386年の夏、ミラノ。32歳の修辞学教師が、借家の庭で泣いている。無花果の木の下。涙と鼻水にまみれた顔で地面に伏している。彼は知っている。自分が変わらなければならないことを。だが変われない。変わりたいのに変わりたくない。意志が意志に逆らっている。隣家から子どもの歌声が聞こえてくる。「取って読め、取って読め」(tolle lege, tolle lege)。彼は立ち上がり、傍らに置かれた使徒パウロの書簡を開く。目に飛び込んだのは『ローマの信徒への手紙』13章13〜14節。「酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いと嫉妬を捨てよ。主イエス・キリストを着よ」。それ以上読む必要はなかった、とアウグスティヌスは書く(8.12.29)。一節で人生が裂けた。
アウレリウス・アウグスティヌス。西洋思想史で最も影響力のある神学者のひとり。だが神学の枠に収めてしまうと、この男の凄みは見えなくなる。彼が切り開いたのは、人間の内面という大陸だ。意志が自らに分裂する恐怖。時間が意識のなかにしか存在しないという直観。悪が実体ではなく欠如であるという発見。デカルトが自己の確実性に到達する1200年も前に、アウグスティヌスはすでに内面への転回を遂げていた。しかもデカルトよりはるかに生々しいやり方で。
この男が問うたのは、「世界はどうなっているか」ではない。「私はなぜ私を制御できないのか」だ。哲学が宇宙から魂の奥へ向きを変えた瞬間がある。アウグスティヌスはその蝶番に立っている。
この記事の要点
- 意志の分裂(voluntas divisa):意志は自分自身に命令し、自分自身に背く。アウグスティヌスは『告白』第8巻で、この自己分裂を臨床的な精密さで記述した。フロイトが無意識を「発見」する1500年前の出来事だ。依存症から先延ばし癖まで、「わかっているのにやめられない」の構造はここで初めて言語化された。
- 時間は心の延伸(distentio animi):過去はもう存在しない。未来はまだ存在しない。現在は留まらない。ならば時間はどこにあるのか。アウグスティヌスの答え:記憶・注意・期待という心の三つの働きのなかにだけ時間はある。『告白』第11巻のこの分析は、フッサールの時間意識論からハイデガーの『存在と時間』にまで直結する。
- 悪は善の欠如(privatio boni):悪は実体ではなく、善が欠けた状態にすぎない。暗闇が光の不在であるように。マニ教の善悪二元論を自らの肉体で通過した男が到達した解答であり、西洋神学の悪の問題(theodicy)の出発点となった。
生涯と時代背景
354年11月13日、ヌミディア属州の小さな町タガステ(現アルジェリア・スーク・アフラース)で男の子が生まれた。父パトリキウスは異教徒の小地主、母モニカは敬虔なキリスト教徒。ローマ帝国はとうに最盛期を過ぎている。辺境では異民族の侵入、帝国内部では宗教対立が激化していた。地中海世界が古代から中世へと崩れ落ちていく、その亀裂の真ん中にこの男は生まれた。
少年時代のアウグスティヌスは優秀だったが、素行がよかったとは言いがたい。学校をさぼり、隣家の梨を盗み、友人たちと遊び回った。梨の窃盗は『告白』第2巻で執拗に分析される。空腹だったわけでも、梨が欲しかったわけでもない。盗むこと自体が快楽だった。悪のための悪。16歳の少年が犯した些細な非行の記憶を、40代の司教が血を吐くような筆致で解剖する。この執着がアウグスティヌスだ。
370年、修辞学を学ぶためカルタゴに出る。当時の修辞学は今でいう法学と広告と政治コンサルタントを合わせたようなもので、立身出世の切符だった。カルタゴで愛人をもち、息子アデオダトゥスをもうけた。肉欲と野心に溺れていた、と後に自分を裁く。ただし知的飢えも烈しかった。19歳でキケロの対話篇『ホルテンシウス』を読み、哲学への情熱に火がついた。この書物は現存しないが、一冊の本が人間を変える瞬間がある、ということの証言として残っている。
