386ねんなつミラノMediolanum。32さい修辞学しゅうじがく教師きょうしが、借家しゃくやにわいている。無花果いちじくしたなみだ鼻水はなみずにまみれたかお地面じめんしている。かれっている。自分じぶんわらなければならないことを。だがわれない。わりたいのにわりたくない。意志いし意志いしさからっている。隣家りんかからどもの歌声うたごえこえてくる。「ってめ、ってめ」(tolle lege, tolle legeトッレ・レゲ、トッレ・レゲ)。かれがり、かたわらにかれた使徒しとパウロPaulus書簡しょかんひらく。んだのは『ローマRoma信徒しんとへの手紙てがみ』13しょう13〜14せつ。「酒宴しゅえん酩酊めいてい淫乱いんらん好色こうしょくあらそいと嫉妬しっとてよ。しゅイエス・キリストChristusよ」。それ以上いじょう必要ひつようはなかった、とアウグスティヌスAugustinusく(8.12.29)。一節いっせつ人生じんせいけた。

アウレリウスAureliusアウグスティヌスAugustinus西洋せいよう思想史しそうしもっと影響力えいきょうりょくのある神学者しんがくしゃのひとり。だが神学しんがくわくおさめてしまうと、このおとこすごみはえなくなる。かれひらいたのは、人間にんげん内面ないめんという大陸たいりくだ。意志いしみずからに分裂ぶんれつする恐怖きょうふ時間じかん意識いしきのなかにしか存在そんざいしないという直観ちょっかんあく実体じったいではなく欠如けつじょであるという発見はっけんデカルトDescartes自己じこ確実性かくじつせい到達とうたつする1200ねんまえに、アウグスティヌスAugustinusはすでに内面ないめんへの転回てんかいげていた。しかもデカルトDescartesよりはるかに生々なまなましいやりかたで。

このおとこうたのは、「世界せかいはどうなっているか」ではない。「わたしはなぜわたし制御せいぎょできないのか」だ。哲学てつがく宇宙うちゅうからたましいおくきをえた瞬間しゅんかんがある。アウグスティヌスAugustinusはその蝶番ちょうつがいっている。

この記事きじ要点ようてん

  • 意志いし分裂ぶんれつvoluntas divisaウォルンタス・ディウィーサ意志いし自分じぶん自身じしん命令めいれいし、自分じぶん自身じしんそむく。アウグスティヌスAugustinusは『告白こくはくだい8かんで、この自己じこ分裂ぶんれつ臨床的りんしょうてき精密せいみつさで記述きじゅつした。フロイトFreud無意識むいしきを「発見はっけん」する1500ねんまえ出来事できごとだ。依存症いぞんしょうから先延さきのばしぐせまで、「わかっているのにやめられない」の構造こうぞうはここではじめて言語化げんごかされた。
  • 時間じかんこころ延伸えんしんdistentio animiディステンティオ・アニミー過去かこはもう存在そんざいしない。未来みらいはまだ存在そんざいしない。現在げんざいとどまらない。ならば時間じかんはどこにあるのか。アウグスティヌスAugustinusこたえ:記憶きおく注意ちゅうい期待きたいというこころみっつのはたらきのなかにだけ時間じかんはある。『告白こくはくだい11かんのこの分析ぶんせきは、フッサールHusserl時間じかん意識いしきろんからハイデガーHeideggerの『存在そんざい時間じかん』にまで直結ちょっけつする。
  • あくぜん欠如けつじょprivatio boniプリウァーティオー・ボニーあく実体じったいではなく、ぜんけた状態じょうたいにすぎない。暗闇くらやみひかり不在ふざいであるように。マニManiきょう善悪ぜんあく二元論にげんろんみずからの肉体にくたい通過つうかしたおとこ到達とうたつした解答かいとうであり、西洋せいよう神学しんがくあく問題もんだいtheodicyセオディシー)の出発点しゅっぱつてんとなった。

生涯しょうがい時代じだい背景はいけい

354ねん11がつ13にちヌミディアNumidia属州ぞくしゅうちいさなまちタガステThagasteげんアルジェリアAlgeriaスーク・アフラースSouk Ahras)でおとこまれた。ちちパトリキウスPatricius異教徒いきょうとしょう地主じぬしははモニカMonica敬虔けいけんキリストChristus教徒きょうとローマRoma帝国ていこくはとうに最盛期さいせいきぎている。辺境へんきょうでは異民族いみんぞく侵入しんにゅう帝国ていこく内部ないぶでは宗教しゅうきょう対立たいりつ激化げきかしていた。地中海ちちゅうかい世界せかい古代こだいから中世ちゅうせいへとくずちていく、その亀裂きれつなかにこのおとこまれた。

少年しょうねん時代じだいアウグスティヌスAugustinus優秀ゆうしゅうだったが、素行そこうがよかったとはいがたい。学校がっこうをさぼり、隣家りんかなしぬすみ、友人ゆうじんたちとあそまわった。なし窃盗せっとうは『告白こくはくだい2かん執拗しつよう分析ぶんせきされる。空腹くうふくだったわけでも、なししかったわけでもない。ぬすむこと自体じたい快楽かいらくだった。あくのためのあく。16さい少年しょうねんおかした些細ささい非行ひこう記憶きおくを、40だい司教しきょうくような筆致ひっち解剖かいぼうする。この執着しゅうちゃくアウグスティヌスAugustinusだ。

