1267年。イングランドの修道院の一室で、灰色の修道服をまとった男が羊皮紙に羽ペンを走らせている。宛先はローマ教皇クレメンス四世。書いている内容が異様だ。帆も櫂もなく水上を疾走する船。馬に曳かれずに走る車。空を飛ぶ機械。海底を歩く装置。十三世紀の修道士が、なぜこんなことを書いているのか。男は空想家ではない。これは『技術と自然の秘密の業についての書簡』(Epistola de Secretis Operibus Artis et Naturae、帰属には議論がある)の一節として広く知られる技術の列挙だ。数学と自然学が正しく応用されれば実現可能だという確信が、そこにある。ロジャー・ベーコン。後世「驚嘆博士」(Doctor Mirabilis)と呼ばれることになるこの男は、未来を夢想していたのではない。現在の知の腐敗を告発していた。
ベーコンは怒っていた。パリの大学もオックスフォードの学者も、ろくにギリシャ語もアラビア語も読めないまま、粗悪な翻訳のアリストテレスを振り回している。権威に寄りかかり、慣習に流され、大衆の無知に迎合し、そして自分たちの無知を華麗な術語で覆い隠している。この四つの病が知を腐らせている。ベーコンはそう診断した。だが診断だけでは終わらない。処方箋がある。経験と実験だ。どれほど精密な論証も、経験によって確かめられなければ砂上の楼閣にすぎない。
この記事が追うのは、十三世紀の修道士が突きつけた問いだ。人間はなぜ、知っているふりをするのか。そして「知っているふり」を突き崩すために、何が必要なのか。
この記事の要点
- 四つの障害(quattuor offendicula):権威への盲従、慣習の惰性、大衆の偏見、そして無知を見せかけの知恵で覆い隠すこと。ベーコンは『大著作』第一部でこの四つを剔抉し、人間が真理に到達できない構造的原因を暴いた。十三世紀の認知バイアス論だ。
- 経験の学(scientia experimentalis):「経験なくして何ものも十全には知りえない」(『大著作』第六部)。論証は結論を導くが、確実性を与えない。経験だけが疑いを除き、心を真理の直観に安んじさせる。近代科学の方法論が芽吹く300年前の宣言だ。
- 統合知の構想:ベーコンは数学・光学・言語学・実験科学を神学に奉仕する統一体系として構想した。近代の分業化された科学とは別の夢。知は断片ではなく全体であるべきだという執念が、この修道士を駆り立てた。
生涯と時代背景
1220年頃、イングランド南西部サマセット州イルチェスターの近辺で生まれた。裕福な家柄だったとされるが、のちに内戦で一家の財産は没収され、兄弟の何人かは追放されている。十三世紀のイングランドは混沌の時代だ。ヘンリー三世と諸侯の対立、教皇権と世俗権力の緊張、モンゴル帝国の脅威。そして知の世界では、アラビア語を経由してラテン語に翻訳されたアリストテレスの著作群が、ヨーロッパの大学に洪水のように流れ込んでいた。知の地殻変動が起きている。その震源地に、ベーコンは立っていた。
若きベーコンはオックスフォードで学び、1230年代後半にはパリに渡ってアリストテレスの自然学と形而上学を講じた。パリ大学文学部で教えた最初のイングランド人教師のひとりだ。だがアリストテレスを読めば読むほど、苛立ちが募った。ラテン語訳が酷い。ギリシャ語の原文を知らずに注釈を書き散らす同僚たち。ベーコンには、学問の建物全体が腐った土台の上に建っているように見えた。
1247年頃、オックスフォードに戻る。ここで転機が訪れた。ロバート・グロステストの学統に触れたのだ。グロステストは光学と自然学を重視したリンカン司教で、数学を自然認識の基礎に据えた人物。ベーコンはこの伝統を吸収し、さらにアラビア科学、とりわけアルハゼン(イブン・アル=ハイサム)の光学を貪欲に研究した。書物、実験器具、秘密の知識。莫大な私費を投じた。20年間で2000リーブル以上を費やしたと本人は書いている。当時の大学教師の年収の何十倍にもあたる額だ。