真理に飢えた青年がまず向かったのはマニ教だった。光と闇の二元論。世界には善の原理と悪の原理がある。肉体の欲望に苦しむ青年にとって、「悪は自分のせいではなく闇の原理のせいだ」という教えは甘美な免罪符だったに違いない。9年間、アウグスティヌスはマニ教の聴聞者だった。だがやがて知的な不満が募る。383年、マニ教の高僧ファウストゥスに会ってみたが、期待はずれだった。弁は立つが中身がない。ここにいても真理には届かない。
ローマを経てミラノへ。転機が二つ重なる。ひとつはアンブロシウス司教との出会い。キリスト教の聖書を寓意的に読む方法を知り、旧約聖書の粗野さに感じていた知的抵抗が崩れた。もうひとつは新プラトン主義の書物、おそらくプロティノスの『エンネアデス』との遭遇だ。非物質的な実在がある。精神は物体ではない。この洞察がマニ教の唯物的二元論を打ち砕いた。
386年の回心。387年、アンブロシウスから洗礼を受ける。母モニカは息子の回心を見届けたのち、同年オスティアで世を去った。北アフリカに戻り、391年にヒッポ・レギウス(現アルジェリア・アンナバ)で司祭に叙階。395年、同地の司教に就任。以後35年間、死ぬまでこの町を離れなかった。説教し、裁判をさばき、異端と論争し、途方もない量の著作を書いた。430年8月28日、ヴァンダル族がヒッポを包囲するさなか、75歳で没した。帝国の崩壊とともに逝った。
ミニ年表
- 354年:ヌミディア属州タガステに生まれる
- 370年:カルタゴで修辞学を学ぶ。愛人と同棲
- 373年:キケロ『ホルテンシウス』を読み哲学に目覚める。マニ教に入る
- 383年:ローマに渡る。マニ教に失望
- 384年:ミラノの修辞学教師に就任。アンブロシウス司教と出会う
- 386年:ミラノの庭で回心(「取って読め」の場面)
- 387年:アンブロシウスより受洗。母モニカ死去
- 391年:ヒッポ・レギウスで司祭に叙階
- 395年:ヒッポ司教に就任
- 397〜401年:『告白』(Confessiones)執筆
- 412〜426年:『神の国』(De Civitate Dei)執筆
- 430年:ヴァンダル族の包囲下、ヒッポにて没
この哲学者は何を問うたのか
古代ギリシャの哲学者たちは外を見ていた。宇宙の根源は何か。存在とは何か。善き生とは何か。問いの矢はつねに自分の外側に向いていた。プラトンのイデアもアリストテレスの四原因も、世界の側にある構造を記述しようとする営みだ。
アウグスティヌスは矢を反転させた。「外に出るな。自分自身のなかに帰れ。内なる人間のなかに真理は住む」(Noli foras ire, in te ipsum redi; in interiore homine habitat veritas、『真の宗教』39.72)。この一文が西洋哲学の方向を変えた。真理は天上のイデア界にあるのでも、感覚の向こう側にあるのでもない。私の内部にある。
だがこの「内部」は、安全な場所ではなかった。覗き込んでみたら底なしの穴だった。意志は壊れている。記憶は広大すぎて自分でも把握できない。時間は指のあいだをすり抜ける。
『告白』第10巻でアウグスティヌスは記憶(memoria)の内部に潜っていく。「記憶の広大な広間」(campos et lata praetoria memoriae、10.8.12)。そこには過去の映像、学んだ知識、感情の痕跡、忘れたはずの記憶までが収蔵されている。悲しみの記憶を思い出しても、今の私は悲しくないことがある。記憶は経験のコピーではない。何かが変形されて保存されている。では記憶のなかの「私」は本当の「私」なのか。忘却のなかに沈んだ部分は、もう「私」ではないのか。記憶をたどるほどに、自己の輪郭が曖昧になっていく。
