1619年11月10日、ドイツ南部のどこか。23歳の青年が、暖炉で温めた小部屋(poêle)に閉じこもっている。外は三十年戦争の最中。ヨーロッパは宗教と権力の名のもとに燃えていた。その夜、彼は三つの夢を見る。嵐に翻弄される夢、雷鳴の夢、そして辞書と詩集が並ぶ夢。目が覚めたとき、ルネ・デカルトは確信した。全ての学問を統一する方法がある、と。
大袈裟な話ではない。この青年は本当にやった。18年後に匿名で出版した『方法序説』(Discours de la méthode, 1637)は、感覚を信じるな、権威を信じるな、自分の記憶すら信じるな、と宣言する。二千年分の哲学の蓄積を、一人の人間が白紙に戻そうとした。その暴挙がなければ、近代科学も近代哲学も、おそらく今の形では存在しない。
だがデカルトは、自分で壊したものを最後まで修復しきれなかった。心と身体を二つに裂いた傷口は、400年経った今もまだ塞がっていない。私たちは日々、デカルトが開けた裂け目のなかで暮らしている。
この記事の要点
- 方法的懐疑(doute méthodique):感覚・記憶・数学的真理さえも疑い尽くすことで、絶対に疑えない一点を探す。哲学を更地にしてから建て直す、という前代未聞の企て。
- コギト(我思う、ゆえに我あり):「疑っている自分」は疑えない。この一点から哲学の全体系を演繹しようとした。主観を出発点に据えたことで、近代哲学そのものが始まる。
- 心身二元論(dualisme):精神(思うもの)と物体(延長するもの)は本質が異なる二つの実体。近代科学に自然を数学で記述する許可証を与えたが、「心はどこにあるのか」という難問を永久に残した。
生涯と時代背景
ルネ・デカルトは1596年3月31日、フランス中部トゥレーヌ地方のラ・エーに生まれた。法服貴族の家系。母は彼が1歳のときに亡くなった。生涯、身体が弱く、朝は寝床で思索するのが習慣だった。ラ・フレーシュのイエズス会学院で最良の教育を受けるが、卒業時に抱いた感想は「数学以外、確実な知識は何ひとつ得られなかった」。当時の最高学府でそう感じた人間が、学問そのものを作り直そうとしたのだから、動機は痛切だった。
1616年、ポワティエ大学で法学の学位を取り、父親の期待には応えた。だが法曹にはならなかった。1618年、志願兵としてオランダへ渡る。戦場で何をしたかより、自然哲学者イザーク・ベークマンとの出会いが大きかった。物理現象を数学で記述できるという手応え。翌年の「炉部屋の夢」を経て、彼は放浪の旅に出る。イタリア、ドイツ、フランス。そして1629年、当時ヨーロッパで最も自由な空気が流れていたオランダに定住。20年間にわたり、住所を頻繁に変えながら執筆に没頭した。人に会いたくなかったのだ。
私生活では、召使いの女性ヘレナ・ヤンスとのあいだに娘フランシーヌが生まれた(1635年)。しかしフランシーヌは5歳で猩紅熱により死去。デカルトはこれを「生涯最大の悲嘆」と呼んだと伝えられる(バイエ『デカルト伝』)。心身を分離した哲学者が、子を失う悲しみには引き裂かれた。理論と生きた身体のあいだの溝は、彼自身の人生のなかにもあった。
1633年、転機が訪れる。ガリレオの有罪判決。地動説を支持する自らの自然学の著作『世界論』(Le Monde)を、デカルトは出版直前で引っ込めた。恐怖。慎重さ。あるいはその両方。代わりに4年後、匿名で、しかもラテン語ではなくフランス語で『方法序説』を出した。学者だけでなく、普通の読み書きができる人間に読ませたかった。哲学を大学の外に持ち出す賭けだった。
晩年には、プファルツ選帝侯の娘エリザベト王女との書簡交換が始まる(1643年〜)。彼女は心身二元論の急所を正確に突いた。「延長をもたない精神が、どうやって延長をもつ身体を動かすのですか?」。デカルトは最後まで満足な回答を返せなかった。この往復書簡は、生産的な「敗北の記録」だ。
1649年、スウェーデン女王クリスティーナの招聘でストックホルムへ。早朝5時の哲学講義を命じられる。朝寝坊の哲学者に北欧の冬は過酷だった。1650年2月11日、肺炎で死去。53歳。