1257年頃、フランシスコ会に入る。ここから苦難が始まった。修道会は上長の許可なき著作公開を禁じていた。ベーコンの知的野望は鎖をかけられた。だが1266年、思いがけない命令がローマから届く。教皇クレメンス四世がベーコンの著述を送るよう命じたのだ。修道会の禁令を超える教皇の勅命。ベーコンは猛然と書き始めた。約18ヶ月で『大著作』『小著作』(Opus Minus)『第三著作』(Opus Tertium)を一気に書き上げ、教皇に送った。
だが運は続かない。1268年、クレメンス四世が死んだ。庇護者を失ったベーコンの著作は、教皇庁のどこかに埋もれた。1277年、パリ司教エティエンヌ・タンピエによる大禁令がアリストテレス主義の一部命題を断罪した時期と前後して、ベーコンも修道会の総長ジェローム・ダスコリ(のちの教皇ニコラウス四世)によって処罰された形跡がある。投獄の伝承は後世の脚色が混じるが、何らかの活動制限を受けたことは確かだ。1292年頃、『神学研究綱要』(Compendium Studii Theologiae)を未完のまま、オックスフォードで没したとされる。
ミニ年表
- 1220年頃:イングランド・サマセット州に生まれる
- 1230年代:オックスフォードで学ぶ
- 1237〜1247年頃:パリ大学でアリストテレスの自然学を講義
- 1247年頃:オックスフォードに戻り、実験研究と言語研究に没頭
- 1257年頃:フランシスコ会に入会。著作活動が制限される
- 1266年:教皇クレメンス四世が著述の送付を命じる
- 1267年:『大著作』『小著作』『第三著作』を完成・送付
- 1268年:クレメンス四世死去。庇護者を喪失
- 1271年:『哲学研究綱要』(Compendium Studii Philosophiae)執筆
- 1277〜1279年頃:修道会による処罰(詳細は不明)
- 1292年頃:オックスフォードにて没
この哲学者は何を問うたのか
傍目には、十三世紀のヨーロッパは知の黄金時代だった。アリストテレスの全著作がラテン語で読めるようになり、大学が各地に生まれ、スコラ学の論争は白熱していた。だがベーコンには、これが繁栄に見えなかった。見せかけの知が増殖しているだけだ。
ベーコンは同時代の知的権威たちを容赦なく攻撃した。名指しだ。パリの神学教師アレクサンダー・オブ・ヘイルズ。アルベルトゥス・マグヌス。彼らは権威として崇められているが、ギリシャ語も知らず、数学も理解せず、実験もしたことがない。借り物の知識を権威の衣で包んでいるだけだ、と。この攻撃はベーコンに多くの敵をつくった。が、そこに私怨だけを見るのは浅い。怒りの根はもっと深い場所にある。
ベーコンが問うたのはこうだ。キリスト教世界は聖書、教父、アリストテレスという巨大な知の遺産を持っている。にもかかわらず、なぜこれほど無知なのか。なぜ異教徒(ムスリムの学者たち)のほうが数学も天文学も光学も優れているのか。答え:知識の獲得方法そのものが壊れているからだ。
「知ること」と「知っていると思い込むこと」のあいだには、深い溝がある。大半の学者は溝に気づいてすらいない。ベーコンはこの溝を暴くことに生涯を費やした。
核心理論
1. 四つの障害:なぜ人間は真理に到達できないのか
『大著作』は全七部構成だが、第一部は建設ではなく破壊から始まる。知が成立しない四つの原因、「障害」(offendicula)の解剖だ。
第一の障害は、脆弱で不適切な権威への従属(auctoritatis fragilis et indignae exemplum)。問題は権威そのものではない。アリストテレスや聖書は権威に値する。だが権威をろくに検証もせず丸呑みにする態度が病なのだ。偽書が本物として流通し、誤訳がそのまま権威になる。「アリストテレスがそう言った」の一言で議論が止まる。
第二は慣習の力(consuetudinis diuturnitas)。「ずっとそうしてきた」が根拠になる。教育制度、カリキュラム、学位の条件。誰も疑わないまま何十年も続いているだけのことが、真理と見紛われる。