370ねん修辞学しゅうじがくまなぶためカルタゴCarthagoる。当時とうじ修辞学しゅうじがくいまでいう法学ほうがく広告こうこく政治せいじコンサルタントをわせたようなもので、立身りっしん出世しゅっせ切符きっぷだった。カルタゴCarthago愛人あいじんをもち、息子むすこアデオダトゥスAdeodatusをもうけた。肉欲にくよく野心やしんおぼれていた、とのち自分じぶんさばく。ただし知的ちてきえもはげしかった。19さいキケロCicero対話たいわへんホルテンシウスHortensius』をみ、哲学てつがくへの情熱じょうねつがついた。この書物しょもつ現存げんそんしないが、一冊いっさつほん人間にんげんえる瞬間しゅんかんがある、ということの証言しょうげんとしてのこっている。

真理しんりえた青年せいねんがまずかったのはマニManiきょうだった。ひかりやみ二元論にげんろん世界せかいにはぜん原理げんりあく原理げんりがある。肉体にくたい欲望よくぼうくるしむ青年せいねんにとって、「あく自分じぶんのせいではなくやみ原理げんりのせいだ」というおしえは甘美かんび免罪符めんざいふだったにちがいない。9年間ねんかんアウグスティヌスAugustinusマニManiきょう聴聞者ちょうもんしゃだった。だがやがて知的ちてき不満ふまんつのる。383ねんマニManiきょう高僧こうそうファウストゥスFaustusってみたが、期待きたいはずれだった。べんつが中身なかみがない。ここにいても真理しんりにはとどかない。

ローマRomaミラノMediolanumへ。転機てんきふたかさなる。ひとつはアンブロシウスAmbrosius司教しきょうとの出会であい。キリストChristusきょう聖書せいしょ寓意的ぐういてき方法ほうほうり、旧約きゅうやく聖書せいしょ粗野そやさにかんじていた知的ちてき抵抗ていこうくずれた。もうひとつはしんプラトンPlatōn主義しゅぎ書物しょもつ、おそらくプロティノスPlōtinosの『エンネアデスEnneades』との遭遇そうぐうだ。非物質的ひぶっしつてき実在じつざいがある。精神せいしん物体ぶったいではない。この洞察どうさつマニManiきょう唯物的ゆいぶつてき二元論にげんろんくだいた。

386ねん回心かいしん。387ねんアンブロシウスAmbrosiusから洗礼せんれいける。ははモニカMonica息子むすこ回心かいしん見届みとどけたのち、同年どうねんオスティアOstiaった。きたアフリカにもどり、391ねんヒッポHippoレギウスRegiusげんアルジェリアAlgeriaアンナバAnnaba)で司祭しさい叙階じょかい。395ねん同地どうち司教しきょう就任しゅうにん以後いご35年間ねんかんぬまでこのまちはなれなかった。説教せっきょうし、裁判さいばんをさばき、異端いたん論争ろんそうし、途方とほうもないりょう著作ちょさくいた。430ねん8がつ28にちヴァンダルVandalぞくヒッポHippo包囲ほういするさなか、75さいぼつした。帝国ていこく崩壊ほうかいとともにった。

ミニ年表ねんぴょう

  • 354ねんヌミディアNumidia属州ぞくしゅうタガステThagasteまれる
  • 370ねんカルタゴCarthago修辞学しゅうじがくまなぶ。愛人あいじん同棲どうせい
  • 373ねんキケロCiceroホルテンシウスHortensius』を哲学てつがく目覚めざめる。マニManiきょうはい
  • 383ねんローマRomaわたる。マニManiきょう失望しつぼう
  • 384ねんミラノMediolanum修辞学しゅうじがく教師きょうし就任しゅうにんアンブロシウスAmbrosius司教しきょう出会であ
  • 386ねんミラノMediolanumにわ回心かいしん(「ってめ」の場面ばめん
  • 387ねんアンブロシウスAmbrosiusより受洗じゅせんははモニカMonica死去しきょ
  • 391ねんヒッポHippoレギウスRegius司祭しさい叙階じょかい
  • 395ねんヒッポHippo司教しきょう就任しゅうにん
  • 397〜401ねん:『告白こくはく』(Confessionesコンフェッシオーネース執筆しっぴつ
  • 412〜426ねん:『かみくに』(De Civitate Deiデー・キーウィターテ・デイー執筆しっぴつ
  • 430ねんヴァンダルVandalぞく包囲ほういヒッポHippoにてぼつ

この哲学者てつがくしゃなにうたのか

古代こだいギリシャGreece哲学者てつがくしゃたちはそとていた。宇宙うちゅう根源こんげんなにか。存在そんざいとはなにか。ぜんせいとはなにか。いのはつねに自分じぶん外側そとがわいていた。プラトンPlatōnイデアideaアリストテレスAristotelēs四原因しげんいんも、世界せかいがわにある構造こうぞう記述きじゅつしようとするいとなみだ。

