1619ねん11がつ10にちドイツDeutschland南部のどこか。23さい青年せいねんが、暖炉だんろあたためた小部屋こべやpoêleポエル)にじこもっている。そと三十年戦争さんじゅうねんせんそう最中さなかヨーロッパEurope宗教しゅうきょう権力けんりょくのもとにえていた。そのよるかれみっつのゆめる。あらし翻弄ほんろうされるゆめ雷鳴らいめいゆめ、そして辞書じしょ詩集ししゅうならゆめめたとき、ルネRenéデカルトDescartes確信かくしんした。すべての学問がくもん統一とういつする方法ほうほうがある、と。

大袈裟おおげさはなしではない。この青年せいねん本当ほんとうにやった。18年後ねんご匿名とくめい出版しゅっぱんした『方法序説ほうほうじょせつ』(Discours de la méthodeディスクール・ド・ラ・メトード, 1637)は、感覚かんかくしんじるな、権威けんいしんじるな、自分じぶん記憶きおくすらしんじるな、と宣言せんげんする。二千年にせんねんぶん哲学てつがく蓄積ちくせきを、一人ひとり人間にんげん白紙はくしもどそうとした。その暴挙ぼうきょがなければ、近代きんだい科学かがく近代きんだい哲学てつがくも、おそらくいまかたちでは存在そんざいしない。

だがデカルトDescartesは、自分じぶんこわしたものを最後さいごまで修復しゅうふくしきれなかった。こころ身体しんたいふたつにいた傷口きずぐちは、400ねんったいまもまだふさがっていない。わたしたちは日々ひびデカルトDescartesけたのなかでらしている。

この記事きじ要点ようてん

  • 方法的ほうほうてき懐疑かいぎdoute méthodiqueドゥート・メトディック感覚かんかく記憶きおく数学的すうがくてき真理しんりさえもうたがくすことで、絶対ぜったいうたがえない一点いってんさがす。哲学てつがく更地さらちにしてからなおす、という前代未聞ぜんだいみもんくわだて。
  • コギトcogito(我おもう、ゆえにわれあり):「うたがっている自分じぶん」はうたがえない。この一点いってんから哲学てつがく全体系ぜんたいけい演繹えんえきしようとした。主観しゅかん出発点しゅっぱつてんえたことで、近代きんだい哲学てつがくそのものがはじまる。
  • 心身しんしん二元論にげんろんdualismeデュアリスム精神せいしんおもものres cogitans)と物体ぶったい延長えんちょうするものres extensa)は本質ほんしつことなるふたつの実体じったい近代きんだい科学かがく自然しぜん数学すうがく記述きじゅつする許可証きょかしょうあたえたが、「こころはどこにあるのか」という難問なんもん永久えいきゅうのこした。

生涯しょうがい時代じだい背景はいけい

ルネRenéデカルトDescartesは1596ねん3がつ31にちフランスFrance中部ちゅうぶトゥレーヌTouraine地方ちほうラ・エーLa Hayeまれた。法服ほうふく貴族きぞく家系かけいははかれが1さいのときにくなった。生涯しょうがい身体からだよわく、あさ寝床ねどこ思索しさくするのが習慣しゅうかんだった。ラ・フレーシュLa Flècheイエズス会Societas Iesu学院がくいん最良さいりょう教育きょういくけるが、卒業そつぎょういだいた感想かんそうは「数学すうがく以外いがい確実かくじつ知識ちしきなにひとつられなかった」。当時とうじ最高さいこう学府がくふでそうかんじた人間にんげんが、学問がくもんそのものをつくなおそうとしたのだから、動機どうき痛切つうせつだった。

1616ねんポワティエPoitiers大学だいがく法学ほうがく学位がくいり、父親ちちおや期待きたいにはこたえた。だが法曹ほうそうにはならなかった。1618ねん志願兵しがんへいとしてオランダNederlandわたる。戦場せんじょうなにをしたかより、自然しぜん哲学者てつがくしゃイザークIsaacベークマンBeeckmanとの出会であいがおおきかった。物理ぶつり現象げんしょう数学すうがく記述きじゅつできるという手応てごたえ。翌年よくねんの「炉部屋ろべやゆめ」をて、かれ放浪ほうろうたびる。イタリアItaliaドイツDeutschlandフランスFrance。そして1629ねん当時とうじヨーロッパEuropeもっと自由じゆう空気くうきながれていたオランダNederland定住ていじゅう。20年間ねんかんにわたり、住所じゅうしょ頻繁ひんぱんえながら執筆しっぴつ没頭ぼっとうした。ひといたくなかったのだ。

私生活しせいかつでは、召使めしつかいの女性じょせいヘレナHelenaヤンスJansとのあいだにむすめフランシーヌFrancineまれた(1635ねん)。しかしフランシーヌFrancineは5さい猩紅熱しょうこうねつにより死去しきょデカルトDescartesはこれを「生涯しょうがい最大さいだい悲嘆ひたん」とんだとつたえられる(バイエBailletデカルトDescartes伝』)。心身しんしん分離ぶんりした哲学者てつがくしゃが、うしなかなしみにはかれた。理論りろんきた身体からだのあいだのみぞは、かれ自身じしん人生じんせいのなかにもあった。

1633ねん転機てんきおとずれる。ガリレオGalileo有罪ゆうざい判決はんけつ地動説ちどうせつ支持しじするみずからの自然学しぜんがく著作ちょさく世界論せかいろん』(Le Mondeル・モンド)を、デカルトDescartes出版しゅっぱん直前ちょくぜんめた。恐怖きょうふ慎重しんちょうさ。あるいはその両方りょうほうわりに4年後ねんご匿名とくめいで、しかもラテン語ラテンごではなくフランス語フランスごで『方法序説ほうほうじょせつ』をした。学者がくしゃだけでなく、普通ふつうきができる人間にんげんませたかった。哲学てつがく大学だいがくそとけだった。