第三は無知なる群衆の意見(sensus vulgi imperiti)。専門家が大衆の感覚に合わせて知を薄める。あるいは大衆が好む結論に迎合する。
そして第四が最も致命的だ。無知を見せかけの知恵で覆い隠すこと(occultatio propriae ignorantiae cum ostentatione sapientiae apparentis)。知らないことを知らないと言えない。専門用語で武装し、論理の形式だけを整え、中身が空っぽであることを隠す。ベーコンにとって、これが諸悪の根源だった。他の三つの障害はすべてここに帰着する。「知らない」と認めた瞬間から真の探究が始まる。だが人間は無知に耐えられない。鎧を着る。
この四つの障害を聞いて、300年後のフランシス・ベーコン(血縁関係はない)の「四つのイドラ」を思い浮かべた人がいるだろう。種族のイドラ、洞窟のイドラ、市場のイドラ、劇場のイドラ。偶然の一致ではない。知の腐敗を個人の怠慢ではなく構造の問題として診断する。その発想の種は、ロジャーがすでに蒔いていた。
2. 経験の学:論証だけでは知は確かにならない
『大著作』第六部でベーコンは「経験の学」(scientia experimentalis)を独立した学問として提唱する。この一節がベーコンの思想の核だ。
「知識を獲得するには二つの仕方がある。論証(argumentum)によるものと、経験(experientia)によるものと。論証は結論をもたらし、我々にそれを承認させるが、確実にはしない。疑いを取り除くこともなく、心が真理の直観に安んじることもない。経験の道によって心がそれを見出すまでは」(『大著作』第六部第一章)。
この言葉の衝撃を理解するには、十三世紀の大学が何をしていたかを知る必要がある。スコラ学は論証の学問だ。三段論法を組み、前提から結論を導く。権威あるテクストを引き、反論を並べ、解答を示す。形式は洗練されているが、その結論が現実と合致しているかどうかを確かめる手続きが欠けている。ベーコンはそこを突いた。
彼が挙げた例がある。「火は焼く」という命題を論証によって知ったとしよう。三段論法で導ける。だが火に手を近づけて熱さを感じるまで、「火は焼く」は単なる命題にすぎない。経験が命題に肉をつける。身体が知ることと頭が知ることのあいだには越えがたい溝がある。
ベーコンが称賛した実験家がいる。マリクールのペトルス(ペトルス・ペレグリヌス)。磁石の性質を実験によって系統的に調べた人物で、ベーコンは彼を「実験の主人」と呼び、パリの千人の教師よりこの一人のほうが価値があると断言した。手を汚して実験する一人は、教壇で弁じる千人に勝る。この確信がベーコンを突き動かしていた。
ベーコンは経験の学に「三つの特権」(tria praerogativa)を認めた。第一に、他の諸学が論証で導いた結論を経験によって検証する力。第二に、他の学問では到達しえない新しい真理を発見する力。そして第三に、自然の秘密を探り未来を予見する力。第三の特権には錬金術による生命の延長まで含まれる。ここが近代科学との決定的な分岐点だ。
そう、注意がいる。ベーコンの「経験」は近代科学の「実験」と同義ではない。彼は「内的経験」(experientia interior)、すなわち神秘的照明による知も「経験」に含めている。感覚による外的経験だけでは不十分で、神の恩寵による内的照明が最高の認識をもたらすと彼は信じていた。近代の科学者が聞いたら眉をひそめるだろう。だがこの二重性を切り捨てると、ベーコンが見えなくなる。彼は中世の人間だ。中世の枠組みのなかで、経験を知の頂点に据えるという破格なことをやった。それだけで十分に過激だ。
3. 光学(perspectiva):見ることの哲学
『大著作』第五部は光学に充てられている。分量も精度も飛び抜けており、ベーコンの自然学の真骨頂がここにある。