アウグスティヌスAugustinus反転はんてんさせた。「そとるな。自分じぶん自身じしんのなかにかえれ。うちなる人間にんげんのなかに真理しんりむ」(Noli foras ire, in te ipsum redi; in interiore homine habitat veritasノーリー・フォラース・イーレ、イン・テー・イプスム・レディー;イン・インテリオーレ・ホミネ・ハビタト・ウェーリタース、『しん宗教しゅうきょう』39.72)。この一文いちぶん西洋せいよう哲学てつがく方向ほうこうえた。真理しんり天上てんじょうイデアideaかいにあるのでも、感覚かんかくこうがわにあるのでもない。わたし内部ないぶにある。

だがこの「内部ないぶ」は、安全あんぜん場所ばしょではなかった。のぞんでみたらそこなしのあなだった。意志いしこわれている。記憶きおく広大こうだいすぎて自分じぶんでも把握はあくできない。時間じかんゆびのあいだをすりける。

告白こくはくだい10かんアウグスティヌスAugustinus記憶きおくmemoriaメモリア)の内部ないぶもぐっていく。「記憶きおく広大こうだい広間ひろま」(campos et lata praetoria memoriaeカンポース・エト・ラータ・プラエトーリア・メモリアエ、10.8.12)。そこには過去かこ映像えいぞうまなんだ知識ちしき感情かんじょう痕跡こんせきわすれたはずの記憶きおくまでが収蔵しゅうぞうされている。かなしみの記憶きおくおもしても、いまわたしかなしくないことがある。記憶きおく経験けいけんのコピーではない。なにかが変形へんけいされて保存ほぞんされている。では記憶きおくのなかの「わたし」は本当ほんとうの「わたし」なのか。忘却ぼうきゃくのなかにしずんだ部分ぶぶんは、もう「わたし」ではないのか。記憶きおくをたどるほどに、自己じこ輪郭りんかく曖昧あいまいになっていく。

アウグスティヌスAugustinus発見はっけんしたのは、自己じこ透明とうめいではないということだ。自分じぶん自分じぶんにとって不可解ふかかいであるという事実じじつ。「わたしはわたし自身じしんにとっておおきないとなった」(quaestio mihi factus sumクアエスティオー・ミヒ・ファクトゥス・スム、『告白こくはく』10.33.50)。

このいは、それまでの哲学てつがくには存在そんざいしなかった。ソクラテスSōkratēsは「なんじ自身じしんれ」とったが、かれにとっての自己じこ認識にんしき理性りせいによって達成たっせいできるものだった。アウグスティヌスAugustinusちがう。自分じぶんろうとすればするほど、りえないふかみがあらわれる。自己じこ問題もんだい解決かいけつしゃではなく、問題もんだいそのものだ。

核心かくしん理論りろん

1. 意志いし分裂ぶんれつ:「めいじるのはわたししたがわないのもわたし

告白こくはくだい8かん西洋せいよう思想史しそうしもっと異様いようなテクストのひとつだ。回心かいしんにいたるまでの内的ないてき葛藤かっとうを、アウグスティヌスAugustinusはほとんど肉体的にくたいてき苦痛くつうとして描写びょうしゃする。

こころ身体しんたいめいじる。すると身体しんたいはただちにしたがう。こころこころ自身じしんめいじる。すると抵抗ていこうにあう」(『告白こくはく』8.9.21)。この一節いっせつすごみがわかるだろうか。げろとめいじればがる。だが「欲望よくぼうてろ」とめいじてもこころうごかない。命令めいれいする主体しゅたい抵抗ていこうする主体しゅたいおな一人ひとり人間にんげんのなかにいる。

告白こくはくだい8かん5しょうには、依存いぞん構造こうぞう正確せいかくえがいた一節いっせつがある。意志いしのゆがみが欲望よくぼうlibidoリビードー)をみ、欲望よくぼうつかえるうちに習慣しゅうかんconsuetudoコンスエートゥードー)がまれ、習慣しゅうかんさからわなければ必然ひつぜんnecessitasネケッシタース)になる。「こうしたくさりのようにからって、わたしを苛酷かこく隷属れいぞくしばりつけていた」(8.5.10)。意志いし欲望よくぼう習慣しゅうかん必然ひつぜん。このエスカレーションの図式ずしきは、現代げんだい依存症いぞんしょう研究けんきゅうがたどりついた知見ちけんおどろくほどかさなる。

アウグスティヌスAugustinusはこれをふたつの意志いし闘争とうそうとしてえがく。ふる意志いしvoluntas vetusウォルンタス・ウェトゥス)とあたらしい意志いしvoluntas novaウォルンタス・ノウァ)。にくしばられた習慣しゅうかんちからと、かみかおうとするあたらしい衝動しょうどう。どちらも自分じぶんだ。どちらも本気ほんきだ。人はふたつのたましいをもっているのか。マニManiきょうならそうこたえただろう。ぜんたましいあくたましいたたかっている、と。アウグスティヌスAugustinusはこのやす解答かいとう退しりぞける。たましいひとつだ。そのひとつのたましいが、自分じぶん自身じしんかれている。

