1621年5月3日、ウェストミンスター。イングランド大法官フランシス・ベーコンは貴族院から23件の収賄の罪で有罪を宣告された。罰金4万ポンド、ロンドン塔への収監、公職追放。イングランドで最も権勢を誇った法律家の、あっけない転落だった。60歳。政治的生命は終わった。だがこの人物にはもうひとつの仕事があった。人類の学問を丸ごと設計し直すこと。失脚後の5年間、ベーコンはそちらに没頭した。
ベーコンが見たのは、学問の停滞だった。アリストテレス以来二千年、自然についての知識はほとんど進歩していない。なぜか。人間が賢くないからではない。方法に欠陥があるからだ。三段論法で知識を整理することはできる。だが整理は発見ではない。新しい知を生むには、別の道具がいる。ベーコンはその道具を設計しようとした。
しかもベーコンは、道具を作る前にまず病を診断した。人間の知性はなぜ歪むのか。四つの偶像──イドラ。種族に由来するもの、個人に由来するもの、言語に由来するもの、学説に由来するもの。カーネマンとトヴェルスキーが認知バイアスの体系的研究に着手するのは1970年代のことだ。この法律家は、それより400年早く、人間の認知の構造的な欠陥を一覧表にしていた。
「知は力なり」(ipsa scientia potestas est)。この一句だけが独り歩きしてきた人物の、設計図の全貌を見てみよう。それはどこまで有効で、どこに限界があるのか。
この記事の要点
- 四つのイドラ:人間の知性を構造的に歪める四つの「偶像」──種族のイドラ(人間という種に共通する歪み)、洞窟のイドラ(個人の性格・教育・環境による偏り)、市場のイドラ(言葉が思考を縛る)、劇場のイドラ(既存の学説が事実を覆い隠す)。『ノヴム・オルガヌム』第一巻で展開された認知障害の体系的診断だ。
- 帰納法と『ノヴム・オルガヌム』:アリストテレスの演繹的な『オルガノン』(論理学著作集)に代わる「新しい道具」。観察と実験のデータを存在表・不在表・程度表に整理し、排除と比較によって原因を絞り込む。近代科学の方法論の原型。
- 学問の大革新(Instauratio Magna):知の全体を六部構成で再編する壮大な計画。未完に終わったが、科学を個人の天才ではなく制度と方法の問題として構想した点で、ロイヤル・ソサエティから現代の研究機関まで、科学の制度設計に長い影を落としている。
生涯と時代背景
1561年1月22日、ロンドンのストランドにあるヨーク・ハウスに生まれた。父はエリザベス女王の国璽尚書(Lord Keeper of the Great Seal)サー・ニコラス・ベーコン。母アンはギリシャ語とラテン語に通じた教養人で、カルヴァンの著作を英訳した。権力と学識が食卓の空気だった。
12歳でケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学。ここでアリストテレス哲学の教育を受けたが、のちにベーコンは「ケンブリッジで教えられていた哲学は実を結ばない論争ばかりだった」と回顧している。2年余りで学位を取らずに去り、駐仏大使の随員としてフランスに渡った。外交の現場で権力の機微を学んだが、1579年、父の急死で帰国。次男だったため相続はわずか。法曹資格を取るためにグレイズ・インに入り、法律家としてのキャリアが始まった。
1584年から国会議員。政治的庇護者としてエセックス伯ロバート・デヴァルーに近づいたが、エセックス伯が1601年に女王に対する反乱を起こすと、ベーコンは検察側に回り、かつての庇護者の訴追に加担した。恩を仇で返す裏切り者か、法への忠誠を私情に優先させた法律家か。評価は今も割れている。
1603年、ジェイムズ一世の即位で風向きが変わった。ベーコンは急速に出世し、1607年に法務次官(Solicitor General)、1613年に法務長官(Attorney General)、1617年に国璽尚書、1618年に大法官(Lord Chancellor)。イングランドの司法の最高位である。だが頂点は3年しか持たなかった。