彼の光学はアラビアの科学者アルハゼン(イブン・アル=ハイサム、965〜1040頃)の『光学の書』(Kitāb al-Manāẓir)に深く依拠している。光は直線的に進み、反射・屈折する。眼は光を受け取る器官であって、光を放つ器官ではない。古代ギリシャの放射説(眼から光線が出て対象を捉えるという説)を退け、外部の光源から眼に向かって光が入射するという受容説を採った。これだけでも、千年以上支配していた視覚理論の転換だ。
虹の理論にも注目すべき成果がある。ベーコンは虹が太陽光の屈折によって生じることを認識し、観察者の目と太陽を結ぶ線に対して約42度の角度で虹が現れることを正確に測定した(『大著作』第六部)。雨上がりの空を見上げ、角度を計り、水滴のなかでの光の振る舞いを追う。三段論法の教室では見えない世界が、空を仰いだ瞬間に開ける。
レンズの拡大効果も詳細に記述した。球面ガラスの一部を通して小さな文字を拡大して見る。老眼で読書が困難な者にとって、これは福音になりうるとベーコンは書いた。実際、眼鏡が北イタリアで発明されるのは1280年代のことで、ベーコンの記述からわずか10数年後だ。直接の因果関係は証明されていないが、レンズに関する理論的知識が職人の工房に伝わった可能性は排除できない。
だがベーコンにとって光学は単なる物理学の一分野ではなかった。光は神の活動の写しであり、実在の構造そのものだ。グロステストから受け継いだ「光の形而上学」(metaphysica lucis)の伝統のなかで、光学は自然と神をつなぐ回路だった。世界を「見る」ことは、世界の根底にある秩序に触れることだ。近代の科学は物理現象としての光を扱う。だがベーコンにとって光は存在の原理だった。自然のなかに神の痕跡を読むこと。これが中世の光学の動機であり、近代の光学とは根の部分で異なっている。
4. 数学は諸学の鍵
『大著作』第四部は数学の有用性に充てられている。ベーコンの主張は明快だ。「数学なしには他の諸学も、世の諸事も知りえない」(『大著作』第四部)。天文学も暦法も光学も地理学も音楽も、数学が土台にある。ベーコンは数学を自然認識の「門と鍵」(porta et clavis)と呼んだ。
ここにもベーコンの苛立ちがある。パリでもオックスフォードでも、神学教師の大半は数学を軽視していた。論理学と形而上学さえあれば十分だ、と。ベーコンはこれを愚かさだと断じた。
具体例がある。暦の誤差だ。ユリウス暦は太陽年を365日と6時間と仮定しているが、実際にはそれより約11分14秒短い。この微小なずれが何百年も蓄積すると、復活祭の日付が実際の春分からどんどん遠ざかっていく。キリスト教にとって復活祭は最も重要な典礼だ。その日が間違っている。ベーコンは暦の改革を教皇に訴えた。実現したのは彼の死後300年、1582年のグレゴリオ暦改革のことだった。ベーコンの計算はほぼ正確だった。
地理学にも数学は不可欠だった。ベーコンは地球の大きさと陸地の分布について論じ、ヨーロッパから西へ航海すればアジアに到達できる可能性を示唆した(大西洋の幅を実際より狭く見積もった結果だが)。この一節は後世、ピエール・ダイイ枢機卿の『世界の像』(Imago Mundi、1410年)に引用され、その本をコロンブスが読んでいたことが知られている。偶然の連鎖と言えばそれまでだ。だが修道院の書斎で地球の大きさを計算していた男の数字が、200年後に大西洋を横断する船の背中を押した可能性は、捨てきれない。
5. 言語の堕落と原典回帰
ベーコンの怒りで最も具体的な矛先が翻訳問題だ。聖書のラテン語訳(ウルガタ)には誤りがある。アリストテレスのラテン語訳はアラビア語からの重訳で、原ギリシャ語とかけ離れた箇所がある。哲学も神学も、腐った翻訳の上に建てられた空中楼閣ではないか。
処方箋:ギリシャ語、ヘブライ語、アラビア語を学べ。原典に当たれ。翻訳を鵜呑みにするな。ベーコンは自らギリシャ語の文法書を書き、ヘブライ語の文法にも取り組んだ。十三世紀のラテン世界で複数の古典語を操れる学者はごく少数だった。ベーコンはその少数者のひとりであり、だからこそ翻訳の劣悪さに苛立った。