晩年ばんねんには、プファルツPfalz選帝侯せんていこうむすめエリザベトElisabeth王女おうじょとの書簡しょかん交換こうかんはじまる(1643ねん〜)。彼女かのじょ心身しんしん二元論にげんろん急所きゅうしょ正確せいかくいた。「延長えんちょうをもたない精神せいしんが、どうやって延長えんちょうをもつ身体しんたいうごかすのですか?」。デカルトDescartes最後さいごまで満足まんぞく回答かいとうかえせなかった。この往復書簡おうふくしょかんは、生産的せいさんてきな「敗北はいぼく記録きろく」だ。

1649ねんスウェーデンSverige女王じょおうクリスティーナChristina招聘しょうへいストックホルムStockholmへ。早朝そうちょう5哲学てつがく講義こうぎめいじられる。朝寝坊あさねぼう哲学者てつがくしゃ北欧ほくおうふゆ過酷かこくだった。1650ねん2がつ11にち肺炎はいえん死去しきょ。53さい

ミニ年表ねんぴょう

  • 1596ねんフランスFranceラ・エーLa Hayeまれる
  • 1607ねんラ・フレーシュLa Flècheイエズス会Societas Iesu学院がくいん入学にゅうがく
  • 1616ねんポワティエPoitiers大学だいがく法学ほうがく学位がくい取得しゅとく
  • 1618ねんオランダNederlandベークマンBeeckman出会であ
  • 1619ねん:「炉部屋ろべやみっつのゆめ」。学問がくもん統一とういつ着想ちゃくそう
  • 1629ねんオランダNederland定住ていじゅう執筆しっぴつ活動かつどう専念せんねん
  • 1633ねんガリレオGalileo裁判さいばんけ『世界論せかいろん』の出版しゅっぱん断念だんねん
  • 1637ねん:『方法序説ほうほうじょせつ刊行かんこうフランス語フランスご匿名とくめい
  • 1641ねん:『省察せいさつ』(Meditationesメディタティオーネス刊行かんこう六組ろくくみの「反論はんろん答弁とうべんき(翌年よくねん第二版だいにはん第七だいなな追加ついか
  • 1643ねんエリザベトElisabeth王女おうじょとの書簡しょかん交換こうかん開始かいし心身しんしん問題もんだい追究ついきゅう
  • 1644ねん:『哲学てつがく原理げんり』(Principia Philosophiaeプリンキピア・フィロソフィアエ刊行かんこう
  • 1649ねんスウェーデンSverige女王じょおうクリスティーナChristinaまねきで渡航とこう。『情念論じょうねんろん』(Les Passions de l'âmeレ・パッシオン・ド・ラーム刊行かんこう
  • 1650ねんストックホルムStockholmにて肺炎はいえん死去しきょ(53さい

この哲学者てつがくしゃなにうたのか

確実かくじつなものはなにか。

素朴そぼくいにこえるかもしれない。しかしデカルトDescartes以前の西洋せいよう哲学てつがくは、確実性かくじつせい土台どだいそのものをうたがうことをしなかった。アリストテレスAristotelēs論理学ろんりがくスコラschola哲学てつがく権威けんい感覚かんかく経験けいけん信頼性しんらいせい。これらは前提ぜんていであって、検証けんしょう対象たいしょうではなかった。

具体的ぐたいてきてみよう。アリストテレスAristotelēs自然学しぜんがくでは、いしちるのは「おもいものは自然しぜん場所ばしょ中心ちゅうしんもとめるから」だった。植物しょくぶつそだつのは「栄養えいようこん」が宿やどるから。えるのは物質ぶっしつに「性質せいしつ」があるから。目的もくてき性質せいしつ自然しぜんそのものに説明せつめいは、一見いっけんもっともらしいが、なに予測よそくしない。「なぜいしちるのか」→「おもいから」→「なぜおもいのか」→「性質せいしつつから」。いがことえでまわるだけだ。デカルトDescartesはこの循環じゅんかん我慢がまんがならなかった。説明せつめい説明せつめいになっていないなら、いっそ全部ぜんぶてて最初さいしょからやりなおすしかない。

デカルトDescartesはそれをひっくり返かえした。前提ぜんていこそ検証けんしょうしろ。土台どだいくさっていたら、そのうえなにんでも無駄むだだ。一度いちどすべてをこわして、絶対ぜったいこわれない岩盤がんばんさがせ。その岩盤がんばんうえにだけてろ。建築けんちく比喩ひゆデカルトDescartes自身じしんのものだ(『省察せいさつだい省察せいさつ)。

なにわったか。「世界せかいとはなにか」ではなく「わたしなに確実かくじつれるか」が哲学てつがく出発点しゅっぱつてんになった。存在論そんざいろんontologyオントロジー)から認識論にんしきろんepistemologyエピステモロジー)への重心じゅうしん移動いどう。この一歩いっぽ近代きんだい哲学てつがくをつくった。

そのための道具どうぐが「方法ほうほう四規則よんきそく」だ(『方法序説ほうほうじょせつ第二部だいにぶ)。(1)明証的めいしょうてきしんみとめたもの以外いがいれるな。(2)問題もんだいをできるかぎちいさな部分ぶぶん分割ぶんかつせよ。(3)もっと単純たんじゅんなものからはじめ、段階的だんかいてき複雑ふくざつなものへすすめ。(4)見落みおとしがないか全体ぜんたい見渡みわたせ。数学すうがく証明しょうめい手順てじゅん哲学てつがく移植いしょくした、とってもいい。

たとえば「人間にんげん幸福こうふくもとめる」という命題めいだいかんがえてみよう。第一だいいち規則きそく:それは明証的めいしょうてきか? 「幸福こうふく」の定義ていぎ曖昧あいまいなままれてはいけない。第二だいに規則きそく問題もんだい分割ぶんかつせよ。「幸福こうふく」を快楽かいらく安定あんてい自己じこ実現じつげん他者たしゃからの承認しょうにん……と要素ようそ分解ぶんかいする。第三だいさん規則きそくもっと単純たんじゅん要素ようそから検討けんとうし、順序じゅんじょてて複合ふくごうすすむ。第四だいよん規則きそく見落みおとしがないか確認かくにんする。──たりまえこえるだろうか。だが17世紀せいき大学だいがくでは、哲学てつがく問題もんだいアリストテレスAristotelēs権威けんい引用いんようしてくものだった。分析ぶんせきではなく引用いんようデカルトDescartes引用いんようきんじて分析ぶんせきだけで勝負しょうぶしろとった。哲学てつがくのルールそのものをえたのだ。