1621年、弾劾。訴訟の当事者から贈り物を受け取っていたことが発覚した。ベーコンは事実を認め、「わたしは生きたなかで最も公正な裁判官だったが、過去五十年で最も公正な判決は、わたし自身に下された判決だった」と書いた。実際には贈り物が判決を左右した証拠は薄く、背景には国王と議会の政治的対立がある。だが汚名は消えなかった。残りの5年を著述に費やし、1626年4月9日に没した。享年65。ジョン・オーブリーの『名士小伝』(Brief Lives)によれば、雪を使った冷凍保存の実験中に体調を崩したという。話の真偽はともかく、最後まで手を動かしていたという伝承が残ること自体が、この人物の生涯を象徴している。
ミニ年表
- 1561年:ロンドン・ヨーク・ハウスに生まれる
- 1573年:12歳でケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学
- 1576〜79年:駐仏大使随員としてフランスに滞在
- 1584年:国会議員に初当選
- 1597年:『エッセーズ』初版(10篇)刊行。『聖なる瞑想』で「知は力なり」
- 1605年:『学問の進歩』(The Advancement of Learning)刊行
- 1618年:大法官に就任。ヴェルラム男爵
- 1620年:『ノヴム・オルガヌム』刊行。『学問の大革新』の第二部
- 1621年:収賄で弾劾・失脚
- 1623年:『学問の尊厳と進歩について』(De Dignitate et Augmentis Scientiarum)刊行
- 1626年4月9日:ロンドン近郊ハイゲイトにて没
- 1627年:『ニュー・アトランティス』遺稿として刊行
この哲学者は何を問うたのか
出発点は、学問の停滞に対する深い憤りであった。アリストテレスが死んでから1900年、自然についての確実な知識はどれだけ増えたか。ほとんど増えていない。航海術と火薬と印刷術──この三つは古代にはなく、誰が発明したかもわからないまま世界を変えた。だが偶然の産物であって、方法の勝利ではない(『ノヴム・オルガヌム』第一巻 箴言百二十九)。三段論法は教室の論争に勝つための道具であって、自然の法則を見出す道具ではない。「三段論法は自然の微妙さに対しては到底及ばない」(同 箴言十三)。大前提が正しければ結論も正しい──だが肝心のその大前提はどこから来るのか。権威か、慣習か、直感か。いずれも怪しい。
既存の哲学は三種に分類して批判された(箴言六十二)。詭弁的哲学──経験に乏しいまま概念を空転させる。代表はアリストテレスだ。経験的哲学──少数の実験から性急に体系を組む。錬金術師がその典型だ。迷信的哲学──神学を自然研究に持ち込む。ピタゴラス学派やプラトンの一部がこれにあたる。どれも、自然を自然のほうから聴く姿勢を持たない。
ではなぜ方法は改められないままなのか。問題は方法だけにあるのではない──ベーコンはそう見た。人間の知性そのものに亀裂が入っている。歪んだ鏡に映った像を、人はそのまま信じる。まず鏡の歪みを知らなければ、何を観察しても歪んだ結果しか得られない。治療の前に診断──300年前のロジャー・ベーコンが『大著作』(Opus Majus)で「四つの障害」として試みたことを、フランシスは格段に精緻な形で仕立て直した。
核心理論
1. 四つのイドラ:人間はなぜ間違えるのか
『ノヴム・オルガヌム』第一巻 箴言三十九〜六十八。人間の知性を歪める原因を、ベーコンは四つに分類し、「イドラ」と名づけた。偶像──知性がそれと知らずに拝んでしまう、偽の像だ。
種族のイドラ(idola tribus)。人間という種に共通する歪み。感覚は不完全だ。目は遠くのものを小さく見る。知性は秩序を見出したがり、自分に都合のいい証拠を過大に評価し、不都合な証拠を無視する(箴言四十六)。ベーコンは例を挙げた。嵐の海から生還した人々が神殿に奉納物を捧げている絵を見せられた者が、「神に祈れば助かる」と信じる。だが溺れた者は奉納物を捧げない。生存者のデータだけが目に入り、死者のデータは消える。確証バイアスと生存者バイアス──現代心理学がようやく名前をつけた現象が、この一節にすでにある。
洞窟のイドラ(idola specus)。個人の体質、教育、経験、読書遍歴による偏り。名前はプラトンの洞窟の比喩から取っている。ひとりひとりが自分だけの洞窟を掘り、入ってくる光を屈折させている。ベーコンが挙げた例のひとつはアリストテレスだ。彼は自然哲学を論理学に従属させ、自分の得意な道具で世界を切った(箴言五十四)。医師のウィリアム・ギルバートは磁石の研究から出発して宇宙全体を磁力で説明しようとした(箴言五十四)。自分の得意な枠が、世界そのものの枠に見えてしまう。