具体的ぐたいてきはなしをしよう。深夜しんや2明日あしたはやい。なければならないとっている。にはスマートフォン。「あと5ふんだけ」。1時間じかんぎる。意志いしめいじている。意志いししたがわない。アウグスティヌスAugustinusが1600年前ねんまえ記述きじゅつした現象げんしょうは、今夜こんやもあなたの寝室しんしつ再現さいげんされている。

意志いし十分じゅうぶん意志いししないとき、意志いしめいじない。十分じゅうぶん意志いしするならば、めいじる必要ひつようすらない」(8.9.21)。完全かんぜんのぞむなら、のぞんだ瞬間しゅんかんにすでに実現じつげんしている。のぞんでいるのに実現じつげんしないということは、のぞかた不完全ふかんぜんだということ。意志いしはつねに半端はんぱにしか自分じぶん意志いししない。この構造こうぞう原罪げんざい結果けっかだとアウグスティヌスAugustinusう。堕落だらくした人間にんげん意志いしは、自力じりきでは統一とういつできない。恩寵おんちょうgratiaグラーティア)だけが、けた意志いしひとつにする。

2. 時間じかんなぞ:「だれわなければっている、われればらない」

告白こくはくだい11かん時間じかんろん最高傑作さいこうけっさくのひとつだ。表向おもてむきは『創世記そうせいき』の「はじめにかみてん創造そうぞうした」の注解ちゅうかい。だが中身なかみ純粋じゅんすい哲学てつがくだ。

時間じかんとはなにか。だれわなければ、わたしはっている。もの説明せつめいしようとすると、らない」(11.14.17)。この一文いちぶんほど哲学てつがく本質ほんしついた言葉ことばすくない。時間じかんもっと身近みぢか経験けいけんでありながら、かんがはじめた途端とたんからすりちる。

アウグスティヌスAugustinus分析ぶんせきはこうだ。過去かこ存在そんざいしない(もうった)。未来みらい存在そんざいしない(まだていない)。現在げんざいは? 現在げんざいつかもうとした瞬間しゅんかん、それは過去かこになっている。ならば時間じかんはどこにある?

こたえ:こころのなかにある。過去かこ記憶きおくmemoriaメモリア)としてこころのなかに現在げんざいする。未来みらい期待きたいexpectatioエクスペクターティオー)としてこころのなかに現在げんざいする。現在げんざい注意ちゅういattentioアッテンティオー)としてこころのなかに現在げんざいする。時間じかんとはこころ延伸えんしんdistentio animiディステンティオー・アニミー)にほかならない。

アウグスティヌスAugustinus詩篇しへん朗読ろうどくれいげる(11.28.38)。一篇いっぺん暗唱あんしょうするとき、うたはじめるまえわたし期待きたい全体ぜんたいおよんでいる。うたはじめると、うたえた部分ぶぶん記憶きおくうつり、まだうたっていない部分ぶぶん期待きたいのこる。注意ちゅういいままさにくちからていく一音いちおんりついている。期待きたいちぢみ、記憶きおくふくらむ。わりに到達とうたつしたとき、期待きたいはゼロになり、全体ぜんたい記憶きおく移行いこうしている。この運動うんどうこそが時間じかん正体しょうたいだ、と。時計とけいきざむのは物理的ぶつりてき運動うんどうにすぎない。時間じかんこころばされる経験けいけんのなかにだけある。

ここできていることの射程しゃてい見逃みのがしてはならない。アウグスティヌスAugustinusは、時間じかん外的がいてき実在じつざいではなく意識いしき構造こうぞうとして記述きじゅつしている。時計とけいはりうごくのは時間じかんのなかではない。時間じかんとはこころ記憶きおく期待きたいのあいだにばされる経験けいけんそのものだ。20世紀せいき現象学げんしょうがく格闘かくとうした問題もんだいを、5世紀せいき司教しきょうがすでに剔抉てっけつしている。フッサールHusserlは『内的ないてき時間じかん意識いしき現象学げんしょうがく』(1928)でアウグスティヌスAugustinusかえ言及げんきゅうしている。偶然ぐうぜんではない。

3. あく問題もんだいぜん欠如けつじょとしてのあく

もし全能ぜんのうぜんなるかみがいるなら、なぜ世界せかいあくがあるのか。このいはアウグスティヌスAugustinusにとって学問がくもんではなく実存じつぞんだった。マニManiきょうに9年間ねんかんいた理由りゆうがそこにある。あく独立どくりつした実体じったいやみ原理げんり)であるなら、自分じぶん悪行あくぎょう自分じぶんのせいではない。らく解答かいとうだ。

しんプラトンPlatōn主義しゅぎ出会であい、アウグスティヌスAugustinusべつ枠組わくぐみに到達とうたつする。あく実体じったいではない。ぜん欠如けつじょprivatio boniプリウァーティオー・ボニー)にすぎない。やみなにかの存在そんざいではなく、ひかり不在ふざいやまいなにかの存在そんざいではなく、健康けんこうそこなわれた状態じょうたいあくもそうだ。存在そんざいするかぎりの一切いっさいぜんであり、あくとはそのぜん腐敗ふはいcorruptioコッルプティオー)した状態じょうたいだ。