アウグスティヌスが発見したのは、自己は透明ではないということだ。自分が自分にとって不可解であるという事実。「わたしはわたし自身にとって大きな問いとなった」(quaestio mihi factus sum、『告白』10.33.50)。
この問いは、それまでの哲学には存在しなかった。ソクラテスは「汝自身を知れ」と言ったが、彼にとっての自己認識は理性によって達成できるものだった。アウグスティヌスは違う。自分を知ろうとすればするほど、知りえない深みが現れる。自己は問題の解決者ではなく、問題そのものだ。
核心理論
1. 意志の分裂:「命じるのは私、従わないのも私」
『告白』第8巻は西洋思想史で最も異様なテクストのひとつだ。回心にいたるまでの内的葛藤を、アウグスティヌスはほとんど肉体的な苦痛として描写する。
「心は身体に命じる。すると身体はただちに従う。心は心自身に命じる。すると抵抗にあう」(『告白』8.9.21)。この一節の凄みがわかるだろうか。手を上げろと命じれば手は上がる。だが「欲望を捨てろ」と命じても心は動かない。命令する主体と抵抗する主体が同じ一人の人間のなかにいる。
『告白』第8巻5章には、依存の構造を正確に描いた一節がある。意志のゆがみが欲望(libido)を生み、欲望に仕えるうちに習慣(consuetudo)が生まれ、習慣に逆らわなければ必然(necessitas)になる。「こうした環が鎖のように絡み合って、わたしを苛酷な隷属に縛りつけていた」(8.5.10)。意志→欲望→習慣→必然。このエスカレーションの図式は、現代の依存症研究がたどりついた知見と驚くほど重なる。
アウグスティヌスはこれを二つの意志の闘争として描く。古い意志(voluntas vetus)と新しい意志(voluntas nova)。肉に縛られた習慣の力と、神に向かおうとする新しい衝動。どちらも自分だ。どちらも本気だ。人は二つの魂をもっているのか。マニ教ならそう答えただろう。善の魂と悪の魂が戦っている、と。アウグスティヌスはこの安い解答を退ける。魂は一つだ。その一つの魂が、自分自身に引き裂かれている。
具体的な話をしよう。深夜2時。明日は早い。寝なければならないと知っている。手にはスマートフォン。「あと5分だけ」。1時間が過ぎる。意志は命じている。意志は従わない。アウグスティヌスが1600年前に記述した現象は、今夜もあなたの寝室で再現されている。
「意志が十分に意志しないとき、意志は命じない。十分に意志するならば、命じる必要すらない」(8.9.21)。完全に望むなら、望んだ瞬間にすでに実現している。望んでいるのに実現しないということは、望み方が不完全だということ。意志はつねに半端にしか自分を意志しない。この構造は原罪の結果だとアウグスティヌスは言う。堕落した人間の意志は、自力では統一できない。恩寵(gratia)だけが、裂けた意志を一つにする。
2. 時間の謎:「誰も問わなければ知っている、問われれば知らない」
『告白』第11巻は時間論の最高傑作のひとつだ。表向きは『創世記』の「はじめに神は天と地を創造した」の注解。だが中身は純粋な哲学だ。
「時間とは何か。誰も問わなければ、わたしは知っている。問う者に説明しようとすると、知らない」(11.14.17)。この一文ほど哲学の本質を衝いた言葉は少ない。時間は最も身近な経験でありながら、考え始めた途端に手からすり落ちる。
アウグスティヌスの分析はこうだ。過去は存在しない(もう去った)。未来は存在しない(まだ来ていない)。現在は? 現在を掴もうとした瞬間、それは過去になっている。ならば時間はどこにある?