市場のイドラ(idola fori)。言葉が思考を汚染する。人が市場で交わすやりとりのなかで生まれる誤解。ベーコンはこれを最も厄介なイドラと呼んだ(箴言五十九)。問題は二重だ。第一に、存在しないものに名前が与えられ、言葉があるだけで実体があると思い込む。「運命」「第一動者」「元素としての火」──ベーコンはこれらを空虚な名前と断じた。第二に、実在するものを不正確に切り分ける言葉。「湿る」という一語が、水の流動性と粘着性というまったく異なる現象をくくってしまう(箴言六十)。曖昧な語が思考の代用品になる。
劇場のイドラ(idola theatri)。哲学の体系が舞台の脚本のように現実を演出してしまう。アリストテレス主義、プラトン主義、スコラ学──完結した体系は自己完結しているがゆえに、体系に合わないデータを排除する。批判の対象は特定の学説ではない。学説が固まったときに起こる知的閉塞そのものだ。トマス・クーンが『科学革命の構造』(1962年)で論じた「パラダイムの呪縛」の、先駆にあたる洞察だ。
2. 帰納法と三表法:自然から法則を引き出す手続き
『ノヴム・オルガヌム』──「新しい道具」。書名自体が、旧来の方法論への挑戦を意味している。アリストテレスの論理学著作集『オルガノン』(道具)に代わる、発見のための道具。具体的な手続きが展開されるのは主に第二巻だ。
ベーコンの帰納法は単純な枚挙ではない。調べたい性質──たとえば熱──について、三つの表を作る。存在表(tabula essentiae et praesentiae):熱が現れる事例を集める。太陽光、摩擦、火山、馬糞の発酵。ベーコンは27例を列挙した。不在表(tabula declinationis sive absentiae in proximo):似た条件なのに熱が現れない事例。月光は太陽光に似ているが熱くない。程度表(tabula graduum):熱の増減を追跡する。動物は運動すると熱くなり、静止すると冷める。三表を突き合わせ、該当しない候補を排除していく。光は熱の原因ではない(月光に熱はない)。質料の種類も原因ではない(あらゆる物体が摩擦で熱を持つ)。こうして排除の末に、熱の本質は膨張しようとする微粒子の運動である、という「最初の収穫」(vindemiatio prima)に到達する(第二巻 箴言二十)。
三表法に加えて、ベーコンは「特権的事例」(instantiae praerogativae)を27種列挙した(『ノヴム・オルガヌム』第二巻)。観察のなかでも特に情報量が多い事例を選び出す技術だ。なかでも「十字路の事例」(instantia crucis)は後世最大の遺産になった。二つの対立する仮説のどちらが正しいかを一挙に決定する実験。後にロバート・フックやアイザック・ニュートンが用いた「決定実験」(experimentum crucis)の語は、ここに由来する。
この手続きが近代科学の実験方法の直接の祖かどうかは議論がある。J.S.ミルの「差異法」「一致法」「共変法」がここから発展したことは明白だが、ベーコン自身は数学を軽視していた。自然の法則を数式で記述するという発想は、同時代のガリレオにはあったが、ベーコンにはなかった。
3. 学問の大革新(Instauratio Magna):知の全面的再建
1620年に刊行された計画の全体図。その扉絵が象徴的だ。ヘラクレスの柱──古代世界の果てとされたジブラルタル海峡──を突き抜けて帆船が大洋に漕ぎ出す図。その下に銘文。「多くの者が行き交い、知は増す」(Multi pertransibunt et augebitur scientia、旧約聖書『ダニエル書』12章4節から)。古代の限界を超えよ、という宣言だ。
六部構成。第一部は学問の区分(『学問の進歩』で大部分遂行済み)。第二部が『ノヴム・オルガヌム』。第三部は自然と実験の歴史の集成。第四部は帰納法の具体的適用例。第五部は暫定的結論。第六部は完成された新しい哲学。第三部以降はほとんど書かれなかった。構想の大きさに一人の生涯が追いつかなかった。