ミニ年表
- 1596年:フランス・ラ・エーに生まれる
- 1607年頃:ラ・フレーシュのイエズス会学院に入学
- 1616年:ポワティエ大学で法学の学位を取得
- 1618年:オランダでベークマンと出会う
- 1619年:「炉部屋の三つの夢」。学問統一の着想
- 1629年:オランダに定住、執筆活動に専念
- 1633年:ガリレオ裁判を受け『世界論』の出版を断念
- 1637年:『方法序説』刊行(フランス語・匿名)
- 1641年:『省察』(Meditationes)刊行。六組の「反論と答弁」付き(翌年の第二版で第七が追加)
- 1643年:エリザベト王女との書簡交換開始(心身問題の追究)
- 1644年:『哲学原理』(Principia Philosophiae)刊行
- 1649年:スウェーデン女王クリスティーナの招きで渡航。『情念論』(Les Passions de l'âme)刊行
- 1650年:ストックホルムにて肺炎で死去(53歳)
この哲学者は何を問うたのか
確実なものは何か。
素朴な問いに聞こえるかもしれない。しかしデカルト以前の西洋哲学は、確実性の土台そのものを疑うことをしなかった。アリストテレスの論理学、スコラ哲学の権威、感覚経験の信頼性。これらは前提であって、検証対象ではなかった。
具体的に見てみよう。アリストテレスの自然学では、石が落ちるのは「重いものは自然な場所=地の中心を求めるから」だった。植物が育つのは「栄養魂」が宿るから。火が燃えるのは物質に「火の性質」があるから。目的や性質を自然そのものに読み込む説明は、一見もっともらしいが、何も予測しない。「なぜ石は落ちるのか」→「重いから」→「なぜ重いのか」→「地の性質を持つから」。問いが言い換えで回るだけだ。デカルトはこの循環に我慢がならなかった。説明が説明になっていないなら、いっそ全部捨てて最初からやり直すしかない。
デカルトはそれをひっくり返した。前提こそ検証しろ。土台が腐っていたら、その上に何を積んでも無駄だ。一度すべてを壊して、絶対に壊れない岩盤を探せ。その岩盤の上にだけ建てろ。建築の比喩はデカルト自身のものだ(『省察』第一省察)。
何が変わったか。「世界とは何か」ではなく「私は何を確実に知れるか」が哲学の出発点になった。存在論(ontology)から認識論(epistemology)への重心移動。この一歩が近代哲学をつくった。
そのための道具が「方法の四規則」だ(『方法序説』第二部)。(1)明証的に真と認めたもの以外は受け入れるな。(2)問題をできる限り小さな部分に分割せよ。(3)最も単純なものから始め、段階的に複雑なものへ進め。(4)見落としがないか全体を見渡せ。数学の証明手順を哲学に移植した、と言ってもいい。
たとえば「人間は幸福を求める」という命題を考えてみよう。第一規則:それは明証的か? 「幸福」の定義が曖昧なまま受け入れてはいけない。第二規則:問題を分割せよ。「幸福」を快楽・安定・自己実現・他者からの承認……と要素に分解する。第三規則:最も単純な要素から検討し、順序立てて複合へ進む。第四規則:見落としがないか確認する。──当たり前に聞こえるだろうか。だが17世紀の大学では、哲学の問題はアリストテレスの権威を引用して解くものだった。分析ではなく引用。デカルトは引用を禁じて分析だけで勝負しろと言った。哲学のルールそのものを書き換えたのだ。
核心理論
1. 方法的懐疑:解体のプロセス
『省察』第一省察でデカルトは、自分がこれまで真と信じてきたものを三段階で壊していく。
第一に、感覚の欺き。遠くの塔は丸く見えるが実際は四角い。水に浸けた棒は曲がって見える。感覚は過去に騙してきた。ならば全面的に信用する根拠はない。──とはいえ、とデカルトは立ち止まる。今ここに座り、暖炉の前で紙を手にしている自分を疑うのは狂人の所業ではないか(AT VII, 18–19)。感覚の誤りは小さなものや遠いものに限られるのでは?