答え:心のなかにある。過去は記憶(memoria)として心のなかに現在する。未来は期待(expectatio)として心のなかに現在する。現在は注意(attentio)として心のなかに現在する。時間とは心の延伸(distentio animi)にほかならない。
アウグスティヌスは詩篇の朗読を例に挙げる(11.28.38)。一篇の詩を暗唱するとき、歌い始める前の私の期待は詩全体に及んでいる。歌い始めると、歌い終えた部分は記憶に移り、まだ歌っていない部分が期待に残る。注意は今まさに口から出ていく一音に張りついている。期待は縮み、記憶は膨らむ。詩の終わりに到達したとき、期待はゼロになり、全体が記憶に移行している。この運動こそが時間の正体だ、と。時計が刻むのは物理的な運動にすぎない。時間は心が引き伸ばされる経験のなかにだけある。
ここで起きていることの射程を見逃してはならない。アウグスティヌスは、時間を外的な実在ではなく意識の構造として記述している。時計の針が動くのは時間のなかではない。時間とは心が記憶と期待のあいだに引き伸ばされる経験そのものだ。20世紀の現象学が格闘した問題を、5世紀の司教がすでに剔抉している。フッサールは『内的時間意識の現象学』(1928)でアウグスティヌスに繰り返し言及している。偶然ではない。
3. 悪の問題:善の欠如としての悪
もし全能で善なる神がいるなら、なぜ世界に悪があるのか。この問いはアウグスティヌスにとって学問ではなく実存だった。マニ教に9年間いた理由がそこにある。悪が独立した実体(闇の原理)であるなら、自分の悪行は自分のせいではない。楽な解答だ。
新プラトン主義と出会い、アウグスティヌスは別の枠組みに到達する。悪は実体ではない。善の欠如(privatio boni)にすぎない。闇は何かの存在ではなく、光の不在。病は何かの存在ではなく、健康の損なわれた状態。悪もそうだ。存在するかぎりの一切は善であり、悪とはその善が腐敗(corruptio)した状態だ。
この解答は精巧だが、痛みを伴う。悪が実体でないなら、悪を選ぶのは完全に自分の責任だ。闇の力のせいにはできない。梨を盗んだ16歳の自分は、闇に操られたのではない。自らの意志で善から逸れた。マニ教は責任を外部に押しつける装置だった。アウグスティヌスはそれを剥ぎ取って、自分の前に突きつけた。
ただし問題は消えない。もし善なる神がすべてを創り、存在するものはすべて善なら、なぜ善は欠けるのか。なぜ腐敗は起きるのか。アウグスティヌスの答えは自由意志に帰する。人間は善から逸れる能力をもって創られた。逸れたのは神のせいではなく、人間のせいだ。
この議論は道徳悪(人間が意志で選ぶ悪)には有効だ。だが自然悪はどうか。地震、疫病、子どもの白血病。誰の意志がこれを選んだのか。アウグスティヌスは自然悪を被造物の有限性に帰す。有限なものは完全ではありえない。壊れうることは有限の条件だ、と。さらに原罪の結果として全被造界が秩序を乱されたのだ、とも論じる。論理としては整合的だが、津波に飲まれた町を前にして、この答えで足りるかどうか。答えは読者に委ねる。
4. 恩寵と自由意志:救いは誰のものか
意志は分裂している。自力では統一できない。ならば人間は自分の力で善く生きることができるのか。アウグスティヌスの答え:できない。恩寵がなければ。
この問題が炸裂したのが、ブリタンニア出身の修道士ペラギウスとの論争だ(411年頃〜)。ペラギウスは言った。「人間は自由意志によって罪を避け、善を行うことができる。アダムの罪が全人類に遺伝するなどありえない。恩寵は助けにはなるが、必須ではない」。至極まっとうな主張に聞こえる。
アウグスティヌスは激怒した。自分の肉体で経験した意志の無力を、ペラギウスは理解していない。やめたいのにやめられない。変わりたいのに変われない。あのミラノの庭での苦悶を。人間の意志は堕落以来、善に向かう力を根本から損なわれている。神の恩寵なしに善を行えるという楽観は、自己欺瞞だ。