この解答かいとう精巧せいこうだが、いたみをともなう。あく実体じったいでないなら、あくえらぶのは完全かんぜん自分じぶん責任せきにんだ。やみちからのせいにはできない。なしぬすんだ16さい自分じぶんは、やみあやつられたのではない。みずからの意志いしぜんかられた。マニManiきょう責任せきにん外部がいぶしつける装置そうちだった。アウグスティヌスAugustinusはそれをって、自分じぶんまえきつけた。

ただし問題もんだいえない。もしぜんなるかみがすべてをつくり、存在そんざいするものはすべてぜんなら、なぜぜんけるのか。なぜ腐敗ふはいきるのか。アウグスティヌスAugustinusこたえは自由じゆう意志いしする。人間にんげんぜんかられる能力のうりょくをもってつくられた。れたのはかみのせいではなく、人間にんげんのせいだ。

この議論ぎろん道徳悪どうとくあく人間にんげん意志いしえらあく)には有効ゆうこうだ。だが自然悪しぜんあくはどうか。地震じしん疫病えきびょうどもの白血病はっけつびょうだれ意志いしがこれをえらんだのか。アウグスティヌスAugustinus自然悪しぜんあく被造物ひぞうぶつ有限性ゆうげんせいす。有限ゆうげんなものは完全かんぜんではありえない。こわれうることは有限ゆうげん条件じょうけんだ、と。さらに原罪げんざい結果けっかとして全被造界ぜんひぞうかい秩序ちつじょみだされたのだ、ともろんじる。論理ろんりとしては整合せいごう的だが、津波つなみまれたまちまえにして、このこたえでりるかどうか。こたえは読者どくしゃゆだねる。

4. 恩寵おんちょう自由じゆう意志いしすくいはだれのものか

意志いし分裂ぶんれつしている。自力じりきでは統一とういつできない。ならば人間にんげん自分じぶんちからぜんきることができるのか。アウグスティヌスAugustinusこたえ:できない。恩寵おんちょうがなければ。

この問題もんだい炸裂さくれつしたのが、ブリタンニアBritannia出身の修道士しゅうどうしペラギウスPelagiusとの論争ろんそうだ(411ねんごろ〜)。ペラギウスPelagiusった。「人間にんげん自由じゆう意志いしによってつみけ、ぜんおこなうことができる。アダムAdamつみ全人類ぜんじんるい遺伝いでんするなどありえない。恩寵おんちょうたすけにはなるが、必須ひっすではない」。至極しごくまっとうな主張しゅちょうこえる。

アウグスティヌスAugustinus激怒げきどした。自分じぶん肉体にくたい経験けいけんした意志いし無力むりょくを、ペラギウスPelagius理解りかいしていない。やめたいのにやめられない。わりたいのにわれない。あのミラノMediolanumにわでの苦悶くもんを。人間にんげん意志いし堕落だらく以来いらいぜんかうちから根本こんぽんからそこなわれている。かみ恩寵おんちょうなしにぜんおこなえるという楽観らっかんは、自己じこ欺瞞ぎまんだ。

ここに巨大きょだい難問なんもんまれる。もし恩寵おんちょうがなければすくわれないなら、恩寵おんちょうあたえるかどうかはかみめる。すくわれるものすくわれないものは、あらかじめさだめられている(予定説よていせつpraedestinatioプラエデスティナーティオー)。自由じゆう意志いしはどこにったのか。アウグスティヌスAugustinus自由じゆう意志いし否定ひていはしない。つみおか自由じゆうはある。だがぜん完遂かんすいする自由じゆうは、恩寵おんちょうなしにはない。この非対称性ひたいしょうせいがのちの西洋せいよう神学しんがく断層線だんそうせんになる。ルターLutherカルヴァンCalvinはこのせんうえった。

5. ふたつのくに歴史れきしあい方向ほうこうかれる

410ねん西にしゴートGothぞくアラリックAlaricローマRoma略奪りゃくだつした。永遠えいえんみやこ陥落かんらくした衝撃しょうげき帝国ていこく全土ぜんどるがした。「キリストChristusきょうがローマをよわくしたのだ」という異教徒いきょうと非難ひなんこたえるため、アウグスティヌスAugustinus巨大きょだい著作ちょさくりかかった。『かみくに』(De Civitate Deiデー・キーウィターテ・デイー)。ぜん22かん執筆しっぴつに14ねんついやした。

中心ちゅうしんテーゼは明快めいかいだ。人類じんるい歴史れきしふたつの「くに」(civitasキーウィタース)のからいとしてめる。「かみくに」(civitas Deiキーウィタース・デイー)と「くに」(civitas terrenaキーウィタース・テッレーナ)。ふたつをけるのは国境こっきょうでも民族みんぞくでもない。あい方向ほうこうだ。かみへのあいamor Deiアモル・デイー)にてられるものと、自己じこへのあいamor suiアモル・スイー)にとらわれるもの。このふたつの指向しこう歴史れきし底流ていりゅうす。

有名ゆうめい定式化ていしきかがある。「ふたつのあいふたつのくにをつくった。自己じこへのあいかみへの侮蔑ぶべつにまでたっしてくにをつくり、かみへのあい自己じこへの侮蔑ぶべつにまでたっしてかみくにをつくった」(14.28)。くにみずからをほこり、かみくにかみほこる。ついになっているが対等たいとうではない。自己じこへのあい肥大ひだいし、他者たしゃ道具どうぐにする。かみへのあい自己じこちぢめ、他者たしゃかう。どちらのあいきるかで、おなまち二人ふたりべつの「くに」の住人じゅうにんになる。