未完は挫折だろうか。ベーコン自身はそう考えていなかった。この計画は最初から、一人の生涯で完成するものではなく、世代を超えた共同事業として構想されていた。肝要なのは、科学を個人の天才に依存させないことである。方法と制度と資金さえあれば、凡人の集団でも知は前進する。『学問の大革新』の序文(Distributio Operis)にこう書かれている。「わたしの方法は知性をほぼ均しくする。定規やコンパスがあれば、手の巧みさに関係なく直線や円を描けるように」。
4. 「知は力なり」──知と実践の一致
「知そのものが力である」(ipsa scientia potestas est)。『聖なる瞑想』(Meditationes Sacrae、1597年)の「異端について」の一節だ。原文の文脈では神の知について語っているが、ベーコン自身が『ノヴム・オルガヌム』で同じ構造を人間の知に適用したことで、この句は世俗的な標語として独り歩きを始めた。後世には「知識は力なり」(scientia est potentia)の形でも広まった。
単なるスローガンではない。『ノヴム・オルガヌム』の冒頭でベーコンはこう書いている。「人間の知と力は一つに帰する。なぜなら原因を知らなければ結果を生み出せないからだ。自然は服従することによってでなければ征服されない」(第一巻 箴言三)。知と力は別物ではなく、同じ行為の二つの面だ。ここがアリストテレスとの決定的な分岐点になる。アリストテレスにとって最高の知は純粋な観照(theōria)だった。何も作らない、何も変えない。ただ見る。ベーコンにとって知は操作だ。自然の原因を突き止め、結果を再現する。知ることと作ることが、ひとつになる。
知を実用に結びつけたことで、科学は国家と産業の道具になった。ベーコンはそれを望んだ。彼にとって人類の幸福と知の拡張は同義だった。だが「知は力」は、知を支配の道具にもする。20世紀、アドルノとホルクハイマーは『啓蒙の弁証法』(1947年)で、ベーコンを名指しにした。啓蒙は自然の支配を経由して人間の支配に転化する、と。ここには誇張がある。だが力への意志と知への意志を直結させた功罪は、ベーコンの名から離れない。
5. 『ニュー・アトランティス』とソロモンの家:科学の制度を構想する
1627年に遺稿として刊行された未完のユートピア小説。太平洋上の架空の島国ベンサレムには、「ソロモンの家」(Solomon's House)と呼ばれる国立研究機関がある。地下の洞窟での鉱物実験、高塔での気象観測、庭園での植物の品種改良、薬品の開発、音や光の実験。研究者は徹底した分業制で組織されている。「光の商人」(Merchants of Light)が海外から知を集め、「略奪者」(Depredators)が書物から知を抽出する。「開拓者」(Pioneers)が新しい実験を試み、「編纂者」(Compilers)が結果を表に整理する。「灯火」(Lamps)が新しい実験を指揮し、最上位の「自然の解釈者」(Interpreters of Nature)が観察から一般法則を導く。
小説の形をした設計図だ。1660年、ロンドン王立協会(Royal Society)が設立されたとき、創設者たちは自らをベーコンの遺志の継承者と位置づけた。科学を孤独な天才の営みから解き放ち、組織と資金と分業による集団的事業として構想したこと──この発想の転換は、帰納法やイドラ論よりもはるかに大きな実績を残した。
主要著作ガイド
- 『学問の進歩』(The Advancement of Learning、1605年):英語で書かれた最初の主要哲学書のひとつ。学問の現状批判と知識の全体地図を提示。入門にはここから。邦訳:服部英次郎・多田英次訳『学問の進歩』岩波文庫。
- 『ノヴム・オルガヌム』(1620年):ベーコン哲学の中核。四つのイドラと帰納法。箴言形式で書かれており、一篇ずつ拾い読みできる。邦訳:桂寿一訳『ノヴム・オルガヌム──新機関』岩波文庫。
- 『ニュー・アトランティス』(1627年、遺稿):科学ユートピアの構想。「ソロモンの家」の描写が読みどころ。短いので一気に読める。邦訳:川西進訳『ニュー・アトランティス』岩波文庫。
- 『エッセーズ』(1597年初版、1625年最終版):「真理について」「死について」「復讐について」など58篇。英文学の古典として読まれてきた散文の名品。邦訳:渡辺義雄訳『ベーコン随筆集』岩波文庫。