核心かくしん理論りろん

1. 方法的ほうほうてき懐疑かいぎ解体かいたいのプロセス

省察せいさつだい省察せいさつデカルトDescartesは、自分じぶんがこれまでしんしんじてきたものを三段階さんだんかいこわしていく。

第一だいいちに、感覚かんかくあざむき。とおくのとうまるえるが実際じっさい四角しかくい。みずけたぼうがってえる。感覚かんかく過去かこだましてきた。ならば全面的ぜんめんてき信用しんようする根拠こんきょはない。──とはいえ、とデカルトはまる。いまここにすわり、暖炉だんろまえかみにしている自分じぶんうたがうのは狂人きょうじん所業しょぎょうではないか(AT VII, 18–19)。感覚かんかくあやまりはちいさなものやとおいものにかぎられるのでは?

第二だいにに、ゆめ論証ろんしょうがこの安心あんしんくずす。ゆめているときも、自分じぶん暖炉だんろまえにいると確信かくしんしていた。ゆめ覚醒かくせい区別くべつする決定的けっていてき基準きじゅんがない。ただしデカルトDescartesみとめる──ゆめのなかですら、三角形さんかっけい内角ないかく算術さんじゅつ真理しんりわらないようにえる、と。感覚的かんかくてきなものはうたがえても、数学すうがくゆめ論証ろんしょうではたおれない。最後さいごとりでくずすには、さらに強力きょうりょく仮説かせつる。

第三だいさんに、あざむかみ仮説かせつDeus deceptorデウス・デセプトル)。もし全能ぜんのうかみわたしあざむいていて、2+3=5という計算けいさんさえあやまらせているとしたら? 数学的すうがくてき真理しんりすらうたがわしくなる。デカルトDescartesはさらに、かみわりに「きわめて狡猾こうかつ悪霊あくりょう」(genius malignusゲニウス・マリグヌス)を想定そうていする。かみぜんであるかもしれない可能性かのうせい排除はいじょするための装置そうちだ。この悪霊あくりょう全力ぜんりょくわたしあざむいている──そう仮定かていしてもくずれないものを、さがす。

なにのこらない。野原のはら。──だがデカルトDescartesは、まさにそれをのぞんでいた。

2. コギトcogito廃墟はいきょのなかの一点いってん

省察せいさつ第二だいに省察せいさつは、アルキメデスArchimēdēs比喩ひゆまくける。「アルキメデスArchimēdēs地球ちきゅう全体ぜんたいうごかすために、確固かっことして不動ふどう一点いってんだけをもとめた」(AT VII, 24)。すべてをうたがくしたてに、その一点いってんあらわれる。「うたがっているわたし」の存在そんざいそのもの。

省察せいさつ』での定式ていしきは「わたしはある、わたし存在そんざいする」(Ego sum, ego existoエゴ・スム、エゴ・エクシスト, AT VII, 25)。よくられた「われおもう、ゆえにわれあり」(Je pense, donc je suis / Ego cogito, ergo sumエゴ・コギト、エルゴ・スム)は『方法序説ほうほうじょせつ』と『哲学てつがく原理げんり』の表現ひょうげんであり、両者りょうしゃのニュアンスは微妙びみょうことなる。『省察せいさつ』のほうが端的たんてきだ。推論すいろんかたちをとらず、「ある」と直接ちょくせつ断言だんげんする。悪霊あくりょうがいくらだまそうとしても、だまされているとうわたし存在そんざいしていなければならない。あざむかれるには、あざむかれる主体しゅたいる。

ただしコギトcogito三段論法さんだんろんぽうではない。「かんがえるものは存在そんざいする。わたしかんがえる。ゆえにわたし存在そんざいする」という推論すいろんではない。うたがうという行為こういのさなかに、自分じぶん存在そんざい直接ちょくせつれる。論証ろんしょう帰結きけつではなく、思考しこう渦中かちゅうきる事件じけん

ただし、ここで確認かくにんされたのは「おもものres cogitans」としての自己じこだけだ。身体しんたい自分じぶん世界せかいのなかにいる自分じぶんは、まだもどされていない。

省察せいさつ第二だいに省察せいさつには有名ゆうめいな「蜜蝋みつろう分析ぶんせき」がある。暖炉だんろのそばに蜜蝋みつろうく。はじめはかたく、蜂蜜はちみつあまかおりがし、ゆびたたけばおとがする。ちかづけると、いろかたちにおいも質感しつかんもすべてわる。感覚かんかく属性ぞくせい一切いっさいえても、「おな蜜蝋みつろうだ」とわたし判断はんだんする。ということは、蜜蝋みつろう蜜蝋みつろうとしてとらえているのは感覚かんかくではなく知性ちせいintellectusインテレクトゥス)だ。物体ぶったいいとなみそのものが、精神せいしんはたらきだった。そと世界せかいつかもうとするほど、自分じぶん自身じしんのほうをく。

3. 明晰めいせき判明はんめい規則きそく

コギトcogito確実かくじつである理由りゆう分析ぶんせきすると、それが「明晰めいせきかつ判明はんめいに」(clare et distincteクラーレ・エト・ディスティンクテ知覚ちかくされたからだ、とデカルトDescartesう。明晰めいせきclarusクラールス)とは、意識いしきたいしてひらかれ鮮明せんめい現前げんぜんしていること。ちょうどまえにある対象たいしょうをはっきりているような状態じょうたいだ。判明はんめいdistinctusディスティンクトゥス)とは、ほかのものと混同こんどうされない輪郭りんかくつこと。いたみは明晰めいせきたしかにかんじている)だが判明はんめいではない(原因げんいん構造こうぞうがぼんやりしている)。数学的すうがくてき真理しんり両方りょうほうたす。

ここから一般いっぱん規則きそくみちびかれる。「わたしがきわめて明晰めいせきかつ判明はんめい知覚ちかくするものはすべてしんである」(『省察せいさつ第三だいさん省察せいさつ、AT VII, 35)。これがデカルトDescartes真理しんり基準きじゅんであり、かれ体系たいけい全体ぜんたい蝶番ちょうつがいにあたる。のちるように、この基準きじゅん循環じゅんかん論法ろんぽううたがいをまねくことになる。