250年後のルネサンス人文主義者たちが「原典に帰れ」(ad fontes)と叫んだとき、ベーコンはすでにその地面を耕していた。
主要著作ガイド
- 『大著作』(Opus Majus、1267年):教皇クレメンス四世に宛てた百科全書的大著。全七部:無知の原因、哲学と神学の関係、言語、数学、光学、実験科学、道徳哲学。一冊でベーコンの全貌がわかる。英訳は Robert B. Burke 訳(1928年)が入手しやすい。邦訳は完訳未刊。
- 『小著作』(Opus Minus、1267年):『大著作』の補遺と要約。錬金術(alchemia)に関する記述が含まれる。
- 『第三著作』(Opus Tertium、1267年):さらなる補足と弁明。教皇が『大著作』を読んでくれないことへの焦燥がにじむ。
- 『哲学研究綱要』(Compendium Studii Philosophiae、1271年):同時代の学者への痛烈な批判が全面に出た書。処罰の引き金になったとも言われる。
- 『技術と自然の秘密の業についての書簡』(Epistola de Secretis Operibus Artis et Naturae):飛行機械や自走車の記述で有名な書簡。帰属に議論があるが、ベーコンの技術観を伝える文書として広く読まれてきた。
主要な批判と論争
ベーコンの弱点は、当人の性格と不可分だ。同時代の批判は率直だった。彼は毒舌家だ。名指しで同僚を攻撃し、自分だけが正しいと言い張り、修道会の規律に逆らう。その結果、彼の改革構想は誰にも実行されなかった。教皇が読んだかどうかすら不明だ。正しいことを言っても伝わなければ無力だ、という教訓が、ベーコンの生涯そのものに刻まれている。
近代からの批判はもっと根本的だ。19世紀から20世紀前半にかけて、ベーコンは「近代科学の先駆者」として過大評価された。ガリレオやニュートンに至る実験科学の直系の祖だ、と。20世紀後半の研究は、この像を大きく修正した。
科学史家デイヴィッド・リンドバーグは、ベーコンの「経験」が近代の実験と同一ではないことを丁寧に論証した。ベーコンは仮説検証の手続きを体系化したわけではない。実験を繰り返して法則を導く帰納法を定式化したわけでもない。彼の「経験」には神秘的照明が含まれ、占星術と錬金術も正当な知の営みに含まれている。ベーコンを近代の鋳型に嵌め込むのは時代錯誤だ、と。
この批判は正しい。ベーコンを「中世のガリレオ」と呼ぶのは誤りだ。彼は占星術(astrologia)を正当な学問と見なしていたし、錬金術も「理論的錬金術」と「実践的錬金術」を区別しつつ肯定していた。不老長寿の薬(elixir vitae)の可能性すら否定しなかった。白衣の科学者を灰色の修道服の下に見出そうとするのは、願望の投影だ。だが振り子を戻しすぎてもいけない。権威への盲従を拒み、経験による検証を要求し、原典に立ち戻れと叫んだこと。その姿勢が十三世紀にどれほど異質だったかを、過小評価すべきではない。
別の批判は、ベーコンの独自性に向かう。彼の光学はアルハゼンとグロステストに大きく依拠している。「四つの障害」の着想も完全なオリジナルとは言いがたい(グロステストやアリストテレスにも類似の議論がある)。ベーコンの天才は個々の発見ではなく、散在する洞察を一つの体系に統合しようとした構想力にある。そしてその構想は、完成を見ることなく途絶えた。
影響と遺産
ベーコンの直接的な影響は限定的だった。著作の多くは写本が少なく、広く読まれなかった。彼の学統を継ぐ弟子もほとんどいない。だが間接的な影響は意外に深い。
光学では、ポーランドの学者ヴィテロ(1230年頃〜1280年頃)がベーコンの成果を吸収し、大著『ペルスペクティーウァ』で体系的にまとめた。ヴィテロのこの著作は16世紀に繰り返し刊行され、ケプラーは自らの光学書を『ヴィテロ補遺』(Ad Vitellionem Paralipomena、1604年)と題したほどだ。ベーコン→ヴィテロ→ケプラーという光学の系譜は確かに存在する。