第二に、夢の論証がこの安心を崩す。夢を見ているときも、自分は暖炉の前にいると確信していた。夢と覚醒を区別する決定的な基準がない。ただしデカルトは認める──夢のなかですら、三角形の内角の和や算術の真理は変わらないように見える、と。感覚的なものは疑えても、数学は夢の論証では倒れない。最後の砦を崩すには、さらに強力な仮説が要る。
第三に、欺く神の仮説(Deus deceptor)。もし全能の神が私を欺いていて、2+3=5という計算さえ誤らせているとしたら? 数学的真理すら疑わしくなる。デカルトはさらに、神の代わりに「きわめて狡猾な悪霊」(genius malignus)を想定する。神が善であるかもしれない可能性を排除するための装置だ。この悪霊は全力で私を欺いている──そう仮定しても崩れないものを、探す。
何も残らない。焼け野原。──だがデカルトは、まさにそれを望んでいた。
2. コギト:廃墟のなかの一点
『省察』第二省察は、アルキメデスの比喩で幕を開ける。「アルキメデスは地球全体を動かすために、確固として不動の一点だけを求めた」(AT VII, 24)。すべてを疑い尽くした果てに、その一点が現れる。「疑っている私」の存在そのもの。
『省察』での定式は「私はある、私は存在する」(Ego sum, ego existo, AT VII, 25)。よく知られた「我思う、ゆえに我あり」(Je pense, donc je suis / Ego cogito, ergo sum)は『方法序説』と『哲学原理』の表現であり、両者のニュアンスは微妙に異なる。『省察』のほうが端的だ。推論の形をとらず、「ある」と直接断言する。悪霊がいくら騙そうとしても、騙されている当の私は存在していなければならない。欺かれるには、欺かれる主体が要る。
ただしコギトは三段論法ではない。「考えるものは存在する。私は考える。ゆえに私は存在する」という推論ではない。疑うという行為のさなかに、自分の存在が直接手に触れる。論証の帰結ではなく、思考の渦中で起きる事件。
ただし、ここで確認されたのは「思うもの」としての自己だけだ。身体を持つ自分、世界のなかにいる自分は、まだ取り戻されていない。
『省察』第二省察には有名な「蜜蝋の分析」がある。暖炉のそばに蜜蝋を置く。はじめは固く、蜂蜜の甘い香りがし、指で叩けば音がする。火に近づけると、色も形も匂いも質感もすべて変わる。感覚の属性が一切消えても、「同じ蜜蝋だ」と私は判断する。ということは、蜜蝋を蜜蝋として捉えているのは感覚ではなく知性(intellectus)だ。物体を知る営みそのものが、精神の働きだった。外の世界を掴もうとするほど、手は自分自身のほうを向く。
3. 明晰判明の規則
コギトが確実である理由を分析すると、それが「明晰かつ判明に」(clare et distincte)知覚されたからだ、とデカルトは言う。明晰(clarus)とは、意識に対して開かれ鮮明に現前していること。ちょうど目の前にある対象をはっきり見ているような状態だ。判明(distinctus)とは、他のものと混同されない輪郭を持つこと。痛みは明晰(確かに感じている)だが判明ではない(原因や構造がぼんやりしている)。数学的真理は両方を満たす。
ここから一般規則が導かれる。「私がきわめて明晰かつ判明に知覚するものはすべて真である」(『省察』第三省察、AT VII, 35)。これがデカルトの真理基準であり、彼の体系全体の蝶番にあたる。後に見るように、この基準は循環論法の疑いを招くことになる。