ローマRoma帝国ていこく偉大いだいさは幻影げんえいだ。いかなる地上ちじょう国家こっか正義せいぎ完全かんぜん実現じつげんすることはできない。権力けんりょく支配しはいよくlibido dominandiリビードー・ドミナンディー)に汚染おせんされている。帝国ていこく崩壊ほうかいキリストChristusきょうのせいではない。地上ちじょうくにはいずれほろびる。のこるのはかみくにだけだ。この枠組わくぐみは、政治せいじ権力けんりょくたいする根本的こんぽんてき懐疑かいぎ内蔵ないぞうしている。地上ちじょう権力けんりょくかりのもの。絶対ぜったいではない。中世ちゅうせいヨーロッパEuropa教会きょうかい国家こっか衝突しょうとつするたびに、この書物しょもついにされた。

主要しゅよう著作ちょさくガイド

  • 告白こくはく』(Confessionesコンフェッシオーネース、397〜401ねん):西洋せいよう最初さいしょ自伝じでんであり、哲学書てつがくしょであり、いのりのしょぜん13かん前半ぜんはん(1〜9かん)は回心かいしんまでの自伝じでん後半こうはん(10〜13かん)は記憶きおく時間じかん創造そうぞう哲学的てつがくてき考察こうさつ服部はっとり英次郎えいじろうやく岩波文庫いわなみぶんこじょう)がはいりやすい。一冊いっさつだけむならこれ。
  • かみくに』(De Civitate Deiデー・キーウィターテ・デイー、412〜426ねん):ぜん22かん大著たいちょ歴史れきし神学しんがく政治せいじ哲学てつがく宗教しゅうきょう哲学てつがく横断おうだんする。通読つうどく覚悟かくごがいるが、だい19かん平和へいわ正義せいぎろん)だけでも価値かちがある。服部はっとり英次郎えいじろうほかやく岩波文庫いわなみぶんこ)。
  • 三位一体論さんみいったいろん』(De Trinitateデー・トリーニターテ、399〜419ねん):三位一体さんみいったい教義きょうぎ哲学的てつがくてき基礎きそづけるこころみ。後半こうはんでは人間にんげん精神せいしんのなかに三位一体さんみいったい類比るいひ記憶きおく知性ちせい意志いし)を見出みいだす。難解なんかいだが、精神せいしん自己じこ反省はんせいかんする考察こうさつするどい。
  • 自由じゆう意志いしろん』(De Libero Arbitrioデー・リーベロー・アルビトリオー、387〜395ねん):あく起源きげん自由じゆう意志いしする議論ぎろん対話たいわ形式けいしきみやすい。恩寵おんちょう重視じゅうしかたむまえわかアウグスティヌスAugustinusこえこえる。

主要しゅよう批判ひはん論争ろんそう

アウグスティヌスAugustinusった。ペラギウスPelagius異端いたんとされ、教会きょうかい公式こうしき教義きょうぎ恩寵おんちょうろんがわかたむいた。だが勝利しょうりには代償だいしょうがある。アウグスティヌスAugustinus思想しそう内蔵ないぞうするあぶなさは、てきのほうがよくえていた。

まず急所きゅうしょいたのは、原罪げんざい予定説よていせつがもたらす帰結きけつだ。エクラヌムEclanumユリアヌスJulianusアウグスティヌスAugustinus晩年ばんねん論敵ろんてきで、原罪げんざい教義きょうぎを「マニManiきょう残滓ざんしだ」と攻撃こうげきした。まれたばかりの赤子あかごつみっているというおしえは、かみ正義せいぎそこなうのではないか。予定説よていせつただしいなら、すくわれないもの道徳的どうとくてき努力どりょくはすべて無駄むだではないか。この批判ひはん正面しょうめんからさる。アウグスティヌスAugustinus回答かいとうこころみたが、すっきり解消かいしょうできたとはいがたい。

もうひとつ、近代きんだいからかえげつけられるのが、肉体にくたいせいへの蔑視べっしだ。アウグスティヌスAugustinus性欲せいよく堕罪だざいもっと生々なまなましい刻印こくいんとみなした。性的せいてき欲望よくぼう意志いし制御せいぎょえ、理性りせい圧倒あっとうする。それがつみあかしだ、と。近代きんだいからすれば、この見方みかた肉体にくたいへの敵意てきいであり、キリストChristusきょう道徳どうとく西洋せいようえつけた罪悪感ざいあくかんだ。ニーチェNietzscheならてるだろう。「肉体にくたい軽蔑者けいべつしゃ」と。だがアウグスティヌスAugustinus記述きじゅつした「欲望よくぼう自律じりつせい」、つまり意志いし統制とうせいかられて暴走ぼうそうする欲望よくぼうという現象げんしょうは、道徳的どうとくてき評価ひょうか括弧かっこれても心理学的しんりがくてき観察かんさつとしてするどい。