ここで見逃みのがせないのは、なに明晰めいせき判明はんめいであるかを判定はんていするのが、ほかならぬ「わたし」の知性ちせいだということだ。権威けんいでも伝統でんとうでも投票とうひょうでもない。近代的きんだいてき主体しゅたい自律じりつはここから芽吹めぶく。だがうらかえせば、「明晰めいせき判明はんめいだとおもんでいるだけではないか」という疑念ぎねんが、つねにこの規則きそくにつきまとう。

4. かみ存在そんざい証明しょうめい再建さいけんのための足場あしば

コギトcogitoだけでは世界せかいもどせない。外部がいぶ世界せかい存在そんざい保証ほしょうするために、デカルトDescartesかみす。

省察せいさつ第三だいさん省察せいさつデカルトDescartesはまず、自分じぶんのなかにある観念かんねん三種さんしゅける。まれつきそなわる「生得せいとく観念かんねん」(ideae innataeイデアエ・インナタエ)、そとからる「外来がいらい観念かんねん」(adventitiaeアドヴェンティティアエ)、自分じぶんつくげた「虚構きょこう観念かんねん」(a me ipso factaeア・メ・イプソ・ファクタエ)。問題もんだいは、「無限むげん完全かんぜん存在そんざい」の観念かんねんがどこにぞくするかだ。有限ゆうげんわたしがこの観念かんねん自力じりきすことはできない。原因げんいん結果けっか同等どうとうかそれ以上いじょう実在性じつざいせいたねばならない(因果いんが原理げんり)。ゆえに、この観念かんねん原因げんいんとして、無限むげん完全かんぜん存在者そんざいしゃ──かみ──が実在じつざいする。

完全かんぜんかみあざむかない。ゆえに、明晰めいせき判明はんめい知覚ちかくされるものはしんである、という規則きそくかみ保証ほしょうあたえる。これが「誠実せいじつかみ」の理論りろんveracitas Deiヴェラキタス・デイ)。こわした世界せかいもともどすための接着剤せっちゃくざいかみだった。

では誠実せいじつかみがいるのに、なぜ人間にんげんあやまるのか。『省察せいさつ第四だいよん省察せいさつでデカルトは、誤謬ごびゅう原因げんいん知性ちせい意志いし不均衡ふきんこうもとめる。知性ちせい有限ゆうげんだが、意志いし無限むげんひろい。明晰めいせき把握はあくしていないものにまで意志いし同意どういあたえるとき、わたしたちはあやまる。かみ責任せきにんではなく、人間にんげん意志いし濫用らんようだ、と。

さらに『省察せいさつ第五だいご省察せいさつでは、いわゆる存在論的そんざいろんてき証明しょうめいくわわる。三角形さんかっけい観念かんねんには「内角ないかく二直角にちょっかく」という性質せいしつふくまれるように、「もっと完全かんぜん存在者そんざいしゃ」の観念かんねんには「存在そんざいする」という性質せいしつふくまれる。完全かんぜんなのに存在そんざいしない、というのは矛盾むじゅんだ、と。この論法ろんぽう中世ちゅうせいアンセルムスAnselmusさかのぼり、のちにカントKantが「存在そんざい述語じゅつごではない」と批判ひはんすることになる。

ここがデカルトDescartes哲学てつがくもっともろ箇所かしょだ。同時代どうじだい神学者しんがくしゃアルノーArnauld即座そくざ見抜みぬいた循環じゅんかん(「デカルトDescartes循環じゅんかん」、第四だいよん反論はんろん、AT VII, 214)。明晰めいせき判明はんめい知覚ちかくしんであるのはかみ保証ほしょうするから。かみ存在そんざいするのは明晰めいせき判明はんめい知覚ちかくされるから。まわっている。

5. 心身しんしん二元論にげんろん世界せかいふたつに

省察せいさつ第六だいろく省察せいさつで、デカルトDescartesはようやく外部がいぶ世界せかいもどす。誠実せいじつかみ保証ほしょうする以上いじょう感覚かんかくわたしつよしんじさせる物体ぶったい存在そんざい全面的ぜんめんてき否定ひていする理由りゆうはない。同時どうじにこの省察せいさつ論証ろんしょうされるのが、精神せいしん身体しんたいの「実在的じつざいてき区別くべつ」(distinctio realisディスティンクティオ・レアリス)だ。わたし精神せいしん身体しんたいなしに明晰めいせき判明はんめいおもえがける。身体しんたい精神せいしんなしにおもえがける。かみ明晰めいせき判明はんめい区別くべつされるものを別々べつべつ存在そんざいさせうる。ゆえに両者りょうしゃべつ実体じったいだ(AT VII, 78)。

おも実体じったいres cogitansレス・コギタンス)と延長えんちょうする実体じったいres extensaレス・エクステンサ)。精神せいしん空間くうかんめない。物体ぶったいかんがえない。両者りょうしゃ属性ぞくせい共有きょうゆうしない。

この分離ぶんり近代きんだい科学かがくあたえた恩恵おんけいあきらかだ。物体ぶったい延長えんちょうながさ・はば奥行おくゆき)しかたないのだから、自然しぜん数学すうがく完全かんぜん記述きじゅつできる。いろおとにおいも、物体ぶったいがわにはない。すべて精神せいしんがわ現象げんしょう自然しぜんから主観しゅかんったことで、物理学ぶつりがくはしせた。

だがデカルトDescartes自身じしんづいている。精神せいしん身体しんたいのなかに「ふねなか船乗ふなのり」のようにっているのではない。両者りょうしゃ密接みっせつざりい、「いわばひとつのものを構成こうせいしている」(AT VII, 81)。ゆびればただふね損傷そんしょう知覚ちかくするようにではなく、いたみとしてかんじる。この一節いっせつは、二元論にげんろん内部ないぶから正直しょうじき困惑こんわくだ。ふたつの実体じったいが「ひとつ」であるとは、どういう意味いみか。

ここから難問なんもん噴出ふんしゅつする。こころ身体しんたいがまったくべつ実体じったいなら、なぜゆびるといたいのか。なぜ恐怖きょうふかんじると心臓しんぞうはやるのか。空間くうかんめないものが、どうやって空間的くうかんてきなものに作用さようする?