- 『学問の尊厳と進歩について』(De Dignitate et Augmentis Scientiarum、1623年):『学問の進歩』のラテン語拡大版。大革新の第一部にあたる。知識の全体地図として、ダランベールとディドロの『百科全書』に直接影響した。
主要な批判と論争
同時代の批判はまず人格に向けられた。エセックス伯を裏切った人物。賄賂で落ちた大法官。知の腐敗を診断した当人が、権力の腐敗に染まっていた──この落差は、後世の批評家たちにとって格好の批判の的であった。医学者ウィリアム・ハーヴェイ──血液循環の発見者でありベーコンの私的主治医でもあった──は、「彼は大法官のように哲学を書く」と評した(ジョン・オーブリー『名士小伝』による)。制度を設計するが自分では手を動かさない、という皮肉だ。詩人アレグザンダー・ポープはもっと端的だった──「人類で最も賢く、最も輝かしく、最も卑劣な」(長詩『人間論』第四書簡、1734年)。19世紀の歴史家マコーレーも同じ路線で、知性を絶賛しつつ道徳を容赦なく裁いた(「ベーコン論」『エディンバラ・レヴュー』1837年)。
方法論への批判は、より根本的な問題を含んでいる。デイヴィッド・ヒュームが提起した帰納の正当化問題。過去に太陽が昇ったという事実から、明日も昇るという結論は論理的には出てこない。帰納は習慣であって論証ではない、と。カール・ポパーはさらに踏み込んだ。科学は帰納で法則を「確認」するのではなく、大胆な仮説を立てて反証(falsification)を試みる営みだ(『科学的発見の論理』1934年)。ポパーにとって、ベーコンは帰納主義という誤った神話の創始者だった。
この批判にも留保がいる。ベーコンは単純な枚挙的帰納を自ら退けている。彼の方法は排除と比較を含んでおり、ポパーが批判した「白い白鳥をいくら数えても黒い白鳥がいないことにはならない」式の素朴帰納とは構造が違う。ただしベーコンが数学を軽視し、仮説の役割を過小評価したことは確かだ。同時代のガリレオやケプラーがすでに数学を駆使して自然の法則を記述していたことを考えると、ベーコンの方法論は最先端の科学実践からはずれた場所にあった。
影響と遺産
最も具体的な遺産は、1660年のロンドン王立協会だ。初期の会員たちはベーコンを精神的父祖と仰いだ。トマス・スプラットは『王立協会の歴史』(1667年)のなかで、ベーコンを実験哲学の創始者として称えている。実際、王立協会の事業はソロモンの家の青写真をかなり忠実になぞっていた。
フランスの啓蒙主義への影響は甚大だ。ダランベールは『百科全書』序論(1751年)で、知識の分類をベーコンの体系に基づいて構築した。記憶(歴史)・理性(哲学)・想像力(芸術)という三分法はベーコンの『学問の進歩』に由来する。ヴォルテールはベーコンを「実験哲学の父」と呼んだ(『哲学書簡』第十二書簡、1734年)。
イギリス経験論の系譜では、ロック→バークリー→ヒュームの背後にベーコンがいる。直接の影響というより、経験から出発せよという姿勢の地盤を作った。19世紀にはJ.S.ミルが『論理学体系』(1843年)でベーコンの三表法を精密に発展させ、帰納法を定式化した。大西洋を渡ったアメリカでは、トマス・ジェファソンはベーコン・ニュートン・ロックを「世界がこれまで生んだ最も偉大な三人」と呼び(ベンジャミン・ラッシュ宛書簡、1811年)、三人の肖像画を自邸モンティセロに飾った。
20世紀に入って、ベーコンは二方面から再読された。ひとつは科学社会学の方面。科学は社会的制度であるという認識の先駆として。もうひとつは批判理論の方面。アドルノとホルクハイマーが指摘したように、「知は力」の論理は自然の支配を人間の支配に転用しうる。ベーコンは近代科学の功績と罪の両方の出発点に立っている。
現代への接続
健康食品の広告に「個人の感想です」と小さく書いてあるのを、何人が読んでいるか。「飲んだら体調がよくなった」──体験談は記憶に残り、「飲んでも変わらなかった」人の声は消える。種族のイドラだ。子どもの教育も同じ構造を持つ。自分が受けた教育を物差しにして「最近の子は」と嘆くのは、洞窟のイドラだ。ベーコンは診断を出したが、治療法はほとんど書かなかった。診断は17世紀に終わっている。治療のほうは、まだだ。