ここで見逃せないのは、何が明晰判明であるかを判定するのが、他ならぬ「私」の知性だということだ。権威でも伝統でも投票でもない。近代的な主体の自律はここから芽吹く。だが裏を返せば、「明晰判明だと思い込んでいるだけではないか」という疑念が、つねにこの規則につきまとう。
4. 神の存在証明:再建のための足場
コギトだけでは世界は取り戻せない。外部世界の存在を保証するために、デカルトは神を持ち出す。
『省察』第三省察でデカルトはまず、自分のなかにある観念を三種に分ける。生まれつき備わる「生得観念」(ideae innatae)、外から来る「外来観念」(adventitiae)、自分で作り上げた「虚構観念」(a me ipso factae)。問題は、「無限で完全な存在」の観念がどこに属するかだ。有限な私がこの観念を自力で産み出すことはできない。原因は結果と同等かそれ以上の実在性を持たねばならない(因果原理)。ゆえに、この観念の原因として、無限で完全な存在者──神──が実在する。
完全な神は欺かない。ゆえに、明晰判明に知覚されるものは真である、という規則に神が保証を与える。これが「誠実な神」の理論(veracitas Dei)。壊した世界を元に戻すための接着剤が神だった。
では誠実な神がいるのに、なぜ人間は誤るのか。『省察』第四省察でデカルトは、誤謬の原因を知性と意志の不均衡に求める。知性は有限だが、意志は無限に広い。明晰に把握していないものにまで意志が同意を与えるとき、私たちは誤る。神の責任ではなく、人間の意志の濫用だ、と。
さらに『省察』第五省察では、いわゆる存在論的証明が加わる。三角形の観念には「内角の和が二直角」という性質が含まれるように、「最も完全な存在者」の観念には「存在する」という性質が含まれる。完全なのに存在しない、というのは矛盾だ、と。この論法は中世のアンセルムスに遡り、のちにカントが「存在は述語ではない」と批判することになる。
ここがデカルト哲学の最も脆い箇所だ。同時代の神学者アルノーが即座に見抜いた循環(「デカルトの循環」、第四反論、AT VII, 214)。明晰判明な知覚が真であるのは神が保証するから。神が存在するのは明晰判明に知覚されるから。回っている。
5. 心身二元論:世界を二つに割る
『省察』第六省察で、デカルトはようやく外部世界を取り戻す。誠実な神が保証する以上、感覚が私に強く信じさせる物体の存在を全面的に否定する理由はない。同時にこの省察で論証されるのが、精神と身体の「実在的区別」(distinctio realis)だ。私は精神を身体なしに明晰判明に思い描ける。身体も精神なしに思い描ける。神は明晰判明に区別されるものを別々に存在させうる。ゆえに両者は別の実体だ(AT VII, 78)。
思う実体(res cogitans)と延長する実体(res extensa)。精神は空間を占めない。物体は考えない。両者は属性を共有しない。
この分離が近代科学に与えた恩恵は明らかだ。物体は延長(長さ・幅・奥行き)しか持たないのだから、自然は数学で完全に記述できる。色も音も匂いも、物体の側にはない。すべて精神の側の現象。自然から主観を剥ぎ取ったことで、物理学は走り出せた。
だがデカルト自身も気づいている。精神は身体のなかに「船の中の船乗り」のように乗っているのではない。両者は密接に混ざり合い、「いわば一つのものを構成している」(AT VII, 81)。指を切ればただ船の損傷を知覚するようにではなく、痛みとして感じる。この一節は、二元論の内部から漏れ出る正直な困惑だ。二つの実体が「一つ」であるとは、どういう意味か。
ここから難問が噴出する。心と身体がまったく別の実体なら、なぜ指を切ると痛いのか。なぜ恐怖を感じると心臓が速く鳴るのか。空間を占めないものが、どうやって空間的なものに作用する?