ここに巨大な難問が生まれる。もし恩寵がなければ救われないなら、恩寵を与えるかどうかは神が決める。救われる者と救われない者は、あらかじめ定められている(予定説、praedestinatio)。自由意志はどこに行ったのか。アウグスティヌスは自由意志を否定はしない。罪を犯す自由はある。だが善を完遂する自由は、恩寵なしにはない。この非対称性がのちの西洋神学の断層線になる。ルターとカルヴァンはこの線の上に立った。
5. 二つの国:歴史は愛の方向で分かれる
410年、西ゴート族のアラリックがローマを略奪した。永遠の都が陥落した衝撃は帝国全土を揺るがした。「キリスト教がローマを弱くしたのだ」という異教徒の非難に答えるため、アウグスティヌスは巨大な著作に取りかかった。『神の国』(De Civitate Dei)。全22巻、執筆に14年を費やした。
中心テーゼは明快だ。人類の歴史は二つの「国」(civitas)の絡み合いとして読める。「神の国」(civitas Dei)と「地の国」(civitas terrena)。二つを分けるのは国境でも民族でもない。愛の方向だ。神への愛(amor Dei)に駆り立てられる者と、自己への愛(amor sui)に囚われる者。この二つの指向が歴史の底流を成す。
有名な定式化がある。「二つの愛が二つの国をつくった。自己への愛が神への侮蔑にまで達して地の国をつくり、神への愛が自己への侮蔑にまで達して神の国をつくった」(14.28)。地の国は自らを誇り、神の国は神を誇る。対になっているが対等ではない。自己への愛は肥大し、他者を道具にする。神への愛は自己を縮め、他者に向かう。どちらの愛に生きるかで、同じ街に住む二人が別の「国」の住人になる。
ローマ帝国の偉大さは幻影だ。いかなる地上の国家も正義を完全に実現することはできない。権力は支配欲(libido dominandi)に汚染されている。帝国の崩壊はキリスト教のせいではない。地上の国はいずれ滅びる。残るのは神の国だけだ。この枠組みは、政治権力に対する根本的な懐疑を内蔵している。地上の権力は仮のもの。絶対ではない。中世ヨーロッパで教会と国家が衝突するたびに、この書物が引き合いに出された。
主要著作ガイド
- 『告白』(Confessiones、397〜401年):西洋最初の自伝であり、哲学書であり、祈りの書。全13巻。前半(1〜9巻)は回心までの自伝、後半(10〜13巻)は記憶・時間・創造の哲学的考察。服部英次郎訳(岩波文庫、上・下)が手に入りやすい。一冊だけ読むならこれ。
- 『神の国』(De Civitate Dei、412〜426年):全22巻の大著。歴史神学・政治哲学・宗教哲学を横断する。通読は覚悟がいるが、第19巻(平和と正義論)だけでも読む価値がある。服部英次郎ほか訳(岩波文庫)。
- 『三位一体論』(De Trinitate、399〜419年):三位一体の教義を哲学的に基礎づける試み。後半では人間の精神のなかに三位一体の類比(記憶・知性・意志)を見出す。難解だが、精神の自己反省に関する考察は鋭い。
- 『自由意志論』(De Libero Arbitrio、387〜395年):悪の起源を自由意志に帰する議論。対話形式で読みやすい。恩寵重視へ傾く前の若いアウグスティヌスの声が聞こえる。
主要な批判と論争
アウグスティヌスは勝った。ペラギウス派は異端とされ、教会の公式教義は恩寵論の側に傾いた。だが勝利には代償がある。アウグスティヌスの思想が内蔵する危なさは、敵のほうがよく見えていた。
まず急所を突いたのは、原罪と予定説がもたらす帰結だ。エクラヌムのユリアヌスはアウグスティヌスの晩年の論敵で、原罪教義を「マニ教の残滓だ」と攻撃した。生まれたばかりの赤子が罪を負っているという教えは、神の正義を損なうのではないか。予定説が正しいなら、救われない者の道徳的努力はすべて無駄ではないか。この批判は正面から刺さる。アウグスティヌスは回答を試みたが、すっきり解消できたとは言いがたい。
