニーチェNietzsche『偶像ぐうぞうの黄昏たそがれ』「箴言しんげんと矢や」第だい8節せつ/原文げんぶん:"Was mich nicht umbringt, macht mich stärker."

苦難くなんを美化びかしているのではありません。苦痛くつうを経へたのちにもなお立たっている者もののなかには、以前いぜんにはなかった力ちからが宿やどる。ただし、殺ころされてしまう者ものもいるということを、ニーチェNietzscheは承知しょうちしていたはずです。

「怪物かいぶつと闘たたかう者ものは、その過程かていで自みずからも怪物かいぶつにならぬよう気きをつけよ。深淵しんえんをのぞくとき、深淵しんえんもまたこちらをのぞいているのだ」 出典しゅってん:フリードリヒFriedrich・ニーチェNietzsche『善悪ぜんあくの彼岸ひがん』第だい146節せつ/原文げんぶん:"Wer mit Ungeheuern kämpft, mag zusehn, dass er nicht dabei zum Ungeheuer wird. Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein."

悪あくと向むき合あうことの代償だいしょうへの警告けいこくです。正義せいぎのために戦たたかう者ものが、いつしか自みずからの内うちに暴力ぼうりょくを宿やどしてしまうこと。ニーチェNietzscheの箴言しんげんのなかでも、もっとも広ひろく引ひかれる一節いっせつです。

参考さんこう文献ぶんけん

  • (原典げんてん・独語どくご):Friedrich Nietzsche, Sämtliche Werke: Kritische Studienausgabe (KSA), hrsg. von Giorgio Colli und Mazzino Montinari, 15 Bde., de Gruyter, 1980.(標準ひょうじゅん批判ひはん校訂こうてい版ばん)
  • (原典げんてん・邦訳ほうやく):ニーチェNietzsche『ツァラトゥストラZarathustraはこう言いった』氷上ひかみ英廣ひでひろ訳やく、岩波文庫いわなみぶんこ。
  • (原典げんてん・邦訳ほうやく):ニーチェNietzsche『道徳どうとくの系譜学けいふがく』中山なかやま元げん訳やく、光文社こうぶんしゃ古典こてん新訳しんやく文庫ぶんこ。
  • (原典げんてん・邦訳ほうやく):ニーチェNietzsche『善悪ぜんあくの彼岸ひがん』中山なかやま元げん訳やく、光文社こうぶんしゃ古典こてん新訳しんやく文庫ぶんこ。
  • (研究書けんきゅうしょ):Walter Kaufmann, Nietzsche: Philosopher, Psychologist, Antichrist, 4th ed., Princeton University Press, 1974.(戦後せんごのニーチェNietzsche再評価さいひょうかの基礎きそを築きずいた古典こてん)
  • (研究書けんきゅうしょ):Maudemarie Clark, Nietzsche on Truth and Philosophy, Cambridge University Press, 1990.
  • (研究書けんきゅうしょ・邦語ほうご):須藤すどう訓任くにひろ『ニーチェNietzsche──〈永劫回帰えいごうかいき〉という迷宮めいきゅう』講談社こうだんしゃ選書せんしょメチエ。
  • (伝記でんき):Rüdiger Safranski, Nietzsche: Biographie seines Denkens, Carl Hanser Verlag, 2000.(邦訳ほうやく:山本やまもと尤たかし訳やく『ニーチェNietzsche──その思考しこうの伝記でんき』法政大学ほうせいだいがく出版局しゅっぱんきょく)
  • (補助ほじょウェブweb資料しりょう):"Friedrich Nietzsche", Stanford Encyclopedia of Philosophy.