この難問を最も鋭く突いたのが、前述のエリザベト王女だ。1643年5月の書簡で彼女は問う。延長をもたない精神が物体に力を及ぼすなら、何らかの接触がなければならない。しかし接触には面が要る。面は延長の属性だ。つまり、精神が身体を動かす瞬間に、二元論は破綻する。
デカルトの回答は松果体(glande pinéale)。脳の中心にある小さな器官で、心と身体が相互作用する場所だ、と(『情念論』第31–32項)。松果体を選んだのは、脳のなかで唯一対をなさない器官だからだ。左右に分かれていない器官こそ、統一された精神の座にふさわしい、と彼は考えた。だがこの説明は、問題を一歩先送りしただけだ。松果体のなかで何が起きているのか、と問えば同じ謎が繰り返される。エリザベトは満足しなかった。彼女の問いは、今日の心の哲学においてもなお未解決のまま残っている。
6. 機械論的自然観:動物は機械である
物体が延長のみなら、動物の身体も精巧な機械にすぎない。デカルトは動物には精神がないとした。犬が悲しそうに鳴くのは、時計のゼンマイが音を立てるのと原理的に同じだ、と。
デカルトは机上の理論家ではなかった。アムステルダムの肉屋から動物の死体を買い、自ら解剖した。心臓の構造、筋肉の動き、眼球の光学。ウィリアム・ハーヴィが発見した血液循環を受け入れたが、心臓の仕組みについては意見が割れた。ハーヴィは心臓を血液を押し出すポンプと考えた(正しい)。デカルトは心臓を血液を加熱・膨張させる炉と考えた(間違い)。だがこの失敗は無駄ではない。機械論の方針は正しくても、個別の説明には実験による検証が要る。「自然を機械として見ろ」は出発点であって、到達点ではなかった。近代科学が必要としたのは、デカルトの方針とニュートンの方法(数学的定式化+実験検証)の両方だった。
これは残酷な帰結に見える。だが同時に、生命現象を物理法則で説明する道を開いた。血液循環、反射運動、神経の伝達。たとえばデカルトは、手が火に触れたとき反射的に引っ込める動作を、魂ではなく神経の管を通る「動物精気」(esprits animaux)の流れで説明した。今日の反射弓の概念に通じる発想だ。デカルトの機械論は、生理学と医学が迷信から離れるためのきっかけになった。
天体にも機械論は適用された。デカルトは真空を認めなかったため、宇宙は微細な物質で満たされ、渦(トゥルビヨン)の運動が惑星を運ぶと考えた(渦動説)。この理論はニュートンの万有引力によって退場するが、「自然現象を物質の運動だけで説明する」という方針そのものは近代物理学に受け継がれた。
人間の身体も機械。ただし人間だけが精神を持つ。言語を操り、新しい状況に創造的に対応できること。これが人間と動物を分ける、とデカルトは考えた。400年後の今、AIが言語を操り始めた。この線引きは、まだ有効だろうか。
主要著作ガイド
- 『方法序説』(Discours de la méthode, 1637):全6部の知的自伝。第1部で学問への幻滅を語り、第2部で方法の四規則を提示、第4部で方法的懐疑とコギトを展開し、第5部で物理学の要約(血液循環や動物機械論を含む)、第6部で出版の理由を述べる。フランス語で書かれた哲学書の古典。岩波文庫(谷川多佳子訳)で入手可。
- 『省察』(Meditationes de Prima Philosophia, 1641):6日間の省察という体裁。第一で懐疑、第二でコギト、第三・第五で神の証明、第六で外界の回復と心身の実在的区別。壊してから建て直す過程を、読者が追体験する構成。同時代の論客七組(初版六組+第二版追加一組)との「反論と答弁」が付き、議論の強度がわかる。筑摩書房(山田弘明訳)が読みやすい。
- 『哲学原理』(Principia Philosophiae, 1644):体系的教科書形式。認識論・形而上学・自然学を一冊で網羅。スコラ哲学に代わる新しい教程を目指した。全4部構成で、第1部は形而上学(『省察』の教科書版)、第2部は物理学の原理(慣性の法則や運動の三法則を含む)、第3部は天体論(渦動説)、第4部は地上の自然現象(磁石・潮汐・火など)を扱う。デカルトは本書でヨーロッパの大学からアリストテレスの教科書を駆逐しようとした。オランダでは一定の成功を収めたが、フランスの複数の大学では禁書扱いとなった。