この難問なんもんもっとするどいたのが、前述ぜんじゅつエリザベトElisabeth王女おうじょだ。1643ねん5がつ書簡しょかん彼女かのじょう。延長えんちょうをもたない精神せいしん物体ぶったいちからおよぼすなら、なんらかの接触せっしょくがなければならない。しかし接触せっしょくにはめんる。めん延長えんちょう属性ぞくせいだ。つまり、精神せいしん身体しんたいうごかす瞬間しゅんかんに、二元論にげんろん破綻はたんする。

デカルトDescartes回答かいとう松果体しょうかたいglande pinéaleグランド・ピネアル)。のう中心ちゅうしんにあるちいさな器官きかんで、こころ身体しんたい相互そうご作用さようする場所ばしょだ、と(『情念論じょうねんろんだい31–32こう)。松果体しょうかたいえらんだのは、のうのなかで唯一ゆいいつついをなさない器官きかんだからだ。左右さゆうかれていない器官きかんこそ、統一とういつされた精神せいしんにふさわしい、とかれかんがえた。だがこの説明せつめいは、問題もんだい一歩いっぽ先送さきおくりしただけだ。松果体しょうかたいのなかでなにきているのか、とえばおななぞかえされる。エリザベトElisabeth満足まんぞくしなかった。彼女かのじょいは、今日こんにちこころ哲学てつがくにおいてもなお未解決みかいけつのままのこっている。

6. 機械論的きかいろんてき自然観しぜんかん動物どうぶつ機械きかいである

物体ぶったい延長えんちょうのみなら、動物どうぶつ身体しんたい精巧せいこう機械きかいにすぎない。デカルトDescartes動物どうぶつには精神せいしんがないとした。いぬかなしそうにくのは、時計とけいのゼンマイがおとてるのと原理的げんりてきおなじだ、と。

デカルトDescartes机上きじょう理論家りろんかではなかった。アムステルダムAmsterdam肉屋にくやから動物どうぶつ死体したいい、みずか解剖かいぼうした。心臓しんぞう構造こうぞう筋肉きんにくうごき、眼球がんきゅう光学こうがくウィリアムWilliamハーヴィHarvey発見はっけんした血液けつえき循環じゅんかんれたが、心臓しんぞう仕組しくみについては意見いけんれた。ハーヴィHarvey心臓しんぞう血液けつえきポンプpumpかんがえた(ただしい)。デカルトDescartes心臓しんぞう血液けつえき加熱かねつ膨張ぼうちょうさせるかんがえた(間違まちがい)。だがこの失敗しっぱい無駄むだではない。機械論きかいろん方針ほうしんただしくても、個別こべつ説明せつめいには実験じっけんによる検証けんしょうる。「自然しぜん機械きかいとしてろ」は出発点しゅっぱつてんであって、到達点とうたつてんではなかった。近代きんだい科学かがく必要ひつようとしたのは、デカルトDescartes方針ほうしんニュートンNewton方法ほうほう数学的すうがくてき定式化ていしきか実験じっけん検証けんしょう)の両方りょうほうだった。

これは残酷ざんこく帰結きけつえる。だが同時どうじに、生命せいめい現象げんしょう物理法則ぶつりほうそく説明せつめいするみちひらいた。血液けつえき循環じゅんかん反射はんしゃ運動うんどう神経しんけい伝達でんたつ。たとえばデカルトDescartesは、れたとき反射的はんしゃてきめる動作どうさを、たましいではなく神経しんけいくだとおる「動物どうぶつ精気せいき」(esprits animauxエスプリ・アニモ)のながれで説明せつめいした。今日こんにち反射弓はんしゃきゅう概念がいねんつうじる発想はっそうだ。デカルトDescartes機械論きかいろんは、生理学せいりがく医学いがく迷信めいしんからはなれるためのきっかけになった。

天体てんたいにも機械論きかいろん適用てきようされた。デカルトDescartes真空しんくうみとめなかったため、宇宙うちゅう微細びさい物質ぶっしつたされ、うずトゥルビヨンtourbillon)の運動うんどう惑星わくせいはこぶとかんがえた(渦動説かどうせつ)。この理論りろんニュートンNewton万有引力ばんゆういんりょくによって退場たいじょうするが、「自然しぜん現象げんしょう物質ぶっしつ運動うんどうだけで説明せつめいする」という方針ほうしんそのものは近代きんだい物理学ぶつりがくがれた。

人間にんげん身体しんたい機械きかい。ただし人間にんげんだけが精神せいしんつ。言語げんごあやつり、あたらしい状況じょうきょう創造的そうぞうてき対応たいおうできること。これが人間にんげん動物どうぶつける、とデカルトDescartesかんがえた。400年後ねんごいま、AIが言語げんごあやつはじめた。この線引せんびきは、まだ有効ゆうこうだろうか。