伝説としての影響も侮れない。中世後期から近世にかけて、ベーコンは魔術師として伝説化された。「青銅の頭」(brazen head)を作って未来を予言させたという逸話(もちろん創作だ)が14世紀頃から流布した。1589年頃には劇作家ロバート・グリーンが『修道士ベーコンと修道士バンゲイ』(Friar Bacon and Friar Bungay)を上演し、ベーコンは大衆演劇の人気キャラクターになった。実在の学者が魔術師として記憶される。このねじれ自体が、彼の異質さを物語っている。同時代人にとって、実験をする修道士は魔術師に見えたのだ。
16世紀のイングランドでは、数学者にして魔術研究家でもあったジョン・ディー(1527〜1608)がベーコンの著作を蒐集し、熱心に研究した。ディーはエリザベス一世の宮廷顧問でもあり、数学と自然魔術の統合というベーコン的な構想を受け継いでいた。科学と魔術がまだ分離していなかった時代に、ベーコンの名前は「隠された知の探求者」の象徴として機能し続けた。
300年後のフランシス・ベーコン(1561〜1626)は血縁ではないが、問題意識の重なりは無視できない。知の改革、偏見の診断、経験と実験の重視。フランシスがロジャーを読んでいたかどうかは定かではないが、問いの型が似ている。なぜ知は進歩しないのか。何が妨げているのか。障害を取り除くことから始めなければ、新しい知は建てられない。
現代への接続
ベーコンの「四つの障害」を読み替えてみる。SNSのタイムラインを開く。第一の障害、権威への盲従。「有名な医師がこう言った」「ノーベル賞受賞者がこう書いた」。肩書きが内容の代わりをする。第二の障害、慣習の惰性。「うちの業界ではずっとそうやってきた」。第三、大衆の偏見。「みんながそう言っている」。バズった投稿は正しい。第四、無知の偽装。専門用語を並べた論文の要旨、精緻な統計処理の裏にある空疎な仮説。形式は整っているが中身がない。再現性の危機(replication crisis)と呼ばれる現象は、ベーコンの第四の障害そのものだ。
教育の現場にも突き刺さる。大学の講義で教えられていることの何割が、学生の経験によって確認されているだろうか。教科書に書いてあるから正しい。先生がそう言ったから正しい。ベーコンはそれを第一の障害と呼んだ。試験で良い点を取ることと、本当に理解することは違う。教室でノートを取る手は動いているのに、頭は止まっている。あの状態。
そして生成AIの時代だ。チャットボットに問いを投げれば、整った文章が返ってくる。論証の形式は完璧だ。だが、その出力は「経験」によって検証されているのか。もっともらしさと正しさは別のものだ。滑らかな文章が滑らかなまま嘘をつくことがある。ベーコンが見抜いた第四の障害、すなわち「見せかけの知恵で無知を覆い隠す」構造は、AIの出力を無批判に受け入れる態度のなかに反復されている。
「経験なくして知は成らず」。この一言は、情報を消費するだけで「知った気」になる習慣への最も古い警告だ。検索エンジンで答えを見つけたとき、あなたは本当に「知った」のか。それとも答えの文字列を見ただけなのか。
読者への問い
- あなたが「知っている」と確信していることのうち、自分の経験で確かめたことはどれだけあるか。残りは誰の権威に依拠しているのか。
- あなたの職場や学校で「ずっとそうしてきたから」という理由だけで続いている慣行はないか。それを疑ったとき、周囲はどう反応するか。
- 「知らない」と言うことは、あなたにとってどれほど難しいか。最後に「わからない」と正直に言えたのはいつだったか。
名言(出典つき)
「経験なくして、何ものも十全には知りえない」 出典:ロジャー・ベーコン『大著作』第六部第一章/原文:"Sine experientia nihil sufficienter sciri potest."