科学の再現性の危機(replication crisis)も同根の問題だ。心理学や医学で、追試しても同じ結果が出ない論文が続出している。出版バイアス、p値ハッキング、サンプルサイズの不足。理論に合うデータだけを拾い、合わないデータを捨てる──劇場のイドラそのものが、査読付き論文のなかで再演されている。
「知は力なり」の行く先も問い直されている。製薬会社は病の原因を知り、治療薬を作り、特許で利益を得る。農薬メーカーは害虫の生態を知り、駆除剤を作り、土壌と水に副作用を残す。「原因を知り、結果を再現する」というベーコンの図式は、誰がその知を握り、誰が結果を引き受けるかという問いを、最初から内蔵していた。知が力になるとき、その力は誰の手にあるのか。
読者への問い
- 自分が信じていることのうち、確証バイアス(種族のイドラ)によって補強されているだけのものはないか。反対意見を最後にまじめに読んだのはいつか。
- あなたの専門や得意分野が、あなたの「洞窟」になっていないか。専門の外にある問題を、専門の道具だけで裁こうとしていないか。
- 「知は力なり」を座右の銘にしたとき、その「力」は誰に向かうのか。自然に対してか、他人に対してか。
名言(出典つき)
「知そのものが力である」 出典:フランシス・ベーコン『聖なる瞑想』(1597年)「異端について」/原文:"Ipsa scientia potestas est."
ベーコンの全思想を一文に凝縮した格言。知の価値は観照にではなく、世界を変える力にある。
「人間の知と力は一つに帰する。なぜなら原因を知らなければ結果を生み出せないからだ」 出典:フランシス・ベーコン『ノヴム・オルガヌム』第一巻 箴言三/原文:"Scientia et potentia humana in idem coincidunt, quia ignoratio causae destituit effectum."
知と実行は別物ではなく、同じものの表裏だ。原因を知ることが、結果を操作する唯一の手段だ。
「三段論法は自然の微妙さに対しては到底及ばない」 出典:フランシス・ベーコン『ノヴム・オルガヌム』第一巻 箴言十三/原文:"…cum sit subtilitati naturae longe impar."
論理は思考を整理するが、自然を発見しない。ベーコンがアリストテレスに向けた根本的な異議の表明。
「自然は服従することによってでなければ征服されない」 出典:フランシス・ベーコン『ノヴム・オルガヌム』第一巻 箴言三/原文:"Natura enim non nisi parendo vincitur."
箴言三の後半。自然を征服するためには、まず自然の法則に謙虚に従わなければならない。力への道は、謙虚な観察を通る。
参考文献
- (原典・英語/ラテン語):Francis Bacon, The Works of Francis Bacon, ed. James Spedding, Robert Leslie Ellis and Douglas Denon Heath, 14 vols., Longmans, 1857–1874.(標準全集)
- (原典・邦訳):フランシス・ベーコン『ノヴム・オルガヌム──新機関』桂寿一訳、岩波文庫。
- (原典・邦訳):フランシス・ベーコン『学問の進歩』服部英次郎・多田英次訳、岩波文庫。
- (研究書):Perez Zagorin, Francis Bacon, Princeton University Press, 1998.
- (研究書):Lisa Jardine and Alan Stewart, Hostage to Fortune: The Troubled Life of Francis Bacon, Victor Gollancz, 1998.
- (研究書・邦語):石井栄一『フランシス・ベーコンの自然哲学──力の哲学の系譜──』御茶の水書房。
- (概説):Stephen Gaukroger, Francis Bacon and the Transformation of Early-Modern Philosophy, Cambridge University Press, 2001.
- (補助ウェブ資料):"Francis Bacon", Stanford Encyclopedia of Philosophy.