主要しゅよう著作ちょさくガイド

  • 方法序説ほうほうじょせつ』(Discours de la méthodeディスクール・ド・ラ・メトード, 1637):ぜん6知的ちてき自伝じでんだい1学問がくもんへの幻滅げんめつかたり、だい2方法ほうほう四規則よんきそく提示ていじだい4方法的ほうほうてき懐疑かいぎコギトcogito展開てんかいし、だい5物理学ぶつりがく要約ようやく血液けつえき循環じゅんかん動物どうぶつ機械きかいろんふくむ)、だい6出版しゅっぱん理由りゆうべる。フランス語フランスごかれた哲学書てつがくしょ古典こてん岩波文庫いわなみぶんこ谷川たにかわ多佳子たかこやく)で入手にゅうしゅ
  • 省察せいさつ』(Meditationes de Prima Philosophiaメディタティオーネス・デ・プリマ・フィロソフィア, 1641):6日間にちかん省察せいさつという体裁ていさい第一だいいち懐疑かいぎ第二だいにコギトcogito第三だいさん第五だいごかみ証明しょうめい第六だいろく外界がいかい回復かいふく心身しんしん実在的じつざいてき区別くべつこわしてからなお過程かていを、読者どくしゃ追体験ついたいけんする構成こうせい同時代どうじだい論客ろんきゃく七組ななくみ初版しょはん六組ろくくみ第二版だいにはん追加ついか一組いちくみ)との「反論はんろん答弁とうべん」がき、議論ぎろん強度きょうどがわかる。筑摩ちくま書房しょぼう山田やまだ弘明ひろあきやく)がみやすい。
  • 哲学てつがく原理げんり』(Principia Philosophiaeプリンキピア・フィロソフィアエ, 1644):体系的たいけいてき教科書きょうかしょ形式けいしき認識論にんしきろん形而上学けいじじょうがく自然学しぜんがく一冊いっさつ網羅もうらスコラschola哲学てつがくわるあたらしい教程きょうてい目指めざした。ぜん4構成こうせいで、だい1形而上学けいじじょうがく(『省察せいさつ』の教科書きょうかしょばん)、だい2物理学ぶつりがく原理げんり慣性かんせい法則ほうそく運動うんどう三法則さんほうそくふくむ)、だい3天体てんたいろん渦動説かどうせつ)、だい4地上ちじょう自然しぜん現象げんしょう磁石じしゃく潮汐ちょうせきなど)をあつかう。デカルトDescartes本書ほんしょヨーロッパEurope大学だいがくからアリストテレスの教科書きょうかしょ駆逐くちくしようとした。オランダNederlandでは一定いってい成功せいこうおさめたが、フランスFrance複数ふくすう大学だいがくでは禁書きんしょあつかいとなった。
  • 情念論じょうねんろん』(Les Passions de l'âmeレ・パッシオン・ド・ラーム, 1649):最後さいご著作ちょさくエリザベトElisabeth王女おうじょとの書簡しょかん直接ちょくせつ発端ほったんぜん3構成こうせいで、だい1心身しんしん相互作用そうごさよう仕組しくみ(動物どうぶつ精気せいき松果体しょうかたい)、だい2情念じょうねんろく基本型きほんがた──おどろき(admirationアドミラシオン)・あいにくしみ・欲望よくぼうよろこび・かなしみ──を列挙れっきょし、だい3個別こべつ情念じょうねん嫉妬しっと後悔こうかい高邁こうまいgénérositéジェネロジテ)など)を分析ぶんせきする。心理学しんりがく先駆せんく
  • 規則論きそくろん』(Regulae ad directionem ingeniiレグラエ・アド・ディレクティオーネム・インゲニイ, 未完みかん遺稿いこう):わかデカルトDescartes方法論ほうほうろん原型げんけい問題もんだい分解ぶんかいし、単純たんじゅんなものから複雑ふくざつなものへげるという発想はっそうなまかたちめる。1628–29ねんごろ執筆しっぴつで、ぜん21そく計画けいかくされたがだい18そくまでの草稿そうこうしかのこっていない。知識ちしき基本きほん単位たんいとしての「単純たんじゅん本性ほんせい」(naturae simplices)、真理しんり直接ちょくせつ把握はあくする「直観ちょっかん」(intuitus)と連鎖的れんさてき推論すいろんの「演繹えんえき」(deductio)の区別くべつなど、のちの主著しゅちょ発展はってんする核心かくしん概念がいねん胚胎はいたいしている。『方法序説ほうほうじょせつ』より技術的ぎじゅつてきだが、デカルトDescartes思考しこう原石げんせきれられる。

主要しゅよう批判ひはん論争ろんそう

デカルトDescartes生前せいぜんからたたかれた。しかも容赦ようしゃなく。

省察せいさつ』にされた「反論はんろん答弁とうべん」の第四だいよんセット。アルノーArnauldは、明晰めいせき判明はんめい知覚ちかく信頼性しんらいせいかみ誠実せいじつさに依存いぞんし、かみ存在そんざい明晰めいせき判明はんめい知覚ちかく依存いぞんする循環じゅんかんいた(「デカルトDescartes循環じゅんかん」)。デカルトDescartesは「いま注意ちゅういけている直観ちょっかん」と「過去かこ記憶きおくもとづく推論すいろん」を区別くべつして反論はんろんしたが、完全かんぜんには解消かいしょうできていない。400ねんっても研究者けんきゅうしゃのあいだで決着けっちゃくがついていない論点ろんてんだ。

ホッブズHobbes第三だいさん反論はんろん)はべつ角度かくどからめた。「わたしかんがえる」からえるのは「かんがえるという活動かつどうがある」までであって、「かんがえる実体じったい」が存在そんざいするとはかぎらない。「わたし散歩さんぽする、ゆえにわたし散歩さんぽである」とはわないだろう。思考しこう行為こういであって実体じったいではない、と。デカルトDescartesはこの反論はんろんかろ退しりぞけたが、問題もんだいえなかった。

ガッサンディGassendi第五だいご反論はんろん)は唯物論ゆいぶつろん立場たちばからコギトcogitoくずそうとした。「おもうもの」が非物質的ひぶっしつてき実体じったいである必然性ひつぜんせいはどこにあるのか。思考しこうのう活動かつどうであるなら、二元論にげんろん不要ふようではないか。ガッサンディGassendiデカルトDescartesを「精神せいしんよ」(ô mensオー・メンス)とびかけ、デカルトDescartesガッサンディGassendiを「肉体にくたいよ」(ô caroオー・カロ)とかえした。二元論にげんろんそのものがののし言葉ことばになった瞬間しゅんかんだ。

後世こうせいではギルバートGilbertライルRyle二元論にげんろんを「機械きかいなか幽霊ゆうれい」(ghost in the machineゴースト・イン・ザ・マシーン)とんで嘲笑ちょうしょうした(『こころ概念がいねん』1949ねん)。精神せいしん独立どくりつした実体じったいとする発想はっそうそのものが「カテゴリーcategory錯誤さくご」だ、と。

現代げんだいこころ哲学てつがくで、二元論にげんろんをそのままかかげる哲学者てつがくしゃはほとんどいない。だが問題もんだいえていない。物理的ぶつりてきのうから、なぜ主観的しゅかんてき体験たいけんがるのか。デイヴィッドDavidチャーマーズChalmersが「意識いしきのハード・プロブレム」とづけたこのなぞは、デカルトDescartesこころ身体しんたいけたあの瞬間しゅんかんにまでさかのぼる。