ベーコンの思想を一文に凝縮すればこれになる。論証は結論を出すが、確信を生まない。身体が知るまで、知は完成しない。
「論証は結論をもたらし、我々にそれを承認させるが、確実にはしない。疑いを取り除くこともない」 出典:ロジャー・ベーコン『大著作』第六部第一章/原文:"Argumentum concludit et facit nos concedere conclusionem, sed non certificat neque removet dubitationem."
三段論法で「AはBである」と導けても、心は疑い続ける。その疑いを消すのは論理ではなく経験だ。
「真理の認識には四つの障害がある。すなわち、脆弱で不適切な権威への依拠、慣習の長さ、無知なる群衆の感覚、そして見せかけの知恵で自らの無知を隠すことである」 出典:ロジャー・ベーコン『大著作』第一部第一章/原文:"Quattuor vero sunt maxima comprehendendae veritatis offendicula, quae omnem quemcumque sapientem impediunt, et vix aliquem permittunt ad verum titulum sapientiae pervenire: videlicet fragilis et indignae auctoritatis exemplum, consuetudinis diuturnitas, sensus vulgi imperiti, et propriae ignorantiae occultatio cum ostentatione sapientiae apparentis."
長い引用になるが、これがベーコンの出発点だ。四つ目の障害、無知を知恵の仮面で覆い隠すことへの嫌悪は、この男の全著作を貫いている。
参考文献
- (原典・英訳):Roger Bacon, The Opus Majus of Roger Bacon, trans. Robert B. Burke, 2 vols., University of Pennsylvania Press, 1928; repr. Kessinger Publishing, 2002.
- (原典・ラテン語):Roger Bacon, Opus Majus, ed. John Henry Bridges, 3 vols., Clarendon Press, 1897–1900.
- (研究書):Jeremiah Hackett (ed.), Roger Bacon and the Sciences: Commemorative Essays, Brill, 1997.
- (研究書):David C. Lindberg, Roger Bacon and the Origins of Perspectiva in the Middle Ages, Clarendon Press, 1996.
- (概説):David C. Lindberg, "Roger Bacon and the Origins of Perspectiva in the West," in Mathematics and Its Applications to Science and Natural Philosophy in the Middle Ages, ed. E. Grant and J. E. Murdoch, Cambridge University Press, 1987.
- (概説):A. C. Crombie, Robert Grosseteste and the Origins of Experimental Science 1100–1700, Clarendon Press, 1953.
- (邦語概説):伊東俊太郎『近代科学の源流』中央公論社(中公新書)、1978年。
- (概説):Brian Clegg, The First Scientist: A Life of Roger Bacon, Carroll & Graf, 2003.(邦訳なし。一般向けの評伝。伝説と史実の整理が丁寧)
- (補助ウェブ資料):"Roger Bacon", Stanford Encyclopedia of Philosophy.