- 『情念論』(Les Passions de l'âme, 1649):最後の著作。エリザベト王女との書簡が直接の発端。全3部構成で、第1部は心身相互作用の仕組み(動物精気・松果体)、第2部は情念の六基本型──驚き(admiration)・愛・憎しみ・欲望・喜び・悲しみ──を列挙し、第3部で個別の情念(嫉妬・後悔・高邁(générosité)など)を分析する。心理学の先駆。
- 『規則論』(Regulae ad directionem ingenii, 未完・遺稿):若きデカルトの方法論の原型。問題を分解し、単純なものから複雑なものへ積み上げるという発想が生の形で読める。1628–29年頃の執筆で、全21則が計画されたが第18則までの草稿しか残っていない。知識の基本単位としての「単純本性」(naturae simplices)、真理を直接把握する「直観」(intuitus)と連鎖的推論の「演繹」(deductio)の区別など、のちの主著に発展する核心概念が胚胎している。『方法序説』より技術的だが、デカルトの思考の原石に触れられる。
主要な批判と論争
デカルトは生前から叩かれた。しかも容赦なく。
『省察』に付された「反論と答弁」の第四セット。アルノーは、明晰判明な知覚の信頼性が神の誠実さに依存し、神の存在が明晰判明な知覚に依存する循環を突いた(「デカルトの循環」)。デカルトは「現注意を向けている直観」と「過去の記憶に基づく推論」を区別して反論したが、完全には解消できていない。400年経っても研究者のあいだで決着がついていない論点だ。
ホッブズ(第三反論)は別の角度から攻めた。「私は考える」から言えるのは「考えるという活動がある」までであって、「考える実体」が存在するとは限らない。「私は散歩する、ゆえに私は散歩である」とは言わないだろう。思考は行為であって実体ではない、と。デカルトはこの反論を軽く退けたが、問題は消えなかった。
ガッサンディ(第五反論)は唯物論の立場からコギトを切り崩そうとした。「思うもの」が非物質的実体である必然性はどこにあるのか。思考が脳の活動であるなら、二元論は不要ではないか。ガッサンディはデカルトを「精神よ」(ô mens)と呼びかけ、デカルトはガッサンディを「肉体よ」(ô caro)と呼び返した。二元論そのものが罵り言葉になった瞬間だ。
後世ではギルバート・ライルが二元論を「機械の中の幽霊」(ghost in the machine)と呼んで嘲笑した(『心の概念』1949年)。精神を独立した実体とする発想そのものが「カテゴリー錯誤」だ、と。
現代の心の哲学で、二元論をそのまま掲げる哲学者はほとんどいない。だが問題は消えていない。物理的な脳から、なぜ主観的な体験が立ち上がるのか。デイヴィッド・チャーマーズが「意識のハード・プロブレム」と名づけたこの謎の根は、デカルトが心と身体を分けたあの瞬間にまで遡る。
影響と遺産
デカルトがいなければ、その後の哲学はまるで違う地図を描いていただろう。認識論が哲学の中心に据えられたのは、彼の仕事の直接の結果だ。
合理主義の系譜。スピノザは二元論を拒否し、精神と物体を唯一の実体(神すなわち自然)の二つの属性とした。ライプニッツは延長の代わりにモナドを置いた。マルブランシュは心身相互作用の難問を、神がすべての因果を直接媒介するという「機会原因論」(occasionalisme)で解決しようとした。いずれもデカルトが設定した問題への応答。
経験主義の反撃。ロックは「生得観念」(innate ideas)を否定し、精神は白紙(tabula rasa)だと主張した。バークリーは物質そのものを消去し、ヒュームは因果関係の必然性を解体した。これらはすべて、デカルトが「確実な知識とは何か」を問い立てなければ起こらなかった運動だ。