影響えいきょう遺産いさん

デカルトDescartesがいなければ、そのあと哲学てつがくはまるでちが地図ちずえがいていただろう。認識論にんしきろん哲学てつがく中心ちゅうしんえられたのは、かれ仕事しごと直接ちょくせつ結果けっかだ。

合理主義ごうりしゅぎ系譜けいふスピノザSpinoza二元論にげんろん拒否きょひし、精神せいしん物体ぶったい唯一ゆいいつ実体じったいかみすなわち自然しぜん)のふたつの属性ぞくせいとした。ライプニッツLeibniz延長えんちょうわりにモナドMonadeいた。マルブランシュMalebranche心身しんしん相互作用そうごさよう難問なんもんを、かみがすべての因果いんが直接ちょくせつ媒介ばいかいするという「機会原因論きかいげんいんろん」(occasionalismeオカジオナリスム)で解決かいけつしようとした。いずれもデカルトDescartes設定せっていした問題もんだいへの応答おうとう

経験主義けいけんしゅぎ反撃はんげきロックLockeは「生得せいとく観念かんねん」(innate ideasイネイト・アイディアズ)を否定ひていし、精神せいしん白紙はくしtabula rasaタブラ・ラサ)だと主張しゅちょうした。バークリーBerkeley物質ぶっしつそのものを消去しょうきょし、ヒュームHume因果いんが関係かんけい必然性ひつぜんせい解体かいたいした。これらはすべて、デカルトDescartesが「確実かくじつ知識ちしきとはなにか」をてなければこらなかった運動うんどうだ。

そしてカントKant合理主義ごうりしゅぎ経験主義けいけんしゅぎ対立たいりつ統合とうごうしようとした批判ひはん哲学てつがくは、デカルトDescartesひらいた認識論にんしきろん戦場せんじょうのうえにてられている。20世紀せいきはいると、フッサールHusserlが『デカルト的デカルトてき省察せいさつ』(Cartesianische Meditationenカルテジアーニッシェ・メディタツィオーネン, 1931)でコギトcogito方法ほうほう現象学げんしょうがくへと発展はってんさせた。意識いしきあらわれるものをありのままに記述きじゅつする、という現象学げんしょうがく出発点しゅっぱつてんは、デカルトDescartes主観しゅかんへの還元かんげん継承けいしょうしつつ変形へんけいしたものだ。

哲学てつがくそとへの足跡あしあとふかい。解析幾何学かいせききかがく座標ざひょう平面へいめん)の発明はつめいひかり屈折くっせつ法則ほうそくスネルSnellデカルトDescartes法則ほうそく)の定式化ていしきか機械論的きかいろんてき自然観しぜんかんニュートンNewton物理学ぶつりがくへのみち舗装ほそうした。「自然しぜん数学すうがく記述きじゅつする」という近代きんだい科学かがく根本こんぽん姿勢しせいは、デカルトDescartes二元論にげんろん自然しぜんから精神せいしんしたことで可能かのうになった。

かれかんする「デカルトDescartes座標ざひょう」(直交ちょっこう座標系ざひょうけい)は、幾何学きかがく代数学だいすうがくという別々べつべつ世界せかい統合とうごうした。えんを x² + y² = r² とき、放物線ほうぶつせんを y = x² とく。図形ずけい方程式ほうていしきあやつり、方程式ほうていしき図形ずけい視覚化しかくかする。この対応たいおうがなければ、ニュートンNewtonライプニッツLeibniz微積分びせきぶんも、工学こうがく設計せっけい図面ずめんも、そしてあなたがいまているこの画面がめん上のすべすべてのグラフも存在そんざいしない。また代数だいすう記法きほう──未知数みちすうを x, y, z、既知数きちすうを a, b, c であらわ慣例かんれい──も『幾何学きかがく』(La Géométrie, 1637)に由来ゆらいする。高校こうこう数学すうがくたりまえ使つかっている道具どうぐ大半たいはんが、デカルトDescartesからまれた。

現代げんだいへの接続せつぞく

スマートフォンsmartphone画面がめんつめているとき、あなたはどこにいるか。ゆび画面がめんれている。ひかりっている。だが「自分じぶん」は画面がめんこうがわのSNSのタイムラインにいる。身体しんたいはここに、意識いしきはあちらに。デカルトDescartes哲学てつがくのなかでいた分離線ぶんりせんを、テクノロジーが日常にちじょうのなかになおした。

VR(仮想現実かそうげんじつ)は、デカルトDescartes懐疑かいぎ工学こうがく実装じっそうした。ヘッドセットのなかでは視覚しかく聴覚ちょうかく空間くうかん感覚かんかくのすべてがつくりものだ。「あざむ悪霊あくりょう」はいま家電量販店かでんりょうはんてんえる。没入ぼつにゅうふかまるほど、のう仮想かそう環境かんきょうを「本物ほんもの」として処理しょりはじめる。ふるえ、心拍しんぱくがる。ゆめ覚醒かくせい区別くべつする基準きじゅんはあるか──デカルトDescartesいは、もはや哲学てつがく思考しこう実験じっけんではなく、ユーザーエクスペリエンスの設計せっけい問題もんだいになった。

のう科学かがく意識いしき物質ぶっしつから説明せつめいしようとしている。神経しんけい発火はっかパターンと主観的しゅかんてき体験たいけんのあいだのみぞ。「あか」をているとき、のうのどの部位ぶい活性化かっせいかするかはわかる。だが「あかさ」をかんじるとはどういうことか。これがチャーマーズChalmersの「ハード・プロブレム」であり、松果体しょうかたいでつまずいたデカルトDescartesいの直系ちょっけい子孫しそんだ。

うたがえ、とにかくうたがえ」。フェイクニュース、ディープフェイク、生成せいせいAIによる合成ごうせい画像がぞう感覚かんかくうたがえ、というデカルトDescartes命令めいれいは、かれ時代じだいよりもいまのほうがはるかに切実せつじつだ。ただしデカルトDescartesは、すべてをうたがったすえコギトcogitoという一点いってん着地ちゃくちできた。わたしたちはうたがかただけをぎ、着地点ちゃくちてん見失みうしなったままだ。