もうひとつ、近代から繰り返し投げつけられるのが、肉体と性への蔑視だ。アウグスティヌスは性欲を堕罪の最も生々しい刻印とみなした。性的欲望は意志の制御を超え、理性を圧倒する。それが罪の証だ、と。近代からすれば、この見方は肉体への敵意であり、キリスト教道徳が西洋に植えつけた罪悪感の根だ。ニーチェなら吐き捨てるだろう。「肉体の軽蔑者」と。だがアウグスティヌスが記述した「欲望の自律性」、つまり意志の統制から逸れて暴走する欲望という現象は、道徳的評価を括弧に入れても心理学的観察として鋭い。
別の角度から切り込んだのがハンナ・アーレントだ。アーレントは博士論文(『アウグスティヌスの愛の概念』、1929年)でアウグスティヌスと格闘した。彼女の後年の批判は、アウグスティヌスの内面への転回が、人間が他者と言葉を交わし行為する政治的空間を軽視することにつながる、という点に向かう。魂の救済に没頭するあまり、公共の世界が取り残される。内面の発見は外の喪失でもあった、と。
影響と遺産
この男はどこにでもいる。西洋思想の地下水脈を掘れば、たいていアウグスティヌスに突き当たる。
中世スコラ哲学はアウグスティヌスなしには成立しない。トマス・アクィナスはアリストテレスを導入しつつも、恩寵論や悪の欠如説ではアウグスティヌスの路線を踏襲した。宗教改革ではルターとカルヴァンがこぞってアウグスティヌスを引いた。恩寵なしに人間は救われない。信仰のみによる義認。ルターはアウグスティノ会の修道士だった。
17世紀のヤンセニスム(ジャンセニスム)もアウグスティヌスの直系だ。コルネリウス・ヤンセンは主著『アウグスティヌス』(1640年)で恩寵論を徹底化し、パリ近郊のポール=ロワイヤル修道院がその拠点となった。パスカルの『パンセ』は、この運動のなかから生まれた。人間の悲惨と偉大さの同居、気晴し(divertissement)に逃げる弱さ。パスカルの筆がどれほどアウグスティヌスに負っているかは、両者を並べて読めばすぐにわかる。
哲学への影響は神学にとどまらない。デカルトのコギト(「我思う、ゆえに我あり」)は、アウグスティヌスの「疑う者は、自分が疑っていることを知っている。ゆえに少なくとも自分が知っているということを知っている」(si fallor, sum、「欺かれるなら、私は存在する」、『神の国』11.26)と構造が同じだ。デカルトが先行者を意識していたかどうかは議論があるが、西洋における「内面への転回」の系譜はアウグスティヌスに始まる。
現象学の伝統もこの系譜のなかにある。フッサールの時間意識論はアウグスティヌスのdistentio animiを下敷きにしている。ハイデガーは『存在と時間』の脚注でアウグスティヌスに言及し、初期の講義ではアウグスティヌスの『告白』第10巻を詳細に読解した(「アウグスティヌスと新プラトン主義」、1921年講義)。
精神分析との関連も無視できない。『告白』は自己の暗部をさらけ出す行為であり、意志の背後にある抑圧された欲望を言語化する試みだ。フロイトが無意識を「発見」したとされる19世紀末から1500年も前に、アウグスティヌスは自分が自分を把握しきれないという経験を、あれほど赤裸々に書いた。
現代への接続
終電を逃した居酒屋。「もう一杯だけ」と言いながら三杯目を頼む手。朝4時、目が痛いのにスマートフォンの画面を閉じられない指。給料日前に通販サイトの「購入」ボタンを押す親指。依存の構造はアウグスティヌスが記述した意志の分裂そのものだ。認知行動療法(CBT)は習慣の力と意志の衝突を治療する。だがアウグスティヌスが見ていたのはもっと深い層だ。習慣が問題なのではない。意志そのものが壊れている。テクニックでは治らない領域がある。
SNSで理想の自己像を演出しながら、裏では自分の虚偽に苦しんでいる人がいる。告白という行為、すなわち自分の醜い部分をさらけ出すことは、加工された自己イメージが氾濫する時代に、逆説的な切実さを帯びている。アウグスティヌスは自分の罪を神の前で告白した。SNSの世界には告白を受け止める相手がいない。自己欺瞞だけが蓄積する。