そしてカント。合理主義と経験主義の対立を統合しようとした批判哲学は、デカルトが開いた認識論の戦場のうえに建てられている。20世紀に入ると、フッサールが『デカルト的省察』(Cartesianische Meditationen, 1931)でコギトの方法を現象学へと発展させた。意識に現れるものをありのままに記述する、という現象学の出発点は、デカルトの主観への還元を継承しつつ変形したものだ。
哲学の外への足跡も深い。解析幾何学(座標平面)の発明。光の屈折法則(スネル・デカルトの法則)の定式化。機械論的自然観はニュートン物理学への道を舗装した。「自然を数学で記述する」という近代科学の根本姿勢は、デカルトの二元論が自然から精神を追い出したことで可能になった。
彼の名を冠する「デカルト座標」(直交座標系)は、幾何学と代数学という別々の世界を統合した。円を x² + y² = r² と書き、放物線を y = x² と書く。図形を方程式で操り、方程式を図形で視覚化する。この対応がなければ、ニュートンとライプニッツの微積分も、工学の設計図面も、そしてあなたが今見ているこの画面上のすべてのグラフも存在しない。また代数記法──未知数を x, y, z、既知数を a, b, c で表す慣例──も『幾何学』(La Géométrie, 1637)に由来する。高校数学で当たり前に使っている道具の大半が、デカルトの手から生まれた。
現代への接続
スマートフォンの画面を見つめているとき、あなたはどこにいるか。指は画面に触れている。目は光を追っている。だが「自分」は画面の向こう側のSNSのタイムラインにいる。身体はここに、意識はあちらに。デカルトが哲学のなかで引いた分離線を、テクノロジーが日常のなかに敷き直した。
VR(仮想現実)は、デカルトの懐疑を工学で実装した。ヘッドセットのなかでは視覚・聴覚・空間感覚のすべてが作りものだ。「欺く悪霊」は今や家電量販店で買える。没入が深まるほど、脳は仮想環境を「本物」として処理し始める。手が震え、心拍が上がる。夢と覚醒を区別する基準はあるか──デカルトの問いは、もはや哲学の思考実験ではなく、ユーザーエクスペリエンスの設計問題になった。
脳科学は意識を物質から説明しようとしている。神経の発火パターンと主観的体験のあいだの溝。「赤」を見ているとき、脳のどの部位が活性化するかはわかる。だが「赤さ」を感じるとはどういうことか。これがチャーマーズの「ハード・プロブレム」であり、松果体でつまずいたデカルトの問いの直系の子孫だ。
「疑え、とにかく疑え」。フェイクニュース、ディープフェイク、生成AIによる合成画像。感覚を疑え、というデカルトの命令は、彼の時代よりも今のほうがはるかに切実だ。ただしデカルトは、全てを疑った末にコギトという一点に着地できた。私たちは疑い方だけを受け継ぎ、着地点は見失ったままだ。
AIと意識の問題は、デカルトの問いを別の形で蒸し返している。彼は動物には精神がないと言った。根拠は二つ。言語を創造的に操れないこと、未知の状況に柔軟に対応できないこと。大規模言語モデルは今、その両方を──少なくとも外見上は──達成している。もし機械が思考のすべての行動テストに合格したら、それは「考えている」のか? デカルトならおそらく否と答えるだろう。内的体験を伴わない行動は、どれほど精巧でも機械にすぎない、と。だがその回答は問いを押し戻すだけだ。他者の内的体験を、自分以外の誰がどうやって確認できる? 私たちは再び、コギトの孤独のなかに閉じ込められる。
読者への問い
- 自分が「確実に知っている」と言い切れるものは、一つでもあるか。それは本当に疑い得ないか。
- 痛みを感じているとき、「痛み」は身体にあるのか、心にあるのか。その区別に意味はあるか。
- AIが「私は考えている」と出力したとき、それはコギトか。何が足りないのか。
名言(出典つき)