AIと意識いしき問題もんだいは、デカルトDescartesいをべつかたちかえしている。かれ動物どうぶつには精神せいしんがないとった。根拠こんきょふたつ。言語げんご創造的そうぞうてきあやつれないこと、未知みち状況じょうきょう柔軟じゅうなん対応たいおうできないこと。大規模だいきぼ言語げんごモデルはいま、その両方りょうほうを──すくなくとも外見上がいけんじょうは──達成たっせいしている。もし機械きかい思考しこうのすべての行動こうどうテストに合格ごうかくしたら、それは「かんがえている」のか? デカルトDescartesならおそらくいなこたえるだろう。内的ないてき体験たいけんともなわない行動こうどうは、どれほど精巧せいこうでも機械きかいにすぎない、と。だがその回答かいとういをもどすだけだ。他者たしゃ内的ないてき体験たいけんを、自分じぶん以外いがいだれがどうやって確認かくにんできる? わたしたちはふたたび、コギトcogito孤独こどくのなかにめられる。

読者どくしゃへの

  • 自分じぶんが「確実かくじつっている」とれるものは、ひとつでもあるか。それは本当ほんとううたがないか。
  • いたみをかんじているとき、「いたみ」は身体しんたいにあるのか、こころにあるのか。その区別くべつ意味いみはあるか。
  • AIが「わたしかんがえている」と出力しゅつりょくしたとき、それはコギトcogitoか。なにりないのか。

名言めいげん出典しゅってんつき)

良識りょうしきbon sensボン・サンス)は、このもっと公平こうへいあたえられたものである」 出典しゅってんデカルトDescartes方法序説ほうほうじょせつ第一部だいいちぶ原文げんぶん:"Le bon sens est la chose du monde la mieux partagée"

皮肉ひにくにもこえる冒頭ぼうとう一文いちぶんだれもが自分じぶん理性りせいには満足まんぞくしている、だからこそ方法ほうほうる、という逆説ぎゃくせつ

わたしかんがえる、ゆえにわたし存在そんざいする」 出典しゅってんデカルトDescartes方法序説ほうほうじょせつ第四部だいよんぶ原文げんぶん:"Je pense, donc je suis"(ラテン語ラテンごばんEgo cogito, ergo sumエゴ・コギト、エルゴ・スム ──『哲学てつがく原理げんり第一部だいいちぶだい7こう

哲学てつがく史上しじょうもっと引用いんようされる一文いちぶんうたがいのそこつかんだ、たった一点いってんがかり。

わたしはある、わたし存在そんざいする──このことは、わたしがこれをあらわすたびに、あるいは精神せいしんとらえるたびに、必然的ひつぜんてきしんである」 出典しゅってんデカルトDescartes省察せいさつ第二だいに省察せいさつ原文げんぶん:"Ego sum, ego existoエゴ・スム、エゴ・エクシスト, quoties a me profertur, vel mente concipitur, necessario esse verum"(AT VII, 25)

省察せいさつ』での定式ていしき。「ゆえに」がない。推論すいろんではなく、思考しこうのただなかで存在そんざいつか直接ちょくせつ行為こうい

わたしひとつの実体じったいであり、そのぜん本質ほんしつないし本性ほんせいかんがえることのみにあり、存在そんざいするためにいかなる場所ばしょ必要ひつようとせず、いかなる物質的ぶっしつてきなものにも依存いぞんしない」 出典しゅってんデカルトDescartes方法序説ほうほうじょせつ第四部だいよんぶ原文げんぶん:"je connus de là que j'étais une substance dont toute l'essence ou la nature n'est que de penser, et qui, pour être, n'a besoin d'aucun lieu, ni ne dépend d'aucune chose matérielle"

心身しんしん二元論にげんろん核心かくしん場所ばしょ物質ぶっしつらない自分じぶん。その自分じぶんいたみにえているとき、この宣言せんげんはどこまで本気ほんきでいられるか。

参考さんこう文献ぶんけん

  • 原典げんてんデカルトDescartes方法序説ほうほうじょせつ谷川たにかわ多佳子たかこやく岩波文庫いわなみぶんこ、1997ねん
  • 原典げんてんデカルトDescartes省察せいさつ山田やまだ弘明ひろあきやくちくまちくま学芸文庫がくげいぶんこ、2006ねん
  • 原典げんてん:Descartes, René. Œuvres de Descartes, ed. Charles Adam & Paul Tannery (AT), 11 vols. Paris: Vrin, 1964–1974. 標準ひょうじゅん全集ぜんしゅう
  • 概説がいせつ小林こばやし道夫みちおデカルトDescartes入門にゅうもんちくまちくま新書しんしょ、2006ねん日本語にほんごもっともバランスのとれた入門書にゅうもんしょ
  • 研究けんきゅう:Cottingham, John. Descartes. Oxford: Blackwell, 1986. 英語圏えいごけん標準的ひょうじゅんてき研究けんきゅう入門にゅうもん
  • 研究けんきゅう:Williams, Bernard. Descartes: The Project of Pure Enquiry. London: Penguin, 1978. 方法的ほうほうてき懐疑かいぎ哲学的てつがくてき意義いぎあざやかに分析ぶんせき
  • 書簡しょかん:Shapiro, Lisa (ed. & trans.). The Correspondence between Princess Elisabeth of Bohemia and René Descartes. Chicago: University of Chicago Press, 2007. 心身しんしん問題もんだい核心かくしんせま往復書簡おうふくしょかん英訳えいやく
  • 概説がいせつところ雄章ゆうしょうデカルトDescartes哲学てつがく起源きげん講談社こうだんしゃ学術文庫がくじゅつぶんこ、2009ねん日本にほんデカルトDescartes研究けんきゅう牽引けんいんした著者ちょしゃ集大成しゅうたいせい
  • ウェブweb:Stanford Encyclopedia of Philosophy, "Descartes' Epistemology" (first published 1997, substantive revision 2020). https://plato.stanford.edu/entries/descartes-epistemology/