「正しい戦争」(bellum iustum)の教義もアウグスティヌスに遡る。地上の平和は不完全だが、不正を放置するよりは武力で秩序を回復するほうがましだ、と。この論理は国際法の「正戦論」に受け継がれ、現在の軍事介入の正当化にも使われている。便利な道具でもあり、危険な武器でもある。
読者への問い
- 「やめたいのにやめられない」経験を思い出してほしい。そのとき「命じている自分」と「従わない自分」のどちらが「本当の自分」だったか。
- 過去の失敗を思い出すとき、胸が痛む。過去はもう存在しないのに、なぜ痛みは現在にあるのか。時間は本当に「流れている」のか、それとも心のなかで「引き伸ばされている」のか。
- あなたが今日行った善い行為は、あなた自身の力によるものか。それとも環境、教育、運、遺伝によるものか。「自分の手柄」と呼べるものは、どれだけ残るか。
名言(出典つき)
「わたしはわたし自身にとって大きな問いとなった」 出典:アウグスティヌス『告白』第10巻33章50節/原文:"quaestio mihi factus sum"
自己認識の不可能性を、これほど短く正確に突いた言葉はない。知るべき対象が知る主体と同一であるとき、認識はつねに自分を追い越せない。
「時間とは何か。誰もわたしに問わなければ、わたしは知っている。問う者に説明しようとすると、わたしは知らない」 出典:アウグスティヌス『告白』第11巻14章17節/原文:"Quid est ergo tempus? si nemo ex me quaerat, scio; si quaerenti explicare velim, nescio."
哲学が何をするものなのかを一文で示している。日常で当たり前に使っている概念が、問い詰められた途端に崩れる。
「遅かった、わたしがあなたを愛したのは。ああ、かくも古く、かくも新しい美しさよ、わたしがあなたを愛したのは遅かった」 出典:アウグスティヌス『告白』第10巻27章38節/原文:"Sero te amavi, pulchritudo tam antiqua et tam nova, sero te amavi!"
後悔と歓喜が同時に押し寄せる。遅すぎた愛の告白。だが「遅い」からこそ、その言葉には重みがある。若い頃に真理を見つけていたら、この文章は書かれなかっただろう。
参考文献
- (原典):アウグスティヌス『告白』山田晶訳、『世界の名著14 アウグスティヌス』中央公論社、1968年(中公バックス版1978年)。
- (原典):アウグスティヌス『告白』服部英次郎訳、岩波文庫(上・下)、1976年。
- (原典):アウグスティヌス『神の国』服部英次郎ほか訳、岩波文庫(全5冊)、1982〜1991年。
- (原典):Augustine, Confessions, trans. Henry Chadwick, Oxford University Press, 1991.
- (研究書):Peter Brown, Augustine of Hippo: A Biography, new ed., University of California Press, 2000.(邦訳:出村和彦訳『アウグスティヌス伝』教文館、上下巻、2004-2012年。)
- (研究書):金子晴勇『アウグスティヌスの人間学』創文社、1982年。
- (概説):加藤信朗『初期アウグスティヌスの思想形成』東京大学出版会、2006年。
- (研究書):Hannah Arendt, Love and Saint Augustine, ed. J. V. Scott and J. C. Stark, University of Chicago Press, 1996.
- (研究書):John M. Rist, Augustine: Ancient Thought Baptized, Cambridge University Press, 1994.
- (補助ウェブ資料):"Saint Augustine", Stanford Encyclopedia of Philosophy.