べつ角度かくどからんだのがハンナHannahアーレントArendtだ。アーレントArendt博士はかせ論文ろんぶん(『アウグスティヌスAugustinusあい概念がいねん』、1929ねん)でアウグスティヌスAugustinus格闘かくとうした。彼女かのじょ後年こうねん批判ひはんは、アウグスティヌスAugustinus内面ないめんへの転回てんかいが、人間にんげん他者たしゃ言葉ことばわし行為こういする政治的せいじてき空間くうかん軽視けいしすることにつながる、というてんかう。たましい救済きゅうさい没頭ぼっとうするあまり、公共こうきょう世界せかいのこされる。内面ないめん発見はっけんそと喪失そうしつでもあった、と。

影響えいきょう遺産いさん

このおとこはどこにでもいる。西洋せいよう思想しそう地下水脈ちかすいみゃくれば、たいていアウグスティヌスAugustinusたる。

中世ちゅうせいスコラSchola哲学てつがくアウグスティヌスAugustinusなしには成立せいりつしない。トマスThomasアクィナスAquinasアリストテレスAristotelēs導入どうにゅうしつつも、恩寵おんちょうろんあく欠如けつじょせつではアウグスティヌスAugustinus路線ろせん踏襲とうしゅうした。宗教しゅうきょう改革かいかくではルターLutherカルヴァンCalvinがこぞってアウグスティヌスAugustinusいた。恩寵おんちょうなしに人間にんげんすくわれない。信仰しんこうのみによる義認ぎにんルターLutherはアウグスティノかい修道士しゅうどうしだった。

17世紀せいきヤンセニスムJansenismeジャンセニスムJansénisme)もアウグスティヌスAugustinus直系ちょっけいだ。コルネリウスCorneliusヤンセンJansen主著しゅちょアウグスティヌスAugustinus』(1640ねん)で恩寵おんちょうろん徹底化てっていかし、パリParis近郊きんこうポールPort=ロワイヤルRoyal修道院しゅうどういんがその拠点きょてんとなった。パスカルPascalの『パンセPensées』は、この運動うんどうのなかからまれた。人間にんげん悲惨ひさん偉大いだいさの同居どうきょ気晴きばらし(divertissementディヴェルティスマン)にげるよわさ。パスカルPascalふでがどれほどアウグスティヌスAugustinusっているかは、両者りょうしゃならべてめばすぐにわかる。

哲学てつがくへの影響えいきょう神学しんがくにとどまらない。デカルトDescartesコギトcogito(「われおもう、ゆえにわれあり」)は、アウグスティヌスAugustinusの「うたがものは、自分じぶんうたがっていることをっている。ゆえにすくなくとも自分じぶんっているということをっている」(si fallor, sumスィ・ファッロル・スム、「あざむかれるなら、わたし存在そんざいする」、『かみくに』11.26)と構造こうぞうおなじだ。デカルトDescartes先行者せんこうしゃ意識いしきしていたかどうかは議論ぎろんがあるが、西洋せいようにおける「内面ないめんへの転回てんかい」の系譜けいふアウグスティヌスAugustinusはじまる。

現象学げんしょうがく伝統でんとうもこの系譜けいふのなかにある。フッサールHusserl時間じかん意識いしきろんアウグスティヌスAugustinusdistentio animiディステンティオー・アニミー下敷したじきにしている。ハイデガーHeideggerは『存在そんざい時間じかん』の脚注きゃくちゅうアウグスティヌスAugustinus言及げんきゅうし、初期しょき講義こうぎではアウグスティヌスの『告白こくはくだい10かん詳細しょうさい読解どっかいした(「アウグスティヌスAugustinusしんプラトンPlatōn主義しゅぎ」、1921ねん講義こうぎ)。

精神せいしん分析ぶんせきとの関連かんれん無視むしできない。『告白こくはく』は自己じこ暗部あんぶをさらけ行為こういであり、意志いし背後はいごにある抑圧よくあつされた欲望よくぼう言語化げんごかするこころみだ。フロイトFreud無意識むいしきを「発見はっけん」したとされる19世紀せいきすえから1500ねんまえに、アウグスティヌスAugustinus自分じぶん自分じぶん把握はあくしきれないという経験けいけんを、あれほど赤裸々せきららいた。

現代げんだいへの接続せつぞく

終電しゅうでんのがした居酒屋いざかや。「もう一杯いっぱいだけ」といながら三杯さんばいたのあさ4いたいのにスマートフォンの画面がめんじられないゆび給料日きゅうりょうびまえ通販つうはんサイトの「購入こうにゅう」ボタンを親指おやゆび依存いぞん構造こうぞうアウグスティヌスAugustinus記述きじゅつした意志いし分裂ぶんれつそのものだ。認知にんち行動こうどう療法りょうほう(CBT)は習慣しゅうかんちから意志いし衝突しょうとつ治療ちりょうする。だがアウグスティヌスAugustinusていたのはもっとふかそうだ。習慣しゅうかん問題もんだいなのではない。意志いしそのものがこわれている。テクニックtechniqueではなおらない領域りょういきがある。