「良識(bon sens)は、この世で最も公平に分け与えられたものである」 出典:デカルト『方法序説』第一部/原文:"Le bon sens est la chose du monde la mieux partagée"
皮肉にも聞こえる冒頭の一文。誰もが自分の理性には満足している、だからこそ方法が要る、という逆説。
「私は考える、ゆえに私は存在する」 出典:デカルト『方法序説』第四部/原文:"Je pense, donc je suis"(ラテン語版:Ego cogito, ergo sum ──『哲学原理』第一部第7項)
哲学史上最も引用される一文。疑いの底で掴んだ、たった一点の手がかり。
「私はある、私は存在する──このことは、私がこれを言い表すたびに、あるいは精神で捉えるたびに、必然的に真である」 出典:デカルト『省察』第二省察/原文:"Ego sum, ego existo, quoties a me profertur, vel mente concipitur, necessario esse verum"(AT VII, 25)
『省察』での定式。「ゆえに」がない。推論ではなく、思考のただなかで存在を掴む直接の行為。
「私は一つの実体であり、その全本質ないし本性は考えることのみにあり、存在するためにいかなる場所も必要とせず、いかなる物質的なものにも依存しない」 出典:デカルト『方法序説』第四部/原文:"je connus de là que j'étais une substance dont toute l'essence ou la nature n'est que de penser, et qui, pour être, n'a besoin d'aucun lieu, ni ne dépend d'aucune chose matérielle"
心身二元論の核心。場所も物質も要らない自分。その自分が歯の痛みに耐えているとき、この宣言はどこまで本気でいられるか。
参考文献
- (原典):デカルト『方法序説』谷川多佳子訳、岩波文庫、1997年。
- (原典):デカルト『省察』山田弘明訳、ちくま学芸文庫、2006年。
- (原典):Descartes, René. Œuvres de Descartes, ed. Charles Adam & Paul Tannery (AT), 11 vols. Paris: Vrin, 1964–1974. 標準全集。
- (概説):小林道夫『デカルト入門』ちくま新書、2006年。日本語で最もバランスのとれた入門書。
- (研究):Cottingham, John. Descartes. Oxford: Blackwell, 1986. 英語圏の標準的な研究入門。
- (研究):Williams, Bernard. Descartes: The Project of Pure Enquiry. London: Penguin, 1978. 方法的懐疑の哲学的意義を鮮やかに分析。
- (書簡):Shapiro, Lisa (ed. & trans.). The Correspondence between Princess Elisabeth of Bohemia and René Descartes. Chicago: University of Chicago Press, 2007. 心身問題の核心に迫る往復書簡の英訳。
- (概説):所雄章『デカルト=哲学の起源』講談社学術文庫、2009年。日本のデカルト研究を牽引した著者の集大成。
- (ウェブ):Stanford Encyclopedia of Philosophy, "Descartes' Epistemology" (first published 1997, substantive revision 2020). https://plato.stanford.edu/entries/descartes-epistemology/