SNSで理想りそう自己じこぞう演出えんしゅつしながら、うらでは自分じぶん虚偽きょぎくるしんでいるひとがいる。告白こくはくという行為こうい、すなわち自分じぶんみにく部分ぶぶんをさらけすことは、加工かこうされた自己じこイメージが氾濫はんらんする時代じだいに、逆説的ぎゃくせつてき切実せつじつさをびている。アウグスティヌスAugustinus自分じぶんつみかみまえ告白こくはくした。SNSの世界せかいには告白こくはくめる相手あいてがいない。自己じこ欺瞞ぎまんだけが蓄積ちくせきする。

ただしい戦争せんそう」(bellum iustumベッルム・ユストゥム)の教義きょうぎアウグスティヌスAugustinusさかのぼる。地上ちじょう平和へいわ不完全ふかんぜんだが、不正ふせい放置ほうちするよりは武力ぶりょく秩序ちつじょ回復かいふくするほうがましだ、と。この論理ろんり国際こくさいほうの「正戦せいせんろん」にがれ、現在げんざい軍事ぐんじ介入かいにゅう正当化せいとうかにも使つかわれている。便利べんり道具どうぐでもあり、危険きけん武器ぶきでもある。

読者どくしゃへの

  • 「やめたいのにやめられない」経験けいけんおもしてほしい。そのとき「めいじている自分じぶん」と「したがわない自分じぶん」のどちらが「本当ほんとう自分じぶん」だったか。
  • 過去かこ失敗しっぱいおもすとき、むねいたむ。過去かこはもう存在そんざいしないのに、なぜいたみは現在げんざいにあるのか。時間じかん本当ほんとうに「ながれている」のか、それともこころのなかで「ばされている」のか。
  • あなたが今日きょうおこなったぜん行為こういは、あなた自身じしんちからによるものか。それとも環境かんきょう教育きょういくうん遺伝いでんによるものか。「自分じぶん手柄てがら」とべるものは、どれだけのこるか。

名言めいげん出典しゅってんつき)

「わたしはわたし自身じしんにとっておおきないとなった」 出典しゅってんアウグスティヌスAugustinus告白こくはくだい10かん33しょう50せつ原文げんぶん:"quaestio mihi factus sum"

自己じこ認識にんしき不可能性ふかのうせいを、これほどみじか正確せいかくいた言葉ことばはない。るべき対象たいしょう主体しゅたい同一どういつであるとき、認識にんしきはつねに自分じぶんせない。

時間じかんとはなにか。だれもわたしにわなければ、わたしはっている。もの説明せつめいしようとすると、わたしはらない」 出典しゅってんアウグスティヌスAugustinus告白こくはくだい11かん14しょう17せつ原文げんぶん:"Quid est ergo tempus? si nemo ex me quaerat, scio; si quaerenti explicare velim, nescio."

哲学てつがくなにをするものなのかを一文いちぶんしめしている。日常にちじょうたりまえ使つかっている概念がいねんが、められた途端とたんくずれる。

おそかった、わたしがあなたをあいしたのは。ああ、かくもふるく、かくもあたらしいうつくしさよ、わたしがあなたをあいしたのはおそかった」 出典しゅってんアウグスティヌスAugustinus告白こくはくだい10かん27しょう38せつ原文げんぶん:"Sero te amavi, pulchritudo tam antiqua et tam nova, sero te amavi!"

後悔こうかい歓喜かんき同時どうじせる。おそすぎたあい告白こくはく。だが「おそい」からこそ、その言葉ことばにはおもみがある。わかころ真理しんりつけていたら、この文章ぶんしょうかれなかっただろう。

参考さんこう文献ぶんけん

  • 原典げんてんアウグスティヌスAugustinus告白こくはく山田やまだあきらやく、『世界せかい名著めいちょ14 アウグスティヌス』中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、1968ねん中公ちゅうこうバックスばん1978ねん)。
  • 原典げんてんアウグスティヌスAugustinus告白こくはく服部はっとり英次郎えいじろうやく岩波文庫いわなみぶんこじょう)、1976ねん
  • 原典げんてんアウグスティヌスAugustinusかみくに服部はっとり英次郎えいじろうほかやく岩波文庫いわなみぶんこぜん5さつ)、1982〜1991ねん
  • 原典げんてん:Augustine, Confessions, trans. Henry Chadwick, Oxford University Press, 1991.
  • 研究書けんきゅうしょ:Peter Brown, Augustine of Hippo: A Biography, new ed., University of California Press, 2000.(邦訳ほうやく出村でむら和彦かずひこやく『アウグスティヌス伝』教文館きょうぶんかん、上下巻、2004-2012ねん。)
  • 研究書けんきゅうしょ金子かねこ晴勇はるお『アウグスティヌスの人間学』創文社そうぶんしゃ、1982ねん
  • 概説がいせつ加藤かとう信朗のぶあき初期しょきアウグスティヌスの思想しそう形成けいせい東京大学とうきょうだいがく出版会しゅっぱんかい、2006ねん
  • 研究書けんきゅうしょ:Hannah Arendt, Love and Saint Augustine, ed. J. V. Scott and J. C. Stark, University of Chicago Press, 1996.
  • 研究書けんきゅうしょ:John M. Rist, Augustine: Ancient Thought Baptized, Cambridge University Press, 1994.
  • 補助ほじょウェブweb資料しりょう:"Saint Augustine", Stanford Encyclopedia of Philosophy.